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2014年8月

2014年8月31日 (日)

佇まいはこれぞ山城! 和江城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市和江にあって、和江集落の真北側に聳える、低山ではあるが険峻極まりない標高約140mの山頂に位置しており、その南麓には佛心寺が建立されている。城史に関しての詳細は不明 

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた和江宮ノ谷城を起点とすれば所在位置も分かり易い事から、細かい訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、和江神社の真北側にある佛心寺を目印として向かう事になる。寺院背後にある集合墓地が直登スタート地点となるが、左手側の植林地に向いて上った方が蔓延る木々も少なく、かつての山道(僅かに空堀状)に合流出来る事から上り易いとは思われる。ただ下山時に利用した西側の民家脇に下りるルートを、逆から登る方が最短ルートとは言えるが、、、ちなみに激斜面との格闘にはなるが、藪漕ぎなしで20分内で本郭群までは辿り着ける筈である。

1route登城ルート

3_2城跡概念図




城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、主要二郭と帯郭で形成された南北に渡る本郭群の総全長は100mに達するものであり、山上南端部における削平地(三角点がある)まで物見として取り込めば、規模だけ捉えれば砦の域は充分はみ出た山城と言えようか、本郭群南端には見所遺構の一つとも言える分厚い土塁を間に挟んだ二重堀切、更にそれに付随する明瞭な土橋、北端には横堀に縦堀を絡めた縄張り妙味のある三連の空堀(縦堀)と、これらは間違いなく見学者を魅了してくれる筈である。もちろん切り立つ切岸の醍醐味にも、充分触れる事が出来るが、、、

14_2jyuu_horikiri_2二重堀切見所

17土橋見所

18_dobasi_2jyuuhori土橋付二重堀切見所

30_kita_shukaku北郭

32_kita_haigo北郭背後

31_obi


帯郭

36横堀及び二連の縦堀見所

38横堀と縦堀見所





現状(五月訪問)城跡は、意外にも蔓延る木々は少なく、縄張りは山頂のみに限られる(枝尾根がない)事もあって、山城としては移動にも難渋せず、非常に見て回り易い状況にあると思って頂いても良いだろう。城跡を個人的に評価するのであれば、シンプル過ぎる縄張りの為に、縄張り変化に富んだ城跡とは言えないが、険峻極まりない地の最高所に位置する城郭の佇まいの素晴らしさ(個人的趣向が入る)、あるいは南北両端に施された状態の良い堀の醍醐味、更に本郭群における切岸がいきなり麓まで落ち込む様は「正にこれぞ山城!」と呼ぶに相応しいものであり、間違いなくお薦め出来る城跡の一つ、と自分の眼には映ったのである。

2014年8月27日 (水)

和江宮ノ谷城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市和江にあって、和江神社の南西側の低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、由良川を挟んで南東側に対峙している一色氏一族の居城、中山城から見た築城環境、あるいはその規模を考慮すれば、推察の域は出ないがその出城という事になるのでは、、、

城跡を訪れるには、国道178号線に進入する事が先決となるが、既にリポート掲載を終えた中山城を起点とすれば、その所在位置も分かり易いとは思われる。目印となるのは先に触れた国道沿いにある「和江神社」で、ここの駐車場に車を預けた後は、ルート図に示した赤ラインを辿って頂ければ、10分内で便宜上の東出郭に辿り着けるが、一番手っ取り早く本郭群まで辿り着けるのは、国道から林道に進入して西側から痩せ尾根上を移動して直接目指す方法である。ただし林道の道路状況は現状把握していないので、どうぞ悪しからず(車止めされている林道も多々ある)。

1x_2登城ルート及び城跡概念図

5参考進入経路





城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、城郭は山上本郭群と東尾根上の郭群の二群で成立したものと見受けられた。そのどちらにも郭背後に堀切は施されているが、東出郭の方は判別確認もし難い浅い横堀であり、見応えからは程遠いものといったところか、、本郭群背後の堀切は明瞭なもので、現状風化に任せて浅いが、判別し易い空堀と思って頂いても良いかも知れない。

7_demaru東出郭の現状

8_demaru_horikiri東出郭背後の堀切

12_shukaku_2主郭

11_shukaku_heki主郭切岸

15_horikiri_2背後の堀切見所




現状(五月訪問)城跡は、砦規模の本郭群(全長25m前後)だけに限れば、それなりに動き回り易く見学し易い状況にあると言えるが、東出郭群の郭内部は相当木々も蔓延っており、見通しは利き難く、更に移動にも難渋し、その全体像を窺う事は困難極まりない状況にあると思って頂いても良いだろう。城跡を個人的に評価するのであれば、規模も小さく状態の醜い東出郭を敢えて遺構見学の対象としてお薦めはしないが、西側からの林道が利用出来るのであれば、圧倒的お手軽感を加味した上で、後でリポート掲載予定の和江城(中山城とは支城の関係か?)あるいは中山城と併せた同日訪問は充分お薦め出来るだろう。

2014年8月23日 (土)

丸田宮ノ谷城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市丸田にあって、既にリポート掲載を終えた丸田東城から見れば北西に聳える低山山頂に位置しており、その南麓には麻良多神社が鎮座している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先に触れた丸田東城を起点とすれば分かり易い位置にあるので、細かい訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、登城口となるのは国道178号線沿いにある「八雲保育園」背後(画像に注目)からで、丘陵南端にある小さな社殿まで繋がる参拝道を利用して向かう事になる。そこからは尾根に沿ってそのまま北上すれば、20分程度で山上主郭までは辿り着ける筈である。

1route_3登城ルート

6登城口

3_2城跡概念図





城跡の形態は、概念図に描いたものにほぼ近いと思って頂ければ良いが、主郭は痩せ尾根地形を削平しただけに終わったものであり、全長は50m前後あるが、幅は最大で10m程度のものである。まさに砦規模の山城と言っても差し支えなさそうに思われるが、主郭西側の郭境の曖昧な段郭群には、唯一浅い堀切が施されている。これは片側が縦堀に繋がっており、更に土橋が備わる事から、充分見所遺構として成立するものと見た、ただ他で見応えのある遺構に巡り合える事が出来なかったのが残念な処ではあるが、、、

20_nantan_one_1尾根南端にある祠

7_toutan_kaku山上東端郭

14_dankaku段郭群

17_dobasi土橋付堀切見所

18_tatebori縦堀見所





現状(五月訪問)城跡は、比較的蔓延る木々は少なく、遺構見学とすればそれなりに見学し易い状態にあると思って頂いても良いが、郭境となる切立つ切岸の醍醐味、あるいは鋭角に刻まれた空堀の醍醐味には、全く触れる事は出来ないと思って頂きたい、ただ切岸跡は主郭側壁で僅かながら窺えるが、、、城跡を個人的に評価するのであれば、この由良川沿い一帯に数多く築かれた山城の城跡巡りの一環として訪れるのであれば、充分期待に沿える城跡と言った事になろうが、単独訪問となると興味を持たれた方だけが対象となる城跡と言った事になろうか、、、

2014年8月19日 (火)

見取城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市志高にあって、既にリポート掲載を終えた志高館城から見て、北側に対峙した丘陵上にあり、その南麓には現在若宮神社が祭られている。城史に関しての詳細は不明であるが、築城環境を考慮すれば、三上氏の居城志高城本城と想定した場合、その出城と見るのが妥当なところか、、

城跡を訪れるには、志高館城を起点とすれば一目瞭然の位置にあるので、細かい訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、登城口はルート図に示した赤い鳥居で、若宮神社背後を丘陵上に向いて上り切れば、直ぐにでも南端出郭に施された縦堀を伴う堀切が迎えてくれる筈である。もちろん祠背後の縦堀が落ち込む先から逆に上っても良いが。

1route_2登城ルート

5進入経路

3m_2城跡概念図





城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、主郭は南枝尾根先端に位置する出郭より更に北に向いて上った先にあり、そこを頂点として四方枝尾根上に郭が展開されるものと見受けられた、、、ただ全ての枝尾根上を踏破した訳ではないので、残存遺構も縄張りも概念図に示した限りではないものと思って頂きたい。規模(主郭は物見程度)やその形態から察する限り、志高砦の様に、多くの空堀が備わる技巧に富んだ山城の様にはとても思えなかったが、、、

10_nantan_tatebori_2南端縦堀見所

12_horikiri_dobasi_1南端土橋付堀切見所

18尾根上の郭

19山上主郭

24_kitakaku_2北郭





現状(五月訪問)城跡は、年間数人程度のマニアックな山城ファンが訪れる以外、訪れるものは無きに等しい山城(推察)とみたが、比較的動き回り易く、見学し易い状態が自然維持されている。よって概念図に示したまでの遺構は、それなりに判別可能な状態にあると思って頂いても良いが、これといったインパクトのある遺構(高い切岸や薬研堀)にお目にかかる事は叶わず、最初に触れた縦堀を伴う堀切(土橋付)が唯一の見所遺構と呼べるものであり、安普請で築かれた砦規模の山城に、そう多くの期待は望めないだろう。城跡を個人的に評価するのであれば、「志高城砦群の本質を究めたい方だけにお薦め出来る城跡」と言った事になろうか、、、

2014年8月15日 (金)

岡田由里城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市岡田由里にあって、既にリポート掲載を終えた荒張城からみて、小さな集落を跨いで北西側に対峙した低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、荒張城を起点とすれば所在位置も分かり易いので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、国道175号線「岡田由里」の信号からはルート図を参考にして頂きたい。現在主郭転用地には稲荷神社が祭られている事もあって、集落の西側からは参拝登山道を利用すれば迷わず上れる状況にあるが、概念図にその登山口(墓地背後)は示したので、是非それを参考にして頂きたい。

1route登城ルート

3城跡概念図


城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、主郭から便宜上の三ノ郭までの郭総全長は軽く80mに達するものであり、山上における郭占有面積は比較的大きく、砦の域は充分はみ出た山城と言っても良いかも知れない。ただ三ノ郭の半分以上、あるいはその下段四ノ郭は一部藪化が深刻化した状態にある為、探索踏破は出来ずに終わっており、郭形状や残存遺構に関しては、概念図に示したままには決して終わらないものと思って頂きたい。その中にあって見所遺構と呼べるものは、主郭北端の尾根を断つ堀切、西側斜面に施された受け土塁を伴う堀切といった事になろうが、何れも縦堀を伴うものであり、見応えは充分感じられよう。切岸は主郭背後、あるいは二ノ郭東壁で高低差のある見事なもの(画像に注目)を拝める筈である。尚、主郭に建つ社殿背後には土塁の痕跡が残るが、造成整地後の残土とも受け取れる為、これは見学者の判断に委ねたい。

8_kaku2_touheki_2二ノ郭東切岸見所

12_shukaku_yori_kaku2主郭より二ノ郭

16_shukaku_2主郭

15_shukaku_3土塁痕か?

18_kita_horikiri_2北端堀切見所

23_minami_horikiri_dorui_2


南西堀切(縦堀)見所




現状(五月訪問)城跡は、先に触れた様に主郭及び二ノ郭までは見通しも利き、それなりに動き回り易い状態にあるが、その下段にある三ノ郭も含めて、東側に展開される郭は身動きも取れないほどの低草木に覆われており、その形状さえ掴めない非常に醜い状態の下にある。それほど多くの郭が重なり合っているとは思えなかったが、、、西側斜面は植林地にある為、縦堀の全体像が拝める素晴らしい状態にあるので、取り合えず一安心と言ったところか、、、城跡を個人的に評価するのであれば、山城としての縄張り妙味には少し欠け(個人的主観)、更に状態も良いとは決して言えないが、確かな登山道で迷わず山上まで上れる事、状態の良い縦堀を伴う堀切が拝める事、高低差を伴う切岸の醍醐味には充分触れられる事、以上の材料が揃えば、自ずとお薦め出来る山城の一つ、と言う事にはなるだろう。

2014年8月11日 (月)

川原砦跡(兵庫県三田市)

城跡は兵庫県三田市川原にあって、「高平ふるさと交流センター」の東側に聳える、標高約330mの低山山頂に位置しており、その南麓には「観福寺」が建立されている。城史に関しての詳細は不明であるが、山頂案内説明板には観福寺が十倉城主森本氏と縁のある寺院という事で、その勢力が築いた山城と推察されている。

城跡を訪れるには県道37号線に進入して「観福寺」あるいは「高原ふるさと交流センター」を目印として目指せば良いが、ルート図中には交流センターに車を預けた後の登城経路を示した。スタート地点には道標も掲げられており、歩き易い遊歩道で迷わず山頂までは辿り着ける筈である。ちなみに15分程度の所要時間 

1route登城ルート

2_1交流センター案内板

3k_2城跡概念図

 

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、山上郭群の総全長は60m前後の、正しく砦規模の山城である。ただ中腹に位置する便宜上の西出郭も含めれば、それなりの山城という事にはなるが、、、現状当時の遺構として判別可能なものは、郭跡を除けば主郭北東尾根側に設けられた土塁(痕跡程度)及びその切岸、更に北東に下った削平地端に見止められた、堀切の痕跡(縦堀痕がある)程度と思って頂いても良いかも知れない。主郭には現在展望デッキが設けられており、僅かに中央がマウンド地形となっているが、どの程度地形改変があったものかは想像もし難く、郭側壁(斜面側)には切岸跡も見受けられなかったので、その祖形に関しては議論にも及ばないだろう。推察西出郭は山上郭群より規模では勝るが、金比羅祠が祭られている事による造成整地跡が窺え、当時の縄張りや規模は見学者の想像に全て委ねられるだろう、、、

10_konpira_2推察西出郭(金比羅祠)

17_shukaku_top_214_shukuruwa 主郭

15山頂案内説明板

21hasi_dorui_kon主郭端土塁痕

22_dorui_heki切岸

 

25_heki_2北東削平地

28縦堀痕

現状(四月訪問)城跡は、山城としては非常に見学し易いコンディションの下にあるが、遺構見学を目的とすれば味気なさは否めないものであり、これを機に訪れる用意のある山城ファンの方には、自然と触れ合いながら山登りを楽しむ事を前提として、是非割り切って臨んで頂きたいと思うのである。ただ山頂から集落を望む展望(酒井砦や北砦などが望める)だけは、当時に思いを馳せるには持って来いといった値打ちのあるものであり、楚々とした山城の風情も味わえる事から、それなりに期待して臨んで頂いても良いのではないだろうか、、、史跡ファンの方や、手軽な山登りを好まれる方には是非お薦め!

2014年8月 7日 (木)

縄張り変化に富んだ大型の山城 松尾寺城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市下宮にあって、標高130m地点に位置する山上本郭群を頂点として、南東側に枝尾根を延ばした尾根上も含み、その尾根に挟まれた谷状地形に規模の大きい郭を配した、非常に郭占有面積の大きい大型の山城である。城史に関しての詳細は不明であるが、規模やその様相から察すれば、城郭寺院と位置付け出来るのかも知れない、、

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた鎌田城を起点とすれば、その所在位置が分かり易い事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、「ナフコ」のある国道178号線からはルート図中に示した赤ラインを辿って頂きたい。登城入山口は鉄塔の聳える南側(画像に注目)で、鉄塔まではメンテナンス山道を利用して上り、そこから尾根に沿って北上を続ける事になるが、30分程度で迷わず山上本郭群へは辿り着ける筈である。ただし尾根上移動距離が長い事から、下山時迷わない為にも要所にマーキングは絶対必要!ただ大型虎口(推察)の設けられた東麓から、直接方形郭を目指して上る事も可能とは思えたが、、、

1_route登城ルート

3_2城跡概念図

 

城跡の形態は、自身が今回踏破した範囲と、眼に留まった遺構を記した概念図を参考にして頂きたいが、起伏に富んだ山容や、山上から中腹、更に東麓にかけての縄張りが、広域に渡り過ぎ(推察)という事もあって、その全ての尾根上を踏破する事は叶わなかった。よって山上本郭群あるいは居館跡とも呼べそうな方形郭以外の郭群に関しての形状や規模、あるいはその形態に関しては少し想像を膨らませて頂きたい。見所遺構は概念図中に記したつもりだが、本郭群背後に刻まれた二連の堀切や、中腹郭群(僧坊跡かも?)中にある方形郭における見応えのある高土塁、及びその背後に施された空堀(横堀)といった事になるだろう。当然尾根上における郭跡も含めて鋭角に削り落とされた切岸も挙げられるが、とにかく状態の良い方形郭周りの遺構は決して見逃してはならない!そこから更に東麓に向いて下りれば、大型の土塁で形成された虎口跡(推察)も窺えるので、時間に余裕のある方は、是非この辺までは足を延ばして頂きたい。

20_kaku_dorui_1中腹尾根郭奥の土塁見所

22_karabori中腹尾根空堀

24_kirigisi中腹尾根郭切岸見所

31_shukaku_heki山上主郭の切岸見所

32_horikiri_2北堀切見所

50_6方形郭の奥、高土塁 見所

50_1高土塁背後の空堀見所

50_13空堀背後

50東麓の推定虎口跡 見所

 

現状(四月訪問)城跡は、直登道中も含めて蔓延る木々は比較的少なく、山城としては文句の付けようのない、見学し易い状態が自然維持されている。ただし山上本郭群に関しては、築城時期が少し遡るのかもしれないが、中腹郭群と比べれば遥かに地表風化は激しく、多くの木々が蔓延り、郭跡も含めて段郭境や僅かに窺われる土塁虎口跡などは、非常に曖昧なものと思って頂きたい。縄張り内全てを踏破した訳ではないので、今回は城跡を個人的に評価するには少し抵抗があるが、上記に挙げた全ての見学材料、あるいは変化に富んだユニークな縄張りプラン、郭跡に佇んだ際の圧倒的臨場感、それに見学し易い状態の良さまで含めれば、自ずと「是非お薦めしたい山城の一つ!」という事にはなるだろう。

2014年8月 3日 (日)

二連の堀切が存在感を醸す 上槻瀬砦跡(兵庫県三田市)

城跡は兵庫県三田市上槻瀬にあって、集落西側に聳えるほぼ独立した山塊の山頂に位置しており、その中腹には妙見社がある。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには先にリポート掲載を終えた酒井砦と同様に37号線に進入する事が先決となるが、ルート図に記した「上槻瀬バス停」を目印として向かえばよいだろう。そこからはルート図中の赤ラインを辿って頂ければ良いが、山麓には「妙見山から砦跡」といった案内道標も備わっているので、妙見山を経由して上れば、迷わず主郭までは辿り着けるだろう。ちなみに所要時間は15分程度

1route_3登城ルート

登城4進入経路

3_2_2城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないと思うが、山上本郭群の規模は小さく、痩せ尾根上に郭を並べただけ砦跡の名に相応しい山城である。ただ比較的規模の大きい妙見山敷地を妙見郭(推察)として見立てれば、それなりの山城とは言えるが、、、見所遺構として挙げられるのは、本郭群の両端に施された堀切という事になろうが、主郭背後に施された二連の堀切は縦堀を伴うものであり、充分見応えも感じられよう。前面の堀切は縦堀の痕跡程度と思って頂ければ良いかも、、、切岸跡は堀切壁で見応えのあるものを拝む事が出来るが、郭区画は段差程度である事からして、その見応えには期待しない方が良いだろう。

8妙見山

15_4_1案内板のある山上郭4

184郭4背後の空堀地形?

20_2中郭

22主郭の現状

28_1西堀切1見所

30_4西端堀切2見所

 

現状(四月訪問)城跡は、妙見山から砦跡までは道標の設置されたトレッキングルートとなっており、山上本郭群の一部に縄張りを描いた案内板が設けられていた様に、山城ファンを問わず史跡ファンの方にとっても非常に訪れ易い状況にある。自ずと縄張りも掴み易いが、斜面上も含めて地表風化は激しく、縄張り内全てが良いコンディションの下にあるとは言えないので、過度な期待は禁物!城跡を個人的に評価するのであれば、天然露岩を郭壁として縄張りに取り込んだ様は正しく山城のそれであり、規模は小さいが縄張りを形成する定番とも言える堀切が拝める事、更に散策気分で迷わず上れる事も含めれば、充分お薦め出来る山城といった事にはなろうか。楚々とした佇まいが素晴らしい!

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