兵庫県の山城跡

2009年4月 7日 (火)

岩尾城跡(兵庫県丹波市)

城跡は丹波市山南町和田にあって、住宅の多く建ち並んだ集落にある和田小学校の真北側に聳える、標高358m(比高250m)の要害堅固な蛇山山頂に位置している。

城跡へは阪神側から北上する場合は中国自動車道「滝野社」ICが最寄の乗降口、国道175号より北上を続けて「井原」より県道86号へ針路変更して登山口となる和田小学校を目印とすれば難なく辿り着けるが、個人的には休日の為に和田小学校の玄関にある来客用駐車場に勝手に車は停めさてもらったが、本来より山城見学の為の駐車場はないのかも分からないので、平日は職員の方に一応伺いをたてた上で駐車させてもらえば良いのかも分からない。登山口はルート図の如く小学校敷地を通過した北背後に案内板と共にあるので、場所さえ確認すれば山上までは尾根上の削平地(郭跡)、堀切などを確認しながら迷わず到達出来る(山上主郭までは30~40分は要す)。

1a 登城ルート

1x_1 現地案内板より

豊臣時代の石垣跡が多く残る事で有名なこの山城は、個人的には二度目となる訪問となったが、数年前の前回に比べると時期はほぼ一緒の六月ぐらいなのだが下草及び雑木が相当蔓延り、前回はほぼ露見して堪能する事の出来た石垣跡も郭跡も半分以上が下草に覆われており、とても満足の行く見学が出来るような状態にはない。南西側に数十mに渡って残存する一番見応えのある石垣跡も、西郭壁及び天守台東側の郭壁に良好に残っていた石垣跡も、全て伸び放題の下草のお陰で全体像はほとんど掴めない状況でもある。前回南斜面上に窺えた石垣で築かれた小さな郭跡(現地縄張り図には表記)数箇所も雑木密生地と化しており、その場所すら見当もつかず、まして斜面上は踏破する事も叶わない状態にある。やはり冬季に訪問すべき山城とは思うのだが、伐採整備される時期あるいは訪問のタイミングによっては前回同様に素晴らしい石垣跡も全て堪能出来るような気はするのである。

城跡最大の見所はもちろん郭壁面を全て覆い尽くすほどの残存石垣でもあるが、佐野氏改修以前の遺構も本丸大土塁北背後には遺されており、北郭群最北の出郭の土塁あるいは見応えのある堀切も窺う事が出来るので此方も決して見逃してはならない。他に標識の設置されている箇所には井戸跡もあったようだが現在は場所を確認するのみとなっている。再訪となった今回は前回より更に状態の良さを期待して臨んだのではあったが、訪問時期が悪かったと素直にあきらめるしかないようでもある。数年後に三度目の訪問は自分でも間違いなくあると思える、正に推奨に値する山城の一つである。

尚、ルート図に示す東側尾根先端部にも現在稲荷神社が建立されてはいるが、岩尾城の東砦跡として見れば充分見学に値する郭跡、堀切跡(二箇所)は残っているので、ついでに寄り道しても無駄足にはならないとは思える。

14_nankaku_sita_horikiri 登山道中の南堀切

19_getimaru 下知丸跡

21_daihorikiri 下知丸北大堀切見所

30_nisi_demaru_isi_1 西郭群石垣見所

36_nisi2maru_isi_1 南西斜面側の石垣見所

44_1 本丸虎口見所

54_shukaku_gedan_yori_1 本丸東側

52 石垣隅石

48_yagura_yori_tenshudai_1 大土塁側から天守台

69_demaru_dorui 北出丸の土塁

71_horikiri_dobasi 北堀切見所

2009年3月23日 (月)

長見城跡〔兵庫県丹波市)

城跡は丹波市春日町長王にあって別名「長王城」でもある、黒井城と野山城(既にリポート掲載済)の間に挟まれた形のこの城跡は当然黒井支城あるいは砦跡、居館跡の様にも窺われるが詳細は不明。

城跡へは野山城を起点にすれば分かり易く、ルート図を参考にして北側の長王地区に車で向えば目印となる長見公民館までは数分で辿り着ける。ここに車を停めれば概念図に示す通りに楯縫神社を目指し歩き、切り通し道から北斜面に向いて直登すれば直ぐに南郭に到達可能である。

現状(三月)城跡は植林地でもあり見通しも利くので二郭で成立する全長100m程度の城跡の遺構は全て判別確認可能な状態にある。郭跡を除けば土塁及び二本の堀切が残存している遺構と見受けられるが、堀切も土塁も郭切岸も良好に残っている事、あるいは全体像がある程度窺える事からも小規模とは言え充分見応えを感じる事は出来る。

尚、別ルート図に示す山田砦跡(二郭と堀切が残存)もこの長見城からは至近距離にあり、同じ黒井城塞群として考えれば野山城とも同日訪問も可能であり、三城の形態の把握あるいは立地環境まで同時に見て取れるので有意義な山城巡りが出来るのではないかと思われる。

1route1 登城ルート

7_kiritoosi 直登進入口

3n 城跡概念図

15_kita_yori_minamikaku 南郭

14_horikiri_1 堀切

16_shukaku_dorui 主郭南土塁見所

17_shukaku_1 主郭内

22_2jyuuhori_dorui_2 24_2jyuu_hori 北堀切見所

Photo 山田砦概念図

1 山田砦二段郭

2

堀切

2009年3月15日 (日)

丹波金山城跡(兵庫県篠山市)

城跡は篠山市追入にあって標高537m(比高300m)の険峻極まりない金山山頂に位置している。国道176号から鐘ヶ坂トンネル手前にある追入神社を目指せば分かり易く辿り着く事が出来るが、登山口は追入神社の少し南側にあり案内道標も設置されているので直ぐ見つけることが出来る。山上には景勝「鬼の架け橋」がある事からも登山客も多く訪れる様だが、見る限りでは駐車場は完備されていなかったので車は付近に路駐となる。

京都府にある周山城と並んで明智の築城として名を馳せており、現地説明板に記載されていた様に八上城と黒井城の連携を阻止するが為にこの地を選んで築かれた事は立地上からも自ずと察しは付く。既にリポート掲載済である周山城とは臨戦時(丹波衆)あるいは最前線といった当時の状況もあってか、規模も縄張り妙味も普請における労働力も比較にはならないと思われるが、山上に残存する無骨な石垣は当時を語るには充分過ぎるほどの遺構でもあり、山城ファンにとっては30分~40分かけて登ってもこの石垣を見るだけで疲れは一掃される様にも思われる。

1route1 登城ルート

2z 現地案内板

3k 城跡概念図

個人的にも三度目となる今回の訪城は山登りを楽しむのが一番の目的であり、更に石垣跡が前回訪れた数年前よりどこまで自然保持されているのか興味があった事によるものでもある。現状(三月)城跡は過去の訪問時より遥かに素晴らしい整備状態でもあり、中腹に位置する整備保持された園林寺跡から規模の大きい馬場跡を通過して、山上郭に至るまでの概念図に示した城跡遺構はほぼ判別確認出来る状態にあるが、規模の大きい山上東郭までは整備が行き届いておらず、下草も雑木も相当蔓延っている状況にある。此方は自然岩がゴロゴロしている郭跡でもあり、外見からは自然地形としか目に映らないが郭内に入れば削平は行き届いており、更に郭の東側先端まで足を延ばせば切岸、あるいは虎口、虎口郭、帯郭などの遺構も窺う事が出来る。

この山城は周山城と並んで明智以後改修はされていない様にも見受けられ、縄張りも城跡遺構もほぼ当時の状態のまま、あるいは風化されるままで現在に至ったものと思われるが、石垣跡だけに限って言えば五世紀に渡る風雪あるいは自然災害を乗り越えよくぞここまで自然保持されたものである。数年振りに訪れたこの山城の山頂に一人佇めば城跡を独り占めした気分にもなれ、更に当時の過酷な戦国期を生き抜いた人達の情感にまでも触れそうに思えるのである。はかなくも天下を取り損なった明智のこの城跡は未だ戦国ロマンに包まれており、険峻な山容も加味すれば正しく「天空の城」そのものの様に感じられた、登山も山城見学も両方堪能する事が出来る貴重な城跡の一つである。

17_koguti_dorui 馬場虎口土塁見所

19_baba 馬場跡

23_shukaku_higasigawa 山上主郭の現状

29_koguti_isigaki_2 北虎口付近の石垣見所

27_minamiheki_isigaki_2 32_seinan_isi 残存石垣見所

46_higasikaku_hasi_1 山上東郭群

36_oni_kakehasi_1 西郭の景勝鬼の架け橋

2009年3月12日 (木)

野山城跡(兵庫県丹波市)

城跡は丹波市春日町野山にあって、既にリポート掲載に及んだガンジョウジ城跡とは南北に長い同じ山塊にあり、権現山(標高349m)から東に向う枝尾根上先端に位置している。黒井城の西側を抑える砦跡にも窺えるこの山城は、通常は山塊を挟んだ集落の真反対側(市辺集落)から登山道が通じている様にも思えたが、距離も時間もたっぷりかかりそうに感じられ敢えて最短直登ルートを選択した。城跡へはルート図の如く国道175号より山側の道にそれて、写真画像に示す作業所建物の左手奥より上り始める、獣避けフェンスを開閉して南西側に向いて急斜面を休まず上れば20分もあれば山上郭に辿り着く事が出来る。

現状ほぼ二郭で形成されるこの小規模な城跡は意外にも藪化しておらず、見通しも利く事から多くはないが遺構のほぼ全ては判別確認出来る状態にある。郭内及び郭壁には多くの自然岩が露出しており郭形成にも一役買っていそうにも思われ、露岩を取り込み石積み跡の様にも窺える箇所が西郭壁では目に留まったが、これを遺構とするかどうかの判断は見学者に任せたほうが良さそうには思える。ちなみに個人的には石垣跡と思いたいが、自然に岩が割れて石垣跡に見えるものの様に思えた、、

城跡は戦国期における砦跡(ほぼ完存とみた)としては充分過ぎる風情を残しており、要害堅固がそのまま当てはまる山城と目には映ったが、見所としては東西の尾根を分断する二本の堀切だけだと言っても過言ではなく、岩盤を削って築かれた西側の堀切は特に見応えが感じられた(凄い!)。個人的にもこういった砦跡は隠れ家的でもあり非常に好きな部類に入るが、急斜面をわざわざ直登で登った価値は充分あったと一人山上で余韻に浸るのである。この山城は登山における急峻さも手伝い、遺構の醍醐味は前述の様に堀切だけの様にも見受けられたので是非お薦めと云う訳にはいかないが、険峻な山城が好きで足腰に不安のない方、あるいは登山の好きな方であれば必ずや満足感には浸れそうには思えるのである。尚、下山時には北側へ向いて下りたが、沢筋沿いから麓の墓地までは山道が窺えたので、案外此方から進入登山しても良かったのかも知れない。ただ途中から道は消えるが、、

1route_2 登城ルート

5 直登口

3noyama_2 城跡概念図

10_rinkaku_1 東輪郭

13_higasi_kaku_1 東郭

15_higasikaku_iwa_yagura 東郭櫓台か

21_horikiri_1 堀切

25_shukaku 西郭

28_nisi_haigo_iwa_2 西郭壁大岩群

30_horikiri_2 32_nisi_horikiri_heki 西堀切見所

注) 余談になりますが城山一帯(他、丹波地方も但馬地方も同様)は鹿が繁殖しており、暖冬のせいも相俟ってダニの巣窟と化しています。今回の登山(三月)でも相当数のダニがズボンに付着していました、面倒ではありますが見つけたダニは小まめに掃うのが最良の方法だと思います。

2009年3月 6日 (金)

穂坪城跡(兵庫県丹波市)

城跡は丹波市柏原町母坪にあって、阪神側から城跡を目指せば国道176号より「稲継」交差点で左折、後は国道175号をルート図の如く進行してスタート地にあたる公園駐車場(道が狭いので路駐は無理)を目指せばよい。ここからは道路を南下すれば右手住宅地の間から墓参道が丘陵上まで通じているので難なく南側の堀切までは到達出来る。この城跡は要衝地にある事からも落城の史実も多く残されており、城主の交代も戦国期においては数度あったようだが、最終的には光秀による丹波平定後は廃城となった可能性が高い様に見受けられる。

1route 登城ルート

3a 3x

城跡概念図

個人的には二回目(三月)となる訪問だが、前回は時期が悪かったのか密生する雑木藪の為に主郭より北側(本命)を残して撤退を余儀なくされてしまった苦い記憶がある。今回は冬枯れの時期を狙っての再訪になったが、前回よりは随分マシ(藪化は進行中)なので山上全域を踏破する事が出来、残存する遺構もほぼ判別確認することが出来た。城跡の見所として挙げられるのは状態の良い縦堀、堀切、郭切岸と言ったところで、ほぼ完存とも見受けられる遺構群は期待した以上のもので、直線的に郭を配しただけの縄張りプランではあるが、低山でありながら急峻な地形も相俟って山城としての醍醐味は充分感じられた。しかしこの城跡はこれだけに終わらず、到達地点にある堀切より南側に足を延ばせば現在墓地となっているが、此方も当時は郭跡にも見受けられるもので、更に南側を上れば便宜上妙見郭とするが穂坪城南出郭と呼べる比較的規模の大きい三郭で形成される郭群(全長100m近い)に行き当たる。ここには当時のものとするかどうかは判断しかねるが、櫓台の様相を呈した方形土塁(10m四方)が残されており、更に南側には神社敷地として多少造成整地されたのかの様にも見受けられる広い郭跡、その先端藪の中には土塁虎口跡も窺えた。尚、更に尾根上を数100m南に向えば広く細長い削平地が連なっており、様相からしても砦跡の様にも見受けられたので、此方も穂坪城塞群の一翼を担っていた郭群と解釈しても良さそうには思われた。

今回の訪問は南北数キロに渡る穂坪城塞群の探索となり、更に南側の高見城跡にまで繋がる尾根上までは踏破は出来なかったが、この城跡の城域の広さは充分に窺い知る事が出来た。結論から述べると穂坪城跡は妙見南出郭まで含めれば、墓地としてあるいは近年の宅地壁面造成の為に多少の地形改変は見止められるが、正に推奨に値する城跡と目には映った。国道から直ぐ近いとあって既に訪城した方も多いとは思われるが、訪問時期さえ間違えなければ今回の様に見学も容易く、夏季に訪問されて苦い経験のある方、あるいはまだ未訪の方にとってはタイムリーな現況報告になったものと思いたい。

16_tatebori 南斜面の縦堀見所

26_minami2_2 南郭2

30_shukaku_heki_1 主郭南壁

38_kita3_kaku 北郭3

40_horikiri_1 堀切見所

41_horikiri_heki_2 北側土塁堀切壁

49_demaru_hokutan_1 出郭群北端

Myouken 妙見(南出郭)郭の概念図

7_horikiri_1 南尾根堀切見所

11_kitakaku 妙見南出郭

H_75 櫓台か

H_73 社殿南側削平地

2008年12月23日 (火)

市原城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市今田町市原にあって集落の北西に聳え、道路沿いから見るにすぐ山城と見分けの付く綺麗な形をした山の山上が城跡、八上城主波多野氏の家臣でもあった小野原氏の居城と伝わるが詳細は不明、尚この地より東側2kmの距離には小野原砦跡とされる遺構が残存している。

城跡へは国道372号より今田地区に入ればルート図の如く進行すれば、道路沿いに城山神社と描かれた赤い大きな貯水タンクが眼に留まるので、城跡進入路は直ぐ確認出来る。後は近世に設置された長い石段を登り切れば山上まで辿り着ける。

現在山上主郭には城山稲荷神社が建立されており、当時の面影はほとんど失われていると思われるが、郭構成としては当時より大きな改変はされていない様にも見受けられる。規模も小さく物見程度の機能としか目に映らないもので、麓のどこかに居館があったと想定すれば、有事における詰城の機能を担っていたのであろうか。

Ono 登城ルート

Ono_3 麓より遠望

Ono_5 山上郭群

Ono_6 Ono_7 山上主郭の現在状況

小野原(東砦)城跡  この城跡へは国道372号を走り、市原城跡に向うまでに国道からはすぐ目に入るが、ルート図の如く一旦国道を外れて墓地から直登する(10分内で)以外方法は無い。城跡はほぼ単郭構造の削平地であり面白味にも見応えにも欠けるが、土塁壇と堀切だけは西側に一本だけ備わっている。現状(7月)自然任せで木々に覆われているが、残存遺構は堀切と郭跡のみなので判別確認は可能である。市原城跡に寄ったついでとして訪問する分には、何ら期待外れに終わる事は無い様に思われる。もちろん市原城跡も山城を体感するだけの城跡ではあるが、、、

1route_3 登城ルート

5_tozanguti 登山進入路

10_shukaku_dorui_dan_1 主郭土塁壇

12_horikiri 堀切

2008年12月21日 (日)

大上東平城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市大上にあって西ノ山城から見ればすぐ東側に隣接する南北に長い独立した山塊の山上が城跡であり、二峰の最高所に主郭を備え南北の二城から形成される山と見受けられる。城史に関しての詳細は不明であるが、規模及び形態から推察するには、畑氏の居城である八百里城とこの城跡の中間に土居の内(畑氏館)が存在する事からも、館周域を固めたとも思える支城あるいは砦とも見受けられるが、少なくとも明智の関わった城でない事だけは確かであろう。

城跡への道順としてはルート図に示す様に西ノ山城から歩いても行ける距離にあり、二箇所の分かり易い進入地点があるが、西側には民家が集中しており自ずと民家の庭先もかすめ、民家所有の畑地あるいは竹林地も通り抜ければならない事からも、最北にある池側からの直登をお薦めしたい。此方からの直登では尾根上を南に移動して北城主郭までは10分程度でもあり、そのまま南端の主郭から南郭まで縦走すれば少し距離はあるが、山上におけるほぼ全ての遺構を確認する事が出来る。

現状(12月)城跡は案外雑木は多いが、落葉している事もあって移動に難渋する事も無く、遺構を確認しながら全体をほぼ見て回れる状態にはある。特別採り上げるべく遺構は存在しないが、強いてあげれば南北を分断する深い堀切(堀切道)と言う事になる。本来は東西に抜ける移動道でもあったようだが、現状では倒竹あるいは堆積物で通行は出来ない状態にある。この堀切道は下山時において竹林地を通過し迂回しながら確認したが、民家背後の畑地まで土塁を伴って構築されており、比較的見応えを感じる事は出来た。山上郭群においては北城に郭切岸、堀切、土塁跡などを窺う事が出来たが、少し規模の大きい南城では切岸は確認出来たが、急峻であるせいか堀切などは認められなかった。手っ取り早く城跡を見学したい方にとっては、自然風化に任せた当時のままとも思える、北城の遺構見学だけで充分満足出来るのでは無いかとも思われる。

1ooue 登城ルート

H_40a 城跡遠望

3higasi 城跡概念図

8_kita_horikiri_1 北堀切

12_higasi_dankaku 北城段郭群

21_minami_hasi_kaku 北城南郭

23_tyuuou_horikiri_3 中央大堀切見所

26_minami_shukaku_1 南城主郭

尚、この城跡から西側すぐの距離にある県指定史跡にも挙げられている土居の内跡(畑氏館)は、この地方では珍しい方形館跡でもあり、周囲は分厚い高土塁及び水堀によって守備され、残存状態も良い事から非常に見応えもあり、是非訪問をお薦め出来る物件でもある。現状少し埋もれて一部畑地になっている水堀跡は幅もあり、甲賀地方でも中々御目にかかれないほどの、素晴らしい遺構と断言出来るものである。Yakata_1 Yakata_2 Yakata_3 Yakata_4

2008年12月19日 (金)

大上西ノ山城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市大上にあって、先にリポート掲載を終えた武路城跡とは南側に延びる尾根を共有しており、その丘陵地でもある尾根先端が城跡であり、明智の八上城攻略の為の向城と伝わる。

城跡へは武路城跡を起点にすれば分かり易く、ルート図の如く佐佐婆神社の横を通過して西側の山道から城跡へと向えば、5分もあれば城域でもある北出郭と呼べる削平地に辿り着ける。基本的には城跡のある丘陵地の東民家側、あるいは南端のどこから取り付いてもすぐ上れるのだが、個人所有の山とも見受けられるので、人の目も気にせず入山出来る民家の無い此方側からの登城をお薦めしたい。

現状(12月)城跡は到達地点である出郭周辺は竹林地帯あるいは雑木も生い茂っているが、北端に位置する大堀切を越えて主郭側に向うほど状態はましでもあり、現存する遺構群はほぼ判別確認可能な状態となっている。この城跡の最大の見所は南北丘陵上を分断する三本の大堀切、及び主郭西側に設けられた六本の連続する縦堀群に尽きるのではないかと思われるが、縦堀群は相当埋もれながらも形状は遺し、それに付随している土塁跡、横堀跡も僅かながら当時の状態を留めている状態である。縄張りとしては北端の堀切を越えて更に北側に向いて規模の大きい削平地が繋がっているが、削平のみで切岸処理はされていない様に見受けられた。基本的には広大な規模を持つ単郭構造の大味な城跡なのであるが、櫓台とも見受けられる二箇所の主郭隅には横矢構造も窺え、随所に考えさせられる技巧が施されているのが窺えた。

流石に明知の関与した城だけあって、石垣城としては周山、金山、福知山、亀岡、須知城と完成度の高い素晴らしい城跡が多いのだが、土塁城としても法貴山城と同様に堀切が多用されており、技巧を伴った堀切構造からも城跡に先進性を感じ取る事が出来る。篠山から丹波地区周辺にかけての城跡とは異なり、他に類を見ないほどの形態でもあり、ひときわ異彩を放っている様にも感じられる。正に明智入魂の城跡と言えるのではないだろうか。残存状態も比較的良く、丘城でありながら人の手の余り入っていない様にも見受けられるこの城跡の堀切群は、正しく一見の価値に値する遺構と言えるものである。

尚、城跡すぐ東側に位置する大上東平城についての現況報告は、まとまり次第掲載の予定

1ooue 登城ルート

5_1_2 進入路

3ooue 城跡概念図

15_dai_horikiri_2 主郭北堀切見所

16_nisi_sita_yori_dai_horikiri 西より堀切土塁

14_horikiri_yori_yagura_heki_1 主郭櫓台切岸

20_shukaku 主郭北側

21_shukaku_1 主郭南側

25_nisi_karabori_dorui 西横堀と土塁跡見所

26_tatebori_e_2 縦堀上部見所

2008年12月18日 (木)

大山城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市大山下にあって、篠山川に北から合流する大山川の流れる川沿いの段丘に位置する城跡、中沢氏の居城と伝わる

城跡へは国道176号を北上した場合「大山下」の信号で左折しそのまま直進、橋を渡ればルート図の如くN住宅設備の横を右折、後は農道に近い細い道路に従い城跡を目指せば、案内板と立派な空堀が眼に留まるのですぐ城跡だと確認出来る。途中にも道標が無いので進入路が案外分かり難く、見学に訪れる人も少ないのではないかとも思われる。

城跡は現状主郭周りを除いては一部が藪地、ほぼ全域が農作地となっており、現状から当時の城域を判断するのは個人の想像力、あるいは推察力に頼るしか方法は無い状態と思える。しかし本命でもある主郭周りの遺構としては、深さは失われているが幅のある空堀(地形から察しても当時は水濠と思われる)、大手の土橋、郭切岸、西側を分断する堀切などは明確に判別出来る遺構として残存している。現状一部畑地と化している広大な主郭内は、当時は土塁で仕切られていたか、段差を設けて郭境としていたかの様に窺え、微妙な地形からある程度察する事は可能である。東側の川傍から主郭を望めば、多少の崩落土は認められるが、直立した高い切岸は相当な見応えがあるもので、スケールの大きい空堀と並んで城跡の見所と言えるものでもある。

現在の状態からすれば城跡の遺構残存度は低いが、主郭周りの残存状態は比較的良く、当時を物語る空堀遺構も平城にあっては中々値打ちのあるものと言えるので、戦国期平城(丘城)の状況を今に伝える城跡としては非常に史跡価値のあるものではないだろうか。 山城巡りを主体におく自分にとっては、今回は非常に新鮮さを味わう事の出来た訪城となった。

1route 登城ルート

2z 城跡概念図

3 現地案内板より

5z 大手東側の空堀見所

5_horiato_1 14_2大手西側の空堀見所

12_oote_syoumen

主郭

8_hori_dorui

大手虎口土塁、空堀

25_honmaru_kirigisi_2 主郭東切岸見所

26_horiato 南側堀切見所

2008年12月17日 (水)

武路城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市今谷にあって、そこからはすぐ西側に八百里城も望める位置にある事からも、支城あるいは砦跡とも窺える山城。

城跡へは八百里城を起点にすれば分かり易く、ルート図の如く北側から農道へ進入する。正面の丘は既に城域の一部とも窺われる削平地となっており、突き当たりの小川からすぐ右手に眼に留まる小屋まで歩き、橋を渡れば小川沿いからそのまま丘陵に取り付く、後は南に向いて急斜面を上れば10分程度で山上主郭までは辿り着ける。

現状(12月)山城巡りとしては最高の時期でもあり、山上郭内は木立は多いが落葉もしており、移動も容易く見通しが利く(道路に路駐した車が見える程)ので、遺構は全て判別確認出来る状態にある。城跡は主郭の最高所には櫓台と見受けられる小規模な土塁が設けられており、自然地形をそのまま利用して尾根を削平し、五本の堀切によって尾根は分断され郭も独立した形態となっている。よって小規模な山城ではあるが見る者にとっては変化に富んでいる分、楽しく見て回れる状況でもある。見所を挙げれとすればやはり五本の堀切と言う事になるが、特に東郭から出郭に至る南斜面の橋を挟んだ二連の堀切は、風化によって随分埋もれてはいるものの、城跡中一番技巧を感じ取る事が出来る見応えのある遺構と目には映った。

地形図から察せられる様に西側枝尾根上あるいは更に南側尾根上にも間違いなく郭は展開されていると推察されるが、恐らく取り付き地点に窺われた様な削平地といった程度のものとも想像出来るので、探索はこれまでとして次の予定地でもある、尾根は共有しているが遠く南端に位置する大上西ノ山城に向う。

1_route1_2 登城ルート

5_1 進入路

3buro_2 城跡概念図

10_shukaku 山上主郭

9_shukaku_yagura 櫓台土塁

17_minami_kaku_1 南郭

18_horikiri1_1 南側堀切見所

25_horikiri 東郭堀切

26_higasi_kaku_1 東郭

27_horikiri_dorui_2 東郭南斜面の堀切見所

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