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2014年9月24日 (水)

鷹山飛騨城跡/中谷氏城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市上友田にあって、先にリポート掲載を終えた高殿城からみれば、その最高所から派生する南東尾根先端に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、その名が語る様に鷹山飛騨守の居城として伝わっている。

城跡を訪れるには高殿城を起点とすれば一目瞭然の位置にあるので、城跡までの細かいアクセス方法は割愛させて頂くが、673号線からは概念図中に示した赤ラインを辿って頂ければよい。池の畔まで辿り着けばそれらしい切岸(右手側)が直ぐ眼に留まるが、それは高土塁を形成する切岸でもあるので、既に城域に入った事が分かる筈である。

1route登城ルート

3_t_2城跡概念図





城郭の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、伊賀では定番とも言える方形居館跡としての縄張りプランと思って頂ければ良いだろう。土塁は主郭四方に巡らされており、高土塁と分厚い低土塁に明確に分類されるが、一部南側に消失した痕跡が残る事から、土塁は完存とはとても呼べないものである。空堀は高土塁背後に施されてあったのかも知れないが、低草木で覆われ地表も露見していないこの状況を思えば、見極めるのは至難の業とも思えたのである。切岸に関しては土塁西外壁で見事なものを拝むことが出来るが、他は余り期待しないほうが良いかも知れない、、、。

10_obi_nisiheki帯郭より高土塁外壁見所

11_dorui_naiheki高土塁内壁

12_shukaku_teidorui_1主郭と低土塁

12_shukaku_teidorui_3低土塁上

現状(六月)城跡は、地表も露見していないほどの下草で郭内部は覆われており、その南側や東側も藪化が随分進行してはいるが、植林地にある事から見通しが利き、何とかその全体像が窺える状況にある程度と思って頂ければ良いだろう。城跡を個人的に評価するのであれば、圧倒的お手軽感はあるが、農地として近世相当な地形改変が窺われた事(個人的主観)や、それが故の遺構残存度の低さ、あるいは見学材料がほぼ切岸と土塁のみに限られる事を思えば、高殿城を訪れたついでに寄る程度、あるいは城跡巡りの一環として立ち寄る程度の城跡といった事になろうか。もちろん状況がこれから良い方に、少しでも改善されるのであれば話は別になるが、、、、

尚、ルート図中に個人的に造成農地として当時の祖形はほとんど失われている、と判断した中谷氏城も記したが、かつての主郭となる広大な農地北背後には、僅かに高土塁の一部が残り、その背後には僅かながら空堀の痕跡(画像に注目)が見受けられたので、興味を持たれた方が史跡見学として訪れる分には、決して無駄足には終わらないかも知れない。

3中谷氏城跡概念図

1主郭跡の現状

2土塁及び空堀跡

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