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2014年9月14日 - 2014年9月20日

2014年9月20日 (土)

四方土塁を含めた遺構はほぼ完存か 高殿城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市上友田にあって、当時は上友田集落が見通せたと思われる丘陵最高所に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、当時甲賀に抜ける街道が今回登城ルートとした林道と重なる(現地ネタ)事、あるいはその規模を思えば、この城跡の機能は峠監視用の見張り城と考えるのが妥当な所かも知れない、、、ちなみに現地で城跡はクランドと呼ばれており、麓にお住まいの年配の方にとっては、幼少期における絶好の遊び場(かくれんぼが想像出来る)であったそうである。

城跡を訪れるには673号線に進入する事が先決となるが、道路沿いにある「鞆田郵便局」を目印として目指せば分かり易いだろう。城跡までの進入経路はルート図中に示したが、生活道路の途切れる住宅最奥にあるガレージをかすめれば、更に林道に任せて峠を目指せばよい。峠はかつての深い堀切(現状切り通し)の様にも窺えたが、そこから右手の切岸斜面を上り切れば、直ぐにでも土塁上に佇む事が出来よう。ちなみに路肩(画像に注目)に車を停めて10分程度の所要時間。尚、西方からも最短ルートとなる林道が地図に描かれているが、その道路状況までは把握していないのでどうか悪しからず、、、

1route2登城ルート

5進入経路

3_2城跡概念図





城跡の形態は、縄張りが丘陵最高所だけに限られると思われた事から、自作概念図に限りなく近いものと思って頂いても差し支えないと思うが、伊賀では定番とも言える郭四方に土塁を巡らした方形居館跡、あるいは見張り城と呼ぶに相応しいものである。ただし小規模ではあるが、分厚い高土塁背後には尾根を遮る形で幅のある空堀(横堀)が施されており、低土塁も含めた土塁はほぼ完存に近いものであり、南側に開いた土塁虎口跡、あるいはかつての堀切と思われる切り通しと並んで、充分見学者の眼は楽しませてくれる筈である。もちろん岸の醍醐味(郭側壁)にも充分触れる事が可能であり、このほぼ完存に近い佇まいそのものが非常に値打ちあるものと自分の眼には映ったのである。

10_kirigisi_2西切岸見所

13_karabori_1空堀(横堀)見所

16_dorui高土塁上

20_shukaku主郭と土塁見所

17_dorui_naiheki_1高土塁内壁見所

21_koguti

虎口跡見所

22_koguti_kaku_2虎口郭




現状(六月)城跡はそれなりに藪化は進行しているが、遺構見学に差し障るまでには至っておらず、近年村人の入った形跡のない山城としては、非常にましな状態にあると思って頂いても良いだろう。城跡を個人的に評価するのであれば、高い遺構残存度が物語る縄張りの掴み易さ、遺構(特に土塁)の見応え、更にお手軽感まで加味すれば、自ずと「規模さえ問わなければ是非お薦め出来る城跡の一つ」、と言った事にはなるだろう。

2014年9月16日 (火)

天若世木林城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市天若世木林にあって、日吉ダムによって堰き止められた人造湖「天若湖」に向いて細長く突き出した、半島状の尾根先端部に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには50号線に進入する事が先決となるが、50号線からの進入経路はルート図を参考にして頂きたい。車止めからは徒歩で尾根先端を目指すことになるが、唯一とも言える直登取り付き口は、かつての駐車場(広場)となる向かい側の切岸工事された斜面(画像に注目)で、そこをスタート地点として丘陵上に向いて強引に上れば、直ぐに空堀が迎えてくれる筈である。

1route_3登城ルート

3s_1城跡概念図





この城跡の存在と所在地をを知り得たのは、京丹波地区を中心に山城巡りをされている方からの情報によるものであるが、その方曰く「訪れたものの城郭遺構が長い丘陵上のどの部分に当たるものか見当が付き難かったので、一度機会があれば訪れて遺構の確認をして頂きたい」、と言った内容のものであった。もちろんそこまで頼りにされるのであれば、断る理由は何一つなかったので、情報を頂戴してから少しばかり月日が経ってしまったが、やっと訪れる機会に恵まれたので、今回はその結果も兼ねた現況リポートと相成った。

城跡は情報を頂戴した通りの尾根先端部に当たり、アバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、削平された郭総全長40m前後の本郭群の東背後には片堀切(縦堀)、更にその痩せ尾根を跨いだ反対側には、自然地形に近いが巨大とも言える空堀地形が見て取れた。よって結果的にこの地が間違いなく城跡であると個人的に判断を下した事になるが、現状城跡に関しての情報は、確かな所在位置も含めて皆無に近いものであり、城郭遺構としての正否の判定に対しては多少の不安が残る事から、これを機に臨まれる方にも是非その判断を下して頂きたい。個人的には更に南側尾根上も踏破したが、ここまで削平された地形や空堀地形は眼に留まらなかった。郭間及びその側壁における高低差を伴う切岸、あるいは尾根を断つ明瞭な空堀(横堀)でもあれば、間違いなく百パーセント城郭遺構と断言出来るのだが、、、、

5tatebori縦堀

7_horikiri_gawa_one堀切側尾根

11_kaku_2主郭

9_sentan_kaku北端郭

10_sentan_kirigisi北端郭切岸




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