兵庫(三田~播磨地方)の山城

2009年11月11日 (水)

福谷城跡(神戸市西区)

城跡は神戸市西区櫨谷町福谷にあって県道52号「福谷」交差点のほぼ真北側の丘陵上に位置しており、現在主郭に相当すると見受けられた郭跡には、「秋葉神社」が建立されている事からも、非常に訪ねやすい城跡となっている。当時は端谷城(衣笠氏居城)を本城として周辺には多くの支城(砦跡)が築かれていたが、この城跡もその中の一つでもあり、支城として機能していたようだが、秀吉によって本城と同様に落城の道を辿った模様である。

城跡へは先に触れた県道52号「福谷」交差点を目指すのが一番分かり易く、交差点からはそのまま北上すれば、概念図に示した県道65号「福谷北」交差点脇にある秋葉神社参拝道入り口までは難なく辿り着ける。車は自己判断において、参拝道入り口付近の空きスペースを利用すれば良いものとは思われるが、そこからは参拝道に従えば5分もあれば山上主郭までは到達出来るはずである。

1route 登城ルート

Enbou 城跡遠望

6 参拝道進入口

3fu 城跡概念図

Yagura 推定主郭

Dorui

土塁

Tatebori 縦堀

Kaku 郭跡

現状(10月)城跡は社殿の建立されている敷地を除けば相当深刻な藪化状態にあり、取り合えず概念図に示したまでが移動可能、あるいはある程度視認が可能な地域と思って頂ければ良いが、踏み跡から外れると藪漕ぎ移動は余儀なくされる状況にあるので、東西斜面はもちろんのこと北側に繋がる尾根上までの踏破は断念するに至った。目に留まった遺構としては土塁、縦堀(片堀切)、枡形に見えた土塁虎口などが挙げられるが、どれも矢竹藪の中で窺うものでもあり、明確な判別は難しいのが現状でもある。よって図中に示した縄張りはアバウトなものでもあるが、遺構の位置する箇所程度の事では多少の参考にはなるだろう。北尾根上までは踏破していないので、縄張り全域の規模を体感する事は出来なかったが、郭転用地とも思えた神社敷地から想定する限り、規模の大きそうな城跡には見えなかった。現在社殿の建つ脇には矢倉風の展望所が設けてある事からも、城跡を意識した粋な計らいが窺われ好感が持てたが、遺構見学を重要視した訪問においては、最初から見応えには期待しないほうが良いものとは感じられた。尚、ルート図には示したがこの城跡から川を挟んだ南東側丘陵上には城ヶ谷城(砦跡)が存在しているので参考までに、、、ここも全域が藪状態にあるので、一部を残して全域踏破は出来なかったが、ほぼフラットに感じられた広大な削平地だけは眼にする事が出来た。

8 福谷城より城ヶ谷城遠望

Jyougatani_4 山上の現状

訪ねやすい事からも城跡巡りの一環、あるいは存在確認の為の史跡見学としてなら充分お薦め出来るが、山城ファンにおいては最初から期待を捨てて臨まれる事が肝心ではあろう。

2009年11月 3日 (火)

上津茶臼山城跡(神戸市北区)

この城跡は神戸市北区長尾町上津台5丁目にあって、大規模なニュータウンとなっている上津台の北端にある「たかつこ公園」として整備されたすぐ北側の丘陵上(茶臼山緑地)に位置している。(城史概略は現地案内板をクリックのこと)

城跡へは上津台5丁目を目指して、県道17号経由でルート図に示した赤線ルートを辿れば、一番分かり易く公園までは辿り着けるとは思われるが、公園用としての駐車場は設置されていないので、車で訪れた方は迷惑のかかり難い場所を探しての路駐となる(小型車なら公園入り口付近に可能)。公園からは遊歩道も設置されているので遊歩道に従えば迷わず主郭までは到達出来る。

1route 登城ルート

6 公園より進入路

2annai 現地案内板より

3tya 城跡概念図

現状(10月)城跡は公園化によって整備が行き届いているので見学し易く、非常に見て回りやすい状態にあるが、その反面当時の縄張りは遺構も含めて、南側は地形改変によって相当消失したものとも思われ、当時における状態は想像も付き難い状況となっている。まさかこの主郭と南郭の二郭だけで形成された城跡とも思われず、公園を始めとした広大な造成地の一部も当然当時の城域であったようには窺われた。しかし現存する二郭だけではあるが、郭周りに付随している空堀、土塁、縦堀などの遺構は充分目を楽しませてくれる様には感じられ、特に主郭と南郭間の大空堀は縦堀(東側)にも繋がるものでもあり、現状風化あるいは遊歩道によって土塁も二重に見える空堀も一部消失してはいるが、想像を膨らませばスケールの大きい大空堀(堀切)であった事が十分窺える。個人的にはこの土塁の付随する大空堀は見応えも抜群である事からも、城跡の最大の見所と言っても良さそうには感じられたのである。

18_minami_horikiri 南堀切跡

20_minami_kaku 南郭

23_daikarabori_1 大空堀見所

27_dorui_tatebori_1 大空堀、土塁見所

34_higasi_tatehori_1 縦堀へ繋がる見所

31_shukaku_heki 主郭南切岸

29_shukaku_2 主郭内

規模も小さく遺構も目白押しではない事からも、見応えには少し欠けるかもしれないが、遺構も判別し易く程よく整備された状態、更に訪問し易いお手軽感もあって、一般の城跡ファン、史跡ファンはもちろんの事、山城ファンにも是非お薦め出来る城跡とは目に映った。

2009年10月30日 (金)

野村城跡(兵庫県加古川市)

城跡は加古川市八幡町野村にあって、大規模な敷地を所有する「厄除け八幡神社」と同じ丘陵上にあるが、その北側の枝尾根に位置している。正確には一つ丘陵を隔てた二つ目の西側尾根先端部が城跡(丘城)となっている。三木城を本城とした別所氏幕下の居城と伝わっているが詳細は不明。

城跡へは八幡神社を目指せば付近までは分かり易く辿り着けるが、車は神社の駐車場を借りてルート図の如く歩いて少し北進、図中にある様に仏壇店と住宅の間にある畦道(画像参考)より進入して、そのまま連続する上り土塁上(片側に空堀が備わる事から明らかに人為的な移動土塁に見えた)を尾根に向いて上れば、自ずと主郭までは直ぐ到達可能となっている。(駐車場からは10分前後、部分藪漕ぎは必要)

1route_1 登城ルート

4 城跡進入口

3no 城跡概念図

現状(九月)城跡は藪化の真っ只中にあり、時期的にも最悪とも思えるほど雑木が蔓延っており、郭内における全体像の視認は非常に困難な状況にあるが、地形の上からも直ぐ判別可能な空堀や大型の分厚い土塁などは、傍まで寄らなくとも外見から充分判別可能でもある。現状判別確認出来た遺構群は主郭背後の土塁、その東背後を断つ縦堀に繋がる大空堀、便宜上二の丸とした郭跡に備わる分厚い大土塁、それに付随して南北に繋がる空、更に二の丸と三の丸間に備わる空堀(土塁が付随)などで、これらは城跡においては全て見逃せないものばかりで、特に見応えも遺構の醍醐味も感じられるものである。中でも主郭背後を断つ大空堀は幅が10mはあろうかとも思われ、その北側の縦堀にまで繋がる様は非常にスケールの大きさを感じる事が出来た。空堀及び土塁などにも縄張りプランとしての工夫の跡が窺え、概念図には示したが空堀を付随させた土塁の横矢構造、同じ空堀にしても敢えて空堀同士を繋げない形のものであったりと、当時における遺構機能を想像するだけで充分楽しめそうにも思われる。ただ惜しむらくはこの城跡全体を覆ってしまうほどの藪化であり、風化も含めて年々状態も悪くなる一方なのではないかとも予想される。しかしながら現存している遺構群は状態は悪いが残存度は非常に高く、更に堆積物などによって地表風化は激しいが、遺構の見応えだけを問われたなら、間違いなく「素晴らしい!」と返答出来る様には思われる。

12_karabori 直登ルートにある空堀地形

16_shukaku_nai_3_2 主郭

21_karabori 大空堀見所

22_tyuou_karabori_dorui 二の丸空堀土塁見所

30_yokoya_karabori_dorui 横矢構造の土塁空堀見所

31_dorui_2 横矢土塁見所

33_nanboku_karabori_1 東側の空堀見所

今回は密生する雑木藪のお陰で方角も掴み難く、歩測あるいは目測によるアバウトな郭面積の表示も出来なかったが、踏破に至れなかった東側に広がる削平地あるいは南側未踏地を含めなくとも、規模の大きさは歩き回る事で充分体感する事は出来た。城域は概念図における縄張りよりも随分はみ出ている様には感じられるのである。

2009年10月29日 (木)

播磨春日山城跡(兵庫県神崎郡)

城跡は兵庫県神崎郡福崎町八千種にあって、鍛冶屋集落の東側に聳える飯盛山(標高198m)の山頂部に位置している。(城史に関しての概略は現地案内板をクリックの事)

城跡へは中国自動車道「福崎」ICが最寄の乗降口となるが、そこからは南東側に直線で3km程度の位置にあり、付近に到達すれば飯盛山は形の整った山なので直ぐ確認する事は出来るとは思われる。集落付近からはルート図に示した赤線ルートを辿れば、登山口でもあるキャンプ場までは難なく辿り着けるだろう。付近には駐車場もなく、個人的には既にキャンプシーズンも過ぎていた事から、人影も無かったので堂々と空きスペースに車は停めさせて頂いたが、「路駐迷惑」の看板も設置されている事からも、シーズン中の訪問は出来るだけ避けた方が良いとは思われる。キャンプ場の登山口には登山標識もあるので、そこから登山道に従って上れば、迷わず15分程度で山上には到達可能である

1route 登城ルート

6 城跡遠望

2k 現地案内板

3 現地案内板縄張り図

現状(九月)城跡の山頂部(山上主郭)は整備されているので見通しも利き、下界を見下ろした際の晴らしいロケーションも堪能する事が出来るが、他の郭跡は下草あるいは雑木が密生しているので踏み入る事も出来ず、山上で目に留まった案内縄張り図内の、遺構の全てを外見から確認する事はとても出来ない状態にある。とは言っても特別見応えのある遺構が存在する訳ではないので、それほど見学に差し支える事は無いとは思われるのだが、折角ここまで上ったからには、規模も小さい山城なので周囲から全体像を覗いてみたかったのが本音ではある。ただ険峻な山城を外見からも登山においても体感出来たので、取り合えず満足感に浸る事は出来たが、、、

10 登山口

12_horikiri_tikei_2 尾根上の堀切地形

17_shukaku_nai_3 17_shukaku_nai_4 山上主郭

18_tyozouko 貯蔵庫

23_shukaku_heki 主郭切岸

22_nisi_kaku_1 北西帯郭

現状外見から判別確認可能な遺構は、主郭(15mx30m前後)内にある貯蔵庫と表記された穴倉遺構、南側下段郭の方形状の空堀地形、主郭の切岸、帯郭の一部分と言ったところでもあり、見応えのある残存遺構を期待をして赴くと必ず落胆する事にも繋がるので、山頂からの眺望あるいは山登りを楽しむ気分で現地に赴くのが、一番ベストな訪問である様には感じられた。標識も設置されており、迷わず山頂まで上れることからも、山城に興味を持たれていた方、あるいは一般史跡見学者にも、自然と触れ合いながら山歩きも楽しめる打ってつけの山城と言えるだろう。尚、山頂に行き着くまでの尾根上には、随分埋もれてはいるが、登山道からも目に留まる堀切地形が存在していたので決して見逃さない様に。

2009年9月23日 (水)

瀬加山城跡(兵庫県神崎郡)

この山城は急峻な丘陵の山上に築かれた主郭と副郭のほぼ主要二郭で形成される小規模なものであるが、この城跡の見応えあるいは醍醐味となるのは空堀(堀切)群に尽きると言っても良いものであり、主郭の南北尾根を断つ空堀(堀切は縦堀に繋がる)、主郭東壁側に数10条連続して刻まれた畝状縦堀群は、この小規模な山城にはとても似つかわしくなく、険峻な山容と相俟って素晴らしい防備を誇っているものの様に感じられた。ただしこの畝状縦堀群は長年の堆積物及び風化などによって相当深さは失われているので、よく眼を凝らして窺う必要がある様には感じられたが、、、、個人的にも現状城史に関しての情報も皆無に近い為に何の期待せずに訪れたのだが、かつては神社でありながらも遺構はほとんど破壊を免れており、ほぼ完存に近いと思える遺構残存度の高さ、あるいは旧参拝道で迷わず山上まで上れる利便性からも、是非訪問をお薦めしたい城跡と目に映ったので、早速リポート掲載する運びとなった。

1route 登城ルート

6 参拝道への進入路

3se 城跡概念図

山城ファンにはもちろんではあるが、山上りが苦手で山城を避けて来た方、あるいは一般史跡ファンにも是非この技巧を兼ね備えた本格的な山城を味わって頂きたいと思うのである。現状(九月)山上においては、山城に備わる定番とも言える堀切、横堀、縦堀、畝堀、土塁などの遺構をほぼ主郭周りで眼にする事が出来、縄張りが広いものではないので、長い距離を歩く事も危険な斜面に遭遇する事もなく、山城初心者にとっても打って付けの城跡と思われる。このブログから山城に少しでも興味を持たれ、一度は赴いてみようかと思われた方にも是非お薦めと言える城跡の一つである。

16_2maru_yori_shukaku_heki 二の丸より主郭切岸

18_shukaku_sita_karabori 主郭南下の横堀見所

21_2maru 横堀より二の丸

23_shukaku_nai 主郭内

23_shukaku_nai_1 城址碑

26_horikiri_3 北側の大堀切見所

27_horikiri_dorui 側面から望む堀切土塁見所

30_une_bori_1 畝状縦堀の土塁上部見所

城跡は神崎郡市川町上瀬加にあって、上瀬加集落の北側に迫り出した尾根の山上に位置しており、瀬加小学校あるいは瀬加中学校から見れば一つ丘陵尾根を隔てた西側になる。現在その山上主郭には城址碑と石碑が新しく建てられており、かつてこの山上郭を敷地とした稲荷神社は東側の山裾に移転しており、麓からも眼につき易い位置にあるので、訪れる際には簡単な目印にはなるだろう。城史に関しての詳細は不明

城跡へは中国自動車道「福崎」ICが最寄の乗降口、そこから国道を経由して北上、県道34号に針路変更すれば「梅林寺」あるいは先に触れた稲荷神社を目指せば分かり易く辿り着けるとは思われる。集落に到達すればルート図あるいは概念図の如く貯水池の方向を目指して歩き、かつての神社参拝道より山上を目指せば15分もあれば到達可能である。尚、車は集落の集会所あるいは地元の消防施設付近の空きスペースを借りれば良いものとは思われる。

2009年1月29日 (木)

萩原城跡(兵庫県神戸市)

城跡は兵庫県神戸市北区淡河町萩原にあって、県道38号を西に向いて走れば目印となる北区役所出張所で左折あるいは次の理容院の角を左折、どちらで進路変更してもルート図の如く走れば城跡へは難なく辿り着ける。道幅が狭いので車の駐車は南郭の廃車トラックの放置されている場所に寄せれば迷惑はかからないとは思われる。ここからは北側に回りこんで虎口跡から直接進入してもよいし、図に示す大堀切より南虎口へ向いて直接上っても直ぐ主郭へは到達可能である。

城跡は有馬氏の居城と伝わり、西側に位置する淡河氏の居城である淡河城とは敵対する立場にあり、三木城攻めの際には秀吉軍に加わり参戦していた模様である。

現状(一月)城跡(主郭)内は冬枯れはしているが、雑木あるいは矢竹によって覆い尽くされているので見通しはかなり利き難い状態にある。流石に周囲を囲む高い土塁の全体像は遠くからは拝めないが、傍に近寄るか土塁上を歩いてみると主郭を一周しているのが分かる。土塁虎口も南北に二箇所残されており、南側虎口を形成する土塁は更に高く櫓台を想像させるものでもある。主郭南大堀切は高さも伴うもので主郭の土塁と並んで城跡の唯一の見所ともなっており、側へは土塁を伴う空堀となって繋がっている。現状ではこの辺りまでが残存している遺構であり、主郭西側及び北側は住宅地あるいは農地として全域が造成されており、城跡遺構はほぼ主郭を残して消失している様にも見受けられた。

城跡としては主郭回りを除けば遺構残存度は非常に低いと見受けられるが、淡河城跡とは車で県道移動数分の距離にあり、更に時間の余裕のある方は天正寺城跡(リポート掲載済)までも足を延ばす事も可能であり、二城あるいは三城同日訪問としても余裕を持って城跡巡りが可能であり、三城の立地環境あるいは歴史なども事前に把握して赴けば、更に城跡巡りの楽しさが増すのではないだろうか。

1route 登城ルート

H_10 主郭北虎口

2ha 城跡概念図

7 道路沿いより大堀切

H_29 大堀切壁見所

H_17 東土塁空堀

H_21 主郭

H_7 主郭北土塁虎口

H_4 H_26主郭南土塁虎口

淡河城跡(兵庫県神戸市)

城跡は兵庫県神戸市北区淡河町淡河にあって、県道38号沿いにある「道の駅」駐車場からは南西側に直ぐ望むことが出来、川を隔てた河岸丘陵上に位置しており、現在では「淡河城跡」として看板の掲げられた小さな矢倉が建てられているのを麓から眼にする事が出来る。淡河氏の居城と伝わるが三木合戦の際には毛利方となる別所氏と並んで豊臣軍に反攻するも滅亡の道を辿る、現在二の丸に相当する一画には淡河氏の廟が建立されている。

城跡へは車は県道38号沿いにある「道の駅」駐車場を借り、ルート図の如く南側から牛舎横を通過して橋を渡れば、遊歩道より矢倉の見える本丸跡までは5分もあれば到達出来る。個人的には今回で三回目を数える訪城(一月)となったが、過去の訪問では時期が悪かったせいもあり本丸内及び外周に備わる水堀跡は草木に覆われており、とても満足の行く見学は出来なかった。しかし今回は内堀南側は草木も伐採されており、堀を仕切る土橋も深さを伴う見応えのある堀跡も、全貌を窺う事が出来る状態(西側は草木に覆われている)になっており、やっと三回目にして初めて本来の水堀を拝む事が出来た。おまけに本丸跡も無駄な草木が伐採されて見通しの利く状態になっており、天守台とされる櫓台までも全体像が見て取れる良い状態に改善されている。

本丸西虎口横から北側麓まで繋がる大空堀は隙間もない竹で覆われているが、現在竹の間引き作業が行われており、これから多少でも見通しが利く状態になるのではないかと、ある程度は想像出来る。現地にある縄張り絵図(当時の)からも広大な規模を誇った城跡だとは見受けられるが、現状城跡遺構として見学出来る状態にあるのは本丸回りだけの遺構と限られており、櫓台、内堀、空堀、淡河墓所南側の堀の一部、二の丸に相当する一部地域、大手道などは当時のままの状態を見学する事が出来る。

県道沿いにある事でお手軽に訪問出来る城跡でもあり、既に訪問された城跡ファンも多いとは思われるが、城跡のベストな状態を味わうのであれば、やはり冬季に訪れるのが一番良いと思われるのはどの山城にも共通した事かも、、、

1route1 登城ルート

7_tozanguti 登城口

1v_3 現地当時の縄張り絵図

O_33 本丸虎口

O_39 本丸より櫓台

O_12 櫓台

O_18 内堀南側見所

O_32 内堀仕切り土橋見所

O_42 本丸西大空堀見所

O_31 淡河氏墓所

2009年1月19日 (月)

東下城跡(兵庫県神戸市)

城跡は神戸市北区山田町東下にあって、別名「山田城」とも呼ばれ山田氏の居城と伝わるが詳細は不明。

近畿圏内ではもちろん神戸市内に居を構える城跡ファンでさえ聞いた覚えのない山城と見受けられるが、今回地図上からも場所はここ以外考えられないとして、見切り発車状態にはなったが個人的には自信を持って臨んだ。結果的に城跡は事前予想通りの山上に位置しており、期待をしていなかった分、予想を遥かに上回る残存度の高い遺構群に巡り会う事が出来た。年間を通して何人の山城ファンが訪れたのか想像出来るぐらいの山城なので相当藪化は進行しているが、現状(一月)多少移動に難渋するぐらいで、単調な縄張りの全体像を把握する事はほぼ可能な状態でもあり、その結果として今回鮮度の高い城跡の情報を掲載する事が出来た。

城跡へは県道85号を西に向いて走ればほぼルート図の如く東下集会所を目指して進行すればよい、集会所の隣山側には小さな公園があるのでそこに駐車させてもらい、更に概念図に示す通りに山に向う。進入口としては図に示す三箇所が可能であり、池傍から直登すれば5分程度で山上郭群に辿り着けるが、池を越えて更に歩けばカーブミラーがあり、そこから尾根に沿うか、あるいは畑地まで上ってその背後から尾根に沿って上っても、山上までは方向さえ間違えなければ難なく辿り着ける。個人的には矢竹に覆われた池傍(図に示す)から直登して下山に畑地を通過して下りたが、このルートの方が効率良く見て回れそうには思われる。

1route_2 登城ルート

5 池より城跡

7_gezanguti 進入路

3hi 城跡概念図

現状城跡は落葉樹の多い事から枯れ木が多く、郭内の移動に余り差障りはない。風化藪化共に相当進行している状態にはあるが、相当埋もれている堀切なども明確に見て取る事が出来、主郭内部も未だにほぼ平坦な削平地が自然保持されており、山上における遺構(土塁跡、堀切、切岸跡)群は全て判別確認可能でもある。特筆すべき見応えのある遺構が存在しないのが少し残念な処ではあるが、付近傍まで住宅地あるいは農地が迫っている事を考えれば、よくぞここまで自然保持されたものである。恐らく個人所有の城山である為に縄張りも当時の手付かずのままが残され、形態もほぼ変わらずそのまま数百年の時を経たものと察せられるが、この遺構残存度(ほぼ完存)を見る限りでは賞賛に値する山城である。神戸から三田にかけての山城としては滝山城跡あるいは桑原(大浪山)城跡に匹敵するぐらいの残存度の高い山城と言えよう。限りなく無名に近い山城ではあるが、個人的には是非訪問をお薦めしたい城跡の一つである。(夏季訪問は避けるべし!)

10_nisi_3dankaku_gun 西三段郭群

14_horikiri 15_horikiri_minami_sita_yori 堀切

16_2maru_dorui 二の丸土塁

22_shukaku_1 主郭

30_minamikaku_gun_horikiri_e 南郭群

31_minami_horikiri_1 南郭群堀切

2008年12月24日 (水)

城山城跡(兵庫県たつの市)

兵庫県たつの市揖西町中垣内、新宮町馬立にあって、古代に構築された石塁が見られる様に、古代山城としては既に成立しており、播磨守護赤松氏によって代々改修されながらも、落城時まで居城とした中世山城として有名な城跡。

城跡へは登山道が幾通りもあるのでルート選択には迷う、相当大回りなルートにはなるが、今回は案内でも大手となっている「馬立」集落の山裾にある広い集合墓地からスタートする。このルートでは山上にある亀池まで上り、そこからは広域に及ぶ古代と中世の混ざった縄張りを確認しながら、あるいは「亀岩」などの奇岩も見学しながら稜線沿いに歩き、南側最高所である亀山(山上郭)から本郭群を目指す事になる。距離も時間もたっぷりとかかるが、自然と一体感を味わいながら山歩きも同時に楽しめるので、意外に距離は余り感じさせない。しかし流石に城跡北側の稜線に出るまで約60分かかる上り斜面はきつく、何度も休憩を挟み景色を眺めながらの行軍となった。

1_1 登城ルート

2a_3 現地案内板より

斜面を登り切り、稜線に出て亀池見学などの寄り道をしなければ約30分程度で亀山山頂には到達出来るが、ルート図に示す馬立から南側の、興聖寺側からも地図上では最短と思われる登山道が城跡まで直接通じているらしく、そちらから上れば30分は短縮(それでも約60分かかる)出来そうに思われる。

城跡は標高約460m(比高400m)の亀山山頂から南側二箇所の峰に跨って郭は展開されているが、中枢を成す郭群は南側二峰に挟まれた少し谷状地にあり、居館跡とも見受けられる郭と付随する郭群が更に南へと連なっている。登山道中にも郭跡と見受けられる削平地は尾根上に点在しており、どこまでが城域か見当も付かないほど広域にわたっている。もちろん古い形態の山城である為に、山上郭群を含んだどの郭跡も切岸などは窺われず、前述の屋敷跡と見受けられる郭群でやっと切岸、石垣跡などの遺構を見て取ることが出来たぐらいである。石垣跡も大掛かりなものは残存していないが、更に古代まで遡った石垣跡は案内説明版に表記された付近で確認する事は出来た、しかし自分の目で見た石垣跡はどう見ても赤松時代の少し粗い石積み跡(写真参照)と見受けられるもの、古代の石垣跡とはとても思えないものであった。(自分の故郷近くの古代山城にも神籠石が残存しているので、違いはある程度分かる)

3a 主郭周りの縄張り

25_sanchou_shukaku 亀山山上郭跡

28 石垣跡見所

33_yasiki_dankaku 本郭周りの屋敷跡

34_honkaku_isi 本郭の石垣跡

40_dankaku 郭跡

41minami_dorui_kaku 南郭群

39_koguti_mawari 本郭群

三つの峰の山上付近においては方向感覚がなくなるほどの同じ地形ばかりで、結果的には案内にもあった高さ3m全長40mに及ぶ石塁をこの目で確認する事が出来ず、山中を徘徊するばかりで時間を取られ、最後まで御目にかかることが出来なかったのが非常に無念の極みであった。(道標はせめて設置して欲しい) しかしこれだけ歩けば、まだ探そうとする意欲は既に無くなっていた事も確かなので、今回は仕方の無いことか、、  山城に過度な期待を求めなければ、登山道も整備されており山歩きも楽しめて、満足感及び達成感に浸れる事、請け合いの城跡と言えよう。

2008年12月22日 (月)

庄山城跡(兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市飾東町庄にあって豊国地区にある城山中学校の西側に聳える険峻な山の山上部が城跡、城跡は14世紀において赤松氏による築城によるものであるが、其の後の詳細に関しては不明。

城跡へは国道372号から飾東町豊国地区にある城山中学校を目指せば、そこからすぐ背後に聳える山が城跡と分かるので分かり易い、登山口は二三箇所あるようだが、今回においては城山中学校の体育館前駐車場を借用させてもらった関係から、そこからは歩いて一番近い東側の住宅地前(道標は無い)からの登山口を利用して山上までは上る事になった。比高も山裾から170m近くあり距離も比較的長く、更には非常に急峻な斜面を登る事にもなったが、20分程度で山上までは到達出来た。

現状(一月)冬季であるにも拘らず山上郭群は、岩盤で覆われた部分の郭跡を除いては全域が枯れ草、雑木あるいは笹藪に覆い尽くされており、とても満足に見学出来る状態には無い。麓にあった案内板古城図からも出丸を含めれば三方に渡る峯に郭は展開されていると察せられるが、最初に到達した東峯郭群を見学するのが精一杯で、西峯までは移動も困難(無理な藪漕ぎをすれば可能)、まして地表も見えないほどの密生笹藪では遺構の判別確認も出来ないと思われ、更に踏破する意味も無いので、東峯のみで西側踏破は断念するに至った。東峯郭群だけを見る限りでは、遺構は郭跡及び石垣痕のみ土塁すら確認出来ず、未踏に終わった西峯の縄張りを含んだとしても規模の大きな山城の様には見受けられず、山上における郭占有面積もそれほどのものを有している城跡の様には感じられなかった。恐らくこれから先も、この山城が史跡として整備されるとは思われず、個人的に山城見学で訪れる人にとっては、ただの城山登山で終わるような気がしてならない。

尚、個人的には西側の峯まで踏破していないので城跡全体を見ての評価はし難く、案外西峯は見学出来る位のましな状態に或るのかもしれないが、これから訪問する準備のある方にとっては、城跡の現況報告として少しはお役に立てたのではないかとは思う。

1 登城ルート

4 東より城跡遠望

3_1 城跡概念図

2_1 現地案内板より

11 東峯郭群

16_minamikaku_top_1 南郭

18_minami_gedan 南郭下段

21_shukaku_e 主郭の現状

25shukaku_1 主郭隅の一部

水尾城跡(兵庫県西脇市)

兵庫県西脇市水尾町にあって、大日寺の南背後に聳える山の山上が城跡。

城跡へは京阪神側から車で向えば中国道「滝野社」ICで降り、国道175号から県道34号へ乗り継ぎ、大日寺を目指せば難なく登山口までは辿り着ける。しかし寺院に到着したものの設置されている案内板が簡略過ぎて、当然あるべき登山道を今一把握出来ずに終わり、個人的には西側のゴルフ場造成地(工事は中断されたまま放置)から砂利状の急斜面を直登で上る羽目になった。

城跡は外見から窺う分には位置確認もし易く、ほぼ全域が樹木のない裸同然の、表面が粗い砂利で形成された山城で、直登を選んだものの砂利で表面は滑るし、足場も余りないのでリスクを背負った厳しい登山を余儀なくされた。すぐ目の前に山頂は望める状態にありながらも20分近く要して、やっと山頂までは到達出来た。

現状、城跡は裸山なので縄張りも掴み易く、遺構も判別確認し易いものと勝手に想像していたが、郭壁面は全て砂利状の切岸となっており、郭跡を含めてもこれらが自然地形なのか、あるいは人為的に構築されたものなのかは、ほとんど判別も出来ない状態にある。工事の中断されたゴルフ場造成地がすぐ西側に隣接しているので、当時の郭跡も判別し難いのが現状でもあり、どこまで地形改変があったのかは現状を見る限りでは想像もつかない。しかも裸山なので山頂からの眺望は利くが、今一ここが山城だと言える実感が湧いて来ない(ただの砂利採取用の山)。苦労して上った割には戦国ロマンに浸ることも出来ないのが少しばかり残念なところではあるが、これらの現況報告を含めた感想はあくまでも個人的主観なので、訪問した際にはこれらの先入観に捕らわれず、自分自身で体感した判断が一番大切なところであるようには思われる。この山城を当時から草木も生えない裸山だとすれば、現状外見から窺える全ては当時のままだという事にもなり、当然この山城の史跡価値は相当なものだとも判断出来るのである。

尚、登山口は寺院前の案内板に示されている様に、地元民に尋ねるか探せば間違いなく見つかるので、今回の様なリスクを伴う直登は出来るだけ避けた方が良いと思われる。

1x 登城ルート

2 現地案内板より

2mizuo2 城跡概念図

5 西より城跡遠望

6_kaku 10_kaku 北側の郭跡

15_gedan_yori_shukakuheki 下段郭より主郭側壁

18_shukaku_nai 主郭

21_shukaku_higasi_kirigisi 主郭切岸

23_kaku 主郭より下段

2008年12月20日 (土)

山下城跡(兵庫県川西市)

この城跡は個人的にも今回で三回目を数える訪城となったが、やっとほぼ城跡全域を把握するに至れた、北摂地区でも山城としては非常に遺構残存度も高く、更に比較的残存状態も良いので、個人的にも是非訪問をお薦め出来る城跡の一つである。

兵庫県川西市山下町下財にあって、先に掲載済である一庫城跡(山下西出郭)から見れば、谷を挟んだ東南に位置する山の山上から南西側麓に至るまでが城跡

城跡へは国道173号を北上する場合、山下町に入れば県道68号との分岐手前を右折、駐車場の完備する川西郷土館を目指せば分かり易く、途中にも駐車場道標が設置されているので狭い道ではあるが、それに従えば迷わず駐車場には辿り着ける。そこからはルート図の如く西側に歩き(案内道標は無い)城跡を目指せば良い。

塩川氏の居城と伝わり、氏(塩川国満)の当時の活躍は戦国史にも載るほどで、最終的には秀吉の怒りを買うことになり滅亡への道を辿る事になるが、当時北摂においては三好氏あるいは能勢一族に匹敵するぐらい勢いを誇っていたと思われる。

城跡は道路より進入口すぐの山裾南西郭群から始まり、山上で形成されるスケールの大きい郭群、谷(大空堀)を挟んだ西側の枝尾根に展開される郭群、遺構としては最大の見所とも言える主郭北側の二重堀切、規模も大きく土塁を伴う主郭、更に一庫城跡(山下西出郭)まで加えれば城域も広域に及んでおり、縄張り変化にも相当富んでいる。個々の郭群の規模が大きい事からも山城としてのスケール及び醍醐味、あるいは城主でもある塩川氏の当時の勢いを感じる事も出来、遺構も含めて決して見る者を飽きさせない城跡でもある。現在は住宅地として造成されて当時の面影は無いが、南麓に展開されていたであろう郭群(屋敷跡)を含めれば、城下町を形成していたとも思えるほどの、戦国大名の城跡と呼ぶにも相応しい、広域に渡る城跡であったと察せられる。北摂地域いや近畿圏でも有数の大規模な城跡と言えるのではないだろうか。

現状(12月)城跡は山上までは登山遊歩道が設置され、山上郭群においては木々も伐採されており見通しも良く、比較的良い状態のものを見学する事が出来るが、西郭群及び麓の郭群の一部は多少藪状態にある。それでもこの冬季に訪問すれば全域を見て回る事が出来たので、一庫城跡(山下西出郭)と併せての同日訪問となれば、取り合えずベストな状態の山城を堪能出来るのではないかと思われる。

1route_1 登城ルート

Tozanguti_2 城跡進入口

3ya_1x_2 城跡概念図

Nansei_kuruwagun 南西麓郭群

Sanjyou Sanjyou_1 山上郭群

Sanjyou_2 主郭へ

Shukaku 主郭内の土塁見所

Dobasi 主郭北堀切土橋見所

2jyuuhorikiri 2jyuuhorikiri_1 二重堀切見所

2008年12月 9日 (火)

屋口城跡(兵庫県小野市)

兵庫県小野市中谷町西山にあって別名矢口城、集落の南から北側に突き出した丘陵上先端が城跡、依藤氏の支城と伝わるが城主の変遷は激しく詳細は不明。

城跡へは目印となるものが少ないので説明し難いが、大阪側から向えば中国自動車道あるいは県道17号を走り「天神」で県道75号に進路変更、後は県道85号に乗り継ぎルート図の如く進行、城跡の位置する丘陵を確認すれば一直線に向う道路から、稲荷神社に向う参拝道を上り、そのまま山上に向かえば車を路駐する場所にもよるが主郭までは10分内で到達出来る。

現状(九月)城跡は藪化進行中の真っ只中にあり、主郭の一部と二の丸、郭跡の転用でもある稲荷神社の敷地以外は荒れ放題で全て雑木密生地となっている、訪問時期も悪かったせいか下草も蔓延っており直接踏み入る状態にある郭跡は四郭のみに限られた。それでも二の丸周囲を囲む土塁跡、西側の大空堀(縦堀)、少々埋もれてはいるが西郭境の堀切跡は技巧的な遺構として確認する事が出来た。主郭より南側にも相当縄張りは広がっている様にも窺われたが、この隙間も無く密生する笹藪ではとても侵入は不可能でもあり踏破は断念する。

しかし城跡全体がここまでの雑木笹藪であれば、主郭南側あるいは南西側は冬季訪問と言えども厳しく、納得の行く見学は期待できそうにもないと推察される。

1 登城ルート

5_1 城跡進入路

3_ya2 城跡概念図

14 神社参拝道、奥は郭壁

17_2maru 二の丸

18_2maru_dorui_2 二の丸土塁

20_2maru_yori_shukakuheki 主郭切岸

27_shukaku_e_koguti 主郭へ虎口

29_shukaku_nai 主郭内の一部

25_nisikaku_e_dobasi 西郭へ堀切土橋

柏尾山城跡(兵庫県神崎郡)

兵庫県神崎郡神河町東柏尾にあって、既にリポート掲載済みである寺前城跡の東側に位置する一際高く聳える標高453mの大嶽山の山頂が城跡、赤松氏の家臣であった粟生氏の居城と伝わるが詳細は不明。

城跡へは車で中国道福崎ICで降りて播但道あるいは国道312号で北上し、神崎で県道8号に左折、後はルート図の如く右折して薬王子神社を目指せば登山口には容易に辿り着ける。神社からは西側に向いて一帯森林公園をハイキング出来る登山遊歩道が設置されているので、それに従えばやがて山上NHK中継施設への巡視道と合流する、更に道に任せて上り続けるとやっと山上まで辿り着く事が出来る。しかし比高300mを誇るこの山城を上り切るには相当足腰には辛いものがあり、神社からは距離もあるが時間も掛かる(正確ではないが50分程度は掛かったかも知れない)。

現状(10月)城跡は予期していた通りの藪化真っ只中にあるが、規模が小さい為に遺構の判別確認は容易に出来る状態である。鉄塔の建つ場所が主郭に相当すると思われるが、その西側下に郭が形成されており主郭壁に石垣跡を窺う事が出来る。この石垣跡は中々規模が大きく残存しているので見応えも抜群であり唯一の見所でもある、これを眺めればここまで登って来た甲斐もあり、登山の疲れも一気に吹き飛んでしまう。山上郭群の規模は小さく麓のどこかにあると思われる居館跡の詰城とも察せられるが、更に南側あるいは北側尾根にも郭が展開されていた可能性も考えられる、この時既に四時を回っていた(まさかここまで上るのに時間を要す山城とは思っていなかった)ので尾根上は踏破は出来ず下山を余儀なくされたが、再訪の余地を少し残してしまったのが心残りではある。

1_kasio453m 登城ルート

3kasi 城跡概念図

5_sinrinkouen 尾根上の郭跡か

86_shukau_isigaki  山上主郭石垣跡見所

10shukaku_sita_kaku 12 主郭西下段郭

15sizenseki_dorui_koguti 西郭土塁虎口に見える

14 虎口郭

2008年12月 2日 (火)

大原城跡(兵庫県三田市)

兵庫県三田市大原にあって、大原氏の居城と聞くが城史に関しての詳細は不明

城跡へは三田市内から国道176号を北上した場合、パチンコ店手前の大原の信号を右折、すぐ左手側に見える丘状地が城跡(パチンコ店駐車場の裏手は城跡)であり、主郭には姫山神社も建立されている。進入口はルート図の如く少し東側に歩き、北側にある民家に向う形で参拝道があるのでそれに従えば10分内で主郭まで到達出来る。

城跡の見所は西先端部にある土塁で形成された枡形虎口に尽きる、これだけの為に訪れたとしても決して後悔するものではない。現在、郭遺構として明確に残存しているのは主郭と副郭のみであるが、地形から推察しても城域は北東側の農作地にまで及んでいたものとも想像される。

山城ではないので、個人的には醍醐味には少し欠ける様な気がするが、車で移動中にすぐ寄れて尚且つ、これだけの枡形虎口遺構を拝められるのであれば、非常に旨味のある城跡である。近畿圏内でもここまでの枡形土塁虎口を残す城跡は数少ないので、非常に貴重と言うべき存在の城跡と言えよう。

1route_5 登城ルート

5 進入路

3_2 城跡概念図

11_shukaku_nai_1 主郭

11_shukaku_nai_takadorui 主郭背後の土塁

25_higasi_daihorikiri 主郭東の大堀切

18_masugata_nai 枡形虎口内

20_masugata_koguti 枡形虎口の土塁

23_nisi_yori_koguti 西側より枡形虎口の全貌

丸山城跡(兵庫県西宮市)

兵庫県西宮市山口町下山口にあって金仙寺湖の北側に聳える丸山(標高378m)の山上が城跡、山口氏の居城と伝わるが詳細は不明。

城跡へは国道176号から金仙寺湖を目指して向うと分かり易く、ルート図の如く南側から金仙寺に向かい、その背後から山上主郭にある稲荷神社に向う参拝道を利用して上れば迷わず辿り着ける。

現状(8月)城跡は夏真っ盛りともあって下草は蔓延っているが、神社敷地の為に比較的整備されており、縄張り全体像を掴むには容易な状態にある。独立し整った形の山塊の山上部を削平して築かれた城跡は、現状に置いては技巧的な遺構は見当たらず、見応えを求めれば程遠いと言えるものである。非常に評価し辛いが国道からも近距離にあり、10分程度で上れて、神社でも参拝して景色を眺めるのであれば何ら抵抗も無く受け入れられる山城と言う事になるのか、、、

1_1 登城ルート

3 城跡概念図

12_shukaku_nai 山上主郭

18_kita_obi_dan 北帯郭の切岸

18_kita_obi_dan_1 北帯郭

21_2maru_nai 二の丸

19_nisi_dankaku 西段郭群

23_higasikaku_gedan 東郭群端

2008年11月21日 (金)

坂本城跡(兵庫県西脇市)

兵庫県西脇市坂本にあって、西林寺の西背後に聳える標高260mの山の山上が城跡。城史に関しての詳細は不明

城跡へは滝野社ICより国道175号を北上し、アジサイ寺で有名な西林寺あるいは西脇公園を目指せば、後はルートー図の如く登山口までは容易に到達出来る。麓西林寺敷地内奥にも、かつての屋敷跡あるいは居館跡らしき土塁、郭跡がそのままの状態で残存している様に見受けられ、見ておいても時間の無駄にはならないと思える。ただ寺院である為に後世においてどれだけの改変があったのかは見当が付かない。個人的にはこれらを当時の遺構と判断したが、後は見る者の想像力に委ねられる。

本来の山城はルート図に示す様に、駐車場の道を隔てた場所にある登山口から登山道に従えば難なく山上主郭にある展望デッキまで辿り着ける、登山道も歩き易く木々に遮られる事も無く、爽快な気分で山歩きも楽しめて、眺望も素晴らしいので疲れを知らずに見て回る事が出来る。上郭は単郭で規模も小さく、物見かあるいは狼煙台程度の規模である、南壁には草木に隠れてはいるが石垣痕も残っているので注意して確認する必要がある。更に一旦下って上る形になるが、南尾根に沿って登山道を歩けば鉄塔の見える場所も郭跡である事が分かる。もちろん此方も規模は小さいが南側を監視するには打って付けの場所の様にも思える。

城跡だけを採り上げると、非常に小規模で、とても見応えを感じるほどでのものではない。しかし低山ではあるが山城の持つ険峻さも直接味わう事が出来、山歩きも楽しめて個人的には満足のいく訪城となったが、、 (この山城は遺構に期待して登っては絶対にいけない!)

1_260m 登城ルート

4 遠望

3_1x 城跡概念図

2_1 現地案内板より

7_tozandou 登山道より山上側

11_kita_gedan_yori_shukaku 北下段より主郭

15_shukaku_nai 山上主郭

17_shukaku_minami_isi_1 南壁の石垣痕

20_shukaku_yori_higasikaku_1 主郭より東公園側

40_yakata_6 西林寺内の郭跡

一庫(山下城出郭)城跡 (兵庫県川西市)

兵庫県川西市山下にあって、本城である山下城の出城でもあるが文献によれば先にこちらが成立していた模様、本城とは北西側に谷を挟んだ向山の山上、現在国道が通るトンネルの真上に城跡は位置する。塩川氏の居城であるがこの塩川氏については戦国期に置いてはかなりの活躍が窺われ、この地方においては能勢氏との二大勢力として君臨していた模様。

城跡へは大阪市内側から北上する場合は国道173号を道に任せて進行、山下町に入ればトンネルを抜けて次の信号「井補野」で左折、そのまま走れば一庫ダムの方角川沿いに「かに工房」が目に留まるのでそちらの道に針路変更し、更にルート図の如く橋を渡れば公園駐車場に到達出来る。ここからは南側の直登口となる川沿いの小屋まで歩き、その背後より斜面に取り付けば、トンネルを右手に見ながら多少の藪漕ぎはあるが15分内で山上には到達出来る。

現状(四月)山上郭は自然任せの荒れ放題ではあるが、冬枯れ後のせいか枯れ木も多く遺構の判別確認は容易な状態にある、ただし夏場は雑木に葉も生い茂ると思われるので見通しも悪くなり移動にも難渋すると思われる、出来るなら夏場の訪問は避けたほうが賢明である。 (城跡の訪問リポートに関しては概念図に付記

Hit 登城ルート

4_2  城跡遠望

3h 城跡概念図

9_toutatu_dorui 山上主郭の切岸

13_shukaku_nai_1 主郭

11 主郭周囲の土塁

12_shukaku_nai_yokoya 主郭土塁の横矢見所

17_dai_karabori 17_dai_karabori_3 大空堀見所

2008年11月18日 (火)

三木鷹ノ尾城跡(兵庫県三木市)

兵庫県三木市上の丸町にあって本城となる三木城は秀吉に最後まで抵抗を試みた別所氏の城跡として余りにも有名。この鷹ノ尾城跡は一族が守備していた宮ノ上要害と並んで、広大な城域を持つ三木城塞群の一翼を担う詰城的な山城と見受けられる。

城跡へは神戸電鉄三木栗生線の三木上の丸駅を目指せば分かり易く、車なら県道38号の「上の丸」の信号東側の道よりルート図の如く高架下を潜ればそのまま城跡公園駐車場へと辿り着く事が出来る。三木城跡に寄らず直接現地を目指すのであれば市役所あるいは体育館を目指せば更に歩く距離は殆んど無きに等しく、体育館南側からは直ぐ城跡となっている(実際には勤労体育センターの西側土塁を越えれば直ぐ空堀となる)

現状では主郭周辺は市役所、体育館などの建物が立ち並んでおり、相当な地形改変が窺え当時の縄張りは想像も付き難いが、山上主郭周りの遺構に限ってはほぼ当時の姿のままの様には見受けられる。主郭には櫓台土塁、周囲には空堀土塁、縦堀などの遺構がそのまま残存しており城跡の一部とは言え醍醐味は感じられる。ここから更に大駐車場を挟んだ南側には宮ノ上要害があったとされているが、現在では山上全域を水道施設が占めており面影を残す遺構は何も無いようである。

個人的には郭跡及び井戸跡のみ残る三木城本丸から歩いて周辺住宅地を通り、当時の縄張りを想像しながら鷹ノ尾城跡を経て宮ノ上要害のあった山上まで足を延ばしたのだが、改めて広大な城域を持つ三木城塞群の凄さを感じ取る事に繋がった。

1 登城ルート

24nawa_1a 城跡概念図

28_dankaku 北側の小郭

34_gedan_obi 主郭下段

35_shukaku_dorui 主郭内の土塁

40_karabori_dorui 南側空堀土塁

55_yougai_sanjyou_3 宮ノ上要害山上

53_kaku_hasi 要害西側の平地、郭跡か

田野城跡(兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市香寺町田野にあって、南北朝期において赤松氏の旗下であった堀氏の築城と登山口案内板には載っている。

城跡へは山陽自動車道から北上した場合、国道312号を通り、須加院川(川沿いに走っても良いが)を越えて少し走り西側に左折するが、案外説明し難い場所にあるのでルート図を参考にして頂きたい。登山口となる道路沿いには案内板もあり(駐車スペース有)そこからは登山道も山上までは通じているので迷わずに辿り着けるが、案内板にある「西側500m先の山」は直線距離であり、実際に歩けば一山は越えて行くので途中にある出郭跡も覗いて行けば、山上までは30分は掛かると思われる。

現状、冬季(12月)と言う事もあって登山道から山上主郭間は下草も少なく快適に辿り着けるが、城跡は山上を削平された規模の小さい二郭で形成されたもの、その手前の尾根上に細長い郭跡が付随している程度で、詰城あるいは監視機能としての山城としか見受けられない様に感じられる。西郭から北及び南枝尾根は移動(崖状急斜面)に危険が伴いそうなので踏破は出来なかったが、案外この一帯に広い郭跡が展開されていたのかも知れない。地形図から察しても主郭を中心にして四方に枝尾根があり、個人的にはこれだけで終わる城跡とは思えないので再チャレンジの必要性を強く感じた。

1route 登城ルート

1z 城跡概念図

2_1 登山口の池より城跡遠望

3_ooisi_koguti 登山道の大石

5 東出郭

11_higasi_kaku 東郭

13_shukaku_nai 主郭

14_2maru 西郭

16_2maru_sita_obi 西郭下段

2008年11月17日 (月)

浅瀬山城跡(兵庫県佐用郡)

兵庫県佐用郡佐用町下秋里にあってJR久崎駅より川を隔てて真西側に聳える山の山上が城跡、赤松一族の城跡と伝わるが詳細は不明。

城跡へは国道373号と一般道368号の交わる久崎三叉路の北側数10mにある橋を西に渡り、川沿いに北へ向いて走ると広い笹ヶ丘公園に到達する。そこから案内板に従えば登山遊歩道で山上展望台まで辿り着く事が出来るが、整備された登山道とは言え九十九折りとなっているので、比高200m以上を上りきるには約30~40分程度は費やしてしまう(意外に距離がある)。

現状(12月)城跡は若干冬枯れしているので見通しは利くが、山上全域が密生する笹藪で覆われており、郭内に踏み入る余地は無い状態となっている。最高所である主郭展望所の一部だけが伐採してあるが、他の郭跡は形状すら視認出来ず、外見からおよその判断を下すしか出来ない状態でもある。それでも東側にある二郭においては郭南壁面に最大幅数10mに渡る石垣跡を確認する事は出来たが、これが今回の山城訪問における最大の収穫となった。山上郭群は笹藪を外見から判断する限りでは、郭間に高低差は余り取られておらず、七郭を並べただけで形成している様に見受けられた。恐らく郭間に堀切はあったであろうとは思われるが確認は不可能。地形図から推察出来るように主郭南西尾根あるいは北尾根にも郭跡の展開は予想されるが、この状態では踏み入ることは不可能でもあり踏破は断念するに至る。

1route 登城ルート

2a 城跡概念図

11_minami3maru 東郭群

14_3maru_nisi_sekiretu 18 東郭群の石垣跡見所

22_2maru 二の丸に相当か

20_2maru_nai 郭内

25_shukaku 主郭展望所

28_shukaku_yori_2maru 展望台より二の丸側

上月城跡(兵庫県佐用郡)

兵庫県佐用郡佐用町下上月にあってJR上月駅の南方500mに聳える山の山上が城跡、この城跡での毛利を相手にした山中鹿之助の活躍は史上余りにも有名である。

城跡へは国道373号を走り、ルート図の如く上月で西側に少し入れば大駐車場のある登山口までは分かり易く辿り着け、ここからは登山遊歩道により山上主郭までは15分程度で到達可能である。

現状(12月)城跡の郭内は落葉は多く、短い下草も蔓延ってはいるが見通しも利き、中々歩きやすく見て回りやすい状態にある。これと言った見所のある城跡では無いのだが残存状態が良いので縄張りは非常に掴み易く、当時に思いを馳せる事も容易に出来る。城跡に技巧さを求めるのであれば期待外れに終わる事は必至であるが、この山城の醸し出す雰囲気、あるいは佇まいは格別なものがある様に感じられる。偶然ではあるが今回の訪問では山城全域が朝霧に包まれて幽玄の世界を醸し出し、素晴らしいロケーションと相俟って山城をより一層引き立たせており、このどこにでもある様な平凡な山城が逆に、より素晴らしいものに感じられるから不思議である。

尚、城跡の東側の山裾(民家の畑周辺)には当時の遺構かどうかは判別不能であるが、石組み井戸跡あるいは石垣跡が多く窺われる。

浅瀬山城跡へはここから南側へ車で数分の距離でもあり、二城同日訪問すれば効率よく見て回れると思われる。

1route_2 登城ルート

5 東より遠望

7_tozankuti 登山口

3_2 案内説明板の縄張り図

10_horikiri_nozoku 北東側堀切

18_2 郭四

21_2marunai 二の丸

22_3maru_sita_horikiri 三の丸西の堀切

30_fumoto_isi 麓民家横の石垣と古い井戸

2008年11月10日 (月)

大木城跡(兵庫県西脇市)

兵庫県西脇市野中町にあって、別名野中城とも呼ばれているが詳細は不明の城跡

城跡へは国道175号から進路変更後、国道427号で北上した場合ルート図の地点で右折、そのまま東へ進行すれば運動場横の道路沿いに案内板が設置されているので登山口はすぐ確認出来る。案内板には所要時間20分と付記されてあるが実際には比高70mの山なので斜面はきついが10分程度もあれば山上に到達出来る。

現状(三月)山上主郭内には神社が建立されており整備されてはいるが、他は下草も生え放題となっている。縄張りがほぼ単郭構造でもあり周りに輪郭が付随する程度なので見学に何ら支障を来たす事はない状態にあり、主郭北側に唯一堀切跡が窺えるが、現状では堆積物に埋もれているので判別は付き難い。案内板に記載されてあったように砦あるいは物見程度の機能を担っていただけの様に見受けられる小規模な山城である。

ここを起点に近隣には車で数分の距離に比延山城跡、虫生城跡、福地城跡、坂本城跡、森本城跡などの山城がひしめき合っているので、国道を移動中あるいは通りすがりに寄る程度の事であれば、期待を裏切られる事も無く楽しめるのではないだろうか。

1route 登城ルート

4_2 城跡遠望

6_tozanguti 登山口の案内説明板

8_shukaku_e 主郭へ登山道

11_shukaku_gedan_obi 主郭輪郭

12_gedan_yori_shukaku 帯郭より主郭側

14_shukaku_nai 主郭内

16_shukaku_kita_horikiri_1 主郭北堀切と切岸

比延山城跡(兵庫県西脇市)

兵庫県西脇市比延(ヒエ)町にあってJR加古川線「比延駅」のほぼ真東に聳える険峻な山容である比延山(標高287m)の山上が城跡、赤松一族である本郷氏の居城と伝わるが詳細は不明。

城跡へは滝野社IC側から国道175号で北上した場合、ルート図の如く比延駅手前の上戸田で右折、後は登山口である城山公園を目指せば駐車場にはすぐ辿り着ける。到着後はグラウンド隅を歩いて南端にある登山口からは山上まで登山道任せで上れるが、山容からも想像出来る様に相当勾配のきつい急斜面を上ることになる、休まず上れば所要時間20分程度で山上に辿り着く事が出来る。

現状(6月)城跡は梅雨時のせいもあってか木々は生い茂り、郭内は登山道を通過するのみで郭形状も掴めず土塁遺構などがあったとしても、ほぼ密生する雑木の為に視認不能な状態にある。最北の郭跡はほぼ岩盤に覆われているので見晴らし(最高)も良く、唯一休憩あるいはくつろげる空間にはなっているが、縄張り全体像を把握する事は至難の技となっている。しかし痩せ尾根上に並んだ小規模な郭群である為におよその推察は可能である。

個人的には事前情報からも古い形態の山城である為に遺構に余り期待は出来ない事も分かっており、今回は純粋に険峻な山城を上りながら体感する事を目的としていたので、結果的に山登りも楽しめて山城にも触れる事が出来、非常に満足の行く訪城となった。

1_hien 登城ルート

3_3 城跡概念図

4_1_2 グラウンド場からの遠望

7_minami_top 山上南郭

9_koguti 虎口

10 尾根上の郭跡

16 17_shukaku_nai 山上北郭

2008年11月 4日 (火)

光竜寺城跡(兵庫県多可郡)

兵庫県多可郡多可町八千代にあって、野間山城とは川を隔てた真東側に対峙している山の山上が城跡。野間山城を戦時に置いての最終的な詰城とすれば、こちらは居住性も兼ね備えた通常時における城跡か、、こちらは完全な土塁城である。

城跡は時期を別にして訪れたのだが、野間山登山口を起点にすればルート図の如く橋を渡りすぐ東に右折、後は道路沿いにある案内看板が見えてくるまで走れば、搦め手側の登山口までは容易に到達出来る。傍には運動場の駐車場もあるので駐車可能(南側には大手とされる道もあるようである)。搦め手登山口から主郭までには20分程度は要すが、山城の雰囲気を味わいたいのであれば、番所跡など尾根上に点在している自然地形に近い郭跡も確認出来るので、是非こちらからの登山をお薦めしたい。

現状(九月)城跡は下草は蔓延ってはいるがそれなりに整備されており、城跡における遺構はほぼ判別確認可能な状態にある。遺構残存度も高く更に比較的残存状態も良いので縄張りも掴み易く、見応えがあるとは言えないが充分山城としての雰囲気は味わう事が出来る。  

野間山城跡とも隣接しておりセットと考えれば二城の違いも把握する事が出来、同日訪問が確実に可能である城跡と言える。

1z_2 登城ルート

3kou2 城跡概念図

4 搦め手登山口

15 尾根上の郭跡

18_karametemon_ato 北搦め手門跡

24_2maru 二の丸

25_2maru_tori_shukaku 二の丸より主郭切岸

27_shukaku_nai 主郭

28_shukaku_minami_demaru 主郭南出郭

野間山城跡(兵庫県多可郡)

兵庫県多可郡多可町八千代にあって中野間集落の西側に聳える標高330mの山の山上が城跡、戦国期に置いては在田氏の居城を伝えるが詳細は不明

城跡へは京阪神側から車で向えば中国道滝野社ICを降り、県道17号、34号と乗り継ぎ、中野間地区に入ればルート図の如く登山口を目指せば辿り着ける。橋の袂にある登山口には案内板も設置され車一台分駐車可能、遊歩道も比較的整備されているので歩き易く、およそ20分程度で山上郭群東端には到達出来る。

現状(一月)城跡は冬季でもあり、更に整備されている事も手伝って下草も少なく見通しも利き、遺構は全て判別確認が容易に出来る状態にある。個人的には二回目となる訪問となったが、自分にとっては何度訪れてもなぜか飽きの来そうにない、戦国期の山城の雰囲気を味わうには最適とも思える城跡の一つである。狭過ぎる痩せ尾根を削平し自然岩を持って郭壁となし、更に郭側壁には一部石垣を使用し築かれ、険峻さも伴い非常に堅固な山城の様に窺われる。まるでゲリラ戦を想定したかの様な当時の戦国期の山城の姿をそのまま現在に伝えている。見所は縄張りを含めた山城そのものでもあり、この存在感は規模は小さいが唯一無二のものであるとも言える。

険峻さもあり、更に堅固さも備わった戦国ロマンの漂うこの山城は、自分にとってはやはり「天空の城」と呼べるものの一つかもしれない

遺構残存度も高く残存状態も非常に良いので、四季を問わず訪問は可能と見受けられるが、西郭群から南側尾根(しょうどの丸と呼ばれている)へ向う道は雑木が密生しており、中々移動踏破は難しい状態となっている。主郭側からは直ぐに望める位置にあるのだが一旦山を下りて麓の極楽寺側から上った方が賢明かも知れない。数年後には三度の訪問が叶っていると思われるが、次回は大手とされる寺院側から上ってみようと思っている。

1z 登城ルート

3_2_3 城跡概念図

7 登山道東尾根

9_horikiri_1 東端の大堀切見所

15_sekiretu_2 東出郭の石垣跡

20 東段郭壁

24a 27 段郭群

30_1 南側面の石垣跡見所

35_shukaku_3 主郭

40koguti_dorui 西端虎口

2008年11月 2日 (日)

鷹尾山城跡(兵庫県芦屋市)

兵庫県芦屋市山芦屋町にあって阪急電鉄「芦屋川駅」から北西側に聳える鷹尾山(標高262m)の山上が城跡、瓦林氏の居城であるが戦国期においては越水城の支城として機能していたと伝わる。

城跡は芦屋市内に位置する事から車で現地に向えば駐車場に苦労すると思い、今回初めて電車を使用し阪急電車で「芦屋川」で下車し、そこから川沿いに歩いて登山口まで向う。道標がないのでルート図の如く住宅地を通り抜けて登山口に向う、一箇所のみに案内板はあったが道標の役目は果たしていないので、それとなく山裾を目指すと登山口が住宅地横に見えてきた。ここにも道標は設置されていないが20分程度で山上主郭には到達出来た。

現状山上郭群は冬季にも拘らずNHK施設のある南郭を除けば雑木と笹藪に覆われており、郭全体像もしくは遺構の視認はかなりし辛い状態にある、それでも最大の見所である大堀切及び二重空堀は傍まで寄って確認する事が出来た。しかし通常尾根を横に分断する空堀(堀切)は何度も見てきたがこの城跡の空堀は南北の郭を結ぶ尾根に沿って二重に設けられており、明らかに他とは異なる様相である。もちろん土塁もそれに伴って自ずと二重構造になっているが、更に縦堀はそこから数本斜面に落ち込んでおり、その異形の形態が良く分かる、極めてユニークな構造と言えるものである。

城跡は小規模な山城としては見応えもあり、このユニーク過ぎる二重空堀土塁は一見の価値のあるもの察せられ、山歩きも楽しめて山城遺構も味わう事が出来る有数の城跡と言えよう。

1 登城ルート

5 鷹尾山を望む道路分岐点

7_tozanguti 登山口

3_2z 城跡概念図

23_monomi_sita 中腹の物見大岩群

27_horikiri_1 中腹郭群の堀切

32_shukaku_2 南主郭

40_2jyuu_karabori_1 40_2jyuu_karabori_3 二重空堀土塁見所

44_horikiri_tatebori_1 北側の台堀切見所

尚、登山口にあたる住宅地前の道路沿いに車三四台の駐車スペースがあり、登山客に後で聞いてみればその場所は駐車可能である(確証は無いが)との事であった。しかし駅から芦屋川沿いに歩けば鷹尾山も望め、更に町並みの風情も味わえる事からも駅から山頂までは是非歩く(40分程度は掛かるが)事をお薦めしたい。

楯岩城跡(兵庫県揖保郡)

兵庫県揖保郡太子町太子にあって国道2号太子竜野バイパスの城山トンネル真上の山上が城跡であるが、山上には楯岩城大山構跡と書かれた表札があったので構居として機能していたのかも知れない。赤松氏の居城と伝わるが詳細は不明。

城跡へは姫路側から国道179号を西に向いて走れば、「山田」から「原」の信号を越えて線路沿いを少し走り、山裾を北側(右折)へ針路変更、後はルート図の如く細い車道を老人ホーム聖園を目指して上れば、分かり易く登山進入口である車止めゲートまでは辿り着ける。後はゲートを越えて道に任せれば、途中に山上まで新設された登山道があり、それを上り切れば山上主郭到達となる。

山上には巨石を並べた「大山構跡」があり細長く荒れた平坦地には至る所に巨石、大石がゴロゴロと転がっている。これでも郭跡ではあると思うが、、、現状(一月)冬季にも拘らず山上郭群は葉の生い茂る雑木藪と化してはいるが、移動に難渋するまで、あるいは視認困難までには至っておらず、郭跡のみではあるが判別確認は出来る状態にある。しかし一番見逃してはならないと思える遺構群は、南側急斜面を降りた中腹の郭跡に残存しており、古墳を含めた周辺には削平された郭跡、巨石を並べた郭壁、石垣跡など城中最大の見所となる遺構が集中している。ここから更に南へ降りれば、途中斜面上の至る所で土中に段状に見え隠れする石垣跡を窺う事も出来る、恐らく地表は風化、あるいは堆積物の為に斜面にはなっているが、郭壁としての石垣跡の様にも見受けられる。

個人的にはこの南中腹郭跡に至るまでは図に示した車道沿いにあった登山口から上った(15分)のではあるが、本来なら此方からの登山(山上まで20分)をお薦めしたい。途中から道も踏み跡程度になってはいるが山上を目指せば間違いなくこの郭跡を拝む事が出来る。前述の山上から降りるルートでは方向を少し間違うとこの郭跡には到達出来ない可能性が高いのである。山上のみの山城見学では正規の新設登山ルート、本命の遺構を見学しながら登山するのであれば後述の直登に近いこの登山ルートがベストだと思われる。

この山城から醍醐味を得る為ルート図の様に相当な距離を歩き、ほぼ一周せざるを得なかったが、流石に赤松氏の城跡だけのことはあって石垣跡も残存しており、期待は決して裏切られなかった山城でもあった。地形図から察する処、更に西側には出郭も予想されたが既に踏破する気力は失せており断念に至る。

Tate1v 登城ルート

4tozanguti 南からの登山口

9isi 南斜面の石垣跡

13kaku 中腹南郭

14_kakunai_sekiretu_1 石列

28_kaku_ooisi 巨石の石列

37_kaku_nai_ooisi_1 山上郭

40_yakata_1 山上の大山構跡

41koguti_oosekiretu 山上郭の大石列

47gezandou 北東からの新設登山道

2008年10月31日 (金)

落葉山城跡(兵庫県神戸市)

兵庫県神戸市北区有馬町にあって有馬温泉群の西側、有馬温泉駅からは南側に聳える城山(標高526m)の山上が城跡、現在山上郭跡には妙見寺が建っており麓バスターミナル側からは参拝道も設置されている、有馬氏の居城と伝わるが三木合戦の際には別所氏側に付き落城した模様。

城跡へ車で向うなら有馬温泉駅のすぐ南側の丘陵上にある有馬グランドホテルを目指せば分かり易い、個人的には車は広大なホテル駐車場片隅に無断で止めさせてもらったが(奨励は出来ない)、後はルート図の如く敷地内南奥から山に向う道があるのでそれを利用すれば最短で本来の妙見参拝道に合流出来る。

現状(八月)城跡は夏季ともあって、本来の郭の転用と見受けられる北郭から主郭にあたる本殿までは形態の分かり易い良い状態にあるが、南側郭群あるい主郭東側斜面は一面雑木藪と化しており、とても中まで踏み入れる状態にはない。しかしこの城跡における見所は西側を降りた谷状地形周辺であり、ここでは土塁、小郭跡、虎口跡、大空堀(自然地形かも?)などの後世人の手が加わっていない遺構を眼にする事が出来る、更に西側斜面を上れば出郭も備わっているので、小規模に感じられる城跡ではあるが案外山城の醍醐味は味わう事が出来る。

1route_2 登城ルート

3ot 城跡概念図

5 北側造成荒地より遠望

10_kitakaku_1 北郭

15_dorui_isi_1 土塁底部の石垣跡

17_2maru_yori_shukaku_e 二の丸から主郭へ

26_doruikaku_sita 西側の土塁郭

30_dorui 土塁

37_nisi_demaru_1 西出郭

2008年10月30日 (木)

滝山城跡(兵庫県神戸市)

神戸市中央区にあって新神戸駅の北西に聳える二つの峯を持つ山の山上から駅に向いての南尾根上が城跡、南北朝期には城跡として成立しており赤松、松永、三好氏と城主は交代しながら、尚且つ改修も重ねながら戦国期まで至ったものであると思われる。

城跡へはもちろん新神戸駅で降りての歩きとなったが、登山口へ向うには駅最西端に下りて高架を潜り、谷川沿いを北に歩けばすぐ住宅脇に案内板を見つける事が出来る。この石段を登れば山上までは全て登山遊歩道となっているので、途中の尾根上の郭跡を確認しながら迷わず辿り着く事が出来る。

しかしこの城跡は山上まで登山道をストレートに目指してもおよそ40~50分は要し、正に要害堅固がぴったり当てはまる山城でもある。郭跡の展開は南側の端尾根から始まっており城域も桁外れに広い、見所を挙げるとすれば縄張りの形態そのものでもあり、随所に残る石垣跡、堀切、郭切岸などはその副産物にしか見えてこない。石垣痕などは個々の郭壁に点在して見受けられ、これでは当時は完全な石垣城を想像してしまう。現状(12月)冬季である為に特に状態が良いのかも知れないが、山城を見学する上ではこれ以上望めない状態にあるとも言える。語り出すと限がないが残存状態も良く、遺構残存度も高く、更に山城の魅力を全て兼ね備えた見応え抜群の城跡と言えよう。

自然と触れ合いながら山歩きが楽しめて、更に優れた山城遺構も味わう事が出来、阪神地区に限って言えば飯盛山城跡、三草山城跡、香下(羽束山)城跡と並んで、山上を極めれば素晴らしいロケーションが待ち受けている数少ない城跡の一つである。

1route 登城ルート

5_tozanguti 登山口

3tak 城跡概念図

34_tatebori 東郭縦堀

39_isi 中郭群の石垣痕

48higasi_gedan2 東郭群

55_shukaku_nai_1 主郭

60_shukaku_yori_yaguradai_e 主郭より櫓台側

61_yaguradai_top_1 櫓台最高所

62_yagura_nisi_sita_horikiri 主郭西の堀切

2008年10月26日 (日)

木器城跡(兵庫県三田市)

兵庫県三田市木器(コウズキ)にあって県道37号と一般道323号の交わる交差点の真南にある山の山上が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へはルート図の如く323号から山道に向いて歩いて進入し、民家背後の荒地より傾斜面を上り、更に南斜面を上れば北側の堀切まではすぐ辿り着ける。

現状(7月)城跡は藪化真っ只中にあるが、物見程度の規模なので大して気にもならない。山上に残存する遺構は二本の堀切及び二郭跡のみであり、正しく狼煙台程度の機能にしか見受けられないものであるが、ここに設けられた堀切が防備としてどれだけの効力を持っていたものなのかは中々理解し難い。北西側には広大な削平地が存在するが、此方の方は居館跡でもあるかの様な面積を所有しており、小さな山上郭跡はやはり監視用の物見が相応しいのかも知れない。

一応これも平山城と呼んで良いと思われるが、この付近を車で移動中に寄る程度なら期待を損なう事もないし、史跡価値として値打ちが無い訳ではないので、納得は出来るのではないだろうか。

1route2 登城ルート

4 東より城跡遠望

10_shukaku 山上主郭

12_minami_horikiri_2 南側の堀切

14_kita_sizenkaku_1 広大な北西郭跡

段ノ城跡(兵庫県多可郡)

兵庫県多可郡中町門前にあって既に掲載の終わっている貝ノ城跡の北西側に位置する標高480mの山の山上から南西尾根上が城跡、赤松氏一族の在田氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へは国道427号を北上した場合門前集落が見えて来れば、どの地点からでも右折して瑞光寺を目指せば分かり易い、寺院からは真北に向いて山道が通じておりその両脇には広大な屋敷跡群を窺う事が出来るが、規模の大きい水堀跡、石列、郭跡の切岸、土塁などを確認する事が出来る。更にそのまま上ると現在整備工事中である山上まで繋がるNTT巡視道に合流、後は道に任せて上れば迷わず辿り着く事が出来る。今回で二度目の訪城となったが前回よりは巡視道のお陰で勾配はきついが、道任せで気を使う事も無く上れたので少しは楽ではあった。

現状(11月)城跡は当然藪化進行中であるが、視認あるいは移動に困難を来たすまでには至っておらず、山上における城跡遺構のほとんどは判別確認可能な状態にある。郭壁随所に石垣痕が残り当時は全てとは言わないまでも要所は石垣で固められていたものと推察出来る。縄張りにおいては単純に郭を連ねて堀切で郭間を分断するシンプルな形態を採っており、さほど妙味を感じられるほどのものではない。現在主郭と尾根を共有する北東側にはNTT施設がありどこまで地形改変があったのかは推察するしかないが、更に山上を目指すと巨石あるいは大岩がゴロゴロしており、最高所には狼煙台又は物見とも見受けられる平坦地が存在していた。

山上までは比高300m近くあり、巡視道を利用してもその勾配のきつさ、距離ともかなりなもので正確に計ってはいないが40分程度は掛かったものと思われる。麓の屋敷跡群から山上郭群に至るまで、充分な醍醐味を味わう事の出来る城跡である。

Dan1 登城ルート

3

城跡遠望

11_2 麓屋敷跡

16_hori 麓水堀跡

2 城跡概念図

6_kaku2 二の丸

12_kaku2_dobasi_waki 二の丸中央土塁道

13_kaku2_isi 二の丸石垣跡

9_shukaku_kitakoguti 主郭北虎口

18_kaku4 段郭群

22_minami_hasi_kaku 南端郭

24_kaku8_koguti_isi 段郭群の虎口石垣跡

2008年10月19日 (日)

長谷高山城跡(兵庫県佐用郡)

兵庫県佐用郡佐用町横坂にあって中国道「佐用」ICから国道を隔ててすぐ東側に聳える山の山上から南側尾根上が城跡、山田氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へは中国道「佐用」ICから国道373号降りればすぐ右折、そのまま直進南下で高架下を潜りすぐに左折し再度高架を潜れば登山遊歩道のスタート地点である駐車場まではすぐに辿り着ける、そこからは遊歩道に従えば迷わず山上主郭までは20分内で到達出来る。

現状(12月)城跡は霧が濃かった為に視界は悪いが、城跡公園として整備されているので木々も少なく、更に冬季である為に下草も少なく山城見学としては非常に良い状態にある。この霧がなければ最高のコンディションであったのに非常に残念である、数年前に一度下草が伸び放題の夏季に訪れたが、たまらず途中から引き返した事があり、今回は状態の良い冬季を狙ってのリベンジとなる訪問になったのだが、又しても難癖が付いてしまった。

城跡は縄張り妙味はさほど無いものの規模は東側山上平坦地まで取り込むとかなり広大な郭占有面積を所有しており見応えは抜群と言えるものである。城跡の最大の見所は西郭群で眼にする事の出来る石垣跡で、残存状態も良く残存規模も幅数10mに及ぶもので往時を思い起こすには最高の遺構となっている。他にも郭壁随所に石垣痕は見受けられ当時は石垣で固められていた山城の姿をつい想像してしまう。

数年後には三度目の訪問が叶っていそうとも思える、山歩きも同時に楽しめて、なぜか飽きの来ない素晴らしい山城である。

1_hasekou 登城ルート

3z 城跡概念図

4 登山遊歩道入り口

10_2jyuu_horikiri_1 南西端の二重堀切

22 段郭群

33_nisi_dnkaku_yori_shukaku 西郭群より主郭側

39_tanizoi_kaku 39_tanizoi_kaku_3_2 西郭群の石垣跡

29_shukaku_kitakaku 主郭東側の郭跡

2008年10月17日 (金)

志方天神山城跡(兵庫県加古川市)

兵庫県加古川市志方町西飯浜にあって西飯浜公会堂の北側にある天神社の背後の山の山上が城跡、赤松氏一族の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へは車で山陽道加古川北ICで降りた場合、県道43号を南下し細工所の信号を一般道118号(右手)にそれる(ちなみにここを左折すると中道子山城の麓登山口まではすぐ到達可能な距離にある)。後は途中から狭い道路(小型車が理想)になるがルート図の如く進めば目指す公会堂もしくは神社に辿り着ける。ここからは神社背後から踏み跡を辿っての進軍となるが15分もあれば山上主郭までは到達出来る。

この城跡は一度夏季に訪れて散々な目に逢ったので今回は前回のリベンジをすべく、冬季(12月)を選んでの再チャレンジとなったが、現状では夏季の訪問時よりは少しはましな状態とは言え、やはり全域が常緑樹及び枯れ木に覆われ一部はジャングルに近い雑木藪となっている。移動に支障を来たす事は無いが見通しが悪いので視認はし辛く、遺構の判別確認も非常に難しい状態となっており、距離感も掴み難いので縄張り全体像が中々見えて来ないのが現状でもある。それでも石垣痕、空堀跡、土塁などは確認出来た地表の風化も激しく郭形状、切岸などは非常に判別し辛いものがある、結果的に山上郭群の八割は踏破したと思われるが、雑木の密生によって踏み入る隙間も無い場所もあり、北端尾根、東側斜面と未踏箇所を少し残してしまった。地形図から察しても枝尾根が無いので縄張りはそう広くは無いと推察は出来るが、、

山上郭群に限って言えば郭規模も大きく、独立した山塊の山上はほぼ郭跡で埋め尽くされており、郭占有面積は相当なものであるとも思われる。二回目となる訪城ではあるが結局最後まで藪に悩まされ城跡の全貌は掴む事が出来なかった。悔いは残るがこの状態ではこれ以上の事を望むのは無理と、自分で勝手に納得するしかない。

1x 登城ルート

2_minami_gawa_yori 南より城跡遠望

2 城跡概念図

13_shukaku_nai 主郭

9_shukaku_isi 主郭壁の石垣跡

21_2maru_mawari_dorui 二の丸土塁

23 石垣痕

28 北郭群

29_daikarabori 大空堀に見えるが

風呂ヶ谷城跡(兵庫県三田市)

兵庫県三田市けやき台六丁目にあって近年宅地造成された場所に主要郭のみ残し残存、古い形態を持つ山城と見受けられるが宅地造成によってどこまでの地形改変があったのかは想像するのみ。

城跡はルート図の如くけやき台六丁目住宅地を目指せば、東端の分かり易い場所にあるのですぐ確認出来る。

この城跡は住宅地のお陰で山上主郭までは車ですぐ辿り着けるが、東側麓から城跡を望めば中々立派な山城の様には見える。当時は地形図から窺える様に丘陵最高所に主郭を構えて住宅地一帯の台地上にも郭が並んでいたであろうとも想像されるが、現状では小規模な物見あるいは狼煙台程度の堀切を挟んだ三郭跡を残すのみとなっている。

この城跡をきっかけとして山城に興味を持ち、城跡巡りを今から始めようとする人達にとってはうってつけの城跡の様に思われる。

1furo 登城ルート

3 城跡概念図

4_2 駐車場から主郭を望む

6_karabori 近世造成の空堀か?

7_horikiri_1 堀切

10_shukaku_nai_1 東郭跡

9_shukaku_gawa_horikiri_2 中郭と東郭間の堀切

13_higasi_hasi_horikiri 東端の堀切

2008年10月12日 (日)

金釣瓶城跡(兵庫県小野市)

兵庫県小野市昭和町/新部町にあって青野原病院の東側に位置する丘陵上が城跡、赤松氏の被官である中村氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へは県道23号から青野原病院を目指し同じ丘陵上にあって東側に位置する夢の森公園が城跡となるので容易に到達する事が出来る。

この城跡は青野病院敷地辺りから東側の城跡に至るまでは広大な平坦地が続き近世において造成したものとも思われるが東側の麓の農地側から城跡を窺うと立派な山城である事がよく分かる。現在城跡公園として当時の姿にまで復元が良く行き届いており往時に思いを馳せる事も容易である様に思われるが反面、果たしてこの城跡の様相が本来の戦国期における山城の姿なのかは個人的には疑問が残る処ではある。

現状堀切などは相当深いものが残存しており見応えもあり、更に西側の郭切岸が数10m下の谷底に落ちていく様は圧巻でもある。復元後の山上郭跡あるいは城跡全体としても残存状態が良く、規模は小さいが見学するに充分値する城跡だと言える。

1_1 登城ルート

3_2_2 城跡概念図

7_daihorikiri 大堀切

12_horikiri_nisikaku 堀切上の渡り木橋

6_horikiri_kibasi 正面土塁虎口

9_dorui_koguti_2 土塁虎口

13_shukaku_nai_2 山上主郭

21_demaru_yagura 出郭物見櫓

23_demaru_sita_obi_1 出郭下段郭

河内城跡(兵庫県加西市)

兵庫県加西市河内町にあって河内集落の西側に位置する山の山上が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へは中国自動車道「加西IC」から県道24号を北上、ゴルフ場の間を抜ければルート図の如く左側(北側)に進路を変え民家横辺りの真っ直ぐ山に向う未舗装農道を進めば最奥に小さな道標があるのでここから登山道だと確認は出来る。後は道に任せてそのまま上ると迷わず20分程度で山上までは辿り着ける。

1route_2 登城ルート

4_tozandou 登山道への進入路

3ko 城跡概念図及び状況コメント

8 登山口道標

13_higasikaku_1 東郭

15_nisikaku_gawa_1 東より西郭側

17_higasi_horikiri 東側堀切

21_nisi_horikiri 西側堀切

23_nisikaku_1 西郭

25_minami_obi 西郭南帯

2008年10月 6日 (月)

門村構居跡(兵庫県多可郡)

兵庫県多可郡加美町門村にあって浄居寺境内あるいはその北側の台地が城跡と推察される、杉原氏の居館跡と伝わるが詳細は不明

城跡へは国道427号より北上した場合門村地区に入れば国道からもそれとなく見えて来る浄居寺を目指し西(左折)に進路を変えれば難なく辿り着ける。

探索結果として城域は広大で寺院の南側及びその背後から郭跡あるいは屋敷跡が厳島神社を挟んで北側の台地にまで繋がっており、当時の大きな杉原氏の勢力を窺わせるものになっている。

城跡の見所は唯一つ三重構造を持つ空堀で二重の部分が最も深く残存しており防備と移動用を兼ねたものとして使われていた可能性もあるが、分厚く高さのある土塁を伴っているので更に深さのあるものの様に感じられる。ネットの城跡サイトでも採り上げ紹介されており手軽に行ける事もあって既に訪問された方も多いと思われるのでここでは単純に割愛した訪問リポートにさせてもらうが、とにかく残存状態が良いことも手伝って素晴らしい以外賛辞の言葉が見つからない程の空堀遺構である。実際の訪問は昨年の二月に終えて現在ブログに載せている状態となっているのだが、その時の空堀遺構に巡り合えた感動は今でも心に残っているほどである。

この城跡を自分の追い求める山城とは呼べないので掲載は控えていたが御住職に西側にある森内山山頂には詰城があるとも聞いているし麓居館と山上郭が一体となった立派に山城と呼べる門村城跡(森内山山上郭)をいつの日か訪れて山頂を踏破し山城跡として再び掲載したいと思っている。

1_moriutiyama651m 登城ルート

3_2 南より城跡遠望

2 城跡概念図

17_2jyuubori_1 23二重空堀

27_1

25_yaguradai_dorui_isi_1 櫓台土塁(石積み跡あり)

19_hori_koguti_gawa

  空堀の先端、虎口か

2008年10月 5日 (日)

善防山城跡(兵庫県加西市)

兵庫県加西市西笠原町にあって目印となる下里小学校の北側に聳える善防山の山頂から東西尾根上が城跡、赤松氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へは何通りかの登山道があるらしいが今回は下里小学校からの登山道を選ばず地形図から判断しても登り勾配の緩そうな車で西端の尾根側までは行けるルートを選択した。こちらは県道43号と81号を使用しルート図の如く池の並ぶ学校辺りより北西の広い道に進路を変えて、そのまま道任せで峠を越えれば車数台の駐車出来る登山口に辿り着ける。他と比較出来ないので時間的にどちらが最短かは分からないが道中は中々眺望も効き下界を見下ろしながら岩の多い尾根上を快適に歩いて行けるのでトレッキングとしては最高に楽しめる登山道だと言える。(山頂までには30分程度要した)

現状(九月)城跡は全域が夏草や雑木で覆われており郭などの形状の判別は付き難く縄張りも更に把握し辛い状態となっている。特に最高所である主郭から北側にかけては最も藪がきつく踏み入るには程遠い状態なので踏破は断念したが、地形図からも郭の展開は予想され結果として城跡全体像を把握出来なかったのが非常に悔いの残るところである。

大規模な山城ではないが急峻な自然地形あるいは自然岩(巨石が多い)を縄張りに取り込んで築かれており、郭壁には赤松氏の城跡らしく一部石垣も使用されておりより堅固な様相を呈している、本来ならこれぞ山城と声を大にして言いたい所だがまだ未踏地も残しており消化不良のままの下山と相成った。恐らく真冬に訪問しても常緑樹と密生する雑木のために全体踏破は困難である様に見受けられる城跡である。

1z 登城ルート

4 県道より城跡遠望

3 城跡概念図

10_monomi_kaku_1 西尾根上の物見跡に見える

36_nisikaku06919_1 山上西主郭35

51_isi06919 山上東郭の石垣跡

54_higasi_top_heki 東主郭の切岸

56_yagura_top 東主郭

60_higasi_dankaku 東段郭群

2008年9月22日 (月)

小谷城跡(兵庫県加西市)

兵庫県加西市北条町小谷にあって陽松寺北背後の山の山上部分が城跡、赤松氏一族の城跡と聞くが詳細は不明

城跡へは県道23号から「谷」と「笠屋」の中間にある道路を道に任せて北上すれば登山口となる陽松寺には辿り着ける。寺院内の北側にある墓地の最奥から裾を取り巻く形で空堀道(近世のものか?)があるのでそれを右手(東)へ進むと山道に合流する、それを山頂に向いて上ると山上郭群の中ほどにある南側の空堀跡に到達出来る。

城跡は郭間の段差も余り無く、遺構と呼べるものは郭跡を除けば南側の空堀土塁、縦堀、東端に堀切がある程度でとても見応えのある城跡とは言い難いものである。現状(九月)主郭から西の三段郭群までは下草は生え放題となっているが移動視認は可能であり遺構の判別確認は出来る。しかしその西側は笹藪で覆い尽くされておりとても踏み入る隙間も無い状態にある、お陰で郭形状及び縄張り全体像はさっぱり見えてこず推察すら出来ない状況でもある。主郭を見る限りでは規模もそう大きくは無い山城の様に見受けられるが、麓に居館を置く詰城の機能を担った程度の城跡かも知れない。作図にある様に寺院を居館に置き換えた時初めてそれを取り囲む形で東西に配置される郭群(砦跡)、あるいは山上にある小規模の詰城も三位一体となっている様子が窺われ、充分納得出来る縄張りの様に思えてくる。

こう言った形態の山城は麓も含めた城跡全体像から考えた場合のみ案外見えない部分も見えたりする事があり、想像を膨らませる事によって郭配置にまで意図とするものが読み取れたりする時がある、山城にさっぱり見応えは無いが結果的には非常に楽しく有意義な山城探索となった。

1z 登城ルート

4 南より城跡遠望

3_2 城跡概念図

11_oku_tozanguti 墓地最奥の進入口

19_karaboi_dorui_1 南空堀土塁

23_shukaku_nisi_dankaku_1 主郭西段郭

25_shukaku_nai_2 主郭内

26_shukaku_higasi_obi_1 主郭東

27_higasi_horikiri_dorui_1 東端堀切

長水城跡(兵庫県宍粟市)

兵庫県宍粟市山崎町宇野にあって宇野集落より北側遠方の標高585mの長水山山頂が城跡。成立は赤松氏によるもので14世紀初頭であるが15世紀半ばより宇野氏に代わり秀吉の播磨攻めによって落城の歴史を伝え、現在の城跡は宇野氏によって改修後のものと見受けられる。

城跡へは山崎インターから国道29号を北上その後429号に入れば登山口である伊水小学校に辿りつける。登山道は数箇所あり前回(数10年前)における登山では急斜面ではあるが東側からの最短距離(現在登山道があるのかは疑問)を選んで登った記憶があるが今回は少し距離のある歩きやすい伊水小学校からの登山道を選んだ。ここから山頂までは約2kmあり50分はかかる道のりになるが山登りを楽しむ分には絶好と言える登山道である。当時はこちらが大手であったのか上り始めた伊水小裏手の谷沿いには郭跡と見受けられる石垣跡も数箇所確認する事が出来た。

城跡は主郭周りから東にかけての郭群は全て石垣造、険峻な山上に良くこれだけのものを築き上げたものだと驚嘆するばかりである。特に主郭の東側壁には二段の高石垣が築かれ見る者を圧倒しており、仰ぎ見る石垣は正に圧巻と呼べる様相を呈している。東郭群は現在住職の住居及び畑地となっているので郭跡を窺う事は出来ないが周囲を固めた当時の石垣は外見からでも充分堪能する事が出来る状態にある。住職の話によると「主郭から二の丸にかけては落城後秀吉によって破壊されており、現状見られるのは破壊を免れた部分のみである」との見解であった。確かに主郭への大手虎口石垣が石段を残して片側半分しかないので変ではあったが、、

現状山上郭群は整備されており四季を問わず非常に良い状態のままを見学する事が出来そうとも思われ、木々の切り払われている分最高の眺望ともなっている。正に当時の城主もこうして下界を見下ろしていたのかと想像すると限りないロマンに包み込まれてしまう、頭にイメージする天空の城をまた一つ見つけた気分で山頂を後にする。次回別ルートでの登山が楽しみに思えてくる

1 登城ルート

3tozan_kuti 登山口

3_3 城跡概念図

14 登山道より真徳寺の住居

16_higasikaku1 東郭群の二段高石垣

41 44 

主郭高石垣

38_2maru_yori_shukaku 二の丸より主郭石垣

28 南出郭

36_demaru_yori_2maru 出郭より二の丸側32_horikiri_monomi

南自然岩を利用した堀切

2008年9月16日 (火)

森本城跡(兵庫県三田市)

兵庫県三田市東本荘にあって先にリポートを載せた本庄丸山城跡とは車で少し南に移動した程度の距離に位置する低山が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へは一般道309号より学校の東側の道に入り、ルート図通りに進めばほぼ行き止まりとなる農道傍の墓地までは辿り着ける。墓地からは奥にある池の土手を通り直接傾斜面尾根に取り付き、それを上れば既に城域と見受けられる郭跡に到達する。

現状(3月)城跡は相当藪化進行中であり主郭周りの遺構を確認するのが精一杯で主郭から南北、東側には足を向ける事が出来なかったが、主郭周りを窺う限りでは大規模な城跡である様には見受けられないものである。踏破していない箇所も多く一言では片付けられないが評価としては砦規模で本庄丸山城の支城あるいは出城程度の機能を持たされた城跡の様に思える。

1route2 登城ルート

3

城跡概念図

8_nisi_yasiro_kaku 西郭

9_haigo_dorui 西郭背後の土塁

11_minami_gawa_karabori 南側空堀土塁

14_shukaku_heki 主郭切岸

15_shukaku_nai_1 主郭と櫓台

10_horikiri_karabori 空堀

本庄丸山城跡(兵庫県三田市)

兵庫県三田市東本庄にあって代々森鼻氏の居城と伝わるが詳細は不明。

城跡へは国道176号で北上した場合「四つ辻」から一般道309号に進路を変え約1.5km過ぎの橋手前で川沿いの道に入る、ここからすぐ真北に見えている山が城跡であり、ルート図にある如く工場に向かって道路を進入し池に沿って民家側に歩けば進入口はすぐ見つかる。池の東脇からすぐ城域と見受けられ、そこからは北に向いて山上を目指せば段郭群及び堀切を確認しながら最高所である主郭まで辿り着ける。

城跡は麓から尾根斜面を連郭式に山上主郭まで郭跡が連なっており麓の屋敷跡群を別にすればほぼ四郭群から形成され、各郭群を挟む形で堀切あるいは土塁虎口が設けられている。特別に縄張り妙味がある山城の様には見受けられないが、堀切と郭間の切岸斜面には必ず土塁虎口が備わり一旦そこで来る者を遮る形となっており、それぞれの郭群が独立した機能を持たされている様に窺えた。

現状(五月)城跡は麓から山上主郭に至るまで満遍なく雑木に覆い尽くされておりよほど覚悟して上らなければ途中で引き返してしまいそうになる、それほどの状態ではあるが好奇心と探索心の方が勝り何とか山上主郭までは辿り着けた。そのお陰でおよその郭縄張りは掌握する事が出来たが縦堀の有無までは確認に至れなかった。恐らく中腹辺りに二本程度の縦堀が見られたので主郭までには連続する縦堀が見られたのかも知れないが、、、夏場の訪問は絶対に避けなければいけない城跡である!

尚、この地から南側数分の距離に森本城跡もあることから最初から立ち寄るつもりのコースで考えれば効率の良い訪城となる。

1route2 登城ルート

4 進入口

3mar1 城跡概念図

13 南郭堀切手前の土塁

19_tate_dorui 郭側面の縦土塁

23_horikiri_dorui 堀切

29 堀切壁

33_shukaku_dorui 主郭内の奥土塁

2008年9月11日 (木)

谷城跡(兵庫県神崎郡)

兵庫県神崎郡市川町谷にあって別名永良城とも呼ばれ赤松一族の流れを汲む永良氏の居城を伝える。

城跡へは国道312号線を福崎から北上した場合役場信号で西に進路を変え播但線を越えて404号を北上、登山口に当たる大歳神社(登城地図参考)を目指せば難なく辿り着ける。

神社に案内板もあり観音堂への登山遊歩道もある事から山上主郭へは15分程度で迷わず辿り着く事が出来る、城跡は主郭周りの主要三郭は多少整備されており下草で覆われてはいるが雑木が蔓延っていないので容易に縄張りは摑み取れる状態にある。特に岸は良い状態のまま保持されており郭の形状も分かり易く随所に残る石垣跡と併せて当時に思いを馳せる事の出来る遺構となっている。石垣跡は主郭より二段下の南郭の周囲角及び堀切壁に集中して見ることが出来るので見逃してはいけない、三の丸北には三重堀切(二重かも?)が外見から見て取れるが倒木、生い茂る雑木に邪魔されて残念ながら全体像は素直に把握できない状態にある。

さほど規模は大きくは無いが赤松氏に関連する城跡らしく主要な郭は石垣を多用してより堅固に造られており(主郭にも石垣痕は残る)、直線的で単純な縄張り構成が故に防備に一役買っているように窺える。

1map_206m 登城ルート

3 城跡概念図

11tozanguti 登山口

16horikiri_dorui 南端堀切土塁

18 堀切壁の石垣跡

20_kaku5_nisi 南郭の石垣跡

25shukaku_1 主郭

26_2maru_yori_shukaku 二の丸より主郭切岸

26_2maru_yori_3maru 二の丸より三の丸

272maru_heki 美しい二の丸切岸

30_3jyuu_horikiri 北側の三重(二重?)堀切

空木城跡(兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市林田町上伊勢にあって登山客の多く訪れる伊勢山の北西尾根上に位置する小規模な山城(ウトロギ城)、別名「赤松遠見の城」とも呼ばれ赤松氏の家臣が在城していた模様。

城跡へは姫路市内から北上する場合国道29号を利用し下伊勢の信号で413号に進路を変え、新設された岩屋の森広場を目指せば難なく辿り着ける。広場からは登山道が案内板と共に設置されているのでひたすら登ると30分内で山頂主郭に到達出来る。

現状(一月)郭内は整備されており下草も少なく木々も少ないので見通しも良く、山上における遺構は全て判別確認出来る状態にある。名前の如く物見砦規模ではあるが、少なくとも自分の中ではこれも「天空の城」の一つ数える事が出来た。

1 登城ルート

5enbou_1 広場より城山遠望

3xz 城跡概念図

18_shukaku_e 西段郭群

22nisi_dankaku主郭 西下段

25_2maru_yori_shukaku 二の丸より主郭

27_shukaku_nai 27_shukaku_nai_1 主郭

28shukaku_kita_isizumi 主郭北石垣跡

30shukaku_minami_isizumi 主郭南石垣跡

2008年9月 3日 (水)

毘沙門城跡(兵庫県三木市)

兵庫県三木市吉川町毘沙門にあって観喜院聖天堂の背後の東西に延びる丘陵上(赤松山)が城跡、国人藤田氏の本城と伝わるが詳細は不明

城跡へは県道17号線を利用し集落北東側の丘陵地の中腹にある観喜院聖天堂を目指せば辿り着け、駐車場の北奥からそのまま斜面に取り付き直登すればすぐに空堀を伴う土塁が現れる。ここは既に城域となる南西側の自然地形に近い郭跡で更に北西側に足を向けると堀切を経て三の丸と呼べる規模の大きい郭跡に辿り着ける。更に北西側には城跡を二分する堀切が設けられており、これを挟んで高低差は余り無いが主郭へと向かえる。

現状十二月でありながら郭跡はほぼ全域に渡って雑木か竹藪で隙間無く覆われており、場所によっては視認も困難で身動きも取れない状態にある。それでも隙間を縫いながら郭跡を確認しつつ西端の民家の見える墓地までは辿り着く事が出来、大雑把ではあるがほぼ縄張りの全体像は把握する事が出来た。しかし郭跡の内部深くまでは進入することが出来ない為、土塁あるいは虎口などの遺構確認までは至れなかったのが少し残念であり心残りでもある。

この城跡の最大の見所を挙げるとすれば高低差のある郭切岸で、北側は特に数10m以上はあろうかと思える切り立つ崖状の切岸となっており相当見応えのあるものとなっている。縄張りプランから考えても南側に家臣団の屋敷跡を麓まで連ねていたと思えるのでので当然手薄になる北側はこの様な切り立つ切岸で防備していたものと見受けられる。西端にある民家より南西側は進入することは出来なかったが、察する処西出郭の構えをしており現状農作地になっている地帯は西砦跡と呼ぶに相応しい佇まいをしている。

1_3

登城ルート

4_enbou 西より遠望

3z 城跡概念図

15_karabori_ato 東山上の空堀土塁

38_shukaku_nai_2 主郭

26_3maru_oku_dorui 三の丸

40_shukaku_gedan2 主郭西郭2

46_dorui 土塁道

2008年8月29日 (金)

端谷城跡(兵庫県神戸市)

 先に、私事で恐縮ですがこのブログを開設して一ヶ月半経ちました。

世間に城跡ファンは多いかも知れませんが人目に付き難い山城を求めて徘徊しておられるファンはその三割ぐらいかも知れません。その中で三宅氏渡辺氏古城氏には重なる激励のコメントを頂戴しており非常に感激しております。これからの山城訪問の励みにも繋がりモチベーション維持のカンフル剤ともなっています。現在でも溜まったまま未整理状態の訪城リポートがまだ相当あり、これからの訪問リポートとも併せて整理しながら小出しして行くつもりですが、ブログに目を通して頂いているまだ未訪の方々の情報源として少しでも役に立てればと思っています。

「ここから正規の訪問リポート」

兵庫県神戸市西区櫨谷町寺谷にあって寺谷集落に突き出した南尾根先端部に位置する満福寺が城跡。衣笠氏の居城であるが別所氏(三木城)の支城でもあり秀吉による三木合戦においては三木城と共に落城、その後廃城の道を辿る。

城跡へは県道52号に進入し満福寺を目指せば難なく辿り着ける。城跡を一言で分かりやすく説明するなら規模はそれほど大きくは無いが縄張り妙味もあり、遺構そのものも大変見応えのある城跡と言う事になる。中でも南北尾根を分断する二本の堀切が縦堀となって落ち込む様は高さも伴い圧巻と言うべきものである。現状三の丸と呼べる場所には寺院が建っているので多少当時より地形は改変はされていると窺えるが、寺院の北側は当時のままとも見受けられ整備状態も良いことから残存度の高い遺構群を拝む事が出来る。主郭から堀切を越えた北側の山上付近も郭跡が確認出来たが密生する雑木薮の為に視認も困難、おまけに行く手も阻まれ踏破は断念する。北東側にも数段の段郭跡を確認出来たがこれも足を踏み入れるまでには至れなかった。

繰り返すがメジャーかも知れないこの城跡の見所は整備された郭跡で満足してはいけない、二本の大堀切がほぼ麓まで落ち込む様は上下東西の四方から眺めて凄みを堪能して欲しい。

1route_2 登城ルート

3_2 城跡概念図

12_daikarabori_2 南大堀切と大土塁見所

16_2maru_nai 二の丸

20_shukaku_e 二の丸より主郭側

22_shukaku_yaguradai 主郭櫓台

24_shukaku_nisi_gedankaku_1 主郭西下段郭土塁

28_nisi_daihorikiri 西側大堀切 見所

26_nisi_gedan2

西下段郭2の土塁

2008年8月28日 (木)

香下城跡(兵庫県三田市)

兵庫県三田市香下にあって歴史のある香下寺の東側に位置する標高524m羽束山の山頂全域が城跡、香下衆の築いた城跡と聞くが詳細は不明。

1z_2 登城ルート

3a4 城跡概念図

城跡へは香下寺を目指しまずは川西三田線68号に入る、道路沿いに羽束山登山口の案内看板が出ているので注意しながら車を走らせると見つける事は容易である。そこからは北に進路を取り難なく登山口である寺院までは辿り着ける。そこからは登山道に従えば迷わず山上主郭まで辿り着けるが、中腹辺りのお地蔵さんの鎮座している場所から南側が出郭らしく、土塁を伴った堀切及び南端には物見郭跡があるので絶対に見逃してはならない。この出郭遺構は土塁、堀切などが残るように宗徒が築いた年代にしては少し新しいもので戦国期までに改修を受けながら完成された様にも窺える。

10_minamikaku_1

南出郭の分岐点

12_minamikaku_nai_dorui

出郭の土塁

14_horikiri

出郭堀切

ここから更に100m近い高低差を上りきればやっと山頂の社殿(主郭跡)に辿り着けるが、山上郭群は思った以上に規模が大きく社殿の建つ場所は下草も少なくよく整備されている。最高所である櫓台土塁の底部には当時のものとも見受けられる石垣跡が残存しており、南側の自然岩が露出した郭跡は眺望もきき非常にくつろげる空間となっている。登ってきた疲れもここで一掃される気分であるが、ここの南端の一枚大岩を下りれば堀切に土塁を伴った小郭跡が残されているのでこれはチェックが必要、何でもない小郭になぜ堀切まで必要なのかが謎で、深く考えさせられる部分なのである。北側には堀切を挟んで規模の大きい郭跡があり更に北へ段郭群も形成されているが、北側は相当藪化が進んでおり中々視認には困難を要す状態である。

険峻な山城であるが故に登山は体に堪えるが山頂を極めれば戦国時代に思いを馳せる事も出来、達成感と爽快感に包まれる事請け合いの「天空の城」と呼ぶに相応しい城跡の一つである。

25_3maru_nai_iwa_1 三の丸自然岩

29_koguti_ato_ooisi 三の丸南端門石か

39_shukaku_nai 主郭櫓台

36_jinjya_haigo_tomeisi_1 櫓台底部の石垣跡

43_2maru_nai 二の丸

2008年8月26日 (火)

貝野城跡(兵庫県多可郡)

兵庫県多可郡多可町東山にあって登山口にあたる多可高校横の古墳群からは北西に位置する山の山上が城跡、赤松氏の流れである在田氏の居城が伝わるが詳細は不明。

城跡へは国道427号から東山古墳群か多可高校を目指せば難なく登山口である古墳群には辿り着ける、そこから小型車であれば北側山に向いての車道がそのまま続いているので登山口近くまでは進入することが出来る。北に進むと道沿いに妙見山登山口の案内板があるのでそれに従えば妙見山との尾根分岐点まで到達出来るが、ここからは妙見とは逆になる南側急斜面に取り付いて一気にそれを登り切ると北主郭に辿り着ける。

1route_2 登城ルート

2_enbou 西より城跡遠望

1z_3 城跡概念図

城跡はこの様な山上にありながら驚くほど状態が良く下草も木々も少ないので見通しも良く縄張り全体像は容易に摑める状態である。切岸及び削平跡もしっかり残っており地表もそれほど荒れていないので当時の状態を思い起こすのも容易となっている、個々の郭規模が比較的大きいので城跡自体も余計に大きく感じられ随所に残る石垣跡が険峻な山城を更に堅固にしている形となっている。縄張り妙味はないものの郭壁周囲が石垣で覆われていた事を想像しただけで城跡の迫力も堅固さも伝わってくる感じで非常に見応えのある城跡である。

絶賛する言葉しか出てこないが人の手の入っていない山城で現在この様な良い状態のものを眺められる事などほとんど無いに等しい、それを覆した数少ない城跡の一つである。

2_tozan_guti 登山口

4_kita_shukaku_nai 北主郭

9_kaku2_sekiretu 二の丸の石列

11_kaku4nisi_isi 三の丸石垣跡

22_kaku4obi_isi 三の丸帯郭石垣跡

13 南郭虎口の石垣跡

24_kaku4_yorikaku5 三の丸より南郭

尚、西側に位置する端光寺から真北に向いてNTT中継所の作業道があり、それを利用すれば山上にある段ノ城までは迷わず辿り着けるのでこの城跡と併せて二城同日訪問すれば効率よく見て回ることも可能である。

三蔵山城(兵庫県宝塚市)

兵庫県宝塚市下佐曽利周辺にあっては一際高く聳える標高411mの三蔵山山頂が城跡、別名佐曽利城で佐曽利氏の居城であるが戦国期においては光秀の傘下となっている、その後の詳細は不明。

城跡へは川西から川西篠山線12号を利用し北上する場合、ローソンのある68号分岐交差点も直進し2km先の集落より西側に折れ川沿いの細い車道より現地に向かう。もちろん登山道などありはしないのでまずは取り付き口を捜すことから始める、この山は四方が急峻な斜面となっておりどこから取り付いても時間的には余り大差が無いと思われるが、取り敢えずは一番最短距離で方角的に分かりやすい北から南に向いて登るこのルートを想定した。およそは登城ルート図を参考にして頂いて山の方角である真南に向いて登れば何とか辿り着く事が出来るが、登るには藪漕ぎと斜面との格闘になる事だけは覚悟しなければいけない。(所要時間約50分) 下山は必ず登山した側の真北に向いて下りる事が大事である。(方向磁石は必須アイテム)

1z_2 登城ルート

4 進入路より三蔵山

3 城跡概念図

城域到達地点は巨大な岩壁が聳える物見らしき郭跡で一応の目安とはなるだろう。山上はほぼ全域が雑木藪と化しているが移動に困難する事も無く、予想したより随分状態はましである。古い形態の山城と窺え広大な平坦地である主郭に輪郭が数段回っており更に南側斜面の数段の段郭群から構成されている。自然岩を郭壁として取り込み形成されているが山そのものが岩の塊でもあり岩で守備された城跡と呼んでも差し支えないかもしれない。技巧の必要性など求められない縄張りに加え、人を寄せ付けない険峻さでは他を圧倒している単純且つ剛直な様相を呈しているこの城跡の存在感は戦国期においても相当な異彩を放っていた様にも感じられる。

縄張り妙味や技巧的な遺構などに期待をしてはいけない。この山城は山上を極めて初めてそのスケールの大きい存在感に凄さを感じ、そこに「侍」ロマンそのものを感じ取れる城跡なのである。訪問時期に夏季は禁物!

9_monomiiwa 10_monomi_kaku_1 巨大岩壁の物見郭跡か見所

20kaku2_kita 北側の輪郭跡

25_horikiri_iwa 自然岩利用の堀切見所

27_horikiri_dorui_iwa 西側の大土塁

32_shukaku_nai 主郭

38_higasi_gedan1 東郭跡

2008年8月23日 (土)

石峯寺城跡(兵庫県神戸市)

神戸市北区淡河町神影にあって石峯寺の東背後から東西に渡る尾根上が城跡、詳細は不明であるが戦国期における城郭寺院の詰城の様にも窺える。

城跡へは山陽自動車道に沿う形で走る三木三田線38号から弓ノ木を過ぎ北側(右折)に進路を変えて石峯寺(シャクブンジ)に向かう、目指す山城は寺院背後にあると思われるが今回も何の予備知識もなく地形図だけを頼りに臨んだ。寺院東側に山道が見えたのでそこから登るが、山上主郭には小規模ではあるが櫓台が設けられ、西側には四連の段郭が連なっており寺院の詰城的な様相を呈してきている。更に東側斜面には随分埋もれてはいるが三重堀切を確認する事が出来、そのままゴルフ場の溜池のあるティグラウンドまで突入する。本来ならここで引き返す処であったが軽くゴルファーに挨拶して足早に去り更に東尾根踏破に向かう。城跡は地形図から想像出来た通りに相当東にまで延びており二本の堀切を挟んで尾根上に郭跡を確認する事が出来、東端には出郭と呼ぶべく城中では最大の郭跡までも確認する事が出来た。その東傾斜面には相当埋もれてはいるが二重の空堀も確認出来、こちらが本来の主郭の様にも見えてくる。尚、東尾根を断つ最初の堀切を南側へ下りると巨石が壁の如き防塁と化して郭を形成しており、巨石がゴロゴロした虎口の様な空間もある。更にここから屋敷跡と見受けられる土塁を伴う広大な郭跡にも繋がっており、これらも中々見逃せない遺構群の様に思える。

推察ではあるがゴルフ場として削られた跡(ティグラウンド)の北側の最高所は未踏になったが山頂部分にも物見あるいは山上郭が存在していたのではないだろうか、地図だけを頼りに臨んだ城跡であったが意外に収穫は大きく巨大な山城でもないのになぜか想像を掻き立てられる城跡なのである。

1route_3 登城ルート

3z 城跡概念図

6 石峯寺

16_shukaku 主郭

18_yagura_dai_dorui 主郭櫓台

34_3jyuu_horikiri 東斜面の三重堀切

42_horikiri_2_2 東尾根上の堀切

63_daihorikiri_1東尾根 大堀切

47_yasiki_kaku 堀切を下りた南側の郭跡

64_higasi_demaru_dorui 東出郭土塁

66_karabori_1 空堀

2008年8月20日 (水)

天正寺城跡(神戸市北区)

神戸市北区淡河町本町にあって淡河城跡からは山陽自動車道を隔てたほぼ真北の山の山上に位置する城跡、有馬氏の居城と伝わるが三木合戦においての秀吉側の淡河城に対しての向城と聞く。

城跡へは淡河城跡の見える県道38号淡河本町交差点を西に過ぎた後144号を北に進行し道に任せて自動車道の高架下まで走る、潜るとすぐ右折(東側)した池のある場所から東に聳える山が城跡になる。池の東端道路沿いにコンクリの石段があるのでこれを登り北にそのまま山道を向かうとゴルフ場の池まで到達出来る、その手前(堀切)を東に向いて登ると社殿の建つ主郭まで20分程度で辿り着ける。

10月の訪問であるが藪化も相当進行中で主郭周りだけでも確認出来ればと思い多少の藪漕ぎ覚悟で臨む、社殿の建つ主郭の一部だけが整備されていたが他はどの郭跡も雑木に覆い尽くされている状態である、何とか木々の間を縫って移動は出来るので二重堀切、土橋、空堀(溜め井戸か)遺構の判別確認はすることが出来たが、動き回れて視認できる範囲が限られる現状ではここまで確認するのが精一杯であった。真冬の訪城ともなれば少しは確認も容易になるかも知れないが、、、

1z 登城ルート

3te2 城跡概念図

4 南より城跡遠望

9_dorui_koguti 西側の土塁虎口?

25_mizunote_ato_1 空堀(溜め井戸か)

31_horikiri_dobasi 主郭西下段の土塁虎口及び堀切土橋

35_gedan1_1 主郭西側の切岸

38_shukaku_atago_yasiro 主郭

26_ooiwa_horikiri_1 主郭北の堀切

2008年8月18日 (月)

三草山城(兵庫県加東市)

兵庫県加東市社町上三草にあって播磨地方では山城としてよりも登山としてハイカーの多く訪れる標高424mの山である、この三草山の山上から東側尾根一帯が城跡である。意外に山城見学として訪れる者は少なく登山道を少し外れた辺りの雑木藪の中には相当数の遺構が眠っており随所に残る切岸、石垣跡は感動ものである。

この山は古くは12世紀頃の源平古戦場として歴史にも登場、その後南北朝期において赤松氏がこの地に山城を築き居城とした模様。その後の詳細は不明

3 3_1

城跡概念図

城跡へは登山遊歩道として幾つかルートがあるが車で訪れて分かり易く、登る距離も短く尚且つ尾根上の郭跡を確認しながら山上まで登れる畑地区にある口池からのスタートがベストだと思われる、山上主郭まで辿り着くには40分は要するがその間は尾根上の郭跡石垣跡、土塁跡、郭切岸といった数多くの遺構を判別確認しながら移動出来るので全く苦にならない。特に主郭より手前南側に展開される南郭群は現状相当な雑木藪であるが石垣跡、郭切岸、埋もれた空堀跡、段郭跡と遺構も豊富にそろっているので絶対に見逃してはならない。状態は悪いが残存度は高く判別確認は可能であり、この雑木藪一帯が山上よりも遥かに赤松時代の遺構が手付かずのまま残存しているのだ。石垣跡は主郭外壁にも窺う事が出来るが藪の中を探せばまだ多くの遺構が眠っていると思われる。

15_minamikaku_heki_isi 南郭壁石垣跡

17_koguti_dorui 南郭土塁虎口

27_minami_kaku 南郭

32_shukaku_e 主郭切岸

33_shukaku_heki_isi_1_2

主郭壁の石垣跡

38_shukaku_nai_1mai_iwa

主郭

35_yaguradai_isidan 主郭櫓台(最高所)

山上は素晴らしい眺望で、ゆっくりくつろぐ事も出来、今までの疲れも癒され都会の喧騒も忘れさせてくれる空間となっている。訪問するまでは登山目的の山の印象が強く、山城としては大して期待も寄せていなかったのだが、訪れて見るとここは予想を遥かに上回るしかも石積みを得意とする赤松氏の山城跡であった。

2008年8月17日 (日)

十倉城跡(兵庫県三田市)

兵庫県三田市十倉にあって集落の東側長慶寺より更に東側に聳える山の山頂が城跡、寺院南東側には居館跡地も残存している。森本氏の居城と伝わるが詳細は不明。

城跡へは国道176号から北上する場合三田より県道37号に入り道任せで十倉集落に入る、集落に入れば37号より東側に位置する長慶寺を目指せば寺院までは到達出来る。寺院からは大船山に向かう登山道が東南に向いてあるので途中まで利用し北へ取り付き直登するが、かなり険しい斜面でもあり下山に使用した寺院から真東にそのまま取り付いて登るルートの方が登り易いかも知れない。どちらにしてもある程度の藪漕ぎは必要になるが20分程度で山頂までは辿り着く事が出来る。

寺院前より5_1 城跡遠望

1z 登城ルート

3dx 城跡概念図

現状三月と言う事もあってかある程度城跡内の見通しも良く、規模も小さいので落葉を踏みしめながら容易に縄張り全体像は把握する事が出来た。山城特有の自然岩を取り込み郭壁と成しており一部人為的な石列も認められ、正に規模は小さいが要害と呼ぶに相応しい雰囲気を醸し出している。険峻さと小規模が故に土塁などは見受けられず櫓台の様な土塁の高まりが見受けられた程度で、麓の館跡とセットになった詰の城あるいは物見の機能を持たされた山城と解釈して良さそうである。縄張り妙味は全く無いが個人的には好きなタイプに入る砦規模の山城である。

12_nisi_yori_gedan2_3 西側の段郭

14_nisi_gedan1heki_iwa 自然岩壁

20_yaguradai_isi 主郭櫓台

21_yagura_yori_nisi 主郭より西郭

23_higasi_hasi_sekiretu_1 主郭東端石列

麓には居館跡と伝わる広い郭跡が数段形成されており数箇所に古い石積み跡を見て取る事が出来る、郭内には幅を持つ空堀跡を確認出来たがこれは後世のものかも知れない、、判別は難しい。

30_yakata_ato 麓の館跡

35_kaku_nai_dan 館跡地

33_iyakata_isizumi_1 郭壁石垣跡

37_isi_horiato 空堀跡か

2008年8月12日 (火)

福地城跡(兵庫県西脇市)

兵庫県西脇市黒田庄町福地にある城跡

予備知識のないまま訪れる結果となった今回の城跡であるが訪問紹介するにあたって少しややこしい事になった。

本来は蟲生城(福地城とも呼ばれる)を場所の確認もせぬまま訪れたのであるが、場所が分からず御霊神社周辺を徘徊していたら、偶然ではあるが測量に携わっておられた市役所の方に出くわした。これは良い機会と思い城跡の情報を求めたら、話は長くなるので結論から言うと「山上と麓側に二城存在し、山上郭は蟲生、現在の地であるここは暫定ではあるが福地城と呼ばせてもらっている、こちらは秀吉の中国制覇中に影響を受けた後世の城跡」と言う見解であった。今もまだ調査中であると言うことは近いうちに歴史も少しは解明され、城跡としての全貌も明らかになるのではないかと期待が持たされる。

徘徊中の城跡は便宜上福地城と呼ぶがこの城跡は確かに秀吉の影響を受けており巨大な土塁虎口、それに伴う空堀などは間違いなく織豊系のものと見受けられ主要四郭から構成される相当な規模の城跡である。特に見所は幅を持たせた空堀で広大な西郭との境に設けられており今でも少し水を湛えている、東端にある主郭には櫓台と思われる土塁も残存しており、その背後は堀切で絶たれている。天然の堀として機能している川には空堀も落ち込んで来ており縄張りプランも多少ではあるが見えてくる。現状測量調査の為部分的には木々も伐採されているが三月と言えどもほぼ全域が雑木に覆われている、落葉している為見通しはある程度きくが夏場の訪城はきびしいと思われる。

1z 登城ルート

3musio3 城跡概念図

30_shukaku_1 主郭

28_higasi_daihorikiri_1 主郭東堀切

34_naka_kaku_daidorui 大土塁虎口見所

36_mizu_bori_1 空堀(本来は水堀か)見所

32_nisikaku_koguti_2 西郭登り土塁虎口と空堀見所

思わぬ事で歴史にも登場してこない、素性もはっきりしない城跡を見学する事になったがまだまだこの様な城跡があると思えばこれからの山城訪問にも期待が膨らむと言うものである。これから臨む蟲生城跡はこの城跡を見学した跡なので少し霞んで見えるかもしれない。

7_karabori_ka_2蟲生城 南山裾の空堀

12_demaru_gedan 西出郭

19_shukaku_e_koguti_horikiri_1 埋もれた堀切

21_shukaku_koguti 主郭切岸と虎口

22_shukaku_nai_1 蟲生城主郭

蟲生城跡は福地城跡の北側に聳える山の山上にありほぼ二郭で構成されるもので東が主郭群で規模は大きいものであるが現状相当藪化が進行中である。西は現在稲荷社となっているが郭跡を転用したもので出郭の機能を備えていたと見受けられる。ちなみに城主は豊臣傘下に入ったと聞いたが、この古い形態の山城を捨て福地城は豊臣主導の下に新しく築かれた城跡なのかも知れない。

内神城跡(兵庫県三田市)

兵庫県三田市中内神にあって720号上内神交差点の真北にある尾根先端部が城跡、城史に関しての詳細は不明。

城跡へは上内神交差点より数m東へ移動した辺りの作業場か倉庫の間の細い道を北に向いて上る、行き止まり地点から畦道を左手側に進めばすぐ進入できる。

4_enbou_1 交差点から遠望

1route_3 登城ルート

5_tozandou 進入路

3_2 城跡概念図

現状城跡は九月と言う事もあってか凄まじいばかりの竹林雑木藪になっており視認も移動も困難を極める状況である、おまけに長年の堆積物による地形変化も凄まじく郭境である切岸も曖昧になっており形状も掴み難い状態である。それでも竹林の隙間木々の隙間を縫って内部に進入すると西側に二重空堀、それに伴う二重土塁ははっきり目に入る。空堀は主郭前面南側を除きほぼ一周しており城跡の中にあっては唯一の見になっている。主郭は方形状になっており南側に土塁跡が残存しており背後はもちろん空堀で断たれている。ほぼ自然と一体化の道を歩んでいる城跡であるがこの二重空堀、土塁はこの地域ではあまり眼にする事が出来ない遺構であり、真冬を狙って訪れると案外ましな状態を観賞する事が出来るのではないだろうか。

二重空堀は一見の価値あり! それにしてもこれだけの醍醐味のある遺構が自然に還っていくとはもったいない事である。

15 郭内

16_daidorui_koguti_1 西側大土塁虎口跡

19_karabori_dorui 空堀土塁

28_shukaku_heki

主郭切岸

2008年8月 6日 (水)

寺前城跡(兵庫県神崎郡)

兵庫県神崎郡大河内町寺前にあってJR寺前駅より北西側に聳える一際高い山の手前南側尾根上420m辺りが城跡

城跡は嘉吉の乱で有名な赤松円心が家臣である本郷伊豆守の在城を伝えるがそれ以降の詳細は不明。後で判明した事であるが本郷氏は円心の孫が名乗った姓らしい

城跡へは寺前駅より北西に位置する最明寺を目指せば分かり易い、寺に到着後は背後から参道らしき山道があるのでそれを利用して登る。何しろ麓からでは比高が200m以上ある山なので相当な斜面と高さも覚悟しなければならない、道に任せて進むと中腹辺りに凄い石垣跡のある場所が少し道をそれた場所にあったので立ち寄ってみた。これこそ見る人が見れば凄い遺構なのではないだろうか、恐らく神社跡とも見受けられるが相当古そうな石垣跡である。先は長いので長居はせずに登って行くが段々道らしきものも踏み跡程度になるがやっとの事で南端の郭跡に辿り着いた。途中寄り道をしているのでどれだけの時間を要したか分からないがストレートに登っても40分前後はかかったのではないかと思われる。1route_2

登城ルート

城跡は現状(八月)夏真っ盛りではあるが意外に藪化はしておらず下草が生え放題の中案外見通しは良く遺構の判別確認は容易であった、特別縄張り妙味は無く直線的に郭を重ね堀切で郭間を断つシンプルな縄張りである。城跡は一本の堀切を境に口の城と奥の城に分かれているが当時はその様に呼ばれていたのであろう、高所にあるが故に技巧さは望めないが主郭櫓台壁に残る石垣跡とその背後の堀切は唯一の見所である。

2zz 城跡概念図

4_kuti_no_kaku 口ノ城

4horikiri 堀切

5_oku_no_kaku 奥の城

6_fukukaku 主郭切岸

8shukaku_isigaki8_shukaku_haigo_isi 

主郭背後の石垣跡見所

7_dorui_isi 主郭北の堀切、土塁見所

11_kaku1 北郭

別にこれと言って特徴のある城跡ではないが420mの高所に築かれ、尚且つこれだけの要衝にあることで妙に実物以上に凄く見えてくるから不思議なものである。やはり山城好きな人間にとっては高所に存在するだけでロマンを感じてしまうものなのかも知れないし、個人的にも苦労して登った山は規模の大小に拘らず思い入れが入ってしまうものなのかも分からない。

2008年8月 5日 (火)

桑原城(兵庫県三田市)

兵庫県三田市桑原にあって三田駅からは一キロ程度東に位置する低い台形状の山の山上部全域が城跡

城跡の歴史は古く南北朝期において赤松氏の築城によるもので別名大浪山城とも言う。その後室町期において桑原氏の在城を伝えるが詳細は不明、ただ訪問して感じる事は石垣跡、土塁の横矢構造などから窺われる様にかなり先進性に富んでおり時代と共に少しずつ改修を受けてきた城跡の様に見受けられる。ただ石垣を多用とする赤松氏の城跡だけに石垣跡はその時代に築かれたものかも知れない。1route2

城跡は桑原集落の北側に位置しており感神社を目指しそのまま背後から登ると広いグラウンド場に到達する(他にも道はあるが車は途中から通行止めになっているので敢えて分かり易いこちらを推薦する)、その北側の山の山上部が城跡である。本来はこのグラウンド場もかつての郭跡を転用造成したものに見えなくも無いがその背後を登るとすぐ郭跡となる。4 3z

城跡概念図

見逃してはならないのが南郭跡に辿り着く手前の虎口跡と見受けられる箇所に笹藪の中から見え隠れする石垣跡で、幅は5m程度のものが残存している。三田周辺では珍しい石垣遺構であるがこれは土塁跡にも随所に石垣痕として目に留まるものなので注意深く探索する事が必要である。縄張りとしては広い山上をほぼ四区画に仕切り郭間は堀切(空堀)及び土塁で断ち、郭それぞれに独立性を持たせた構造となっている。その高さのある仕切り土塁は空堀も伴い横矢も備わっているものでここに城跡の先進性も充分窺う事が出来る。規模の大きい主郭には少し変形ではあるが高さのある櫓台も備わり城跡の迫力に色を添えている。現状訪問したのが三月という事も手伝って藪化はしているが樹木が枯れて少し見通しも良く、登ってきた笹藪地の南側を除いてはほぼ遺構の判別確認は出来る状態である。お陰で残存度抜群の遺構群はほぼ確認出来この山城の素晴らしさも同時に堪能する事が出来、この地域にもまだこの様な素晴らしい城跡が残っている事も再認識させられた結果となった。11_isigaki_1 11_isigaki

石垣跡見所

15_daihorikiri_2主郭南の大堀切見所

20_shukaku_minami_ygura_1 主郭南櫓台

37_naka_kaku 中の郭

27_nakakaku_sikiri_dorui_1

中の郭仕切り土塁、空堀見所

28_sikiri_karabori 北郭側仕切り土塁、空堀

46_kitakaku_yori_sikiri_dorui_2 北郭

訪問時期は冬季がベストであるが夏季(6月~9月)さえ外せば何とか全貌は摑める状態にあると判断する。

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