兵庫(三田~播磨地方)の山城

2014年8月11日 (月)

川原砦跡(兵庫県三田市)

城跡は兵庫県三田市川原にあって、「高平ふるさと交流センター」の東側に聳える、標高約330mの低山山頂に位置しており、その南麓には「観福寺」が建立されている。城史に関しての詳細は不明であるが、山頂案内説明板には観福寺が十倉城主森本氏と縁のある寺院という事で、その勢力が築いた山城と推察されている。

城跡を訪れるには県道37号線に進入して「観福寺」あるいは「高原ふるさと交流センター」を目印として目指せば良いが、ルート図中には交流センターに車を預けた後の登城経路を示した。スタート地点には道標も掲げられており、歩き易い遊歩道で迷わず山頂までは辿り着ける筈である。ちなみに15分程度の所要時間 

1route登城ルート

2_1交流センター案内板

3k_2城跡概念図

 

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、山上郭群の総全長は60m前後の、正しく砦規模の山城である。ただ中腹に位置する便宜上の西出郭も含めれば、それなりの山城という事にはなるが、、、現状当時の遺構として判別可能なものは、郭跡を除けば主郭北東尾根側に設けられた土塁(痕跡程度)及びその切岸、更に北東に下った削平地端に見止められた、堀切の痕跡(縦堀痕がある)程度と思って頂いても良いかも知れない。主郭には現在展望デッキが設けられており、僅かに中央がマウンド地形となっているが、どの程度地形改変があったものかは想像もし難く、郭側壁(斜面側)には切岸跡も見受けられなかったので、その祖形に関しては議論にも及ばないだろう。推察西出郭は山上郭群より規模では勝るが、金比羅祠が祭られている事による造成整地跡が窺え、当時の縄張りや規模は見学者の想像に全て委ねられるだろう、、、

10_konpira_2推察西出郭(金比羅祠)

17_shukaku_top_214_shukuruwa 主郭

15山頂案内説明板

21hasi_dorui_kon主郭端土塁痕

22_dorui_heki切岸

 

25_heki_2北東削平地

28縦堀痕

現状(四月訪問)城跡は、山城としては非常に見学し易いコンディションの下にあるが、遺構見学を目的とすれば味気なさは否めないものであり、これを機に訪れる用意のある山城ファンの方には、自然と触れ合いながら山登りを楽しむ事を前提として、是非割り切って臨んで頂きたいと思うのである。ただ山頂から集落を望む展望(酒井砦や北砦などが望める)だけは、当時に思いを馳せるには持って来いといった値打ちのあるものであり、楚々とした山城の風情も味わえる事から、それなりに期待して臨んで頂いても良いのではないだろうか、、、史跡ファンの方や、手軽な山登りを好まれる方には是非お薦め!

2014年8月 3日 (日)

二連の堀切が存在感を醸す 上槻瀬砦跡(兵庫県三田市)

城跡は兵庫県三田市上槻瀬にあって、集落西側に聳えるほぼ独立した山塊の山頂に位置しており、その中腹には妙見社がある。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには先にリポート掲載を終えた酒井砦と同様に37号線に進入する事が先決となるが、ルート図に記した「上槻瀬バス停」を目印として向かえばよいだろう。そこからはルート図中の赤ラインを辿って頂ければ良いが、山麓には「妙見山から砦跡」といった案内道標も備わっているので、妙見山を経由して上れば、迷わず主郭までは辿り着けるだろう。ちなみに所要時間は15分程度

1route_3登城ルート

登城4進入経路

3_2_2城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないと思うが、山上本郭群の規模は小さく、痩せ尾根上に郭を並べただけ砦跡の名に相応しい山城である。ただ比較的規模の大きい妙見山敷地を妙見郭(推察)として見立てれば、それなりの山城とは言えるが、、、見所遺構として挙げられるのは、本郭群の両端に施された堀切という事になろうが、主郭背後に施された二連の堀切は縦堀を伴うものであり、充分見応えも感じられよう。前面の堀切は縦堀の痕跡程度と思って頂ければ良いかも、、、切岸跡は堀切壁で見応えのあるものを拝む事が出来るが、郭区画は段差程度である事からして、その見応えには期待しない方が良いだろう。

8妙見山

15_4_1案内板のある山上郭4

184郭4背後の空堀地形?

20_2中郭

22主郭の現状

28_1西堀切1見所

30_4西端堀切2見所

 

現状(四月訪問)城跡は、妙見山から砦跡までは道標の設置されたトレッキングルートとなっており、山上本郭群の一部に縄張りを描いた案内板が設けられていた様に、山城ファンを問わず史跡ファンの方にとっても非常に訪れ易い状況にある。自ずと縄張りも掴み易いが、斜面上も含めて地表風化は激しく、縄張り内全てが良いコンディションの下にあるとは言えないので、過度な期待は禁物!城跡を個人的に評価するのであれば、天然露岩を郭壁として縄張りに取り込んだ様は正しく山城のそれであり、規模は小さいが縄張りを形成する定番とも言える堀切が拝める事、更に散策気分で迷わず上れる事も含めれば、充分お薦め出来る山城といった事にはなろうか。楚々とした佇まいが素晴らしい!

2014年7月30日 (水)

楚々とした佇まいが値打ち!酒井北砦跡(兵庫県三田市)

城跡は兵庫県三田市酒井にあって、先にリポート掲載を終えた酒井砦から見れば、集落を挟んだ北側にあり、集落に向いて突き出した丘陵尾根先端に位置している。そしてその直ぐ西麓には友松寺が建立されている。城史に関しての詳細は不明であるが、酒井砦同様に十倉城を居城とした、森本氏配下にあった砦ネットワークの一つと見るのが妥当なところかも知れない、、

城跡を訪れるには、先に触れた酒井砦を起点とすれば一目瞭然の位置にあるが、友松寺を目印として目指せばよい。最短直登ルート取り付き口は概念図と画像を参考にして頂きたいが、駐車場入り口の向かい側(丸木橋を渡っても可)で、水の枯れた小さな沢を跨げば、目指す尾根上は直ぐ覗ける位置にあり、そのまま堀切の施された尾根上(右手)を目指せば、5分内で堀切までは辿り着ける筈である。主郭に祠が祭られてある事から、寺院とは別に参拝山道があった様には窺われたが、、、

1route_2登城ルート


6最短ルート進入口

3_2城跡概念図

 

城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、砦の名に相応しい小規模な山城で、主郭両端に付郭を付随させた程度の、堀切の備わる定番の縄張りと思って頂いても良いだろう。ただし、堀切より以北の広い山上削平地とその北端に位置する片堀切地形(西側から山道が繋がる縦堀の痕跡あり)までを縄張りとすれば、それなりの規模を持った山城と言えるが、、、見所遺構と呼べるものは概念図に示したつもりだが、主郭で眼にすることの出来る土塁(一部消失か?)、更にその背後に施された両端が縦堀に繋がる堀切、主郭周囲を削り落とした切岸、といった事になるだろう。

9_horikiri_1堀切 見所

10_tatebori縦堀見所

13_shuaku主郭の現状

16_minami_shukakuheki南郭と主郭切岸

20_shukaku_nisiheki_2主郭西切岸

22_hokutan_katahori_2北端片堀切?見所

現状(四月訪問)城跡は、主郭転用地に祠が祭られている事もあって、造成整地された跡は充分窺えるが、その祖形に関しては当時のままが自然維持されているものと自分の眼には映った。よって堀切も含めた遺構残存度は非常に高いものであり、山城とすればそれなりに見学し易いコンディションにある事、駐車場からは数分の距離にある圧倒的お手軽感、更にその佇まいの素晴らしさ(個人的な趣向が入る)も含めれば、充分お薦め出来る山城の一つ、と言えるのではないだろうか。

2014年7月26日 (土)

酒井砦跡(兵庫県三田市)

城跡は兵庫県三田市酒井にあって、国指定文化財となっている高売布(タカメフ)神社から見れば、北西側のほぼ独立した低山山頂に位置している。城史に関しての詳細はは不明であるが、森本氏が居城とした十倉城がほど近い距離にある事を思えば、その南側を牽制した砦跡と解釈するのが妥当なところかも、、、

城跡を訪れるには37号線に進入する事が先決となるが、先に触れた高売布神社を目印として目指せば、今回車を預ける事になる駐車場までは迷わず辿り着けるだろう。そこからはルート図に示した赤ラインを辿って頂けばよいが、集合墓地まで到着すれば、その背後から前の開けた植林地を山頂目指して上ればよい。ちなみに墓地からの所要時間は10分内

1route登城ルート


3s城跡概念図

 

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないと思うが、主郭に帯郭が付随した小規模極まりないものであり、郭総全長は30mにも満たない、正しく砦跡と呼ぶに相応しいものである。自ずと眼に留まる遺構も限られており、郭跡を除けばその側壁となる切岸、主郭背後斜面を断つ堀切だけに限られてくるのが現状である。堀切には現状土橋も備わるが、これは山林作業用に近世施されたものと見るのが妥当なところかも知れない、、、

13_kaku東帯郭

14_shukaku_heki主郭切岸

16_shukaku_2主郭

20_horikiri_dobasi堀切

現状(四月訪問)城跡は、無名に近い砦跡としては非常に見学し易い状況にあるが、遺構見学とするには材料も乏しく、見応えにも期待し難い事から、今回のリポートに興味を持たれた播磨を拠点として城跡巡りをされている、山城ファンの方だけを対象として、規模や縄張り妙味は絶対問わない事を前提にお薦めしたい。この後リポート掲載予定の酒井北砦、あるいは上槻瀬砦などと併せた同日訪問は充分お薦め出来るが、、、

2012年3月13日 (火)

大蔵山城跡(兵庫県神戸市)

城跡は兵庫県神戸市北区八多町附物にあって、標高453mの「大蔵山」山頂に位置しており、国土地理院地図にも記されているので、その位置は確認し易いとは思われる。入山口でもある「ビクニ池」の畔に掲げられてあった、案内板の中に「奥蔵寺」が登場する事から考えれば、文献資料による違いはあるが「奥蔵寺砦」と呼ばれているものが、この大蔵山城にあたるもの考えられる(当て字の違いはあるが、どちらもオーゾウと読める)。城史に関しては僅かではあるが、当時三木城を居城としてこの一帯まで絶大な勢力を誇った、別所氏一族が「奥蔵寺」を利用して立て籠もった砦跡と伝わっており、秀吉による焼き討ちで落城した歴史が伝えられている。

1route 登城ルート

7_ike 8_nyuuzanguti_1 入山口

3 城跡概念図

城跡を訪れるには当然地図にある「大蔵山」を目指せば良いのだが、県道38号の「深谷」三叉路で針路変更して、南下した場所にあるのが附物集落で、民家の途切れる南最奥にある「六甲八多霊園」を目印として目指せば分かり易いだろう。そこの駐車場を利用させて頂く事になるが、そこから更に林道で前述のビクニ池まで歩き、ルート図に示した(画像に注目)林道沿いからも窺える沢筋に見える山道を登れば、踏み跡程度ではあるが、山頂までは山道が繋がっているので、迷わず辿り着けるとは思われる。ちなみに霊園から山頂までは20分内と思って頂ければ良いだろう。

10_sanjyou_kaku 山上主郭の現状(一部)

10_sanjyou_kaku_3 三角点

14_kirikisi_ato 北小郭の切岸跡

15_kita_kaku 北郭群

現状(二月)城跡の位置する山上には三角点がある事から、僅かにハイカーは訪れても、ここを山城跡として認識した上で訪れる方は皆無に近いものとも感じられた。踏み跡程度の登山道が通過している事から、幸い移動に難渋するまでには至っていないが、郭内の藪化は相当深刻化した状態にあり、山上主郭の周囲は全て木々で覆い尽くされている状況となっている。その中で唯一段差程度の切岸跡は窺う事が可能となっているが、堀切あるいは土塁などの判別し易い遺構は一切目には留まらなかった、個人的にはこれだけに終わるものとは思えなかったので、期待を込めて更に南山上も踏破したが、ここより更に藪化は深刻化しており、とても見学可能な状況にはなかった。それでも藪漕ぎしながら山上における広い削平地だけは確認したが、それ以上のものに巡り合う事は叶わなかった。砦跡と伝わる城跡を少し過大評価し過ぎた嫌いはあるが、この山城に関しては、この程度の城跡として決め付けても差し支えはなさそうに思えたのである。現在の状況を踏まえれば、とてもお薦めとは言えないが、史跡巡りあるいはトレッキングを楽しむ程度とすれば、それでよいのかも知れない、、、

2012年2月28日 (火)

戸倉構跡(兵庫県姫路市)

城跡は兵庫県姫路市夢前町戸倉にあって、標高約220mの山上に位置しており、構居(居館あるいは館城)と名は付くが、実際には比高約100mの山上が城跡となっているので、城跡を分類する上では、山城と呼んでも差し支えないものとは思われる。現在山上郭跡の一角には、「アゾノ山正覚寺跡」の石碑が建っているが、この石碑が物語るように、当時においては安積氏の居城が伝わり、アゾノ構居とも呼ばれている。この郭跡地には、後世において「正覚寺」が建立されていたものと察せられるが、この寺院は現在城跡の北麓に移転している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、411号線に進入する事が先決となるが、直登取り付き口とした「正覚寺」を目印として目指せば、迷わず辿り着けよう。寺院(無住か?)駐車場に車は預ける事になるが、寺院南側の尾根先端部に取り付いて、そのまま尾根伝いに上れば、木々の隙間を縫う箇所も多々あるが、藪漕ぎもなく10分前後で山上郭までは辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

14_kirikisi_1 切岸跡

6 広大な山上郭の一部

10_azonoyama_1 山上郭

10_azonoyama 石碑

現状(2月)城跡は、冬枯れしているにも拘らず、山上郭には多くの常緑樹が蔓延っているが、それなりに見通しは利く状況にあるので、郭跡に佇めば臨場感だけは充分味わえるだろう。この広大な規模を誇るかつての郭跡地には、最初から期待はしていなかったが、土塁も空堀も施されてはおらず、西側を区画する郭で唯一切岸跡(画像に注目)が窺えるものであり、遺構の見応えを期待して臨めば、間違いなく期待はずれに終わる城跡と自分の眼には映った。播磨地方で窺われる多くの構跡は、郭跡がほぼ削平だけに終わった大味なものが多く、この城跡もその中の一つと言う事にはなるが、その多くが部分的に消失したり、消滅している事を思えば、当時の祖形がほぼ維持(推察)されている分、見学する値打ちは多少でもあるかも知れない、、、

これを機に訪れる用意のある方は、絶対に遺構の見応えを期待して訪れてはいけない。かつての構居跡の佇まいを感じる程度といった、割り切った訪問が必要かと思われるのである。尚、地元で城跡を尋ねた際に、ルート図に示した戸倉構の南側付近にも構跡がある事を聞くに及んだが、こちらが山上を詰城とした際の、平常時における屋敷跡かも知れない、、、謎。遠くから覗いた限り、ほぼ畑地の様相でもあり、近世において相当な地形改変の跡が窺われた事もあって、結果的には覗くまでには至らなかったが、興味のある方が覗く分には、決して無駄足には終わらないかも知れない、、、

2012年2月22日 (水)

淡河城付城群(兵庫県神戸市)

城跡は神戸市北区淡河町淡河にあって、秀吉の播磨攻略においては、最後まで抵抗を試みた淡河氏の居城、「淡河城」に対しての付城(陣城)として伝わっており、その東西南北に築かれた付城の中、南側丘陵上に位置するものである。現在城跡の位置する広大な台地は、近年における造成農地として相当な地形改変を受け、当時の面影は僅かしか残っていないものと察せられたが、今回はルート図中に示した、明瞭な土塁跡や空堀跡の残る二城(便宜上付城A、Bとした)のリポートという事になる。もちろんこの広大な台地上のほぼ全てが付城としての城域だと思われるので、当時の縄張りは全て見学者の想像に委ねられるが、、、

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた淡河城を起点とすれば一目瞭然の位置にある事から、今回は城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、県道38号沿いにある郵便局西側の交差点から南下して城跡を目指しても良いし、淡河城見学ついでにそのまま城跡を目指しても良いだろう。

1route 登城ルート

3 城跡概念図

便宜上付城Aとしたものは、置き去りにされたコンテナ傍を通過して、そのまま藪化の深刻化した郭跡に進入すれば良いが、概念図に示した付近では豪快な縦堀、大土塁の付随する堀(横堀に近い)、土塁虎口地形?、最上部の郭に向いて立ち上がる豪快な切岸などを眼にする事が出来る筈である。ただ周辺全てに言える事であるが、長年の堆積物による地表風化は相当激しく、郭跡とするには地形は全て曖昧と化しているので、郭構成及びその縄張りは、全て見学者の想像に委ねられるのが現実でもある。

10 進入経路

11_kaku_nisihasi 郭跡

16_heki 高低差を誇る切岸見所

12_daikarabori_1 大空堀(縦堀)見所

15_nisi_karabori_dorui_2 空堀と大土塁見所

付城Bは更に奥の貯水池脇に位置しているが、その郭内部では明瞭な土塁跡、食い違い虎地形、僅かな空堀の痕跡までは充分窺える筈である。ただ残念な事に郭内部は、近年における配水溝が備わっている為、空堀(横堀)は一部痕跡を残す程度、土塁は東西共に貯水池や、造成された山道によって削り取られた形となっており、内部における横矢構造に見えなくもない土塁跡(整地後の残土の可能性もあり)や、付随する空堀地形に至っては、画像でお分かり頂ける様に、蔓延る矢竹によって非常に判別確認し辛い状況にあると思って頂きたい。

4 進入経路

9_kaku 郭内部

7_dorui 7_dorui_1 土塁跡見所

8_karaboriato 空堀の痕跡

城跡を個人的に評価するのであれば、二城共に間違いなく遺構残存度の低い城跡ということにはなろうが、空堀と土塁だけでも充分見学する値打ちのある城跡と眼に映った事、二城同日訪問とした上での効率の良さ、それに圧倒的お手軽感まで加味すれば、淡河城周辺に築かれた付城に興味のある方には、充分お薦めは出来るだろう。ただし状態は問わない事が前提、、、、

2012年2月 7日 (火)

尾上城跡(兵庫県神戸市)

城跡は兵庫県神戸市北区淡河町神田にあって、標高約270m(比高30m)の低山山頂に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには県道38号へ進入する事が先決となるが、道路沿いからも直ぐ目に留まる「好徳小学校」を目印として目指せば良いだろう。ルート図に示した針路変更する事になる交差点から北上する事になるが、山陽自動車道の高架下を潜れば、城跡が望める(鉄塔の建つ位置が北出郭に相当)目印となる石碑までは直ぐの距離にある。ただ進入経路に関しては、貯水池の畔に「立入り禁止」の表札が掲げられてあった事から、自身の口から「ここを通過して向かえば良い」などとは決して言えないので、ここから城跡まで向かう進入経路は、概念図を参考にした上で、訪れた方の良識ある判断にお任せしたい。ちなみに主郭までは10分内で到達出来た事だけはお伝えして置きたいが、、、

1route 登城ルート

3_1 城跡概念図

現状(1月)城跡は、北出郭に鉄塔がある為、あるいは主郭と推察された郭跡に祠があるせいなのかも知れないが、山上本郭群までは山道を利用すれば見学し易く、木々も少ないので見通しも利き、非常に見て回りやすい状況下にある。概念図に示したまでが自身が踏破した範囲、あるいはその中で判別確認に及んだ遺構と思って頂ければ良いが、古い形態の山城とあって、目に留まる遺構も限られてくるのが現実である。長年の風化によるものか、主郭周りの郭群の切岸は甘く、僅かな段差は見止められるが、非常に曖昧な地形(緩い傾斜面)と化している。防備機能としての空堀は西斜面に唯一施されているが、堆積物によって明瞭なものではなく、付随する縦堀で何とか判別確認する事が可能と思って頂ければ良いだろう。明瞭な切岸跡は東段郭群で拝めるが、高低差のあるものではないので、切岸の醍醐味には余り触れる事が出来ないのが現状である。

14_kitakaku_e 鞍部削平地

15_kitakaku 北郭

18_shukaku_2 主郭

20_higasikaku 東郭群

25_nisi_karaboriato 西空堀見所

26_tatebori 縦堀見所

個人的に城跡を評価すれば、縄張りプランも含めて残存遺構に見応えまでは望めないが、見学し易い状態の良さ、限りなく無名に近いが、当時の祖形が維持された山城としての値打ち、更にお手軽感も加味すれば、淡河地区における山城巡りの一環とすれば、何とか訪れる理由も生まれてくるのではないだろうか、、、

2012年1月30日 (月)

南僧尾城跡(兵庫県神戸市)

城跡は神戸市北区淡河町南僧尾にあって、先にリポート掲載を終えた僧尾(北僧尾)城と同様に低丘陵上にあるが、距離はそれなりに離れている。僧尾地区で城跡の所在地を尋ねるに及んでは、誰一人として城跡の認識はなく、個人的には所在位置の確認に手間取り、効率の良い同日訪問とはならなかったが、その苦労話はさて置き、何とか所在位置を着き止める事には至れた。城史に関しての詳細は不明であるが、城跡の形態から察するに、淡河城に対しての付け城の様には見受けられなかった、、、

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた萩原城を起点とすれば分かり易いので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、県道38号へ進入する事が先決となる。城跡までの進入経路、あるいは城跡進入口はルート図及び概念図を参考にして頂きたいが、画像に示した道路沿いから上れば、直ぐにでも本郭群が迎えてくれる筈である。

1route 登城ルート

3_1 城跡概念図

現状(12月)城跡は、藪化の深刻化した醜い状態にあり、長年の堆積物などによる地表風化も相俟って、その地形から判別確認可能な当時の遺構も限られており、概念図に示したまでが、自身が踏破した範囲であり、その中で目に留まった遺構と思って頂ければ良いだろう。郭跡を除けば、西側の空堀跡(虎口も伴う)、土塁跡、切岸跡が、唯一この地を城跡として物語るものと言っても過言とは思えないが、山上郭群の北側は、近年の道路造成工事によって相当削り取られており、縄張りを含めた遺構は相当消失したものとも見受けられ、当時の縄張りはほぼ見学者の想像に委ねられよう、もちろんその規模も想像するしかないのだが、見る限り大型の城郭とはとても思えなかった、、、、

8_nansei_dankaku_1 西斜面の段郭群切岸見所

11_higasi_kaku_e 東郭

14_kaku_nai_1 本郭部(推察)

16_dorui_karabori_3 空堀、土塁跡見所

16_dorui_karabori 土塁虎口地形

21_karabori_tikei_2 溜池か(推察)?

城跡を個人的に評価するのであれば、道路沿いに面している事からも、圧倒的お手軽感はあるが、遺構残存度の低さ、及び状態の醜さを思えば、現存する空堀を一度覗いてみたいと思われた方、あるいはこの地域の山城に興味を持たれた方だけが、訪問の対象となる城跡と言った処になろうか、空堀は充分見応えは感じられたが、、、

2012年1月26日 (木)

東畑城跡(兵庫県神戸市)

城跡は兵庫県神戸市北区淡河町東畑にあって、先にリポート掲載を終えた北畑城とは、直ぐ東側へ隣接した丘陵上に位置しており、北畑城三ノ郭(社殿敷地)から山道に任せて東へ向かえば、自ずと辿り着ける計算にはなる。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、北畑城と同様の訪問ルートとなるので割愛させて頂くが、城跡への進入口は少し藪状に見える溜め池傍からで、概念図にも示した(画像に注目)ので直ぐお分かり頂けるだろう。そこから進入すれば、直ぐにでも土塁を伴う郭が迎えてくれる筈である。

1route 登城ルート

7enbou_2 進入経路

3 城跡概念図

この城跡の形態は、他に類を見ないほどユニークなものであり、小さな祠のある山上主郭までは、数百mに渡って分厚い高低差を誇る大土塁(痩せ尾根を利用した天然の土塁も含めて)が連続しており、屏風の様に北へ向いて長く連続する様は、非常に見応えを感じるものとなっている。この高低差を伴う移動も兼ねた大土塁は、南北に長い郭跡の東側へ立ち塞がる格好となっており、東側からの侵入は人馬も寄せ付けない鉄壁を誇る構造でもある。もちろんこの高土塁の内壁となる切岸は見事なものであり、見応えのある遺構の数少ない城跡にあっては、抜群の存在感を示すものとなっている。山上主郭では空堀の類は一切目に留まらなかったが、しっかりと削平された郭跡の西急斜面上には、幅の狭い帯郭が段状に連なっており、そこでは切岸跡も充分窺える筈である。

9_sinnyuuguti_gawa_dorui 進入口の土塁跡見所

13_kaku 郭跡

14_dorui_naiheki見事な土塁内壁見所

16_daidorui_yagura 土塁上の櫓台?

26_sanjyoukaku_hokutan 山上主郭

21_hokora_sita_dankaku 西段状帯郭

現状(12月)城跡は、祠のある山上主郭を除けば、藪化もそれなりに進行しており、大土塁西側の郭跡の全域が密生する竹薮に覆われている。自ずと郭移動は困難を極める状況にあるが、土塁上はまだましな状態にあるので、山上主郭までは容易に移動出来る状況にあると思って頂いても良いだろう。

城跡を個人的に評価すれば、形態のユニークさだけでも、充分訪れる値打ちのある城跡と思えたが、他で見応えのある遺構に遭遇する事も叶わず、北畑城と併せた効率の良い訪問プランであれば、ついでに足を運んでも決して無駄足には終わらない城跡と言ったところか、、、

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