« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »

2014年5月

2014年5月31日 (土)

竹井天神山城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市園部町竹井にあって、県道54号線に面したほぼ独立した形の丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明 

城跡を訪れるには県道54号線に進入する事が先決となるが、既にリポート掲載を終えた仁江城がここから北東側に聳える山の山頂にある事から、これを起点とすれば所在位置も分かり易いだろう。県道沿いにある摩気神社バス停を目印として目指せば更に分かり易いが、その県道を挟んだ向側には天神社へ上る為の参拝山道(画像に注目)があるので、山上本郭群までは数分で迷わず辿り着ける筈である。

1route_2登城ルート

5登城口

3_2城跡概念図

 

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、山上最高所を主郭とした砦規模の城跡と思って頂いても良いだろう。現状社殿敷地を含めて、城跡南側斜面も道路造成により相当削られた状況となっており、当時の郭形状や残存遺構に関しては見学者の想像に委ねられる部分が大きいが、主郭北にある虎口地形や、その北斜面上で目に留まる空堀土塁地形などは当時の遺構と見て良いのかも知れない、、、東郭では土塁痕も目に留まるが、これも想像に委ねられ部分、切岸は北側斜面で充分確認可能となっている。

13社殿敷地

14_kitaheki主郭北切岸

15_karabori_dorui空堀土塁地形

19_shukaku_koguti主郭

22_shukaku_kita_koguti北虎口地形

24_kaku2_dorui_ato_2

東下段郭の土塁痕?

現状城跡は主郭を始めとして歩き回り易く、非常に見学し易い状況にあるが、遺構見学に重きをおいて赴く方にとっては、残存遺構の正否の判定も含めて、想像に委ねられる部分は多く、遺構に過大な期待を持って臨まないことが肝心とは思えた。個人的に城跡を評価するのであれば、城跡としての風情は充分味わえた事から、城跡巡りの一環、あるいは神社参拝ついでとして訪れるのであれば、圧倒的お手軽感も加味して、それなりに期待に応えてくれる城跡と言った事になろうか。

2014年5月27日 (火)

本井城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市岩井にあって、既にリポート掲載を終えた小城鼻城から見て713号線を間に挟んだ真東側の、標高60m程度の低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先に触れた小城鼻城を起点とすればその所在位置も分かり易い事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、713号沿いから直ぐ目に留まる清掃センターを目印として車を走らせればよいだろう。そこからはルート図あるいは概念図を参考にして頂きたいが、画像を載せた神社石鳥居脇の集合墓地より山道に任せて丘陵上を目指して歩き、清掃センターが遠くに見えてきた地点で右手に進路変更(左手丘陵上には古墳らしき跡がある)、更にそのままなだらかな斜面を上れば、城域となる広い削平地(薄い空堀が確認可能)が直ぐに迎えてくれる筈である。本郭群へは更に北へ上り続ける事になるが、、、

1route登城ルート

4登城口

3城跡概念図

 

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、本郭群は南北両端に刻まれた堀切間における、規模の大きい郭群(ほぼ三郭構成か?)がそれの様にも見受けられた。その全体像は大味な縄張りプランも相俟って、館城の如き佇まいと思って頂ければ分かり易いかも知れない、、、現状(12月訪問)主郭と察せられた規模の大きい郭跡では変形の土塁跡、あるいは仕切り土塁跡を窺うことが可能となっているが、郭内の藪化は冬季訪問であるにも拘らず相当深刻化しており、郭内部をくまなく探索することは困難極まりない状況にある。概念図に描いたまでが自身が踏破探索出来た範囲を示したもので、更に判別確認出来た遺構群と思って頂ければ良いが、郭形状などは推察を含めたものと思って頂きたい、、、、

12西尾根空堀跡

16_horikiri南堀切見所

18変形土塁内壁見所

22_sikiri_dorui仕切り土塁跡

24_kaku主郭北郭跡

28

北端堀切見所

城跡を個人的に評価するのであれば、残存遺構に見応えまでを感じる事は出来なかったが、豊岡市内に数多く築かれた城跡巡りの一環として、少し立ち寄る程度なら何とか無駄足には終わらない城跡と言ったところか。

2014年5月23日 (金)

山室城跡/鳥羽城跡(京都府南丹市)

この二城は同じ京都府南丹市八木町にあって、字名がそのまま城跡呼称と思って頂ければよいだろう。まず八木町山室にある山室城は標高約205mの山上を本郭群とした場合、北西側枝尾根先端部における、便宜上の西出郭までが城域と見受けられるものである。城史に関しての詳細は不明 

山室城跡を訪れるには国道9号線に進入する事が先決となるが、「吉冨」の交差点で東進、そこからはルート図を参考にして頂きたいが、画像を載せた山室地区にある消防ポンプ施設を目印として目指せばよいだろう。この施設脇が今回の登城口とした場所で、僅かながら踏み跡程度の山道が西出郭まで繋がっており、藪漕ぎもなく数分で迷わず辿り着ける筈である。ちなみに山上主郭までは10分程度

1route2_2登城ルート

6登城進入口

3y城跡概念図

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、西出郭には僅かながら空堀の痕跡が残り、更にそこから山上に向かう東尾根上には、限りなくフラットに近い削平地が100m以上にも渡っても連続している。本郭群へは更にそこから高低差約40m近くを上る事になるが、仕切り土塁(推察)を挟んだ形の広大な郭跡が数分後には迎えてくれる筈である。尚、仕切り土塁としたものは、幅はあるが高低差は随分失われており、見応えまでは到底望めないので、切岸も含めて残存遺構に対しての過大な期待は禁物と思えた、、、

11_wazuka_na_karabori_1西出郭

14_nisikaku_2広大な西尾根上削平地

16_shukaku_sikiri_dorui_1主郭仕切り土塁

鳥羽城跡に関しては、ルート図中に駐車可能地点の画像は載せたが、直登取り付き口は用水路沿い先で、上り易そうな植林地帯まで歩き、そこから尾根上に向いて激斜面を上れば、10分内で本郭群までは辿り着けよう。その形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、郭跡を除けば僅かに土塁跡の痕跡が窺える程度の城跡と思って頂いても差し支えないかも知れない、、、とにかく状態も良くないが、残存遺構に過大な期待は禁物とも思えたので、これを機に訪れる用意のある方には、是非この言葉を目安にして臨んで頂きたい。

1route_5登城ルート

3_3城跡概念図

15_dorui_ato主郭内

15_dorui_ato_2土塁跡

 

二城共に明瞭な空堀は拝めず、見応えのある遺構は皆無、更に縄張り妙味も感じられないとあれば、とてもお薦め出来る城跡とは言えないが、興味を持たれた方にとっては、八木町に点在する城跡巡りの一環として、二城同日訪問とすれば効率も良く、それなりに楽しめるかも知れない、、

2014年5月19日 (月)

袴狭北城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市出石町袴狭にあって、先にリポート掲載を終えた袴狭城からも望む事が出来る、畑地を挟んだ真北側低丘陵上に位置している、この城跡は袴狭城リポート記事中で触れた様に、地元で始めてその存在を知り得た事から、取り合えずその識別呼称は袴狭北城としたが、既に公的に認識された城跡とも思えるので、城跡呼称に関しては柔軟に対応して頂きたい。何時もの様にリサーチ不足はご容赦願いたい。個人的にはA城でもB城でも差し支えないと思っているのだが、、、

城跡を訪れるには、先に触れた袴狭城を起点とすれば一目瞭然の位置にある事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、進入ルートは画像を載せた畦道からで、そこから既に視界に入る墓地まで向かい、参拝道より丘陵最上段を目指せばよい。そこから西に向いて歩けば、直ぐにでも堀切(横堀)が迎えてくれる筈である。

1route_4登城ルート

7進入ルート

3城跡概念図



城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、堀切以西を本郭群とすれば、二郭で形成された正しく砦規模の城郭という事になろうか。遺構として判別し易い堀切は、横堀として痩せ尾根上に横たわってはいるが、堆積物で相当埋もれたと見えて、見応えまでは望めないものである。更に郭側壁を形成する切岸は曖昧なものとなっており、最初から郭としては削平だけに終わった、安普請で築かれた城郭と自分の目には映ったのである。よって低丘陵上にある事も理由になろうが、切岸の醍醐味に触れる事は到底出来ないものと思って頂きたい。

9_higasi_horikiri_29_higasi_horikiri_3東堀切見所

11_shuaku主郭の現状

14_nisikaku_heki西郭切岸




個人的には地元で初めてその存在を知り得て、偶然城郭遺構と対面出来た喜びは、中々言葉では言い表せないのだが(非常に得した気分)、遺構見学を重視して訪れる方には、上記の理由から城郭に過大な期待を持って臨まない事が肝心と思えた。圧倒的お手軽感はあるが、浅い空堀を拝むだけに終わる城跡に、間違ってもお薦めとは言えないのが現実かも、、、、

2014年5月15日 (木)

袴狭城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市出石町袴狭(ハカザ)にあって、既にリポート掲載を終えた此隅山城の北登城口から程近い、真東側の低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、築城環境及び規模から察すれば、此隅山城の出城と言えるのかも知れない、、、

城跡を訪れるには、先に触れた此隅山城を起点とすれば一目瞭然とも言えるので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、ルート図中にある神社付近に駐車スペースは充分確保出来るので、そこから集合墓地まで歩いて向かい、墓地背後の痩せ尾根上を東に移動すれば、数分で城跡までは辿り着けよう。

1route_32a登城ルート

5城跡進入口

3h城跡概念図




城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、主郭及び付、更に堀切を挟んだ形の東郭と、ほぼ三郭で成立したものであり、全長は50mに達するものの、正に砦規模の城跡と言えるものでもある。堀切は主郭を挟んだ形で東西両端に施されており、取り合えず縦堀などは充分見学者の目は楽しませてくれよう。現在主郭内には小さな祠が祭られているが、近年参拝客が途絶えたと見えて、その郭転用地となる敷地は、下草や低草木が相当蔓延った状態(画像に注目)にある。もちろん郭移動には差し支えないのだが、付郭や東郭も含めて見通しは利き難く、木々の隙間を縫っての探索踏破は余儀なくされるものと思って頂きたい。切岸斜面も相当藪化は進行しているので、堀切から立ち上がる、10mに達する主郭切岸の醍醐味には、到底触れる事が出来ないのが現実である。

12_nisi_horikiri西堀切見所

15_shukaku主郭の現状

16_higasi_horikiri東堀切見所

17_tatebori縦堀見所

20_higasi_kaku東郭の現状



尚、ルート図中には地元でその存在を初めて聞くに及んだ、(仮名)袴狭北城の所在地を記したが、地元の方は城跡としての認識はあっても、文献資料などには目を通さないケースが多く、取り合えずその位置関係から袴狭北城としたが、城跡呼称に関しては何時もの様に柔軟に対応して頂きたい。小字名で識別されているとは思われるが、、、その現況報告は編集次第掲載の予定

2014年5月11日 (日)

仁江城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市園部町仁江にあって、標高約305mの山上に位置しており、その枝尾根南麓には蛭子神社が祭られている。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには54号線に進入する事が先決となるが、今回直登取り付き口とした蛭子神社を目印として車を走らせればよい。その取り付き口はルート図中に画像と共に示したが、神社西側の橋の手前より川沿いに歩き、その奥にある獣避けフェンスを開閉(神社側に開閉フェンスは見当たらなかった!)して、尾根先端部を目指して上る事になる。尾根上に達するまでは激斜面との戦いが待ち受けているが、尾根上まで到達すれば城跡までは歩き易いなだらかな斜面となるので、踏み跡に任せて上れば、トレッキング気分で山上郭群までは辿り着けるだろう。ちなみに所要時間は20分程度

1route2登城ルート

3n_2城跡概念図

城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、山上郭群は地表風化のせいか、あるいは最初から安普請で築かれたものなのか、明確に郭境を見分ける事は非常に困難な状況にある。郭群はほぼ三ブロックに分かれた構造と思われるが、東郭には箱堀の痕跡が残り、西端には現状埋もれて浅いが堀切が施されている。切岸は明瞭なものを便宜上の三郭(東郭)側壁で窺う事が出来るが、他は山上を削平しただけで自然地形をそのまま利用した斜面と見受けられた。現状(二月訪問)山上だけに限られる縄張り内に樹木は比較的少なく、見通しもある程度利き、郭内はくまなく歩き回れる状況にあると思って頂いてもよいだろう。

7_dankaku_heki段郭切岸

9_higasikaku_3東郭

10_hakobori箱堀の痕跡

11_kitagawa_obi_1北帯郭

18_nakkkau二(中)郭

19_shukaku主郭

22_horikiri_1堀切跡

 

 城跡を個人的に評価するのであれば、見応えのある遺構は無きに等しく、とてもお薦め出来る城跡とは言えないが、京丹波地区における山城に興味のある方にとっては、所在位置の確認も含めて、訪れても決して無駄足には終わらない山城と言ったことになろうか、、、、

2014年5月 7日 (水)

但馬上山城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市城崎町上山にあって、先にリポート掲載を終えた簸磯城登城ルート図に示したように、上山集落の北側より集落に向いて少しせり出した形の丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明だが、豊岡市内に存在する城跡のほとんどが、山名氏傘下におかれた城跡ということを思えば、その名が語るように上山氏(山名氏家臣?)の居城という事になろうか、、、

城跡を訪れるには簸磯城あるいは上山北城を起点とすれば一目瞭然の位置にある事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、集落到着後はルート図に示した如く参拝道より青山神社を目指せばよい。最奥にある住宅より少し上った地点(画像を載せた辺り)から直登になるが、そのまま左手丘陵上を目指せば、直ぐにでも本郭群が迎えてくれる筈である。

1route_2登城ルート図

5直登口

3u城跡概念図

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、本郭部はほぼ三郭を並べただけの全長50mにも満たないものであり、小規模な館城あるいは砦とも言える様相で、空堀の類は施されてはいない。見所遺構を挙げるとすれば、唯一主郭背後を形成する鋭角に削り落とされた切岸(見応え有)、あるいは郭側壁を形成する切岸という事になろうが、空堀も土塁も施されていない砦規模の城跡に、これ以上のものは望めないかも知れない、、、

11_shukaku_heki主郭壁

12_shukaku主郭内の現状

15_heki郭側壁(切岸)

14_shukaku_heki_haigo_1主郭背後切岸

城跡を個人的に評価するのであれば、ルート図に示した三城同日訪問とすれば、神社参拝ついで、あるいはお手軽感も加味した上で、それなりに楽しめる城跡と言った事になろうか。

2014年5月 3日 (土)

畝状空堀群が唯一の見所 簸磯城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市城崎町上山にあって、既にリポート掲載を終えた仮)上山北城より直ぐ北側にある丘陵先端部に位置しており、寺院及び簸谷を挟んだ形となっている。ちなみに上山北城としたものは、数年前まで遡るが簸磯城と城跡呼称を取り違えた形でリポートしており、今年になって「お知らせ」の中で呼称を訂正した城跡の一つでもある。城史に関しての情報は「現地案内板」をクリックの事。

城跡を訪れるには、上山北城を起点とすれば一目瞭然とも言える距離にあるので訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、車を預ける事になる福泉寺からは赤ラインを辿って頂き、目印とした砂防ダムのある登城口(手すり付きの石段がある)まで向かえばよい、そこからは旧参拝登山道が山上主郭まで繋がっているので迷わず辿り着ける筈である。ちなみに10分程度の所要時間

1route登城ルート

4登城口

2_2現地案内板

3城跡概念図

城跡の形態は、概念図に描いたものにほぼ近いと思って頂いても差し支えなさそうに思われるが、郭内は下草が一面に蔓延り、更に切岸斜面上は地表風化あるいは藪化が進行し、相当量の雑木が蔓延っており、外見から全貌を窺うことは困難を極める状況にある事から、郭形状や畝状空堀群の位置関係、あるいは掘削された総数はこの限りではないものと思って頂きたい。遺構見学としての見所は自ずと畝状空堀群という事になるが、先に触れたように地表風化は激しく、見応えまでは到底望めないものであり、これを機会に臨まれる方には決して期待を持って臨まないことが肝心となろう、、、他では主郭内に土塁跡も見止められるが、これは一部造成整地後の残土とも窺えた事から、遺構としての成否の判定は見学者の判断に委ねられるだろう。

10_shukaku主郭の現状

12_dorui推察土塁跡

16_horikiri堀切

18_horikiri_heki堀切壁となる切岸

22_une_tatebori畝状空堀

20_une_dorui畝状空堀土塁

 

城跡を個人的に評価すれば、状態や規模は絶対問わない事が前提とはなるが、お手軽感を加味した上で、山城ファンの方だけにはお薦め出来るかも、、、

« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »

無料ブログはココログ