中友田三氏城跡(三重県伊賀市)
今回取り上げたこの三氏城は三重県伊賀市中友田にあって、生活道路によって菊永氏城は少し隔てられているが、深井氏城と中友田東城はほぼ隣接した低丘陵上にある。ちなみに菊永氏城は城址碑が道路沿いに備わるだけで、その内部は深刻化した藪化によって、踏破は極めて困難な状況にあると思って頂いても良いだろう。もちろん近年における生活道路造成工事によって、当時の遺構はほぼ壊滅したものと察せられた事から、雑木林の中を覗くまでには及ばないと思われるが、、、、城史に関しての詳細は不明
城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた中谷氏城を起点とすれば分かり易い位置にある事から、城跡までの細かいアクセス法は割愛させて頂くが、目印とした鞆田郵便局から車を預ける事になる集会所まではルート図を参考にして頂きたい。集会所脇を抜けてその背後から西に向いて丘陵上を歩けば、直ぐにでも深井氏城に辿り着ける筈である。更にそこから少し西に歩いた場所に中友田東城があるので、遺構見学とすれば二城同日訪問は当然考慮の対象となるだろう。
城跡の形態は、丘陵上全域が竹林雑木藪地となっている為、両城共に見通しも利かず、更に郭内部の踏破も叶わなかった事から、今回は遺構を示した概念図すら描けなかったが、伊賀では普通にお目にかかれる、土塁の施された定番の居館跡と思って頂ければ察しも付き易いだろう。中友田東城には土塁背後に横堀(画像に注目)が施されていたようだが、深井氏城では全体踏破出来なかったせいもあって、お目にかかる事は叶わなかった。現状(六月)両城共に藪化は深刻化しており、郭内部は蔓延る青竹や低草木によって、探索踏破は非常に困難な状況にあると思って頂いても良いだろう。当然見通しも利かないので低土塁などは傍に寄っての確認は余儀なくされるが、高土塁を形成すべく切岸壁は、青竹の隙間から何とか確認可能(画像に注目)と言ったところか、もちろん郭内部に佇み臨場感に浸るまでには、とても至れなかった事は言うまでもないが、、、
深井氏城土塁内壁
中友田東城土塁上
城跡を個人的に評価するのであれば、遺構のほぼ壊滅した菊永氏城は別として、この二城は遺構見学としても史跡見学としても、とてもお薦め出来る物件とは言えないが、「城跡の現況報告として、少しでもお役に立てたのであれば由としたい」、と言ったところになろうか、、、