旗振山砦跡(兵庫県豊岡市)
城跡は兵庫県豊岡市但東町畑山にあって、既にリポート掲載を終えた仏清城より太田川を挟んだ南側低丘陵上にあり、14世紀まで遡る事になるが、後醍醐天皇の第六皇子である恒良親王を監視する為の砦跡と伝わっている。もちろん亀ヶ城を本城とした太田氏の築城によるものである。
城跡を訪れるには仏清城訪問ルートと重なるので今回は割愛させて頂くが、国道482号線からはルート図を参考にして頂きたい。小さな社殿日出神社が目印となるが、その傍を抜けて近世に郭跡地を造成したと思える墓地まで向かえば、自ずと城跡まで辿り着いた計算になる。
帯郭?
この砦跡は但東町史によれば、かつては本郭群南端に堀切が施されていたらしいが、先に触れた様に現在では集合墓地として造成されており、遺構見学というより史跡見学として、ほぼ三郭で形成されたと思える平坦な郭跡に佇み、砦跡としての風情を味わう程度と思って現地に赴いて頂きたい。山城跡としても砦跡としても評価は非常に難しいが、遺構見学としては落胆に終わる事は必至とも思えたので、山城巡りの移動中少し立ち寄る程度であれば、決して無駄足には終わらない城跡といった事になろうか、、、
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