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2014年6月

2014年6月28日 (土)

法貴館跡(京都府亀岡市)

城跡は京都府亀岡市曽我部町法貴にあって、数年前既にリポート掲載を終えた法貴山城から見れば、その裾野を広げた北東麓にある。城史に関しては波々伯部氏の居城を伝えるが、明智光秀による丹波攻略以前は酒井氏の居城とも伝わっているので、この地を統治していた城主の時代背景までは分からないのが現状と言えようか、、、

城跡を訪れるには、国道423号線に進入する事が先決となるが、「慈雲禅寺」を目印として目指せば良いだろう。車は寺院駐車場に預ける事になるが、そこからは概念図に示した直登ルートを辿って頂ければ、北端にある空堀端(現状溜め池)までは直ぐに辿り着ける筈である。

1route_5登城ルート

3z城跡概念図

城跡の形態は居館跡に相応しく、主郭と察せられる広大な規模の郭背後には土塁、更にその背後には大空堀が施されたものである。この空堀は西側から北側の溜池まで、土塁に沿って縦堀となって落ち込んでいるが、かつては南側にも施されていたのかも知れない(消失した可能性あり)、、、現状主郭は地表風化が激しく、土塁からの土砂流出のせいもあってか、なだらかな傾斜面と化しており、切岸跡は主郭東側に重なる規模の大きい郭跡で充分拝めるが、民間における近世の屋敷跡かも知れないので、これは見学者の想像に委ねられる部分となろう、、、

Photo東郭切岸

Photo_2主郭切岸見所

4主郭の現状

Photo_3土塁見所

15_2_2

 

大空堀見所

2北溜池

現状(二月訪問)城跡は植林地帯(主郭)と竹林地(東郭側)が共存した状況にあり、間伐されて放置された木々や、蔓延る低草木で郭内をくまなく歩き回る事は困難な状況にあり、更に地表風化も追い討ちをかけた状態となっている。アバウトに描いた概念図が探索踏破した範囲、あるいは眼に留まった遺構群と思って頂ければよいが、館跡の名が語る様に、これ以上の残存遺構は望めないのかも知れない、、、城跡を個人的に評価するのであれば、状態は悪いが見応えのある空堀と土塁が拝める事を理由にすれば、それに圧倒的お手軽感を加味した上で、何とか期待に応えてくれる城跡と言ったことになろうか、、

2014年6月24日 (火)

大空堀と巨大土塁は正に圧巻!亀田城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市日吉町田原にあって、北側を天然の水堀とした低丘陵上に位置しており、その佇まいは丘城とも呼べる、同じ南丹市内にある野化館と合い通じるものがあり、広大な規模を誇る主郭、及びその背後を固める大土塁や大空堀は、居館跡(推察)と呼ぶに相応しいものと自分の眼には映ったのである。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた片野城を起点とすれば分かり易い位置にあるので、城跡までの訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、車を預ける事になる橋の袂の運動場からはルート図の赤ラインを辿ればよい。画像に示した畦道が城跡へ向かう為の登城進入路となるが、獣避けネットを潜り、その正面に望める丘陵をそのまま目指して上れば、数分で垂直に切り立つ切岸が歓迎してくれる筈である。

1route_3登城ルート

5_1進入経路

3_2城跡概念図

城跡の形態は、自身が踏破した上で判別確認した遺構を記した、概念図を参考にして頂きたいが、先に触れた様に館城とも言えそうな佇まいで、主郭東背後には一部櫓台を兼ねたかの様な巨大土塁、更にその背後には巨大空堀(V字形の深い薬研堀)、更に便宜上の副郭を挟んだ形で縦堀を伴う堀切、その長く連続する堀切には堀底から立ち上がる土塁まで付随しており、その見応えも含めて正に圧巻!と呼ぶに相応しい遺構を拝む事が出来よう。土塁は主郭背後だけには終わっておらず、主郭南側に低土塁として残り、更に西南隅には受け土塁跡まで残っている。郭総全長は東西70m前後といったところではあるが、丘陵上における郭占有面積は非常に大きいものであり、ほぼフラットに近い広大な主郭跡に佇めば、当時に思いを馳せる事も容易く、抜群の臨場感を感じる事が出来るだろう、もちろん堀切や土塁なども全体像の窺える、非常に見学し易い良い状態にあるので、その見応えまでは語るまでもないが、、、とにかく遺構の見応えだけに関しては、賛辞の言葉も失うほどのもの!と思って頂いても良いかも知れない、、mmm 素晴らしい!

11_shukaku_doruiheki主郭切岸見所

17_shukaku_3主郭内

20_daidorui_1主郭大土塁見所

33_shukaku_minamiheki_2主郭南切岸

21_higasi_daihorikiri_3大堀切見所

21_daidorui_heki大土塁、大空堀見所

24_2ren_horikiri二連の空堀見所

32_nantou_karahori_dorui_1南東側土塁、空堀 見所

27_toutan_tatebori東端縦堀見所

 

現状(四月)城跡一帯は植林地となっているので、蔓延る雑木は比較的少なく、移動も容易く、更に見通しも利き、非常に見学し易いコンディションの下にあると思って頂いても良いが、恐らく四季を通して見学し易い状態は維持されているものと思われる。城跡を個人的に評価するのであれば、間違っても期待外れには終わらない、背中を押してでもお薦めしたい城跡の一つ!という事になるが、これを機会に臨まれる方には、先に触れた言葉を目安にして、是非期待して臨んで頂きたいと思うのである。

2014年6月20日 (金)

片野城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市日吉町田原にあって、「片野バス停」より橋を渡った直ぐ東側に望める、集落の西側に突き出した低丘陵上先端に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、数年前既にリポート掲載を終えた田原城を起点とすれば、その所在位置も分かり易いと思われるが、県道19号線に進入する事が先決となる。目印として先に触れた「片野バス停」を目指す事になるが、概念図には墓地を取り付き口(画像に注目)とした、城跡への最短直登ルートを示した。主郭に小さな祠が祭られている事から、麓からの参拝山道はあったようだが、その登山口は分かり辛いので、ここでは墓地背後の植林地帯を上り切れば、直ぐにでも辿り着ける直登ルートをお薦めしたい。

1route_4登城ルート

6tojyouguti直登取り付き口

3_3城跡概念図

城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、低丘陵上を東に向いて広大な削平地で占める西側片隅に本郭群は構えられたものである。その西端には更に付郭が付随しているが、全長30m前後ある主郭自体はほぼ方形郭に近いものである。少ない遺構の中にあって見所遺構として挙げられるのは、切岸を除けば付郭西斜面上に刻まれた明瞭な縦堀(現状三本確認可能)、主郭背後に施された土塁と深さの失われた横堀、といった所になるが、更に主郭南側側壁に土塁の痕跡が見止められた事だけはお知らせしておきたい。

10_shukaku_2主郭

12_tuke_yori_kirigisi_2付郭と主郭切岸

15_sita_yori_tatebori西斜面縦堀見所

20_dorui_1主郭土塁見所

23_horikiri_1横堀見所

27_koudai_sakuheiti広大な東削平地

 

現状(四月訪問)城跡は、主郭に祠が祭られているせいなのかも知れないが、多少人の出入りがあるとみえて、遺構の判別確認し易い状態が自然維持されている。もちろん見学に差し障りない程度の状態なのだが、、、個人的に城郭遺構に見応えまでを感じる事は出来なかったが、圧倒的お手軽感を加味して、この後リポート掲載を予定している、車で移動すれば直ぐの距離にある、遺構残存度が高く素晴らしい城郭遺構の拝める亀田城と併せた、二城同日訪問は是非お薦め出来るだろう。

2014年6月16日 (月)

井尻三城中、その三 井尻南支城跡(京都府船井郡)

城跡は京都府船井郡京丹波町井尻にあって、先にリポート掲載を終えた井尻南城から見て、農作地を跨いだ南側尾根先端部に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、南城と同様に規模で勝る北城を本城と想定した場合の、一城別郭から成る城跡の一つと解釈すればそれでよいのではないだろうか、、ここでは便宜上「南支城」としたが、城跡呼称に関しては何時も通り柔軟に対応して頂きたい。

城跡を訪れるには、南城と併せた二城同日訪問とした場合、南城の東側斜面を民家側の農作地まで下りきり、畦道を利用して登城口となる墓地まで足を運べばよいだろう。画像を載せた墓地からは縦堀地形に沿って上る事になるが、直ぐに堀切が迎えてくれる筈である。

1route_2登城ルート

5enbou_2城跡遠望

3城跡概念図  

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、居館跡とも言える様相を呈しており、ほぼフラットに近い規模の大きい東郭跡(全長40m以上)の背後には、規模の比較的大きい推定主郭(櫓台)、更にその背後には土塁及び堀切と、居館跡とすれば定番とも言えるシンプル極まりない縄張りを特徴としたものである。切岸は推定主郭側壁(高低差6m前後)と本郭群南側斜面で充分拝めるが、何れも鋭角に削り落とされたものであり、見応えは充分なものとなっている。北側は墓地となっており、造成整地も充分考えられる事から、東郭切岸(墓地側)をそのまま当時のものとするには、少々無理があるかも知れない、、、

6_kita_tateboriato縦堀地形、登城口

8_kaku2_3広大な東郭 

12_shukaku_dorui主郭土塁見所

10_shukaku_heki_2主郭東切岸 見所

15_horikiri_1堀切見所

 

17_tatebori_1_2縦堀見所 

17_yokoya_hori横矢土塁空堀地形 見所

 

 

現状(三月訪問)館跡とも言えそうな規模の大きい東郭には、相当量の雑木が蔓延っており、郭内をくまなく歩き回る事は困難を極め、更に見通しも利き難い状況にあるが、見所遺構となるクランク状になった縦堀を伴う堀切、その堀底から立ち上がる切岸、主郭背後の大土塁などは、判別の容易い状況下にあると思って頂いても良いだろう。城跡を個人的に評価するのであれば、南城も含めた一城別郭とした井尻城の本質を究めたい方には、当然是非お薦め出来る城跡の一つ、という事になるが、土塁、切岸、空堀の拝めるこの城跡は、お手軽感を加味せずとも、単独訪問としても立派に遺構見学が成立する、「充分お薦め出来る城跡」といった事になろうか、、、

2014年6月13日 (金)

井尻三城中、その二 井尻南城跡(京都府船井郡)

この城跡に関しては、数年前既に井尻城(本城)としてリポート掲載は終えているが、その時地元で得た情報として、本城から見て南側尾根先端にも馬場跡と伝承されている城郭遺構があるとして、ルート図中に推定馬場跡として所在地を記した記憶がある。しばらくこの城跡の存在は頭から離れていたものの、今回は気になっていたその推定馬場跡を覗くべく、再び当地を訪れる事になったが、結果として地元に伝わる馬場跡とは裏腹に、小規模ではあるが本格的山城の様相を呈した、ほぼ完存とも思える遺構残存度の高い城郭遺構と対面出来た事を最初にお伝えしておきたい。

城跡は京都府船井郡京丹波町井尻にあって、井尻本城からみて真南側の尾根先端部にあるが、訪れるには登城ルート図あるいは本城を起点とすれば一目瞭然の位置にあるので、細かい訪問ルートの説明は割愛させて頂く。車を預ける事になる公民館からの進入経路は画像及びルート図を参考にして頂きたいが、目印とした一本杉手前の畦道から進入して、民家脇から始まる丘陵上に繋がる山道に合流すれば、数分で本郭群には辿り着ける筈である。城史に関しての詳細は不明であるが、その築城環境を踏まえれば、北城を本城とした一城別郭の城と考えるのが妥当なところか、、、

1route登城ルート

6a登城進入経路

3i_2城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないとは思うが、本郭群は主要三郭と帯郭で形成された、郭総全長は60mにも満たない砦規模の山城である。ただ最初に触れた様に、その佇まいは城郭を形成する三要素(切岸、空堀、土塁)を見て取る事の出来る、本格的山城のそれと思って頂いても良いだろう。眼に留まった城郭遺構は、郭跡を除けば切岸(郭境と側壁)、主郭背後に施された堀切(横堀)、それに付随した土塁跡、といった処になるが、何れも見所遺構と言って良いものであり、充分見学者の眼は楽しませてくれる筈である。自身は地元の方の情報(馬場跡)を鵜呑みにして訪れた事もあって、土塁と堀切まで備わる山城遺構と対面出来た喜びは、その意外性も含めて中々言葉では言い表せないものがあるのだが、これを機に臨まれる方は、是非期待して臨んで頂いても良いのではないだろうか、自ずと是非お薦め出来る山城の一つ、といった事にはなるが、規模や縄張り妙味までは問わない事が大前提、、、

10_higasikaku4_1東段郭群

12_highasikaku2_heki_1東先端郭切岸

11_kita_heki_1北側切岸見所

18_dankaku_heki東段郭切岸見所

21_horikiri_2堀切見所

23_horikiri_haigo堀切背後

14_minami_obi南帯郭

 

城跡は訪れた時期(三月)が幸いしたせいもあるが、蔓延る木々は意外に少なく、郭内の見通しは利き、遺構の判別確認は容易く、夏季訪問においても状態予想の付き易い、非常に見学し易い状況にあると思って頂いても良いだろう。尚、この城跡の更に南側尾根上にも城郭遺構が存在する事を現地で聞き及んだが、その現況に関しては南支城として次にリポート掲載予定

2014年6月 9日 (月)

垣内南城跡(京都府船井郡)

城跡は京都府船井郡京丹波町和田垣内にあって、数年前既にリポート掲載を終えた垣内城から見て国道9号線側に近い南枝尾根先端部に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、その形態や規模あるいは築城環境から察すれば、垣内城における街道監視用の砦跡(出城)、あるいは平常時における居館跡といった事になるのかも、、、

城跡を訪れるには、先に触れた垣内城を起点とすれば分かり易い位置にある事から、城跡までの細かいアクセス方法は割愛させて頂くが、国道9号線「和田みどり橋」の信号からは、ルート図に示した赤ラインを辿って頂ければ迷わず辿り着けよう。

1route2登城ルート及び城跡概念図

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、目に留まる残存遺構は数も少なく限られており、本郭群と見受けられる規模の大きい郭跡の北端には、見所遺構の一つとも言える随分高低差の失われた土塁跡、その背後には尾根を遮る形で堀切(現状薄い横堀)が施されたものである。土塁は南端にも受け土塁の形で土塁の痕跡、切岸跡は尾根上はほぼ削平しただけに終わっており、その南端郭(墓地)から覗いた主郭土塁壁(画像に注目)、あるいは側壁の一部で窺える程度と思って頂いても良いかもしれない。もちろん切岸の醍醐味にも到底触れる事は出来ないが、、、

11_shukaku_2主郭北側

14_kirigisi主郭切岸

8_dorui_konseki_2南端土塁痕跡

13_dorui_2北端土塁跡見所

15_horikiri_2空堀(横堀)跡見所

6_kaku

南端切岸跡見所

現状(一月訪問)城跡は遺構の判別確認し易い、山城としてみれば非常に見学し易い状態にあると思って頂いても良いだろう。城跡を個人的に評価すれば、車を駐車して5分とかからず本郭群まで到達可能な、圧倒的お手軽感を加味した上で、垣内城がまだ未訪の方、あるいはここからほど近い距離にある橋爪城などと併せた同日訪問とするのであれば、山城巡りとしての効率も良く、「充分お薦め出来る城跡の一つ」、と言った事にはなろうか、、、

1z垣内城概念図

2014年6月 4日 (水)

郭周囲に土塁が巡る 橋爪西城跡(京都府船井郡)

城跡は京都府船井郡京丹波町橋爪にあって、数年前既にリポート掲載を終えた橋爪城から見れば、農作地を挟んだ直ぐ西側低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、街道筋からほど近い利便性、あるいは土塁で郭周囲を固めた様相は、正しく居館跡の佇まいを想像させるものである。よって橋爪城を山内氏一族の居城(明らかにはされていない)とすれば、こちらはその居館跡という図式が成立するのかも知れないが、推察の域は出ないものである、、、

1route登城ルート

5進入経路

3城跡概念図

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、郭周囲を土塁で囲んだものであり、現状北側が高土塁、他は低土塁となっており、高土塁背後には空堀(横堀)が施されている。東側空堀の外側には更に土塁まで施されており、武者隠し的な役割を担った空堀は想像されよう。切岸跡は郭周囲でそれなりのものを拝む事が出来るが、特に西側の民家側から覗いたものは状態が良いものであり、充分覗く値打ちありと言ったところか、、、土塁は先に触れた様に、内壁高低差4mある高土塁と低土塁とに明確に分類されるが、当時築かれた土塁が風化に任されるまま、そのまま現在に至ったものとは到底思えない(農作地としての日当たり効果を考えて後世削られた感あり!)ので、虎口が土橋付き空堀状になった地形(近年埋められた感あり!)と共に、全て見学者の判断に委ねられるだろう。

10kirigisi切岸(主郭外壁)見所

21_shukaku_nai_dorui_1主郭内奥高土塁見所

18_teidorui東側低土塁見所

17_dorui_ue高土塁上

23_karabori_2空堀見所

28_kitahaigo

高土塁背後、空堀

25_higasi_yokobori_dorui_2東側空堀土塁見所

城跡を個人的に評価すれば、民家や農作地がが直ぐ傍まで迫りながらの高い遺構残存度、遺構の見応え、京丹波地区で高土塁の施された居館跡(推察)はめったにお目にかかれないその希少性、更に圧倒的お手軽感も含めれば、規模さえ問わなければ充分お薦め出来る城跡の一つと言う事にはなろうか。

城跡を訪れるには橋爪城や垣内城を起点とすれば分かり易い位置にある事から、細かい訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、ルート図に示した国道9号線の「橋爪」信号を目印として目指せば、付近までは難なく辿り着けよう。後はルート図の赤ラインを辿って林道に進入すれば、右手民家東側に農作地と共にそれらしい切岸跡(画像に注目)が確認出来るので、そこが城跡と直ぐ分かる筈である。林道に進入すれば直ぐ右手側に農作業小屋が見えてくるが、その上段の荒地が城跡への進入地点となる。直ぐにそれと分かる空堀、高土塁が迎えてくれよう。

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