兵庫(但馬地方)の山城

2014年8月 7日 (木)

縄張り変化に富んだ大型の山城 松尾寺城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市下宮にあって、標高130m地点に位置する山上本郭群を頂点として、南東側に枝尾根を延ばした尾根上も含み、その尾根に挟まれた谷状地形に規模の大きい郭を配した、非常に郭占有面積の大きい大型の山城である。城史に関しての詳細は不明であるが、規模やその様相から察すれば、城郭寺院と位置付け出来るのかも知れない、、

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた鎌田城を起点とすれば、その所在位置が分かり易い事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、「ナフコ」のある国道178号線からはルート図中に示した赤ラインを辿って頂きたい。登城入山口は鉄塔の聳える南側(画像に注目)で、鉄塔まではメンテナンス山道を利用して上り、そこから尾根に沿って北上を続ける事になるが、30分程度で迷わず山上本郭群へは辿り着ける筈である。ただし尾根上移動距離が長い事から、下山時迷わない為にも要所にマーキングは絶対必要!ただ大型虎口(推察)の設けられた東麓から、直接方形郭を目指して上る事も可能とは思えたが、、、

1_route登城ルート

3_2城跡概念図

 

城跡の形態は、自身が今回踏破した範囲と、眼に留まった遺構を記した概念図を参考にして頂きたいが、起伏に富んだ山容や、山上から中腹、更に東麓にかけての縄張りが、広域に渡り過ぎ(推察)という事もあって、その全ての尾根上を踏破する事は叶わなかった。よって山上本郭群あるいは居館跡とも呼べそうな方形郭以外の郭群に関しての形状や規模、あるいはその形態に関しては少し想像を膨らませて頂きたい。見所遺構は概念図中に記したつもりだが、本郭群背後に刻まれた二連の堀切や、中腹郭群(僧坊跡かも?)中にある方形郭における見応えのある高土塁、及びその背後に施された空堀(横堀)といった事になるだろう。当然尾根上における郭跡も含めて鋭角に削り落とされた切岸も挙げられるが、とにかく状態の良い方形郭周りの遺構は決して見逃してはならない!そこから更に東麓に向いて下りれば、大型の土塁で形成された虎口跡(推察)も窺えるので、時間に余裕のある方は、是非この辺までは足を延ばして頂きたい。

20_kaku_dorui_1中腹尾根郭奥の土塁見所

22_karabori中腹尾根空堀

24_kirigisi中腹尾根郭切岸見所

31_shukaku_heki山上主郭の切岸見所

32_horikiri_2北堀切見所

50_6方形郭の奥、高土塁 見所

50_1高土塁背後の空堀見所

50_13空堀背後

50東麓の推定虎口跡 見所

 

現状(四月訪問)城跡は、直登道中も含めて蔓延る木々は比較的少なく、山城としては文句の付けようのない、見学し易い状態が自然維持されている。ただし山上本郭群に関しては、築城時期が少し遡るのかもしれないが、中腹郭群と比べれば遥かに地表風化は激しく、多くの木々が蔓延り、郭跡も含めて段郭境や僅かに窺われる土塁虎口跡などは、非常に曖昧なものと思って頂きたい。縄張り内全てを踏破した訳ではないので、今回は城跡を個人的に評価するには少し抵抗があるが、上記に挙げた全ての見学材料、あるいは変化に富んだユニークな縄張りプラン、郭跡に佇んだ際の圧倒的臨場感、それに見学し易い状態の良さまで含めれば、自ずと「是非お薦めしたい山城の一つ!」という事にはなるだろう。

2014年7月22日 (火)

奥野東城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市奥野にあって、先にリポート掲載を終えた堀ノ内館の直ぐ東側に突き出した低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、機能及び規模から察すれば、堀ノ内館の詰め城と考えるのが妥当なところか、、、

城跡を訪れるには、堀ノ内館東端の溜め池前にある獣避けフェンスを開閉して、直ぐフェンス右手側(溜池左手側は堀ノ内館の土塁、空堀へ)の丘陵端に取り付いて上ればよい。そのまま丘陵上を目指せば、藪漕ぎなしで数分で主郭までは辿り着けよう。

1route2登城ルート

3ho城跡概念図

城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、北端堀切までの郭総全長は40mにも満たない砦規模の山城である。堀切は主郭及び北端尾根を遮る形で二本確認、切岸は主郭及び帯郭の境で充分確認出来るが、地表風化は激しく郭境となる切岸ラインまでは読み取る事が出来ないのが現状と思って頂ければ良いだろう。更に主郭跡も自然地形に近い凸凹状態となっており、僅かな地形の変化から郭区画を判断するのは非常に困難な状況でもある。見所遺構は二本の明瞭な堀切、及びその切岸だけと言っても決して過言とは思えないが、砦規模の山城にそう多くは望めないだろう。

8_sentan_kaku_2西端郭

12_shukaku_heki主郭

16_horikiri_2堀切1見所

20_hokutan_horikiri_4北端堀切 見所

堀ノ内館の直ぐ北背後の尾根先端部に築かれた山城(奥野西城)は、空堀を越えてそのまま丘陵上を目指せば直ぐにでも到達出来るが、ほぼ物見程度の砦跡と思って頂いても差し支えないだろう。自然地形に近い痩せ尾根上(20m前後)を山上主郭とし、その前面(縦堀)と背後に堀切を施したものであるが、見応えには少し欠けるかも、、

Photo西城縦堀見所

Photo_2西城山上郭

Photo_3西城堀切見所

現状(四月訪問)二城共に、山城としては郭移動も容易く、それなりに見学し易い状況にある。二城共に規模は小さく、見応えのある遺構は望めそうにないが、堀ノ内館の本質を究めたい山城ファンの方にとっては、三城同日訪問は充分お薦め出来るだろう。

2014年7月18日 (金)

空堀は一見の価値あり!堀ノ内館(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市奥野にあって、名が語る様に館城らしくほぼ平城に近いものである。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた市場城、あるいは三宅城訪問ルートと同様に、703号線に進入する事が先決となるが、奥野集落に入ればルート図における赤ラインを辿って頂きたい。目印となるのは無線施設のある高い鉄塔で、概念図に示した付近の畦道を利用して向かえば、直ぐにでも広大な規模を誇る居館跡地(推定地)らしき休耕地へは辿り着けよう。ただこの地が数百年に至る現在まで、農作地としてどこまで地形改変があったものか想像も付き難いが、自身の眼にはほぼ当時の祖形は失われず、現在までほぼ維持されているものと映ったのである。

1route2登城ルート

3城跡概念図

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、推定居館跡とした休耕地北側には、側溝を挟んで一段高い位置に幅50m前後の郭跡が未だ残っている。これはほぼ当時のままとも思えたが、その背後には土塁、更にその背後には比較的状態の良い空堀(本来は水堀かも)が、東側の溜池まで未だ僅かな水を湛えながら残っている。この空堀には唯一山上郭(奥野西城)に向かう為(推察)の土橋が架かるが、土塁開口部も含めて当時のものかどうかの正否の判定は非常に困難、、、尚、推定居館跡地の南端中央には張り出し部分があるが、集落を監視する為の見張り台程度のものがあったのではないだろうか、、、謎。

7_19推定居館跡地

13_shukaku_2北郭

17_dorui_karabori_1土塁及び空堀見所

18_karabori_1_2空堀見所

20_dobasi_3土塁開口部と土橋見所

25_kita_yori_karabori_2北側より空堀

現状(四月訪問)城跡は、遺構見学としても史跡見学としても、それなりに見学し易い状況にあると思って頂いても良いが、土塁及び空堀見学の為には、東溜池側にある獣避けフェンスを開閉(画像に注目)して、フェンス北背後に回り込む必要がある、念の為に、、、城跡を個人的に評価するのであれば、圧倒的お手軽感を加味せずとも、他では中々お目にかかれない状態の良い見応えのある空堀が拝める事を理由に、充分訪れる値打ちのある城跡と言った事になろうか、とにかく空堀は一見の価値ありと見た、素晴らしい!尚、山上郭(西城)の現況に関しては、次の奥野東城に同時掲載予定

2014年7月14日 (月)

城域の広い城郭寺院 千眼寺城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市加陽にあって、標高103m地点にある推察砦跡を頂点として、南尾根上一帯を城域とした城郭寺院と呼べるもので、現地案内縄張り図に記されている様に、城域は南北300m、東西300mにも及ぶものであり、尾根上を本郭群として東西麓まで郭が重なり合う様は、まるで要塞を感じさせるものでもある。

城跡を訪れるには、数年前既にリポート掲載を終えた加陽城を起点とすれば、その所在位置も分かり易い事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、スタート地点とする中山神社からは、散策コースが千眼寺城跡まで繋がっているので迷わず辿り着けよう。ここではルート図中に、造成された空き地奥にある入山フェンス(画像に注目)をスタート地点とした、最短直登ルートを示したが、古墳が多く点在する蔓延る木々の少ない傾斜面を10分程度上れば、北端最高所に位置する砦跡までは、迷わず辿り着ける筈である。

1_route_2登城ルート

Se2北山上郭概念図

11_nisi_karabori_3西空堀跡と主郭切岸見所

14_minami_heki_karabori南空堀跡と主郭切岸

12kita_horikiri北堀切見所

20_shukaku_maundo主郭内マウンド地形

城跡の形態は、現地縄張り図に描かれていなかった部分を、千眼寺城北山上郭跡として概念図に示したので参考にして頂きたいが、ここでは古墳を縄張りに取り込んで築かれた、古い形態の山城遺構を眼にする事が出来る筈である。ちなみに私見に基くものになるが、僅かに窺われる土塁の付随した空堀跡(横堀)、古墳を土塁郭として利用した土塁間における堀切跡、主郭周囲を鋭角に削り落とした切岸などがそれに当たる。この地から南に向いて少し足を延ばせば、直ぐに縄張り図の描かれた案内板のある千眼寺城跡本郭群に辿り着けるが、その尾根上では広大な規模を誇る郭群、及びそれに付随する大型の土塁、尾根中央を遮断する見応え抜群の大堀切などを眼にする事が出来よう。個人的には遠距離訪問となる為滞在時間も限られており、城域全てを踏破探索した訳ではないので、他の残存遺構に関しては評価することが出来ないのだが、縄張り図を見る限り、時間を割いてでも踏破探索する値打ちのある城跡と感じられた事だけは付け加えておきたい。

3_3現地縄張り図

30_2本郭群、土塁見所

32_2尾根上の郭群

34_3中央大堀切見所

33周囲を囲む土塁見所

現状(四月訪問)城跡はそれなりに整備が行き届いており、散策ルートで郭移動も容易く、蔓延る木々も意外に少なく、更に郭内の見通しも利き、遺構見学としては非常に楽しめる状況の下にあると思って頂いても良いだろう。ただし自身が踏破した北山上郭より尾根上本郭群のみに限られるが、、、城跡を個人的に評価するのであれば、豪快な城郭寺院の縄張りに触れる事が出来、更に高低差を誇る切岸の醍醐味に触れる事が出来、見応えのある空堀、土塁遺構が拝める事、トレッキング気分で迷わず城跡まで辿り着ける事、これだけの見学材料が揃えば、自ずと是非お薦め出来る城跡の一つ!といった事にはなるだろう。山城ファンの方に限らず、史跡ファンの方までも含めて是非お薦め!

2014年7月 6日 (日)

馬路城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市栄町にあって、標高約110mの低山山頂に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、この一帯を所領とした山名氏の家臣、田結氏に関連した支城跡と見るのが妥当なところか、、ちなみにこの田結氏は鶴城を居城とした山名四天王の中の一人

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた鎌田城や奥笹谷城を起点とすればその位置も分かり易い事から、細かい訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、160号線沿いにある栄町団地付近からはルート図の赤ラインを辿って頂きたい。生活道路の行き止まり地点にある、目印としたボート置き場(画像に注目)が直登スタート地点となるが、そこから前の開けた木々の少ない急斜面を上れば、10分内で主郭までは辿り着けよう。

1route登城ルート

3_1城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないと思うが、本郭群は主要三郭と段郭群で形成されたものであり、規模の大きい尾根上削平地まで含めた郭総全長は100mに達するものであり、砦の域は充分はみ出た山城と言っても差し支えないだろう。見所遺構は概念図には示したが、主郭における受け土塁や上り土塁、尾根を遮る形の豪快な堀切(箱堀)、鋭角に削られた切岸などは、充分見学者の眼は楽しませてくれるだろう。現状(四月訪問)本郭群内部は、直登道中と同様に蔓延る木々は比較的少なく、郭内の見通しは利き、訪れる人の少ない無名に近い山城とすれば、非常に遺構の判別し易い動き回り易い状況にあると思って頂いても良いだろう。

10_horikiri西堀切

15_nisikaku_sentan下界が望める主郭

20_shukaku_dorui_1主郭土塁見所

16_nisikaku_dorui西郭と上り土塁見所

30_higasi_kaku東郭

38_higasikaku_karabori箱堀と切岸見所

35_dorui_kaku東端土塁郭 見所

城跡を個人的に評価するのであれば、四季を通して見学し易いコンディションが自然維持されていると思われた事、それが故に縄張りが掴み易い事、切立つ切岸(遺構)の醍醐味に充分触れられる事、更にお手軽感まで加味すれば、自ずと是非お薦め出来る山城の一つ!と言う事にはなるだろう。個人的には効率の良い三城同日訪問とは行かなかったが、先に触れた鎌田城、奥笹谷城と併せた山城巡りは是非お薦め!

2014年5月27日 (火)

本井城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市岩井にあって、既にリポート掲載を終えた小城鼻城から見て713号線を間に挟んだ真東側の、標高60m程度の低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先に触れた小城鼻城を起点とすればその所在位置も分かり易い事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、713号沿いから直ぐ目に留まる清掃センターを目印として車を走らせればよいだろう。そこからはルート図あるいは概念図を参考にして頂きたいが、画像を載せた神社石鳥居脇の集合墓地より山道に任せて丘陵上を目指して歩き、清掃センターが遠くに見えてきた地点で右手に進路変更(左手丘陵上には古墳らしき跡がある)、更にそのままなだらかな斜面を上れば、城域となる広い削平地(薄い空堀が確認可能)が直ぐに迎えてくれる筈である。本郭群へは更に北へ上り続ける事になるが、、、

1route登城ルート

4登城口

3城跡概念図

 

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、本郭群は南北両端に刻まれた堀切間における、規模の大きい郭群(ほぼ三郭構成か?)がそれの様にも見受けられた。その全体像は大味な縄張りプランも相俟って、館城の如き佇まいと思って頂ければ分かり易いかも知れない、、、現状(12月訪問)主郭と察せられた規模の大きい郭跡では変形の土塁跡、あるいは仕切り土塁跡を窺うことが可能となっているが、郭内の藪化は冬季訪問であるにも拘らず相当深刻化しており、郭内部をくまなく探索することは困難極まりない状況にある。概念図に描いたまでが自身が踏破探索出来た範囲を示したもので、更に判別確認出来た遺構群と思って頂ければ良いが、郭形状などは推察を含めたものと思って頂きたい、、、、

12西尾根空堀跡

16_horikiri南堀切見所

18変形土塁内壁見所

22_sikiri_dorui仕切り土塁跡

24_kaku主郭北郭跡

28

北端堀切見所

城跡を個人的に評価するのであれば、残存遺構に見応えまでを感じる事は出来なかったが、豊岡市内に数多く築かれた城跡巡りの一環として、少し立ち寄る程度なら何とか無駄足には終わらない城跡と言ったところか。

2014年5月19日 (月)

袴狭北城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市出石町袴狭にあって、先にリポート掲載を終えた袴狭城からも望む事が出来る、畑地を挟んだ真北側低丘陵上に位置している、この城跡は袴狭城リポート記事中で触れた様に、地元で始めてその存在を知り得た事から、取り合えずその識別呼称は袴狭北城としたが、既に公的に認識された城跡とも思えるので、城跡呼称に関しては柔軟に対応して頂きたい。何時もの様にリサーチ不足はご容赦願いたい。個人的にはA城でもB城でも差し支えないと思っているのだが、、、

城跡を訪れるには、先に触れた袴狭城を起点とすれば一目瞭然の位置にある事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、進入ルートは画像を載せた畦道からで、そこから既に視界に入る墓地まで向かい、参拝道より丘陵最上段を目指せばよい。そこから西に向いて歩けば、直ぐにでも堀切(横堀)が迎えてくれる筈である。

1route_4登城ルート

7進入ルート

3城跡概念図



城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、堀切以西を本郭群とすれば、二郭で形成された正しく砦規模の城郭という事になろうか。遺構として判別し易い堀切は、横堀として痩せ尾根上に横たわってはいるが、堆積物で相当埋もれたと見えて、見応えまでは望めないものである。更に郭側壁を形成する切岸は曖昧なものとなっており、最初から郭としては削平だけに終わった、安普請で築かれた城郭と自分の目には映ったのである。よって低丘陵上にある事も理由になろうが、切岸の醍醐味に触れる事は到底出来ないものと思って頂きたい。

9_higasi_horikiri_29_higasi_horikiri_3東堀切見所

11_shuaku主郭の現状

14_nisikaku_heki西郭切岸




個人的には地元で初めてその存在を知り得て、偶然城郭遺構と対面出来た喜びは、中々言葉では言い表せないのだが(非常に得した気分)、遺構見学を重視して訪れる方には、上記の理由から城郭に過大な期待を持って臨まない事が肝心と思えた。圧倒的お手軽感はあるが、浅い空堀を拝むだけに終わる城跡に、間違ってもお薦めとは言えないのが現実かも、、、、

2014年5月15日 (木)

袴狭城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市出石町袴狭(ハカザ)にあって、既にリポート掲載を終えた此隅山城の北登城口から程近い、真東側の低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、築城環境及び規模から察すれば、此隅山城の出城と言えるのかも知れない、、、

城跡を訪れるには、先に触れた此隅山城を起点とすれば一目瞭然とも言えるので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、ルート図中にある神社付近に駐車スペースは充分確保出来るので、そこから集合墓地まで歩いて向かい、墓地背後の痩せ尾根上を東に移動すれば、数分で城跡までは辿り着けよう。

1route_32a登城ルート

5城跡進入口

3h城跡概念図




城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、主郭及び付、更に堀切を挟んだ形の東郭と、ほぼ三郭で成立したものであり、全長は50mに達するものの、正に砦規模の城跡と言えるものでもある。堀切は主郭を挟んだ形で東西両端に施されており、取り合えず縦堀などは充分見学者の目は楽しませてくれよう。現在主郭内には小さな祠が祭られているが、近年参拝客が途絶えたと見えて、その郭転用地となる敷地は、下草や低草木が相当蔓延った状態(画像に注目)にある。もちろん郭移動には差し支えないのだが、付郭や東郭も含めて見通しは利き難く、木々の隙間を縫っての探索踏破は余儀なくされるものと思って頂きたい。切岸斜面も相当藪化は進行しているので、堀切から立ち上がる、10mに達する主郭切岸の醍醐味には、到底触れる事が出来ないのが現実である。

12_nisi_horikiri西堀切見所

15_shukaku主郭の現状

16_higasi_horikiri東堀切見所

17_tatebori縦堀見所

20_higasi_kaku東郭の現状



尚、ルート図中には地元でその存在を初めて聞くに及んだ、(仮名)袴狭北城の所在地を記したが、地元の方は城跡としての認識はあっても、文献資料などには目を通さないケースが多く、取り合えずその位置関係から袴狭北城としたが、城跡呼称に関しては何時もの様に柔軟に対応して頂きたい。小字名で識別されているとは思われるが、、、その現況報告は編集次第掲載の予定

2014年5月 7日 (水)

但馬上山城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市城崎町上山にあって、先にリポート掲載を終えた簸磯城登城ルート図に示したように、上山集落の北側より集落に向いて少しせり出した形の丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明だが、豊岡市内に存在する城跡のほとんどが、山名氏傘下におかれた城跡ということを思えば、その名が語るように上山氏(山名氏家臣?)の居城という事になろうか、、、

城跡を訪れるには簸磯城あるいは上山北城を起点とすれば一目瞭然の位置にある事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、集落到着後はルート図に示した如く参拝道より青山神社を目指せばよい。最奥にある住宅より少し上った地点(画像を載せた辺り)から直登になるが、そのまま左手丘陵上を目指せば、直ぐにでも本郭群が迎えてくれる筈である。

1route_2登城ルート図

5直登口

3u城跡概念図

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、本郭部はほぼ三郭を並べただけの全長50mにも満たないものであり、小規模な館城あるいは砦とも言える様相で、空堀の類は施されてはいない。見所遺構を挙げるとすれば、唯一主郭背後を形成する鋭角に削り落とされた切岸(見応え有)、あるいは郭側壁を形成する切岸という事になろうが、空堀も土塁も施されていない砦規模の城跡に、これ以上のものは望めないかも知れない、、、

11_shukaku_heki主郭壁

12_shukaku主郭内の現状

15_heki郭側壁(切岸)

14_shukaku_heki_haigo_1主郭背後切岸

城跡を個人的に評価するのであれば、ルート図に示した三城同日訪問とすれば、神社参拝ついで、あるいはお手軽感も加味した上で、それなりに楽しめる城跡と言った事になろうか。

2014年5月 3日 (土)

畝状空堀群が唯一の見所 簸磯城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市城崎町上山にあって、既にリポート掲載を終えた仮)上山北城より直ぐ北側にある丘陵先端部に位置しており、寺院及び簸谷を挟んだ形となっている。ちなみに上山北城としたものは、数年前まで遡るが簸磯城と城跡呼称を取り違えた形でリポートしており、今年になって「お知らせ」の中で呼称を訂正した城跡の一つでもある。城史に関しての情報は「現地案内板」をクリックの事。

城跡を訪れるには、上山北城を起点とすれば一目瞭然とも言える距離にあるので訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、車を預ける事になる福泉寺からは赤ラインを辿って頂き、目印とした砂防ダムのある登城口(手すり付きの石段がある)まで向かえばよい、そこからは旧参拝登山道が山上主郭まで繋がっているので迷わず辿り着ける筈である。ちなみに10分程度の所要時間

1route登城ルート

4登城口

2_2現地案内板

3城跡概念図

城跡の形態は、概念図に描いたものにほぼ近いと思って頂いても差し支えなさそうに思われるが、郭内は下草が一面に蔓延り、更に切岸斜面上は地表風化あるいは藪化が進行し、相当量の雑木が蔓延っており、外見から全貌を窺うことは困難を極める状況にある事から、郭形状や畝状空堀群の位置関係、あるいは掘削された総数はこの限りではないものと思って頂きたい。遺構見学としての見所は自ずと畝状空堀群という事になるが、先に触れたように地表風化は激しく、見応えまでは到底望めないものであり、これを機会に臨まれる方には決して期待を持って臨まないことが肝心となろう、、、他では主郭内に土塁跡も見止められるが、これは一部造成整地後の残土とも窺えた事から、遺構としての成否の判定は見学者の判断に委ねられるだろう。

10_shukaku主郭の現状

12_dorui推察土塁跡

16_horikiri堀切

18_horikiri_heki堀切壁となる切岸

22_une_tatebori畝状空堀

20_une_dorui畝状空堀土塁

 

城跡を個人的に評価すれば、状態や規模は絶対問わない事が前提とはなるが、お手軽感を加味した上で、山城ファンの方だけにはお薦め出来るかも、、、

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