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2014年7月

2014年7月30日 (水)

楚々とした佇まいが値打ち!酒井北砦跡(兵庫県三田市)

城跡は兵庫県三田市酒井にあって、先にリポート掲載を終えた酒井砦から見れば、集落を挟んだ北側にあり、集落に向いて突き出した丘陵尾根先端に位置している。そしてその直ぐ西麓には友松寺が建立されている。城史に関しての詳細は不明であるが、酒井砦同様に十倉城を居城とした、森本氏配下にあった砦ネットワークの一つと見るのが妥当なところかも知れない、、

城跡を訪れるには、先に触れた酒井砦を起点とすれば一目瞭然の位置にあるが、友松寺を目印として目指せばよい。最短直登ルート取り付き口は概念図と画像を参考にして頂きたいが、駐車場入り口の向かい側(丸木橋を渡っても可)で、水の枯れた小さな沢を跨げば、目指す尾根上は直ぐ覗ける位置にあり、そのまま堀切の施された尾根上(右手)を目指せば、5分内で堀切までは辿り着ける筈である。主郭に祠が祭られてある事から、寺院とは別に参拝山道があった様には窺われたが、、、

1route_2登城ルート


6最短ルート進入口

3_2城跡概念図

 

城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、砦の名に相応しい小規模な山城で、主郭両端に付郭を付随させた程度の、堀切の備わる定番の縄張りと思って頂いても良いだろう。ただし、堀切より以北の広い山上削平地とその北端に位置する片堀切地形(西側から山道が繋がる縦堀の痕跡あり)までを縄張りとすれば、それなりの規模を持った山城と言えるが、、、見所遺構と呼べるものは概念図に示したつもりだが、主郭で眼にすることの出来る土塁(一部消失か?)、更にその背後に施された両端が縦堀に繋がる堀切、主郭周囲を削り落とした切岸、といった事になるだろう。

9_horikiri_1堀切 見所

10_tatebori縦堀見所

13_shuaku主郭の現状

16_minami_shukakuheki南郭と主郭切岸

20_shukaku_nisiheki_2主郭西切岸

22_hokutan_katahori_2北端片堀切?見所

現状(四月訪問)城跡は、主郭転用地に祠が祭られている事もあって、造成整地された跡は充分窺えるが、その祖形に関しては当時のままが自然維持されているものと自分の眼には映った。よって堀切も含めた遺構残存度は非常に高いものであり、山城とすればそれなりに見学し易いコンディションにある事、駐車場からは数分の距離にある圧倒的お手軽感、更にその佇まいの素晴らしさ(個人的な趣向が入る)も含めれば、充分お薦め出来る山城の一つ、と言えるのではないだろうか。

2014年7月26日 (土)

酒井砦跡(兵庫県三田市)

城跡は兵庫県三田市酒井にあって、国指定文化財となっている高売布(タカメフ)神社から見れば、北西側のほぼ独立した低山山頂に位置している。城史に関しての詳細はは不明であるが、森本氏が居城とした十倉城がほど近い距離にある事を思えば、その南側を牽制した砦跡と解釈するのが妥当なところかも、、、

城跡を訪れるには37号線に進入する事が先決となるが、先に触れた高売布神社を目印として目指せば、今回車を預ける事になる駐車場までは迷わず辿り着けるだろう。そこからはルート図に示した赤ラインを辿って頂けばよいが、集合墓地まで到着すれば、その背後から前の開けた植林地を山頂目指して上ればよい。ちなみに墓地からの所要時間は10分内

1route登城ルート


3s城跡概念図

 

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないと思うが、主郭に帯郭が付随した小規模極まりないものであり、郭総全長は30mにも満たない、正しく砦跡と呼ぶに相応しいものである。自ずと眼に留まる遺構も限られており、郭跡を除けばその側壁となる切岸、主郭背後斜面を断つ堀切だけに限られてくるのが現状である。堀切には現状土橋も備わるが、これは山林作業用に近世施されたものと見るのが妥当なところかも知れない、、、

13_kaku東帯郭

14_shukaku_heki主郭切岸

16_shukaku_2主郭

20_horikiri_dobasi堀切

現状(四月訪問)城跡は、無名に近い砦跡としては非常に見学し易い状況にあるが、遺構見学とするには材料も乏しく、見応えにも期待し難い事から、今回のリポートに興味を持たれた播磨を拠点として城跡巡りをされている、山城ファンの方だけを対象として、規模や縄張り妙味は絶対問わない事を前提にお薦めしたい。この後リポート掲載予定の酒井北砦、あるいは上槻瀬砦などと併せた同日訪問は充分お薦め出来るが、、、

2014年7月22日 (火)

奥野東城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市奥野にあって、先にリポート掲載を終えた堀ノ内館の直ぐ東側に突き出した低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、機能及び規模から察すれば、堀ノ内館の詰め城と考えるのが妥当なところか、、、

城跡を訪れるには、堀ノ内館東端の溜め池前にある獣避けフェンスを開閉して、直ぐフェンス右手側(溜池左手側は堀ノ内館の土塁、空堀へ)の丘陵端に取り付いて上ればよい。そのまま丘陵上を目指せば、藪漕ぎなしで数分で主郭までは辿り着けよう。

1route2登城ルート

3ho城跡概念図

城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、北端堀切までの郭総全長は40mにも満たない砦規模の山城である。堀切は主郭及び北端尾根を遮る形で二本確認、切岸は主郭及び帯郭の境で充分確認出来るが、地表風化は激しく郭境となる切岸ラインまでは読み取る事が出来ないのが現状と思って頂ければ良いだろう。更に主郭跡も自然地形に近い凸凹状態となっており、僅かな地形の変化から郭区画を判断するのは非常に困難な状況でもある。見所遺構は二本の明瞭な堀切、及びその切岸だけと言っても決して過言とは思えないが、砦規模の山城にそう多くは望めないだろう。

8_sentan_kaku_2西端郭

12_shukaku_heki主郭

16_horikiri_2堀切1見所

20_hokutan_horikiri_4北端堀切 見所

堀ノ内館の直ぐ北背後の尾根先端部に築かれた山城(奥野西城)は、空堀を越えてそのまま丘陵上を目指せば直ぐにでも到達出来るが、ほぼ物見程度の砦跡と思って頂いても差し支えないだろう。自然地形に近い痩せ尾根上(20m前後)を山上主郭とし、その前面(縦堀)と背後に堀切を施したものであるが、見応えには少し欠けるかも、、

Photo西城縦堀見所

Photo_2西城山上郭

Photo_3西城堀切見所

現状(四月訪問)二城共に、山城としては郭移動も容易く、それなりに見学し易い状況にある。二城共に規模は小さく、見応えのある遺構は望めそうにないが、堀ノ内館の本質を究めたい山城ファンの方にとっては、三城同日訪問は充分お薦め出来るだろう。

2014年7月18日 (金)

空堀は一見の価値あり!堀ノ内館(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市奥野にあって、名が語る様に館城らしくほぼ平城に近いものである。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた市場城、あるいは三宅城訪問ルートと同様に、703号線に進入する事が先決となるが、奥野集落に入ればルート図における赤ラインを辿って頂きたい。目印となるのは無線施設のある高い鉄塔で、概念図に示した付近の畦道を利用して向かえば、直ぐにでも広大な規模を誇る居館跡地(推定地)らしき休耕地へは辿り着けよう。ただこの地が数百年に至る現在まで、農作地としてどこまで地形改変があったものか想像も付き難いが、自身の眼にはほぼ当時の祖形は失われず、現在までほぼ維持されているものと映ったのである。

1route2登城ルート

3城跡概念図

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、推定居館跡とした休耕地北側には、側溝を挟んで一段高い位置に幅50m前後の郭跡が未だ残っている。これはほぼ当時のままとも思えたが、その背後には土塁、更にその背後には比較的状態の良い空堀(本来は水堀かも)が、東側の溜池まで未だ僅かな水を湛えながら残っている。この空堀には唯一山上郭(奥野西城)に向かう為(推察)の土橋が架かるが、土塁開口部も含めて当時のものかどうかの正否の判定は非常に困難、、、尚、推定居館跡地の南端中央には張り出し部分があるが、集落を監視する為の見張り台程度のものがあったのではないだろうか、、、謎。

7_19推定居館跡地

13_shukaku_2北郭

17_dorui_karabori_1土塁及び空堀見所

18_karabori_1_2空堀見所

20_dobasi_3土塁開口部と土橋見所

25_kita_yori_karabori_2北側より空堀

現状(四月訪問)城跡は、遺構見学としても史跡見学としても、それなりに見学し易い状況にあると思って頂いても良いが、土塁及び空堀見学の為には、東溜池側にある獣避けフェンスを開閉(画像に注目)して、フェンス北背後に回り込む必要がある、念の為に、、、城跡を個人的に評価するのであれば、圧倒的お手軽感を加味せずとも、他では中々お目にかかれない状態の良い見応えのある空堀が拝める事を理由に、充分訪れる値打ちのある城跡と言った事になろうか、とにかく空堀は一見の価値ありと見た、素晴らしい!尚、山上郭(西城)の現況に関しては、次の奥野東城に同時掲載予定

2014年7月14日 (月)

城域の広い城郭寺院 千眼寺城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市加陽にあって、標高103m地点にある推察砦跡を頂点として、南尾根上一帯を城域とした城郭寺院と呼べるもので、現地案内縄張り図に記されている様に、城域は南北300m、東西300mにも及ぶものであり、尾根上を本郭群として東西麓まで郭が重なり合う様は、まるで要塞を感じさせるものでもある。

城跡を訪れるには、数年前既にリポート掲載を終えた加陽城を起点とすれば、その所在位置も分かり易い事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、スタート地点とする中山神社からは、散策コースが千眼寺城跡まで繋がっているので迷わず辿り着けよう。ここではルート図中に、造成された空き地奥にある入山フェンス(画像に注目)をスタート地点とした、最短直登ルートを示したが、古墳が多く点在する蔓延る木々の少ない傾斜面を10分程度上れば、北端最高所に位置する砦跡までは、迷わず辿り着ける筈である。

1_route_2登城ルート

Se2北山上郭概念図

11_nisi_karabori_3西空堀跡と主郭切岸見所

14_minami_heki_karabori南空堀跡と主郭切岸

12kita_horikiri北堀切見所

20_shukaku_maundo主郭内マウンド地形

城跡の形態は、現地縄張り図に描かれていなかった部分を、千眼寺城北山上郭跡として概念図に示したので参考にして頂きたいが、ここでは古墳を縄張りに取り込んで築かれた、古い形態の山城遺構を眼にする事が出来る筈である。ちなみに私見に基くものになるが、僅かに窺われる土塁の付随した空堀跡(横堀)、古墳を土塁郭として利用した土塁間における堀切跡、主郭周囲を鋭角に削り落とした切岸などがそれに当たる。この地から南に向いて少し足を延ばせば、直ぐに縄張り図の描かれた案内板のある千眼寺城跡本郭群に辿り着けるが、その尾根上では広大な規模を誇る郭群、及びそれに付随する大型の土塁、尾根中央を遮断する見応え抜群の大堀切などを眼にする事が出来よう。個人的には遠距離訪問となる為滞在時間も限られており、城域全てを踏破探索した訳ではないので、他の残存遺構に関しては評価することが出来ないのだが、縄張り図を見る限り、時間を割いてでも踏破探索する値打ちのある城跡と感じられた事だけは付け加えておきたい。

3_3現地縄張り図

30_2本郭群、土塁見所

32_2尾根上の郭群

34_3中央大堀切見所

33周囲を囲む土塁見所

現状(四月訪問)城跡はそれなりに整備が行き届いており、散策ルートで郭移動も容易く、蔓延る木々も意外に少なく、更に郭内の見通しも利き、遺構見学としては非常に楽しめる状況の下にあると思って頂いても良いだろう。ただし自身が踏破した北山上郭より尾根上本郭群のみに限られるが、、、城跡を個人的に評価するのであれば、豪快な城郭寺院の縄張りに触れる事が出来、更に高低差を誇る切岸の醍醐味に触れる事が出来、見応えのある空堀、土塁遺構が拝める事、トレッキング気分で迷わず城跡まで辿り着ける事、これだけの見学材料が揃えば、自ずと是非お薦め出来る城跡の一つ!といった事にはなるだろう。山城ファンの方に限らず、史跡ファンの方までも含めて是非お薦め!

2014年7月10日 (木)

胡麻中村城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市日吉町胡麻にあって、標高約250mの山上に位置しているが、既にリポート掲載を終えた東胡麻城から見れば、農作地や集落を挟んで真北側にある。城史に関しての詳細は不明であるが、宇野氏の築いた東胡麻城及びその居館跡ともいえる野化館の築城環境を思えば、その機能は集落を北から監視すべく見張り城(砦規模)と考えれば良いのかも知れない、、、

城跡を訪れるには、先に触れた野化館と同様の訪問ルートとなる為、細かい説明は割愛させて頂くが、50号線から城跡までの進入経路はルート図を参考にして頂きたい。登城口は少し分かり辛いので画像を載せたが、獣避けフェンスを潜ればかつての踏み跡程度の山道(空堀道の様相)より一直線に山上を目指す事が肝心となる。少しでもそれると山上まではなだらか斜面となるので、山腹を徘徊する事になる!ちなみに所要時間は藪漕ぎなしで10分内

3a登城ルート及び概念図

6_2登城進入経路

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、全長30m程度の単郭で成立した、砦規模の山城と思って頂ければ良いだろう。自ずと眼に留まる残存遺構の数も知れているが、郭側壁を形成する切岸跡、西尾根に向いた僅かに窺われる受け土塁跡、これも僅かではあるが空堀(横堀)の痕跡、といったところが判別し易い遺構群という事になろうか、、、ただ見応えには随分欠けるので、これを機に臨まれる方には、遺構に過大な期待は絶対にしない事が肝心と思えた。

10主郭の現状

13_1土塁の痕跡

20_2空堀の痕跡

15西尾根側切岸

17_2北側切岸

現状(四月)城跡は登城道中もさることながら、藪漕ぎまでには至っていないが、枯れ木の隙間を縫いながらの移動は余儀なくされる状況にある。城跡を個人的に評価するのであれば、京丹波地区を拠点として山城巡りを楽しんでおられる方には、それなりに値打ちのある山城と言えるかも知れないが、遠距離訪問でわざわざ出向いてまで訪れる山城と言えるかどうかは、、、?と言った事になろうか。

2014年7月 6日 (日)

馬路城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市栄町にあって、標高約110mの低山山頂に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、この一帯を所領とした山名氏の家臣、田結氏に関連した支城跡と見るのが妥当なところか、、ちなみにこの田結氏は鶴城を居城とした山名四天王の中の一人

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた鎌田城や奥笹谷城を起点とすればその位置も分かり易い事から、細かい訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、160号線沿いにある栄町団地付近からはルート図の赤ラインを辿って頂きたい。生活道路の行き止まり地点にある、目印としたボート置き場(画像に注目)が直登スタート地点となるが、そこから前の開けた木々の少ない急斜面を上れば、10分内で主郭までは辿り着けよう。

1route登城ルート

3_1城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないと思うが、本郭群は主要三郭と段郭群で形成されたものであり、規模の大きい尾根上削平地まで含めた郭総全長は100mに達するものであり、砦の域は充分はみ出た山城と言っても差し支えないだろう。見所遺構は概念図には示したが、主郭における受け土塁や上り土塁、尾根を遮る形の豪快な堀切(箱堀)、鋭角に削られた切岸などは、充分見学者の眼は楽しませてくれるだろう。現状(四月訪問)本郭群内部は、直登道中と同様に蔓延る木々は比較的少なく、郭内の見通しは利き、訪れる人の少ない無名に近い山城とすれば、非常に遺構の判別し易い動き回り易い状況にあると思って頂いても良いだろう。

10_horikiri西堀切

15_nisikaku_sentan下界が望める主郭

20_shukaku_dorui_1主郭土塁見所

16_nisikaku_dorui西郭と上り土塁見所

30_higasi_kaku東郭

38_higasikaku_karabori箱堀と切岸見所

35_dorui_kaku東端土塁郭 見所

城跡を個人的に評価するのであれば、四季を通して見学し易いコンディションが自然維持されていると思われた事、それが故に縄張りが掴み易い事、切立つ切岸(遺構)の醍醐味に充分触れられる事、更にお手軽感まで加味すれば、自ずと是非お薦め出来る山城の一つ!と言う事にはなるだろう。個人的には効率の良い三城同日訪問とは行かなかったが、先に触れた鎌田城、奥笹谷城と併せた山城巡りは是非お薦め!

2014年7月 2日 (水)

殿田城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市日吉町殿田にあって、二方を川に挟まれた殿田集落の西側に聳える、標高約280mの険峻極まりない山頂に位置しており、その東麓にはこの地を所領とした梅若家の菩提寺でもある曹源寺が建立されている。尚、この梅若家は明智氏の家臣梅津氏が改姓したもので、ネット上でアクセスすれば明智が滅んだ後の事に関しては分かるとは思われる。尚、御住職から聞き及んだ話によれば、梅若氏の墓所及び屋敷跡は線路を隔てた東対岸に今でも残っており(林藪となっている)、かつては井戸跡まであったそうである。ちなみにこの山頂に位置する山城は光秀の築いた砦跡と伝わっているとの事、、、

城跡を訪れるには、県道19号線に進入する事が先決となるが、先に触れた曹源寺を目印として目指せば分かり易いだろう。殿田集落に入ればルート図を参考にして頂きたいが、車は図中に記した広い路肩に停めれば問題はないだろう。直登取り付き口は寺院背後の集合墓地としたが、ここから山頂までは激斜面ではあるが、前の開けた植林地となっているので目標は定め易く、休まず上れば20分程度で山頂までは辿り着ける筈である。ただ登山する覚悟は必要!

1route_6登城ルート

4a最短直登ルート

3_4城跡概念図

城跡の形態はほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないと思うが、段差程度の郭境で区画された本郭群の南北両端は、山城の定番とも言える堀切で遮られた形となっており、櫓台と呼ぶに相応しい小規模な土塁壇背後には土塁跡、更にその背後には縦堀を伴う空堀が施されている。低土塁は本郭群西側を覆う形で施されているが、蔓延る矢竹によって判別はし難いものと思って頂ければよいかも、、、、本郭群から山上尾根を更に南に移動すれば、城域南端における最後の堀切とも呼べる、明瞭な片堀切(縦堀)を眼にする事が出来るが、本来は尾根を遮断する形の堀切だったのかも知れない、、、私見になるが山林作業用に埋められた可能性あり。北端にも堀切が施され、更にクランク状になった溝程度の空堀も眼に留まったが、現状余りにも浅く、機能の想像はほぼ見学者の想像に委ねられるだろう。

9_higasi_kakuheki_1東郭群切岸

12_higasi_kaku東郭

15_hokutan_horikiri_2北端堀切見所

18_kitakaku_gun北郭群

24_horikiri_1中央堀切見所

25_tatebori

東側縦堀見所

28_nantan_horikiri_2南端片堀切見所

 

現状(四月訪問)城跡は、無名に近い山城としてみればそれなりに見学し易い状況にあると思って頂いても良いが、山上郭群自体が東側斜面にずれ動いた形(御住職の見解)となっており、それに加え地表風化も激しく、更に蔓延る矢竹で地表の露見していない箇所も多々あり、曖昧な本郭群の郭区画、あるいは形状に関しては推察を交えたものと思って頂きたい。城跡を個人的に評価するのであれば、自分を含めた激斜面登山に慣れた山城ファンの方には、楚々とした山城の風情が味わえる事、更に三本の空堀と土塁が拝める事を理由にすれば、充分お薦め出来る山城とは言えるが、状態や規模、あるいは縄張り妙味までは問わない事が大前提となろう、、、

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