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2014年10月5日 - 2014年10月11日

2014年10月 9日 (木)

堂屋敷城に付随する砦か、、 牧北砦跡(京都府福知山市)

城跡は京都府福知山市牧にあって、以前「新しく発見された山城」として堂屋敷南城砦群をリポートした事があったが、その南城砦群の中の南先端郭からみて、谷状地形を挟んだ直ぐ西側の尾根先端部に位置している。この二砦跡は現状まだ調査報告されていない城跡と見受けられたが、自身が本来訪れるべく堂屋敷城山上本郭群を目指して登りかけた直登道中において偶然眼に留まったものであり、二箇所における明瞭な空堀跡(縦堀も含む)及び僅かに窺われる土塁跡、並びに削平地と、城郭遺構は丘陵先端部二箇所に渡っている。この二砦跡の機能から察すれば、この地より尾根を更に北へ上った山頂に位置する堂屋敷城の出郭跡という事も考えられるが、山上本郭群と区別する為に、今回は字名を採用して牧北砦跡とし、更に二箇所に分かれた郭群においては砦跡A、砦跡Bとした。既に認識されて調査報告もされた城跡かも知れないが、城跡呼称に関しては何時もの様に柔軟に対応して頂きたい。

城跡を訪れるには、堂屋敷南城砦群を起点とすればその位置も直登取り付き地点(登城口詳細図参照)も判り易いと思われるので、細かい訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、車を停めて5分程度で砦跡Aには辿り着けよう。

1route_3登城ルート

4_2城跡進入経路

3_2城跡概念図





城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、二砦跡のどちらにも郭背後には堀切が施されている。特に物見程度の機能が想像される、狭小郭砦跡Aの背後における堀切は明瞭なもので、片側は縦堀となって数十m西斜面に連続しており、充分見応えの感じられる遺構となっている。もちろん堀切背後にはお定まりとも言える土橋(画像に注目)も施されているが、これは後世における山林事業の為に施されたものかも知れない、、、 砦跡Bの郭跡背後には僅かに半分欠けた土及びい堀切跡(片側は明瞭な縦堀)、更に片側が郭跡と地繋がりの土橋(画像に注目)が見て取れるが、この土橋も砦跡Aにおける土橋と同様に、後世における山林事業用に施されたものとみてまず間違いのないところか、、、謎。

11砦A、狭小郭跡

13_2砦A堀切見所

10_2砦A縦堀見所

17砦B、郭跡

20堀切背後見所

19_2縦堀見所

城跡を個人的に評価すれば、物見程度の城跡ではあるが二箇所における見応えのある縦堀が拝める事、それに更に圧倒的お手軽感も加味すれば、充分訪れる値打ちのある城跡という事にはなろうか、、もちろんこの後リポート予定している堂屋敷城(山上本郭群)と併せた同日訪問、あるいは南城砦群と併せた同日訪問が前提という事にはなるが、、、

2014年10月 5日 (日)

中友田三氏城跡(三重県伊賀市)

今回取り上げたこの三氏城は三重県伊賀市中友田にあって、生活道路によって菊永氏城は少し隔てられているが、深井氏城と中友田東城はほぼ隣接した低丘陵上にある。ちなみに菊永氏城は城址碑が道路沿いに備わるだけで、その内部は深刻化した藪化によって、踏破は極めて困難な状況にあると思って頂いても良いだろう。もちろん近年における生活道路造成工事によって、当時の遺構はほぼ壊滅したものと察せられた事から、雑木林の中を覗くまでには及ばないと思われるが、、、、城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた中谷氏城を起点とすれば分かり易い位置にある事から、城跡までの細かいアクセス法は割愛させて頂くが、目印とした鞆田郵便局から車を預ける事になる集会所まではルート図を参考にして頂きたい。集会所脇を抜けてその背後から西に向いて丘陵上を歩けば、直ぐにでも深井氏城に辿り着ける筈である。更にそこから少し西に歩いた場所に中友田東城があるので、遺構見学とすれば二城同日訪問は当然考慮の対象となるだろう。

1route_2登城ルート

4kikunaga登城スタート地点

城跡の形態は、丘陵上全域が竹林雑木藪地となっている為、両城共に見通しも利かず、更に郭内部の踏破も叶わなかった事から、今回は遺構を示した概念図すら描けなかったが、伊賀では普通にお目にかかれる、土塁の施された定番の居館跡と思って頂ければ察しも付き易いだろう。中友田東城には土塁背後に横堀(画像に注目)が施されていたようだが、深井氏城では全体踏破出来なかったせいもあって、お目にかかる事は叶わなかった。現状(六月)両城共に藪化は深刻化しており、郭内部は蔓延る青竹や低草木によって、探索踏破は非常に困難な状況にあると思って頂いても良いだろう。当然見通しも利かないので低土塁などは傍に寄っての確認は余儀なくされるが、高土塁を形成すべく切岸壁は、青竹の隙間から何とか確認可能(画像に注目)と言ったところか、もちろん郭内部に佇み臨場感に浸るまでには、とても至れなかった事は言うまでもないが、、、

1_2深井氏城低土塁

Photo深井氏城土塁内壁

6中友田東城空堀

6_3中友田東城内部

6_2中友田東城土塁上



城跡を個人的に評価するのであれば、遺構のほぼ壊滅した菊永氏城は別として、この二城は遺構見学としても史跡見学としても、とてもお薦め出来る物件とは言えないが、「城跡の現況報告として、少しでもお役に立てたのであれば由としたい」、と言ったところになろうか、、、

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