堀切と切岸が見所 竹内氏城跡(三重県伊賀市)
城跡は三重県伊賀市下友田にあって、先にリポート掲載を終えた雨請山城の真南側の丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明だが、名が語る様に竹内氏居城と伝わっている。雨乞山に近隣の士豪等と立て篭もった山内氏と運命を共にしたものか、、、
城跡を訪れるには、先に触れた雨請山城を起点とすれば一目瞭然の位置にある事から、城跡までの細かいアクセス法は割愛させて頂くが、集会所に車を預けた後は、ルート図の赤ラインを辿って頂ければよい。淨光寺前を通過して向かう事になるが、獣避けフェンスを開閉後(画像に注目)は、左手側の荒地を通過して斜面に取り付けばよいだろう。数分で便宜上の東郭に到達出来る筈である。
城跡概念図
城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないとは思うが、規模の大きい東郭は、全体踏破も出来ないほど低草木に覆われており、更に近世においてどこまで農地として地形改変があったものかは想像も付き難く、郭形状や規模、あるいは僅かに窺われる土塁痕は推察を交えたものと思って頂きたい。現状を覗いた限りでは、ほぼ四郭構成の城郭で、西奥が主郭と察せられるが、痩せ尾根自然地形を切り込んで構築されたと見えて、主郭、副郭共に背後に施された土塁は上り土塁の様な形状をしており、その北背後は全て谷状地形まで鋭角に削り落とされた、見事な切岸壁となっている。他では同じ丘陵を共有した西側最奥に位置する、寺坂城間を遮る形の土橋付大堀切も挙げられるが、縦堀が麓近くまで連続する様は木々の少なさも幸いしてか、その全体像が窺えるものであり、これも見応え抜群の城郭遺構と言って良いものだろう。実際には寺坂城における縄張りも共有していると考えられるので、外見は二重堀切(画像に注目)と言う事になるが、、、
現状(六月)城跡は、藪化は相当進行中にあるが、郭内部はともかくとして、痩せ尾根土塁上を移動すれば郭移動に難渋することも無く、先に挙げた遺構は全て判別確認も容易く、それなりに見学し易い状態が自然維持されている。ただ同時に地表風化も進行しているので、曖昧な地形と化した土塁最高所における櫓台などは、推察を含んだものと思って頂きたい。城跡を個人的に評価するのであれば、先に触れた切岸の醍醐味、更に堀切の醍醐味まで含めれば、自ずと「お薦め出来る城跡の一つ!」という事にはなるだろう。この後リポート掲載予定の寺坂城も併せれば是非お薦め!