兵庫県の山城跡

2009年4月 7日 (火)

岩尾城跡(兵庫県丹波市)

城跡は丹波市山南町和田にあって、住宅の多く建ち並んだ集落にある和田小学校の真北側に聳える、標高358m(比高250m)の要害堅固な蛇山山頂に位置している。

城跡へは阪神側から北上する場合は中国自動車道「滝野社」ICが最寄の乗降口、国道175号より北上を続けて「井原」より県道86号へ針路変更して登山口となる和田小学校を目印とすれば難なく辿り着けるが、個人的には休日の為に和田小学校の玄関にある来客用駐車場に勝手に車は停めさてもらったが、本来より山城見学の為の駐車場はないのかも分からないので、平日は職員の方に一応伺いをたてた上で駐車させてもらえば良いのかも分からない。登山口はルート図の如く小学校敷地を通過した北背後に案内板と共にあるので、場所さえ確認すれば山上までは尾根上の削平地(郭跡)、堀切などを確認しながら迷わず到達出来る(山上主郭までは30~40分は要す)。

1a 登城ルート

1x_1 現地案内板より

豊臣時代の石垣跡が多く残る事で有名なこの山城は、個人的には二度目となる訪問となったが、数年前の前回に比べると時期はほぼ一緒の六月ぐらいなのだが下草及び雑木が相当蔓延り、前回はほぼ露見して堪能する事の出来た石垣跡も郭跡も半分以上が下草に覆われており、とても満足の行く見学が出来るような状態にはない。南西側に数十mに渡って残存する一番見応えのある石垣跡も、西郭壁及び天守台東側の郭壁に良好に残っていた石垣跡も、全て伸び放題の下草のお陰で全体像はほとんど掴めない状況でもある。前回南斜面上に窺えた石垣で築かれた小さな郭跡(現地縄張り図には表記)数箇所も雑木密生地と化しており、その場所すら見当もつかず、まして斜面上は踏破する事も叶わない状態にある。やはり冬季に訪問すべき山城とは思うのだが、伐採整備される時期あるいは訪問のタイミングによっては前回同様に素晴らしい石垣跡も全て堪能出来るような気はするのである。

城跡最大の見所はもちろん郭壁面を全て覆い尽くすほどの残存石垣でもあるが、佐野氏改修以前の遺構も本丸大土塁北背後には遺されており、北郭群最北の出郭の土塁あるいは見応えのある堀切も窺う事が出来るので此方も決して見逃してはならない。他に標識の設置されている箇所には井戸跡もあったようだが現在は場所を確認するのみとなっている。再訪となった今回は前回より更に状態の良さを期待して臨んだのではあったが、訪問時期が悪かったと素直にあきらめるしかないようでもある。数年後に三度目の訪問は自分でも間違いなくあると思える、正に推奨に値する山城の一つである。

尚、ルート図に示す東側尾根先端部にも現在稲荷神社が建立されてはいるが、岩尾城の東砦跡として見れば充分見学に値する郭跡、堀切跡(二箇所)は残っているので、ついでに寄り道しても無駄足にはならないとは思える。

14_nankaku_sita_horikiri 登山道中の南堀切

19_getimaru 下知丸跡

21_daihorikiri 下知丸北大堀切見所

30_nisi_demaru_isi_1 西郭群石垣見所

36_nisi2maru_isi_1 南西斜面側の石垣見所

44_1 本丸虎口見所

54_shukaku_gedan_yori_1 本丸東側

52 石垣隅石

48_yagura_yori_tenshudai_1 大土塁側から天守台

69_demaru_dorui 北出丸の土塁

71_horikiri_dobasi 北堀切見所

2009年3月23日 (月)

長見城跡〔兵庫県丹波市)

城跡は丹波市春日町長王にあって別名「長王城」でもある、黒井城と野山城(既にリポート掲載済)の間に挟まれた形のこの城跡は当然黒井支城あるいは砦跡、居館跡の様にも窺われるが詳細は不明。

城跡へは野山城を起点にすれば分かり易く、ルート図を参考にして北側の長王地区に車で向えば目印となる長見公民館までは数分で辿り着ける。ここに車を停めれば概念図に示す通りに楯縫神社を目指し歩き、切り通し道から北斜面に向いて直登すれば直ぐに南郭に到達可能である。

現状(三月)城跡は植林地でもあり見通しも利くので二郭で成立する全長100m程度の城跡の遺構は全て判別確認可能な状態にある。郭跡を除けば土塁及び二本の堀切が残存している遺構と見受けられるが、堀切も土塁も郭切岸も良好に残っている事、あるいは全体像がある程度窺える事からも小規模とは言え充分見応えを感じる事は出来る。

尚、別ルート図に示す山田砦跡(二郭と堀切が残存)もこの長見城からは至近距離にあり、同じ黒井城塞群として考えれば野山城とも同日訪問も可能であり、三城の形態の把握あるいは立地環境まで同時に見て取れるので有意義な山城巡りが出来るのではないかと思われる。

1route1 登城ルート

7_kiritoosi 直登進入口

3n 城跡概念図

15_kita_yori_minamikaku 南郭

14_horikiri_1 堀切

16_shukaku_dorui 主郭南土塁見所

17_shukaku_1 主郭内

22_2jyuuhori_dorui_2 24_2jyuu_hori 北堀切見所

Photo 山田砦概念図

1 山田砦二段郭

2

堀切

2009年3月15日 (日)

丹波金山城跡(兵庫県篠山市)

城跡は篠山市追入にあって標高537m(比高300m)の険峻極まりない金山山頂に位置している。国道176号から鐘ヶ坂トンネル手前にある追入神社を目指せば分かり易く辿り着く事が出来るが、登山口は追入神社の少し南側にあり案内道標も設置されているので直ぐ見つけることが出来る。山上には景勝「鬼の架け橋」がある事からも登山客も多く訪れる様だが、見る限りでは駐車場は完備されていなかったので車は付近に路駐となる。

京都府にある周山城と並んで明智の築城として名を馳せており、現地説明板に記載されていた様に八上城と黒井城の連携を阻止するが為にこの地を選んで築かれた事は立地上からも自ずと察しは付く。既にリポート掲載済である周山城とは臨戦時(丹波衆)あるいは最前線といった当時の状況もあってか、規模も縄張り妙味も普請における労働力も比較にはならないと思われるが、山上に残存する無骨な石垣は当時を語るには充分過ぎるほどの遺構でもあり、山城ファンにとっては30分~40分かけて登ってもこの石垣を見るだけで疲れは一掃される様にも思われる。

1route1 登城ルート

2z 現地案内板

3k 城跡概念図

個人的にも三度目となる今回の訪城は山登りを楽しむのが一番の目的であり、更に石垣跡が前回訪れた数年前よりどこまで自然保持されているのか興味があった事によるものでもある。現状(三月)城跡は過去の訪問時より遥かに素晴らしい整備状態でもあり、中腹に位置する整備保持された園林寺跡から規模の大きい馬場跡を通過して、山上郭に至るまでの概念図に示した城跡遺構はほぼ判別確認出来る状態にあるが、規模の大きい山上東郭までは整備が行き届いておらず、下草も雑木も相当蔓延っている状況にある。此方は自然岩がゴロゴロしている郭跡でもあり、外見からは自然地形としか目に映らないが郭内に入れば削平は行き届いており、更に郭の東側先端まで足を延ばせば切岸、あるいは虎口、虎口郭、帯郭などの遺構も窺う事が出来る。

この山城は周山城と並んで明智以後改修はされていない様にも見受けられ、縄張りも城跡遺構もほぼ当時の状態のまま、あるいは風化されるままで現在に至ったものと思われるが、石垣跡だけに限って言えば五世紀に渡る風雪あるいは自然災害を乗り越えよくぞここまで自然保持されたものである。数年振りに訪れたこの山城の山頂に一人佇めば城跡を独り占めした気分にもなれ、更に当時の過酷な戦国期を生き抜いた人達の情感にまでも触れそうに思えるのである。はかなくも天下を取り損なった明智のこの城跡は未だ戦国ロマンに包まれており、険峻な山容も加味すれば正しく「天空の城」そのものの様に感じられた、登山も山城見学も両方堪能する事が出来る貴重な城跡の一つである。

17_koguti_dorui 馬場虎口土塁見所

19_baba 馬場跡

23_shukaku_higasigawa 山上主郭の現状

29_koguti_isigaki_2 北虎口付近の石垣見所

27_minamiheki_isigaki_2 32_seinan_isi 残存石垣見所

46_higasikaku_hasi_1 山上東郭群

36_oni_kakehasi_1 西郭の景勝鬼の架け橋

2009年3月12日 (木)

野山城跡(兵庫県丹波市)

城跡は丹波市春日町野山にあって、既にリポート掲載に及んだガンジョウジ城跡とは南北に長い同じ山塊にあり、権現山(標高349m)から東に向う枝尾根上先端に位置している。黒井城の西側を抑える砦跡にも窺えるこの山城は、通常は山塊を挟んだ集落の真反対側(市辺集落)から登山道が通じている様にも思えたが、距離も時間もたっぷりかかりそうに感じられ敢えて最短直登ルートを選択した。城跡へはルート図の如く国道175号より山側の道にそれて、写真画像に示す作業所建物の左手奥より上り始める、獣避けフェンスを開閉して南西側に向いて急斜面を休まず上れば20分もあれば山上郭に辿り着く事が出来る。

現状ほぼ二郭で形成されるこの小規模な城跡は意外にも藪化しておらず、見通しも利く事から多くはないが遺構のほぼ全ては判別確認出来る状態にある。郭内及び郭壁には多くの自然岩が露出しており郭形成にも一役買っていそうにも思われ、露岩を取り込み石積み跡の様にも窺える箇所が西郭壁では目に留まったが、これを遺構とするかどうかの判断は見学者に任せたほうが良さそうには思える。ちなみに個人的には石垣跡と思いたいが、自然に岩が割れて石垣跡に見えるものの様に思えた、、

城跡は戦国期における砦跡(ほぼ完存とみた)としては充分過ぎる風情を残しており、要害堅固がそのまま当てはまる山城と目には映ったが、見所としては東西の尾根を分断する二本の堀切だけだと言っても過言ではなく、岩盤を削って築かれた西側の堀切は特に見応えが感じられた(凄い!)。個人的にもこういった砦跡は隠れ家的でもあり非常に好きな部類に入るが、急斜面をわざわざ直登で登った価値は充分あったと一人山上で余韻に浸るのである。この山城は登山における急峻さも手伝い、遺構の醍醐味は前述の様に堀切だけの様にも見受けられたので是非お薦めと云う訳にはいかないが、険峻な山城が好きで足腰に不安のない方、あるいは登山の好きな方であれば必ずや満足感には浸れそうには思えるのである。尚、下山時には北側へ向いて下りたが、沢筋沿いから麓の墓地までは山道が窺えたので、案外此方から進入登山しても良かったのかも知れない。ただ途中から道は消えるが、、

1route_2 登城ルート

5 直登口

3noyama_2 城跡概念図

10_rinkaku_1 東輪郭

13_higasi_kaku_1 東郭

15_higasikaku_iwa_yagura 東郭櫓台か

21_horikiri_1 堀切

25_shukaku 西郭

28_nisi_haigo_iwa_2 西郭壁大岩群

30_horikiri_2 32_nisi_horikiri_heki 西堀切見所

注) 余談になりますが城山一帯(他、丹波地方も但馬地方も同様)は鹿が繁殖しており、暖冬のせいも相俟ってダニの巣窟と化しています。今回の登山(三月)でも相当数のダニがズボンに付着していました、面倒ではありますが見つけたダニは小まめに掃うのが最良の方法だと思います。

2009年3月 6日 (金)

穂坪城跡(兵庫県丹波市)

城跡は丹波市柏原町母坪にあって、阪神側から城跡を目指せば国道176号より「稲継」交差点で左折、後は国道175号をルート図の如く進行してスタート地にあたる公園駐車場(道が狭いので路駐は無理)を目指せばよい。ここからは道路を南下すれば右手住宅地の間から墓参道が丘陵上まで通じているので難なく南側の堀切までは到達出来る。この城跡は要衝地にある事からも落城の史実も多く残されており、城主の交代も戦国期においては数度あったようだが、最終的には光秀による丹波平定後は廃城となった可能性が高い様に見受けられる。

1route 登城ルート

3a 3x

城跡概念図

個人的には二回目(三月)となる訪問だが、前回は時期が悪かったのか密生する雑木藪の為に主郭より北側(本命)を残して撤退を余儀なくされてしまった苦い記憶がある。今回は冬枯れの時期を狙っての再訪になったが、前回よりは随分マシ(藪化は進行中)なので山上全域を踏破する事が出来、残存する遺構もほぼ判別確認することが出来た。城跡の見所として挙げられるのは状態の良い縦堀、堀切、郭切岸と言ったところで、ほぼ完存とも見受けられる遺構群は期待した以上のもので、直線的に郭を配しただけの縄張りプランではあるが、低山でありながら急峻な地形も相俟って山城としての醍醐味は充分感じられた。しかしこの城跡はこれだけに終わらず、到達地点にある堀切より南側に足を延ばせば現在墓地となっているが、此方も当時は郭跡にも見受けられるもので、更に南側を上れば便宜上妙見郭とするが穂坪城南出郭と呼べる比較的規模の大きい三郭で形成される郭群(全長100m近い)に行き当たる。ここには当時のものとするかどうかは判断しかねるが、櫓台の様相を呈した方形土塁(10m四方)が残されており、更に南側には神社敷地として多少造成整地されたのかの様にも見受けられる広い郭跡、その先端藪の中には土塁虎口跡も窺えた。尚、更に尾根上を数100m南に向えば広く細長い削平地が連なっており、様相からしても砦跡の様にも見受けられたので、此方も穂坪城塞群の一翼を担っていた郭群と解釈しても良さそうには思われた。

今回の訪問は南北数キロに渡る穂坪城塞群の探索となり、更に南側の高見城跡にまで繋がる尾根上までは踏破は出来なかったが、この城跡の城域の広さは充分に窺い知る事が出来た。結論から述べると穂坪城跡は妙見南出郭まで含めれば、墓地としてあるいは近年の宅地壁面造成の為に多少の地形改変は見止められるが、正に推奨に値する城跡と目には映った。国道から直ぐ近いとあって既に訪城した方も多いとは思われるが、訪問時期さえ間違えなければ今回の様に見学も容易く、夏季に訪問されて苦い経験のある方、あるいはまだ未訪の方にとってはタイムリーな現況報告になったものと思いたい。

16_tatebori 南斜面の縦堀見所

26_minami2_2 南郭2

30_shukaku_heki_1 主郭南壁

38_kita3_kaku 北郭3

40_horikiri_1 堀切見所

41_horikiri_heki_2 北側土塁堀切壁

49_demaru_hokutan_1 出郭群北端

Myouken 妙見(南出郭)郭の概念図

7_horikiri_1 南尾根堀切見所

11_kitakaku 妙見南出郭

H_75 櫓台か

H_73 社殿南側削平地

2008年12月23日 (火)

市原城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市今田町市原にあって集落の北西に聳え、道路沿いから見るにすぐ山城と見分けの付く綺麗な形をした山の山上が城跡、八上城主波多野氏の家臣でもあった小野原氏の居城と伝わるが詳細は不明、尚この地より東側2kmの距離には小野原砦跡とされる遺構が残存している。

城跡へは国道372号より今田地区に入ればルート図の如く進行すれば、道路沿いに城山神社と描かれた赤い大きな貯水タンクが眼に留まるので、城跡進入路は直ぐ確認出来る。後は近世に設置された長い石段を登り切れば山上まで辿り着ける。

現在山上主郭には城山稲荷神社が建立されており、当時の面影はほとんど失われていると思われるが、郭構成としては当時より大きな改変はされていない様にも見受けられる。規模も小さく物見程度の機能としか目に映らないもので、麓のどこかに居館があったと想定すれば、有事における詰城の機能を担っていたのであろうか。

Ono 登城ルート

Ono_3 麓より遠望

Ono_5 山上郭群

Ono_6 Ono_7 山上主郭の現在状況

小野原(東砦)城跡  この城跡へは国道372号を走り、市原城跡に向うまでに国道からはすぐ目に入るが、ルート図の如く一旦国道を外れて墓地から直登する(10分内で)以外方法は無い。城跡はほぼ単郭構造の削平地であり面白味にも見応えにも欠けるが、土塁壇と堀切だけは西側に一本だけ備わっている。現状(7月)自然任せで木々に覆われているが、残存遺構は堀切と郭跡のみなので判別確認は可能である。市原城跡に寄ったついでとして訪問する分には、何ら期待外れに終わる事は無い様に思われる。もちろん市原城跡も山城を体感するだけの城跡ではあるが、、、

1route_3 登城ルート

5_tozanguti 登山進入路

10_shukaku_dorui_dan_1 主郭土塁壇

12_horikiri 堀切

2008年12月21日 (日)

大上東平城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市大上にあって西ノ山城から見ればすぐ東側に隣接する南北に長い独立した山塊の山上が城跡であり、二峰の最高所に主郭を備え南北の二城から形成される山と見受けられる。城史に関しての詳細は不明であるが、規模及び形態から推察するには、畑氏の居城である八百里城とこの城跡の中間に土居の内(畑氏館)が存在する事からも、館周域を固めたとも思える支城あるいは砦とも見受けられるが、少なくとも明智の関わった城でない事だけは確かであろう。

城跡への道順としてはルート図に示す様に西ノ山城から歩いても行ける距離にあり、二箇所の分かり易い進入地点があるが、西側には民家が集中しており自ずと民家の庭先もかすめ、民家所有の畑地あるいは竹林地も通り抜ければならない事からも、最北にある池側からの直登をお薦めしたい。此方からの直登では尾根上を南に移動して北城主郭までは10分程度でもあり、そのまま南端の主郭から南郭まで縦走すれば少し距離はあるが、山上におけるほぼ全ての遺構を確認する事が出来る。

現状(12月)城跡は案外雑木は多いが、落葉している事もあって移動に難渋する事も無く、遺構を確認しながら全体をほぼ見て回れる状態にはある。特別採り上げるべく遺構は存在しないが、強いてあげれば南北を分断する深い堀切(堀切道)と言う事になる。本来は東西に抜ける移動道でもあったようだが、現状では倒竹あるいは堆積物で通行は出来ない状態にある。この堀切道は下山時において竹林地を通過し迂回しながら確認したが、民家背後の畑地まで土塁を伴って構築されており、比較的見応えを感じる事は出来た。山上郭群においては北城に郭切岸、堀切、土塁跡などを窺う事が出来たが、少し規模の大きい南城では切岸は確認出来たが、急峻であるせいか堀切などは認められなかった。手っ取り早く城跡を見学したい方にとっては、自然風化に任せた当時のままとも思える、北城の遺構見学だけで充分満足出来るのでは無いかとも思われる。

1ooue 登城ルート

H_40a 城跡遠望

3higasi 城跡概念図

8_kita_horikiri_1 北堀切

12_higasi_dankaku 北城段郭群

21_minami_hasi_kaku 北城南郭

23_tyuuou_horikiri_3 中央大堀切見所

26_minami_shukaku_1 南城主郭

尚、この城跡から西側すぐの距離にある県指定史跡にも挙げられている土居の内跡(畑氏館)は、この地方では珍しい方形館跡でもあり、周囲は分厚い高土塁及び水堀によって守備され、残存状態も良い事から非常に見応えもあり、是非訪問をお薦め出来る物件でもある。現状少し埋もれて一部畑地になっている水堀跡は幅もあり、甲賀地方でも中々御目にかかれないほどの、素晴らしい遺構と断言出来るものである。Yakata_1 Yakata_2 Yakata_3 Yakata_4

2008年12月19日 (金)

大上西ノ山城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市大上にあって、先にリポート掲載を終えた武路城跡とは南側に延びる尾根を共有しており、その丘陵地でもある尾根先端が城跡であり、明智の八上城攻略の為の向城と伝わる。

城跡へは武路城跡を起点にすれば分かり易く、ルート図の如く佐佐婆神社の横を通過して西側の山道から城跡へと向えば、5分もあれば城域でもある北出郭と呼べる削平地に辿り着ける。基本的には城跡のある丘陵地の東民家側、あるいは南端のどこから取り付いてもすぐ上れるのだが、個人所有の山とも見受けられるので、人の目も気にせず入山出来る民家の無い此方側からの登城をお薦めしたい。

現状(12月)城跡は到達地点である出郭周辺は竹林地帯あるいは雑木も生い茂っているが、北端に位置する大堀切を越えて主郭側に向うほど状態はましでもあり、現存する遺構群はほぼ判別確認可能な状態となっている。この城跡の最大の見所は南北丘陵上を分断する三本の大堀切、及び主郭西側に設けられた六本の連続する縦堀群に尽きるのではないかと思われるが、縦堀群は相当埋もれながらも形状は遺し、それに付随している土塁跡、横堀跡も僅かながら当時の状態を留めている状態である。縄張りとしては北端の堀切を越えて更に北側に向いて規模の大きい削平地が繋がっているが、削平のみで切岸処理はされていない様に見受けられた。基本的には広大な規模を持つ単郭構造の大味な城跡なのであるが、櫓台とも見受けられる二箇所の主郭隅には横矢構造も窺え、随所に考えさせられる技巧が施されているのが窺えた。

流石に明知の関与した城だけあって、石垣城としては周山、金山、福知山、亀岡、須知城と完成度の高い素晴らしい城跡が多いのだが、土塁城としても法貴山城と同様に堀切が多用されており、技巧を伴った堀切構造からも城跡に先進性を感じ取る事が出来る。篠山から丹波地区周辺にかけての城跡とは異なり、他に類を見ないほどの形態でもあり、ひときわ異彩を放っている様にも感じられる。正に明智入魂の城跡と言えるのではないだろうか。残存状態も比較的良く、丘城でありながら人の手の余り入っていない様にも見受けられるこの城跡の堀切群は、正しく一見の価値に値する遺構と言えるものである。

尚、城跡すぐ東側に位置する大上東平城についての現況報告は、まとまり次第掲載の予定

1ooue 登城ルート

5_1_2 進入路

3ooue 城跡概念図

15_dai_horikiri_2 主郭北堀切見所

16_nisi_sita_yori_dai_horikiri 西より堀切土塁

14_horikiri_yori_yagura_heki_1 主郭櫓台切岸

20_shukaku 主郭北側

21_shukaku_1 主郭南側

25_nisi_karabori_dorui 西横堀と土塁跡見所

26_tatebori_e_2 縦堀上部見所

2008年12月18日 (木)

大山城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市大山下にあって、篠山川に北から合流する大山川の流れる川沿いの段丘に位置する城跡、中沢氏の居城と伝わる

城跡へは国道176号を北上した場合「大山下」の信号で左折しそのまま直進、橋を渡ればルート図の如くN住宅設備の横を右折、後は農道に近い細い道路に従い城跡を目指せば、案内板と立派な空堀が眼に留まるのですぐ城跡だと確認出来る。途中にも道標が無いので進入路が案外分かり難く、見学に訪れる人も少ないのではないかとも思われる。

城跡は現状主郭周りを除いては一部が藪地、ほぼ全域が農作地となっており、現状から当時の城域を判断するのは個人の想像力、あるいは推察力に頼るしか方法は無い状態と思える。しかし本命でもある主郭周りの遺構としては、深さは失われているが幅のある空堀(地形から察しても当時は水濠と思われる)、大手の土橋、郭切岸、西側を分断する堀切などは明確に判別出来る遺構として残存している。現状一部畑地と化している広大な主郭内は、当時は土塁で仕切られていたか、段差を設けて郭境としていたかの様に窺え、微妙な地形からある程度察する事は可能である。東側の川傍から主郭を望めば、多少の崩落土は認められるが、直立した高い切岸は相当な見応えがあるもので、スケールの大きい空堀と並んで城跡の見所と言えるものでもある。

現在の状態からすれば城跡の遺構残存度は低いが、主郭周りの残存状態は比較的良く、当時を物語る空堀遺構も平城にあっては中々値打ちのあるものと言えるので、戦国期平城(丘城)の状況を今に伝える城跡としては非常に史跡価値のあるものではないだろうか。 山城巡りを主体におく自分にとっては、今回は非常に新鮮さを味わう事の出来た訪城となった。

1route 登城ルート

2z 城跡概念図

3 現地案内板より

5z 大手東側の空堀見所

5_horiato_1 14_2大手西側の空堀見所

12_oote_syoumen

主郭

8_hori_dorui

大手虎口土塁、空堀

25_honmaru_kirigisi_2 主郭東切岸見所

26_horiato 南側堀切見所

2008年12月17日 (水)

武路城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市今谷にあって、そこからはすぐ西側に八百里城も望める位置にある事からも、支城あるいは砦跡とも窺える山城。

城跡へは八百里城を起点にすれば分かり易く、ルート図の如く北側から農道へ進入する。正面の丘は既に城域の一部とも窺われる削平地となっており、突き当たりの小川からすぐ右手に眼に留まる小屋まで歩き、橋を渡れば小川沿いからそのまま丘陵に取り付く、後は南に向いて急斜面を上れば10分程度で山上主郭までは辿り着ける。

現状(12月)山城巡りとしては最高の時期でもあり、山上郭内は木立は多いが落葉もしており、移動も容易く見通しが利く(道路に路駐した車が見える程)ので、遺構は全て判別確認出来る状態にある。城跡は主郭の最高所には櫓台と見受けられる小規模な土塁が設けられており、自然地形をそのまま利用して尾根を削平し、五本の堀切によって尾根は分断され郭も独立した形態となっている。よって小規模な山城ではあるが見る者にとっては変化に富んでいる分、楽しく見て回れる状況でもある。見所を挙げれとすればやはり五本の堀切と言う事になるが、特に東郭から出郭に至る南斜面の橋を挟んだ二連の堀切は、風化によって随分埋もれてはいるものの、城跡中一番技巧を感じ取る事が出来る見応えのある遺構と目には映った。

地形図から察せられる様に西側枝尾根上あるいは更に南側尾根上にも間違いなく郭は展開されていると推察されるが、恐らく取り付き地点に窺われた様な削平地といった程度のものとも想像出来るので、探索はこれまでとして次の予定地でもある、尾根は共有しているが遠く南端に位置する大上西ノ山城に向う。

1_route1_2 登城ルート

5_1 進入路

3buro_2 城跡概念図

10_shukaku 山上主郭

9_shukaku_yagura 櫓台土塁

17_minami_kaku_1 南郭

18_horikiri1_1 南側堀切見所

25_horikiri 東郭堀切

26_higasi_kaku_1 東郭

27_horikiri_dorui_2 東郭南斜面の堀切見所

2008年12月16日 (火)

東本庄城跡(兵庫県篠山市)

今回この城跡を訪問するにあたっては情報も乏しく、結論から先に述べると、この地を東本庄城と断定するまでには至らなかった。しかし明確に残存する郭跡、土塁等は確認する事が出来たので、取り敢えず城館跡の様にも窺えるが、東本庄の地にある事からも便宜上仮)東本庄城とさせて頂き、訪問リポートとして掲載に及ぶ。

一説によると細工所城主であった猛将「荒木鬼」こと荒木氏綱が、明智率いる丹波攻略軍の前に降伏して隠居した(?戦死の説もあり)のが東本庄の城であったらしく、正に城館の様相を呈すこの城跡は最もそれらしく見えてしまう。細工所城からも真西の程近い場所に位置するこの城跡は、仮にその城館でなくとも砦あるいは支城としての機能は充分窺えるものである。

城跡は兵庫県篠山市東本庄にあって車塚古墳の東側の丘陵上(先端に古墳展望所)にある。国道173号を北上した場合は細工所の信号で702号へと左折進路変更、少し走ると古墳が眼に留まるので、橋の手前で右手側に城跡の位置を確認すると同時に、古墳展望所への山道も確認出来る、そこを登れば山上までは2~3分もあれば到達出来る。

現状(12月)山上郭は冬季にも拘らず雑木も下草も蔓延っており、自然に任せた荒れ放題の様相を呈している、移動に困難を来たす事は無いが地表面が表に出ていないので土塁跡などは確認し辛い。それでも山上最高所における周囲を土塁で囲んだ郭跡及び他の削平された郭跡も確認する事は出来たが、城跡としては特別見応えのある遺構は存在しない。更に丘陵上は北へと削平地が繋がっている様にも見受けられたが、密生する雑木の為に踏破は断念する。櫓台の様に見受けられた主郭から南側も藪で確認し辛いが、少し緩い傾斜で展望所まで郭跡が繋がっている様には見て取れた。概念図に示す様に城跡は、屋敷跡とも窺える広い郭跡を取り囲む様に背後は山上郭で固められており、ここを仮に館跡としても全然違和感の無いものの様には見受けられる。

この城跡に関してはここが東本庄城と断定出来る、新しい情報でも入れば再掲載に及ぶつもりではいるが、この周辺にはまだ幾つかの城跡(候補地)もあり、余程の材料が出て来ない限り、ここを隠居所(居館跡)と特定する事は専門家でも無理かも知れない、、、ただ個人的には光秀も含めて、これからは荒木氏綱という武将のファンになりそうでもある。

1route 登城ルート

4 古墳より遠望

3 城跡概念図

6_higasi_gawa_yasiki 東屋敷跡

10_shukaku_dorui_ato 山上主郭土塁跡

11_shukaku_kita_sizenkaku 主郭北側削平地

16_shukaku_yori_minamikaku 南郭群

13_nisikaku 西郭

17_minami_tenboudai 展望デッキより古墳

2008年12月15日 (月)

中村城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市中にあって、既にリポート掲載済でもある福井城跡あるいは豊林寺城跡の国道を隔てた東側に位置する山の山上が城跡。八上(山上)氏の居城と伝わるが、光秀の丹波攻略軍の前には落城、其の後は光秀に仕えたとされている。

城跡は国道173号「福井」の信号のある交差点から北東側に既に望め、自ずと場所は確認する事が出来る。後は大芋小学校を目指して集落に入れば交番の横から忠魂碑まで上る道があるのでそれを利用し、そこからはルート図に示す様に直登になるが、北に向いて上れば自ずと山上までは20分内で辿り着ける。忠魂碑背後付近には屋敷跡と見受けられる郭跡があり、そこから左手側の尾根を上った方が分かり易く上れるかも知れない、、

現状(4月)城跡は藪城を覚悟して臨んだが、冬枯れ後とあって予想していたよりも見通しが利き、小規模な山上郭群は全て把握出来る状態にある。自然岩をそのまま郭壁として用し、主郭には櫓台と見受けられる小さな土塁跡、北側には相当埋もれたとは思われるが堀切までも備わっている。現状を見る限りでは詰城、物見あるいは狼煙台といった程度の砦規模ではあるが、この佇まいはやはり戦国期の山城の様相でもあり、中々ロマンには浸れそうな雰囲気は醸し出している。地形図から察する処では南東側尾根上にも郭の展開は予想されたが、後の予定を考えれば長居をする事も出来ず次の目的地へと急いだ。

1route 登城ルート

4 城跡遠望

3 城跡概念図

27_fumoto_yasiki_2 忠魂碑背後

15dorui_yagura_ato 主郭櫓台

18_higasi_obi_iwa 東側帯郭

24shukaku_yori_kita_gedan1 北郭群1

20_kita_gedan2 北郭群2

22_kita_horikiri 北端堀切

2008年12月14日 (日)

八百里城跡(兵庫県篠山市)

new この城跡は過去既に訪れた方であればお分かり頂けると思うが、個人的にも二年前の九月に訪問した時は時期も悪かったせいもあるが、山上郭群は全域にかけて猛烈な矢竹密生地と化しており、見通しも悪く視認も出来ない状態にあり、主郭までは当然立ち寄れずたまらず途中で下山した苦い経験が残っている。しかし二回目訪問となる今回はなぜか矢竹群も一掃されており、冬枯れの為に落葉もしているので山上郭群の見通しは利き、山上における遺構は全て判別確認可能な素晴らしい状態に変貌を遂げている。自分と同じ様に過去には途中で下山された方もおられるのではないかと思い、いち早く現況を報告すべく掲載に及んだ。

篠山市瀬利にあって、麓から望んでも美しい形の八百里山(標高442m)がこれから目指す城跡。畑氏の居城と伝わるがこの山城を体感すれば当時の畑氏の勢いは感じられる筈である。集落に到着すれば道路沿いの案内板からルート図の如く山に向いて進入し、すぐ先に見える御堂横の赤い鳥居を潜ればそのまま真直ぐ山道に沿って上る、縦堀沿い(堀切道)に上る事になるが分岐点である尾根は削平地となっており城域はここまでも及んでいる事が把握出来る。ここからは右手に進路を変えて山上を目指せば、30分前後要するが迷わず山上郭群には辿り着ける。尚、道中にも石垣跡や縦堀などが眼に留まるので遺構としても見逃せない。

城跡は前述の様に過去の面影は無く、素晴らしい(山城にしては)状態を呈しており、今回やっと城跡の全貌を把握する事が出来た。はっきり言って郭を並べただけに終わっている縄張りは、シンプルであり大味である為に、縄張り妙味には余り期待出来ないが、状態の良い直立した高低差のある郭切岸、険峻な山上に大堀切まで設けた縄張りプラン、完存とも言える遺構残存度の高さ、どれを採り上げても醸し出す雰囲気は城跡としては一流のもので、尚且つ険峻な山上を埋め尽くした郭占有面積は相当なものを誇っており、大名クラスの城跡にも匹敵するほどのものである。

とにかく山城の密集している篠山地方にあっては、有数の高所に位置する本格的山城でもあり、山城としての醍醐味あるいは険峻さも含めてこれぞ山城と呼ぶに相応しい城跡の一つである事は確かである。今回は城跡を時期的にもタイムリーに訪れることが出来、かつて自分と同様に苦い経験を持たれた方にとっては、機会があれば是非この現況リポートを参考にして、変貌を遂げたこの豪快な山城を体感して頂きたいと思う。

1_1a 登城ルート

8_tozanguti_1 登山口

3yao 城跡概念図

14_yasiro_kaku_isi_1 社殿郭壁の石垣跡見所

28_nobori_dorui_higasi1_1 東郭群の上り土塁

29_higasi1 東郭切岸

32_2maru_1 二の丸

34_shukaku_koguti 主郭虎口

38_dai_dorui 主郭大土塁見所

44_dai_horikiri 44_dai_horikiri_2 大堀切見所

2008年12月12日 (金)

沢田城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市前沢田にあって篠山城跡からは北東側の目と鼻の距離にある、小林寺の背後の山が城跡であるが寺院から墓地までの周辺全域が縄張りと見受けられる。八上城主である波多野氏に仕える七頭の一人で代々小林氏の居城と伝わるが、明智光秀による丹波攻略軍の前に落城の歴史あり。

城跡へは篠山城跡からも程近いので、ここを起点にして小林寺を目指せば迷わず辿り着けるが、この城跡は市内平野部の中に単独で孤立しており、仮に波多野氏傘下でなければ間違いなく真っ先に落とされていたとも思える立地条件下にあり、平山城といっても急峻でもなく、ほとんど高さもない山上に主郭は位置している。現状(3月)城跡は冬枯れ後に訪れてはいるが、山上のほぼ全域が隙間無く覆われる竹あるいは雑木の密生林となっており、堆積物などによる地表風化も相俟って郭段差などは判別し辛く、形状も把握出来難い状態にある。当時の郭構成はチープすぎる現地縄張り図によってある程度は理解出来るが、ほとんど郭跡の位置確認のみに終わっているので中々イメージし難い。郭群の中では馬場跡に相当する南郭が一番郭跡としては判別し易く、現在でもそのまま削平地として残されており、堀切まで残存(当時のものとみた)しているのが窺える。

主郭西側にある現在の墓地も縄張りからすると本来は郭跡と思われるが、近世における寺院造成の際にどこまで地形改変があったのかは想像する他はない。しかし池を挟んだ西側には現地縄張り図には表示されていなかったが、西出郭と呼ぶに相応しい小規模ではあるが明確に判別出来る、切岸処理のされている数段の郭群が形成されていた。これらは残存状態も良く、余り見るべく遺構のない城跡にあっては一番当時を物語る遺構とも言え、沢田城跡を訪れた際には決して見逃してはいけない遺構の一つだとも思われる。

1route1 登城ルート

3z 城跡概念図

9_honmaru 山上主郭

11_karabori 空堀跡

18_minami_kaku 南側馬場跡

17_horiwari 南郭堀切見所

35_demaru 西出郭

Demaru_kaku_3 Demaru_kaku_7 西出郭内の郭跡見所

奥谷城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市殿町にあって、波多野氏の居城として名を馳せた八上城の前身とも言える山城(丘に近い)。別名 蕪丸城跡

本城でもある八上城跡は、山頂から四方の枝尾根に砦や郭が展開される巨大な城塞群であるが為に、個人的には未だに全域踏破を成し遂げていないのが現状であるが、此方の方は八上城の南側枝尾根のほぼ独立した先端部に位置しているので、麓の道路傍からはすぐに上れる位置にある。

城跡へはルート図の如く国道372号を走り、「八上」の信号西手前から南側へ針路変更、後はルート図の如く川沿いを南下すれば、難なく進入口となる案内板を見付ける事が出来る。(麓の案内板横から上れば、急斜面ではあるが5分内で山上主郭まで辿り着ける)

地図上から、あるいは遠く外見から判断しても小規模な砦規模の城跡を想像していたが、実際城跡を構成する郭群は意外にも規模が大きく、遺構群は其の中に凝縮されていた。最大の見所は北尾根を分断する二本の堀切で、特に主郭背後の堀切は現状ではほぼ埋もれた形となっているが、両サイドに縦堀となっていく様は非常に見応えのあるものである。主郭西側には屋敷跡にも窺える規模の大きい郭跡があり、その北側には縦堀及び二段に連なる大土塁もそれに付随している。現状(8月)夏季ではあるが、山上主郭周りは意外に木々も少なく案外見通しも利く状態となっている。ただ西側は竹林、雑木林となっているので、外見からの視認には中々難渋するのが現状である。

この城跡は有名な八上城の前には、陰に隠れた存在となっているが、当時のまま自然保持されたとも思える遺構の残存度は非常に高く、当然本城と比べるレベルにはないが、凝縮された遺構の数々は決して期待は裏切らないものと思える。

1 登城ルート

7_tozanguti_1 登山口

3ok 城跡概念図

13_minamikaku 南郭

15_shukaku_koguti 主郭虎口

15_shukaku_nai 主郭

19_kitakaku 北郭

20_kita_yori_shukaku_heki 北郭より主郭切岸

23_kita_horikiridou 北端の堀切

32_yasiki_kaku_1 西屋敷跡か

2008年12月10日 (水)

今福城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市今福にあって、多紀教育会館の直ぐ北側にある背後の丘陵上が城跡、畑氏の居城と伝わるが、八百里城主である畑氏とは同族なのかもしれない。

城跡は既に訪問リポート済である矢代城、遊谷城の中間辺りに位置しており、県道140号沿いにある多紀教育会館を目指せば分かり易く到達出来る。多紀教育会館の周りは現在住宅地となっているが、その背後が城跡なのでどこから取り付いても直ぐ上れるが、図に示す二通りが一番分かり易く、早く辿り着ける。

現状(10月)城跡は当然自然任せの荒れ放題であり、最高所に位置する主郭(櫓台)から城中最大と見受けられる西郭へは全域が踏み入ることも出来ない程の藪となっており、外見から形状を推察するしか手は無い。しかし他は移動も視認も容易であり、居館跡とも窺える土塁跡の残る広い郭、北側の堀切などは確認出来る遺構となっている。縄張りとしては案外まとまっているので全体を見て回るのも容易く、戦国期における城館跡の姿を目の当たりにする事が出来る。

当時の城域とも察せられる南住宅地側は宅地造成によって削られた形跡があるが、どこまでの地形改変があったのかは推察するしかない。

1x 登城ルート

3d 城跡概念図

11_horikiri_1 北堀切

15 主郭

18_minami_yasiki_2 南側屋敷跡

22_higasi_gedan 東下段郭

25_higasi_gedan_yori 東より主郭切岸

白藤城跡(兵庫県篠山市)

この城跡は訪問結果から先に述べると、山上主郭までは充分辿り着く事が出来たが、現状12月(昨年)、冬季にも拘らず雑木は生い茂り、凄まじいまでの藪の為に郭内を移動する事、あるいは視認による遺構確認はほとんど不可能な状態にある。しかし外壁斜面を回りながら移動すれば何とか一部の土塁、二重堀切、切岸までは判別確認出来る、外見上の起伏から判断するには単郭に近い主郭と判断したが、周囲を回ってみてもそれほど規模の大きい城跡では無い事だけは確かである。ただ地形図から察しても南西側には郭の展開が間違いなく予想されたが、視認にも移動にも難渋する状態では、遺構確認も出来ないと思われ踏破は断念に至る。結果的には未踏地を残してしまったが、取り敢えずこれから訪問する準備のある人にとっては、城跡の現状報告とした形で参考にはなるかと思い掲載に及んだ。

城跡は兵庫県篠山市藤坂にあって中馬氏の居城を伝えるが、この人物は光秀の丹波攻略軍の前に屈して後に光秀の家臣となった模様。

城跡へは国道173号を北上した場合、藤坂辺りで一般道300号へ左折進路変更する、後はルート図の如く道路上からも見渡せる低山の城跡の位置だけ確認し、車は道路沿いにある公民館の敷地に預け、北側に向いて一直線に山まで延びる道路から橋を渡り、山裾フェンス沿いににある池のそばまで歩いて向う。そこからは右手側(東側)の斜面に取り付けば、おのずと縦堀を登る形となり山上までは辿り着ける。

城跡が位置するのは植林も行われていないただの藪山なので、これからも自然任せの藪化は益々進行すると思われるが、元より数百年レベルの年月を考えれば、遺構が残存しているのが普通ではなく、これが手入れされていない本来の山の姿でもあり、木々の伐採が行われない限りは、遺構を全て目の当たりにするのは至難の技とも思える。

1route 登城ルート

6_tozanguti_e 進入路

3 城跡概念図

15_kitakaku_dorui 北郭の土塁

16_kita_2jyuu_horikiri_3 北二重堀切

18_hokutou_kirigisi 主郭東側の切岸

22_higasi_kaku 主郭切岸

23_shukaku 主郭の現状

2008年11月27日 (木)

上鴨阪城跡(兵庫県丹波市)

new この城跡は兵庫県丹波市市島町上鴨阪尾端にあって、誉田城跡から見れば集落を図の様に、お互いの城跡で挟む形を採っており、道路を挟んだ南西側の独立した低山の山上に位置している。

ただ訪問したものの、この山城の呼称が現状における資料、文献で見つける事が出来ず、今回の訪問リポートにおいては区別する為に便宜上(仮)上鴨阪城跡としたが、誉田城塞群の一翼を担う、誉田南城跡と呼ぶに相応しい城跡だとは思われる。訪問結果として当時を物語る残存遺構には中々素晴らしいものがあり、今回の掲載に及んだ訳であるが、呼称については判明次第報告するつもりではいる。

城跡へはほぼルート図の如く城跡のある低山東山裾まで向かい、そこからは祠への山道を利用して尾根上斜面を上ることになる。比高70m程度なので10分もあれば山上までは到達出来るが、道中の痩せ尾根上には削平地らしき跡が数箇所に窺え、明確に土橋付き堀切遺構と判断出来る場所からが山上郭群となる。現状(11月)城跡は植林地とあって見通しは良いもので、地表は相当荒れてはいるが現存する遺構は全て判別確認可能な状態にある。山上郭はほぼ四郭から形成されるもので縄張り妙味には少し欠けるが、それぞれの規模も比較的大きく、山城としての見応えは充分感じられるものである。現在主郭には鉄塔が建っており、郭跡に多少の地形改変はあったとは思われるが、ほぼ削平地を転用したものの様にも見受けられる。主郭より西側斜面は土橋付き堀切を以って分断された形となっているが、これより中腹の小社までは斜面のみの地形となっている。

誉田城跡から西城、そしてこの山城と三城を同日訪ねた訳だが、この城塞群は竹田まで抜ける大きな街道からも相当外れた奥地に位置しており、当時の事情により敢えてこの様な場所を選択して築かれた様にも窺える、それにしても三城が独立しているとは言え、恐るべし城塞群である。この山城より西側の山上までは踏破はしていないが、恐らく山上に至るまでには郭の展開はあって然るべきだと思われる。

城跡を個人的に評価するのであれば、鉄塔の建つ郭跡以外はほぼ当時のままとも見受けられ、遺構残存度の高い城跡なので誉田城跡を訪れた際には、是非此方の山城にも立ち寄って頂きたいと思わせる城跡という事になる。

3 仮)上鴨阪城塞群概念図

3kami 城跡概念図

5tozanguti 登山口

14_horikiri_dobasi 東側土橋付き堀切見所

16_3maru 三の丸

19_2maru_yori_3maru_gawa 三の丸より主郭側

20_2maru_yori_shukaku 二の丸土塁壇より主郭切岸見所

23_shukaku 主郭

24_shukaku_nisigawa_1 主郭西側

26_horikiri_dobasi_1 西側土橋付き堀切

誉田西城(兵庫県丹波市)

new 先にリポート掲載に及んだ誉田城跡を仮に本城とすれば、堀切を挟んで西山上に位置する此方の城跡は、便宜上両者を区別する為に誉田西城跡として載せたが、実際にどちらが先に成立したものであるのか、あるいは誉田城跡の一城別郭として本来から成立していたものなのかは、現状では知る術も無い処である。

個人的に全体を見て回った結果としての判断では、山上に位置する西城の方が規模は勝ると思うが、堀切(二箇所のみ)の埋もれ方、利便性(高所に位置する)、技巧を用いない縄張りなどから先に成立したものと解釈したが、仮に両城併せた郭占有面積は非常に大きく、本城東端から西城西端までの城域は楽に1km近くには達するものと思われる。

西城跡へは本城西端の堀切から、そのまま急斜面を山上まで登り切れば10分内で到達出来るが、山上は起伏の少ない平坦地形であり、その尾根上は満遍なく郭群で埋め尽くされている。東西の両端に広大な郭が配されており、それを連結させる尾根上には風化の為に分かり難いが、段差の見て取れる郭群が無数に形成されている。技巧さは無いが山城の醍醐味は充分に感じられるものである。現状(11月)、状態も良いので山上における縄張りも掴みやすく、遺構としては陸上競技の行えそうな広い郭跡、土塁(櫓台)、堀切だけである(縦堀は確認出来なかった)が、此方の西城も充分見学に値する城跡だと思われる。

3nisi 城跡概念図

5_kiritoosi_3 上り口となる堀切

9_higasi_kaku_2 山上東郭

12_horikiri 埋もれた堀切

15_naka_kaku_gun 中郭群

17_nisi_kaku 山上西郭

20_yaguradai 山上西郭の櫓台土塁

2008年11月26日 (水)

誉田城跡(兵庫県丹波市)

new 兵庫県丹波市市島町上鴨阪にあって、集落中央を流れる川の北西から東へ繋がる尾根上東先端までが城跡。別名、余田城跡とも呼ばれ、かつては余田氏の居城と伝わる。

城跡へは国道175号を篠山方面から北上する場合、市島町「八日市」の信号で282号へ左折し、ルート図の如くそのまま登山口となる宗福寺を目指せば難なく辿り着ける。寺院からは広い集合墓地の最奥最上段の墓地から山上までは、鉄塔巡視道が通じているので、それを利用すれば10分内で西側斜面に二重堀切を構えた、削平地である分岐地点に到達出来る。それより右に向えば鉄塔の建つ削平地(郭跡)を通過して誉田本郭群を目指す事が出来る。

現状(11月)城跡は植林地ともなっており、鉄塔の建つ削平地周辺以外は非常に状態が良く、現存する全ての遺構は判別確認可能な状態にある。縄張りとしては西から東まで堀切を挟みながら、郭を直線的に並べた単純な構造であるが、それぞれの郭規模は大きく、城域は東西尾根上に跨り全長400mに達するほどのものである。最大の見所は城跡全体における切岸を含む郭跡の状態の良さであり、郭壁面には下草も木立も少ない事から、まるで当時の削られたままの切岸が甦った様にも見受けられる、技巧さには少し欠けて全体的には大きいだけで大味な城跡ではあるが、この状態の良さが全てを消し去ってくれている。もちろん風化によって堀切などは少々埋もれてはいるが、当時に思いを馳せる事も容易であり、それほど当時の状態に近いと思える城跡なのである。

この城跡に遺された美しい郭切岸は、他では中々御目にかかれないものでもあり、一見の価値のあるものとみた!

尚、寺院側から上った山上分岐地点から左側に向いて移動した斜面には前述の二重堀切が遺されており、更に下ると大堀切(堀切道)が設けられている。一番低地となるここを越えて更に西側急斜面を登り切ると、ここでは便宜上誉田西城とするが、西山上にも広大な郭群が展開されている。西城のリポートは次で掲載の予定。

1route_2 登城ルート図

3yo 城跡概念図

14_sizenkaku_yori_3maru_heki_1 西削平地より三の丸切岸

16_3maru 三の丸奥土塁

20_3maru_yori_shukaku_gawa_1 三の丸より二の丸切岸見所

22_horikiri_heki_1 二の丸西堀切

23_2maru_yori_3maru 三の丸

24_2maru_yori_shukaku_heki 二の丸より主郭切岸見所

25_shukaku_1 主郭

37_bunki_nisi_2jyuu_horikiri 西端の二重堀切見所

2008年11月23日 (日)

東中城跡(兵庫県丹波市)

new 兵庫県丹波市春日町東中にあって、既にリポート掲載済である赤井氏一族の居城「三尾山城」から見れば、別山尾根の北西麓に位置している丘城であり、城跡からは険峻な山容を誇る三尾山が直ぐそこに望める位置にある。黒井城主である荻野(赤井)氏の家臣である河津氏の居城と伝わるが詳細は不明。

城跡へは篠山方面から向う場合、国道176号あるいは175号を走り、県道69号に進入する事が先決となる、県道を東から西に向いて走れば、「東中バス停」傍の石碑のある場所から南下して八幡宮を目指す、車はこの付近に駐車出来るのでここからは池の堤防に沿ってルート図の如く歩けば、自ずと城跡までは5分もあれば到達出来る。

城跡は南北に細長く、全長100m程度の小規模なものであるが、技巧さも伴う遺構がこの中には凝縮しており、当時が甦るかのように残存状態が良く、更に手付かずの遺構は残存度も非常に高い見受けられる。丘城なので切岸も高く迫力があり、空堀から虎口跡、縦堀、土塁に至るまで、見所も満載の素晴らしい様相を呈している城跡である。南端に櫓台土塁の備わった主郭は規模も大きく、50m陸上競技が楽に行えそうでもあり、小規模には余り感じさせないものがある。三尾山城から覗けば北西側の麓真下にあり、形態及び機能あるいは規模においても砦程度の城跡なのであろうが、実際に城跡を目の当たりにしてみれば、全体像がある程度窺えるだけに、予想以上に見応え並びに迫力を感じ取る事が出来る。

丹波にはまだまだこの様に状態の良い、隠れた城跡が残っているとは驚きでもあり、個人的に城跡を評価すれば、期待は絶対に裏切られる事は無いと断言出来るので、まだ未訪の方は是非訪問して、砦規模ではあるがその中に凝縮された遺構の醍醐味を味わって頂きたいと思う、正に推奨に値する城跡である!

1route 登城ルート

4_2 城跡遠望

3higasi 城跡概念図

10_minami_gawa 城跡南端より主郭切岸

16_tatebori_e_1 17_higasi_tatebori_dorui_1 南堀切より縦堀へ見所

21_shukaku_minamigawa_1 主郭

25_kita1_yori_shukaku_heki_1 主郭北側切岸見所

31_nisi_koguti 西虎口見所

25_yagura_yori_kita1 北郭

30_karabori_dorui_1 西虎口下の空堀土塁見所

2008年11月16日 (日)

仁木城跡(兵庫県篠山市)

new この城跡へは昨年一度、寺院から南尾根を直線的に伝う直登ルートを描いて上ったが、山頂を前にして夕暮れとなり、危険と判断して断腸の思いで下山した記憶がある。今回は別の直登ルートを想定して上ったが、結論から先に述べると山上主郭(仁入道山 標高546m)へ到達するまでに、明らかに遺構として判別可能である尾根上に点在する削平地、土橋、大堀切(縦堀)、土塁虎口、空堀道を確認する事が出来た。前回の南側直登ルートでは、山頂までに規模の大きい削平地を数箇所で窺う事が出来たが、堀切などの技巧を伴う遺構は見つけられなかったので、それから思えば今回は明確な遺構にも巡り合え、別ルートで遠回りに上った甲斐はあった。

城跡は篠山市福住にあって既にリポート掲載済である籾井城からは程近く、国道173号沿いにある如来寺を目指せば寺院までは分かり易く辿り着ける。登山口としては初回登山時に選んだ直登ルートが下山時においては中々元のルートで引き返すのが難しい事も分かり、今回はルート図に示す寺院より数十m北側にある民家先に、国道から直接進入出来る山道があるので、そこから山裾をかすめて砂防ダムまで向う、そこを少し過ぎれば非常に急勾配ではあるが、直線的に尾根まで上れる山道があるのでそれを利用して一気に先端尾根まで上る。少し遠回りにはなるが西側から南尾根上を伝い、尾根上に点在する縄張りの一部でもある削平地、あるいは前述の遺構群も確認しながら山上まで向えば、約50分で山上主郭までは到達出来る。これなら踏み跡も少し残っているルートなので、要所に自分なりの目印を付けて上れば、下山時も迷わず同じルートで戻れる筈である(距離があるので絶対に要所の目印は必要!)。

山上郭群は古い形態の山城跡とみえて、切岸処理の見られない単なる削平地跡でもあり、現状では限りなく自然地形に近いもので、道中に点在する削平地の方が余程郭跡らしく見えた、ここが城跡の最高所にあたる主郭とはおよそ思えないものでもある。しかしこれだけの高所に築き、ここに行き着くまでには無数の郭で防備されており、当時においてはこの程度の縄張りプランでも良かったのかもしれないが、、 

城跡最大の見所は山上に行き着くまでの長い直線的な土橋(両サイドは崖状急斜面)、更にそこから大堀切を通過して、直角に折れ曲がる上り土塁虎口に至るまでの遺構で、これらは他に見るべきものの無い城跡にとっては、一番迫力も伴う見応えのある遺構群だと言えるものである。結果的にはこれだけの為に時間を割いて上った事にはなったが、個人的には念願であった城跡全体像をほぼ掴む事も出来、更に古い形態の山城を肌で味わう事も出来、非常に満足の行く訪城と言えるものになった。

1route 登城ルート

5 寺院前にある説明版より

3niki 城跡概念図

12_kitahasi_30m_kaku_1 尾根北端の郭跡

19_dobasi_2 長い土橋見所

20_dai_tatebori_1 土橋から片堀切へ

24_dai_horikiri 大堀切見所

27_ore_koguti 横矢を伴う土塁虎口見所

30_sanjyou_kuruwa_gun 山上郭群

尚、ルート図に示す緑色の部分は個人的に郭跡と判断した削平地であるが、見る者によっては違って目に映るかもしれない。紫色の直登ルートは最短距離ではあるが(山頂到達手前までは30分)、下山時に自分の体験からルートを外れる危険性が高いので余りお薦め出来ない。山上に到達するまでは距離も相当あり、城跡としての遺構も少ないので最初から多くの期待は捨てて臨めば、意外に満足感は得られる山城と言える。案内板には仁木少輔入道が拠った城跡と付記されてあったが、かつての丹波守護であり壮大な山城を築いた、高見城主仁木氏との関係まで調べるには至ってはいない。しかしあの高見城跡とは規模及び完成度でも遥かに劣っており、比べるレベルには無いので過度な期待は禁物。

2008年11月15日 (土)

白ゴウ寺城跡(兵庫県丹波市)

先に、この城跡に関しては戦国期において僧が立て篭もった城跡とだけは想像が付くが、現状文献などで調べてはいるが、まだ名称及び詳細が分からぬままなので、今回のリポート掲載に置いては便宜上(仮)白ゴウ寺城とさせて頂く。ただ城跡遺構としては北山上に社殿が建立されてはいるが、ほぼ当時のままとも思える状態で遺構は残存しているので、見学する価値は充分ある様に感じられる。

城跡は兵庫県丹波市市島町白(ビャク)ゴウ寺にあって、国道175号を北上した場合、信号「東勅使」で一般道283号へ針路変更し寺院を目指す、到着後はルート図の如く東側の城跡のある方向へ歩けば、程なく南北を分断する堀切までは到達出来る。堀切道沿いにある小社からは、北と南へ郭跡は分かれているので好きな方から見て回ればよい。

寺院は戦国期においては城郭寺院とも見受けられるが、寺院の東を遮る形で位置する南北に長い低山の山上が城跡となっており、山の中央を堀切道(切り通し)が走り、南北に城跡は分かれて郭は配置されている、ここでは便宜上南城、北城とするがどちらも砦規模であり、縄張り形態においては両者は少し異なっている。城跡に技巧的な遺構は余り見当たらず、南城に堀切跡、空堀跡が窺える程度なので、お世辞にも見応えがあるとは言い難い。自然に任せた風化により状態は余り良くはないが、想像力を駆使すれば当時に思いを馳せる事は容易でもある。(個人的には規模の大小を問わず、人の手のほとんど入っていない山城は、想像力を掻き立てられるので楽しいが、、、)

形態としては寺院を谷筋の中央に置いた時、南側は天然の水堀(谷川)、背後は山に囲まれ更に前面となる東側は要塞の如し砦で固められ、前述の堀切道が唯一の出入り可能な大手道であった様に窺われる。これらから解る様に全体を見れば非常に優れた縄張りプランの城郭寺院の様に見受けられる。寺院内にも当時の面影を残した土塁、あるいは郭跡が現存しているので、それらも見逃してはならない遺構の一つと思われる。尚、寺院内の一角にはなぜか赤松円心の子である貞範の宝印塔が建っているが、これはこの地が赤松氏ゆかりの地であると考えるべきなのか? 現状ではまだ謎ではあるが見ておいても損にはならないだろう。

1route_1 登城ルート

3_2 城跡概念図

10_daihorikiri 中央の堀切

12_kitajyou_e_dankaku 北城へ

25_karabori_dobasi 北城堀切土橋

20_karabori_dorui 南城空堀土塁

35_shukaku_ooiwa 南城主郭壁

37_shukaku_nai 南城主郭

小和田城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市青垣町寺内にあって、八幡宮背後の山上から南西に向いての尾根上あるいは未踏になったが、南東尾根上も城域と見受けられる比較的城域は広い山城。足立氏一族の居城と伝わるが山垣城の支城の様に窺われる。

城跡へは国道427号から東側の道路に進入すれば、直登口に選んだ八幡宮は山裾の道路沿いにあるので直ぐに確認出来る、ここからは神社経由で右手側の急斜面に取り付き、直登を敢行すれば南郭群の一角には10分内で到達出来る。尚、山上からは下に向いて山道が通じていたので南東側の民家付近からは登れたのかも分からない、、、

現状(11月)城跡は相当雑木が蔓延り、主郭より南側麓斜面に向いては伐採され放置された材木、あるいは木立や倒木で移動にも難渋する状況となっており、遺構の判別確認は難しい状態にある。外見から判断しても平坦地には見えるが削平地であるかどうかの判別までは出来ない、もちろん土塁などが残存していたとしても確認は無理な状態である。しかし肝心の主郭周りの郭跡及び堀切までは明確に遺構として判別は出来るのでここまで登った甲斐はある。堀切を越えて北側へ更に斜面を登れば、物見あるいは狼煙台程度の削平地を二箇所窺う事が出来るが、ここまでが北側における城域としての北限かとも思われる。

南東側の尾根上にも郭の展開は間違いなく予想されるが、現在の山の状態を考えればとても急斜面を下りてまで向う気力も湧いて来ず踏破は断念、元より情報も乏しく余り期待もせずに訪れた山城であったのだが、未踏地を含まずとも意外に郭全体を含めた規模は大きい(山上主郭の規模は小さい)事が分かり、明確に判別出来る遺構は郭跡、堀切、切岸だけではあったが、ある程度の満足感に浸りながら下山する事が出来た。

1route 登城ルート

5 東南からの遠望

7 城跡進入路

3ko 城跡概念図

12_minami_sai_gedan 南郭群

16_shukaku_1 主郭

20_horikiri_heki 主郭背後の堀切と切岸

23_kitagawa_horikiri_1 北側土橋、堀切

25_sannjyou_top 北山上物見か

2008年11月13日 (木)

味間南城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市丹南町味間南にあって集落の南側に突き出した尾根先端が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へは既に掲載を終えた西古佐城跡とも車で数分の距離にあり、国道176号から文保寺を目指し、途中からルート図の如く小川に沿った集落の南奥に向けて進む。小川沿いに広い集合墓地が見えてくれば、墓地の最奥より山道があるので、これを利用して上れば城跡にはすぐ辿り着ける、個人的には何時もの様に直登で北側に延びる尾根に取り付き上ったが、すぐその斜面において思わぬ空堀土塁遺構を数mに渡って確認出来た。これは残存状態も良く明確に判別出来るものだが、設置場所から察する処では虎口跡としての機能しか浮かんで来ない。

山上郭群は規模の大きい二郭から形成されており、北に向いて尾根上に郭跡はあるが現状では堀切は設けられてはいない。主郭には櫓台が備わっており背後には土塁も見受けられ、更に郭は削平跡及び切岸跡も明確に見て取れ、規模からしても立地環境から考えても居館跡の様にも見受けられるが、推察の域は出ない。

現状夏真っ盛りではあるが木々も少なく藪化も気になるほどでもないので、縄張りも遺構も全て確認出来る状態にあるが、城跡を考えれば篠山市内にはこの様な案外無防備な城跡は珍しくなく、周りはほぼ波多野氏傘下の元にある事も手伝って、この様な形態の城跡でも通用したと解釈も出来る。もちろん有事においては逃げ込み城は確保されていたとは思われるが、、

1route_4 登城ルート

3z_2  城跡概念図

6_karabori_dorui_1 空堀土塁遺構

9_kitakaku_koguti 北郭虎口

10_kitakaku 北郭

11_shukaku_e_nobori_dorui 北郭より主郭へ上り土塁

12_shukaku_1 主郭

13_shukaku_yaguradai 主郭櫓台

熊谷城山(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市熊谷にあって地図上では字、城山と記載されているが、城跡に関しての情報資料が現状手元に無い為に、今回の訪問リポートにおいてはそのまま(仮)熊谷城山として掲載に及んだ。(実際の呼称はあるとは思われるが、、)

かねてから気になっていた城跡の一つであるが今回篠山市内を車で移動中の事でもあり、たまたま寄ってみる事にした。既に掲載済みである笛吹山城跡からは程近く、其の時に登山口に選んだ大売神社あるいは鳳鳴高校の真西に位置している完全独立した低山が城跡にあたる。

到着後、まずは周囲を探りながら取り付き地点を定めるが、ルート図の如く南側から畦道を通れば山に上れそうに見えたので、いきなりそこから直登を敢行する。

低山なので最初の藪漕ぎも苦にならず5分内で南郭に達する事が出来たが、山上はその名の通り立派な城跡である。現状南側は竹林地となり雑木も生い茂り、相当藪化はしているが郭跡及び郭切岸などの城跡遺構は確認する事が出来た、ほとんど何も期待せずに立ち寄ったのではあるが、意外に規模は大きく、郭削平跡及び切岸跡も充分窺えるもので、砦と呼ぶには少しその域は出ている様にも見受けられる。現状自然任せである為に風化も激しく技巧的な遺構は確認出来なかったが、笛吹城の出城あるいは支城と思えばこの程度の完成度で良いのかも知れない。

城山と地図に記載されたこの城跡は、はっきり言って見るべきものは郭跡、切岸跡のみであるが、自分にとってはやっと気になっていたものから開放され、スッキリとした気分の状態である。この様な山城でも当時は実戦を経験し、更に戦国期を経て現在があるのかと思うと、なぜか変に心を揺さぶられる気持ちになってしまう。

1route 登城ルート

6_2 城跡進入路

3_3 城跡概念図

10_nisi_dankaku_gun 西段郭群

11_dankaku_heki 段郭切岸

12_shukaku 最高所主郭

13_kitakaku 規模の大きい北郭

2008年11月12日 (水)

烏帽子城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市青垣町山垣にあって、既に訪問リポート済みである山垣城跡からは北東側に位置する標高512mの烏帽子山山頂が城跡。黒井城主にまで上り詰めた赤井氏一族の居城と伝わるが、ここまで辺境の山奥の更に険峻な山上に築くからには、それなりの理由があったとも考えられる。地理的条件及び環境も良く似ている鬼ヶ城と比べても遜色の無い高所に築かれたこの山城は、鬼ヶ城と同様に明智軍に対して最後の抵抗を試みる、あるいは最終的な逃げ城と想定していたのかも知れない、、、

城跡登山口へは山垣城跡を起点にすれば説明し易いが、国道427号から同城跡の東側をかすめて西側へ向いて走り、最終的には行き止まりになる水道施設(?)近くまで向う。ここは駐車も数台可となっているが、ここからが山上城跡に向けてのスタート地点になる。

案内道標も設置されていないので、ほぼ踏み跡を辿る程度の登山ルートと予測が出来、前日念の為にシュミレーションしておいた、最短距離で尚且つ南側の郭の展開が予想される別峯にも寄れる直登ルートを迷わず選択して登り始めるが、こちらも尾根に沿って踏み跡程度は窺われ、案外厳しい斜面との格闘を除けば登り易く感じられた。しかし厳しい登山である事には変わりは無い、、(通常の登山道も等高線から察する処では似たり寄ったりではないだろうか)

結果的には直登ルートのお陰で予想通りに南側別峯にも広い削平地を窺う事が出来、おまけに土塁を伴う明確な郭跡も確認する事が出来たのが大きな収穫ではあった。山上郭までには所要45分で辿り着く事が出来たが、山上はほぼ二郭構造で、全長40m近くはありそうで比較的規模の大きい主郭及びそれに付随する東郭で形成されており、東郭を挟んで状態の良い二連の堀切、北側斜面には縦堀及び横堀土塁跡が窺われた。現状(11月)木々も少なく見通しも利き、少ない遺構ではあるが全て判別確認は可能な素晴らしい状態にある。見所はもちろん二連の堀切と北側の縦堀及び横堀跡(ほぼ埋もれている)であるが、南側の別峯に点在する(個人的見解では当時の郭跡であると決め付けた)郭跡も見逃せないのではないだろうか。

この山城は山登りを楽しむ事を目的とした登山客からも人気が高いと聞くが、正に其の通りで、眺望も利き尚且つ山城遺構も当時に近い状態で残存しており、山城大好き人間を名乗る者にとっては絶対に避けて通る事の出来ない山城の一つであると思われる。 これも正しく天空の城と呼ぶに相応しい山城の一つである

注) 仮に直登したとしても帰りは絶対に元のルートで下山出来る保障は無い(山中を徘徊する事になる)ので、遠回りにはなるが通常の下山ルートを下りる事が肝心である。

1route2 登城ルート

3eb 城跡概念図

8 12_hiroi_kaku 南別峯の郭群

16_horikiri_1 堀切より東郭

18_doruikaku_nisi_horikiri_1 中郭と堀切

23_shukaku_1 主郭東側

24_shukaku 主郭の僅かな土塁跡

28_tatebori_e 主郭北斜面の空堀から縦堀へ

2008年11月 9日 (日)

遠阪城跡(兵庫県丹波市)

new 最初に、この山城は人馬も拒む天険の地にあり、自分が今まで直登して来た山城の中ではダントツとも言える傾斜角度である、しかし辛い思いをして登っても、必ずや期待を遥かに上回る遺構群に巡り会えると断言出来るので、足腰に不安の無い方は是非トライしてみる事をお薦めする城跡である。

兵庫県丹波市青垣町遠阪にあって今出川親水公園のほぼ西背後に位置する山の山上が城跡、山垣城主である足立氏の峠監視機能を担った支城と見受けられるが、八上城主波多野氏の傘下にあった為に秀吉軍らによって攻略される、城主は自刃の歴史有。

城跡へは篠山辺りから北上する場合、国道176号から北近畿豊岡道へ乗り継ぎ、青垣ICで降りれば国道427号から現地の今出川親水公園(道路沿いに案内板あり)あるいは熊野神社を目指せば分かり易く到達出来る。公園駐車場からはルート図の如くそのまま川沿いに歩き、そこからフェンスを開閉すれば山道があるのでそれを利用して山裾まで向う。

既に見えている「今出せせらぎ園」の建物背後側の植林地から登ればよいのだが、地形図から直登取り付き地点を検討しても城跡周りは全て等高線が狭く、予測はしていたが現地でこの斜面を見るに、これ程とは想定外のことであった(腰が引けそう)。かなり厳しい斜面(宇津城跡へ上られた人なら見当が付くと思うが、それよりも高く更に急峻)との戦いが待ち受けていたが、登り始めに二本の凄い縦堀が眼に留まっていたので、既にアドレナリンも出始めており、覚悟を決めて山上を目指す(比高約200mある)。なるべく右側稜線側の傾斜が少しでもましと思える方向に周りながら、30分前後は要したが山上までやっとの思いで辿り着く事が出来た。

現状(11月)城跡は比較的見通しも良く下草も少ないので、山上における遺構群は全て判別確認が容易に出来る状態にある。城跡最大の見所は三連の堀切と山上から麓まで落ち込んで行く縦堀、南郭端にある土橋を伴う片堀切(これは凄い!)、眼に留まる堀切群はどれも状態が良く素晴らしい上に美しい、常に草木で覆われた縦堀しか頭に浮かんで来ないが、縦堀でここまで全貌を窺う事の出来る山城は数少ないし、これだけでも貴重な存在の山城と言える。

規模は左程大きくは無く、縄張り妙味もあるとは言えないが、残存度が高く状態の良い堀切群だけは誇ってよい、一見の価値のある山城と目には映った。

1route 登城ルート

4_2 登城進入路

3on 城跡概念図

12_tyokuto_tatebori 登り始めの二連の縦堀

16_tatebori_1 北東側の堀切から縦堀へ

23_shukaku_higasi_heki 主郭切岸

22_daihorikiri_1 主郭南大堀切

27_horikiri_yori_2dan_dorui_kaku 堀切より南二段小郭

30_minami_oohiroma_2 南郭

29_horikiri3_1 南郭側の堀切

33_tatebori 南郭端の片堀切

2008年10月25日 (土)

本郷城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市西紀町本郷にあって、集落の中央に位置する松隣寺背後の険峻な山の山上が城跡、別名草山城とも呼ばれ八上城主である波多野氏の傘下に入っていたと思われる細見氏の居城と伝わる

城跡へは国道173号を北上した場合、既に掲載済みとなっている福井城跡のある「福井」の信号を通過し、しばらく走って一般道300号に進入、そのまま道に任せれば集落に入った辺りで道路沿いの松隣寺の案内板が眼に留まるので、ルート図の如く寺院を目指せば広い駐車場までは到達出来る。到着後は寺院最奥の墓地からの直登になるが、そのままほぼ真南に向いて上れば15分程度で山上に辿り着く事が出来る。尚、下山においては最初から登って来た道を引き返すのは至難の技である事が分かっていたので、最短コースである北東側道路へ向いて降りたが、丁度麓には畑地と墓地もあり無事に降り立つ事が出来た。

城跡は外見から判断出来るように険峻な山であり、その山上を削って削平し築かれたもので、ほぼ単郭構造ではあるが西側に堀切を挟んで幅は狭いが50~60mはありそうな郭跡が付随している。規模は小さく防御における技巧的な遺構は堀切及び主郭西側にある土塁のみ(縦堀に見える箇所はあったが判別は難しい)で余り見応えがあるとは言えない。恐らく麓にある寺院あるいは畑地に居館跡があり、山上郭は非常時における詰城あるいは平常時の物見機能であった様に窺われる。

現状(7月)夏季とは言え山上までの上り下りは藪漕ぎするまでには至っておらず、シンプル過ぎる縄張りの為に遺構の判別確認は容易に出来る状態にある。もちろん山上郭群においては藪化進行中である事からも冬季訪問がベストではあるが、現在でも藪に悩まされる事は無いので四季を問わず訪城は可能であると言える。

1route

登城ルート

6 寺院登山進入口

3d 城跡概念図

10_shukaku_kisi 主郭

8_obi_2 10 主郭帯郭

10_shukaku_kisi_2 主郭切岸

15_horikiri_1 西側堀切

黒井西ノ丸城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市春日町黒井にあって城跡ファンで無くても登山を楽しめ、山上からの眺望も素晴らしく、年中訪れる人の絶えない人気のある山城の一つである。個人的にも三度目となる訪城であるが、今回は山城ファンであるなら一度は覗いておかなければいけない西の丸(土塁城)城跡をメインに訪れた。

丹波地方においては明智の率いる攻略軍を一度は退けた事からも、その名を轟かせている赤井直正の居城であり黒井城塞群の一翼を担う城跡ではあるが、西の丸城跡へ訪れるには当然黒井本城を通過して更に北尾根を下って上る事になる。しかし時間的にはそれほど掛からず本城からは数分で行ける距離にある、西側からも直接上れる山道があると聞くが現状はっきりとは分からない。

こちらは本城と違って石垣は全く使用されておらず、主要三郭を堀切によって分断しそれぞれに櫓台土塁を設けて三郭は独立した構造となっており、規模は一城に匹敵するぐらいの広さ持ち合わせている。古い縄張り形態の為に当然本城よりこちらの西の丸の方が先に成立していた城跡と解釈しても良いと思えるが、残存状態が比較的に良い事からも遺構は本城と同様に全て判別確認出来る状態にある。特に郭間の土橋を伴う堀切遺構は見応えもあり城跡の最大の見所と呼べるものである。石垣城である本城よりも当然西の丸は存在感は薄いが、こちらも木々を取り払って外見からも更に黒井城跡の本丸以外の素晴らしさ、あるいは戦国期の山城の形態をアピールしても良いのではないかと思うのだが、、、

現状(一月)城跡は風化に任せて荒放題となっており更に雑木も蔓延ってはいるが、冬季ともあってか、ある程度見通しも良く移動に難渋する事も無いので案外快適に見て回る事が出来た。夏季訪問となれば更に木々は生い茂った状態になると思われるので、やはり冬季訪問が一番ベストの状態でこの山城を味わえるのではないだろうか。

個人的に山上郭群だけを採り上げて評価するのであれば「本城に勝るとも劣らない城跡である」と断言出来る。

1route_2 登城ルート

3_1v 城跡概念図

18_dorui_yagura 主郭櫓台と土塁

21_shukaku_dorui 主郭土塁

20_shukaku_1 主郭内

25_shukakunai_kubomi_1 主郭内の空堀状築造物

26_dobasi_daihorikiri 主郭西大堀切と土橋見所

34_horikiri_dobasi 二の丸西側の堀切土橋見所

37_3maru_nisi_yaguradai 三の丸西の櫓台土塁

2008年10月19日 (日)

後屋山城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市氷上町新郷にあって居館跡とされる後屋城跡からは真西に聳える白山(標高547m)山上が城跡、麓にある後屋城は赤井氏(後には荻野氏)発祥の地ともされ山城の方は詰城と見受けられる

城跡へはまず国道175号から一般道109号に入り白山神社のある後屋城を目指す、こちらは居館跡とされる平城なので敢えて訪問リポートは掲載しないが大土塁、水堀跡、郭跡及び石垣跡などが広大な敷地の中に明確に判別出来る状態で残存しているので白山に上る前には見学しておくと良いだろう。

後屋山城へ上る白山登山口は道路沿いの案内板のある場所からそのまま山に向いて進めば自然に登山道(旧白山神社参拝道)となって山上までは迷わず辿り着く事が出来るが、およそ片道50分は掛かる

1z 登城ルート

4_enbou_1 城跡遠望

3 後屋城跡概念図

3haku 後屋山城概念図及び状況コメント

14_demaru_1 中腹の出郭跡

33_kaku 北側の二段郭跡

52_shukaku_nai_2 53_shukaku_nai_1 山上主郭

61_minami_hasi_e 南側の尾根、物見か

2008年10月13日 (月)

小阪城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市小坂にあって集落の東に位置する明月神社の真北に聳える山の山上が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡は既に掲載を終えている板井城跡及び木之部北城跡からは道路を北側に数分移動した位置にありその道路沿いにある明月神社を目指せばすぐ確認する事が出来る。神社背後の小山も上って見れば一部削平された郭跡が数段あり物見程度で機能していた様には見受けられる。神社前に車は駐車出来るのでそこから歩いて北に向うと「あかつき広場」の看板及びその先には山道が目に留まるのでそれを利用して墓地まで向かい、更に北側へ向いて急斜面を上れば10分内で山上主郭へは辿り着ける。

城跡は非常に小振りな山上郭で全長30mあるかないかの規模の単郭構造で帯郭を付随させて形成されており、自然巨石を用いて郭壁あるいは虎口としており最上段には櫓台とも見受けられる自然岩で囲まれた小さな郭跡も眼にする事が出来る。現状帯郭壁には切岸処理も窺え地表は荒れて凸凹してはいるが削平の跡も窺う事が出来る。北帯郭の斜面を下りれば堀切(獣避けフェンスがある)となっており更に北へ上ると山上主郭より規模は大きい削平跡のある郭を眼にする事が出来る。

1route

登城ルート

7 進入路

3k 城跡概念図

17_ooiwa_koguti_kaku_1 大岩虎口郭

23_nisi_obi 西側帯郭

26_nisigawa_heki 西側切岸

34_nisi_obi_sita_kyoseki 西側帯郭下の巨石壁

27_yagura_iwa 櫓台

38_kita_yori_kita_kaku_heki 北郭北切岸

40kita_one_kaku_2 北尾根上の郭

尚、山上郭に到達する手前で見ようによっては畝堀に見える連続縦堀跡を目にしたが、ほとんど埋もれておりこれを遺構とするかどうかは見る人の判断に委ねるしか方法は無い様に思われる。山上主郭は小規模な為に容易に全体像を摑む事が出来、ほぼ手付かずの完存状態にある様に見受けられるものであるが、この規模から察するには物見郭あるいは狼煙台程度の機能しか頭に浮かんで来ない、しかし10分程度で山上まで上れる手軽さもあり戦国期のこう言った小規模な山城跡を楽しむのも中々風情があって有意義なものと言えるのではないだろうか

西古佐城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市丹南町西古佐にあって国道176号「西古佐」の交差点真西に位置する山(標高320m前後)の山上が城跡、城史としての詳細は不明

城跡へはローソンがある「西古佐」の交差点から数10m北にある新設された広い道路を左折するとすぐに天理教の分教会が目に留まる、その脇から南側に向いて畑に向う細い道があるので道に任せて進むと最奥に大きな作業所がありその脇にある山道を利用して尾根に取り付く。(山道は途中から踏み跡も消える)後は山上へと常に上る方向で進めば最初の尾根上に40~50mはありそうな削平跡の窺われる郭跡に出くわし、更に上るとスタート地点である分教会より所要時間20分程度で山上郭群には辿り着ける。

現状(10月)山上郭は相当荒れ放題となってはいるが案外樹木も少なく見通しも効く為に縄張り全体像は摑み易く、技巧的な遺構が少ない分ほぼ遺構は判別確認可能な状態にある。遺構として郭跡、切岸、土塁、埋もれてはいるが堀切跡などを確認する事が出来るが、規模は予想していたよりも大きく主郭から東側へ更に規模の大きな郭跡が付随している。勝手に簡易的に築かれた山城を想像していたが削平跡及び切岸も明確に窺え本格的に築かれた城跡の様には見受けられる、真東に向う尾根上は未踏になったが郭跡が展開されていたのかも知れない。

1route1 登城ルート

3n 城跡概念図

4 登山進入路

7_tyuufuku_kaku_1 北東中腹の郭跡

9_higasi_kaku_2 東郭

12_shukaku_minami 南郭より主郭土塁

16_shukaku_heki 主郭切岸斜面

19_kita_hasi_heki_1 主郭北側切岸

城跡は地元の方に訪ねても全く知らない様子でもあり、城跡の情報も皆無で場所の特定にも至らずにスタートした事もあって何時もの様に地形図頼みで登山するしか手が無かったが何とか無事に辿り着く事が出来た。、城跡全体を考えれば縄張り妙味も無くとても見応えがあるとは言えないが、最初からほとんど期待をしていなかった城跡でもあり、これだけの遺構に巡り合えた事で非常に満足感に浸る事は出来た。

下山に関しては麓までは多くの枝尾根が広がっており元のルートで引き返す事は至難の技で流石にスタート地点である分教会に素直には辿り着けなかったが、結果的には最短距離で麓東南側にある墓地から道路に降り立つ事が出来た。幸運にもそこは最初に取り付き地点として考えていた場所の一つでもあり車まで引き返すに容易でもあり一安心に至る

2008年10月11日 (土)

木之部北城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市西紀町西木之部にあって既に掲載の終わっている板井城跡とは程近く、更に城跡の東側には内場山城跡も位置している、城史に関しては詳細は不明ではあるが近辺の城跡(板井、内場、宮田)は山名氏による築城ものが多く恐らく山名氏によって築かれたものと察せられる。

城跡への分かり易い道順としては国道176号「長安寺」の交差点から東に折れ道沿いフェンス横の忠魂碑のある場所まで少し走る、そこから左手側の丘の上に墓地が目に入るのでまず麓の墓地用具小屋脇を通り墓地まで上る、その奥からは直登になるが山に向いて尾根急斜面を15分程度上れば山上主郭までは辿り着ける(斜面はきついが藪漕ぎまでには至らない)

山上郭群は砦あるいは物見郭規模で北側に二連の風化中の堀切はある郭数も少なく、古い形態の為か削平跡は窺えるが土塁も見当たらず僅かな切岸のみが城跡であることを物語っている。現状(八月)夏季にも拘らず下草及び木々が少なく整備の跡も多少窺え、規模の小さい事からも全体像が摑みやすい状態になっている。なぜか小さな主郭櫓台上には新しい木製ベンチも備わり山上休憩地及び展望所になっており、直登ルートで上った時にも途中からは木の滑り止めの階段が備わっていたので不思議に感じられたが山の所有者が見学者の為に個人的に整備されたものかも知れない。

1route2_2 登城ルート

5 登城進入口

3kzz 城跡概念図

18 主郭南側

20_shukaku_2 主郭櫓台

20_shukaku_higasi_heki 主郭北切岸

21_kita_gedan_1 主郭北下段

21_kita_gedan_yori_shukaku 北より櫓台

26_horikiri_dobasi_1 堀切土橋

4 内場山城跡

城跡は非常に小規模なものであるがこの楚々とした雰囲気の山城はなぜか存在を訴えかけている様にも思われ非常に好感が持てる。城跡の真東数分の距離には全域が踏み込むのを躊躇するほどの藪に覆われた内場山城跡があるが、鳥居を潜り神社までは到達出来るので興味のある方は覗いて見るのも良いだろう、現状では郭跡及び空堀土塁跡は確認する事が出来た。

2008年10月10日 (金)

般若寺城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市般若寺にあって正覚寺すぐ背後の小山の山上が城跡、八上城攻略の為に明知光秀によって築かれた向城と伝わる

城跡へは国道372号よりルート図の如く正覚寺を目指せば分かり易い、到着後は寺院横の幼稚園裏から寺院背後を回る形で西尾根から西郭跡まで辿り着ける。削平跡だけは窺えるこの郭跡には城跡唯一の見所でもある縦堀が備わっているが、ここから更に主郭に向うとなると現状夏季(7月)ともあってか凄まじい雑木藪に踏み込み進入しなければならない、覚悟を決めて藪漕ぎしながら進むと概念図の如く主郭間に浅い堀切、郭跡が何とか確認出来、東端にまで更に足を延ばすと櫓台とも見受けられる郭跡に辿り着いた。ここから南側に下りれば南郭もあり流石に元のルートで戻る気にはなれなかったのでそのまま民家横(庭先を通る)を失礼しながら下りる事は出来た。

それにしても城跡が小規模に見えた(全面藪で距離感は摑めないが歩いてみると意外に規模は大きい)ので安易に縦走してしまったが隙間無く密生した矢竹、雑木の中を自分ながらよくぞ進軍したものである。これだけジャングル化しておれば冬季でも全域における視認はほぼ不可能に近く、まして遺構の判別などは論外の事の様に思われる。

1route_2 登城ルート

3h 城跡概念図

10_tera_kita_haigo 寺院北背後の郭跡

12_nisi_kaku_1 西郭

13_tatebori 西郭の縦堀

24_minami_gedan 南郭

南矢代城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市丹南町南矢代にあってJR南矢代駅のほぼ北側に聳える鉄塔のある山の山上が城跡、酒井氏の居城と聞くが詳細は不明

城跡へは国道176号を北上した場合JR南矢代駅を過ぎてルート図の如く鉄塔の東側の国道からすぐ左に入った墓地から鉄塔巡視路を利用しての登城となるが、鉄塔を過ぎれば適当な箇所で左手側の斜面に取り付き最初に出くわす規模の大きな郭跡から確認しながら上って行くと効率よく見て回れる。墓地からは急斜面ではあるが10分もあれば南端の広い郭跡には辿り着けるので案外お手軽な城跡と言える。山上主郭まではそのまま尾根上を上れば郭跡を確認しながら到達出来る

現状(7月)城跡はこの時期でも下草も少なく割りに見通しも良く、藪で難渋する事もないので快適に見て回れ遺構は全て判別確認出来る状態にあるが、縄張り妙味があるとは言えず城跡ほぼ中央に位置する一本の堀切と土橋が唯一の技巧差を醸し出す遺構となっている。残存状態はそれなりに良い部類に入るがこれと言った見応えのある遺構がないので山城としては今一物足りなさを感じる。しかし山上全域がほぼ規模の大きい郭跡で埋め尽くされ城跡における郭占有面積も相当なものがあり城跡としての醍醐味を感じる事は出来る。

下山の際は主郭東側を下りた場所にも土橋経由で規模の大きな郭跡があるのでそちらに寄って郭跡を確認しながら北側の墓地まで直下山しても、スタート地点に戻るまではそんなに時間は要さない。

1route 登城ルート

4_1 東より城跡遠望

3n 城跡概念図

9_minami_sizen_kaku 広い南郭

16_horikiri_dobasi_1 堀切土橋

20_minami_kaku 主郭南下段郭

23_gedan_yori_shukaku_heki 南側より主郭切岸

30_higasi_kaku_1 東尾根の東郭

2008年10月 9日 (木)

堂山城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市曽地口にあって磯宮八幡宮の真南に位置する小山が城跡、この城跡も上宿城と同様に明知軍の陣城と伝わっている様だが更に南側の山塊には曽地城跡もありこの周辺には井上、上宿城更に距離はあるが般若寺城とまだ多くの八上城に対する向城があり城跡巡りには打って付けの地域でもある。

城跡へはルート図の如く国道372号あるいは県道12号からでも、池の傍にある公民館を目指せば城跡となる小山は既に見えてくるので場所はすぐに確認する事が出来る。駐車は可能となっているので公民館からは背後の池の堤防沿いに歩きそのまま竹林奥の山道を上れば最短10分内で山上郭に到達出来る。

1route2 登城ルート

7_1 進入路

Zz 城跡概念図

13_2maru

二の丸

17_2maru_sita_karabori 二の丸下の空堀

10_shukaku_higasi_obi_2 東帯より主郭切岸

15_shukaku_nai 主郭

現状(7月)城跡はかなり雑木も多く藪化進行中ではあるが視認及び移動に難渋する事も無く山上における遺構の判別確認は全て可能な状態にある。砦規模の小規模な山上郭群ではあるが切岸、土塁、空堀、土塁虎口遺構などは判別可能であり、これらは風化によって多少曖昧にはなっているが当時は本格的な土木量によって築かれたと察する事が出来るものでもある。

尚、県道12号を挟んだ東側には上宿城跡もすぐに望める場所にあり、更に県道12号をルート図の如く少し南に向うと厄神前バス停の東側の八幡神社が堂中砦跡にもなっているので、そちらにも足を向ければ三城同日訪問で効率よく山城巡りをする事が出来ると思われる。砦跡は現在神社敷地として転用されており改変は認められるが大空堀及び土橋は当時の遺構としても良いのではないだろうか。

3 堂中砦跡概念図

9 郭内の社殿

13_dobasi_1 土橋と大空堀

上宿城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市上宿にあって上宿集落の南奥に位置する低山の山上が城跡、八上城に対する明智軍の向城あるいは陣城と伝わる

城跡は先に掲載を終えた井上城跡からは国道372号及び篠山川を挟んで真南側に位置しておりルート図の如く国道から無住の西安寺を目指して進入する、ほぼ突き当たりが寺院でその背後の尾根は既に城域となる。寺院脇にある墓地より直接斜面に取り付いて深い縦堀に沿って上れば西端の郭跡にはすぐ到達出来る。後は尾根に沿って東へ上れば尾根上に郭跡、堀切土橋を確認しながら南北に長い本郭群に辿り着ける、こちらは北に長く狭い移動尾根道を挟んで北郭群と南郭群とで形成されており規模はいずれも櫓台程度のもので小規模なものだが郭跡には削平、切岸処理は確認出来る状態である。

現状(7月)城跡は夏季ではあるが思ったより藪化は進行しておらず遺構はほぼ判別確認可能な状態にあり、取り立てるほどの見応えのある遺構には巡り合えないが縄張り変化にも富み山城としての醍醐味は充分味わう事が出来るものとなっている。この時期でこれだけ動き回れる状態であれば冬季の訪問となれば更に快適な状態で山城を味わえるのではないかと思われる。

1route 登城ルート

3k3 城跡概念図

7 西縦堀見所

16_karabori_dobasi_1 西郭の空堀土橋見所

17 西郭群

26_minami_kaku 南郭群

28_minami_shukaku 南主郭

31_shukaku_obi_yori_heki 北主郭切岸

2008年10月 8日 (水)

垣屋城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市西紀町垣屋にあって集落の北背後に突き出した先端尾根上が城跡、淀山城主である波々伯部氏の支城と伝わるが詳細は不明

城跡へは篠山市内を走る国道176号から県道97号に入り道に任せて進み、ルート図の如く垣屋集落に向いて左折し橋を渡るが正面に目に入る小山が城跡である。進入路は民家横の八幡神社に向う山道を利用し神社奥から北東に向いて直登するが、既に城域と見受けられ広い傾斜地の中に空堀道、段郭状態の屋敷跡及び石垣跡などが目に飛び込む。そのまま右手の尾根を上れば山上郭群となるが、現状(五月)下草は少なく案外見通しも効くが地表は凸凹の荒れ放題となっており風化の真っ只中にある状態である。技巧的な遺構はほとんど見当たらず主郭北側土塁背後に堀切を確認したのみ他は郭跡を除けば明確な遺構と呼べるものは皆無な状況でもある。

一度神社に戻り西側へ山道が通じていたのでそれを利用して西尾根にも上るがほぼ物見程度の削平の甘い郭跡が見られた程度でこちらには堀切も存在しなかった。帰宅後に地形図を眺めて気が付いた事ではあるが城跡の北東側尾根も城域に入る様に見受けられ、こちらにも何らかの砦遺構があったのではないかと推察された。この城跡に関してはこの程度の城跡遺構だけで終わるとも思えず又終わって欲しくないので機会があれば再訪しこちら北東側尾根も踏破探索してみたいと思う。

1 登城ルート

6 民家横の神社への山道

3_2 城跡概念図

13_karabori_dou 神社奥の空堀道

18_yasiki_ato_1 屋敷跡

22_yasiki_isigaki_ato 屋敷石垣跡

23_sizenkaku_2 南郭

25_shukaku 主郭

26_shukaku_haigo_horikiri_1 主郭北背後の堀切

禄庄 大沢城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市丹南町大沢にあってJR篠山口駅のすぐ西側の小山が禄庄城跡、その尾根を南に上れば大沢城跡がある、酒井氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へは国道176号よりルート図の如く駅の北西側を八幡神社に向けて進入する道があるのでそこから登山口である八幡神社を目指す、到着すれば登山ルート図付きの案内板もありそれに従えば登山遊歩道で迷わず禄庄城跡を経由して大沢城跡までは辿り着ける。

案内板から登山道を少しばかり進むと谷間に屋敷跡あるいは居館跡と見受けられる規模の大きい郭跡群が目に入るがこれらも当時の遺構ではないかと察せられるが確証は無い。

山上を目指し最初に到達するのが北先端郭で麓の案内板には禄庄城跡として紹介してある郭跡になるが周りを帯郭が取り巻くだけの物見程度の狭い郭跡で規模も小さく名前まで付けてある理由が余り理解できない、どう見ても大沢城の出郭(物見)程度にしか見受けられないものである。大沢城跡へはここから一旦斜面を下り、更に南側へ尾根を上れば辿り着く事が出来る。

現状(11月)城跡は登山ルートが山上郭内を通っているので比較的木々も少なく遺構は郭跡、堀切といった程度であるが判別確認は容易である。縄張り妙味も無く見所も無いので城跡としての醍醐味は全く感じられないが、トレッキングとして自然を満喫する分には最適な山城と言える。

1route_1 登城ルート

3o2 城跡概念図

14shukaku 禄庄城跡

17_minami_dan 禄庄城跡南側斜面

29_kaku2_heki_horikiri 大沢城跡の切岸と堀切

31_kaku1_dorui 東郭の土塁跡

36_shukaku_nisigawa 主郭西側

2008年10月 7日 (火)

谷山城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市丹南町谷山にあって集落より南側最奥にある法福寺の南側に聳える山の山頂から北尾根上が城跡、八上城主波多野氏の老中である平林氏の居城と伝わるが波多野氏滅亡後の詳細は不明

城跡へは先に訪問リポートした吹城跡に向う為の篠山市内を東西に跨る一般道を利用し谷山集落へ南下する。城跡となる山は既に視界に入っているので見当は付け易く登山口となる法福寺を目指し進む。寺院に到着後その東側辺りに沢水となって流れている溝があるのでそこを渡れば細い山道が現れいよいよ登山開始となるが、山道は途中から消え去るので後は尾根に沿って南側へと上れば斜面に郭跡を確認しながら山上主郭までは辿り着ける。

城跡は現状(7月)夏季にあっても下草が少なく手入れはさほどされていないが植林地のせいか藪漕ぎする箇所も無いので山上までは案外上り易く遺構の判別確認もし易い状態となっている。山上主郭まで数十段にも連なる段郭群で形成される縄張り持ち、中腹に備わる畝堀とまではいかない連続縦堀も特徴に挙げられる城跡ではあるが、他に見所が少ないのも特徴であり見た限りでは堀切も備わっていないように見受けられた。主郭周りには案外縦堀が備わっていたのかも知れないが確認するまでには至れなかった。全体的には技巧的な遺構も縄張り妙味もないので醍醐味を感じるまでの山城とは言えないが、この時期(7月)でも上りやすく遺構判別もし易い状態にあるので四季を問わず山城を楽しみ味わう事が出来るのではないだろうか。

1route_1 登城ルート

4_higasi_yori 東より城跡遠望

3tani 城跡概念図

6_tozanguti 寺院横の登山口

18_dankaku 北段郭群の切岸

18_dankaku_2 北段郭群

20_shukaku 主郭

21_shukaku_kitaheki 主郭北切岸

25_nisi_gedan2_dorui_1 主郭西下段2

柏原八幡山城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市柏原町柏原にあって町内の中央に位置する柏原八幡宮は既に城跡の一部と考えられる、丹波攻略軍である明智の陣城と伝わるがこの地方の中心地であるからには本来は早くから城跡は成立していた可能性もある

城跡へは国道176号より柏原八幡宮を目指せば迷わず辿り着けるが、神社は既に出郭跡の転用と考えられ八幡宮の背後には唯一城跡の見所でもある大堀切が設けられている。そこからは少しなだらかな傾斜を上った北側に設けられた給水施設によってある程度地形改変があったとも見受けられるが事実は不明、そのまま山上近くまでは登ってみたが明らかに郭跡と思える平坦地形が数箇所に窺われ縦堀も備わっている事からしても山上に向けて細長い尾根を目一杯利用した城跡とも考えられる。北に上るほど地表風化も激しく郭跡の段差及び切岸などは非常に判別が難しいが山上を物見あるいは狼煙台として活用していたとも推察出来る。

1route_3 登城ルート

3h 城跡概念図

6horikiri 社殿背後の大堀切

16_yagura 土塁跡

18_dorui_kaku 北側の郭跡

19 給水施設背後の郭跡

24_kita_one_yori_top 北尾根の最高所

2008年10月 6日 (月)

森山城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市氷上町上新庄にあって上新庄集落の西側に聳える森山(標高324m)の山上が城跡、南郷又は長屋城の別名があるが城史に関しての詳細は不明

城跡へは先に訪問リポートした霧山城跡、ガンジョウジ城跡からもわりに近く県道7号「氷上」の交差点を78号に左折し道に任せて進む、後はルート図の如く集落に入り西小学校を目印として登山口として隣接する天満社背後から山上まで上る。ここからの登山道はある程度整備されており個人的にはいつもの様に途中から最短距離の直登で上ることになったが、中腹を北側へ取り巻く形で山頂までは登山道が通じているようにも思えたが確証は無い。ただこの直登ルートは縦堀に沿って上る事になり少し急峻過ぎるが山城を味わおうとするのであれば直登は必然の事か、、(所要時間は意外にも30分前後費やした)

城跡は小規模な山上主郭に帯郭の付随した砦クラスの山城で現状(九月)夏草や雑木に覆い尽くされており土塁の有無までは確認出来なかった。この規模であるなら麓に居館を構えた詰城とも見受けられるが肝心の館跡を天満社敷地に該当させる事はかなり無謀な事か、、取り立てて見所も見応えもない山城ではあるが近年の登山遊歩道の設置(工事途中)によって眺望の効く城跡として生まれ変わろうとしている様には見受けられる。現在西側の神社からも遊歩道が工事中ではあるが中断されており山上までの開通は中々先の見えない長い話になりそうに思える。

1route_2 登城ルート

4_1_2

 東より城跡遠望

3mo 城跡概念図

8higasi_kaku 東郭跡

12_shukaku_heki 帯郭より主郭切岸

16_horikiri 主郭北の埋もれた堀切

20_shukaku_kita_dorui_1 主郭北の上り土塁道         

2008年10月 1日 (水)

沼城跡(兵庫県丹波市)

new 兵庫県丹波市氷上町沼にあって集落の西側から北東に突き出た痩せ尾根上が城跡、戦国期に置いては足立氏の居城と伝わるがその後の詳細は不明

城跡へは県道7号を篠山から北上した場合「御油」の交差点を過ぎて北近畿豊岡道の高架下を潜った後左折、山の裾野の道路を南側に向いて少し走ると道沿いに「遊歩道」と書かれた木の大きな看板が目に入る、ここからが登山口で山側にある民家の間の山道よりフェンスを開けて道に従いルート図の如く北に向いてしばらく上ると行者道と合流する。後はほぼ道任せで上ることになるが時折沼城の案内板が目に留まるので確認しながら上れば30分前後で山上主郭までは辿り着ける。

城跡に到達するまでには郭跡らしき削平地、物見らしき跡が数箇所痩せ尾根上に確認出来るが登山道は岩で覆われた箇所や急斜面が多く中々厳しい登山になる、もちろん険峻な山城なるが故の事で更に行者道ともなれば止むを得ないであろう。(藪漕ぎが無い分少し楽に感じる)

城跡はこの時期(九月)ではあるが樹木も下草も比較的少なく、ある程度整備されているので山上郭群の遺構は全て判別確認可能な状態となっている。痩せ尾根上の最高所にある主郭は砦規模で全体的に見ても小規模な城跡ではあるが、遺構残存度も高くおまけに状態も良いので険峻な地に築かれた往時の山城の様相及び雰囲気を存分に味わい堪能する事が出来る。自然大岩を郭に取り込み壁とし縦堀も必要としないほどの切り立つ崖をもって人馬を拒み、更に尾根を遮る形で数箇所に見られる巨岩は誰も寄せ付けない天然の大土塁となり圧倒的な迫力と存在感を示している。

小規模ではあるが人を寄せ付けない険峻なる山上に自然岩を取り込み痩せ尾根を削平して築かれたこの城跡は自分が常に追いかけている「これぞ山城」と呼ぶに相応しいので、印象に残る山城の一つとしてとして数えられるものになった。

尚、概念図にある様に登山道中の北東最高所地点からは北西側に別登山道がありこの斜面を少し下りて行けば城中最大と見受けられる居館跡の如く規模の大きな郭跡があるのでそれも見逃してはならない。

1route 登城ルート

3nu 城跡概念図

61_yasiki 北西側の城中最大規模の郭見逃すな!

28_kaku 尾根上の郭跡

30_koguti_ka 自然岩利用の虎口か

34_sanjyou_kaku_kitagawa 山上郭群

36_shukaku 主郭

39 南郭1より下段

44_gedan3_minamihasi 南郭3

45_gedan3_yori_ooiwa 南郭3より上段大岩

ガンジョウジ城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市氷上町石生にあって東小学校の北背後の向山の山上が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へは国道176号「稲継」の交差点を東側にとりトンネルを潜らず左手側の脇道にそれれば東小学校まではすぐ到達出来る、小学校からは西側の車道より稲荷神社を目指せば行き止まりの箇所にNTTの中継小屋(車は小型車一台の空スペースあり)があるので、その背後の山道を上れば迷わず山上主郭までは辿り着ける。

山道を少し上れば西側に数段の郭跡も確認する事が出来、更に道に任せて上ると尾根上の郭跡を確認して主郭には到達する。麓から眺めても木々の少ない山上平坦地はすぐ城跡と見分けは付くが、主郭は西側に櫓台土塁を備えたもので全長70m以上はあるかもしれない規模の大きなほぼ単郭構造である。主郭からは北側には霧山城、南西側には高見山城とほぼ四方に眺望が効き恐らく当時でも利便性及び監視に置いては最高の場所ではなかったかと想像出来る。櫓台背後より北側斜面を下りると見応えのある堀切が備わっており主郭の独立性が保持されている様である。南東側は尾根を下りれば明らかに出郭跡と察せられる場所があるが草木に覆われ地図上の登山道も消え去っており踏破は断念するに至る。

現状(九月)城跡は下草は生え放題となっているが木々も少なくある程度整備されているので四季を問わず訪問は可能と思われる。シンプル過ぎる城跡に全く醍醐味は感じられないがここから眺める四方の景色は時代及び環境こそ違え当時の武将が眺めていたものに相違なく、見る者を限りないロマンに包み込んでくれるのである。

1route 登城ルート

4_enbou_1 冬枯れ時の城跡

3g 城跡概念図

12_nisikaku 西郭群

16_nisi_one_kaku_1 西尾根上郭跡

23 主郭

25_yagura_heki 主郭西櫓台

28_horikiri 31_horikiri_tatehori_1 北側の大堀切見所

2008年9月30日 (火)

夏栗城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市高蔵にあって高蔵寺の北東側に聳え、山頂がやや平坦に見える標高600mの夏栗山山上が城跡城史に関しての詳細は不明

城跡へは篠山市内より国道176号を北上した場合「長安寺」の信号を越えて少し走れば道路沿いに高蔵寺の案内看板が見えてくる、それに従って右折し寺院を目指せばそのまま登山口である高蔵寺奥の院まで辿り着ける。最奥のフェンスを開けば駐車可能なスペースがあるのでそこから小さな道標を確認して沢筋の登山道をひたすら上る。要所に道案内も出ているので夏栗山方面を目指せば迷うことなく40分前後で山頂まで辿り着く事が出来る。

現状(八月)最高所に位置する主郭は夏草及び木々で覆われているが他は遺構の判別確認は容易であり郭跡、空堀跡、土塁、切岸などは明確に見て取る事が出来る状態にある、展望デッキの備わる主郭も意外に規模が大きく他の直線的に並んだ郭群も併せた山上郭群は目測にはなるが全長200m近くに達すると思われる。もちろんここまで高所に位置するからには縄張り妙味など最初から求めてはいないが、山上をほぼ全て削平して築かれた城跡の土木量は相当なものだと見受けられる。現状でもこの規模であれば大きな建物を建てる事は容易であり、当時でも常駐出来る何らかの建物群があったのではないかと想像させられる。全体を窺えば簡易的に築かれた砦程度の城跡で無い事だけは確かである

この時期(八月)においてもほぼ城跡全体像が把握出来る事から訪問は四季を問わず何時でも可能であると察せられるが、同じ篠山市内にあって最も高所(687m)に位置する高仙寺城と縄張りを含めた城跡の完成度を比較した場合は圧倒的に高仙寺城の方に軍配が上がると思われる。

1route 登城ルート

4_1 南より城跡遠望

3nzz 城跡概念図

15_nisi_sizenkaku 西郭

21_shukaku_nai_1 23_shukaku_minami_gawa 主郭内

25_karabori_ato_2 主郭東の土塁切岸と空堀跡

27_higasi_yori_shukaku_gawa 東郭より主郭側

27_higasi_yori_shukaku_gawa_1 東郭

28_higasi_kaku_1 東郭

高仙寺城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市丹南町見内にあって文保寺の南側に聳える標高687mの松尾山山頂が城跡、波多野氏に属した酒井氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡への登山道は幾つか在る様だが篠山市内を南北に走る国道176号沿いに文保寺への案内板があるのでそこから一般道36号に入り登山口のある文保寺を目指す。このルートが一番分かり易く最短で早そうに思われるが、寺院からは案内付きの登山道で山頂までひたすら登る事になる。早いと言っても比高差は寺院からでも350m近くあり山上到達までには50分~60分は要してしまい、山登りが苦にならない人でも結構しんどく体力は消耗してしまいそうである。

現状(2月)でも山上郭群は主郭を除けば木々は少ないのだが郭跡の地表は全て熊笹に覆い尽くされており切岸も郭跡も直接視認する事が出来ない状態となっている。部分的に石垣跡が窺われるがやはり覗いているだけで判別はし難く、縄張り全体像を把握するまでには至れなかった、登って来た登山道より別の三方尾根にも郭跡の展開あるいは縄張りは予想されたが熊笹密生の為踏破は断念するに至った。しかし城跡は予想していた以上に規模は大きく更に未踏地である南側別峰に存在すると察せられる郭跡も含めると案外大規模な山城の様に窺われる。恐らく熊笹は年中枯れる事も無く生えており夏場は一層蔓延ると思われるので郭形状及び縄張りなどを把握するのは至難の技とも思えてくる現状である。

この地をそれなりの理由で選択し築城したとは思うが、恐らく近畿圏内における山城としては成立可能な限界点を極めた唯一無二の存在の城だと言えるのではないだろうか

1_1

登城ルート

3matu 城跡概念図

11_dorui 山上北側に位置する郭群

21_horikiri_isi 斜面堀切跡

23 自然岩で形成される虎口跡

26_dankaku_isi_1 郭壁の石垣跡

30_shukaku 主郭切岸

31_shukaku_nai_1 主郭内

2008年9月28日 (日)

井上城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市泉にあっていかにも山城らしい形をした剛山(標高361m)山頂部から西尾根上が城跡、八上城攻略の際の明智軍の陣城あるいは向城と聞くが詳細は不明

城跡は国道372号と県道12号の交わる地点の篠山川を隔てた北側に位置しており、山上が植林地とは思えないので登山道には期待できず集落の北側に回りこみ前日のシュミレーション通りの直登を選択する。ルート図にある様に北東側の集落の西側端の民家の背後より山道が途中までは利用出来、木々の少ない場所を選んで城跡北側の斜面に取り付き直登を敢行する。

20分程度で山上主郭に到達するが現状八月とあってか雑木が隙間もなく密生の上、葉も生い茂り全体の視認はほぼ不可能に近く木々の隙間を縫って移動しなければいけない状態になっている。それでも空堀、土塁、郭跡、切岸などは判別確認出来た残存しているであろう縦堀、堀切などについては確認までには至れなかった。山上東側に到達してほぼ山上全域のある程度まで確認出来、更に西側尾根を下る算段であったが途中身動きの取れないほどの雑木藪に阻まれてついに力尽き西側への縦断踏破は断念する事を余儀なくされてしまった。

1route_1 登城ルート

4_enbou_1 東より城跡遠望

3inoue 城跡概念図

19_shukaku_2 雑木に覆われた主郭

26_dorui_karabori 空堀土塁

27_dankaku_heki 西側郭跡の切岸

29_obi_yori 帯郭切岸

山上郭群は相当な規模を所有しているが自然任せの風化中のため郭段差はあるのだが明確には判別出来ず、高さのある切岸のみ何とか判別出来る状態で全体の縄張りも中々思うようには把握する事が出来なかった。城跡も真冬あるいは冬枯れ後に訪問すれば少しはましな状態を観賞する事が出来たかも知れない、、、

朝日城(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市春日町朝日にあって少林禅寺のすぐ西側に位置する丘状地上が城跡、荻野氏の居城と伝わる

城跡へは国道171号より朝日集落に入り少林禅寺を目指して南に進路を変えればほぼ直進で池までは辿り着ける、池の北側には屋敷跡、東側最高所には主郭が位置しており屋敷跡を確認しながら上れば数分で主郭までは辿り着ける。

進入口である屋敷跡の切岸には随所に石垣跡が窺われ土塁、空堀状の窪地にまで見て取れる。そこからそのまま上ると数段の段郭を経て主郭には辿り着けるが、現状(10月)全域に渡って雑木藪で覆われており移動にも視認にも難渋する有様である。それでも何とか隙間を縫って移動し櫓台土塁、縦堀などの遺構の確認及びおよその縄張りは摑み取る事が出来たが、主郭より北東側は密生する雑木の為推察すら出来ない状態である。

城跡の現在の状況から考えると訪問時期に夏季は絶対に禁物であり、出来れば冬枯れした後が一番ましな訪問時期ではないだろうか、、(屋敷跡は時期に関係なく訪問可能)

1route_1 登城ルート

3d 城跡概念図

8_yasiki_dankaku_isi 屋敷跡

8_yasiki_dankaku_isi_1 石垣跡

13_dorui 屋敷内土塁

23_1 郭跡の石垣跡

30_yagura_heki_1 櫓台切岸

31_shukaku_nai 主郭

2008年9月26日 (金)

岡屋城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市東岡屋にあって篠山城跡からは西に数分足らずの距離にある権現山の山上が城跡で別名「飛ノ山城」、波多野氏の重臣である渋谷氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へはルート図の如く東側から道が通じているので難なく辿り着けるが、個人的には出来るだけ人の通らない直登ルートを選んで上るので分からなかったが、どうやら山上に駐車場があったので車でも直接上れる道路があったのかも知れない。どちらにしても東側住宅地から遊歩道で上るか又は南側から妙見社を目指せば歩いてもすぐの距離なので手軽に行ける城跡である事は確かである。

現状(五月)城跡の主郭は駐車場と化しており当時を偲ぶ事は不可能であるが、南側には切岸も残存しており妙見社までの段郭群は唯一判別確認する事が出来る状態にある。堀切を挟んで東側の郭群は最高所が古墳となっており物見として機能していた可能性はあるだろうが、現状相当な竹薮に覆われており地表風化も激しく郭跡である段差及び土塁、堀切などの遺構は判別し難く、形状を判別する事はほとんど不可能に近い状態となっている。

1 登城ルート

3tobi 城跡概念図

7_shukaku 山頂主郭

11_gedan1_heki 南段郭切岸

31_horikiri 主郭東側の堀切

30_karabori_dorui 東郭の空堀土塁

33_yasiki_ato 遊歩道付近の屋敷跡

22_yasiro 妙見社東側の郭跡

西谷城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山西紀町西谷にあって西谷集落からは北東、登山口となる弘誓寺からは東に位置する標高375mの山頂から西尾根上が城跡、岡本氏の居城が伝わるが詳細は不明。

城跡へは篠山市内から県道97号線に入った場合「宮田」の信号を通り過ぎて川沿いを右カーブして後、右の脇道にそれて弘誓寺に向かう。寺院に到着すればそれより大師道が途中まで利用出来、中腹にある社殿を通り過ぎて少し登れば本来の大師道よりそれて北東尾根に向いて登る(そのまま行き過ぎると城跡へは到達しない)、道をそれる地点には雑木の中に少し小さな社殿が見えるので注意深く辺りを見回す必要あり。小さな社は出郭とも見受けられ切岸跡も窺える、そのままだらだら続く尾根斜面を二度登り切ればやっと主郭に辿り着ける。

現状(七月)城跡は藪化進行中ではあるが視認も移動も差障りはない状態にある、もちろん複雑で技巧的な遺構も見当たらないのでこの程度なら充分と言えるものである。見所を探すのに少し苦労するが敢えて言えば主郭の東尾根を断つ二重堀切と言ったところか、

寺院から山上主郭までにはおよそ30分は要すが、この城跡を評価し紹介するには少し辛い部分がある。自分の様に山登りも楽しめれば苦も無く登れ案外達成感は味わう事が出来るが、城跡見学を主に置くとすればほぼ期待はずれに終わる事は必至に思えてしまう。個人的には数百年の時を経た現在も人の手が入らずそのままの状態を見れる山城は数多くは無いので、登山が苦にならないのであればこの古い形態を持つ楚々とした山城はお薦めしたい物件ではあるのだが、、、

1z 登城ルート

082m 木之部城跡より遠望

3nisi2 城跡概念図

8_yasiro_monomi 出郭らしき社郭跡(ここから北東へ)

18_nisi_dankaku 西段郭切岸

21_dankaku_gun 西段郭群

24_obi_yori_shukaku 帯郭より主郭

25_higasi_gedan_1

主郭東下段

30_higasi_2jyuu_horikiri 東二重堀切

2008年9月21日 (日)

籾井城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市福住にあって禅昌禅寺の北西背後の山頂から南尾根上が城跡、丹波の青鬼の異名で知られる籾井氏の居城で前に訪問リポートした安口城は東籾井城と呼ばれる支城にあたるもの。

城跡へは国道372号沿いの福住集落より北に橋を渡った場所にある禅昌禅寺が登山口になる。案内板も設置されており遊歩道を利用して迷わず辿り着ける。

現状(十二月)城跡は冬枯れと言うこともあってか主郭周りの郭跡及び堀切などの遺構は全て判別確認出来る良い状態にあるが、夏季についても多少の下草程度の事で四季を問わず訪問出来そうに思われる城跡である。

1route_2 登城ルート

3mo 城跡概念図

6_tozankuti

登山口

14_shukaku_heki 主郭切岸

18_2maru_daidorui 二の丸奥の大土塁

23_nisikaku_oku_shukaku 西郭群より主郭側

24_nisikaku_daihorikiri 西大堀切見所

19_kita_horikiri_3maru 二の丸北の堀切

20_horikiri_dobasi 堀切土橋

芦田城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市青垣町東芦田にあって集落より北西側の標高519m山頂から南北尾根上が城跡、信州より来住した芦田氏の居城と伝わるが詳細は不明。

城跡へは柏原青垣7号線より途中109号に進路を変え登山口である胎蔵寺を目指す。109号線沿いには寺院への案内板も設置されており直ぐの距離である、車道は寺院までで山頂主郭まではこれより西に向いて登山道を利用して登る事になる。

1_asida_yakata1 登城ルート

4_tozanguti 登山口にあたる胎蔵寺

2asida3 城跡概念図

2asida2x 状況及びコメント

34_ooisi_monseki_1 南自然地形郭

38_horikiri 南堀切

42_minami_dankaku 南段郭群

45_shukaku_heki 主郭切岸

46_shukaku_nai_1 山上主郭

47_kita_shukaku_heki 主郭北側切岸

48_kita_3dankaku_1 北側の三連段郭

50_kita_horikiri 北堀切

現状(一月)城跡は冬季と言うこともあってか藪で難渋する事もなく移動は容易に出来、主郭周りの郭群は全て判別確認出来る状態にある、ただ主郭より東側は登山道からは外れる事もあってか雑木が密生しており移動も困難で踏破する気にはなれなかった。初回の登山では夏季と言う事もあり相当草木が生い茂っており動き回れる状態にはなかったが、登山客の少ない山はやはり冬季に訪問するのがベストであると思われる。

2008年9月14日 (日)

南山城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市辻にあって先に訪問リポートした東山城からは道路と川を隔てた西側に位置する尾根上に城跡はある、こちらも淀山を本城とする波々伯部氏の支城と見受けられ三城とも同じ辻集落に国道を挟んだ形で独立性を保持しながらも波々伯部城塞群の一翼を担っている様に窺われる。

城跡へはルート図に付記されている様に大仙寺を目指しそこから墓地を通り過ぎ最奥より南東側に向いて尾根斜面を直登すれば10分程度で主郭には辿り着ける(詳細は概念図にあり)。現状(6月)山上郭群は当然の如く藪化進行中であるが砦規模の城跡である為全体像も把握し易く山上における遺構は全て判別確認できる状態にある。

個人的には時期を別にした訪問となったがこの城跡も波々伯部三城の一つとして距離も近い同じ地区にあるので同日訪問をすれば効率よく三城の違いを確認しながら見て回れるのではないだろうか。

1route_7 登城ルート

Zz 城跡概念図

14_gedan3_yori_obi 主郭切岸と帯郭

16_shukaku_gedan1 主郭北下段郭

18_shukaku_nai_2 主郭

21_yagura 主郭櫓台土塁

23_sita_minami_horikiri_1 南側の堀切

東山城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市辻にあって本城にあたる淀山城跡からは国道を隔てた反対側の南東側に位置し小高い山の山上部が城跡になる、波多野氏(八上城主)の重臣である波々伯部氏一族の支城と見受けられる城跡であるが詳細は不明

城跡へは淀山城から真反対の道を南に向いて辻集落へ入り道に任せて川沿いの細い道に進入する(ルート図参照)。川沿い最奥にある民家を通り過ぎればどの地点からでも左手斜面に取り付ける(ただし獣避けフェンスは越える)のでそこからは急斜面を直登するしか手はない。個人的には東側の畑地まで行きそこから強引にフェンスを越え急斜面を上ったが比高70m程度なので20分もあれば山上までは辿り着ける。

現状(12月)城跡は多少藪化はしているが冬季ともあって葉が生い茂っていない分動き回り易く遺構は全て判別確認できる状態である。こちらも本城と同様に縄張りは非常にシンプルで高さのある切岸と堀切、数段にも及ぶ段郭群が山城らしさを充分醸し出している。見応えからすると淀山本城より数段こちらの方が勝り主郭の規模は相当大きく城域もかなり広い、国道に至るまでの尾根上にも数箇所に渡って郭跡(平坦な削平地)が見て取れた。ただ現在の状態から城跡を察すれば夏季においては相当郭内に葉も生い茂り、快適な山城探索とは行かないかもしれない。訪城するにはやはり冬季限定と言ったところか、、、、

尚、下山の際には必ず南郭から真南に下りてもう一度フェンス(恐らく開閉場所は登山開始地点の一箇所しか無い)を越えて元の川沿いの道に戻るか、北郭より尾根に任せて小規模な砦跡を確認しながら国道まで抜けて行く(距離はある)かどちらかの選択が必要となる。意外に満足感に浸れた城跡であるが、この分なら次の訪問予定地である南山城跡(西向いにある山城)が楽しみになってくる

1route_6  登城ルート

3h 城跡概念図

19_minami_dankaku3 南段郭群

28_shukaku_nisi_gawa_dorui 主郭西の土塁

40_gedan_sita_horikiri_1 北側の堀切

47_gedankaku_sekiretu 東郭内の石列

48_yaguradai_dorui 東郭櫓台土塁

50_higasi_horikiri 東堀切

53_sizenkaku_higasi_horikiri_dobasi 東端の堀切土橋

淀山城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市辻にあって辻集落からは国道を挟んで北側に位置する小山の山上が城跡、波々伯部氏代々の居城であるが戦国期には明智に攻略されている。

城跡は国道372号を走れば辻集落の北側に見えてくる低い山がそれで、ルート図にある様に北に向いて少し進入すれば池の横を通り城跡まですぐ辿り着ける。

1route_4 登城ルート

6_sinnyuudou 進入路

3yodo 城跡概念図

現状(8月)城跡は相当藪化進行中ではあるが縄張りが複雑で無い分、堀切から南側の主郭周りの遺構の判別確認は充分可能な状態にある。しかし北側及び西側は視認も困難な雑木藪に覆い尽くされており中々踏み入れる状態には無く踏破は断念する。城跡としては縄張り妙味も無く優れた技巧も取り入れている訳でもないので見所を挙げるには苦労するが、唯一高さのある切岸を持つ大堀切は見応えのあるものである。主郭には石碑も建っていたが城跡自体が自然と一体化するのも時間の問題である様に窺える。ただこの城跡は国道を越えた反対側の山上に一族の拠る東山、南山城跡があり、更に西側には波々伯部神社もある様に恐らく波々伯部氏の本城(規模的には東山城の方が大きい)とも思われ、5分の直登で主郭には到達出来るので一度見ておいても損にはならないだろう。

個人的には訪問時期を間違えた様だが冬季限定訪問であれば見学出来る状況も少しは好転しているかも知れない

13_horikiri_yori_3maru 大堀切より切岸

14_3maru_nai 三の丸

27_shukaku_dorui 主郭土塁

31_2marunai_sekiretu_2 二の丸内の石列

25_nisi_dorui_karabori 主郭西の空堀土塁

43_tatebori 東側の縦堀

2008年9月13日 (土)

大河城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市山南町大河にあって大河集落の北東側に位置する低い山の山上部分が城跡で、更に北側を少し登った山上には物見か狼煙台程度の郭跡がある。城史に関しての詳細は不明

篠山山南線77号より現地に向かいJR谷川駅の東方1km地点の大河集落からは道路沿いに見えている山が城山になる。登山道は無いので道路沿いから畦道を通り山裾まで向かうが、やはり獣避けフェンスが張り巡らしてあるので出入り口を探しながら登り易そうな取り付き点を定める。山の東側に進入できる箇所を見つけ直登で少し藪漕ぎになるが西に向いて10分程度登ると三角点のある山上と南側の城跡の中間に到達出来る。

城跡の藪化は本格的なもので何十年も人が入った様な痕跡は窺えない、あるとすれば城跡探索を主とした自分の様な物好きな人間に限られてくるに違いないが、それでも移動視認出来る分にはまだましな方である。規模は砦クラスの域を出ないもので街道監視機能あるいは東麓屋敷跡(館跡)の詰城の役割が推察されるものである。城跡へは山を東へ回り込んだ辺りから進入したが個人的にはむしろこの付近の屋敷跡と見受けられる低い段差を持った広い郭跡に興味をそそられた。この地には(これは石垣跡と個人的に推察しても自信が持てるもの)当時の石垣跡と思える遺構が段差を持って築かれており、その苔生した石垣はより往時に思いを馳せる事の出来る遺構の様に思えてくる。

1z_2 登城ルート

3oo 城跡概念図

9_fumoto_yasiki_1 東山裾の屋敷跡

11_yasiki_isi_1 屋敷跡に残る石垣跡

11_yasiki_isi_2

屋敷跡段郭群

17_shukaku_kirigisi 城跡北側の切岸見所

18_shukaku_nai 主郭

25_minami_obi_isi 東側段郭の石垣跡

26_minami_obi 南帯郭

33_kita_demaru_1 北山上の物見郭跡

34_yaguradai 物見櫓台

友政城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市市島町友政にあって集落の南側に位置する東西に渡る尾根上が城跡、案内板によるには城主は吉松氏、家老が見谷牛右衛門友政となっており、現在でもその字地名が「友政」になって麓には守り神とする八幡神社まである様である。

城跡へは国道175号線を北上する場合、市島を越えた辺りから進路を東に取り線路を越えて竹田川沿いを走る一般道に進入する、川沿いの道路をそのまま北上すれば後は登城ルート地図通りで麓の公園には辿り着ける。ここからは城跡公園として遊歩道が整備されているので迷わず山上までは到達出来る。この地からそのまま道路に従って北東に進めば数キロ先に既に訪問紹介した前木戸城跡もあり、二城同日訪問するとより効率良く見て回れる様に思われる。

城跡は現状(六月)と言う事もあってか遊歩道を少しでも外れると郭跡は一面夏草やシダで覆い尽くされており低い郭段差などは判別確認も出来ない状態となっている。展望所である主郭さえも草木で眺望も利かず唯一の土塁でさえ判別し難い状況である。この様な状態で見所を探すとすれば唯一主郭東背後に設けられた二重堀切ぐらいか、、、、、中々状態の良い時期を狙って訪れるのは難しいがこの城跡に関して言えば夏季の訪城は絶対に厳禁と言う以外の言葉は見つからない。

1route 登城ルート

4 進入路より城跡遠望

3to2 城跡概念図

8_kaku4 西郭

11_kaku3_1 西段郭

18 主郭

19_dorui_haigo 主郭の土塁背後堀切

21_2jyuu_horikiri_1 堀切

22_higasi_kaku_1 東郭

2008年9月12日 (金)

山垣城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市青垣町山垣にあって集落を流れる川を挟んで北東側の半独立状の小山が城跡でヤマガイ城と読む、足立氏の本城として機能し信長の丹波攻略軍によって落城の歴史あり

城跡は国道427号より集落に入り北側に自動車道トンネルのある小山が見えてくればその山上が城跡にあたり、そちらの方向に進路を変えて山裾まで向かう。山裾東側の畑地に見える場所奥に足立墓所がありそこから山道を上れば10分程度で主郭までは辿り着ける。

現状城跡は九月にも拘らず地表は荒れてはいるが下草も少なく見通しも良く主郭周りの遺構は全て判別確認可能となっている、しかし北側は徐々に藪化進行中でもあり多少の藪は覚悟しなければいけないが移動に差し支えるほどではない。

特別縄張り妙味のある城跡には思えないが残存状態も比較的良く、遺構残存度も高く縄張りも分かり易い山城である、見所を探すとすれば主郭南側に位置する二重堀切及び南郭群は城中最大規模でもあり見応えのあるものと言えよう。

1

登城ルート

3 城跡概念図

8_adati_haka_1 足立墓所

17_3maru 三の丸

36_2maru_nai 二の丸

18_minami_2jyuu_horikiri 南二重堀切

22_minami_hira 南郭大広間

31_minami_oohiroma_1 南郭下段

34_minami_gedan_heki 南郭の切岸

2008年9月10日 (水)

吹城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市東吹にあって篠山城からは南西側2kmの位置にある低山の山上が城跡、井関氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡は市内を走る一般道306号からゴルフセンターが北側に見えてくれば池を挟んで西側の低山がそれにあたる、道路から北側の小さなクラブハウスの脇から北に向いて山道があるのでそれを利用して深い堀切まで向かう。堀切は東尾根を分断しており既に城域と見受けられ、その西側尾根(左側)に登ると郭跡と思われる削平地が存在している。そのまま登り切れば二の丸更に堀切を挟んで主郭群へと繋がる、便宜上二の丸とした給水施設のある郭跡が一番規模が大きく数本の縦堀が見受けられた。現状(1月)城跡は冬季であるにも拘らず常緑樹及び雑木に覆い尽くされており、主郭から西郭までは遺構の判別確認をしながら何とか辿り着けたが流石にそこから西斜面を下りて踏破してみようと言う気にはなれなかった。お陰で縄張り全体像は掴み切れなかったが城跡の七割は踏破しているとも思われ、現状から察する限り視認しながら動ける範囲はこれで限界の様にも思われる。

縄張り自体は単純で直線的に郭を並べたものではあるが郭間に高低差を設けており工夫の跡は充分窺えるもので、藪で視認出来ない部分にも多くの縦堀があったのではないかとも想像させられる城跡である。  

数分で主郭には辿り着けるのでお手軽な城跡とは言えるが夏場の訪問は絶対に避けなければいけない!

1_route_1 登城ルート

3 城跡概念図

7_daihorikiri 東大堀切

13_2jyuu_horikiri 二の丸東下の二重堀切

19_daihorikiri_1 主郭側の堀切

27_shukaku_nisi_ooiwa_heki_1 主郭西壁

33_yagura_heki 西郭櫓台土塁

35_karabori_dorui_1 西郭空堀土塁

矢代城跡(兵庫県篠山市)

先に紹介した国松居館跡の詰城と呼べるものでもあるが、ルートとしては出発地点にあたる西砦堀切にある稲荷社より北側斜面を上ればすぐフェンスに直面するので一旦フェンス沿いに下りて逆にそれを回りこんで上る。(理想は民家敷地内を通してもらい逆フェンス沿いに上る)フェンスを越えると長い斜面が続くが山上までには中枢を成すと思われる西出郭群を通り遺構としての堀切などを確認しながら踏み跡を辿れば辿り着ける。

山上郭までの痩せ尾根急斜面上には延々と連なる狭い段郭群が配され築城者の執念の様なものを感じ取る事が出来るが、はっきり言って技巧的要素も縄張り妙味もほとんど無い城跡である。しかしこれが篠山地区にある険峻な山城の特徴でもありそれを集約した様な山城が矢代城でもある。急斜面を郭跡を確認しながらひたすら山上に向いて登って行く時がこの山城そのものを味わえる時でもあり歴史ロマンを感じる時なのである。山上郭群までには40分程度はかかるが山城を征服した時の喜びは大きく満足感と達成感は充分味わえる城跡である様に感じられた。

現状(一月)城跡は藪化進行中ではあるが冬季のせいもあってか雑木に阻まれる事も無く遺構は全て判別確認できる状態にある。夏季ともなればやはり枝葉も生い茂ると想像できるので理想の訪城は冬季と言う事になるであろうか、、

3 城跡概念図

3x

状況 コメント

12_nisi_demaru_1 西出郭

15_horikiri_1 西出郭北堀切

27_horikiri_dobasi 中腹の郭跡、堀切土橋

32_nisi_e_dankaku 西段郭群

48_isizumi_heki 石垣跡

55_nisi_yaguradai_1 主郭西櫓台土塁

矢代城居館跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市矢代にあって先に訪問リポートした盃山城からは尾根を西に約1km移動した別峰になる山頂356mに位置する山上から南尾根先端までの城域の広い城跡であるが、この城跡は南端に位置する本来国松居館跡として一部の文献に登場するもので酒井氏の重臣である国松氏の居城と伝わるが詳細は不明、山上郭(矢代城跡)に関しては次で紹介する。

城跡へは篠山市内から一般道140号に入りユニトピアささやまを目指せば難なく辿り着ける、この大駐車場から川を挟んで東側に眼にする事が出来る尾根先端上に居館跡西砦(便宜上の名前)があり道路沿いの小さな橋を渡るとすぐ堀切に到達出来る。堀切から南側は既に城域となっており竹林の中にも郭跡が窺え、数段の郭跡を経て祠のある最上段の郭跡に到達出来る。ここから東側に数軒民家の立ち並ぶ辺りが居館跡と見受けられ実際にKM邸もあり、そこに住まわれる末孫の方の話を少しだけ聞く事が出来た。このKM邸を挟む形で東に位置する尾根上には規模の大きい東砦(便宜上の名前)があり遺構としての空堀、土橋、堀切などが残存している。

この居館跡は館を中央に置きこれを挟む形で東西に砦あるいは出郭を備え守備されており、おまけに背後の尾根から山上にかけては詰城でもある矢代城山上郭を構えたもので、勝手な推察にはなるがその更に最高所にあたる盃山城まで城域に取り込むと相当な規模の矢代城塞群とも呼べるものである。

尚、居館跡南側には余り見応えはないので訪問リポートの紹介はしないが、大野城跡が池を挟んで目の前に見えているので覗くぐらいであれば納得の得られる城跡になるのかも知れない。

1route 登城ルート

Z 大野城側からの遠望

Zz 城跡概念図

11horikiri 最初の到達点の堀切

13_gedan2_2 西砦段郭

21yaguradai_2 西砦櫓台

30_higasi_demaru_1 東砦

32_higasi_demaru_sizenkaku_1 東砦郭跡

35_dobasi_karabori_ato_1 堀切土橋

2008年9月 9日 (火)

東鴨野城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市柏原町東鴨野にあって高見山城塞群の関連城なのかどうかは分からないが高見山から北東に広がる尾根の先端部にある城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へは国道176号から一般道290号に入り新井小学校を目指して進む、学校の裏(南)側が城跡にあたるので一旦西側の墓地に車は置き、運動場の端を通らせてもらい背後の学習用に作られた畑を越える。既に城域と見受けられ段郭の構成が見て取れるが、この東奥に堀切を挟んで本命である郭群(屋敷跡)が形成されている。この城跡の最大の見所は屋敷跡群の背後を守備する空堀と土塁及び郭切岸で状態が良いせいか余計凄いものに見えてくる、中でも中央に位置する櫓台土塁は高い切岸を伴っており相当な見応えがあると同時に司令塔の様にも見えるものである。この中央櫓台下には規模の大きい居館跡と呼ぶに相応しい郭跡が広がっており、このすぐ東側の丘陵には東出郭と呼ぶべき物見の機能が窺える郭跡がある。ここから反対南側斜面を登り切ると山上郭と呼べる削平地が山上に配されており、屋敷、砦、山上郭と三位一体となった城跡であるように感じられる。

現状(11月)相当下草も雑木も蔓延っており、ほぼ外見から郭形状などは判断出来るものの一部の竹林雑木藪地は視認も出来ないほどの状態である、見所である空堀、土塁などは判別確認が容易となっているので救いはあるが、、、尚出発地点である墓地から南側へ向かって登ると尾根を分断する堀切を通りそこから西に上れば東屋のある高見城出郭へ到達出来、南へ下ると麓三宝寺まで辿り着ける。個人的には丁度尾根先端部分の城跡周りを東西南北一周した感じになる。

65d 登城ルート

6s 北より遠望

3hig 城跡概念図

9_dorui_yaguradai 西端の櫓台土塁

16_shukaku_daidorui 中央櫓台の土塁背後空堀見所

18_dorui_karabori_1 空堀と土塁見所

23_gedan_yakata_ato 櫓台下の城中最大規模の郭跡

27_yakata_yori_higasi_dankaku 屋敷段郭群

43_higasi_hasi_kaku_2 東出郭

47_sanjyou_kaku 山上郭

細工所城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市細工所にあって集落の北東に聳える標高404mの山の山頂から南西尾根上が城跡、丹波の荒木鬼と異名を取った荒木氏の居城であり八上城主である波多野氏に属したが明智軍によって落城させられる。

城跡へは国道173号線から集落に入り(先に訪問紹介した貝田城とは至近距離)道路沿いの案内板より倉庫横を通り過ぎて山に向かう。山頂主郭までは案内つき登山道が通じているので迷わず辿り着けるが、厳しい上り斜面が待ち受けており30分程度の所要時間は必要である。

城跡は麓の上り口からすぐ上の尾根は城域となり居館跡とも見受けられる規模の大きい郭跡があり、高さのある櫓台土塁の背後には見所でもある大堀が設けられている。ここから先は山上までひたすら斜面を登る事となるがその間に数箇所の自然地形に近い規模の大きい郭跡は確認できる。山上主郭周りの郭群は削平も行き届き切岸処理も行われたものであり、城跡全体は直線的ではない尾根地形そのものが高低差と相俟って最大の防御機能になっている様にも見受けられる。自然地形をそのまま利用して削平し切岸処理された郭群に技巧さも縄張り妙味も求める事は出来ないが、地形そのものが既に縄張りの一部と化している素晴らしい縄張りプランの城跡だと痛感するに至った。

現状(三月)城跡はある程度整備されており冬枯れ後とも相俟って見通しも良く遺構は全て容易に判別可能となっている。元々木々が少ない為に四季を問わず何時でも訪問出来そうな城跡のようにも思われる。

1route_2 登城ルート

6_tozanguti 登山口

3a 城跡概念図

18_daidorui_yori_yasiki 南西先端の広い郭跡

21_daidorui 南西郭背後の堀切と櫓台切岸

40_2maru 二の丸

41_2maru_yori_shukaku 二の丸より主郭

42_shukaku_nai 主郭

46_3maru_yori_shukakuheki 三の丸より主郭切岸

48_nisikaku_tori_shukaku_heki_1 主郭西側切岸

尚この城跡上り口から真南に突き出した尾根上には広大な南出城と呼ぶに相応しい砦跡が存在する、そのまま少し歩いて数分移動するだけで端祥寺墓地を登れば到達出来るので見ておいても損にはならないだろう。131

南砦跡

2008年9月 7日 (日)

遊谷城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市東浜谷にあって篠山城からは北側へ1.5kmの距離にある南北に長い丘陵上全体が城域となる大規模な城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へは基本的に丘陵に向いて取り付けばどこからでも到達出来るが、140号線沿いの警察署から二筋東側の道を北上して給水設備(登城地図参考)から進入する方法がベストだと思われる。北端から郭跡及び遺構を確認しながら南下すれば効率よく見て回れる筈である。

城跡は進入口である給水設備の南側からは既に城域と見受けられ、段郭を経て主郭最高所に向かう。主郭から南の郭端までは特別広い郭跡はないものの郭が隙間もなく配されており中々見応えはある。そのまま南尾根を下ると南端の出郭及び館跡にも見受けられる広い屋敷跡群まで到達出来たが、仕切り直しで一旦引き上げた後に再訪という形で南西側の長楽寺より畦道を利用して改めて南端郭跡に進入する。こちらにも推定館跡を挟み込む形で東西に郭が配され、その中央には櫓台と思える大土塁まで設けられ周囲はより堅固な状態になっている。この縄張りに関して言えば非常に見応えのあるものである。

現状(五月)城跡は一面雑木藪に覆われており薄暗く写真も中々写りが悪い状態にあるが、移動及び視認に困難を来たすまでには至っていないのでそれなりに遺構は判別確認出来る。人の手が入っていない分荒れ放題ではあるが遺構の残存度はその分非常に高いと言える城跡である。

1 登城ルート

Yu 城跡概念図

13_shukaku_heki 主郭切岸

15_shukaku_nai 主郭

18_yagura_nai_hori_2 櫓台内部の空堀土塁

23_koguti_kaku 南郭虎口

3 南端の砦群と屋敷跡の概念図

6 砦跡進入口

7_hasi_kaku_2 南西端郭

10_kaku 南西郭跡

29 屋敷跡土塁

33_yasiki 館跡か

38_karabori_1 南東先端の空堀土塁

盃山城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市東浜谷にあって集落の北側に一際高く聳える標高497mの盃ヶ岳山頂から西側尾根上が城跡、城史に関しての詳細は不明であるが付近在住の年配の方の話を聞く限り国松氏の居城跡としての認識が高い様である。

この城跡への登山道は市内にある篠山警察署東側の道路を北に北上すれば登山口である春日神社に到達出来るはずである(載せてある登城ルート図はあくまでも個人用の直登ルート)。ここで明確に道案内が出来ないのは個人的にはこの地よりもっと西側に位置する矢代城跡を目指したつもりが少し尾根を東にそれて、結果的にそのまま藪漕ぎで盃山城に到達してしまった経緯からである、不細工な話ではあるが結果オーライで片付けるしかない。下山する際も尾根を間違えて更なる藪漕ぎで南側尾根に下りてしまいお陰で南出城跡あるいは南砦跡に相当する郭群を確認出来たとは言え余り喜べない顛末になってしまった。(結果的にはこの南砦跡の方がより城跡らしく数段の段郭と広い削平された二箇所ある郭跡から成立している)

現状(一年前の三月)城跡は冬枯れしている分多少見通しは良いが登山客の訪れる山頂でさえ枯れ枝ばかりの荒れ放題となっている。主郭東側には数段の段郭が縦土塁を伴い配され、西側を少し下りた尾根上にはこれも荒れ放題とはなっているが尾根全域が削平跡の窺える(多少の切岸段差も確認)郭跡となっている。この状態では夏場の訪問は相当厳しい状態が予測されるがこれだけ険峻な山城であるなら少々の覚悟は必要かも知れない。

1tozan_route1 登山口周辺図

3x_2  城跡概念図

24_shukaku_nai_2  山上主郭

26_higasi_gedan_dorui_2  東郭の縦土塁

21one_sizen_kaku 西尾根郭跡

2_16_nisi_top_1 西郭群の最高所

13 西尾根郭跡

30_minami_demaru_1 南砦跡

32_minami_3nai_1 南砦跡段郭

2008年9月 4日 (木)

福井城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市福井にあって先に訪問紹介した豊林寺城からは南東に延びる先端尾根上が城跡、森本氏の居城を伝え麓の民家付近が居館跡と窺えその詰城的機能をもった城跡と見受けられる。

豊林寺城とは年を別にしての訪問となったが国道173号の多紀福井バス停より川を挟んで真北に見える山が城跡であり、橋を北に渡って正面民家の脇にある福井城址碑よりそのまま直登すると10分内で主郭に辿り着ける。石碑の横には当時のものかどうかは判別出来ないが、小さい石組み井戸と古い石垣造りの溜め井戸の様な構造物が窺える。

城跡は主郭の南側に二段の郭が付随し、全長15m程度の主郭の北端には櫓台土塁が備わっている。主郭周囲の崖状斜面は切岸となっており中々の迫力があり、その高い切岸背後には土塁を伴う片縦堀と尾根を断つ堀切が設けられており城跡の見所ともなっている。現状相当藪化進行中ではあるが藪漕ぎするほどでは無く遺構は判別確認可能となっている。小規模ではあるが丁寧に築き上げられた様は見る者にとっては中々好感度の高い城跡と言えるものである。

1route 登城ルート

3fu 城跡概念図

7z 直登口の城址碑

9_idoato 井戸跡

20_shukaku_koguti_1 主郭自然岩虎口

22_shukaku_1 主郭

23_yagura_dorui 主郭櫓台土塁

28_yagura_heki_1 櫓台背後の切岸

30_horikiri_1 北端の堀切

豊林寺城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市福井にあって豊林寺の北背後に聳える標高527mの豊林寺山の山頂が城跡、戦国期には森本氏の居城を伝えるが山麓寺院北背後から山に向いて数段にも重なり合う土塁を伴う屋敷跡群(佇まいからしても後世の僧坊の様には見えない)があり、更に東南の尾根先端部には麓森本居館の詰城の機能を持つ福井城も存在する。

城跡へは国道173号から福井集落にある豊林寺を目指せば難なく辿り着けるが、健脚の方は先に福井城へ寄ってから山麓寺院北背後の凄い屋敷跡群を確認した上で山頂を目指すか、下山した後で寄るかはその時の体調で判断した方が良さそうである。屋敷群の最上段までは山道らしき踏み跡が続いているがそれから先は北に向いての直登しか方法はない。現状(4月)冬枯れした後なので木々の間をすり抜けて山頂のみ目指せば容易に辿り着けるが、はっきり言って山頂までの30分に亘る斜面との格闘はかなり厳しいものがある。それでも登り切れば自分で独り占め出来る空間が山上で待ち構えてくれているのである。

2route 登城ルート

Photo 城跡概念図

1_2 状況及びコメント

9 山道から麓屋敷群の郭壁

11_2 屋敷跡切岸

21_sanjyou_no_kaku 山上東郭

37_higasikaku_hasi_1 東郭端

41_horikiri 東先端の堀切

25shukaku_heki 主郭切岸

27_shukaku_nai_1 主郭

35_gedan2_yori_shukaku 北段郭より主郭切岸

2008年9月 2日 (火)

高見山城塞群-3(兵庫県丹波市)

高見山城塞群 その三「高見城主郭及び中ノ台

山頂485mからの眺めが良く登山で人気が高く、登山遊歩道も整備されているので麓の広場からは迷わず辿り着ける。メジャーな山城ではあるが山城大好き人間にとってはこの険峻極まりない山頂に主郭を置く、丹波随一とも呼べる城域を持つ高見城を避けて通る事は出来ないので敢えて紹介させて頂く。既に訪問された方々も多いであろうとする前提でリポートを進めるが、城跡は南北朝期に仁木氏により築城されその後山名氏に取って代わられ戦国期においては明智軍による攻撃の前に落城、最後の城主は赤井忠家と伝わり忠家は落城後秀吉に仕えた模様。3z2_2

今回で三度目の訪城となるが山頂は相変わらず抜群の眺望で、下界を見下ろせば山頂主郭に到達するまでの溜まった疲れは一掃させてくれる。今回はその一でリポート紹介した北出郭と同時に探索予定に入れていた三の丸下の北斜面にも下りてみたが、崖状急斜面に広くは無いが土塁を伴った郭と自然岩を背後にした郭の二段の郭跡を確認する事が出来た。ついでに主郭南側に位置し鉄塔の建っている中ノ台まで足を延ばし郭跡などの遺構の確認まで行うことが出来た。ただしこの郭跡には鉄塔のあることからも少し地形の改変を受けている可能性はある。

7

進入路より高見山遠望

14_2dankaku_2 山中腹の二段郭跡(北出郭への分岐点)

18_3maru_gedan2_ooiwa 三の丸北最下段の郭跡

20_3marunai_2 三の丸

23_2maru_isi 二の丸壁の石垣跡

24_2maru_yori_shukaku 二の丸より主郭切岸

27_shukaku_nai_1 山上主郭

30_shukaku_minami_isi 主郭南壁の石垣跡

28_minami_nakanodai 主郭より中ノ台

45 中ノ台概念図

55_dankaku_top 中ノ台郭跡

今回で高見山城塞群は最終リポートとしたい所だが、まだ中ノ台南側及び西出郭群の最西端までは踏破しておらず巨大な城域を誇るこの山城の全体像を掌握するにはまだまだ時間がかかりそうである。

高見山城塞群-2(兵庫県丹波市)

高見山城塞群 その二「高見城西出郭及び北尾根城塞群

この城塞群へは時期を別にして登る事になったが一般道290号より稲畑にある(ルート地図参照)峠カーブの墓地の向に取り付き直登を敢行、すぐ二重縦堀跡を眼にするのでそれに従い登れば北端の郭跡に辿り着ける。そこから南に向いて登れば鉄塔のある郭跡に到達出来、ここからが確信は持てないが目指す城塞群の存在するであろう尾根を踏破する出発点ともなる。この時点では尾根上に郭群の予想は出来たが結論から先に言うと地図の上で高見山山頂より北西に位置する出郭群(便宜上西出郭とする)及び北城塞群は予想通り尾根上に点在しており西出郭と呼ぶべき最高所に到達するまでには一時間近く要した、郭跡の状況説明は概念図中に付記してあるが、ここに至るまでには数箇所の堀切跡、郭跡、物見郭跡及び自然地形に近い郭跡(削平地)を痩せ尾根上に確認する事が出来た。

予想していたとは言えここまでの城塞群にお目にかかれるとは想像も出来ず、非常に疲れと時間を伴う訪城にはなったが満足感と達成感は充分味わう事が出来た。

1_3zx_2 登城ルート

50 西出郭概念図

6 二重縦堀(取り付き地点)

Kuruwa_ato 社跡のある郭跡

22_minami_horikiri 社跡南側の堀切

46_kaku_horikiri_tatebori尾根上の郭跡と縦堀

53_naka_kaku 西出郭の西切岸

56_higasikaku_dorui 西出郭東側の土塁

57_higasi_daitatebori_1 東側の大縦堀見所

71_higasigawa_demaru 東斜面より高見山北西出郭

本来ならリポートその一にある高見山北西出郭からは急斜面を下り切って再度西側を登れば視角に入っている西出郭最高所にはすぐに辿り着けそうに思えるが、ここを乗り越えるには本格的な登山装備が必要となりトレッキング程度の装備では中々困難である様に窺われる。ここに辿り着くには少々距離と時間がかかるがそれでも素人登山にはやはり北から北尾根伝いに登って行った方が無難だと思われる。

高見山城塞群-1(兵庫県丹波市)

高見山城塞群 その一「高見城北出郭

兵庫県丹波市氷上町佐野にあって標高485mの高見山山頂から四方尾根上に郭が展開され城域の広さにおいては黒井、八上、八木城に勝るとも劣らない城跡。

この城跡に関しては山城好き及び登山好きの人にはほとんど知られているので多くは語らないが、多くの人は山頂の狭い主郭及び南に谷を隔てた中ノ台を見て回る程度の様に思われる。かつて自分もそうであったがこの城跡は未だに全貌が解明されていないと聞き、自称山城好きであれば文献に余り登場してこない部分も一度探索してみようと思いつき今回三回目になる未踏尾根の踏破に挑んだ。

北からの別尾根登山で西尾根に向いては訪問リポートには載せていない(次のリポートの予定)が既に敢行しており、今回は主郭より北側の切り立つ斜面側を目指して地形図で郭跡のありそうな場所二箇所に見当を付け、登山道沿いにある山中腹の二段郭跡より横滑り状に西の尾根に向かう(ルート地図参照)。何となく踏み跡程度は残っていたので難なく辿り着くが、そこには予想を遥かに超える高見城の中枢を成しても可笑しくないほどの郭群が存在(便宜上北出郭とする)しており、随所に崩落石も見られ郭跡にも土中から少し顔を出すだけではあるが石垣跡も確認出来た。主郭周りの郭占有面積を比べてもこちらの規模の方が勝るもので屋敷跡、郭跡の切岸は良い状態のまま保持されている。 まだ未訪の方には是非この北出郭跡の訪問をお薦めしたいが、高見城中にあっては絶対に期待は裏切らない遺構と断言出来るものである。 更に横滑りで谷を跨いでもう一箇所当たりをつけた西側尾根を目指すが切り立つ崖と密生する雑木に阻まれこのルートからの踏破は断念する。

1_3zx

登城ルート

3_kita_sijyou_yori_takami 北出郭群遠望

3z2 城跡概念図

10_yasiki_ato_2 屋敷郭跡か

11_1 屋敷郭跡

14_kaku_heki 北出郭切岸

16_dorui_ato 土塁跡

18 北出郭

18_isi_ato 郭間の石垣跡

22_kaku_sentan_1 出郭先端

目星を付けた北西出郭には一度社のある主郭三の丸まで登山道で上りそこから崖状急斜面を北西側に下りて行くと予想通り、先ほどの北出郭跡より規模は小さいが帯郭を東西脇に伴った郭跡(便宜上北西出郭とする)が存在していた。こちらは背後が高さのある一枚自然岩盤で全面防備されており驚愕の様相を呈している。更に北側痩せ尾根に向いては堀切を挟んで物見まで備わっているが、これより先は砂利状急斜面で上り下りは非常に困難な状態となっている。

35_demaru

北西出郭

38_kita_one_horikiri 北側細尾根の堀切

Nisi_demaru 北端より西出郭側

それにしても素晴らしい北出郭群であり高見城は単純な山上郭群だけに終わらず、四方枝尾根上にも点在する郭群を併せると想像を遥かに超えた城域の広い巨大な城塞群と見るべきか。丹波随一の城域を持った城跡(黒井城、八木城も凄いが、)と言っても過言では無い様に感じられる

2008年9月 1日 (月)

貝田城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市貝田にあって先に訪問紹介した栃梨城跡からは篠山川を隔てた国道173号沿いの北東側に位置する小山の山上が城跡。城史に関しての詳細は不明であるが細工所城の支城である栃梨城とも近いことからこちらも支城として機能していたか、あるいは光秀の丹波攻略における向城である様にも感じられる。

城跡は貝田集落の北側にあり国道沿いの先端尾根上に位置する、城山の確認が済めば国道沿いの細い山道から池の南斜面に取り付けば主郭に上りきるまで5分程度で到達出来る。

城跡は長年の風化によって地表は相当荒れてはいるが藪化までには至っておらず見通しも良く縄張り全体像も非常に摑み易くなっている。切岸処理も窺え小規模ではあるが本格的に造り込まれた城跡の様に感じられる。勝手な推察ではあるがこの城跡における栃梨城との位置関係あるいは防備の手緩い縄張りでありながら築城における土木量は大きい事から考察しても、光秀側の向城(陣城)の様に思えるのは仕方のない事か、、どちらにしても見る分には縄張りも分かりやすく状態も比較的良いので非常に楽しめる城跡である事は確かである。

尚、ここより国道沿いの南側の突き出した尾根上にも砦跡の形で堀切に土橋を伴った郭跡(自然地形に近い)があるので時間が許せるなら立ち寄って見ても損は無いであろう。

1route_2 登城ルート

3z 城跡概念図

47_nisi_yori 西側より遠望

11 西空堀土塁

20_2maru 西郭

21_2maru_kita_gawa 西郭北側の切岸

22_shukaku 主郭

27_higasikaku_yori_horikiri 東郭の東堀切土橋

32_horikiri 東端の大堀切

栃梨城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市栃梨にあって集落の北側を流れる篠山川に向かい北方に突き出した尾根の山上に位置する城跡。勇猛で恐れられた「丹波の荒木鬼」の異名を取る荒木氏(細工所城主)の支城として機能するが光秀の総攻撃の前に奮戦するも本城と共に落城する。

城跡へは国道173号より向井公民館を目指し集落に入る(地図に記す)。城跡までの案内は無いがそれと分かる山道が麓の集落東端辺りより南側の山に向かっているので、それに従えば自然に新設された登山遊歩道となり山上主郭までは15分程度で迷うことなく辿り着ける。

城跡は直線的に並んだ主要三郭から形成されているもので、主郭には櫓台と呼べる土塁が設けられその背後には唯一の見所ともなる二重堀切が備わっているが、三の丸のある北東尾根側にも二重堀切があるので見逃してはならない。城跡を縄張り面から個人的に評価するのであれば山上郭の規模は大きいが一般的山城の域は出ていない城跡と言うことになる。しかし山城そのものは比較的状態も良いことから雰囲気も充分味わう事が出来、数少ない遺構も堪能する事が出来る。

1route 登城ルート

3 城跡概念図

8 登山進入路

29_2maru_2 二の丸

32_2maru_yori_shukaku_heki 二の丸より主郭切岸

37_shukaku_yagura_dai 主郭と櫓台土塁

40_yagura_minami_daihorikiri_1 主郭南側の堀切

43_2jyuu_horikiri_dobasi_1 二重堀切の土橋

47_nisi_demaru 西出郭

2008年8月30日 (土)

佐治城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市青垣町佐治にあって広い佐治集落の南に位置する八柱神社を挟み東と西に分かれた山の山上が城跡、児島氏の居城を伝えるが詳細は不明。

城跡(東城の主郭)へは佐治繁華街の南に位置する八柱神社を目指せば道は狭く少し分かり辛いが辿り着く事が出来る、神社からは山上に向いて旧参道らしい山道があるのでそれを辿れば容易に辿り着ける。西城へは一旦山を下りて西側の西往寺を回りこみキリスト青垣教会の脇道より秋葉社に上りそのまま山上へ向かう。どちらも比高30~40mほどの低い山なので苦も無く上り下り出来る。

城跡は東西に分かれた山上郭だけを採り上げれば縄張り妙味も無く、優れた遺構も見受けられないもので少し物足りないが、二城に挟まれた中腹の神社を居館跡、それより下方を屋敷群と見立てたなら城跡としては三位一体となった守りに堅い城跡という事になりそうである。遺構に多くは望めないが縄張り全体像から推察しながら想像を膨らませるとより楽しめる城跡になると思われる。現状(一月)主要郭群は全てとは言えないが草木も余り蔓延っておらず比較的良い状態のものを味わう事が出来、快適に見て回れる状態となっている。

尚、西城の進入口に中る教会の向かいに周囲が古い石垣で囲まれた屋敷跡があり、そこには謎めいた石垣の虎口が存在するが城跡との関係ははっきり分からずじまいである、、、しかし妙に気になるところではある。

Sa 登城ルート

3_1z 城跡概念図

11_kita_2maru_nai 東城北二の丸

12_2maru_dorui_koguti 二の丸土塁虎口

17_shukaku_nai_yasiro 東城主郭

35_nisijyou_shukaku 西城主郭

38 西城堀切土橋

28_fumei_isizumi 謎の石垣虎口

岩倉城跡(兵庫県丹波町)

兵庫県丹波町市島町北奥岩倉にあって妙高山から北に延びる尾根先が城跡、城史に関しての詳細は不明。

城跡へは市島和知線59号道路沿いの川を隔てた北側の鴨庄小学校が目印、これより南東側に城跡は位置しており道路より南側に進路を取れば容易に付近までは到達出来る。後は登城ルートを参考にし麓の小さな作業小屋を目指しその背後を少し登れば城跡となる、ただ現状城跡を二分するフェンスが南北に渡って設置されており、その半分は栗林となっているので訪城季節によっては立ち入る事は控えた方が良いと思われる。

城跡は丘陵地に位置し南側は堀切によって尾根より分断孤立化しているが、最上段が背後に土塁を備えた主郭と見受けられるもので城館跡と推察しても良い大規模な面積を所有している。西側には横矢を伴う土塁、空堀も設けられており、郭最下段にある食い違いあるいは枡形にも見て取れる土塁虎口と併せて織豊系縄張り形態を少し醸し出すものの様にも見受けられる。ただ栗林の西半分は自然任せの為に風化、藪化とも激しく視認し辛いものになっており地表も相当荒れている。栗林側は手入れされているので土塁、空堀跡も明確に判別出来るが、断りも無く入山した所有地とあって流石に気が引けて多くは見て回ることが出来なかった。

1a_3   登城ルート

3a_2 城跡概念図

6 城跡進入口

14_dorui_koguti_2 土塁虎口

14_dorui_koguti 土塁虎口(別角度)

20_karabori_dorui 空堀土塁跡

17_nisi_karabori_dorui_1 西側空堀土塁

30_minami_horikiri_yori_shukaku 主郭背後の堀切

ここから覗ける北東尾根上(登城口を記す)にも便宜上北東出城とするが、小社となっている郭跡に三本の堀切を備えた砦規模の城跡が存在しているので立ち寄っても損は無いだろう。こちらは意外に状態が良いので遺構は全て判別可能となっている。28_kita_shukaku_1

北東出城主郭

8_minami_daihorikiri 南側大堀切

11_horikiri 堀切

2008年8月25日 (月)

真南条上城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市丹南町真南条上にあって先に記事紹介した館山城跡からは二村神社を跨いで北東側に位置する山の山頂から北尾根にかけてが城跡、別名高山城とも呼ばれており波多野氏の家臣とされる河村氏の居城が伝わっている。

この城跡へは丁度一年前の今頃訪問したのであるが既に訪問紹介した館山城跡及び足見寺城跡(河村氏の居城)もすぐ近くに位置している事から好タイミングとも思い今回採り上げさせてもらうことになった。城跡へは館山城跡の道順になるバス停から直進した道路途中の角にある畳店からは左手(東)側に進路をとり二村神社の山門への道も通り過ぎ、数10m先の尾根先端にある道路沿いの無人の民家とガレージの間の細い道(現地の写真あり)に進入する。ここが出発点で後は道に従えば難なく山上主郭までは辿り着けるが、山上主郭に城址碑が建立されているのでその為の山道あるいは旧参拝道であるとも思われる。

城跡ははっきり言って見応えがあるとは言い難いが、館山城跡と同日訪問ついでに立ち寄る程度なら案外得した気分になれるかもしれない。

1route 登城ルート

6_tozanguti 登山進入口

3taka 城跡概念図及びコメント

11 西郭

12_dorui_koguti 尾根上の土塁虎口

21_tatebori_or_horikiridou 縦堀か堀切道

24_horikiri 主郭北側の堀切土橋

27_shukaku_nai 主郭内の石碑

27_shukaku_nai_3 主郭

館山城(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市丹南町真南条中にあって集落の南側に突き出た小山の山上に主郭を置き東側に屋敷跡並びに郭群を配する別名枝城とも呼ばれる城跡、文献では江原佐馬之助居城と伝わるだけで詳細は不明。

城跡は国道372号線のバス停宮の谷(消防署詰所あり)より真南に見える小山がそれであり傍の南東に向く道路に進入して畳店を通り過ぎて更に直進する。一軒民家を通り過ぎて右手(南側)に折れ小橋を渡れば右手正面に城山山頂と植林地が見えてくるので、畦道からその方向に向かい植林地奥へと進入するとそのまま城域に達する。一番分かりやすい登城道は西側からの旧神社参道(地図に記す)

1route_3 登城ルート

7_2 北側の進入路

Zz1_2 城跡概念図

この城跡の最大の見所は小規模な砦クラスの山上主郭(全長15~20m)にあらず東側に展開される連続堀切、巨大縦堀、屏風の様に切り立つ連続大土塁及びそれを活かしきる縄張りプランにある。現地に至るまでは何の期待もしていなかったが、それにしてもこの堀切群と大土塁群は素晴らしいし凄すぎる!言葉を失うと言う事はこの事かもしれない。この城跡の威容を言葉で説明するには少々無理があるので未訪の方は是非とも訪城して納得して頂くしか方法がない。現状山上主郭は給水施設が建ち雰囲気が壊されているが、他は植林地と言うことも手伝ってか下草も少なく見通しが良く、全ての遺構群は判別確認できる状態にある。(この記事を載せる数日前に訪問しているので鮮度の高い情報)

丹波篠山地区に数多くある山城の大概は山頂主郭から麓にかけて段郭的に郭が配され尾根を堀切で分断し、館跡部分はせいぜい土塁を回す程度で終わっているものが多い様に見受けられるが、この城跡の土塁と空堀で複雑に構成された縄張りは他の丹波地域のどこにも見当たらない比類なきものである。 正に一見の価値あり!

Shukaku_2 山上主郭

Photo_2 南側巨大縦堀

Yakata_ato_ka_2 凹状平坦地館跡か

Rennzoku_horikiri_dorui_1_2 連続堀切土塁見所

Rennzoku_horikiri_dorui_3 堀切と土塁の威容

Dai_dorui_2 堀切と切り立つ大土塁

Horikiri_2 北側より堀切大土塁

Tatebori_2 縦堀より社跡の北出郭

Tatebori_1_2 北側より縦堀

2008年8月23日 (土)

前木戸城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市市島町下竹田にあって下竹田集落より竹田川を挟んで南東に位置する丘陵上にある城跡(サシド城と読む)、室町期における高橋氏の居城であるが戦国期には赤井氏(黒井城主)の配下である赤井弥助が拠ったとされている。この城跡も黒井城と同様で光秀により落城したと思えるがその後の詳細は不明

城跡へは国道175号線を利用した場合寺内の信号から東へ進路を変えて竹田川を渡れば目の前の東へ延びる丘陵地は城跡である、主郭は東尾根の先端部分なのでまずは東側の二宮神社を目指す。神社に到着すれば小川が目の前にあり、橋の大師道参道入口の石碑より川傍の民家庭横を通り参道に従い登ればば5分程度で城域に入れる。

城跡は北東端から南西端の堀切までの丘陵上全域が郭跡となっており多少の高低差及び土塁で郭境としており一本の堀切で主郭群は分断されている。城跡最大の見所は方形に近い主郭の東側と南側に設けられた空堀で現状深さも土塁の高さもある程度保持されており見応えのある遺構となっている、空堀の南東角には少しせり出した横矢の入った櫓台土塁まで窺える。切り通し道になっている南西側には延々と郭跡が繋がっておりその中央に位置する小高い丘状地にある墓地までは郭として取り込んでいた様にも見受けられる。探索すれば限がないので南西地域は程々に見納めたが、とにかく南西未踏郭群まで併せると凄まじく広大な城跡である事は確かである。たとえれば丁度京都府園部町の丘陵上にある宍人城跡の様を呈しており規模も互角かそれ以上とも思われる。

現状(11月)主郭内と北郭内(中央部)一部の場所は相当藪化が進行しており視認し辛い場所もあるが全体的に見れば移動もし易く、状態はまだ良い部類に入ると言える。複雑な縄張り箇所も無い事から遺構はほぼ判別確認出来る状態でもある。

Photo 登城ルート

Sasido 北側より城跡遠望

3_1 城跡概念図

6_start_point城跡 進入路

13 主郭北側の郭跡

19_daidorui_karabori_1 主郭北を仕切る空堀大土塁見所

18_higasi_gawa_karabori_dorui_8

東側空堀土塁

18_higasi_gawa_karabori_dorui_6

東側横矢土塁空堀見所

24_dorui_nantou_kado 南東角の櫓台土塁

26_minami_karabori_1 主郭南空堀

31_minami_yori_dobasi_karabori 主郭を分断する堀切土橋見所

2008年8月22日 (金)

奥畑城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市奥畑にあって奥畑集落の北背後の山塊の東尾根先端部が城跡、南北朝時代の山名の築城と伝わるが他の丹波の城と同様に歴史に翻弄され城主の交代の度に改修が重ねられ現在に至ったと思われる。

城跡へは篠山市内より北上する場合301号を利用し奥畑集落まで辿り着くと東尾根への取り付き口を捜す、道路から見えている民家横の墓地に当たりを付けて畦道から進入し直登山開始となる。中々の急斜面であるが20分内で城域となる西郭に辿りつくことが出来た。ちなみに下山時には少し方向がずれたが途中細い山道に合流出来たので案外この山道を辿りながら直登した方が上り易かったのかも分からない。

城跡は小規模ではあるが非常に見応えのある山城で、藪化は進行中であるが残存状態も比較的良く遺構はほぼ判別確認出来る状態にある。最大の見所は主郭から南に下りた場所に設けられた自然岩を取り込み形成された枡形風の虎口で上を仰げば崩落跡にも見える巨大な縦堀となっており一見の価値のあるもの察せられる。南段郭群も状態は良く判別はし難いが井戸跡にも窺える窪み、郭内の削平跡、縦土塁、切岸などは良好に残存しており山城の醍醐味に拍車をかけている。

丹波及び篠山地方の山城はこの城跡も含め比較的小規模な城跡でも大きな土木量で本格的に築き上げられており、見る者に取ってはこれが大きな醍醐味となっている。訪問時期は12月であったが状態から察する処夏季の訪問は少し避けた方が良いかも知れない。

1route_1 登城ルート

5_tozanguti 直登山口

3 城跡概念図

12_nisikaku_dorui_1 西郭土塁

47_nisi_daihorikiri 西大堀切

18_shukaku_nai_1 主郭

20_minami_dankaku_gun 南段郭群

28_dankaku5_heki 南段郭群の先端郭

34_tatebori_sita_iwa_koguti 枡形風自然岩虎口見所

37_koguti_1 自然岩虎口見所

安口城(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市安口にあって国道372号線からは川を隔てた北に位置する尾根先端部が城跡、東に位置する籾井城の支城でもあり光秀の丹波攻略により本城と共に落城。

城跡は安口(ハダカス)集落の川を挟んで北側に位置しており尾根先端部が西から川岸近くまで落ち込んでいる先端の山上にある、進入口はその西側の橋を渡り農道を山に向かって直進、墓地が現れたら東側斜面に踏み跡程度の山道があるのでそれに従えば山上主郭までは10分程度で辿り着ける。

この城跡の最大の見所は未だに美しい角度と高さを保持している堀切で主郭櫓台背後に設けられている、この堀切を越えた西郭の北西側には更に三重堀切も備わっているので絶対に見逃してはならない。この堀切群を見る為だけに訪れたとしても絶対に悔いの残らない山城であると断言できる。現状梅雨時ではあるが西郭及び東郭群が少し藪化している程度で移動に困難を来たすことも無く、ほぼ全体像は摑み取れる状態にあり四季を問わず訪問はある程度可能である様な気はする。

1route 登城ルート

6_oku_tozanguti 進入路

3y 城跡概念図

12_dorui_isi 主郭土塁虎口の石垣痕

10_shukau_nai_1 主郭

14 主郭西櫓台土塁

24 24_horikiri_1 主郭西堀切見所

34_sita_3jyuu_horikiri 西郭三重堀切見所

18_higasikaku1 東郭

2008年8月21日 (木)

霧山城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市氷上町氷上にあって丹波市役所からは東側に聳える綺麗な形の山である標高372m霧山山頂が城跡、同じ丹波地方にありながら八上城を東波多野、こちらは西波多野と呼ばれ霧山は西波多野の本城と伝わっている。同じ波多野氏には変わりないが両者の関係に関しては詳細は不明。

城跡へは篠山から北上した場合国道176号稲継からそのまま7号に入る、氷上の信号手前付近から東側の細い道に入り二宮神社を目指す。この神社背後から登山道が山頂まで通じているので迷わず辿り着く事が出来る、しかし近年では登山客も少ないと見え相当道も荒れておりほぼ踏み跡程度になっているのが現状である。山上までに一箇所尾根上に郭跡を確認したが他は物見らしき小郭がある程度で、山城らしい狭小な段郭群も堀切も存在しない。これだけ急峻であればそれも必要とはしないのであろうが急斜面を30分内で到達する事が出来た。

1z 登城ルート

3kiriyama 城跡概念図

6tozanguti 二宮神社登山口

山上郭跡はほぼ単郭構造で周りに帯郭が付随しており規模は相当大きいものである。現状木々に遮られて展望が良いとは言い難いが郭内の見通しはよく山頂全域が削平されている事も良く分かる。山上から東側斜面を下りた場所に一箇所堀切が設けられ土橋を伴っている山城としての雰囲気を醸し出す唯一の遺構である。これより北東側には更に自然地形に近いが郭跡と見受けられる削平地が連なっている、南東側へは権現山を経てガンシュウジ城跡へと登山道は繋がっている様であるが到達するには距離はまだ相当ありそうである。

13_nisi_demaru_1 西自然地形郭

15_sekimon 自然岩虎口か

16_sekimon_kogutikaku_1 虎口郭跡

22_shukaku 22_shukaku_1 主郭

26_horikiri_dobasi 東堀切土橋