京都(丹後地方)の山城

2014年9月 4日 (木)

丸田斎宮城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市丸田にあって、先にリポート掲載を終えた丸田宮ノ谷城からみて、真北側の丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先に触れた丸田宮ノ谷城あるいは丸田東城を起点とすれば所在位置も分かり易いが、国道178号線「丸田東」の信号を目指し、その北側にあるドライブインダルマ」を目印として向かい側の道路に進入、後はルート図の赤ラインを辿って頂ければ、難なく直登スタート地点(画像に注目)までは辿り着けるだろう。ここからは勾配のきつい斜面をひたすら上る事になるが、藪こぎもなく主郭までは15分程度あれば到達可能である。

3_2_2登城ルート及び城跡概念図

4torituki直登取り付き口

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、郭の展開が予想される東尾根上はうっかり覗くのを忘れており、今回は山上本郭群のみのリポートと思って頂きたい。ただこの城跡の本郭群の規模や形態を思えば、郭の展開は山上だけに限られるのかも知れないが、、、山上本郭群は尾根上の削平地及び狭い帯郭が主郭に付随したものであり、全長30m足らずの砦規模の山城と思って頂ければ良いだろう。堀切は直登道中の北斜面に施されているが、現状薄くなった縦堀を伴っており、取り合えず城跡唯一の見所遺構と呼ぶに相応しいものか、、。

6_horikiri_1堀切見所

7_tatebori薄い縦堀

9_shukaku_2主郭

10_haigo_kaku_2主郭背後

現状(五月訪問)城跡は、年間訪れる山城ファンも限られる、無名に近い山城としてみれば比較的コンディションは良く、数少ない遺構ではあるが、その楚々とした佇まいも含めて充分楽しめるものとは思われた。よって個人的に城跡を評価するのであれば、規模や縄張り妙味は一切望まないとの前提条件付きで、興味を持たれた少しマニアックな山城ファンの方にのみ、何とかお薦め出来る山城といった事になろうか。

2014年8月31日 (日)

佇まいはこれぞ山城! 和江城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市和江にあって、和江集落の真北側に聳える、低山ではあるが険峻極まりない標高約140mの山頂に位置しており、その南麓には佛心寺が建立されている。城史に関しての詳細は不明 

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた和江宮ノ谷城を起点とすれば所在位置も分かり易い事から、細かい訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、和江神社の真北側にある佛心寺を目印として向かう事になる。寺院背後にある集合墓地が直登スタート地点となるが、左手側の植林地に向いて上った方が蔓延る木々も少なく、かつての山道(僅かに空堀状)に合流出来る事から上り易いとは思われる。ただ下山時に利用した西側の民家脇に下りるルートを、逆から登る方が最短ルートとは言えるが、、、ちなみに激斜面との格闘にはなるが、藪漕ぎなしで20分内で本郭群までは辿り着ける筈である。

1route登城ルート

3_2城跡概念図




城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、主要二郭と帯郭で形成された南北に渡る本郭群の総全長は100mに達するものであり、山上南端部における削平地(三角点がある)まで物見として取り込めば、規模だけ捉えれば砦の域は充分はみ出た山城と言えようか、本郭群南端には見所遺構の一つとも言える分厚い土塁を間に挟んだ二重堀切、更にそれに付随する明瞭な土橋、北端には横堀に縦堀を絡めた縄張り妙味のある三連の空堀(縦堀)と、これらは間違いなく見学者を魅了してくれる筈である。もちろん切り立つ切岸の醍醐味にも、充分触れる事が出来るが、、、

14_2jyuu_horikiri_2二重堀切見所

17土橋見所

18_dobasi_2jyuuhori土橋付二重堀切見所

30_kita_shukaku北郭

32_kita_haigo北郭背後

31_obi


帯郭

36横堀及び二連の縦堀見所

38横堀と縦堀見所





現状(五月訪問)城跡は、意外にも蔓延る木々は少なく、縄張りは山頂のみに限られる(枝尾根がない)事もあって、山城としては移動にも難渋せず、非常に見て回り易い状況にあると思って頂いても良いだろう。城跡を個人的に評価するのであれば、シンプル過ぎる縄張りの為に、縄張り変化に富んだ城跡とは言えないが、険峻極まりない地の最高所に位置する城郭の佇まいの素晴らしさ(個人的趣向が入る)、あるいは南北両端に施された状態の良い堀の醍醐味、更に本郭群における切岸がいきなり麓まで落ち込む様は「正にこれぞ山城!」と呼ぶに相応しいものであり、間違いなくお薦め出来る城跡の一つ、と自分の眼には映ったのである。

2014年8月27日 (水)

和江宮ノ谷城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市和江にあって、和江神社の南西側の低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、由良川を挟んで南東側に対峙している一色氏一族の居城、中山城から見た築城環境、あるいはその規模を考慮すれば、推察の域は出ないがその出城という事になるのでは、、、

城跡を訪れるには、国道178号線に進入する事が先決となるが、既にリポート掲載を終えた中山城を起点とすれば、その所在位置も分かり易いとは思われる。目印となるのは先に触れた国道沿いにある「和江神社」で、ここの駐車場に車を預けた後は、ルート図に示した赤ラインを辿って頂ければ、10分内で便宜上の東出郭に辿り着けるが、一番手っ取り早く本郭群まで辿り着けるのは、国道から林道に進入して西側から痩せ尾根上を移動して直接目指す方法である。ただし林道の道路状況は現状把握していないので、どうぞ悪しからず(車止めされている林道も多々ある)。

1x_2登城ルート及び城跡概念図

5参考進入経路





城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、城郭は山上本郭群と東尾根上の郭群の二群で成立したものと見受けられた。そのどちらにも郭背後に堀切は施されているが、東出郭の方は判別確認もし難い浅い横堀であり、見応えからは程遠いものといったところか、、本郭群背後の堀切は明瞭なもので、現状風化に任せて浅いが、判別し易い空堀と思って頂いても良いかも知れない。

7_demaru東出郭の現状

8_demaru_horikiri東出郭背後の堀切

12_shukaku_2主郭

11_shukaku_heki主郭切岸

15_horikiri_2背後の堀切見所




現状(五月訪問)城跡は、砦規模の本郭群(全長25m前後)だけに限れば、それなりに動き回り易く見学し易い状況にあると言えるが、東出郭群の郭内部は相当木々も蔓延っており、見通しは利き難く、更に移動にも難渋し、その全体像を窺う事は困難極まりない状況にあると思って頂いても良いだろう。城跡を個人的に評価するのであれば、規模も小さく状態の醜い東出郭を敢えて遺構見学の対象としてお薦めはしないが、西側からの林道が利用出来るのであれば、圧倒的お手軽感を加味した上で、後でリポート掲載予定の和江城(中山城とは支城の関係か?)あるいは中山城と併せた同日訪問は充分お薦め出来るだろう。

2014年8月23日 (土)

丸田宮ノ谷城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市丸田にあって、既にリポート掲載を終えた丸田東城から見れば北西に聳える低山山頂に位置しており、その南麓には麻良多神社が鎮座している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先に触れた丸田東城を起点とすれば分かり易い位置にあるので、細かい訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、登城口となるのは国道178号線沿いにある「八雲保育園」背後(画像に注目)からで、丘陵南端にある小さな社殿まで繋がる参拝道を利用して向かう事になる。そこからは尾根に沿ってそのまま北上すれば、20分程度で山上主郭までは辿り着ける筈である。

1route_3登城ルート

6登城口

3_2城跡概念図





城跡の形態は、概念図に描いたものにほぼ近いと思って頂ければ良いが、主郭は痩せ尾根地形を削平しただけに終わったものであり、全長は50m前後あるが、幅は最大で10m程度のものである。まさに砦規模の山城と言っても差し支えなさそうに思われるが、主郭西側の郭境の曖昧な段郭群には、唯一浅い堀切が施されている。これは片側が縦堀に繋がっており、更に土橋が備わる事から、充分見所遺構として成立するものと見た、ただ他で見応えのある遺構に巡り合える事が出来なかったのが残念な処ではあるが、、、

20_nantan_one_1尾根南端にある祠

7_toutan_kaku山上東端郭

14_dankaku段郭群

17_dobasi土橋付堀切見所

18_tatebori縦堀見所





現状(五月訪問)城跡は、比較的蔓延る木々は少なく、遺構見学とすればそれなりに見学し易い状態にあると思って頂いても良いが、郭境となる切立つ切岸の醍醐味、あるいは鋭角に刻まれた空堀の醍醐味には、全く触れる事は出来ないと思って頂きたい、ただ切岸跡は主郭側壁で僅かながら窺えるが、、、城跡を個人的に評価するのであれば、この由良川沿い一帯に数多く築かれた山城の城跡巡りの一環として訪れるのであれば、充分期待に沿える城跡と言った事になろうが、単独訪問となると興味を持たれた方だけが対象となる城跡と言った事になろうか、、、

2014年8月19日 (火)

見取城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市志高にあって、既にリポート掲載を終えた志高館城から見て、北側に対峙した丘陵上にあり、その南麓には現在若宮神社が祭られている。城史に関しての詳細は不明であるが、築城環境を考慮すれば、三上氏の居城志高城本城と想定した場合、その出城と見るのが妥当なところか、、

城跡を訪れるには、志高館城を起点とすれば一目瞭然の位置にあるので、細かい訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、登城口はルート図に示した赤い鳥居で、若宮神社背後を丘陵上に向いて上り切れば、直ぐにでも南端出郭に施された縦堀を伴う堀切が迎えてくれる筈である。もちろん祠背後の縦堀が落ち込む先から逆に上っても良いが。

1route_2登城ルート

5進入経路

3m_2城跡概念図





城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、主郭は南枝尾根先端に位置する出郭より更に北に向いて上った先にあり、そこを頂点として四方枝尾根上に郭が展開されるものと見受けられた、、、ただ全ての枝尾根上を踏破した訳ではないので、残存遺構も縄張りも概念図に示した限りではないものと思って頂きたい。規模(主郭は物見程度)やその形態から察する限り、志高砦の様に、多くの空堀が備わる技巧に富んだ山城の様にはとても思えなかったが、、、

10_nantan_tatebori_2南端縦堀見所

12_horikiri_dobasi_1南端土橋付堀切見所

18尾根上の郭

19山上主郭

24_kitakaku_2北郭





現状(五月訪問)城跡は、年間数人程度のマニアックな山城ファンが訪れる以外、訪れるものは無きに等しい山城(推察)とみたが、比較的動き回り易く、見学し易い状態が自然維持されている。よって概念図に示したまでの遺構は、それなりに判別可能な状態にあると思って頂いても良いが、これといったインパクトのある遺構(高い切岸や薬研堀)にお目にかかる事は叶わず、最初に触れた縦堀を伴う堀切(土橋付)が唯一の見所遺構と呼べるものであり、安普請で築かれた砦規模の山城に、そう多くの期待は望めないだろう。城跡を個人的に評価するのであれば、「志高城砦群の本質を究めたい方だけにお薦め出来る城跡」と言った事になろうか、、、

2014年8月15日 (金)

岡田由里城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市岡田由里にあって、既にリポート掲載を終えた荒張城からみて、小さな集落を跨いで北西側に対峙した低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、荒張城を起点とすれば所在位置も分かり易いので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、国道175号線「岡田由里」の信号からはルート図を参考にして頂きたい。現在主郭転用地には稲荷神社が祭られている事もあって、集落の西側からは参拝登山道を利用すれば迷わず上れる状況にあるが、概念図にその登山口(墓地背後)は示したので、是非それを参考にして頂きたい。

1route登城ルート

3城跡概念図


城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、主郭から便宜上の三ノ郭までの郭総全長は軽く80mに達するものであり、山上における郭占有面積は比較的大きく、砦の域は充分はみ出た山城と言っても良いかも知れない。ただ三ノ郭の半分以上、あるいはその下段四ノ郭は一部藪化が深刻化した状態にある為、探索踏破は出来ずに終わっており、郭形状や残存遺構に関しては、概念図に示したままには決して終わらないものと思って頂きたい。その中にあって見所遺構と呼べるものは、主郭北端の尾根を断つ堀切、西側斜面に施された受け土塁を伴う堀切といった事になろうが、何れも縦堀を伴うものであり、見応えは充分感じられよう。切岸は主郭背後、あるいは二ノ郭東壁で高低差のある見事なもの(画像に注目)を拝める筈である。尚、主郭に建つ社殿背後には土塁の痕跡が残るが、造成整地後の残土とも受け取れる為、これは見学者の判断に委ねたい。

8_kaku2_touheki_2二ノ郭東切岸見所

12_shukaku_yori_kaku2主郭より二ノ郭

16_shukaku_2主郭

15_shukaku_3土塁痕か?

18_kita_horikiri_2北端堀切見所

23_minami_horikiri_dorui_2


南西堀切(縦堀)見所




現状(五月訪問)城跡は、先に触れた様に主郭及び二ノ郭までは見通しも利き、それなりに動き回り易い状態にあるが、その下段にある三ノ郭も含めて、東側に展開される郭は身動きも取れないほどの低草木に覆われており、その形状さえ掴めない非常に醜い状態の下にある。それほど多くの郭が重なり合っているとは思えなかったが、、、西側斜面は植林地にある為、縦堀の全体像が拝める素晴らしい状態にあるので、取り合えず一安心と言ったところか、、、城跡を個人的に評価するのであれば、山城としての縄張り妙味には少し欠け(個人的主観)、更に状態も良いとは決して言えないが、確かな登山道で迷わず山上まで上れる事、状態の良い縦堀を伴う堀切が拝める事、高低差を伴う切岸の醍醐味には充分触れられる事、以上の材料が揃えば、自ずとお薦め出来る山城の一つ、と言う事にはなるだろう。

2014年3月24日 (月)

矢田城の出城か (仮名)矢田北砦跡(京都府与謝郡)

この推定砦跡としたものは、矢田城を訪れるべく地元(石川地区)で所在位置を確認したところ、標高151mの山頂に城跡はある事が分かり、まずその北端枝尾根から踏破を試みたところ、偶然そこで城郭遺構と遭遇した事から話は始まるが、その低丘陵上においては、郭跡と呼べる明瞭な削平地、あるいはその側壁となる切岸、あるいは薄い空堀(横堀)といった具合に、帯郭も含めてほぼ五郭で形成された、紛れもない城郭遺構と対面する事となった。結果的にそこでの遺構見学に時間を割かれたお陰で、本来訪ねる予定の矢田城(本城か?)までは足を延ばせなかったのが心残りになったが、次の機会が訪れるまでの楽しみとしてこの地を去ったのである。

1route2登城ルート及び城跡概念図

6進入路


10_sentan_kaku北端郭

11_jyoudan_kaku_1中郭跡

9_kaku_heki郭壁

12_kirigisi


郭側壁切岸

13_horikiri_2空堀跡




帰宅後、この城跡に関しての軽いリサーチは行ったが、どうも城跡としては認識されていないらしく、まだ文献資料の類にも載せられてない事が判明した。よって今回は矢田城の出城(砦)としての築城環境(末端尾根にある)を踏まえた上で、仮名)矢田北砦跡としてリポート掲載に及んだが、リサーチ不足のせいで、既に調査を終えた城跡の可能性も含んでいる事から、城跡呼称に関しては柔軟に対応して頂きたい、、、遺構に見応えまでは感じられなかったが、興味を持たれた山城ファンの方にのみ、圧倒的お手軽感も含めて、山城巡りの移動中にでも立ち寄って頂ければ、決して無駄足には終わらないとも思えたのである。尚、本来訪問予定であった矢田城に関しては、機会があれば何れ訪れる予定はしているが、この地は積雪も多く、冬季訪問は諦めた方が良さそうに思えるのである。

仮名)矢田北砦跡は京都府与謝郡与謝野町石川にあって、既にリポート掲載を終えた石川高津城の真南側に突き出した尾根先端部に位置している。訪れるには高津城を起点とすれば分かり易いので、訪問ルートの説明は今回割愛させて頂くが、ライスセンターを目印として向かい、その直ぐ東側にある集合墓地背後を上れば、直ぐにでも郭跡が迎えてくれる筈である。

2014年3月21日 (金)

谷内城跡(京都府京丹後市)

城跡は京丹後市大宮町谷内にあって、集落東側に突き出した標高144m丘陵先端部にあり、私見に基づくものになるが、標高180mの山頂に更に物見を構えた二段構えの城郭と推察されるものである。城史に関しての詳細は不明であるが、既にリポート掲載を終えた谷内北城こと鶴賀城から見れば山上詰城とも察せられる事から、山口氏の居城と言えるのかも知れない、、、

城跡を訪れるには、先に触れた鶴賀城を起点とすれば分かり易い事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、直登取り付き口は川の流れる真南側で、今回は標高180mの山頂から城跡の位置する西側尾根に向いて下る探索ルートを選択した事から、細かいルートはルート図中には示さなかった。山頂までは激斜面となっており、更に藪漕ぎも含めて20分以上は要したので、、、

1route_4登城ルート


城跡の形態は、今回余りにも藪化が深刻化していた事により、郭内をくまなく歩き回ることも、視認による遺構の判別確認も困難を極めた事から、城跡概念図は最後まで描き切れなかったが、小規模な主郭には土塁が付随しており、その背後には堀切が施されたものである。主郭から西側斜面に向いては小規模な段郭群が形成されており、北側斜面には取り合えず土塁跡が目に留まる付郭を目にする事が出来るが、切岸まで含めた全体像を覗う事も出来ない藪化を思えば、屹立する切岸の醍醐味に触れる事はほとんど出来ないだろう。更に西側斜面中腹にはそれなりの規模を有する郭跡が数段あるが、それが城郭遺構か否かの判断は、全て見学者に委ねられるだろう。

7堀切見所

13_shukaku_nai主郭内にある墓碑?

14_shukaku_dorui_1土塁見所

19_kaku残念な郭内部

26_nisikaku_gun西中腹郭




尚、私見により物見郭とした山頂部には、明瞭な二段の削平地、更にその北側には土塁跡(画像参照)らしき構築物があったので、城跡の本質を極めたい方には、参考物件程度にはなるかも知れない、

13_3山頂部物見郭(推察)




現状(八月訪問)の、郭内に進入する事も拒まれる進行した藪化を思えば、間違っても是非お薦めの山城とは言えないが、自分も含めた藪漕ぎをものともしない山城ファンの方だけに限れば、それなりに満足感は味わえる様な気はした、一言で城跡を語るのであれば、非常に残念な山城!と言う事になるのかも、、、

2014年3月 5日 (水)

技巧を伴う堀切が最大の見所 下常吉城跡(京都府京丹後市)

この城跡は京丹後市大宮町下常吉にあって、既にリポート掲載を終えた常吉城(上常吉城)の掲載記事中で、城域と察せられるが未踏とルート図中に記した記憶があるが、今回は気になっていた未踏の地を踏破探索すべく、再び常吉地区を訪れる事になった(八月訪問)。結果的に自身の思惑通り大型の城郭遺構と対面する事が叶えられたが、自身のリサーチ不足のせいもあり、城跡の識別呼称は判明しないまま終わった。取り合えず以前下常吉支城をリポートした事があり、こちらがその本城とも察せられた事、あるいは同じ下常吉地区にある事から、リポート掲載においては下常吉城としたが、城跡呼称に関しては柔軟に対応して頂きたい。常吉城と同じ尾根を共有している事から、一城別郭とも充分考えられるが、、、

1route登城ルート

4城跡遠望

3st城跡概念図

城跡のアバウトな形態は概念図を参考にして頂きたいが、現状の青竹が郭跡から切岸にまで密生する状況、更に倒竹が多く、郭移動もままならぬ状況下(特に東民家側)での踏破探索は困難を極めた事から、残存遺構も縄張りも決して図に示した限りではないものと思って頂きたい。ただ山上本郭群はそれなりに見通しが利き、見学に差し支えるまでには至っていないが、、、城跡の見所遺構としては、主郭西尾根を断つ堀切が真っ先に挙げられるが、これは空堀(縦堀)に分厚い縦土塁を付随させて形成された、縄張り妙味のある堀切となっており、それなりに状態も良く(明瞭)、堀底から立ち上がる切岸の醍醐味まで含めれば、一見の価値があるものと自分の目には映ったのである。

7_karaboridou空堀道見所

11_kaku_heki切り立つ切岸見所

14_shukaku_1主郭の現状

22_minami_obi南帯郭と主郭切岸

16_horikiri_3堀切見所

21_tatebori_2ren_2

大土塁を挟んだ二重空堀見所

17_tatebori_2

深い堀切(縦堀)見所




城跡を個人的に評価するのであれば、主郭背後に施された堀切の醍醐味、あるいは郭を形成する切り立つ切岸の醍醐味だけで、充分訪れる値打ちのある城跡と言った事になろうか、もちろん状態は一切問わない事が大前提となるのだが、、、

城跡を訪れるには、常吉城と同じ訪問ルートとなるので今回は割愛させて頂くが、城跡への進入口は概念図中に示した民家脇の山道からで、そのまま道に任せて上れば、直ぐにでも高い切岸が迎えてくれる筈である。

2014年3月 1日 (土)

奥大野別城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市大宮町奥大野にあって、既にリポート掲載を終えた、巨大城と呼ぶに相応しい常吉城からみて、川を隔てた真東側にあって、低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、奥大野城を山口弾正の居城とすれば、その支城となるのかも知れない、推察の域は出ないが、、、、

城跡を訪れるには、先に触れた常吉城を起点とすれば所在位置も分かり易い事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、ルート図に示した石鳥居手前より山道で谷状地形の奥まで入り、更にそのまま直登で尾根上を目指せば、藪漕ぎもなく迷わず城跡までは辿り着けるだろう。ちなみに石鳥居より10分程度の所要時間

1route_2z登城ルート

3_4城跡概念図



城跡の形態はシンプル極まりない事から、概念図に描いたものに限りなく近いと思って頂いても良いとは思われるが、その規模は多少砦の域は出たものとも思えた。4郭を単純に並べただけの縄張りプランに、縄張り妙味までは望めないが、当時の遺構として目に留まったもの、あるいは見所となるものは、主郭東側に施された櫓台に見えなくもない土塁壇、その背後に施された僅かに縦堀を伴う薄い重堀切、鋭角に削り落とされた切岸跡、と言った事になるだろう。ただ切岸以外は地表風化が激しく、特別見応えを感じるまでには至れなかったので、遺構に多くの期待を持って臨む事は禁物!と言えるかも知れないが、、

8西端郭切岸(到達地点)見所

12_kaku3_heki郭3切岸見所

18_shukaku主郭の現状

19_yagura_1推察櫓台

20_shukakuheki主郭外壁

21_horikiri


薄い堀切跡

22_niren_tatebori二連の縦堀跡見所




現状(八月訪問)城跡は、藪化までには至っておらず、下草のほとんど蔓延らない切岸跡などは充分見学する値打ちのあるものであり、山城としては郭移動も容易く、非常に見学し易い状況にあると思って頂いても良いだろう。後で掲載予定の下常吉城、あるいは常吉城とその支城が未訪の方にとっては、三城併せた同日訪問プランは是非考慮に入れて頂きたい。単独訪問としても、この四季を問わない見学し易い状態を思えば、充分お薦めは出来るだろう。

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