兵庫(三田~播磨地方)の山城

2009年12月10日 (木)

播磨黒田城跡(兵庫県西脇市)

城跡は西脇市黒田庄町黒田にあって、JR「本黒田駅」のほぼ真東に聳える低山山上に位置している。秀吉の懐刀でもある黒田如水(黒田官兵衛)は軍師としてあまりにも名を成しているが、ここを居城とした黒田氏の一族と伝わっている。

城跡へは京阪神から向えば中国自動車道「滝野社」ICが最寄の乗降口であり、降りれば国道175号より北上を続ける。黒田庄に入ればJR「本黒田駅」を目印として「田高」交差点を右折、後はルート図の如く進行すれば城山は直ぐ視界に入るので、迷わず城跡へは到達出来るものと思われる。個人的には車は付近に路駐して西側の神社参拝道より山上を目指したが、楽をしたい方は城跡の東背後に回り込む形で砂利道の車道が駐車場まで繋がっており、そちらからでも登城可能。

1route 登城ルート

4 北より城跡遠望

6 山上へ

3kuro 城跡概念図

9_sandou_1 山上主郭へ

10_sanjyou_shukaku 10_sanjyou_shukaku_2 山上主郭

12_shukaku_higasi_gawa 主郭東背後

15_higasi_horikiri 東堀切(縦堀)

現状(三月)城跡は参拝道沿いの削平地を含めて全て神社敷地と化しており、当時からどこまでの地形改変があったのかは見学者の想像に委ねられるが、明らかに造成されたと思われる駐車場を除けば、ほぼ当時の山上郭跡をそのまま神社転用地としたものの様には見受けられた。山上郭は規模も小さく、ここを当時どの様な機能で利用していたのか見当も付き難いが、居住空間とすれば随分小さな屋敷跡としか見受けられず、現状見る限りでは砦あるいは物見程度の機能しか思いつかないものでもある。遺構として明確に判別可能なものは東端の堀切(縦堀)、高低差は余り無いが郭切岸跡程度であり、残存遺構の醍醐味あるいは見応えを求めた訪問であれば、落胆する事は必至である様にも見受けられた。ただ後で得た情報によれば、更にここから東へ尾根続きに上った(比高100m程度)先には、山上郭群(規模の大小は判明せず)が存在しているらしいので、まだ未訪の方には、これだけでは終わらない城跡と言う事だけは付け加えておきたい。

以上の事から、今回の麓に位置するこの砦規模の城跡だけに限れば、山城の風情を味わう程度、あるいは史跡見学として割り切って訪れる事が大事だとは思われるが、神社参拝ついでの訪問となれば、決して無駄足には終わらないものとみた。

2009年12月 5日 (土)

乙原城跡(兵庫県三田市)

城跡は三田市乙原(オチハラ)にあって、二本の川に挟まれた「天瑞寺」の背後にあたる、東西に長い丘陵上に位置しており、丘陵西端が主郭と見受けられる。当時は増田氏の居城が伝わるが、詰城とも窺える小規模な城跡なので、恐らく居住空間は別に存在するとは思われる。寺院付近がそうであるのかもしれないが、城跡情報も皆無に近い為に、推察の域は出ないものでもある。

城跡へ向うには国道176号を北上すればよいが、色んなルートが考えられるので、ここでは割愛させて頂くが、最終的には県道49号へ合流して、天瑞寺を目指せば難なく到達出来るものとは思われる。寺院からは概念図に示した様に、墓地背後を上り切れば直ぐにでも丘陵上に達する事が出来る。

1route 登城ルート

5 西より遠望

6_tenzuiji_1 天瑞寺(進入口)

3o 城跡概念図

ちなみに丘陵上は戦略的に考えても全て縄張りとは思われるが、確実に縄張りプランが見極められるのは、丘陵西端部に刻まれた明確に判別可能な堀切(縦堀に繋がる)土橋から西側であり、ここを虎口とした場合は、自ずと主郭として間違いないものとは推察される。主郭内部には大型の土塁壇が二箇所備わっており、櫓台機能の様にも窺われるものであり、唯一目を楽しませてくれてはいるが、他はこれと言った遺構も見当たらないのが現状でもある。結果的に丘陵上は西から東まで全域を踏破したが、東側の最高所まで自然地形に任せた削平地が繋がっているだけで、見応えのある遺構(堀切)には遭遇出来なかった。最初に触れた様に詰城の様相でもあり、本来の縄張りプランも、物見を兼ねた程度の安普請で構わなかったのかもしれないが、当時における増田氏の勢力も、この城跡を窺えばある程度想像出来そうにも思えるのである。

12_oku_horikiri

堀切側

15_dai_dorui_1 主郭大土塁

16_shukaku_1 主郭内の現状

10_higasi_kaku 東尾根TOP

城跡の評価としては、移動に難渋はしないが状態は非常に悪く(11月)、見学する価値のあると思われる箇所が、西端の主郭周りのみである事から考えても、個人的には敢えてお薦めはしないつもりである。今回のリポートでは興味のあった方への現況報告、あるいは城跡概念図が参考になったのであれば、これで良しとしたい。

2009年11月29日 (日)

藍岡山城跡(兵庫県三田市)

城跡は三田市藍本にあって、藍本地区を南北に流れる武庫川の西側に位置しており、比高20m前後の低丘陵上にある。当時の城主としては変遷も激しい模様ではあるが、川を隔てて直線で東側2kmの距離にある、本庄丸山城を本拠とした森鼻氏の支城あるいは出城とも推察されよう、詳細は不明ではあるが、付近には「森鼻」を名乗る看板のある商店が目に留まったので参考までに、、。

城跡へは京阪神から向えば、篠山市内まで繋がる国道176号を利用して北上を続ければよいが、藍本地区にある「波多橋」交差点を過ぎれば、ルート図の赤線を辿れば概念図に記した付近までは、難なく到達出来るものとは思われる。車は城跡西側にある、ゴミ集荷所の付近に空きスペースは充分あるので、自己責任において停めれば良いものとは思われる。そこからは丘陵に向いて畦道を歩けば、自ずと城域に繋がる西端堀切に、到達出来るはずである。

1route_1 登城ルート

4_1 国道より城跡遠望

9 進入口

3ai 城跡概念図

現状(11月)城跡は、雑木も相当蔓延ってはいるが、一部の矢竹密生地を除けば、移動に難渋するまでには至っておらず、東西に渡る直線的でシンプルな縄張りは、ほぼ把握する事が可能な状況にある。判別可能であり目に留まった遺構は概念図に示した通りではあるが、丘陵上西端の堀切(現状堀切道)、主郭西背後の空堀、虎口に見えた空堀地形が見所と言えるものだろう、他では主郭の南側壁あるいは西空堀壁にあたる切岸などが、未だに鋭角さを保持しており、見る分においては非常に満足度の高いものと感じられた。主郭の空堀側には僅かに土塁跡の高まり(櫓台か?)が窺われたが、恐らく盛り土(掻き揚げ)の土塁である為に、その多くが長年の風化によって流失したものの様にも見受けられた。

13_seitan_horikiri_1 西端堀切見所

16_karabori_1 主郭西空堀見所

20_shukaku_minamikaku 主郭南切岸見所

20_shukaku_minamikaku_1 南郭

18_shuaku 主郭内

数多くの土塁城を訪問された方なら既にお分かりだとは思われるが、土塁だけを取り上げれば、ほぼ二通りの構築の仕方があって、古代の山城あるいは古墳などは版築によって築かれたものもあるが、戦国期の山城の多くは常に臨戦体制にあった為か、圧倒的に削り出しの土塁が多く見受けられる、その多くは郭跡と一体化している為に、未だに僅かではあるが形状が保たれているので遺構と判別し易いが、この城跡の様に土の流れ出した土塁(見極めは切岸がしっかりしているのに土塁の切岸だけが明らかに消失しているケース)は、ほぼ盛り土式の土塁と見て良いのかも分からない。しかしそれでも非常に判別し難いのが現状ではある。もちろん地形から窺える遺構の想像が、城跡巡りの中でも遺構の見応えと並んで一番楽しめる部分でもあり、縄張りプランと並んでウェイトを占める部分でもあるが、この城跡の様に風化が進んでおれば、土塁虎口及び郭境などと並んで判別は難しいものでもあり、そのほとんどは見学者の想像に委ねられるとは思われる。見応えにさえ拘らなければ、状態は良いとは言えないが、縄張りも含めた比較的残存度の高い遺構群、更にお手軽感を考えれば、充分お薦め出来る城跡とは言えようか。

2009年11月27日 (金)

池谷城跡(神戸市西区)

城跡は神戸市西区櫨谷町池谷にあって、訪れる際の目印となる櫨谷小学校側からは直ぐ視界に入る、南東側の丘陵上の先端部に位置している。当時は端谷城を本城とした支城として位置付けられているが、秀吉による三木城攻めの際には、本城あるいは数多い支城と共に落城した歴史が伝えられており、鎌倉時代より続いた衣笠氏の歴史も、ここで終止符が打たれた模様である。

城跡へは県道52号を経由して「櫨谷小学校」を目指せば分かり易が、現地に到着すればルート図の如く神社のある「老人憩いの家」傍の空きスペースに車は停められるだろう。そこからは東側に望める、通信施設の鉄塔が建つ丘陵が城跡でもあり、直ぐに場所は確認する事は出来るが、直接進入口となるのは通信施設脇からでも良いし、そこから山裾を巻く山道のどこから進入しても、竹林地(郭跡)を通過すれば主郭までは5分もあれば到達可能である。

3 登城ルート

6_2 城跡進入路

現状(10月)城跡は予想通りに藪化は深刻化しており、郭移動にも木立の間を縫いながらの移動は余儀なくされ、更に生い茂る低草木によって郭跡全体像の視認、あるいは遺構の判別確認は非常に困難な状況となっている。おまけに風化も更に追い討ちをかけている事から、土塁と見て取れた地形も郭切岸も非常に曖昧なものとなっており、竹林地に重なり合う郭跡などは、長年の堆積物(枯れ葉)などによって切岸も判断し辛い状況となっている。現状全域を踏破した訳ではないが、何とか目に留まった遺構を挙げれば、郭跡を除けば土塁及びそれに付随する虎口跡、空堀(空堀道か?)、縦土塁などであり、丘城でありながら起伏に富んだ地形からも、縄張り妙味はありそうには感じられたが、それも判別し難い地形の為に遺構の断定までには至らず、残念ながら自分の中では中途半端な城跡となってしまった。現状一番判別し易い遺構は通信施設の東側(主郭から見れば西側)に備わる空堀、その上部に位置する地表がフラットな数段の郭跡及びその切岸程度であると言っても過言ではなさそうに思える。もちろん主郭などは平坦地形ではあっても、草木に覆われて郭形状も掴めない状況にある。

11_kaku 北側の郭跡

20_nisikarabori_dorui 僅かに判別可能な空堀土塁

22_dorui_karabori_3 西側の空堀

24_heki 25_kaku_heki 郭切岸

Shukaku_nai 主郭の現状

以上挙げた限りでは訪問には値しない城跡の様に感じられるとは思うのだが、状態がこれほど悪くなければ、遺構の判別も意外に規模の大きい城跡も歩き回って体感出来たのではないかとも思えるのである。当然冬季(それも12月から2月まで)訪問が限定の城跡とも言えようが、5分程度で主郭まで到達可能な事を思えば、評価は甘くなるが「見ておいても決して損にはならない城跡」、と言うのが自分の出した結論になろうか、、、 

2009年11月20日 (金)

西浦城跡(神戸市北区)

城跡は神戸市北区大沢町日西原にあって、神戸市内にあっても三田市に近い北端の山間部に位置する「城山」の地名を持つ丘陵上にある。当時は高井氏の居城が唯一伝わっているが、詳細は不明

城跡へ向うには、高速道路も色んな選択肢が考えられる事から、ここでは割愛させて頂くが、既にリポート掲載を終えた上津茶臼山城を起点とすれば分かり易いだろう。吉川あるいは滝野社に繋がる県道17号を走り現地に向えば、ルート図に示す様に県道沿いにある、城山バス停、あるいは現状看板だけではあるが、ドライブイン城山」を目印として目指せばよい。現地に到着すれば城跡進入口は図中にある東西二箇所考えられるが、車を停めて5分内で城域に入れるのは、西側の県道の歩道沿いからで、ここは全て竹林地となっているが、二の丸とも見受けられる広い空間に真っ先に到達可能でもある。東側から進入する方が、造成された道もあるので少し楽ではあるが、若干遠回りにはなるだろう。

1route 登城ルート

6_tozanguti 直登進入口

3ni 城跡概念図

この城跡はニュータウン建設による宅地化によって、比較的遺構残存度の低い城跡の多い、三田市に近い地域にありながらも、城域の一部を除いてはほぼ縄張りは当時ままとも見受けられる状態が自然保持されており、訪問結果としては極めて遺構残存度の高い城跡と見受けられた。しかし現状(11月)城跡は、竹林化あるいは藪化が相当深刻化しており、非常に見学し難い状況となっているので、生い茂る竹林を苦ともしない、あるいは竹林の隙間からでも遺構の判別、想像がある程度可能とも思える、城跡に興味を持たれた山城ファンの方にのみ、ここでは訪問をお薦めしたいと思う。

先に触れた様に、一部の地域だけは重機が入って資材置場として相当造成地形改変された形跡が窺えるが、取り合えず歩き回って独自で判別確認出来た遺構は概念図に示した。見所は西直登進入地点から最初に覗く事の出来る、便宜上の二の丸から東側にかけての重なり合う段郭群で、これらは生い茂る竹林地にありながらも、画像に示した様に直立に近い切岸、ほぼフラットに近い削平地の状態が未だ自然保持されており、非常に目を楽しませてくれている。他では枯れ池なのか空堀(武者隠し)なのか、凹状の判別し難い地形も主郭南側に見て取れたが、これらは見学者の想像に委ねたい。

7_2maru_110_2maru_dan 二の丸内見所

10_2maru_dan_2 郭切岸

27_dankaku_heki_2 27_dankaku_heki_1 南段郭群切岸見所

18_shukaku 山上主郭の現状

結果的には、城跡の形態が低山の一山から形成される縄張りである為に、見応えのある堀切などは目に留まらなかったが、一山全体がほぼ郭跡として占められた、比較的規模の大きい城跡なので、非常に見応えを感じる事は出来た。藪漕ぎ移動までには至ってはいないが、ほぼそれに近い山上郭群までも草木に覆われる現状、歩き回れば規模も体感出来るし、縄張りも何とか掴めるとは思われるが、この現況リポートによって、城跡に少しでも足を向けて頂ければ、少なからずとも紹介した値打ちはあったものと感じられる。

2009年11月11日 (水)

福谷城跡(神戸市西区)

城跡は神戸市西区櫨谷町福谷にあって県道52号「福谷」交差点のほぼ真北側の丘陵上に位置しており、現在主郭に相当すると見受けられた郭跡には、「秋葉神社」が建立されている事からも、非常に訪ねやすい城跡となっている。当時は端谷城(衣笠氏居城)を本城として周辺には多くの支城(砦跡)が築かれていたが、この城跡もその中の一つでもあり、支城として機能していたようだが、秀吉によって本城と同様に落城の道を辿った模様である。

城跡へは先に触れた県道52号「福谷」交差点を目指すのが一番分かり易く、交差点からはそのまま北上すれば、概念図に示した県道65号「福谷北」交差点脇にある秋葉神社参拝道入り口までは難なく辿り着ける。車は自己判断において、参拝道入り口付近の空きスペースを利用すれば良いものとは思われるが、そこからは参拝道に従えば5分もあれば山上主郭までは到達出来るはずである。

1route 登城ルート

Enbou 城跡遠望

6 参拝道進入口

3fu 城跡概念図

Yagura 推定主郭

Dorui

土塁

Tatebori 縦堀

Kaku 郭跡

現状(10月)城跡は社殿の建立されている敷地を除けば相当深刻な藪化状態にあり、取り合えず概念図に示したまでが移動可能、あるいはある程度視認が可能な地域と思って頂ければ良いが、踏み跡から外れると藪漕ぎ移動は余儀なくされる状況にあるので、東西斜面はもちろんのこと北側に繋がる尾根上までの踏破は断念するに至った。目に留まった遺構としては土塁、縦堀(片堀切)、枡形に見えた土塁虎口などが挙げられるが、どれも矢竹藪の中で窺うものでもあり、明確な判別は難しいのが現状でもある。よって図中に示した縄張りはアバウトなものでもあるが、遺構の位置する箇所程度の事では多少の参考にはなるだろう。北尾根上までは踏破していないので、縄張り全域の規模を体感する事は出来なかったが、郭転用地とも思えた神社敷地から想定する限り、規模の大きそうな城跡には見えなかった。現在社殿の建つ脇には矢倉風の展望所が設けてある事からも、城跡を意識した粋な計らいが窺われ好感が持てたが、遺構見学を重要視した訪問においては、最初から見応えには期待しないほうが良いものとは感じられた。尚、ルート図には示したがこの城跡から川を挟んだ南東側丘陵上には城ヶ谷城(砦跡)が存在しているので参考までに、、、ここも全域が藪状態にあるので、一部を残して全域踏破は出来なかったが、ほぼフラットに感じられた広大な削平地だけは眼にする事が出来た。

8 福谷城より城ヶ谷城遠望

Jyougatani_4 山上の現状

訪ねやすい事からも城跡巡りの一環、あるいは存在確認の為の史跡見学としてなら充分お薦め出来るが、山城ファンにおいては最初から期待を捨てて臨まれる事が肝心ではあろう。

2009年11月 3日 (火)

上津茶臼山城跡(神戸市北区)

この城跡は神戸市北区長尾町上津台5丁目にあって、大規模なニュータウンとなっている上津台の北端にある「たかつこ公園」として整備されたすぐ北側の丘陵上(茶臼山緑地)に位置している。(城史概略は現地案内板をクリックのこと)

城跡へは上津台5丁目を目指して、県道17号経由でルート図に示した赤線ルートを辿れば、一番分かり易く公園までは辿り着けるとは思われるが、公園用としての駐車場は設置されていないので、車で訪れた方は迷惑のかかり難い場所を探しての路駐となる(小型車なら公園入り口付近に可能)。公園からは遊歩道も設置されているので遊歩道に従えば迷わず主郭までは到達出来る。

1route 登城ルート

6 公園より進入路

2annai 現地案内板より

3tya 城跡概念図

現状(10月)城跡は公園化によって整備が行き届いているので見学し易く、非常に見て回りやすい状態にあるが、その反面当時の縄張りは遺構も含めて、南側は地形改変によって相当消失したものとも思われ、当時における状態は想像も付き難い状況となっている。まさかこの主郭と南郭の二郭だけで形成された城跡とも思われず、公園を始めとした広大な造成地の一部も当然当時の城域であったようには窺われた。しかし現存する二郭だけではあるが、郭周りに付随している空堀、土塁、縦堀などの遺構は充分目を楽しませてくれる様には感じられ、特に主郭と南郭間の大空堀は縦堀(東側)にも繋がるものでもあり、現状風化あるいは遊歩道によって土塁も二重に見える空堀も一部消失してはいるが、想像を膨らませばスケールの大きい大空堀(堀切)であった事が十分窺える。個人的にはこの土塁の付随する大空堀は見応えも抜群である事からも、城跡の最大の見所と言っても良さそうには感じられたのである。

18_minami_horikiri 南堀切跡

20_minami_kaku 南郭

23_daikarabori_1 大空堀見所

27_dorui_tatebori_1 大空堀、土塁見所

34_higasi_tatehori_1 縦堀へ繋がる見所

31_shukaku_heki 主郭南切岸

29_shukaku_2 主郭内

規模も小さく遺構も目白押しではない事からも、見応えには少し欠けるかもしれないが、遺構も判別し易く程よく整備された状態、更に訪問し易いお手軽感もあって、一般の城跡ファン、史跡ファンはもちろんの事、山城ファンにも是非お薦め出来る城跡とは目に映った。

2009年10月30日 (金)

野村城跡(兵庫県加古川市)

城跡は加古川市八幡町野村にあって、大規模な敷地を所有する「厄除け八幡神社」と同じ丘陵上にあるが、その北側の枝尾根に位置している。正確には一つ丘陵を隔てた二つ目の西側尾根先端部が城跡(丘城)となっている。三木城を本城とした別所氏幕下の居城と伝わっているが詳細は不明。

城跡へは八幡神社を目指せば付近までは分かり易く辿り着けるが、車は神社の駐車場を借りてルート図の如く歩いて少し北進、図中にある様に仏壇店と住宅の間にある畦道(画像参考)より進入して、そのまま連続する上り土塁上(片側に空堀が備わる事から明らかに人為的な移動土塁に見えた)を尾根に向いて上れば、自ずと主郭までは直ぐ到達可能となっている。(駐車場からは10分前後、部分藪漕ぎは必要)

1route_1 登城ルート

4 城跡進入口

3no 城跡概念図

現状(九月)城跡は藪化の真っ只中にあり、時期的にも最悪とも思えるほど雑木が蔓延っており、郭内における全体像の視認は非常に困難な状況にあるが、地形の上からも直ぐ判別可能な空堀や大型の分厚い土塁などは、傍まで寄らなくとも外見から充分判別可能でもある。現状判別確認出来た遺構群は主郭背後の土塁、その東背後を断つ縦堀に繋がる大空堀、便宜上二の丸とした郭跡に備わる分厚い大土塁、それに付随して南北に繋がる空、更に二の丸と三の丸間に備わる空堀(土塁が付随)などで、これらは城跡においては全て見逃せないものばかりで、特に見応えも遺構の醍醐味も感じられるものである。中でも主郭背後を断つ大空堀は幅が10mはあろうかとも思われ、その北側の縦堀にまで繋がる様は非常にスケールの大きさを感じる事が出来た。空堀及び土塁などにも縄張りプランとしての工夫の跡が窺え、概念図には示したが空堀を付随させた土塁の横矢構造、同じ空堀にしても敢えて空堀同士を繋げない形のものであったりと、当時における遺構機能を想像するだけで充分楽しめそうにも思われる。ただ惜しむらくはこの城跡全体を覆ってしまうほどの藪化であり、風化も含めて年々状態も悪くなる一方なのではないかとも予想される。しかしながら現存している遺構群は状態は悪いが残存度は非常に高く、更に堆積物などによって地表風化は激しいが、遺構の見応えだけを問われたなら、間違いなく「素晴らしい!」と返答出来る様には思われる。

12_karabori 直登ルートにある空堀地形

16_shukaku_nai_3_2 主郭

21_karabori 大空堀見所

22_tyuou_karabori_dorui 二の丸空堀土塁見所

30_yokoya_karabori_dorui 横矢構造の土塁空堀見所

31_dorui_2 横矢土塁見所

33_nanboku_karabori_1 東側の空堀見所

今回は密生する雑木藪のお陰で方角も掴み難く、歩測あるいは目測によるアバウトな郭面積の表示も出来なかったが、踏破に至れなかった東側に広がる削平地あるいは南側未踏地を含めなくとも、規模の大きさは歩き回る事で充分体感する事は出来た。城域は概念図における縄張りよりも随分はみ出ている様には感じられるのである。

2009年10月29日 (木)

播磨春日山城跡(兵庫県神崎郡)

城跡は兵庫県神崎郡福崎町八千種にあって、鍛冶屋集落の東側に聳える飯盛山(標高198m)の山頂部に位置している。(城史に関しての概略は現地案内板をクリックの事)

城跡へは中国自動車道「福崎」ICが最寄の乗降口となるが、そこからは南東側に直線で3km程度の位置にあり、付近に到達すれば飯盛山は形の整った山なので直ぐ確認する事は出来るとは思われる。集落付近からはルート図に示した赤線ルートを辿れば、登山口でもあるキャンプ場までは難なく辿り着けるだろう。付近には駐車場もなく、個人的には既にキャンプシーズンも過ぎていた事から、人影も無かったので堂々と空きスペースに車は停めさせて頂いたが、「路駐迷惑」の看板も設置されている事からも、シーズン中の訪問は出来るだけ避けた方が良いとは思われる。キャンプ場の登山口には登山標識もあるので、そこから登山道に従って上れば、迷わず15分程度で山上には到達可能である

1route 登城ルート

6 城跡遠望

2k 現地案内板

3 現地案内板縄張り図

現状(九月)城跡の山頂部(山上主郭)は整備されているので見通しも利き、下界を見下ろした際の晴らしいロケーションも堪能する事が出来るが、他の郭跡は下草あるいは雑木が密生しているので踏み入る事も出来ず、山上で目に留まった案内縄張り図内の、遺構の全てを外見から確認する事はとても出来ない状態にある。とは言っても特別見応えのある遺構が存在する訳ではないので、それほど見学に差し支える事は無いとは思われるのだが、折角ここまで上ったからには、規模も小さい山城なので周囲から全体像を覗いてみたかったのが本音ではある。ただ険峻な山城を外見からも登山においても体感出来たので、取り合えず満足感に浸る事は出来たが、、、

10 登山口

12_horikiri_tikei_2 尾根上の堀切地形

17_shukaku_nai_3 17_shukaku_nai_4 山上主郭

18_tyozouko 貯蔵庫

23_shukaku_heki 主郭切岸

22_nisi_kaku_1 北西帯郭

現状外見から判別確認可能な遺構は、主郭(15mx30m前後)内にある貯蔵庫と表記された穴倉遺構、南側下段郭の方形状の空堀地形、主郭の切岸、帯郭の一部分と言ったところでもあり、見応えのある残存遺構を期待をして赴くと必ず落胆する事にも繋がるので、山頂からの眺望あるいは山登りを楽しむ気分で現地に赴くのが、一番ベストな訪問である様には感じられた。標識も設置されており、迷わず山頂まで上れることからも、山城に興味を持たれていた方、あるいは一般史跡見学者にも、自然と触れ合いながら山歩きも楽しめる打ってつけの山城と言えるだろう。尚、山頂に行き着くまでの尾根上には、随分埋もれてはいるが、登山道からも目に留まる堀切地形が存在していたので決して見逃さない様に。

2009年9月23日 (水)

瀬加山城跡(兵庫県神崎郡)

この山城は急峻な丘陵の山上に築かれた主郭と副郭のほぼ主要二郭で形成される小規模なものであるが、この城跡の見応えあるいは醍醐味となるのは空堀(堀切)群に尽きると言っても良いものであり、主郭の南北尾根を断つ空堀(堀切は縦堀に繋がる)、主郭東壁側に数10条連続して刻まれた畝状縦堀群は、この小規模な山城にはとても似つかわしくなく、険峻な山容と相俟って素晴らしい防備を誇っているものの様に感じられた。ただしこの畝状縦堀群は長年の堆積物及び風化などによって相当深さは失われているので、よく眼を凝らして窺う必要がある様には感じられたが、、、、個人的にも現状城史に関しての情報も皆無に近い為に何の期待せずに訪れたのだが、かつては神社でありながらも遺構はほとんど破壊を免れており、ほぼ完存に近いと思える遺構残存度の高さ、あるいは旧参拝道で迷わず山上まで上れる利便性からも、是非訪問をお薦めしたい城跡と目に映ったので、早速リポート掲載する運びとなった。

1route 登城ルート

6 参拝道への進入路

3se 城跡概念図

山城ファンにはもちろんではあるが、山上りが苦手で山城を避けて来た方、あるいは一般史跡ファンにも是非この技巧を兼ね備えた本格的な山城を味わって頂きたいと思うのである。現状(九月)山上においては、山城に備わる定番とも言える堀切、横堀、縦堀、畝堀、土塁などの遺構をほぼ主郭周りで眼にする事が出来、縄張りが広いものではないので、長い距離を歩く事も危険な斜面に遭遇する事もなく、山城初心者にとっても打って付けの城跡と思われる。このブログから山城に少しでも興味を持たれ、一度は赴いてみようかと思われた方にも是非お薦めと言える城跡の一つである。

16_2maru_yori_shukaku_heki 二の丸より主郭切岸

18_shukaku_sita_karabori 主郭南下の横堀見所

21_2maru 横堀より二の丸

23_shukaku_nai 主郭内

23_shukaku_nai_1 城址碑

26_horikiri_3 北側の大堀切見所

27_horikiri_dorui 側面から望む堀切土塁見所

30_une_bori_1 畝状縦堀の土塁上部見所

城跡は神崎郡市川町上瀬加にあって、上瀬加集落の北側に迫り出した尾根の山上に位置しており、瀬加小学校あるいは瀬加中学校から見れば一つ丘陵尾根を隔てた西側になる。現在その山上主郭には城址碑と石碑が新しく建てられており、かつてこの山上郭を敷地とした稲荷神社は東側の山裾に移転しており、麓からも眼につき易い位置にあるので、訪れる際には簡単な目印にはなるだろう。城史に関しての詳細は不明

城跡へは中国自動車道「福崎」ICが最寄の乗降口、そこから国道を経由して北上、県道34号に針路変更すれば「梅林寺」あるいは先に触れた稲荷神社を目指せば分かり易く辿り着けるとは思われる。集落に到達すればルート図あるいは概念図の如く貯水池の方向を目指して歩き、かつての神社参拝道より山上を目指せば15分もあれば到達可能である。尚、車は集落の集会所あるいは地元の消防施設付近の空きスペースを借りれば良いものとは思われる。

より以前の記事一覧

無料ブログはココログ