京都(綾部)の山城

2009年2月24日 (火)

高倉山城(京都府綾部市)

この城跡は国土地理院地図上には「城山」とだけ記載されており、かつての城跡と見受けられる事からも何時か機会があれば踏破するつもりでいた。幸いにも館町にある館城跡訪問ついでに高倉町まで足を延ばし、高倉神社付近で地元の方から城山の情報を聞き及んだ結果としては、「通常から城山としての名前が通っており城跡ではあるが他の正式な呼称については知らない」更に「昔は山頂までは登山道があったが登る人も今は絶え、現在は送電鉄塔への巡視道を使えば上れる可能性が少しはあるかもしれないよ」と言った見解であった。個人的には巡視道を見つける事が出来なかったので、事前に準備しておいた最短となる想定ルートからの直登となったが、訪問結果として山上には僅かながら城跡遺構は存在しており、当然乏しい資料の中には全く登場して来ない城跡なので今回は仮)高倉山城跡として訪問リポートを掲させて頂いた。

城跡へ阪神側から向う場合は国道9号あるいは国道175号を北上すれば県道8号を経由して県道77号に進路変更、後は舞鶴若狭自動車道の見える高架手前まで直進、交差点を右折すればルート図の如く工業団地の背後から舗装道を走り終点地である直登山口付近までは辿り着ける。ただ現在舗装林道も終点までは通れるが、細い木々が相当迫り出してきており車が傷つくのが心配なら図に示す地点から歩く事をお薦めしたい。終点からは少し東へ上れば大堀切(切り通し)に遭遇するが、そこから左手(北側)斜面に取り付いて上れば15分程度で山上南端郭跡までは到達する事が出来る。ただし冬季である現在でも多少の藪漕ぎ(矢竹が多い)は必要であり、山上南郭までは連続する急斜面である為にある程度の覚悟は必要とされる。

現状(二月)城跡は山上まで辿り着けば比較的移動もし易く、一部矢竹の密生する尾根上を除けば尾根上の削平地(郭跡とした)の確認、主郭手前の堀切及び切岸処理の施された主郭などの判別確認は容易く、主郭に到達した事によってこの険峻な山城を征服した達成感は必ず得られる筈である。さほど大きくない主郭内は意外にも見通しの利く状態にあるが下界の眺望は木々に遮られ全く無理、しかし主郭に切岸は窺われたのである程度満足、更に堀切も目に留まったのは一箇所だけに限られたが、この山城の様相から察すれば個人的には非常に満足のいく山上踏破となった。この現況報告が自分と同様にこの城山に少しでも興味を持っておられた方、あるいはこれから上る準備のあった方の手助けになれたのであれば更に満足、、ただ古い形態の山城である為に見応えのある遺構に遭遇出来なかったのが少し残念な処ではあるが、、、

1route_3 登城ルート

3taka 城跡概念図

5_kiritoosi_1 直登口切通し

8_nantan_kaku 南端郭跡

10_naka_1 中郭跡

15_horikiri 堀切

21_sukaku_dorui_dan 主郭の段

21_sukaku_dorui_dan_1 主郭

20_shukaku_heki 主郭切岸

2009年2月15日 (日)

館城跡(京都府綾部市)

この城跡は事前に地形図からみても丘城である事が察せられ、丘城であれば鬱蒼とする竹薮が直ぐに想像されたのでほとんど何も期待せずに訪れたが、現状(二月)城跡は低い下草は蔓延ってはいるが竹薮は皆無、生い茂っていたと思われる周りの草木は伐採され、郭切岸などはむき出しになっており空堀は全体像をも拝める状態、全ての遺構は判別確認可能と言った具合で、民家に隣接する丘城としてはこれ以上望めない素晴らしい状態にある。もちろん土地所有者の方によって周囲の木々は最近伐採されたものと思えるが、この時期を逃してはこれから良い状態の保持された城跡見学はほぼ無理とも思え、まだ未訪の方の為にも取り急ぎ訪問リポートの掲載に及んだ。石川氏の居城と伝わるが城史に関しての詳細は不明

城跡は綾部市館町にあって、阪神側から北上した場合国道9号から県道8号を経由し県道9号を北上、自動車道の高架を潜れば道路沿いには目印となるリョウガン寺の道標もあるので右折進路変更後はルート図の如く進行すれば概念図に示す城跡進入口には分かり易く辿り着ける。付近道路(未舗装)沿いには空きスペースもあるので車の駐車は可能でもあり、そこから数mも歩けば城域でもあり真っ先に主郭東背後にある状態の良い切岸と空堀を拝む事が出来る。

1route 登城ルート

6 城跡遠望

3t 城跡概念図

とにかく城跡はほぼ完存とも思える様相を呈しており、郭周囲を巡る空堀に至っては深さの違い、段を違えた仕切り土塁などの様に細部に渡って遺構の判別確認する事が出来、他でも櫓台の分厚い土塁、副郭の薄い土塁などの様に城跡における遺構は細部まで手に取るように窺う事が出来る。見所は小規模ではあるがコンパクトにまとまった城跡全てと言っても過言ではなく、必ずや訪れた者を満足させてくれる筈である。丘城(ほとんど平地に近い)にありながら竹薮の存在しない城跡は関西圏では皆無に近く、農地あるいは民家が直ぐ迫った状況にありながらもこれだけの残存度を誇る城跡が身近にあったとはとても信じられない思いでもある。

コンパクトである為に見学も短時間で済むが、周囲を何度見て歩いても飽きさせないほどの残存度の高い遺構群及び佇まいは正に賞賛に値する城跡でもあり、訪問時期としてはこれから下草や木の芽吹く前までがベストとも予想され、今でも充分戦国期に思いを馳せることの出来る素晴らしい状態の城跡を是非春先までには堪能して頂きたいと思う。尚、東側の丘上(鉄塔が建つ)にも削平跡だけは窺える大規模な郭跡が存在しており、当時城域も主郭を中心として周りの低い丘陵上全域に及んでいたとも推察出来そうである。

8_minamigawa_karabori_2 35_karabori_minamigawa_1 南側空堀見所

34_minami_karabori_sikiri_1空堀仕切り土塁見所

11_kitagawa 北側空堀土塁見所

17_fuku_kaku 副郭内の土塁

20_fukukaku_nai_karabori 副郭内の空堀見所

20_fukukaku_koguti_1 副郭虎口土塁

27_yagura_heki 主郭櫓台

2008年12月 1日 (月)

小畑城跡(京都府綾部市)

new 京都府綾部市小畑町にあって、高源寺背後のほぼ独立した低山が城跡の平山城、波々伯部氏の居城と伝わるが、小西城(リポート掲載済)を本城とした支城として機能していたものか、、

城跡へは小西城を起点にすると分かり易く、府道74号から小西城に向かう為に北上した道路を更に北へ直進、地区郵便局を右手に見て、更に道任せで進むと広い集落センター(販売所か?)らしき前を通り、ルート図の如く進行すれば目指す高源寺に辿り着く事が出来る。寺院背後(左側)からは、かつての稲荷社に向う参拝道があるので、それを利用すれば5分とかからず主郭までは到達出来る。

現状(11月)城跡は下草は蔓延り、全域にかけて雑木天国と化しており、相当藪化も進行しているが、縄張りがコンパクトにまとまっている為に全体像を掴む事は案外容易となっている。当然郭跡は草木の為に視認し辛いが、見所でもある主郭背後に設けられた二本の堀切及び迫力のある分厚い土塁などは明確に見て取る事が可能である。 (夏季においての訪問は絶対に避けるべし!)

この地域には小西城、六反城、そしてこの小畑城と波々伯部氏の持ち城が三箇所にもあり、この集落に向う城戸口を小西(本城)、六反城で挟む形状が外見からも窺われ、集落の最奥に位置するこの城跡は、郭数が少なく主郭の規模(相当広い)あるいは利便性から考えても、館城(居館)の様にも見受けられるが、個人的推察の域は出ないものである。小西城と併せて二城同日訪問すれば、有意義な城跡巡りが出来る事請け合いと言える城跡である。

1route_2 登城ルート

4a 城跡遠望

3obata 城跡概念図

7_yasiro_kaku_2 主郭下段

23_shukaku_yori_yasiro_1 主郭より社殿

10_shukaku 主郭

12_yagurada 主郭櫓台

15_horikiri_2 堀切見所

17_horikiri_shukaku_heki 堀切側の主郭切岸見所

2008年11月30日 (日)

小西城跡(京都府綾部市)

new 京都府綾部市小西町にあって、既にリポート掲載済である六反城跡からは西側へ歩いても行ける距離にある。波々伯部氏の居城と聞くが、兵庫県篠山市にある淀山を居城とした波々伯部一族の城かどうかは調べるまでには至ってはいない、詳細は不明

城跡へは六反城跡を起点にすれば分かり易く、ルート図の如く西側へ向いて道幅の狭い道路を道に任せて進行、集落奥に向いて進めば未舗装となるが更に進めば集合墓地が目に入り、車はここで空きスペースに駐車する、そこからは一部山道を利用して南へ迫り出した尾根先端に取り付き、僅かな踏み跡の残る尾根を登り切れば、広い城域を持つ城跡の山上西側削平地に15分程度で到達する事が出来る。

綾部市にある城跡のほとんどがそうである様に、この城跡も自分の手元には情報が皆無に等しく、存在のみは分かっていたので地図上でおよその見当だけを付けて、何の期待もせずに臨む事となったが、結論から先に述べると、山上では予想を遥かに上回る、状態の良い素晴らしい残存遺構の数々を目の当たりにする事となった

城跡の本郭群は到達地点である山上削平地から東側にあり、西側にも切岸処理の窺われる郭跡、更に西側へ向いて山上を目指せば、山上全体を占めている削平跡の窺える広大な平坦地(東西に長い)に到達出来る。もちろん見る限りにおいては当然縄張りの一部と見られる西山上郭とも呼べるものである。到達地点から東側が本命とする本郭群に相当するが、尾根上削平地を通過すれば堀切を形成する主郭背後の壁の如き切岸が迎えてくれる運びとなり、そこを越えると大規模な主郭に突入する。更に東側は段郭を尻目に斜面を下った場所に設けられた堀切で、本郭群の東端に到達したものと察せられる。更に東側急斜面を下りた枝尾根上にも、郭の展開は成されている様にも窺われたが、次の予定もあり今回の探索はここまでとして下山と相成った。

城跡に技巧さは余り見受けられないが、本郭群の状態の良い直立した切岸、主郭に設けられた櫓台土塁などは充分見応えがあるもので、山城そのものの規模が大きい事からも城跡からは非常に醍醐味を感じ取る事が出来る。東側民家に達するまでの枝尾根未踏地は、少しだけ再訪の余地は残してしまったが、個人的には期待を全くしていなかっただけに、満足度はほぼ100%近くには達するものとなった。

1route 登城ルート

7 進入路

3kon 城跡概念図

20_shukaku 主郭

19_yaguradai 主郭櫓台

30_heki_1 東郭群切岸

32_higasi_dorui_koguti_1 東斜面土塁虎口見所

16_naka_horikiri_dorui 主郭西堀切土塁

9nisi_demaru_gun 西出郭群

15_nisi_sannjyou_kaku_1 西山上郭

2008年11月 7日 (金)

浅根山城跡(京都府綾部市)

京都府綾部市物部町にあって物部城跡からは東側に歩いても行ける距離にあり、支城あるいは出城とも見受けられるが詳細は不明、上原氏の居城と伝わる。

城跡へは府道9号から物部城跡をかすめて490号に針路変更、後はルート図の如く進行し道路沿いに「浅根山公園」と表札のかかる場所から坂を車で登れば公園駐車場までは容易に辿り着ける。

個人的には現地を訪れるまではこの地が公園化されているとは思われず、東の寺院側から山道を利用して山上まで上ったのだが、現状は公園(城跡公園としての認識は甘い様で案内説明板も設置されていない)でありながら展望デッキは新設されたと見えて新しいが、主郭内は下草及び木立の生え放題と化しており周囲の土塁上から外見を覗く事しか出来ない状態にある。堀切も備わってそこには木橋が設置されてはいるが、城跡として訪問した者だけが遺構と判別出来る状態でもある。更に西側にも郭の展開は有りそうにも思えたが密生する雑木藪の為に踏破は断念する。

個人的に城跡を評価すれば遺構残存度も低く規模も小さいもので、山城としての魅力には欠けるが、物部城跡あるいは北野城跡の訪問ついでに寄る程度であれば、当時の史跡としての価値が下がるものではないので、充分納得出来る訪城になる様な気はする。

1route_4 登城ルート

4_1 東より城跡遠望

3as 城跡概念図

5_2 城跡進入口

14_horikiri_yori_nisi 西郭の展望所

13_horikiri_1 堀切

Shukaku_1 主郭の現状

北野城跡(京都府綾部市)

new 京都府綾部市仁和町にあって諏訪神社のある独立した低山の山上から南西尾根上が城跡、別名志賀城とも呼ばれ志賀氏の居城と伝わるが詳細は不明。

城跡へは綾部市内より県道9号を北上、物部城跡(既に掲載済)のある東側川沿いの交差点から一般道490号に進路変更し、後はそのままルート図の如く目印となる諏訪神社を目指せば容易にそこまでは辿り着ける。神社に到着すればその背後、あるいは向って左手側の傾斜面をそのまま上り、北側に尾根上を進めば主郭までは五分程度で到達出来る。

尾根上には削平跡は窺えるがほぼ自然地形に近い郭跡が100m近く続き、それを過ぎればやっと城跡らしい土塁を伴う南郭に辿り着けるが、現状(10月)城跡は一面雑木藪と化しており、これからは木々の隙間を縫いながらの移動を余儀なくされる状況となる。それでも何とか動き回れる範囲内に置いては跡、高低差のある切岸跡、土塁、堀切などの、城跡を形成する遺構は何とか判別確認する事が出来た。縄張りもほぼ把握するまでには漕ぎ着けたが、密生する雑木の為に郭の距離感も掴み難く、郭形状も今回に置いては余り自信がない。ただ本郭部は基本的には三郭構造で成立しており、神社側に向いて直線的に長い尾根上郭が付随している事だけは分かった。当時は神社敷地まで(居館跡かも?)縄張りとして取り込まれ、その周辺には屋敷群が形成されていた様にも地形から見て取れるが、砦規模の小規模な城跡ではない事だけは確かである。

この城跡には諏訪神社が鎮座している事からも、志賀氏は物部城主である上原氏一族あるいはその傘下で動いていた武将とも考えられるが推察の域は出ない。

1route_3 登城ルート

4_2 城跡進入路

3si 城跡概念図

13_1

南側の長い削平地

15_dorui_kaku_1

南郭土塁

19_shukaku_heki 主郭切岸

088 二の丸

21_3maru_dorui 三の丸土塁

23_3maru_sita_horikiri_1 三の丸東堀切

2008年8月24日 (日)

井根山城跡(京都府綾部市)

京都府綾部市野田町にあって詳細は全く不明の山城

城跡は国道173号で北上した場合新綾部大橋を渡る手前の東側(右手)にある山の山頂にある、登山口は橋を渡る手前の国道沿いの下道にあたる場所にあるので一旦左にそれて下道を逆戻りする形で井根山公園に向かう。到着すればそのまま遊歩道に従えば山上まで行けるが相当遠回りになるので数10m先の途中から本来の山道を上ると効率よく登れる。4

西側の下道より遠望 1route

登城ルート

山上は公園扱いになっているので綺麗に整備はされているが、肝心の山城に関しての説明案内などはなく本来の史跡としては全く無視されているものになっている。展望を求めて登る人にとっては誰もこの地が城跡である事は分からないであろう、最高所にモニュメントまで建てるのなら史跡説明ぐらいせめて欲しいところである。見る限りでは山上主郭の半分以上は造成され当時の面影は無いものと見受けられるが、主郭から東端の二重堀切は素晴らしい状態で残存しており縦堀と並んで城跡唯一の見所となっている。砦規模の城跡である為全体的に見応えがあるとは言えないが、麓からはすぐ登れる距離にあるのでこの堀切遺構だけを見る為に訪れても決して後悔する事は無いと思われる。

3inem 城跡概念図

10 西側登山道

12a_1 造成された主郭

I_009 東郭跡

I_019 主郭切岸

I_015 I_013 二重堀切見所

2008年8月 1日 (金)

高津八幡山城跡(京都府綾部市)

京都府綾部市高津町の八幡神社から南側一帯の山にかけてが城跡

綾部一帯を勢力圏に置く大槻氏の居城であるが、本城は既に訪問済の高城城があるのでどちらにしても大槻一族の城だと思われる。この城跡も南北朝期より存続した大槻氏も明智軍によって滅亡の憂き目にあっている。ここからは距離はあるが尾根を辿って東側は甲ヶ嶽城へと繋がっている様である。1route

登城ルート

3taka2 城跡概念図及びコメント

15_horikiri 大堀切

45_dorui_karabori 西郭の土塁空堀

25_shukaku_gedan_yori 主郭西下段

27_shukaku_nai 主郭

33_naka_yori_minamikaku 南郭の切岸

2008年7月31日 (木)

丸山城跡(京都府綾部市)

京都府綾部市大畠町の集落西に位置し独立した小山が城跡

この城跡も先に紹介した高津八幡山城と同じく大槻氏の居城であるが詳細は不明、一族の城とみて間違いの無い処であろうが、一戦を交えた守護代である上原氏の物部城とはそう離れていないので八幡山城の出城であった可能性は高い。しかしこの綾部から福知山周辺における城跡の多さは尋常ではないものがある、そこら中の山は全て山城に見えてしまい訪問済みの城跡も相当数に上っている。光秀の丹波平定以前から戦火の耐えなかった事実は城跡の数にも充分表れている様である。1route_2

登城ルート

城跡は小山の山上全域が規模の大きい主郭となっており居館跡にも見て取れるもので、主郭の土塁北側に落ち込む堀切は素晴らしい状態を保持しており唯一の見所でもあり一見の価値のあるものである。4_1城跡全体を見れば醍醐味には欠けるかも知れないが 物部城か位田城を訪問した際には距離も車で数分足らずで行けるので、ついでに立ち寄っても決して損は無い城跡である。

東南より遠望

2_3m

城跡概念図及びコメント

8_horikiri_1 堀切見所

11_shukaku_dorui_1 主郭の土塁

12_shukaku_1 主郭

16_gedan2 主郭南郭

2008年7月26日 (土)

山家甲ヶ峯城跡(京都府綾部市)

京都府綾部市広瀬の集落にあっては南西側に突き出した尾根上に城跡はある

古くは和久氏の居城であるが丹波を平定した明智光秀の廃城令に叛いた為に滅亡、その後秀吉により美濃から谷氏が封ぜられ、後に麓に陣屋を構え幕末までに至っている。その時点においては山上郭は既に用を足すまでに至っていなかったと思われる。

城跡へは京都側から車で向かった場合、陣屋跡を目指して国道27号線より北側に右折する事になるが案内看板が見えた時点では既に行き過ぎており、行き過ぎた場合も再度右折出来るがこの道は相当遠回りになるので注意が必要。陣屋跡に到着すれば伊也神社より登山道が山上まで通じているので15分もあれば辿り着く事が出来る。

現状城跡は地表は相当荒れているが見通しも案外良く、藪化もしておらず快適に見て回れる状態で残存遺構は全て明確に判別出来る状態にある。特に主郭を挟んだ形にある二本の堀切は良い状態のものを拝む事が出来、主郭切岸と帯郭の切岸に至っては築城時に近いとも思えるこれ以上無い美しい姿を留めている。主郭は規模も大きく佐衛門屋敷跡となっているので当時の城主である和久佐衛門の居館跡ではないだろうか、主郭より北側に向いては物見に見える櫓台跡を通り北出郭と呼ぶべき規模の大きな郭跡に辿り着く。ここは少々藪化しているが切岸、虎口を形成する土塁は中々良い状態のものを拝む事が出来、是非見逃して欲しくない遺構である。

この城跡は城域が余り広くない為に全体像は摑み易く残存状態も良く、更に残存遺構の見応えもあり縄張り妙味も含めてこれ以上は望めないと言った処で、数百年の時を経ても未だ尚美しい切岸を持つ戦国期の山城跡を目一杯堪能する事が出来る。

尚、麓の広大な陣屋跡の西側(本来の大手か?)にも大土塁と空堀遺構及び郭跡、あるいは物見に見える小郭が残っている

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南東側から遠望

1route 登城ルート

3z 城跡概念図

7 登山口

15_horikiri_dobasi_1 堀切土橋

21_shukaku_nai_2 主郭

23_higasi_obi_kirikisi 落差のある美しい切岸

26_horikiri_2

主郭北側の堀切

35_demaru_koguti_1 北出郭の土塁虎口

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