大阪府の山城跡

2009年10月 9日 (金)

野間中城跡(大阪府豊能郡)

この城跡は個人的には既に野間城(本城)と並んで、昨年中にリポート掲載は同時に終えたものだと勝手に思い込んでいた処、最近になって忘れている事に気が付き、多少情報の鮮度は落ちてはしまったが、取り合えずまだ未訪の方の為に急遽掲載に及んだ。

城跡は大阪府豊能郡能勢町野間中にあって、当時丸山城を居城とした能勢氏の分かれが野間に城を築き、地域名である野間氏を名乗ったことにより始まっているが、野間豊後守によって小倉山に城を築くものの、完成間際で中止(理由は謎)になったものであると北摂の歴史では伝えられている。

城跡へは国道477号を走れば「野間中」交差点で県道4号で東へ針路変更、後はルート図あるいは概念図の如く城跡への進入口でもある目印となる「六地蔵」を目指せば、そこからは10分内で山上までは到達可能となっている。ただ途中までは山道らしいものはあるが、山上へ向いて通過する休耕地は、荒れ放題で下草も多いので直ぐ道は途絶えてしまう。しかし低山なので草木の少ない箇所を選んで上れば、どのコースでも縄張り内には難なく辿り着く事は可能でもある。

1z_1 登城ルート

4 城跡進入路

Noma_nakajyou_2 城跡概念図

18_horikiri 中央堀切見所

20_kaku1 西段郭群

21_kaku1_karabori_1 西下段空堀地形

24_kaku2 西下段2

28_shukaku_dorui 主郭土塁見所

31_kaku3_yori_shukaku_heki 北郭より主郭切岸

城跡の形態としては山上を東西に分断する中央堀切を挟んで二方に郭群は分かれて配されており、便宜上主郭とした西郭群の方が土塁、櫓台土塁、切岸、空堀状の窪などの様に、地形から遺構としてある程度判別し易く残ってはいるが、東郭群は削平も切岸処理も甘く、途中で築城が中止された事を充分物語っている様にも感じられた。遺構として判別可能なものは概念図に示したが、風化及び堆積物などの影響もあって、地形の変化から明確にそれと判別出来るものは限られてくるのが現状でもある。ただこの城跡が完成に漕ぎ着けていたなら本城である野間城よりは随分規模で劣るが、縄張り妙味に関してなら勝っている様にも感じられるのである。谷川沿いにある野間館を南の野間城、北はこの野間中城で挟む形で築かれたこの城跡は、縄張りプランから考えても砦の域は充分出たものであり、本城からみれば自ずと支城として考えれば良いのかもしれない。まだ未訪の方には野間城(本城)あるいは谷川沿いにある野間館跡と併せた、三城同日訪問を是非お薦めしたい。尚、車は三城同日訪問を前提とすれば、付近に路駐可能なスペースも見当たらない事からも、ルート図にある「円珠寺」に預ければよいものと思われる。

2009年4月17日 (金)

佐保栗栖山砦(大阪府茨木市)

城跡は茨木市佐保にあって標高184mの栗栖(クルス)山の山頂に位置している。現地に赴けば一般道110号より佐保川を隔てた木々の少ない山がそれにあたるが、近年の遺構調査によって木々は伐採されたものと見られる。

1z

登城ルート

6 道路脇の案内板より

11tozanguti 直登口

この城跡に関しては佐保城と同時期に既にリポート掲載を終えたものだと自分で勝手に思い込んでいたが、最近になってまだ掲載に及んでいなかった事が発覚したので、佐保城のリポートよりは随分遅れてしまったが今回やっと掲載に及ぶ運びとなった。

城跡へは既にリポート掲載を終えた佐保城を起点にすれば分かり易いが、付近道路脇に案内説明板が設置されているので分かり易いとは言え、城跡の位置は道と佐保川を隔てた真反対側にあるので注意が必要である。城跡の位置確認が出来れば重機販売支店の脇よりほぼルート図の如く川を渡り、ほぼ正面の写真に示す直登口から上れば多少の藪漕ぎは必要となるが難なく山上までは到達する事が出来る。尚、車の路駐スペースは付近には中々見当たらないので探すのには苦労する。

現状(一月)山上は裸山に近いとは言え、一面伸び放題の下草あるいは調査後の埋め戻しによっての表土の流失などで本来あった細部に渡る地形(郭跡)の変化は掴み難く、遺構として判別確認出来たものは郭跡を除けば土塁、堀切程度でもある。山上に佇めば全方向に見通しが効くので当時に思いを馳せる事も容易に出来、小規模ではあるが戦国期の砦跡を体感する事も容易に出来る事から当然お薦めの城跡とは言えるのだが、個人的にはむしろ直登口付近に展開されていた屋敷跡の様にも窺われた段郭群で、これを当時のものとするかどうかは調査結果後のリサーチもしていないので現状不明でもある。

  Kurisu

城跡概念図

21_fumoto_minami_dankakugun_1 直登口付近の段状削平地

29_horikiri 堀切

40kita_naka_yori_shukaku 奥は主郭切岸

34_shukaku 南より主郭側

43tounan_obi 南東帯郭

35minami_top 南郭群

2008年11月25日 (火)

田原城跡(大阪府四條畷市)

大阪府四條畷市上田原にあって、この地区を東西に流れる二つの川の合流地点から西側にある丘陵上が城跡、田原氏の居城と伝わるが詳細は不明。

城跡へは国道168号から一般道701号へ進路変更、後はルート図の如く進み、月泉寺を過ぎれば川沿いの左手丘陵上部に田原城跡の看板が眼に留まるので、位置は直ぐ確認する事が出来る。更に川沿いを西に歩けば小さな小橋があるのでそれを渡れば直ぐに城域となる。

現状(11月)城跡のほとんどは竹林地及び雑木藪と化しているが、東西を分断する大堀切より東側にある主郭、二の丸はましな状態にある。反面西側は相当藪化も進行しており一部の郭跡は草木で覆われ、踏み入る隙間もない状況である。しかし複雑な遺構あるいは複雑な郭形状ではないので、縄張り全体像を掴むのは案外容易くなっている。

城跡は外見から判断するよりも意外に規模は大きく、山上は無駄なく郭群で占拠されており、判別確認出来る遺構としては郭跡、土塁、堀切、切岸跡などで大堀切などは深さもあり、残存状態も良い事から当時に近い状態を拝む事が出来る。縄張りも丘陵上限られた範囲の中で精一杯複雑に構成されており、中々楽しませてくれるが、現在の南側における農作地も、更に民家側も縄張りとして取り込んでいた様にも窺われる。西側は近年の宅地造成の為に削られた感があり、郭跡は一部消失している可能性はある。丘陵地である分、防御機能として全体的に郭切岸は高く、城跡の南北は天然の水堀(川)で守られており、戦国期の城跡らしく堅固さを前面に押し出した縄張りプランの様に見受けられる。

住宅地の中に位置することからも、残存遺構には余り期待はしていなかったが、残存度は意外に高く、更に遺構の見応えもある事から個人的には充分推奨に値する城跡の一つと言える。

1_1 登城ルート

5_shukaku_enbou_1 城跡遠望

3 城跡概念図

7 城跡進入口

20_doruikaku_karabori_2 主郭西下空堀見所

21_shukaku_sita_horikiri 主郭南側大堀切見所

28_2maru_3 二の丸

30_shukaku_kita_hasi_1 主郭

32_shukaku_dorui_1 主郭内の土塁

39_3maru 西三の丸

2008年11月22日 (土)

田能城跡(大阪府高槻市)

new 大阪府高槻市田能にあって、桂香寺の北背後に聳える標高478m(比高140m)の山の山上が城跡、城史に関しての詳細は不明。

城跡へは阪神側から向う場合は国道171号に進入する事が先決、その後は枚方亀岡線6号へ乗り継ぎ、そのまま道任せで北上を続け、田能集落に入れば樫田郵便局で分岐点となる733号に左折針路変更、そのまま少し走れば直登口として選んだ桂香寺への道が見えてくる。車は案外周辺を探せば路駐出来るので、後は図に示す寺院上り道の右手に見える民家の間から取り付き、そのまま踏み跡を辿りひたすら山上を目指せば、25分程度で最高所に位置する主郭までは辿り着ける。

山上に到達するまでには異様に広い傾斜面が延々と続き、明らかに削平地と見受けられる郭跡がある場所から、かなり主郭に近付いている事は分かる。現状、直登道中においては枯れ枝は多く地表は相当荒れているが、木々も生い茂っている訳でもなく、藪漕ぎが無い分には案外楽に登れる。山上郭群はほぼ三郭で形成されるシンプルな縄張りであり、現状相当荒れ放題ではあるが、ある程度見通しも良いので空堀土塁跡、縦堀、虎口跡と少ない遺構ではあるが、判別確認は可能な状態にある。古い形態の山城と見受けられ、技巧的な遺構には期待出来ず、見る限りではこの山城が戦国期まで機能していた様にはとても思えないものである。真南側に少し下りれば雑木藪の中に広大な削平地が存在するが、かつての居館跡か、あるいは馬場跡とも想像出来そうである。

城跡に見応えのある遺構はないが、山上に到達するまでに膨らむ期待感、あるいは探索する事の楽しみは、山城でなければ決して味わえないものでもあり、この城跡もそれを感じる事が出来る山城の一つである。

1route_2 登城ルート

4enbou 南東側より遠望

10_sinnyuuro 進入口

3 城跡概念図

14_nanntou_kaku_1 南東郭

16_minami_gedan 主郭切岸

21_shukaku 主郭

23_shukaku_yori_kitakaku 主郭より北帯郭

26_nisi_obi_karabori_1 主郭西側の空堀土塁跡

30_kita_heki 北郭と北側切岸急斜面

2008年10月31日 (金)

芥川山城跡(大阪府高槻市)

大阪府高槻市原にあって摂津峡公園の峡谷を挟んで東側の三好山の山上から東側の別峰までが城跡、別名三好山城と呼ばれる様に過去城主は交代はしているが三好氏全盛期の城として北摂地域では有名な山城。

城跡へは国道171号から向うと分かり易く、松下電子工業のある大畑交差点で一般道115号に針路変更、そのまま道任せに直進し「摂津峡公園」を目指し、後はルート図の如く橋を右折すれば数十m先に道路沿いに案内板が設置されているので、ほぼ城跡の近くまでは来ている事は確認出来る。しかしここからは北側に位置する「黄金の里老人ホーム」を目印としてその横を抜けて山道に入るのだが、狭い住宅地の為に小型車でも路駐出来そうなスペースは無く、北側の山手集落は更に無理、どこか幅のある道路を探して無理に路駐するか公園側に駐車して歩く他は手は無い。老人ホームを抜ければ図の如くそのまま城跡に向う山道に繋がるので、迷わず到達する事は可能である。

現状(10月)城跡は最高所でもある石碑の建っている主郭周りを除けば相当藪化進行中でもあり、場所によっては密生する下草及び雑木などで踏み入る事の出来ない郭跡も多数ある。更に竹林地も多く移動及び視認に難渋する箇所も沢山あるので全域を踏破し、遺構を判別確認するなどは到底無理な状態と言える。縄張り図における六割(東主郭から東側の郭群まで)の郭跡、及びそれに付随する遺構を確認出来れば由とする気持ちで丁度良いのかもしれない。城跡の見所としては縄張りはもちろんの事、大手道に位置する大石垣跡、郭壁随所に窺われる石垣跡、状態の良い郭切岸、土塁、縦土塁、堀切などが挙げられ、山城を形成すべく技巧的な遺構は全て備わっている見てよいものである。郭壁に石垣を用いる事は恐らく三好氏の時代に改修されて行われたものと見受けられるが、同じ石垣城である飯盛山城跡とも似る部分が数多く見られ、大石の使用あるいは石積み方法などに顕著に表れている。

とにかく桁外れに城域が広く、更に山上における郭占有面積も大きく、小型の山城の三城分に匹敵しそうにも見受けられる。山容からなる地形を上手く縄張りとして取り込んで築き上げられ、要所には石垣を用いてより堅固に築造した所などは飯盛山城、滝山城と並んで三好氏屈指の縄張りプランであるとも言える。この素晴らしい山城も三好氏二城と同様に語り出すと限がないので、まだ未訪の方は是非これから冬季に入れば比較的ましと思われる状態の時期に訪れて、この見応えのある戦国期山城の素晴らしさを体感して頂きたいと思う。

当時の阪神地区から四国に亘るまでを勢力圏に置いた三好氏の勢いがそのまま城跡に反映されていると言っても過言ではない山城である。

1a 登城ルート

1xxz 案内板による縄張り図

4_1 山道からの城跡遠望

10_isigaki_2 山道沿いの石垣跡

12d_idoato 東端の屋敷跡か

21_higasikaku_sita_dankaku 東郭群

19 東郭群の石垣跡

Higasi_kaku_dorui 東郭群の主郭土塁

26_higasikaku_shukaku 東郭群主郭の櫓台

27_dobasi 主郭側へ向う途中の土橋堀切

33_oote_ooisi_1 中央大手の虎口大石垣跡

38_shukaku_koguti 主郭下帯郭への虎口

39_shukaku 主郭

2008年10月30日 (木)

飯盛山城跡(大阪府大東市)

大阪府大東市北条にあって市内から東側に聳える飯盛山(標高314m)の山上全域が城跡、歴史の中では多数城主は交代しているらしいが戦国期に置いては一帯を勢力下に置いた三好氏の本城として有名。

城跡へは数通りの登山方法があるが、純粋に山登りを楽しむ為に麓の神社から上る登山客も多いようである(個人的には初回登山は麓から登山道で上った)。楽をするなら車で大阪市内から向えば、阪奈道路(県道8号)を上り途中から北側に位置する楠公寺を目指せば郭跡まで直接乗り付ける事が出来る。寺院は本来馬場跡とされる場所で駐車可能、ここを起点とすれば南側千畳敷きから北端の城跡碑のある郭跡まで満遍なく見て回る事が出来る。

現状(一月)城跡は冬季とあってか全域にかけて落葉しており、見通しは非常に良く、一部下草も蔓延ってはいるが遺構の判別確認は容易に出来る状態にある。大阪市内からも近く登山も楽しめる山城である為に、既に訪問された方も多いと思われるのでここでは割愛したリポートにさせて頂くが、この山城は南北尾根上はすべて郭によって埋め尽くされており全体を把握するには距離も歩くが時間も相当掛かる、至る所で石垣跡も確認出来、本来古くから成立している城跡であるが三好氏の時代にかなり改修されたと思われる。見所も多く縄張りはもちろんの事、石垣跡、深い堀切、土塁、高低差のある切岸など山城としての魅力は全て兼ね備わっている見てよいだろう。自身で歩き回った結果として作成した概念図は全て確認した遺構であるが、描ききれていない南側にも更に郭跡は展開されており、未踏とはなったが西枝尾根上にも縄張りは広がっているようにも察せられた。

山上からは市内はほぼ全域、大阪湾まで一望の下にあり、何度訪れても見飽きない戦国期遺構の素晴らしさはもちろんであるが素晴らしいロケーションも誇っている、近畿圏でも有数の山城であると断言出来る!(数年後に再び訪れている自分が想像出来る)

1 登城ルート

4a 城跡概念図

10 遊歩道沿いにある石垣跡

17_higasi_3gedan_isi_3 東郭群の石垣跡

32_gotaituka_sita_horikiri_1 大堀切

36_2kaku 郭跡

55_kurayasiki 蔵屋敷跡から主郭展望所

65_takayagura 高矢倉切岸

66_takayagura_nai 高矢倉

67_takayagura_sita_horikiri 高矢倉南大堀切

79_senjyoujiki_minami 千畳敷き南郭

82_minami_hasi_kaku 南郭群土塁

2008年10月27日 (月)

上赤坂南砦跡(大阪府南河内郡)

上赤坂城本郭の南斜面側にある二重堀切の傍を通過して傾斜面を少し下って更に上れば数分で南砦跡には辿り着ける。

こちらは痩せ尾根上の南北に渡って郭を連ねており、南北尾根を大堀切で分断、更にその東側を虎口土塁として二重の縦堀で守備している、この城跡遺構が最大の見所となっている。

南郭群の郭跡にはなぜか「砦跡」とだけ小さく木に表示されたものが立て掛けられてあったのが眼に留まったのだが、これではほとんど無視されてここが城跡だとは誰も気付かないと考えられる。せめてこれだけの遺構が残存しているのであれば登山道中に大きく南砦跡とでも掲げれば少しは興味も引いてもらえそうに思うのだが、、、

78 城跡概念図

82_heki 堀切側の切岸

85_horikiri_tatedorui_1 縦堀と縦土塁

91_minamijyou_top 南山上郭

94_minami_gedan 山上郭南下段

96_gedan2_sizenkaku 南下段2

93_nisi_hasi_dobasi 西側尾根の土橋

上赤坂城跡(大阪府南河内郡)

大阪府南河内郡千早赤坂村桐山にあって、この地方においては千早城跡と並んで名前の知れている城跡でもあり、登山遊歩道も整備されているので山城ファンのみならず登山客も多く訪れる城跡である。楠木正成の築城として名を馳せているが、この広域に渡る上赤坂城を中心に広大な地域まで城塞群は及んでおり、正に巨大な山城ネットワークを誇っている。

城跡へは大阪市内側から移動した場合、国道309号に入り一般道705号へ右折、少し走れば下赤坂城跡もあるので(城跡碑がある程度で雰囲気のみ)ついでに寄り、後はルート図の如く進行すれば登山口までは辿り着ける。

登山口には駐車場もあり、そこから歩けばすぐに城域とも見受けられ、土塁虎口跡から始まり三ノ城戸口を通過して20分内で山上主郭までは到達できるが、それまでには四、五段の郭で形成される二の丸跡(東郭群)があり、ここには北西側に空堀及び櫓台の様な大土塁も存在しているので是非寄る必要があるだろう。現状(11月)二の丸は主郭以外は相当藪化しており外見から郭跡を確認するのが精一杯ではあるが、郭跡以外の空堀の判別確認は容易に出来る状態である。本郭跡は二の丸からはすぐの距離にあり茶碗原を通過して斜面を上れば南北に長く広い山上主郭に辿り着ける。主郭も現状石碑のある郭内及び帯郭を除けばほぼ雑木に覆われているが確認だけであるなら支障は来たさない。これだけの城跡であれば縦堀群も備わっているものと推察されるが現状の藪を見れば中々踏み入るには勇気がいる。

この山城を感じたまま一言で説明するのであれば「凄い!」と言った言葉しか浮かんで来ない。

1_2 登城ルート

6 登山口

3a 城跡概念図

19_dorui_karaboridou_1 登山空堀道

21_3nokido_1 三の城戸

25_daihorikiri_sorobanbasi_2 大堀切(そろばん橋)

36_tyawanbara_1 茶碗原

52_karabori_dorui 二の丸南側の空堀土塁

53_1 山上主郭北端

64_higasi_oohiroma_3 西郭

72_horikiri 南堀切

主郭南側の二重堀切を通過すれば、更に小規模な山城の一城にも匹敵する南砦跡があり、時間的にはそれほど要さないので寄ってみる価値はありそうに思われる。ここでは大堀切、尾根上の段郭跡、縦堀、大土塁などの遺構を眼にする事が出来る。

2008年10月11日 (土)

長棚城跡(大阪府豊能郡)

大阪府豊能郡豊能町吉川/兵庫県川西市黒川にあって丁度兵庫県との県境に位置しており能勢電鉄黒川駅の西側に位置する山の山上から東尾根上が城跡、山下城を居城とする塩川氏の支城と伝わるが詳細は不明

城跡は別名吉川城とも呼ばれており個人的にもどちらかと言えば吉川八幡のある大阪府の城跡としての印象の方が強い事からカテゴリーとしては大阪府の山城とさせて貰うが、国道477号を北上した場合ルート図の如く黒川駅(妙見山へのケーブル駅)の数10m手前を左に折れて吉川集落に入り登山口である八幡神社を目指せば分かり易い。

神社到着後は山上に向けて案内板と伴に登山道が通じているので、道に従って上れば迷わず山上主郭には辿り着けるが、途中道を外れて尾根沿いに東へ向うと東出郭と呼んでよいのか、尾根上に相当な規模を持つ風化によって荒れ放題の郭跡を確認する事が出来る。東尾根上に堀切あるいは内部に土塁などの遺構は認められなかったが、街道に近いこともあって砦遺構である事には間違いの無い処であろう、ここからそのまま尾根上を逆に戻り登山道を上れば15分程度で山上主郭には辿り着ける。

現状(一月)山上主郭はある程度整備されており、見通しも利きほぼ単郭構造である事からも遺構の判別は容易な状態にあるが、遺構と言っても土塁、虎口跡、空堀程度までで技巧さはほとんど眼にする事は出来ない。もちろん築城時における縄張りプランによるものであろうが過酷な戦国期を改修を重ねながら乗り切った城跡の様には見受けられない。更に西側に向いて斜面を上ると尾根上を削平した広大な郭跡が西に延びて残存しているが、これもその当時の城跡遺構なのかどうかは分からないままである。

1route 登城ルート

3_1 城跡概念図

10_higasi_demaru_1 東出郭

19_shukaku_nai 山上主郭

20_shukaku_kita_koguti 主郭北虎口

17_karabori_dorui 空堀土塁

23_shukaku_nisi_kirigisi 主郭切岸

23_shukaku_nisi_kirigisi_1 主郭西下段

25_nisi_yori_shukaku_gawa 西郭より主郭側

26_nisi_sizenkaku 広大な西側山上尾根郭

この古い形態を持つ城跡に縄張り妙味などは求められないが、築城時においてはこの程度の防備機能で充分通用したとも考えられ、案外改修もされないまま廃城となり現在に至った可能性もあるのではないだろうか

2008年10月 7日 (火)

野間城跡(大阪府豊能郡)

大阪府豊能郡能勢町野間中にあって集落より谷川を隔てた南側に位置する山の山上が城跡であるが、北東麓一帯には居館跡を含めた広大な屋敷跡が段郭群を形成している。代々野間氏の居城と伝わる

城跡へは国道477号野間中交差点から南側に位置する円珠寺を目指すと分かり易い、ここの駐車場を借りれば目的地である野間城跡及び後世の野間館跡並びに県道4号を隔てた北に位置する野間中城跡までは歩いても苦にならない距離なので三城を同日訪問する事が出来る。肝心の野間城跡へは寺院より川沿いに歩きルート図の如く橋を南に渡り一直線に山に向う道を上れば城域と見受けられる溜池、虎口跡に遭遇出来る。

概念図にあるが如くこの周辺は屋敷跡で南最奥まで形成されているが現状一月でも全域が笹藪で覆い尽くされており郭内に侵入する事はほぼ不可能な状態にある、それでも図に描かれた箇所までは外見からも判断でき南奥には野間氏の古い墓もあり歴史の流れを感じさせるものとなっている。

山上郭へは鳥居を潜れば参拝道で迷わず到達出来るが、山上までには北尾根に五段郭更に北東側にも段郭群が形成されている。現状山上には社殿が設けられており植林地である事も手伝ってか下草も少なく見通しも良いので遺構の判別確認は容易に出来る状態にある。流石に野間氏の本城らしく規模も大きく、縄張り妙味は無いが高い切岸、櫓台背後の大堀切などは中々見応えのあるものである。山上郭群に石垣跡は見受けられなかったが麓の屋敷跡群には当時のもかどうかは判別不能であるが随所に石垣跡が見え隠れしていた。

1z_1 登城ルート

5oote 進入路

3n 城跡概念図

14 虎口か

24_zanzon_isi 墓地近くの石垣跡

31higasi_dankaku 主郭東下段

32shukaku_gedan 主郭切岸

33shukaku_doruikoguti 主郭土塁虎口

38_yagura_dorui 主郭櫓台と土塁

43_yagura_haigo_horikiri_3 大堀切見所

44_haigo_yori_yaguradai 櫓台背後の切岸

城跡は個人的評価になるが麓の居館跡、屋敷跡群及び山上郭群まで飽きを来させず見て回る事が出来、更に当時の根小屋と山上詰城との関係が手に取る様に分かり易く伝わってくる見本の様な城跡であると言える

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