兵庫県の山城跡

2012年11月17日 (土)

八上城の支えとなる山城 法光寺城跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市殿町にあって、波多野氏の拠った八上城(本城)からみれば、直ぐ西側に隣接する、標高約344mの山頂に本郭群を構えたものであり、その出郭あるいは城砦とも呼べる郭群は、ここより更に北端尾根に至る痩せ尾根上に分散展開されている。その尾根上で明確にそれと分かる切岸跡の残る郭群を四箇所確認する事が出来るが、法光寺城案内説明板に記述があるように、東西の枝尾根上に展開される郭群まで含めれば、合計六箇所に分散した郭群で成立した城砦と言えるのかも知れない。城史に関しての詳細は「現地案内説明板」をクリックのこと

2_3 現地案内説明板より

城跡を訪れるには、山城ファンを自認する方であれば、ほとんどの方が既に訪れていると思われる、八上城跡を起点とすれば一目瞭然とも言えるので、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、ルート図に示した公民館に車を預けた後は、国道を隔てた側にある神社入り口(法光寺城案内説明板がある)より神社まで向えばよい。社殿からは左手側斜面に取り付き、斜面を左側へ回り込む形で上れば、直ぐに獣避けフェンスに沿う形の空堀道(山道)と合流出来るが、それに任せて上れば、迷わず便宜上の北郭1には辿り着けよう(10分程度)。更にフェンスに沿う形でそのまま痩せ尾根上を移動すれば、本郭群までは30分程度で辿り着けるだろう。

1route 登城ルート

5 登城口

3 城砦群概念図

  痩せ尾根上に展開される本郭群も含めた四郭群の形態の説明は、記述すれば限がなくなる事から、便宜上の北3郭を除けば概念図を拝見した上で判断して頂きたいが、遺構見学として一番判別し易く期待の求められる空堀は、直ぐそれと分かるものを二箇所記したが、本郭群北斜面に施された痩せ尾根地形を土橋として利用した、片側が谷に向いて落ち込む豪快な縦は、充分見学者の期待に応えてくれるものと自分の眼には映った。四郭群共に明瞭な切岸跡は窺えるが、高低差を伴うものではなく、堆積物を含む長年の地表風化によって、見応えには余り期待出来ないかも知れない、、、尚、北郭3の形態に関しては、移動尾根道に沿う形のフェンスが郭内部を通過していない為、状態が非常に醜く、地表風化や藪化がそれに更に追い討ちをかけており、郭形状までは掴み切れなかったが、明瞭な切岸跡や土塁らしき痕跡が窺えた事だけはお知らせしておきたい。

3_1

北郭1及び北郭2の概念図

11_kita1 北郭1

15_kita1_shukakuheki_1 北郭1切岸見所

19_horikiri_dobasi 土橋付き空堀

20_kita2

北郭2切岸見所

23_kita2

北郭2

 

3_2

本郭群概念図

30_dobasi_horikiri 31_tatebori_1 土橋付き縦堀見所

個人的には再訪を果たした形になった山城の一つでもあるが、数年前までは施されていなかった、高さ2m近い獣避けフェンスのお陰で、郭内部も尾根上も東側斜面に移動する事は叶わず、そちらの残存遺構に関しては全く覗く事が出来なかった。城跡の古い形態や縄張りプランから察しても、そう多くの遺構に巡り合えそうには思われなかったが、これを機に訪ねる用意のある方には、是非この状況を把握して臨んで頂きたい。城跡を個人的に評価すれば、城郭遺構に縄張り妙味や見応えは望めそうにないが、八上城の本質を探る上では、決して避けて通れない山城とも言えるので、当然お薦め出来る城跡という事にはなるだろう。探索冥利に尽きる山城の一つ!

2012年11月13日 (火)

八上城付城の一つ 野間砦跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市野間にあって、ほぼ独立した丘陵上最高所に位置しているが、先にリポート掲載を終えた塚ノ山砦と同様に、八上城と篠山川を隔てて対峙した付城の一つ、勝山城(消滅)の支えとなる砦跡と解釈すればよいものとは思われる。

城跡を訪れるには、先に触れた塚ノ山砦を起点とすれば一目瞭然の位置にあるが、702号線沿いからも窺える案内道標、「鎮守の森公園」が城跡への一番分かり易い入り口となる。現在下草でその周辺は覆われているが、遊歩道に従って上りさえすれば、数分で山上本郭群へは辿り着ける筈である。702号線沿いに充分駐車スペースは確保出来るが、そこから塚ノ山砦を目指して歩いても数分の距離にあるので、二城同日訪問は充分お薦め出来るだろう。尚、城跡西にある「玉照院」側からも遊歩道が敷設されているので参考までに、、、

1route_1_2 登城ルート

6 遊歩道入り口

現状(10月)城跡は、遊歩道から少しでも外れれば下草や低草木で全て覆い尽くされた状にあり、遺構見学としては非常に困難を極める状況となっている。もちろん遊歩道に任せて歩くので移動に難渋する事はないが、そのお陰で今回は郭形状はもちろんの事、その縄張りも掴み切れず、概念図を描き切るまでには至れなかったが、その中で何とか目に留まった遺構だけをここで紹介させて頂く。

まず道標から先に進んだ地点で直ぐ目の当たりにする事の出来る、約5mの高低差を持つ南郭切岸、規模の大きい南郭(通歩道で通過して来た箇所)と主郭の境に堀切跡(画像に注目)、丘陵上で唯一地表の大きく露見した小規模な主郭(画像に注目、10m規模)と、その北背後で土塁の付随した縦堀に繋がる空堀跡、玉照院側斜面に施された帯郭、東側に突き出した形の削平の甘い東出郭、これらが取り合えず今回判別確認出来た遺構群と思って頂ければ良いが、空堀に限っては何れも下草で覆われて、その全体像は窺えない状態にあるので、縄張りにおける必然性を含めて、自身の推察を加味したものと思って頂ければ有り難い。尚、主郭北側斜面は陣城としての形態上余り期待が持てず、踏破探索するまでには及ばなかったが、残存遺構も上に記しただけでは終わらないのかも知れない、、、

8_minami_kirigisi 南郭切岸

12_minamikaku_2 南郭

14_obi 西側帯郭

15_tyuuou_horikiri_1 中央南堀切

17_shukaku_heki 最高所本郭群

18_shukaku 主郭内

21_dorui_karabori 土塁の付随した空堀

城跡を個人的に評価すれば、遊歩道が敷設されているので、非常に訪れ易い城跡の一つとは言えようが、現状の低草木で全体が覆い尽された状況を思えば、臨場感を味わう程度、あるいは戦国ロマンに浸る程度と割り切った訪問が必要と思えたのである。もちろんこれから先、鎮守の森公園に相応しく低草木が伐採され、更に庶民の憩いの場として生まれ変わるのであれば話しは別になるが、、、そうなれば充分遺構見学としても期待は持てるし、是非それに期待したいところではある。

2012年11月10日 (土)

八上城付城の一つ 塚ノ山砦跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市野間にあって、現在ゴルフ場となって城郭遺構の消滅した勝山城の直ぐ西側に隣接した丘陵上に位置している。この勝山城は明智光秀の陣城として伝わっているが、この塚ノ山砦も八上城を包囲する形で数多く築かれた陣城の一つとして考えればよいのだろう、、、

城跡を訪れるには国道372号線、あるいは702号線を経由して青山GC を目指せば分かり易いだろう。702号線沿いからの進入経路は概念図(画像)に示したので参考にして頂きたいが、畑地まで辿り着けば下草の蔓延る山道(堀底道)がかつての堀切まで繋がっているので、迷わず辿り着ける(数分)だろう。

1route_1

登城ルート

8

堀底道(進入経路)

3t 城跡概念図

城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、本郭群最高所においては、古墳の墳丘を利用したと思われる櫓台と察せられる土塁郭、更に主郭南北には空堀(一部縦堀も含む)の痕跡が窺われ、便宜上の二ノ郭南端には明瞭な堀切(縦堀に繋がる堀底道)が施されている。この空堀は東斜面側が道路造成拡張工事の為に失われているが、数少ない残存遺構の中にあっては、唯一眼を楽しませてくれるものとみた。他の二本の空堀に関しては明瞭さに欠ける為、自身の想像と推察を含めたものと思って頂きたいが、数多く遺構に接して来られた方なら、何とか判別確認出来るかも知れない、、、、

9_minami_horikiri 南端堀切見所

15_yagura_heki_1 櫓台

18_shukaku_kitagawa 主郭北側

19_karabori_shukakugawa 北より櫓台

22_kita_maundo_1 北郭群

現状(10月)城跡は藪化進行中にはあるが、見学に差し支えるまでには至っておらず、それなりに見通しも利き、動き回り易い状態が自然維持されている。個人的に城跡を評価すれば、次にリポート掲載予定のルート図に示した野間砦と併せた同日訪問、あるいは光秀の築いた陣城巡りの一環とすれば、戦国ロマンに浸れる事も含めて、得られるものも数多いのではないだろうか。もちろん城郭遺構に過大な期待を寄せない事が前提とはなるが、、、

2012年11月 7日 (水)

前谷砦跡(兵庫県篠山市)

この城跡に関しては、自身数年前に訪れていたものの、丹波に数多く築かれた小規模な砦跡(付け城も含む)と同様に、印象にはほとんど残っておらず、更に記録(概念図)にも残していなかったが、最近訪ねられた方(ブログ読者)からの情報で、山上主郭周辺に蔓延っていた木々のほとんどが伐採されて、遺構見学のし易い環境になっていた事が分かり、急遽山城巡りの移動中に立ち寄る事になったものだが、その情報通り城跡は、主郭を始めとした小規模な縄張りの全貌が窺える状況にあった事をまず最初にお伝えしておきたい。

城跡は兵庫県篠山市二之坪にあって、「東林寺」背後の真南側丘陵上がそれにあたる。訪れるには国道173号線を利用する事になるが、先に触れた「東林寺」を目印として目指せばよい。寺院駐車場からは集合墓地を経由した山道を上ってもよいが、画像を載せた直登ルートを上れば、直ぐにでも帯郭が迎えてくれる筈である。尚、城史に関しての詳細は不明であるが、機能を想像した場合、築城環境やこの様相から物見程度の砦跡と考えるのが妥当なところか、、、

1route_2 登城ルート

5 直登取り付き口

3 城跡概念図

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、物見程度の小さな主郭(7m四方)から西斜面に沿って帯郭を重ねたものであり、主郭東背後には小規模な砦跡には分不相応とも思える堀切(二連に見える)が施されている。この空堀は現状土橋付き堀切となっているが、山林所有者によって土橋として近年埋められたものの様にも察せられた、、、謎。現状の激しい地表風化を思えば自ずと見学者の判断に委ねられるが、、、、切岸は最大高低差2m程度のものを帯郭群で拝めるが、堀切と並んで何とか見学者の目は楽しませてくれよう。概念図には山上削平地も含めた踏破した範囲を示したが、山上削平地から寺院に向いて落ち込む急斜面上では、豪快な縦堀と小さな二段郭(住職の建てられた物置小屋がある)を確認する事が出来た。これは当時のものとすれば最大の見所遺構とも思われたので、これを機に訪れる用意のある方には、是非この地までは足を延ばして頂きたい。

7_obi_dankaku_heki_1 帯郭切岸見所

8_shukaku_gedan_1 主郭西下段郭

11_shukaku_haigo_horikiri 11_horikiri 主郭背後の堀切見所

15_tatbori_tikei_2 縦堀地形

現状(10月)城跡は先に触れた様に遺構見学し易い状況となっており、既に訪問を終えられた方々にも、これから訪れる用意のある方々にも、自身と同様に国道移動中に気の向くまま立ち寄って頂きたいが、残存遺構に多くを望まなければ、充分楽しめるような気がしたのである。

2012年9月12日 (水)

浜谷城跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市西浜谷にあって、既にリポート掲載を終えた遊谷城からみれば、南西側の低丘陵先端部に位置している。城史に関しては別称としての藤井館跡が示す様に、藤井氏の居館跡と伝わるが、この築城環境を思えば、自ずと遊谷城の城主が藤井氏、あるいは重臣の一人と考えてよいのかも、、、、(推察の域は出ないが)

城跡を訪れるには、先に触れた遊谷城を起点とすればその所在位置は一目瞭然とも言えるので、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、「篠山署」を目印として目指せば分かり易いだろう。篠山署からは登城ルート図、あるいは概念図に示した取り付き口を参考にして頂ければ、直ぐに主郭までは辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

9 進入経路

3h 城跡概念図

城跡の形態は概念図が示すが如く、高土塁を伴う方形居館跡と思って頂ければ分かり易いが、直ぐ傍まで耕作地(水田)や工場が迫った現実を踏まえれば、主郭二方に残存する高土は、本来なら四方を廻っていたもの、あるいはその四方に施されていたと思われる空堀などは、当然消失(北側と西側へ排水溝として痕跡が残る)したものと考えて良いのかも知れない、、、概念図に示したまでが、自身が当時の城郭遺構と判断したものであるが、明瞭な虎口跡ですら祠参拝用の出入り口に思えてくるのである。見所遺構を挙げるのであれば、当然高低差(外壁約5m)を誇る見応えのある土塁とその切岸という事になるが、空堀を当時のままとするには少々無理があるので、これは見学者の判断にお任せしたい。縄張り上の必然性から考えれば、充分空堀とは思えるが、、、

10_heki 主郭切岸

13_dorui_kitaheki_2 高土塁外壁見所

14_dorui 土塁上

16_shukaku_4 主郭内

17_koguti 虎口

21_karabori_ato 現状空堀地形

現状(八月)城跡は藪化はそれなりに進行しているが、単郭構造のシンプルな城跡という事もあって、お目にかかれる遺構も数少なく、遺構見学に差し支えるまでには至っていないと思って頂いても良いだろう。城跡を個人的に評価すれば、遺構残存度は低い(推察)かも知れないが、丹波地方では滅多にお目にかかれない高土塁が拝める事、それに圧倒的お手軽感を加味すれば、単独訪問としても何とかお薦め出来るかもしれない、、、。

2012年9月 9日 (日)

丹波西山城跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市山南町畑内にあって、既にリポート掲載を終えた大河城からみれば、集落を隔てた真東側の標高207mの山上に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた池ノ谷主計城や、大河城を起点とすれば分かり易い事から、そのアクセス方法は割愛させて頂くが、道路沿いにある登城入山口は画像を載せた。ここから獣避け入山フェンスまでは数十mの距離にあり、フェンスを潜ればひたすら山上を目指して上ればよい(藪漕ぎなし)。途中郭間に切岸跡の窺える削平地を通過するが、更に急斜面を登れば、10分程度で山上本郭群へ辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

4 入山口

3n 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いと思われるが、山上本郭群はほぼ三郭構造で、その規模は30mにも満たない小規模なものであり、残存遺構の見応えや縄張り妙味にはとても期待出来ないと思って頂いても良いかも知れない、、、その中で敢えて見所遺構を挙げるのであれば、主郭周りにおける切岸という事になろうが、堀切は唯一本郭群を更に北側へ降りた地点に施されている。ただ見応えは余り望めないが、、、、

8 南尾根上削平地

10_minami_2dan_obiheki_1 南二段郭切岸

11_minami_shukaku_heki 南郭より主郭切岸

16_shukaku_heki_obi 帯郭より主郭切岸見所

14_shukaku_kitaheki 主郭北きり岸見所

19_hokutan_sakuheiti 北端削平地と堀切

20_hokutan_horikiri_2 北端堀切見所

現状(八月)城跡は当然藪化進行中にあるが、この時期にも拘らず遺構見学に差し支えるまでには至っておらず、入山口から北端に位置する堀切までは比較的見て回りやすく、概念図に示したまでの遺構は縄張りも含めて、判別確認の容易い状況にあると思って頂いても良いだろう。城跡を個人的に評価すれば、遺構残存度が高い(ほぼ完存と呼べるもの)事、楚々とした山城の風情は充分味わえる事、それにお手軽感まで加味すれば、山南地区における山城巡りの一環とするのであれば、充分お薦め出来る山城という事にはなるだろう。ただし縄張り妙味や規模は決して問わない事が前提となるが、、、

2012年9月 6日 (木)

大野城跡/大野館跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市大野にあって、既にリポート掲載を終えた矢代城国松館跡からみれば、池を隔てた直ぐ南側の低丘陵上にある。この城跡は5年程前既に訪れていたものの、低丘陵上の全域が城域と思われた郭跡地が、長年の地表風化によるものか、それとも安普請で応急に築かれたものか、相当地形が曖昧と化していた為に、どこに本郭群があるものか見当も付かず、長い間リポート掲載を先送りにしていた経緯がある。今回の再訪によって丘陵上の南側(春日神社側)が大野館と呼ばれる城域にあたる事はある程度判明したが、L字形の土塁の施された、見張り台程度の小規模な郭跡が本来の館跡地とはとても思われず、その南麓に向いて重なり合う規模の大きい削平地の一部が、屋敷跡地なのかも知れない(当然見学者の想像に委ねられる部分)、、、、

Oo1 登城ルート

4_kasugajinjya_1直登口 春日神社

3o 城跡概念図

3kita

北端郭概念図

城跡を訪れるには、先に触れた国松館跡を起点として春日神社を目指せば難なく辿り着けるが、神社からは社殿背後から直登しても良いし、藪漕ぎのない上り易い箇所からの直登なら、直ぐにでも山上郭群が迎えてくれる筈である。

城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、丘陵上の最高所に本郭群と見受けられる、L字形の土塁の施された小規模な郭跡が構えられており、そこから南側へ向いて、痕跡程度の空堀(三箇所)で仕切られた地形の曖昧な郭跡が連続、更に麓近くまで数段の規模大きい削平地(推定屋敷跡)が連続したものである。推定本郭群から更に北側尾根上も、北端郭までそれらしい郭跡は連続しているが、本郭群同様非常に地形が曖昧な為、自身満足の行く概念図(北端郭は五年前のもの)は描き切れなかった。この北端郭は切岸のしっかりした狭小帯郭を数段重ねているが、その最上部は見張り台か狼煙台程度の規模となっており、中々この城跡の機能を想像するのは難しい、、、、

6_karabori_ato 山上南郭群の空堀痕跡

7_kaku 山上南郭群

17_yasiki_dorui_1 本郭土塁見所

19_higasi_kaku 東郭

9_nantou_kaku 推定屋敷跡地

現状(八月)城跡は、他の丹波の山城と同様に藪化は相当進行しており、本郭群においては木々の隙間を潜り抜けての探索踏破は余儀なくされる状況にあるが、全体的にみれば郭移動に差し支えるまでには至って居らず、南端の推定屋敷跡地から北端郭までは、比較的動き回り易い状況にあると思って頂いてもよいだろう。城跡を個人的に評価すれば、見所遺構となるのは山上本郭における低土塁、あるいは明瞭な切岸跡の残る北端郭だけとも言えるが、歴史ロマンの漂う篠山地区に、数多く築かれた山城巡りの一環として訪れるのであれば、「見応えのある遺構は一切望まない」、といった前提条件付きで何とかお薦め出来ようか、、、

2012年9月 2日 (日)

外見からその全貌が窺える!西野々砦跡(兵庫県篠山市)

この城跡は自身既に数年前に訪れていたが、山城巡りの移動道中車窓から城跡を窺うに、本郭群斜面全域を覆っていた木々はほとんど伐採され、郭壁となる切岸はむき出しの状態になっていた事から、胸を躍らせながらの再訪となったものである。当然丹波を中心に山城巡りをされている山城ファンの方々には、朗報となること間違いなしと思えた事から、いち早く現況をリポートする事になったが、既に訪れた方には是非変貌を遂げたこの砦跡を再訪して、当時に思いを馳せて頂きたいと思えたのである。もちろんこれから訪れる用意のある方にも、小規模ではあるが楚々とした山城の魅力は充分味わえと思えた事から、是非訪問をお薦めしたい事は言うまでもないが、、、尚、地元で年配の方数人にこの砦跡の情報を求めたが、神社敷地が砦跡と認識されている方はおられず、非常に残念な結果となってしまった。木々の伐採は二年ほど前に行われたそうであるが、、、

1route_2 登城ルート

7 参拝山道進入路

3 城跡概念図

城跡は兵庫県篠山市西野々にあって、既にリポート掲載を終えた安口城からも充分望める、篠山川を隔てた南東側の丘陵尾根先端部に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、安口城と呼応した築城環境を踏まえれば、その出城の可能性は充分考えられよう、、、、

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないと思うが、規模は総全長40m程度の城郭であり、残存遺構に多くは望めないものでもある。ただし外見から郭外壁となる切岸が麓まで落ち込む様、妙見神社がある事によってほぼフラットに整地された主堀切に伴う小さな土塁跡堀切から谷底に向いて落ち込む縦堀、更に郭内の見通しが利く事によって、その縄張りの全体像が窺える様は、山城初体験の方でも分かり易く、規模や縄張り妙味さえ問わなければ、間違いなくお薦め出来る山城の一つ!と自分の目には映った。藪化の深刻化した砦規模の山城が点在する篠山にあっては、縄張りも掴み易く、更に見学し易い貴重な山城の一つと言えようか。

11_shukaku_1_2 12_shukaku_nisigawa 主郭

15_kirigisi 主郭北側切岸見所

14_doruikaku_hasi 土塁郭(櫓台か)

16_horikiri_1 背後の堀切見所

17_tatebori 縦堀見所

18_kita_obi 南帯郭

城跡を訪れるには、先に触れた安口城を起点とすればその位置も分かり易い事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、国道372号線と並行して走る農道沿いの「西野々バス停」を目印として目指せば、難なく付近までは辿り着けるだろう。もちろん木々の伐採されたそれらしい山城跡(画像に注目)は、バス停付近からでも直ぐ確認出来るが、バス停からは登城ルート図を参考にして頂きたい。麓に設置された入山開閉フェンスより、赤い鳥居を潜って参拝山道に任せて上れば、数分で主郭までは辿り着けよう。

2012年8月30日 (木)

池ノ谷主計城跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市山南町池谷にあって、既にリポート掲載を終えた玉巻城の東側標高約270mの山上に位置している。城史に関しては池ノ谷主計の屋敷跡と伝わっているが、自身が本郭群を覗いた限り、この小規模な砦規模の削平地に、まさか屋敷が構えられていたとは想像も出来ず、本来の居住空間は麓にあったものと思えた。恐らく詰城として見張り小屋があった程度の城郭なのであろう。尚、池ノ谷主計と玉巻城を居城とした久下氏との関係までは、リサーチに及んでいないのでどうぞ悪しからず、、、詳細は不明

1route 登城ルート

5 登城入山口

Zz_2 城跡概念図

城跡を訪れるには、先に触れた玉巻城を起点とすれば一目瞭然の位置にある事から、城跡までの詳しいアクセス方法は割愛させて頂くが、登城スタート地点となる「池谷公民館」に車は預ける事になる。ここから真北側にある山道に進入(画像に注目)し、その奥にある入山フェンスを開閉して、急斜面をそのまま山上を目指して直登すれば、藪漕ぎもなく10分内で主郭までは辿り着ける筈である。

城跡の形態はアバウトに描いた概念図に示した様に、ほぼ単郭構造の砦規模の本郭群と思って頂ければ良いだろう。堀切は北東尾根を断つ形で一応施されてはいるが、山城としてよくお目にかかるV字形の薬研堀にはあらず、長年の堆積物によって痕跡程度と思って頂いた方が、訪れた方には期待はずれに終わらないだろう、、、切り立つ切岸跡は本郭背後、あるいは北側斜面でも充分拝めるが、他で際立った遺構にお目にかかる事は出来ず、今まで述べたまでが、本郭群周辺で判別確認可能な数少ない遺構群といった事になろうか。尚、北東側の尾根上は覗くまでには至れなかったので、残存遺構もこれだけに終わるものではないのかも知れない、、、、

8_horikiri 空堀跡

10_shukaku_heki 切岸見所

11_shukaku_1 本郭

13_shukaku_nisigawa 本郭西端

14_kirikisi 北側切岸見所

城跡を個人的に評価すれば、見所は本郭背後を形成する見応えのある切岸だけとも言えるので、とてもお薦めの山城とは言えないが、このリポート記事に興味を持たれた山城ファンの方だけに、所在位置と藪漕ぎのない比較的上り易い(ただし急斜面)登城ルートが参考になったのであれば、それで由といった処か、、、、、

2012年4月14日 (土)

痩せ尾根上の郭を二連の堀切で守備 日内城跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市市島町北奥にあって、既にリポート掲載を終えた岩倉城から見れば、東側に聳える標高354mの山頂から、西側の「正法寺」に向かって延びる痩せ尾根上に位置しているが、赤井氏の拠った黒井城の出城として伝わる以上、この限りなく平坦自然地形に近い山頂も、戦略的には狼煙台ネットワークの一つとは考えられよう、、、

城跡を訪れるには、先に触れた岩倉城を起点とすれば分かり易い事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、今回車を預ける事になる「正法寺」を目印として目指せばよいだろう。駐車場の直ぐ傍には厳島神社があり、その社殿背後を直登して尾根を目指せば、直ぐにでも山道と合流可能であり、そのまま山道に任せて峠を目指せば、15分程度で城跡東端の片堀切地形(現状山道が繋がる)へ辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

4_2 城跡遠望

9 直登ルート

3 城跡概念図

城跡の形態は、アバウトに描いた概念図に限りなく近いものと思って頂いても良いとは思うが、痩せ尾根上の狭小三郭(総全長30m未満)を二連の堀切(片堀切地形を含めば三連)で守備しただけに終わったものであり、山城ファンの方であれば誰でも直ぐそれと分かる明瞭な堀切跡を除けば、地表風化の激しい狭小郭跡は、現状自然地形に限りなく近いものと思って頂いても良いかも知れない。当然郭外壁となる切岸跡も判別し辛く、見応えのある遺構は皆無に近いという事になるが、既に山頂を踏破された上で、この山頂平坦地形を本郭部と思っておられた山城ファンの方(自身も既に踏破された山城ファンであり、メル友でもある方の情報により、山頂が城跡と思い込んでいた)には、規模は小さいが明確な城郭遺構が拝めるという理由で、登山道中にある痩せ尾根上(推定本郭)は絶対に見逃さないで頂きたいと思えたのである。もちろん築城環境を踏まえれば、冒頭で触れた様に、山頂平坦自然地形(全長15m前後)も狼煙台機能と察せられるものであり、日内城の本質を探る上では、取り合えず上ってみる値打ちはあるものと思われるが、、、、

11 城跡東端の片堀切地形

11_one_kaku 東郭

12higasi_horikiri 薄い堀切2見所

15_horikiri 明瞭な堀切1見所

19_shukaku_2 推察主郭

27_santyou_3 山頂狼煙台?

城跡を個人的に評価すれば、黒井城周辺に数多く築かれた出城群に興味を持たれている方、あるいは既に訪れたものの、肝心の痩せ尾根上までは踏破確認されずに下山された方には、是非再訪して本来の日内城の実態を再認識して頂く事をお薦めしたいが、遺構の見応えや規模は絶対に問わない事が前提という事になろうか、、、ただし手軽に山登りを楽しまれる分には、登山道で迷わず辿り着ける事から、充分お薦めは出来るだろう。

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