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2014年4月

2014年4月30日 (水)

田島城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市岩熊にあって、先にリポート掲載を終えた柳谷城から見て、直ぐ真北側ある丘陵尾根先端部に位置しており、自ずと当時は二城で東側を牽制した城郭という事になろうが、規模からすれば柳谷城の出城とすれば良いのかも、、、城史に関しての詳細は不明。

城跡を訪れるには先に触れた柳谷城の入山口と同様となるが、目印とした農機具小屋より山道に入って、直ぐに右手側の斜面に取り付いて上れば、一部木々の隙間を縫っての直登は余儀なくされるが、数分で山上郭群が迎えてくれる筈である。

1route2_2ルート図

4_1_2進入口

3t城跡概念図

城跡の形態は痩せ尾根上を削平し、堀切で西尾根を断っただけの小規模極まりないものであり、自身が踏破探索して遺構を判別確認した、アバウトに描いた概念図に限りなく近いものと思って頂いても差し支えなさそうに思われるが、主郭西端には土塁の痕跡、その背後には片側が縦堀に繋がる空堀が施されており、狭小郭が主郭に付随しただけの砦規模の山城と思って頂いてもよいだろう。自ずと見所遺構も数少ないが、取り合えず堀切と郭側壁を形成する切岸といった事になろうか、、、

6_kakuheki東段郭切岸

8_tukekaku腰郭

9heki切岸

12_shukaku_2残念な主郭の現状

14_horikiri堀切 見所

城跡を個人的に評価すれば、柳谷城と併せた二城同日訪問とすれば城跡の本質を掴む事にも繋がり、より充実した山城巡りとなるのかも知れないが、現状柳谷城と同様に藪化は深刻化しており、訪れるには冬季限定といった事になるだろう。もちろん藪漕ぎをものともしない山城ファンの方だけが訪問の対象となるが、、

2014年4月26日 (土)

柳谷城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市岩熊にあって、新堂集落より川を挟んだ南西側の低丘陵上に位置しており、既にリポート掲載を終えた海老手城、あるいは滝西城を起点とすればその所在位置も分かり易いだろう。城史に関しての詳細は不明。

城跡を訪れるには先に触れた二城を起点とすれば分かり易い事から、城跡までの訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、ルート図に示した国道沿いにある居眠りパーキングに車を預けた後は、橋を渡った先より視界に入る農機具小屋を目印として歩けばよい。そこから山道で少し奥に入れば、直登とはなるが左手斜面のどこから取り付いて上っても、10分内で山上郭群までは辿り着ける筈である。

1route2ルート図

4_1入山口

3y_2城跡概念図

 

城跡の形態は概念図を参考にして頂ければよいが、痩せ尾根上に郭を並べただけの、シンプル極まりない縄張りプランの城郭と思って頂ければよいだろう。ただし郭総全長は100mに達するものであり、砦の域は少しはみ出た城郭と言えるのかも知れない、、、現状判別確認可能な遺構群は全て概念図には記したつもりだが、仕切り土塁を含めた三箇所の土塁跡、箱堀を含む二本の堀切とその切岸、郭側壁となる切岸跡が見所遺構といったところになるだろう。現状(12月訪問)郭内の藪化は相当深刻化した状態にあり、郭内部をくまなく歩き回る事は非常に困難な状況にあるが、直線痩せ尾根上に限る狭い縄張りとも言えるので、木々の隙間を縫いながら移動すれば、何とか遺構見学は成立するだろう。

12_horikiri_3東堀切見所

15_shukaku_higasi_1主郭東

17sikiri_dorui仕切り土塁跡見所

18_oku_yagura_1主郭西

20_yagura_dorui櫓台土塁

21_yagura_haigoheki_1_2西端箱堀壁見所 

城跡を個人的に評価すれば、城跡を形成する遺構三要素(土塁、切岸、堀切)の見学は充分可能であり、状態さえ良ければ充分お薦め出来る山城という事にはなるが、冬季でさえこの状態であれば、夏季訪問は更に厳しいことが予想され、藪漕ぎをものともしない、このリポートに興味を持たれた山城ファンの方だけを対象としてお薦めしたいと思うのである。後でリポート掲載予定のルート図中に示した田島城、あるいは他の城跡との同日訪問とすれば、何とか充実した山城巡りと成り得るかも知れない、、、

2014年4月22日 (火)

五本の堀切が見所 奥笹谷城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市鎌田奥笹谷にあって、先にリポート掲載を終えた鎌田城からみれば、東へそのまま移動した低丘陵上に位置しているが、その山頂部を本郭とすれば、共有する尾根南端部が便宜上の南出城となる南北二城で形成された城郭と言う事になる。ちなみにこの城跡の存在と所在地は、但馬の城跡情報を定期的に流して頂いている、山城ファンの方から知り得たものだが、その方が踏破された情報では、どうも本郭群(北)だけを覗いた様な気がしないでもないので、、、これを機に訪れる方は、概念図に示した直登口(南出城側)より上り、更に尾根に沿って北へ踏破される事をお勧めしたい。両者は痩せ尾根上50m以上は離れているので、直登取り付き場所によっては、うっかり南出城を見逃してしまう可能性がある、、、

1_route登城ルート

4_nyuzanguti入山口

3_2_2城跡概念図

城跡の形態は概念図を参考にして頂ければ分かり易いとは思うが、合計五本の堀切によって、郭間及び連続する痩せ尾根は分断されており、南北二城は完全に孤立した状態となっている。郭規模は北主郭が全長20m前後あるが他は小さく、山上における郭占有面積は非常に小さいものであり、正に砦規模の山城と言ってもよいのかも知れない。しかし見所遺構は数多く、縦堀を伴う堀切や、堀切から立ち上がる高低差を誇る切岸など、五本ある堀切は全て見所ともいえるもので、この城跡を見学する上での醍醐味は、堀切及び切岸によって堪能出来るものとも思えたのである。

14_minamijyou_hori_2南城堀切見所

17_honkaku_minami_horikiri_1本郭南堀切見所

18_honkakubu_minamikaku_3北城南郭

20_shukaku_minami_horikiri_2主郭南堀切見所

22_shukaku_1主郭の現状

25_shukaku_kitaheki

主郭切岸見所

23_hokutan_horikiri北端堀切見所




現状(10月訪問)城跡は蔓延る木々も比較的少なく、山城としてみれば非常に見学し易いコンディションの下にあると思って頂いても良いが、個人的に城跡を評価するのであれば、縄張り妙味や規模さえ問わなければ、お手軽感を加味せずとも、是非お薦め出来る山城の一つ!と言わざるを得ないだろう。城跡を一言で語るとすれば、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」と言った表現が適切かも、、、

城跡を訪れるには、先に触れた鎌田城を起点とすれば一目瞭然ともいえるので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、160号線沿いにある栄町団地西端(画像に注目)より、林道を利用して山上を目指せばよいだろう。直登取り付き口は概念図とルート図を参考にして頂ければよいが、取り付き場所は間違えない事!林道入山口から南堀切までは、藪漕ぎなしで10分内で到達可能

2014年4月18日 (金)

鎌田城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市鎌田にあって、低山山頂部(標高約70m程度)を本郭群としているが、西側尾根先端部にも堀切の施された出郭があり、城域だけはそれなりに広い城郭と言えるのかも知れない。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには国道312号線に進入することが先決となるが、「鎌田」の信号で160号線に進路変更、そこから登城口まではルート図を参考にして頂きたいが、車を預ける事になる文常寺を目印として目指せばよい。そこからは(画像に注目)山頂まで大師道らしき登山道が繋がっているので、道に任せて上れば、主郭までは迷わず辿り着ける筈である。ただ西尾根に向いて郭は展開されているので、下山時においては登山道は外れて尾根に沿って下りた方が良さそうに思えるが(縄張りを把握する為)、、、ちなみに所要時間10分程度

1route登城ルート

4登城口

3_2城跡概念図




城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、最初に触れた様に、登城口から直ぐ上った辺り(古い墓地)にも、堀切あるいは土塁(画像に注目)の施されている出郭跡があるので、ただの墓地だと思ってうっかり見逃さないように、、、山上本郭群には堀切が二箇所備わっているが、主郭東背後の堀切は片側に縦堀を伴うものであり、見学者の目は充分楽しませてくれる筈である。西側の堀切は堆積物のせいで相当薄く、虎口跡の様にも窺えるが、本来は縦堀を伴ったものであると自分の目には映った。明瞭な縦堀は主郭北斜面で二条は目にしたが、一帯は地表風化も激しく、土塁の付随した空堀ですら判別し難い状況となっているので、この一帯の残存遺構に関しては、見学者の判断に委ねられる事になるだろう。

7demaru_koguti_1西出郭虎口

14demaru_dorui_hori西出郭 土塁及び堀切見所

21_kaku2_shukaku_koguti郭2より主郭側

21_kaku2_heki郭2切岸

23_shukaku主郭

26_horikiri


東堀切見所

31_obi_tatebori北帯郭及び縦堀見所

34_tatebori_kon縦堀見所




現状(10月訪問)大師道が山頂まで繋がっているお蔭で、縄張り内における残存遺構は判別し易く、更に動き回り易い状況となっており、山城としては比較的良いコンディションの下にある。城跡を個人的に評価するのであれば、トレッキング感覚で山頂まで迷わず上れる事、更に上記に挙げた材料も加味すれば、規模あるいは遺構の見応えさえ問わなければ、充分楽しめる山城であり、一般城跡ファンの方にも充分お薦め出来る山城の一つ、と言う事になろうか。

2014年4月14日 (月)

南八田山城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市園部町南八田にあって、標高約250mの山上に位置している。この城跡は既に踏破探索されたブログ読者の方によるコメント情報により、その存在と現状を初めて知り得たものであるが、山上ではその情報通り、郭跡はもちろんの事、明瞭な堀切遺構と対面する事が叶えられた。しかも驚いた事に、京都府における無名に近い山城としては、めったにお目にかかる事の出来ない城址碑まで設けられていたのである。

城跡を訪れるには国道372号線を利用する事になるが、南八田地区まで辿り着けばルート図を参考にして頂きたい。その国道沿いで目に留まる石段をスタート地点(画像に注目)として、稲荷神社(小さな祠)までは参拝山道、それから先は山上本郭群まで踏み跡程度の山道が繋がっているので、迷わず到達出来る筈である。

1route_3登城ルート

3m城跡概念図

 

城跡の形態は、概念図に描いたものにほぼ近いと思って頂いても良いとは思うが、ほぼ単郭で成立した小規模な砦規規模の城郭で、その両端には尾根を遮る形で空堀が施されている。帯郭は主郭南北に付随した形となっているが、防備として一役買ったものにはとても思えないものであり、遺構見学する上においての移動に役立つ程度といったところか、、、西尾根を断つ堀切には明瞭な土橋が遺されているが、これは山林作業用として近世に設けられたものかも知れない(見学者の想像に委ねられる部分)、、、

10_karabori東空堀見所

13_shukaku_higasikaku主郭東

15_shukaku_3主郭内部

17城址碑

19_horikiri堀切見所

21_kita_tatebori_2

北側縦堀見所

23_kita_obi北帯郭

 

現状(一月訪問)冬季訪問のせいかも知れないが、無名に近い山城としては郭内部の見通しは利き、遺構の判別確認も容易く、それなりに見学し易いコンディションの下にあると思って頂いてもよいだろう。城跡を個人的に評価すれば、楚々とした山城の風情は充分味わえる事、10分内で到達可能なお手軽感、判別し易い遺構群、と少ない材料ではあるが、京丹波地区を中心に山城巡りをされる方にとっては、「規模さえ問わなければ、充分お薦め出来る山城の一つ」と言う事にはなるだろう。

2014年4月10日 (木)

立石城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市立石にあって、蛇山(ジョウヤマが訛ったか)と呼ばれる、ほぼ独立した山塊の低山(標高76m)山頂に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、山名氏のお膝元である築城環境を思えば、その家臣が居城とした城郭と考えればよいのかも知れない。

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた三宅城を起点とすればその位置も分かり易いが、248号線沿いにある公民館に車を預けた後は、ルート図に示した直登山口となる中島神社に向いて足を運べばよいだろう。社殿手前に尾根まで繋がる山道(画像に注目、踏み跡程度)を覗う事が出来るが、そこから片堀切地形となる尾根を目指して上り、そのまま尾根上を西に上れば、直ぐにでも本郭群の高い切岸と遭遇出来る筈である。

1route_3登城ルート

4直登口

3t_2城跡概念図




城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、山上主郭は30mにも満たないものであり、砦規模の山城と思って頂ければよいだろう。判別し易い遺構としては二本の堀切(一つは縦堀を伴う)及び郭切岸ということになるが、とても見応えの感じられるものではなく、遺構としての醍醐味までは望めないかも知れない、、、概念図に示したまでが自身が踏破し判別確認に及んだ遺構群と思って頂ければよいが、枝尾根の張り出していない地形、あるいは形態から考えても、これ以上の残存遺構は期待出来ないような気はするのである。現状(10月訪問)山上本郭群は、蔓延る木々は意外に少なく、郭内も見通しが利き、山城としては非常に見学し易い良い状態にある。

7_one_katahorikiri_1到達尾根

9_higasi_kaku_heki東郭切岸

11_higasi_kaku東郭

15_shukaku_nisi主郭の現状

10_shukaku_heki主郭切岸見所

18_sita_horikiri堀切

21_tatebori堀切に伴う縦堀見所




城跡を個人的に評価するのであれば、目にする事の出来る城郭遺構は数少ないが、見学し易いコンディション、車を停めて10分内で本郭群が拝めるお手軽感まで含めれば、充分お勧め出来る山城と言った事になろうか。既にリポート掲載を終えた、この周辺一帯に点在している城跡、あるいは三開山城、三宅城まで含めた山城巡りは、まだ未訪の方にとっては、城郭遺構への期待を含めて、訪問プランを練るのも一つの楽しみとなってくるのではないだろうか。

2014年4月 6日 (日)

空堀が唯一の見所遺構! 若森城跡(京都府南丹市)

この城跡は何時も城跡情報を頂戴しているブログ読者の方によるコメント情報(昨年)によって、初めてその存在とその現況を知り得たものであるが、自宅から一時間程度あれば城跡を訪ねる事が出来る事を理由に、しばらく訪問は先送りにしていた経緯がある。今回は積雪のないことを確認した上で、やっと現地を訪れる(二月訪問)事となったが、山上では小規模ではあるが、見事な空堀と対面する事が叶えられた事だけは最初にお知らせしておきたい。

城跡は京都府南丹市園部町若森にあって、集落に突き出した形の低丘陵先端部に位置しており、訪れるには372号線に進入する事が先決となるが、若森地区からはルート図及び概念図を参考にして頂きたい。墓地背後を上り切れば(5分程度)直ぐにでも山上主郭が迎えてくれる筈である。城史に関しての情報は現状皆無に近いものであり、その詳細は不明。

1route_4登城ルート

 

3_2城跡概念図

 

 

城跡の形態は縄張りが低丘陵上先端部に限られる事からも、描いた概念図にほぼ近いものと思って頂いても差し支えないと思うが、ほぼ単郭で成立した小規模極まりない砦規模の城郭と思って頂ければよいだろう。その中で目に留まる遺構は数少ないが、明瞭な虎口遺構?も含み、先に触れた空堀(横堀)遺構は状態が良く判別し易い事、仕切りがある事によって多少でも技巧が感じられた事、これだけの理由で充分見学に値するもの自分の目には映ったのである。城跡を形成する三要素の一つでもある切岸跡は、現状ほとんど窺うことも出来ないが、尾根を断つ堀切はそれなりのものを拝む事は出来よう。ただ地表風化は激しく、とても見応えまでは望めそうにないが、、、

9shukaku_2主郭内

 

15_horikiri_dobasi_2僅かな堀切跡(横堀)

 

25_koguti_3虎口か?見所

 

23_karabori_1_3 23_karabori_4_2 横堀見所

17_one_kaku_1

背後尾根削平地

城跡を個人的に評価すれば、京丹波地区を中心に山城巡りをされている方には、圧倒的お手軽感を含めて、先に挙げた材料も加味すれば、当然是非お薦め出来る城跡といった事にはなるが、規模は絶対問わない事が大前提!

2別峰の広大な削平地(参考物件)

2014年4月 2日 (水)

三宅城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市三宅にあって、既にリポート掲載を終えた三開山城跡からみれば、遠く離れた北東側の低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明。

城跡を訪れるには703号線沿いにある中島神社を目印として目指せば分かり易いだろう。ここから城跡まではルート図に示した赤ラインを辿れば良いが、直登入山口となるのは画像を載せた民家脇からの畦道で、その奥の入山フェンスを潜り、縦堀地形に沿ってそのまま上れば、最上段にある堀切までは数分で到達出来る筈である。

1route_2登城ルート

3城跡概念図



城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、残存遺構としては郭跡を除けば堀切三本(一本は縦堀を伴う、後は横堀の痕跡程度)及び岸跡といった程度、と思って頂いても差し支えないかも知れない。もちろんこれだけの城郭遺構(砦規模)に見応えまでは望めないが、民家が直ぐ傍まで迫る状況においての、遺構残存度は比較的高いものであり、現在に至るまで自然任せの手付かずの遺構(推察)として見れば、非常に値打ちあるものと自分の目には映ったのである。形態としては最上部は物見、あるいは詰め城、その中腹には居館跡と想像可能な比較的規模の大きい郭跡、と言った具合に城館に近いものである。

12_hokutan_horikiri_1北端堀切見所

14_kita_kaku北郭切岸

16_shukaku_kita_horikiri中央堀切見所

21_minami_kaku_yori_shukakuheki主郭切岸

25_nisikaku_1西郭




城跡を個人的に評価するのであれば、残存遺構に見応えまでは望めないが、圧倒的お手軽感を加味して、山城巡りの移動中に少し立ち寄る程度と割り切って臨めば、決して無駄足には終わらない城跡と言ったところか、、、、

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