« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »

2014年3月

2014年3月28日 (金)

三重堀切が特徴 江野城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市江野(ゴウノ)にあって、集落より北西側に少し奥まった山上尾根先端部に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには国道178号線に進入する事が先決となるが。江野集落から目指す城跡は視界に入らないので、集落に辿り着けば是非ルート図を参考にして頂きたい。車の進入禁止(山菜を勝手に摘んで帰る人がいる為)となる、林道沿いにある猪捕獲用檻が直登口としての目印となるが、そこから山頂を目指して上れば、20分前後で山上本郭群が迎えてくれる筈である。ただし地元の方による情報で、この付近一帯には猪捕獲用の罠が仕掛けられているので注意が必要との事!ちなみに罠のある場所には張り紙がしてあると聞いたが、直登ルート中では一切見かけられなかったので参考までに、、

1route登城ルート

3_2城跡概念図



現状城跡は豪雪地帯で良く見受けられるが、雑木が斜面に這う様に蔓延っており(直登道中も)、藪化は相当深刻化した状況にある。訪れた時期(12月訪問)が多少良かったせいもあり、蔓延る枯れ木を避けながら何とか踏破探索出来たが、踏破した範囲において目に留まった遺構は、全て概念図には示したつもりである。その形態は本郭群両端を堀切で断った形の、小規模な山城(砦規模)としては定番とも言える輪張りプランであるが、地表風化も藪化同様相当進行中にあり、凸凹した地形から郭境を見分けるのは至難の業とも言える状況となっている。その中で見所遺構を挙げれば、唯一主郭背後尾根を断つ三重堀切という事になるが、充分見応えを感じる事は出来た。

9_higasi_horikiri_1東堀切見所

12_higasikaku東郭

13_shukaku_dorui土塁跡

18_horikiri1_225_horikiri_2_3三重堀切見所

15_minamikau

南郭


尚、個人的に地図上あるいは築城環境を踏まえた上で、鉄塔の聳える(探せばメンテナンス用登山道は見つかる)北東尾根も砦と察せられ上ってみたが、狼煙台とも想像可な、その背後に縦堀地形を伴う堀切(画像参照、地形+必然性を加味)と遭遇出来た事だけはお知らせしておきたい。ただその砦跡と推察した山上には現在鉄塔が建っているので、それ以前の事は想像する事も出来ないが、、、取り合えず参考までに。

Photo推察砦跡堀切地形

ここまで藪化の深刻化した状況にある城跡を、三重堀切の見応えだけでお薦めはし難いが、現在に至るまで人の手の入らない(推察)遺構残存度の高い城郭としての史跡価値を思えば、藪をものともしない山城ファンの方だけには、何とかお薦め出来るかも知れない(個人的には大満足)、、、ただし夏季訪問は絶対に禁物!

2014年3月24日 (月)

矢田城の出城か (仮名)矢田北砦跡(京都府与謝郡)

この推定砦跡としたものは、矢田城を訪れるべく地元(石川地区)で所在位置を確認したところ、標高151mの山頂に城跡はある事が分かり、まずその北端枝尾根から踏破を試みたところ、偶然そこで城郭遺構と遭遇した事から話は始まるが、その低丘陵上においては、郭跡と呼べる明瞭な削平地、あるいはその側壁となる切岸、あるいは薄い空堀(横堀)といった具合に、帯郭も含めてほぼ五郭で形成された、紛れもない城郭遺構と対面する事となった。結果的にそこでの遺構見学に時間を割かれたお陰で、本来訪ねる予定の矢田城(本城か?)までは足を延ばせなかったのが心残りになったが、次の機会が訪れるまでの楽しみとしてこの地を去ったのである。

1route2登城ルート及び城跡概念図

6進入路


10_sentan_kaku北端郭

11_jyoudan_kaku_1中郭跡

9_kaku_heki郭壁

12_kirigisi


郭側壁切岸

13_horikiri_2空堀跡




帰宅後、この城跡に関しての軽いリサーチは行ったが、どうも城跡としては認識されていないらしく、まだ文献資料の類にも載せられてない事が判明した。よって今回は矢田城の出城(砦)としての築城環境(末端尾根にある)を踏まえた上で、仮名)矢田北砦跡としてリポート掲載に及んだが、リサーチ不足のせいで、既に調査を終えた城跡の可能性も含んでいる事から、城跡呼称に関しては柔軟に対応して頂きたい、、、遺構に見応えまでは感じられなかったが、興味を持たれた山城ファンの方にのみ、圧倒的お手軽感も含めて、山城巡りの移動中にでも立ち寄って頂ければ、決して無駄足には終わらないとも思えたのである。尚、本来訪問予定であった矢田城に関しては、機会があれば何れ訪れる予定はしているが、この地は積雪も多く、冬季訪問は諦めた方が良さそうに思えるのである。

仮名)矢田北砦跡は京都府与謝郡与謝野町石川にあって、既にリポート掲載を終えた石川高津城の真南側に突き出した尾根先端部に位置している。訪れるには高津城を起点とすれば分かり易いので、訪問ルートの説明は今回割愛させて頂くが、ライスセンターを目印として向かい、その直ぐ東側にある集合墓地背後を上れば、直ぐにでも郭跡が迎えてくれる筈である。

2014年3月21日 (金)

谷内城跡(京都府京丹後市)

城跡は京丹後市大宮町谷内にあって、集落東側に突き出した標高144m丘陵先端部にあり、私見に基づくものになるが、標高180mの山頂に更に物見を構えた二段構えの城郭と推察されるものである。城史に関しての詳細は不明であるが、既にリポート掲載を終えた谷内北城こと鶴賀城から見れば山上詰城とも察せられる事から、山口氏の居城と言えるのかも知れない、、、

城跡を訪れるには、先に触れた鶴賀城を起点とすれば分かり易い事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、直登取り付き口は川の流れる真南側で、今回は標高180mの山頂から城跡の位置する西側尾根に向いて下る探索ルートを選択した事から、細かいルートはルート図中には示さなかった。山頂までは激斜面となっており、更に藪漕ぎも含めて20分以上は要したので、、、

1route_4登城ルート


城跡の形態は、今回余りにも藪化が深刻化していた事により、郭内をくまなく歩き回ることも、視認による遺構の判別確認も困難を極めた事から、城跡概念図は最後まで描き切れなかったが、小規模な主郭には土塁が付随しており、その背後には堀切が施されたものである。主郭から西側斜面に向いては小規模な段郭群が形成されており、北側斜面には取り合えず土塁跡が目に留まる付郭を目にする事が出来るが、切岸まで含めた全体像を覗う事も出来ない藪化を思えば、屹立する切岸の醍醐味に触れる事はほとんど出来ないだろう。更に西側斜面中腹にはそれなりの規模を有する郭跡が数段あるが、それが城郭遺構か否かの判断は、全て見学者に委ねられるだろう。

7堀切見所

13_shukaku_nai主郭内にある墓碑?

14_shukaku_dorui_1土塁見所

19_kaku残念な郭内部

26_nisikaku_gun西中腹郭




尚、私見により物見郭とした山頂部には、明瞭な二段の削平地、更にその北側には土塁跡(画像参照)らしき構築物があったので、城跡の本質を極めたい方には、参考物件程度にはなるかも知れない、

13_3山頂部物見郭(推察)




現状(八月訪問)の、郭内に進入する事も拒まれる進行した藪化を思えば、間違っても是非お薦めの山城とは言えないが、自分も含めた藪漕ぎをものともしない山城ファンの方だけに限れば、それなりに満足感は味わえる様な気はした、一言で城跡を語るのであれば、非常に残念な山城!と言う事になるのかも、、、

2014年3月17日 (月)

滝西城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市滝にあって、既にリポート掲載を終えた滝東城からみて、真西側尾根先端部に位置しており、その形態は丘城と言えるものである。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、滝東城あるいは海老手城などを起点とすればその位置も分かり易い事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、目印として「弥勒寺」を目指せばよい。車は寺院駐車場に預け、その付近の取り付き易い場所から丘陵上を目指せば、直ぐにでも本郭群が迎えてくれよう。

1route_2登城ルート

3_2城跡概念図




城跡の形態は、ほぼ概念図に描いたものに近いと思って頂いても良いと思うが、三本の堀切を挟んでほぼ三郭で成立したものである。郭総全長は60m近いもので、砦の域は決して出ないが、土塁を付随させた主郭、あるいは相当風化中にあるが、三方が土塁で囲まれた北郭などの様に、本格的普請によって築かれたと想像出来るものでもある。その中でも主郭境となる東堀切は、両端が縦堀として落ち込んでおり、中々見応えを感じさせてくれているが、北郭背後の堀切は堆積物で相当埋もれており、両岸に僅かに残る縦堀で、何とかそれと判別出来る程度と思って頂きたい。現状(12月)腰郭も含めた郭内部には、相当量の青竹が蔓延っており、見通しは利き難いが、見学や移動に差し支えるまでには至っておらず、概念図に示したまでの遺構は、全て判別確認の容易い状況にあると思って頂いても良いだろう。

8_horikiri東堀切見所

13_tatebori縦堀見所

10_shukaku主郭内

12_naka_horikiri_2中央堀切見所

11_obi腰郭



16_hokutan_kaku_yori_hori_2
北郭の土塁跡見所



城跡を個人的に評価するのであれば、車を停めて城跡まで5分とかからない圧倒的お手軽、土塁跡や縦堀を含めた空堀が三箇所で拝める事、民家が直ぐ傍まで迫りながら、比較的残存度の高い遺構が拝める事、丘城としてはまだ見学し易い状態にある事、これだけの材料が揃えば、自ずとお薦め出来る城跡と言わざるを得ないだろう、もちろん山城ではないので、切り立つ切岸の醍醐味に触れる事は出来ないが、、、

2014年3月13日 (木)

旗振山砦跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市但東町畑山にあって、既にリポート掲載を終えた仏清城より太田川を挟んだ南側低丘陵上にあり、14世紀まで遡る事になるが、後醍醐天皇の第六皇子である恒良親王を監視する為の砦跡と伝わっている。もちろん亀ヶ城を本城とした太田氏の築城によるものである。

城跡を訪れるには仏清城訪問ルートと重なるので今回は割愛させて頂くが、国道482号線からはルート図を参考にして頂きたい。小さな社殿日出神社が目印となるが、その傍を抜けて近世に郭跡地を造成したと思える墓地まで向かえば、自ずと城跡まで辿り着いた計算になる。

4_2城跡遠望

3ルート図

H_1北端郭

H推察主郭

H_4帯郭?




この砦跡は但東町史によれば、かつては本郭群南端に堀切が施されていたらしいが、先に触れた様に現在では集合墓地として造成されており、遺構見学というより史跡見学として、ほぼ三郭で形成されたと思える平坦な郭跡に佇み、砦跡としての風情を味わう程度と思って現地に赴いて頂きたい。山城跡としても砦跡としても評価は非常に難しいが、遺構見学としては落胆に終わる事は必至とも思えたので、山城巡りの移動中少し立ち寄る程度であれば、決して無駄足には終わらない城跡といった事になろうか、、、

2014年3月 9日 (日)

中郷朝日城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市中郷にあって、既にリポート掲載を終えた引野城からみて、真西側に伸びた枝尾根先端部に位置しており、現在本郭群の一部には造成整地跡は窺えるが、須賀神社が建立されている。築城環境を踏まえれば引野城の出城(砦)とも思えるが、推察の域は出ないものである。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、引野城を起点とすればその位置も分かり易い事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、国道482号線を経由して須賀神社を目指せばよい、付近までくれば登城ルート図及び概念図を参考にして頂ければよいが、城域となる配水施設傍までは、小型車であれば充分乗り付ける事が可能となっている。

1route_2登城ルート図

4城跡遠望

3a城跡概念図

この城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、本郭群と呼ぶべき郭跡地には配水施設及び社殿が建っており、両者共に相当な造成地形改変が窺われるものであり、本来の縄張りあるいは郭形状は、全て見学者の想像に委ねられるのが現実となっている。よって遺構残存度は極めて低い城郭という事になるが、最高所に位置する便宜上の主郭背後には、深さは失われているが未だ堀切(横堀に近い)が健在、更にその切岸も高さを伴ったものであり、見応えは充分なものとなっている。

6社殿

11_shukaku主郭の現状

12sita_horikiri_113_horikiri_1堀切見所

15_haigo_heki主郭背後壁見所

16_haigo_kaku_1

主郭背後の東郭



城跡を個人的に評価するのであれば、この付近一帯には引野城も含めて、既にリポート掲載を終えた山城(上郷城、中郷城、加陽城、鳥居城、伊福城など、、)がひしめき合っており、圧倒的お手軽感を加味して、山城巡りの移動中に少し立ち寄る程度なら、決して無駄足には終わらない城跡といった事になろうか。

2014年3月 5日 (水)

技巧を伴う堀切が最大の見所 下常吉城跡(京都府京丹後市)

この城跡は京丹後市大宮町下常吉にあって、既にリポート掲載を終えた常吉城(上常吉城)の掲載記事中で、城域と察せられるが未踏とルート図中に記した記憶があるが、今回は気になっていた未踏の地を踏破探索すべく、再び常吉地区を訪れる事になった(八月訪問)。結果的に自身の思惑通り大型の城郭遺構と対面する事が叶えられたが、自身のリサーチ不足のせいもあり、城跡の識別呼称は判明しないまま終わった。取り合えず以前下常吉支城をリポートした事があり、こちらがその本城とも察せられた事、あるいは同じ下常吉地区にある事から、リポート掲載においては下常吉城としたが、城跡呼称に関しては柔軟に対応して頂きたい。常吉城と同じ尾根を共有している事から、一城別郭とも充分考えられるが、、、

1route登城ルート

4城跡遠望

3st城跡概念図

城跡のアバウトな形態は概念図を参考にして頂きたいが、現状の青竹が郭跡から切岸にまで密生する状況、更に倒竹が多く、郭移動もままならぬ状況下(特に東民家側)での踏破探索は困難を極めた事から、残存遺構も縄張りも決して図に示した限りではないものと思って頂きたい。ただ山上本郭群はそれなりに見通しが利き、見学に差し支えるまでには至っていないが、、、城跡の見所遺構としては、主郭西尾根を断つ堀切が真っ先に挙げられるが、これは空堀(縦堀)に分厚い縦土塁を付随させて形成された、縄張り妙味のある堀切となっており、それなりに状態も良く(明瞭)、堀底から立ち上がる切岸の醍醐味まで含めれば、一見の価値があるものと自分の目には映ったのである。

7_karaboridou空堀道見所

11_kaku_heki切り立つ切岸見所

14_shukaku_1主郭の現状

22_minami_obi南帯郭と主郭切岸

16_horikiri_3堀切見所

21_tatebori_2ren_2

大土塁を挟んだ二重空堀見所

17_tatebori_2

深い堀切(縦堀)見所




城跡を個人的に評価するのであれば、主郭背後に施された堀切の醍醐味、あるいは郭を形成する切り立つ切岸の醍醐味だけで、充分訪れる値打ちのある城跡と言った事になろうか、もちろん状態は一切問わない事が大前提となるのだが、、、

城跡を訪れるには、常吉城と同じ訪問ルートとなるので今回は割愛させて頂くが、城跡への進入口は概念図中に示した民家脇の山道からで、そのまま道に任せて上れば、直ぐにでも高い切岸が迎えてくれる筈である。

2014年3月 1日 (土)

奥大野別城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市大宮町奥大野にあって、既にリポート掲載を終えた、巨大城と呼ぶに相応しい常吉城からみて、川を隔てた真東側にあって、低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、奥大野城を山口弾正の居城とすれば、その支城となるのかも知れない、推察の域は出ないが、、、、

城跡を訪れるには、先に触れた常吉城を起点とすれば所在位置も分かり易い事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、ルート図に示した石鳥居手前より山道で谷状地形の奥まで入り、更にそのまま直登で尾根上を目指せば、藪漕ぎもなく迷わず城跡までは辿り着けるだろう。ちなみに石鳥居より10分程度の所要時間

1route_2z登城ルート

3_4城跡概念図



城跡の形態はシンプル極まりない事から、概念図に描いたものに限りなく近いと思って頂いても良いとは思われるが、その規模は多少砦の域は出たものとも思えた。4郭を単純に並べただけの縄張りプランに、縄張り妙味までは望めないが、当時の遺構として目に留まったもの、あるいは見所となるものは、主郭東側に施された櫓台に見えなくもない土塁壇、その背後に施された僅かに縦堀を伴う薄い重堀切、鋭角に削り落とされた切岸跡、と言った事になるだろう。ただ切岸以外は地表風化が激しく、特別見応えを感じるまでには至れなかったので、遺構に多くの期待を持って臨む事は禁物!と言えるかも知れないが、、

8西端郭切岸(到達地点)見所

12_kaku3_heki郭3切岸見所

18_shukaku主郭の現状

19_yagura_1推察櫓台

20_shukakuheki主郭外壁

21_horikiri


薄い堀切跡

22_niren_tatebori二連の縦堀跡見所




現状(八月訪問)城跡は、藪化までには至っておらず、下草のほとんど蔓延らない切岸跡などは充分見学する値打ちのあるものであり、山城としては郭移動も容易く、非常に見学し易い状況にあると思って頂いても良いだろう。後で掲載予定の下常吉城、あるいは常吉城とその支城が未訪の方にとっては、三城併せた同日訪問プランは是非考慮に入れて頂きたい。単独訪問としても、この四季を問わない見学し易い状態を思えば、充分お薦めは出来るだろう。

« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »

無料ブログはココログ