音羽野城跡(滋賀県甲賀市)
城跡は滋賀県甲賀市土山町瀬音にあって、先にリポート掲載を終えた土山城を起点とすれば真北側の直線2kmの地にあり、県道9号を北上すれば野洲川に架かる青瀬橋の手前東側の丘陵上に位置している。橋の手前に備わる城址案内説明板からは、正面直ぐ右手側の杉林の中に見える丘陵がそれであり、ルート図あるいは概念図に示した南側の進入口まで向い、そこからは縄張り内にある旧社までは参拝道が繋がっているので、主郭までは迷わず辿り着けるとは思われる。車は探せば路駐可能なスペースはありそうでもあったが、個人的には南側県道沿いにある神社の駐車場に預けて、そこから歩いて向った。当時においては頓宮氏の居城が伝わるが、城史の概略に関しては現地案内板をクリックの事
現状(二月)城跡は植林地となっている事からも、ある程度見通しは利く状態にあり、主郭(居館跡)に向うまでの当時のままかもしれない、広大な削平地全体像を窺う事も可能であり、方形主郭の全体像あるいは広さはある程度目視によって確認する事も可能な状況となっている。主郭に向うまでの南側の広大な削平地は、土塁に見えるウネウネした地形が全体を支配しているが、これらが当時の遺構の名残なのか、あるいは近世における神社としての敷地跡なのか、あるいは風化及びその体積物によってそうなったものか、現状推察すら出来ない状態でもある。現状ではただやたら広いだけで、郭を土塁などで仕切った形跡も見受けられなかった(後世において相当な地形改変があったのかも分からない)。ただ主郭周囲を巡る土塁の外周には、深さは失われてはいるが空堀(一部二重空堀)、付随する虎口などは明確に判別出来るものが現存している。郭内部には案内板に記されてあった様に庭園に使用されたと思われる庭石などがゴロゴロしており、それなりに当時の居館跡の雰囲気は漂わせている、主郭の北側は崖状の切岸として処理されており、杉林の中、数10m下まで切岸が落ち込んで行く様は中々迫力は感じられた。
主郭及び周辺の遺構(土塁、空堀)はほぼ完存とも見受けられたが、他の広い範囲(南側と東側の広大な削平地)でどこまでの地形改変があったのかは想像も付かず、ほぼ見学者の想像に委ねられるのも現実であり、逆に現在の状態を当時のままと解釈すれば、南側の茶畑まで至る相当城域の広い、しかも縄張り規模も大きい城跡と言えるのかもしれない。県道から5分もあれば主郭に到達出来るお手軽さ、あるいは完存に近い形の主郭を踏まえれば、見応えのある遺構は多くはないが、訪問する価値は充分あるのではなかろうか。