滋賀県の山城跡

2009年9月30日 (水)

音羽野城跡(滋賀県甲賀市)

城跡は滋賀県甲賀市土山町瀬音にあって、先にリポート掲載を終えた土山城を起点とすれば真北側の直線2kmの地にあり、県道9号を北上すれば野洲川に架かる青瀬橋の手前東側の丘陵上に位置している。橋の手前に備わる城址案内説明板からは、正面直ぐ右手側の杉林の中に見える丘陵がそれであり、ルート図あるいは概念図に示した南側の進入口まで向い、そこからは縄張り内にある旧社までは参拝道が繋がっているので、主郭までは迷わず辿り着けるとは思われる。車は探せば路駐可能なスペースはありそうでもあったが、個人的には南側県道沿いにある神社の駐車場に預けて、そこから歩いて向った。当時においては頓宮氏の居城が伝わるが、城史の概略に関しては現地案内板をクリックの事

1tuti 登城ルート

3_1 現地案内板

3o 城跡概念図

現状(二月)城跡は植林地となっている事からも、ある程度見通しは利く状態にあり、主郭(居館跡)に向うまでの当時のままかもしれない、広大な削平地全体像を窺う事も可能であり、方形主郭の全体像あるいは広さはある程度目視によって確認する事も可能な状況となっている。主郭に向うまでの南側の広大な削平地は、土塁に見えるウネウネした地形が全体を支配しているが、これらが当時の遺構の名残なのか、あるいは近世における神社としての敷地跡なのか、あるいは風化及びその体積物によってそうなったものか、現状推察すら出来ない状態でもある。現状ではただやたら広いだけで、郭を土塁などで仕切った形跡も見受けられなかった(後世において相当な地形改変があったのかも分からない)。ただ主郭周囲を巡る土塁の外周には、深さは失われてはいるが空堀(一部二重空堀)、付随する虎口などは明確に判別出来るものが現存している。郭内部には案内板に記されてあった様に庭園に使用されたと思われる庭石などがゴロゴロしており、それなりに当時の居館跡の雰囲気は漂わせている、主郭の北側は崖状の切岸として処理されており、杉林の中、数10m下まで切岸が落ち込んで行く様は中々迫力は感じられた。

18_oote_2jyuu_hori 南側の二重空堀見所

19_hori_dobasi 主郭の空堀と虎口土橋見所

20_shukaku_heki_hori 南側土塁壁と空堀

27shukaku_higasi_karabori_1 東側の空堀

22_shukaku_nai 主郭内部

25shukaku_teien_ato 庭園跡

29shukaku_dorui 主郭土塁見所

24_shukaku_kita_kirigisi 主郭北切岸

34_shukaku_nisikaku 主郭西側

主郭及び周辺の遺構(土塁、空堀)はほぼ完存とも見受けられたが、他の広い範囲(南側と東側の広大な削平地)でどこまでの地形改変があったのかは想像も付かず、ほぼ見学者の想像に委ねられるのも現実であり、逆に現在の状態を当時のままと解釈すれば、南側の茶畑まで至る相当城域の広い、しかも縄張り規模も大きい城跡と言えるのかもしれない。県道から5分もあれば主郭に到達出来るお手軽さ、あるいは完存に近い形の主郭を踏まえれば、見応えのある遺構は多くはないが、訪問する価値は充分あるのではなかろうか。

2009年9月 4日 (金)

三雲城跡(滋賀県湖南市)

城跡は滋賀県湖南市吉永にあって、当時は六角氏の重臣でもあった三雲氏代々の居城と伝わる。(詳細は現地案内板をクリック)この城跡へ訪れるには非常にややこしい説明がいるが、大雑把に説明すれば国道1号「三雲西」で南下してJR草津線を越える、後はルート図を参考にして住宅地の迷路の様な狭い道路を「青少年自然道場」を目印として車で向うしか方法はない。「青少年自然道場」に到達すればそこからは歩いても城跡を目指せるが、時間を有効に使う為にも車で手前の道路を更に上り、城跡の標柱のある箇所まで車で向う方が楽ではある。当然付近に路駐になるのでお薦めは出来ないが、道路も広いので空きスペースに停めてそのまま標柱より山上を目指した方が効率は良いものとは感じられた。

標柱のある登山口から上れば左右に山道が分かれるが、右手側に上れば当時の物見とも窺われた巨石「八丈岩」のある削平地には5分もあれば到達出来る。ここからは概念図に示した様に、尾根上を主郭に向いて上れば便宜上の二の丸には直ぐ到達出来るし、一旦下りて登山道に合流し、本来の大手道から二の丸虎口経由で主郭に向かっても、そんなに時間は要さないとは思われる。

1z 登城ルート

5tozanguti_1 登山口

6 現地案内板より

3_mi 城跡概念図

現状(三月)城跡は、見所箇所の多い二の丸周辺は比較的木々も少ない事から見通しもある程度利き、下草も少ないので現存する遺構の一つである、見応えのある枡形を形成する二の丸大石垣、石組み井戸跡などは中々良い状態のものを拝む事が出来る。全体を通しても遺構はほぼ判別確認可能な状態にあるが、主郭を含めた南西側は相当雑木が蔓延っており、折角の遺構群も非常に勿体無いばかりではある。主郭は小規模なだけに、ある程度木々を伐採して見通しを少し良くするだけで、一層城跡としての価値が高まる様には感じられたのだが、、。石垣跡などは概念図に示した様に主郭から二の丸にかけての郭壁随所(特に西側)に見受けられ、主家にあたる六角氏の総石垣に近い居城「観音寺城」とも照らし合わせる事も出来、当然この城跡も当時は総石垣城をも想像させてくれるものでもある。規模がそう大きくはないので見所は多くはないが、南西側尾根に連続する削平の甘い郭跡を分断する、一部自然地形を利用したとも思える合計四本の堀切も目に留まった。

9_8jyouiwa 巨石「八丈岩」

11kita_kaku 北尾根削平地

14_2maru_kita_kaku_2 北郭

18koguti_ooisigaki 19ooisigaki_2二の丸虎口大石垣見所

25_2maru_idokaku_1

二の丸内

24_idoato 石組み井戸見所

34_shukaku_nai_1 主郭内の現状

37_kita_dankaku_isi_1 北段郭西側の石垣跡見所

48horikiri 南西堀切

尚、本来「青少年自然道場」から上ることの出来る谷沿いにも相当数の石垣跡が目に留まったが、これらは山上にある城跡の石積み方法とは明らかに異なるものでもあり、近世における治山事業としての石垣の様にも見受けられたが、、。小規模な山城ではあるが枡形を形成する大石垣、あるいは郭壁随所で眼にする事の出来る石垣跡、更に石組み井戸は一見の価値のあるものでもあり、この二つの遺構見学の為だけに訪れたとしても決して後悔はしないものと感じられた。個人的には戦国ロマンに充分浸ることも出来、まだ未訪の方には遊歩道が設置されている事からも、是非訪問をお薦めしたいと思える山城ではある。

2009年9月 2日 (水)

清水山城跡(滋賀県高島市)

城跡は滋賀県高島市新旭町安井川にあって標高210mの山上に主郭が設けられており、現在国指定史跡に認定されている。(城史に関しては現地案内板をクリック)

城跡へは先にリポート掲載を終えた打下城跡を起点にすれば分かり易いが、国道161号は大溝城跡をかすめながら北上、JR[新旭」駅近くに来れば「北畑」交差点は左折、後はそのまま直進してルート図の如く大荒比古神社を目指せばよい。もちろんこの大荒比古神社付近も当時の居館跡地(井ノ口館)でもあり、現在でも分厚い土塁や深く掘削された空堀を窺う事が出来る。これから訪問する本命の清水山城は図中に赤線で記したが、狭い道路を更に山に向いて上らなくてはならず、道標も設置されていない事からもすんなりと登山口までは到達し難い。大荒比古神社からみれば東側の住宅地の途切れる辺りに、路駐可能なスペースがあったので車はそこに停めたが、国指定史跡であるからには駐車場の完備は是非お願いしたい処ではある。車を停めた付近からはそのまま歩いて北上すれば、概念図に示した様に広大な清水山遺跡(居館跡)を見学しながら、登山遊歩道あるいは途中から尾根上の郭群も窺いながら山上郭までは迷わず辿り着く事が出来る。

1si_5_2 登城ルート

1z 中腹の案内板

2_1現地案内板

1si_7 現地案内縄張り図

9_yasiki_nai_1 屋敷跡地の空堀土塁見所

現状(一月)城跡は真冬である事、あるいは整備されている事もあって、一般の史跡見学者にとっては非常に見て回りやすい状態にあるが、自分を含めた見応えのある遺構を求める山城ファンにとっては、山上主郭以外は地表も荒れ放題の郭跡、あるいはシダや枯れたままの下草に覆い尽くされている郭跡や斜面も多く、案内板縄張り図に記載された全ての遺構が判別確認出来る訳ではないので、これから訪れる方は過度な期待は持たないほうが良いものと感じられた。結果的には城域が相当広い事もあって縄張り全域を見て回る事は叶わず、見逃した遺構も数多いものとなってしまったが、今回見て回れた範囲の中に限って判別出来た遺構群を概念図に示した。城跡の見所は高低差のある非常に鋭角な堀切に尽きると思われるが、連続する縦堀などは下に向いて落ち込む様の全体像が窺えるものであり、非常に醍醐味も見応えも感じられる。主郭から三方尾根上に広がる縄張りも変化にも富んだものであり、先々で眼にする遺構に期待感を持って回れる事を思えば、探索する楽しさも倍増しそうに思われる。尚、中腹に位置する清水山屋敷跡でも、仕切り用の大型土塁あるいは付随する大空堀を眼にする事が出来るので決して見逃さないように、、ただこちらは相当藪化が進行しているので全体像の確認はほぼ無理、登山道から木々の少なめの箇所を選び少し踏み入って確認するのが精一杯でもあり、当然屋敷跡内全域を歩き回る事は不可能な状況となっている。個人的には今回は多くの未踏地域を残し、見逃した遺構も多い事から今一満足感に浸ることが出来なかったが、必ず近いうちに再訪して全域を踏破してみたい城跡の一つになった。まだ未訪の方には是非お薦めの城跡という事にはなろうか。

1si_4_2

城跡概念図

19_shukaku_heki_2 主郭切岸

21_shukaku_nai 主郭内

26_shukaku_kita_tatebori 主郭北二連の縦堀見所

30_nanseikaku 南西の土塁を伴う郭

31_horikiri 南西大堀切1見所

34_nansei_daihorikiri_3 大堀切2見所

46_daihorikiri 北郭大堀切見所

48_une_tatebori 北連続縦堀見所

2009年8月21日 (金)

田中城跡(滋賀県高島市)

城跡は滋賀県高島市安曇川町田中にあってJR安曇川駅から真西側へ3km程度移動した距離にあり、田中地区内にある上寺集落のほぼ真西側背後の先端尾根から山上にかけてが城域となっている。(城史に関しての詳細は現地案内板をクリックの事)

1_1v 登城ルート

2a 現地案内板

2z 現地案内板縄張り図

城跡へ京阪神から向う場合は、無料走行出来る湖西道路を北進して国道161号へ合流すれば良いが、打下城跡あるいは大溝城跡のある近江高島を通過すれば一般道296号へ左折西進、更に3km程度走り一般道297号へ右折北進すれば、目指す上寺集落までは分かり易く辿り着けるはずである。集落に入ればバス停傍の道路脇に大きな案内看板(縄張り図と城史に関しての説明がされている)が設置されているので登山口は容易く見つける事が出来ると思われる。付近を探せば路駐可能でもあり、後はルート図の如く住宅地の路地を通過すれば5分内で城址碑までは辿り着ける。そこから右手側が屋敷跡地(竹林地)、山上に向いて山道を上れば見張り所を経由して山上主郭郭までは迷わず到達出来るが、相当複雑に郭群は配されているので案内道標に従って進んでも中々全体像が見えてこないのが現でもある。裏を返せばそれほど規模も大きく更に醍醐味もあると言うことにはなるのだが、とにかく縄張り内を歩き回っての見学は余儀なくされる。

8yasiki_dorui_1 屋敷跡の土塁見所

12_mihari_kaku 大手見張り所

20_karabori 空堀見所

22_karabori 空堀

24_dobasi 土橋

25_dorui 土塁跡

30horikiri_sita_kaku 郭跡

45_shukaku_nai 主郭の奥櫓台見所

48_shukaku_haigo_horikiri 主郭背後の堀切見所

現状(一月)城跡は史跡としては登録されていない様だが、地元の方によってある程度整備された状態が保持されており、城跡内には案内道標や随所に遺構案内板まで設置されている。山上に向うほど木々も多くなり状態は悪くなるが、山城としては見学し易く非常に見て周り易い状態にあると言っても良いだろう。更に冬季に訪れた事もあって枯れ葉も多く見通しもある程度利く状態にあるので、郭の形状や遺構の全体像まで把握する事が容易い状況でもあり、非常に好感の持てる山城と目には映った。城跡は縄張り規模も大きく、麓の住宅地背後の竹林地に現存する土塁を伴った屋敷跡群から、中腹に位置する広大な郭跡及び付随する郭群、更に山上郭群まで限なく見学すればたっぷり時間もかかってしまうので、事前よりゆとりを持たせた山城巡りが肝心かも、、、。薬研堀などの見応えを感じる堀切は存在してはいないが、空堀(横堀)、状態の良い切岸、土塁などの土塁城としての遺構は数多く現存しており、道標あるいは現地縄張り図に任せて山上郭まで網羅すれば、この戦国期山城の全てを堪能する事が出来るものと思われる。見所としては山上主郭に至るまでの縄張りの全てと言っても過言ではなく、現状の整備された状態あるいは遺構残存度の高さを考えれば正しく推奨に値する山城でもあり、個人的にも是非お薦めしたい城跡という事になろうか。

2009年8月19日 (水)

打下城跡(滋賀県高島市)

城跡は滋賀県高島市高島町にあって、JR「近江高島」駅の南西側に聳える標高374m(比高約250m)の長法寺山の山上に位置しており、別名大溝古城。ちなみに駅の東側に位置している大溝城跡からは充分位置は確認する事が可能である。(城史に関しては現地案内板をクリック)

城跡へは京阪神から向えばJR湖西線に沿って走る国道161号を北進すればよいが、目印となるのはJR「近江高島」駅であり、その真西側にあって城山台住宅地を越えた位置にある日吉神社からが登山スタート地点となる。ルート図の如く神社南側には道標があることからも、登山口(画像に示した)は容易に見つける事が出来る筈である。後は道標に従い沢に沿った形で上れば、途中数箇所に道標が設置されているので迷わず山上主郭までは辿り着けると思われる(約30分は要す)。

1route_1 登城ルート

2 現地案内板より

6tozanguti 登山口

2_1_2 現地縄張り図

山上尾根に到達すれば左手尾根側が目指す城跡(道標あり)、更に右手側を西に上れば「見張り山」に向いて無数の郭跡、土塁、あるいは土橋などを眼にする事が出来る。ただしどこまでが当時の城跡としての遺構かは素人目には判断出来かねるが、個人的には「馬の足形」と呼ばれる巨石を経由して見張り山までは踏破した。見張り山と呼ばれるからには当時の物見としての機能を備えていたものとも見受けられるが、遺構案内が見当たらなかったので判別は不可能でもある。特別見応えのある遺構には巡り合えなかったが、恐らく城域はここまで及んでいたものと考えられる。肝心の本郭群は現地縄張り図に示される様に相当な高低差(50~60m)を以って南北二城に分かれており、その移動尾根沿いに小郭群が配される非常にユニークな構造となっている。見所は中主郭に残存する虎口土塁を支える石垣跡、その郭跡周囲を巡る土塁北主郭の分厚い土塁、その外壁に部分残存する石垣跡などが挙げられるが、主郭西尾根を断つ二重に見えた縦堀も決して見逃してはならない遺構の一つと思われる。現地縄張り図に記載されてあった南郭、あるいは出郭までは現状(一月)の密生する雑木藪を考えればとても踏破探索する気分にはなれなかった。更に北主郭側には畝堀と記載されてもいたが、場所も遺構の判別もし辛く案外見逃したかも知れないので、これから訪問される方には是非目を凝らして覗いて頂きたいと思う。

17_une_tatebori

主郭西側の二重縦堀見所

20_nakashukaku 中主郭

22_yaguradai_isi_2 虎口の石垣跡見所

24_shukaku_mawari_dorui 周囲の土塁見所

25_shukaku_minami_sita_dorui 主郭南側下の土塁

36_kitakaku_minami_koguti 北主郭の虎口

38_kitakaku_nai_dorui 周囲の土塁

41sotogawa_isi_1 外壁に残る石垣痕

45_monomi_ooisi 巨石「馬の足形」

個人的には標高400m以上の「見張り山」地点まで探索したので心身共に疲れ切ってしまったが、凄い高低差を以って南北二城に分かれたこの山城は非常にユニークでもあり、登山道がある事、あるいは前述の残存度の高い遺構群を考えれば、状態は悪いが何とかお薦め出来る城跡と言う事にはなるだろう。ただし条件付にはなるが夏季訪問は出来るなら避けた方が無難かも、、

2009年8月17日 (月)

星ヶ崎城跡(滋賀県蒲生郡)

城跡は滋賀県蒲生郡竜王町星ヶ崎にあって、当時観音寺城を居城とした六角氏一族でもある鏡氏の居城と伝わっているが、六角氏同様織田信長によって滅ぼされている。別名星ヶ峯城跡

城跡へは名神高速道路「竜王」ICが最寄の乗降口、インターから下りれば国道477号より北進して「西横関」交差点を左折して国道8号に合流すればよい、少し西進して「道の駅」を過ぎればルート図の如く国道の側道となる旧街道へ進入、狭い道路を少し走れば左手側の住宅地脇に城跡の案内看板が目に留まるので、そこから八幡神社跡までは参道を利用し、その後は登山道に任せて所々に備わる道標を確認しながら上れば、30分程度(意外に時間も距離も長く感じられた)で山上郭群までは辿り着ける。

1z_2 登城ルート

4_2 登山口案内板

3 城跡概念図

現状(三月)城跡は冬枯れ後ともあって、ある程度見通しも利き、それなりに見て周り易い状態にはあるが、場所によっては下草(シダ類)で覆い尽くされており遺構の確認判別し難い箇所もある。しかし山上主郭西壁に10m以上に渡って遺された、高さを伴う(2~3m)石垣跡は城跡にあっては抜群の存在感を誇るものとなっており、城跡を語る上での最大の見所ともなっている。画像に示したように石垣底部はまだ相当埋もれているとは思われるが、状態が良い事も相俟って非常に目を楽しませてくれている。他では主郭東側あるいは南側にも一部石垣痕、石列などを眼にする事が出来、当時では少なくとも主郭周囲は全て石垣で覆われていたものと想像出来そうにも思われた。城跡の形態としては地形任せで尾根上を削平して築かれたものであり、縄張りプランに特別なものは感じられなかったが、直立した石垣が主郭を防備する為の最大の要であった様には感じられた。雑木の生い茂る周囲の斜面全域までは踏破出来なかったが、堀切跡は二箇所で確認する事は出来た。城跡の性質上自作概念図における以外に見応えのある遺構(縦堀などの堀切)が遺されているようには見受けられなかったが、他で特別な技巧を有する遺構も窺われなかった事からも、そう多くは望めない城跡の様には感じられた。

19_shukaku_kitagawa_2 主郭北側

20_shukaku_nai_1_2 主郭内

24_nisi_isigaki_1_2 24_nisi_isigaki_3_2 主郭西壁の石垣跡見所

23_shukaku_nisi_isigaki_2 主郭西側より

28_higasi_isigaki_1 東壁の石垣跡見所

32gedan_higasi_horikiri_2 東側堀切地形

31_nantou_kaku 南東郭

城跡は藪化も地表風化も激しく状態が良いとは決して言えないが、藪漕ぎもなく登山道で山上郭まで到達出来る事を思えば、この主郭壁に残存する石垣跡を見学する為だけに訪れたとしても充分な満足感には浸れ、納得した山城巡りが出来そうとも思えるのである。小規模でもあり遺構が目白押しの山城ではないが、当時に構築された石垣に興味のある方だけに是非お薦めしたいと思える城跡の一つである。

2009年8月15日 (土)

土山城跡(滋賀県甲賀市)

城跡は滋賀県甲賀市土山町北土山にあって、集落に向いて延びた舌状の尾根先端に位置している。当時は土山氏の居城と伝わり信長の家臣でもある滝川一益に攻略されているが、現在の城跡に残る遺構は恐らく滝川氏によって改修されたものとも見受けられ、俗に豊系とも見て取れる特色を持つ分厚い土塁と虎口、あるいは付随する虎口前面の空堀がそれを雄弁に物語っている様にも思われた。個人的には先にリポート掲載を終えた玄蕃尾城とも相通じるものを感じたが、、、。 (城史の概略は現地案内板をクリック)

Tu1 登城ルート

Tojyoukuti_1_2 現地案内板

Tojyoukuti_2 登城口

城跡へは国道1号「土山町役場」の交差点を北上してルート図の如く進行すれば容易く付近までは辿り着けるが、集落道路沿いの土山城址碑と灯篭及び案内板のある箇所が登城口となっており、画像に示した様に民家の間の狭い道よりそのまま山道に進入すれば、5分もあれば南虎口の土塁までは到達出来るはずである。尚、駐車場に関しては付近の道路は狭く、個人的には民家空き地に許可を頂いて車は駐車したが、集会所付近にもスペースがあったかもしれない。もちろん確証はないが、少し距離をおいた場所を探せば駐車スペースは充分確保出来るものと思われる。

現状(二月)城跡は冬季あるいは植林地ともあって樹木も少なく、周辺の木々も枯れている事から見通しもある程度利き、非常に見て回りやすい状態にはある。お陰で縄張り内における遺構もほぼ判別確認出来る状況にあるが、土塁(土城)城とあってか長年の体積物あるいは風化によって土塁も郭内も随分変化しており、南出郭あるいは便宜上の二の丸などに窺えた土塁跡は、ほぼ高まりを感じる程度のものとなっている。特に主郭の北背後における堀切を絡めた複雑な地形は非常に曖昧でもあり、中々地形から遺構を推察するのは困難な状況でもある。見所は主郭南虎口から馬出し虎口を経て、南出郭虎口(枡形虎口あるいは馬出しか?)に至るまでの虎口を形成する土塁、それに付随する形の土橋及び空堀は真っ先に挙げられるが、主郭周囲を巡る土塁も見所であり、他縄張りを形成する土塁は全て見応えがあるもの(大型)であり、空堀を多用した縄張りプランは機能を想像しながら見学すると見飽きることがなく、より楽しく見て回れそうには感じられた。とりあえず概念図に示したものが判別出来た遺構あるいは目に留まった遺構になるが、ほぼ山上における縄張りの全域を見て回れた計算にはなる。ただ城跡の東側には広域に渡って段状の削平地が連続するが、築かれた時代背景までは知る術もなく、個人的には屋敷跡の様にも見受けられたが、まだ未訪の方の参考までに、、、。

3tu1 城跡概念図

12_daidorui 南土塁虎口見所

14horikiri_dobasi_1 南出郭虎口の空堀土橋見所

24_2maru_nai 二の丸内

26_umadasi_mae_hori 馬出し虎口前の空堀見所

32_shukaku_nai 主郭内

34_dorui_kado 主郭土塁見所

38_kitakaku_hori_dorui_1 主郭南側空堀

48_dorui_koguti 南西郭虎口土塁

城跡を一言で語れば土塁(土城)城の醍醐味はくまなく味わう事が出来、戦国ロマンに浸れる事請け合いの城跡と言うことになろうか、当然お薦めしたい城跡の一つでもあるが、比較的状態が良い事からも四季を問わず納得の行く見学が出来そうにも思えた。

2009年8月 4日 (火)

箕作城跡(滋賀県東近江町)

城跡は滋賀県東近江町五個荘山本町にあって、京阪神から向えば国道8号を北進すれば五個荘清水鼻地区付近からは新幹線を挟んで東に単独で聳える山なので直ぐ城山と確認する事は出来る。当時織田信長に攻略されるまでは六角氏の居城と伝わっている模様であるが詳細は不明。

城跡へは名神高速道路「八日市」ICが最寄の乗降口、国道8号と合流するまでには色々なルートが考えられるのでここでは割愛させて頂くが、ルート図の如く国道8号より目印となる神崎中央病院を目指せば分かり易い、病院の北東より東へ針路変更後、新幹線高架下を潜れば真東に鉄塔が直ぐ目に留まるが、この付近に車の駐車スペースが確保出来ると思われる。鉄塔より南側に聳える送電鉄塔の建つ山が城跡であり、位置を確認すれば画像に示した農道から屋敷跡地を通過して山に入って行けば良い。

今回の登山に於いては個人的には山裾に存在する屋敷跡地と見受けられる広大な段状の削平地(郭壁あるいは土塁壁の数箇所で石積み跡が見受けられる)から、僅かな踏み跡を辿って鉄塔(送電線)に沿う形で山上まで直登したが、本来は別に登山道があったのかも知れない、少なくとも北側からの登山道は見受けられなかったが、、、どちらにしても送電線に沿って上れば20分程度は要すが間違いなく山上主郭までは辿り着ける筈である。尚、図中の下山(参考ルート)においては過去使用されていたと思われる山道(踏み跡程度の急斜面)が見受けられたが、これが本来山上まで繋がる山道であったのかも分からない、、?

1z 登城ルート

Tozanguti 登山進入口

3a 城跡概念図

5_fumoto_yasiki 推定屋敷跡地

7_fumoto_isi 屋敷跡の石垣跡見所

18_shukaku_kogutikaku_isi 主郭西の石垣跡見所

21_shukaku_nai 主郭の現状

23_higasi_horikiri 堀切

24_higasi_kaku 東郭1

25_higasikaku_sekiretu

石列

27_higasikaku2東郭2

現状(三月)城跡は進入口でもある麓の屋敷跡周辺は矢竹で覆い尽くされており、細部における地形の変化の確認は困難となっている。矢竹の隙間にやっと石垣跡あるいは土塁跡を確認出来た程度でもあり、せいぜい家臣団の屋敷跡地あるいは居館跡を推察出来る程度であると思って頂ければ良い。山上郭群の形態としては規模の小さい最高所を主郭として、ほぼ東尾根上に地形に任せて郭が配された平凡な縄張りプランでもあり、見応えを問われると少々返事に困ってしまうのが現実でもある。確認出来た遺構としては鉄塔の建つ主郭西側に石垣跡が一部分残存しており、堀切を挟んだ東郭群に石列あるいは土塁の高まりを目にした程度でもあり、東側尾根は密生する矢竹藪となっているので踏み入る事も外見から判別確認するのも不可能な状況となっている。現状から城跡に縄張り妙味などは全く期待は出来ず、山上に残る僅かな石垣跡に興味がある方以外には訪問は中々お薦め出来ないのが個人的な見解でもあるが、これから訪れる準備のあった方にとってはタイムリーな現況報告となったものと思いたい。

2009年8月 2日 (日)

小脇山城(滋賀県東近江市)

城跡は滋賀県東近江市小脇町にあって、全国的にも有名な安土城跡からは南東側直線約6kmの位置にあり、箕作山を最高所としてみれば南西側の中間尾根上の最高所(標高373m)に位置している。当時においては六角氏の家臣、三井氏の居城が伝わっているが詳細は不明。

近江地方には石垣を用いた城跡が数多く現存しているが、この山城も高所にありながらも相当多くの石垣が使用されており、地表に露見している部分は多くはないが、山上郭群の随所に石垣跡あるいは石列を窺う事が出来る。当然見学する分には石垣跡が一番目を楽しませてくれる遺構になるとは思われるが、斜面に眼を凝らせば縦堀などの遺構も充分確認する事が可能であり、地表風化は激しいが僅かながら北郭群に土塁の高まりも見て取る事が出来る。個人的には小規模で縄張り妙味(堀切を中央に挟んでほぼ尾根上に直線的に郭が配置)には少し欠けるが、これだけ当時の石垣跡が拝めるのであれば充分見学に値する山城とも見受けられるので、比高230mを上るきつい登山にはなるが、険峻さを誇る山城の好きな方、あるいは石垣跡に興味のある方には当然お薦めの城跡と言う事にはなろうか。

1z 登城ルート

3a 城跡概念図

17_magaibutu 磨崖仏見所

城跡へは名神高速道路「八日市」ICが最寄の乗降口、インターを下りれば直ぐ国道421号に合流出来るので国道に任せて西進、踏み切りを越えた「小脇町」交差点より一般道208号へ進路変更すれば、後はルート図の如く向えばよい。個人的には図に示した尾根先端部にあたる南側の丘陵が気になったので南側からの直登になったが、西麓側からは石戸山「十三佛」に向けて石段で最後まで上りきる事の出来る登山道が設置されているのでそちらからの登城をお薦めしたい。参考直登ルートであれば山上郭群までは50分要したが、後者を選択すれば10分以上は短縮出来るものと思われる。「十三佛」に到達すれば背後に磨崖仏のある大岩群(眺望が素晴らしい!)からは箕作山に向いての登山道を利用すれば、難なく城跡までは辿り着く事が出来る。

28_dan_sekiretu_1 数段にも連なる石垣跡見所

34_2dan 37_gedan2_isi 南郭群の石垣跡見所

38_gedan1_kado 南最上段郭石垣跡見所

40_nankaku_top_1 南郭TOP

44_horikiri 中央堀切

46_shukaku_gedan2_isi 主郭下段付近の石垣跡見所

53_shukaku_nai_2 主郭内

62_tatebori_dobasi_2  北端の空堀土橋見所

現状(三月)城跡は冬枯れ後である事、あるいは箕作山への登山ルートで移動し易い事も重なり、山上に展開される郭跡、遺構などは非常に見て回り易い状態にあるが、自然任せの藪化は進行中でもあり、登山道から一旦外れると周囲は密生する雑木藪となっているので山城見学においては当然宿命とも言えるが、細部における遺構の判別確認は中々難しい状況となっている。概念図における範囲が確認出来た遺構であり歩き回れた範囲でもあるが、雑木の密生する急峻な斜面以外はある程度見通しも利き、ほぼ見て回る事が出来る状態にあると思って頂ければよい。ただ夏季訪問においては当然見通しも利き難くいものとは思われるが、、、。個人的には山登りを楽しむ事も出来、途中岩戸山における磨崖仏などの史跡見学あるいは眺望、山城遺構も充分味わう事が出来たので、非常に有意義で満足感に浸れた価値のある山城巡りとなった。

2009年7月31日 (金)

玄蕃尾城跡(滋賀県伊香郡)

この山城は滋賀県と福井県の県境、標高約450m柳ヶ瀬山(中尾山)の山上に位置しており、柴田勝家のシズガ岳合戦における本陣と伝わる。現在城跡は「国指定史跡」となっている為に数多くのHPサイトや文献で紹介されているので、山城ファンのみならず史跡見学者も数多く訪れる事からも、当然既に訪問された方も多いとは思われるが、まだ未訪でこれから訪問の準備にある方の為に簡単な現況報告と見学後の感想を述べさせて頂く。

この山城を語り出すと限がないのだが、現在近畿圏内における山城、あるいはもっと狭い範囲で土塁城だけを対象とすれば、これだけの遺構残存度、遺構整備保全状態の良さ、更に技巧を駆使した素晴らしい縄張りプランを誇る城跡は他には見当たらないと思える。他の大多数の山城を圧倒していると言っても過言ではなく、個人的に現状を見る限り賛辞の言葉を失うほどでもあり、この復元整備された状態の良さは絶賛に値するとも思えた。これだけ褒めれば未訪の方には城跡の状態あるいは値打ちを少しは分かって頂けるとは思うが、それだけ見学する価値のある山城あるいは史跡と言う事になろうか。見所を挙げれば縄張りプランそのものでもあり、郭間の虎口は全て食い違い土塁又は空堀土橋が備わっており、侵入者を簡単には寄せ付けない工夫が施されている。これだけの高所にありながらも土塁と空堀(横堀)を駆使して築かれたこの山城は当時の臨戦状態を物語るものかもしれないが、判別出来る遺構の機能を想像しながら見て回れば、より一層見学も楽しいものになりそうに思えた。

1g_2 登城ルート

2_1 現地案内板より

3g 城跡概念図

6_minami_kaku_dorui 南郭西側の土塁

9_nakakaku_dorui_hori 中郭手前の空堀

12_nakakaku_yori_minami_dorui 土塁囲いの中郭

13_naka_yori_minamikaku 中郭より南郭

17_minami_umadasi_1 南馬出しと空堀

21_yaguradai 主郭櫓台

22_shukaku_nai_yori_koguti 主郭より虎口方向

23_kitakaku_koguti 北郭と虎口

29_kitakaku_nisi_hori_1

北郭西側の空堀土塁

現状(11月)城跡は画像を見て頂ければお分かりの様に、木々に葉は生い茂ってはいるが見通しも利き、郭全体像も充分視認出来る状態でもあり、現地縄張り図に記載された遺構はほぼ判別確認出来る状態にはある。自作概念図に示した範囲が歩き回れた範囲であり遺構を確認出来た範囲でもあるが、当然冬季あるいは冬枯れ後の訪問においては更に状態は良いものと思われるので、恐らく目に留まる遺構もこの限りではないのかも分からない。ただ現状レベルでこれだけのものが見学出来るのであれば、四季を問わず充分納得のいく見学が可能な城跡とは目に映ったが、、。

城跡へはルート図に示した様に国道365号で北上した場合、「柳ヶ瀬トンネル」を抜けて直ぐ右折(逆進する形になる)して右方向に進行すれば、自ずと林道に繋がり駐車場までは難なく到達出来る。140号で東進した場合はトンネル手前で直ぐ左折(右方向)すれば良い。駐車場から登山道に任せて上れば、20分~30分で山上までは到達出来るはずである。

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