京都府の山城跡

2014年9月16日 (火)

天若世木林城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市天若世木林にあって、日吉ダムによって堰き止められた人造湖「天若湖」に向いて細長く突き出した、半島状の尾根先端部に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには50号線に進入する事が先決となるが、50号線からの進入経路はルート図を参考にして頂きたい。車止めからは徒歩で尾根先端を目指すことになるが、唯一とも言える直登取り付き口は、かつての駐車場(広場)となる向かい側の切岸工事された斜面(画像に注目)で、そこをスタート地点として丘陵上に向いて強引に上れば、直ぐに空堀が迎えてくれる筈である。

1route_3登城ルート

3s_1城跡概念図





この城跡の存在と所在地をを知り得たのは、京丹波地区を中心に山城巡りをされている方からの情報によるものであるが、その方曰く「訪れたものの城郭遺構が長い丘陵上のどの部分に当たるものか見当が付き難かったので、一度機会があれば訪れて遺構の確認をして頂きたい」、と言った内容のものであった。もちろんそこまで頼りにされるのであれば、断る理由は何一つなかったので、情報を頂戴してから少しばかり月日が経ってしまったが、やっと訪れる機会に恵まれたので、今回はその結果も兼ねた現況リポートと相成った。

城跡は情報を頂戴した通りの尾根先端部に当たり、アバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、削平された郭総全長40m前後の本郭群の東背後には片堀切(縦堀)、更にその痩せ尾根を跨いだ反対側には、自然地形に近いが巨大とも言える空堀地形が見て取れた。よって結果的にこの地が間違いなく城跡であると個人的に判断を下した事になるが、現状城跡に関しての情報は、確かな所在位置も含めて皆無に近いものであり、城郭遺構としての正否の判定に対しては多少の不安が残る事から、これを機に臨まれる方にも是非その判断を下して頂きたい。個人的には更に南側尾根上も踏破したが、ここまで削平された地形や空堀地形は眼に留まらなかった。郭間及びその側壁における高低差を伴う切岸、あるいは尾根を断つ明瞭な空堀(横堀)でもあれば、間違いなく百パーセント城郭遺構と断言出来るのだが、、、、

5tatebori縦堀

7_horikiri_gawa_one堀切側尾根

11_kaku_2主郭

9_sentan_kaku北端郭

10_sentan_kirigisi北端郭切岸




2014年7月10日 (木)

胡麻中村城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市日吉町胡麻にあって、標高約250mの山上に位置しているが、既にリポート掲載を終えた東胡麻城から見れば、農作地や集落を挟んで真北側にある。城史に関しての詳細は不明であるが、宇野氏の築いた東胡麻城及びその居館跡ともいえる野化館の築城環境を思えば、その機能は集落を北から監視すべく見張り城(砦規模)と考えれば良いのかも知れない、、、

城跡を訪れるには、先に触れた野化館と同様の訪問ルートとなる為、細かい説明は割愛させて頂くが、50号線から城跡までの進入経路はルート図を参考にして頂きたい。登城口は少し分かり辛いので画像を載せたが、獣避けフェンスを潜ればかつての踏み跡程度の山道(空堀道の様相)より一直線に山上を目指す事が肝心となる。少しでもそれると山上まではなだらか斜面となるので、山腹を徘徊する事になる!ちなみに所要時間は藪漕ぎなしで10分内

3a登城ルート及び概念図

6_2登城進入経路

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、全長30m程度の単郭で成立した、砦規模の山城と思って頂ければ良いだろう。自ずと眼に留まる残存遺構の数も知れているが、郭側壁を形成する切岸跡、西尾根に向いた僅かに窺われる受け土塁跡、これも僅かではあるが空堀(横堀)の痕跡、といったところが判別し易い遺構群という事になろうか、、、ただ見応えには随分欠けるので、これを機に臨まれる方には、遺構に過大な期待は絶対にしない事が肝心と思えた。

10主郭の現状

13_1土塁の痕跡

20_2空堀の痕跡

15西尾根側切岸

17_2北側切岸

現状(四月)城跡は登城道中もさることながら、藪漕ぎまでには至っていないが、枯れ木の隙間を縫いながらの移動は余儀なくされる状況にある。城跡を個人的に評価するのであれば、京丹波地区を拠点として山城巡りを楽しんでおられる方には、それなりに値打ちのある山城と言えるかも知れないが、遠距離訪問でわざわざ出向いてまで訪れる山城と言えるかどうかは、、、?と言った事になろうか。

2014年7月 2日 (水)

殿田城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市日吉町殿田にあって、二方を川に挟まれた殿田集落の西側に聳える、標高約280mの険峻極まりない山頂に位置しており、その東麓にはこの地を所領とした梅若家の菩提寺でもある曹源寺が建立されている。尚、この梅若家は明智氏の家臣梅津氏が改姓したもので、ネット上でアクセスすれば明智が滅んだ後の事に関しては分かるとは思われる。尚、御住職から聞き及んだ話によれば、梅若氏の墓所及び屋敷跡は線路を隔てた東対岸に今でも残っており(林藪となっている)、かつては井戸跡まであったそうである。ちなみにこの山頂に位置する山城は光秀の築いた砦跡と伝わっているとの事、、、

城跡を訪れるには、県道19号線に進入する事が先決となるが、先に触れた曹源寺を目印として目指せば分かり易いだろう。殿田集落に入ればルート図を参考にして頂きたいが、車は図中に記した広い路肩に停めれば問題はないだろう。直登取り付き口は寺院背後の集合墓地としたが、ここから山頂までは激斜面ではあるが、前の開けた植林地となっているので目標は定め易く、休まず上れば20分程度で山頂までは辿り着ける筈である。ただ登山する覚悟は必要!

1route_6登城ルート

4a最短直登ルート

3_4城跡概念図

城跡の形態はほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないと思うが、段差程度の郭境で区画された本郭群の南北両端は、山城の定番とも言える堀切で遮られた形となっており、櫓台と呼ぶに相応しい小規模な土塁壇背後には土塁跡、更にその背後には縦堀を伴う空堀が施されている。低土塁は本郭群西側を覆う形で施されているが、蔓延る矢竹によって判別はし難いものと思って頂ければよいかも、、、、本郭群から山上尾根を更に南に移動すれば、城域南端における最後の堀切とも呼べる、明瞭な片堀切(縦堀)を眼にする事が出来るが、本来は尾根を遮断する形の堀切だったのかも知れない、、、私見になるが山林作業用に埋められた可能性あり。北端にも堀切が施され、更にクランク状になった溝程度の空堀も眼に留まったが、現状余りにも浅く、機能の想像はほぼ見学者の想像に委ねられるだろう。

9_higasi_kakuheki_1東郭群切岸

12_higasi_kaku東郭

15_hokutan_horikiri_2北端堀切見所

18_kitakaku_gun北郭群

24_horikiri_1中央堀切見所

25_tatebori

東側縦堀見所

28_nantan_horikiri_2南端片堀切見所

 

現状(四月訪問)城跡は、無名に近い山城としてみればそれなりに見学し易い状況にあると思って頂いても良いが、山上郭群自体が東側斜面にずれ動いた形(御住職の見解)となっており、それに加え地表風化も激しく、更に蔓延る矢竹で地表の露見していない箇所も多々あり、曖昧な本郭群の郭区画、あるいは形状に関しては推察を交えたものと思って頂きたい。城跡を個人的に評価するのであれば、自分を含めた激斜面登山に慣れた山城ファンの方には、楚々とした山城の風情が味わえる事、更に三本の空堀と土塁が拝める事を理由にすれば、充分お薦め出来る山城とは言えるが、状態や規模、あるいは縄張り妙味までは問わない事が大前提となろう、、、

2014年6月24日 (火)

大空堀と巨大土塁は正に圧巻!亀田城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市日吉町田原にあって、北側を天然の水堀とした低丘陵上に位置しており、その佇まいは丘城とも呼べる、同じ南丹市内にある野化館と合い通じるものがあり、広大な規模を誇る主郭、及びその背後を固める大土塁や大空堀は、居館跡(推察)と呼ぶに相応しいものと自分の眼には映ったのである。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた片野城を起点とすれば分かり易い位置にあるので、城跡までの訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、車を預ける事になる橋の袂の運動場からはルート図の赤ラインを辿ればよい。画像に示した畦道が城跡へ向かう為の登城進入路となるが、獣避けネットを潜り、その正面に望める丘陵をそのまま目指して上れば、数分で垂直に切り立つ切岸が歓迎してくれる筈である。

1route_3登城ルート

5_1進入経路

3_2城跡概念図

城跡の形態は、自身が踏破した上で判別確認した遺構を記した、概念図を参考にして頂きたいが、先に触れた様に館城とも言えそうな佇まいで、主郭東背後には一部櫓台を兼ねたかの様な巨大土塁、更にその背後には巨大空堀(V字形の深い薬研堀)、更に便宜上の副郭を挟んだ形で縦堀を伴う堀切、その長く連続する堀切には堀底から立ち上がる土塁まで付随しており、その見応えも含めて正に圧巻!と呼ぶに相応しい遺構を拝む事が出来よう。土塁は主郭背後だけには終わっておらず、主郭南側に低土塁として残り、更に西南隅には受け土塁跡まで残っている。郭総全長は東西70m前後といったところではあるが、丘陵上における郭占有面積は非常に大きいものであり、ほぼフラットに近い広大な主郭跡に佇めば、当時に思いを馳せる事も容易く、抜群の臨場感を感じる事が出来るだろう、もちろん堀切や土塁なども全体像の窺える、非常に見学し易い良い状態にあるので、その見応えまでは語るまでもないが、、、とにかく遺構の見応えだけに関しては、賛辞の言葉も失うほどのもの!と思って頂いても良いかも知れない、、mmm 素晴らしい!

11_shukaku_doruiheki主郭切岸見所

17_shukaku_3主郭内

20_daidorui_1主郭大土塁見所

33_shukaku_minamiheki_2主郭南切岸

21_higasi_daihorikiri_3大堀切見所

21_daidorui_heki大土塁、大空堀見所

24_2ren_horikiri二連の空堀見所

32_nantou_karahori_dorui_1南東側土塁、空堀 見所

27_toutan_tatebori東端縦堀見所

 

現状(四月)城跡一帯は植林地となっているので、蔓延る雑木は比較的少なく、移動も容易く、更に見通しも利き、非常に見学し易いコンディションの下にあると思って頂いても良いが、恐らく四季を通して見学し易い状態は維持されているものと思われる。城跡を個人的に評価するのであれば、間違っても期待外れには終わらない、背中を押してでもお薦めしたい城跡の一つ!という事になるが、これを機会に臨まれる方には、先に触れた言葉を目安にして、是非期待して臨んで頂きたいと思うのである。

2014年6月20日 (金)

片野城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市日吉町田原にあって、「片野バス停」より橋を渡った直ぐ東側に望める、集落の西側に突き出した低丘陵上先端に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、数年前既にリポート掲載を終えた田原城を起点とすれば、その所在位置も分かり易いと思われるが、県道19号線に進入する事が先決となる。目印として先に触れた「片野バス停」を目指す事になるが、概念図には墓地を取り付き口(画像に注目)とした、城跡への最短直登ルートを示した。主郭に小さな祠が祭られている事から、麓からの参拝山道はあったようだが、その登山口は分かり辛いので、ここでは墓地背後の植林地帯を上り切れば、直ぐにでも辿り着ける直登ルートをお薦めしたい。

1route_4登城ルート

6tojyouguti直登取り付き口

3_3城跡概念図

城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、低丘陵上を東に向いて広大な削平地で占める西側片隅に本郭群は構えられたものである。その西端には更に付郭が付随しているが、全長30m前後ある主郭自体はほぼ方形郭に近いものである。少ない遺構の中にあって見所遺構として挙げられるのは、切岸を除けば付郭西斜面上に刻まれた明瞭な縦堀(現状三本確認可能)、主郭背後に施された土塁と深さの失われた横堀、といった所になるが、更に主郭南側側壁に土塁の痕跡が見止められた事だけはお知らせしておきたい。

10_shukaku_2主郭

12_tuke_yori_kirigisi_2付郭と主郭切岸

15_sita_yori_tatebori西斜面縦堀見所

20_dorui_1主郭土塁見所

23_horikiri_1横堀見所

27_koudai_sakuheiti広大な東削平地

 

現状(四月訪問)城跡は、主郭に祠が祭られているせいなのかも知れないが、多少人の出入りがあるとみえて、遺構の判別確認し易い状態が自然維持されている。もちろん見学に差し障りない程度の状態なのだが、、、個人的に城郭遺構に見応えまでを感じる事は出来なかったが、圧倒的お手軽感を加味して、この後リポート掲載を予定している、車で移動すれば直ぐの距離にある、遺構残存度が高く素晴らしい城郭遺構の拝める亀田城と併せた、二城同日訪問は是非お薦め出来るだろう。

2014年6月16日 (月)

井尻三城中、その三 井尻南支城跡(京都府船井郡)

城跡は京都府船井郡京丹波町井尻にあって、先にリポート掲載を終えた井尻南城から見て、農作地を跨いだ南側尾根先端部に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、南城と同様に規模で勝る北城を本城と想定した場合の、一城別郭から成る城跡の一つと解釈すればそれでよいのではないだろうか、、ここでは便宜上「南支城」としたが、城跡呼称に関しては何時も通り柔軟に対応して頂きたい。

城跡を訪れるには、南城と併せた二城同日訪問とした場合、南城の東側斜面を民家側の農作地まで下りきり、畦道を利用して登城口となる墓地まで足を運べばよいだろう。画像を載せた墓地からは縦堀地形に沿って上る事になるが、直ぐに堀切が迎えてくれる筈である。

1route_2登城ルート

5enbou_2城跡遠望

3城跡概念図  

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、居館跡とも言える様相を呈しており、ほぼフラットに近い規模の大きい東郭跡(全長40m以上)の背後には、規模の比較的大きい推定主郭(櫓台)、更にその背後には土塁及び堀切と、居館跡とすれば定番とも言えるシンプル極まりない縄張りを特徴としたものである。切岸は推定主郭側壁(高低差6m前後)と本郭群南側斜面で充分拝めるが、何れも鋭角に削り落とされたものであり、見応えは充分なものとなっている。北側は墓地となっており、造成整地も充分考えられる事から、東郭切岸(墓地側)をそのまま当時のものとするには、少々無理があるかも知れない、、、

6_kita_tateboriato縦堀地形、登城口

8_kaku2_3広大な東郭 

12_shukaku_dorui主郭土塁見所

10_shukaku_heki_2主郭東切岸 見所

15_horikiri_1堀切見所

 

17_tatebori_1_2縦堀見所 

17_yokoya_hori横矢土塁空堀地形 見所

 

 

現状(三月訪問)館跡とも言えそうな規模の大きい東郭には、相当量の雑木が蔓延っており、郭内をくまなく歩き回る事は困難を極め、更に見通しも利き難い状況にあるが、見所遺構となるクランク状になった縦堀を伴う堀切、その堀底から立ち上がる切岸、主郭背後の大土塁などは、判別の容易い状況下にあると思って頂いても良いだろう。城跡を個人的に評価するのであれば、南城も含めた一城別郭とした井尻城の本質を究めたい方には、当然是非お薦め出来る城跡の一つ、という事になるが、土塁、切岸、空堀の拝めるこの城跡は、お手軽感を加味せずとも、単独訪問としても立派に遺構見学が成立する、「充分お薦め出来る城跡」といった事になろうか、、、

2014年6月13日 (金)

井尻三城中、その二 井尻南城跡(京都府船井郡)

この城跡に関しては、数年前既に井尻城(本城)としてリポート掲載は終えているが、その時地元で得た情報として、本城から見て南側尾根先端にも馬場跡と伝承されている城郭遺構があるとして、ルート図中に推定馬場跡として所在地を記した記憶がある。しばらくこの城跡の存在は頭から離れていたものの、今回は気になっていたその推定馬場跡を覗くべく、再び当地を訪れる事になったが、結果として地元に伝わる馬場跡とは裏腹に、小規模ではあるが本格的山城の様相を呈した、ほぼ完存とも思える遺構残存度の高い城郭遺構と対面出来た事を最初にお伝えしておきたい。

城跡は京都府船井郡京丹波町井尻にあって、井尻本城からみて真南側の尾根先端部にあるが、訪れるには登城ルート図あるいは本城を起点とすれば一目瞭然の位置にあるので、細かい訪問ルートの説明は割愛させて頂く。車を預ける事になる公民館からの進入経路は画像及びルート図を参考にして頂きたいが、目印とした一本杉手前の畦道から進入して、民家脇から始まる丘陵上に繋がる山道に合流すれば、数分で本郭群には辿り着ける筈である。城史に関しての詳細は不明であるが、その築城環境を踏まえれば、北城を本城とした一城別郭の城と考えるのが妥当なところか、、、

1route登城ルート

6a登城進入経路

3i_2城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないとは思うが、本郭群は主要三郭と帯郭で形成された、郭総全長は60mにも満たない砦規模の山城である。ただ最初に触れた様に、その佇まいは城郭を形成する三要素(切岸、空堀、土塁)を見て取る事の出来る、本格的山城のそれと思って頂いても良いだろう。眼に留まった城郭遺構は、郭跡を除けば切岸(郭境と側壁)、主郭背後に施された堀切(横堀)、それに付随した土塁跡、といった処になるが、何れも見所遺構と言って良いものであり、充分見学者の眼は楽しませてくれる筈である。自身は地元の方の情報(馬場跡)を鵜呑みにして訪れた事もあって、土塁と堀切まで備わる山城遺構と対面出来た喜びは、その意外性も含めて中々言葉では言い表せないものがあるのだが、これを機に臨まれる方は、是非期待して臨んで頂いても良いのではないだろうか、自ずと是非お薦め出来る山城の一つ、といった事にはなるが、規模や縄張り妙味までは問わない事が大前提、、、

10_higasikaku4_1東段郭群

12_highasikaku2_heki_1東先端郭切岸

11_kita_heki_1北側切岸見所

18_dankaku_heki東段郭切岸見所

21_horikiri_2堀切見所

23_horikiri_haigo堀切背後

14_minami_obi南帯郭

 

城跡は訪れた時期(三月)が幸いしたせいもあるが、蔓延る木々は意外に少なく、郭内の見通しは利き、遺構の判別確認は容易く、夏季訪問においても状態予想の付き易い、非常に見学し易い状況にあると思って頂いても良いだろう。尚、この城跡の更に南側尾根上にも城郭遺構が存在する事を現地で聞き及んだが、その現況に関しては南支城として次にリポート掲載予定

2014年6月 9日 (月)

垣内南城跡(京都府船井郡)

城跡は京都府船井郡京丹波町和田垣内にあって、数年前既にリポート掲載を終えた垣内城から見て国道9号線側に近い南枝尾根先端部に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、その形態や規模あるいは築城環境から察すれば、垣内城における街道監視用の砦跡(出城)、あるいは平常時における居館跡といった事になるのかも、、、

城跡を訪れるには、先に触れた垣内城を起点とすれば分かり易い位置にある事から、城跡までの細かいアクセス方法は割愛させて頂くが、国道9号線「和田みどり橋」の信号からは、ルート図に示した赤ラインを辿って頂ければ迷わず辿り着けよう。

1route2登城ルート及び城跡概念図

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、目に留まる残存遺構は数も少なく限られており、本郭群と見受けられる規模の大きい郭跡の北端には、見所遺構の一つとも言える随分高低差の失われた土塁跡、その背後には尾根を遮る形で堀切(現状薄い横堀)が施されたものである。土塁は南端にも受け土塁の形で土塁の痕跡、切岸跡は尾根上はほぼ削平しただけに終わっており、その南端郭(墓地)から覗いた主郭土塁壁(画像に注目)、あるいは側壁の一部で窺える程度と思って頂いても良いかもしれない。もちろん切岸の醍醐味にも到底触れる事は出来ないが、、、

11_shukaku_2主郭北側

14_kirigisi主郭切岸

8_dorui_konseki_2南端土塁痕跡

13_dorui_2北端土塁跡見所

15_horikiri_2空堀(横堀)跡見所

6_kaku

南端切岸跡見所

現状(一月訪問)城跡は遺構の判別確認し易い、山城としてみれば非常に見学し易い状態にあると思って頂いても良いだろう。城跡を個人的に評価すれば、車を駐車して5分とかからず本郭群まで到達可能な、圧倒的お手軽感を加味した上で、垣内城がまだ未訪の方、あるいはここからほど近い距離にある橋爪城などと併せた同日訪問とするのであれば、山城巡りとしての効率も良く、「充分お薦め出来る城跡の一つ」、と言った事にはなろうか、、、

1z垣内城概念図

2014年6月 4日 (水)

郭周囲に土塁が巡る 橋爪西城跡(京都府船井郡)

城跡は京都府船井郡京丹波町橋爪にあって、数年前既にリポート掲載を終えた橋爪城から見れば、農作地を挟んだ直ぐ西側低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、街道筋からほど近い利便性、あるいは土塁で郭周囲を固めた様相は、正しく居館跡の佇まいを想像させるものである。よって橋爪城を山内氏一族の居城(明らかにはされていない)とすれば、こちらはその居館跡という図式が成立するのかも知れないが、推察の域は出ないものである、、、

1route登城ルート

5進入経路

3城跡概念図

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、郭周囲を土塁で囲んだものであり、現状北側が高土塁、他は低土塁となっており、高土塁背後には空堀(横堀)が施されている。東側空堀の外側には更に土塁まで施されており、武者隠し的な役割を担った空堀は想像されよう。切岸跡は郭周囲でそれなりのものを拝む事が出来るが、特に西側の民家側から覗いたものは状態が良いものであり、充分覗く値打ちありと言ったところか、、、土塁は先に触れた様に、内壁高低差4mある高土塁と低土塁とに明確に分類されるが、当時築かれた土塁が風化に任されるまま、そのまま現在に至ったものとは到底思えない(農作地としての日当たり効果を考えて後世削られた感あり!)ので、虎口が土橋付き空堀状になった地形(近年埋められた感あり!)と共に、全て見学者の判断に委ねられるだろう。

10kirigisi切岸(主郭外壁)見所

21_shukaku_nai_dorui_1主郭内奥高土塁見所

18_teidorui東側低土塁見所

17_dorui_ue高土塁上

23_karabori_2空堀見所

28_kitahaigo

高土塁背後、空堀

25_higasi_yokobori_dorui_2東側空堀土塁見所

城跡を個人的に評価すれば、民家や農作地がが直ぐ傍まで迫りながらの高い遺構残存度、遺構の見応え、京丹波地区で高土塁の施された居館跡(推察)はめったにお目にかかれないその希少性、更に圧倒的お手軽感も含めれば、規模さえ問わなければ充分お薦め出来る城跡の一つと言う事にはなろうか。

城跡を訪れるには橋爪城や垣内城を起点とすれば分かり易い位置にある事から、細かい訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、ルート図に示した国道9号線の「橋爪」信号を目印として目指せば、付近までは難なく辿り着けよう。後はルート図の赤ラインを辿って林道に進入すれば、右手民家東側に農作地と共にそれらしい切岸跡(画像に注目)が確認出来るので、そこが城跡と直ぐ分かる筈である。林道に進入すれば直ぐ右手側に農作業小屋が見えてくるが、その上段の荒地が城跡への進入地点となる。直ぐにそれと分かる空堀、高土塁が迎えてくれよう。

2014年5月31日 (土)

竹井天神山城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市園部町竹井にあって、県道54号線に面したほぼ独立した形の丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明 

城跡を訪れるには県道54号線に進入する事が先決となるが、既にリポート掲載を終えた仁江城がここから北東側に聳える山の山頂にある事から、これを起点とすれば所在位置も分かり易いだろう。県道沿いにある摩気神社バス停を目印として目指せば更に分かり易いが、その県道を挟んだ向側には天神社へ上る為の参拝山道(画像に注目)があるので、山上本郭群までは数分で迷わず辿り着ける筈である。

1route_2登城ルート

5登城口

3_2城跡概念図

 

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、山上最高所を主郭とした砦規模の城跡と思って頂いても良いだろう。現状社殿敷地を含めて、城跡南側斜面も道路造成により相当削られた状況となっており、当時の郭形状や残存遺構に関しては見学者の想像に委ねられる部分が大きいが、主郭北にある虎口地形や、その北斜面上で目に留まる空堀土塁地形などは当時の遺構と見て良いのかも知れない、、、東郭では土塁痕も目に留まるが、これも想像に委ねられ部分、切岸は北側斜面で充分確認可能となっている。

13社殿敷地

14_kitaheki主郭北切岸

15_karabori_dorui空堀土塁地形

19_shukaku_koguti主郭

22_shukaku_kita_koguti北虎口地形

24_kaku2_dorui_ato_2

東下段郭の土塁痕?

現状城跡は主郭を始めとして歩き回り易く、非常に見学し易い状況にあるが、遺構見学に重きをおいて赴く方にとっては、残存遺構の正否の判定も含めて、想像に委ねられる部分は多く、遺構に過大な期待を持って臨まないことが肝心とは思えた。個人的に城跡を評価するのであれば、城跡としての風情は充分味わえた事から、城跡巡りの一環、あるいは神社参拝ついでとして訪れるのであれば、圧倒的お手軽感も加味して、それなりに期待に応えてくれる城跡と言った事になろうか。

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