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2014年2月

2014年2月25日 (火)

深山城跡(京都府与謝郡)

城跡は京都府与謝郡与謝野町滝にあって、建部神社の敷地を出郭(推察)と診立てた場合、その背後の痩せ尾根上に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた滝城を基点とすればその位置も分かり易い事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、701号沿いにある椿大橋あるいはそこから直ぐ望める建部神社の石鳥居を目印として向かえば良いだろう。そこからドコモ中継所のある拝殿まで上り、その背後尾根を山頂に向いて登れば、5分程度で本郭群が迎えてくれる筈である。

1route2登城ルート

3f_2城跡概念図



この城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思うが、全長40mにも満たない砦規模の山城である。小規模極まりない便宜上の主郭背後には見応えのある堀切、その前面には土塁(仕切り土塁)と、それなりに目は楽しませてくれるが、砦規模の城跡に数多くの残存遺構を望んではならないだろう。

7出郭か?

13郭切岸

16_shukaku主郭の現状

17_dorui_ato土塁見所

18_horikiri堀切見所




現状(八月訪問)郭内には多くの下草が蔓延っており、更に堆積物で凸凹状態にあるが、見学に支障を来たすまでには至っておらず、多くの低草木で覆われた斜面以外は、くまなく歩き回れる状況にあると思って頂いてもよいだろう。城跡の形態から考えても、この急斜面上に縦堀が施されている様にはとても思われなかったが、、、堀切と土塁に興味を持たれた方が訪れる分には、それなりに見返りも大きいのではないかと思われるのである。

2014年2月21日 (金)

出石上野城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市出石町上野にあって、集落南背後に突き出した尾根上に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた桐野城を起点とすれば分かり易い位置にあるが、国道482号線(~426号線)に進入する事が先決。国道から城跡まではルート図の赤ラインを辿ればよいが、直登口は画像に示した猪捕獲用檻の先辺りで、ここから右手側の斜面に取り付いて、比高百m程度を直登すればよいだろう。ちなみに藪漕ぎなしで10分内で到達可能

Route登城ルート図

6_2直登取り付き口


9_gedankaku下段郭

11_sanjyou_kaku主郭

12_tatebori縦堀




この城郭の形態は概念図を描くまでには及ばず、段差程度の郭境でほぼ二郭を痩せ尾根上に重ねたもので、判別確認し易い遺構としては、郭跡を除けば空堀(縦堀)だけと言っても過言とは思えないものである。郭総全長は40mにも満たないものであり、正しく砦の域は出ない城跡と言ったところか、、、もちろん見所と言い切れる遺構も他で目に付かなかったので、中々城跡の評価が難しいが、東側に隣接した標高191mの山頂には長く連続する削平地(推察)、その背後には麓に向いて長い縦堀地形(画像に注目)が窺われた事から、城跡を過大評価するのであれば、二城で集落を守備していた城郭という事になろうか、もちろん私見の域は出ないのだが、、、

Photo探索東側山頂

Photo_2縦堀地形

2014年2月17日 (月)

奥赤城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市但東町奥赤にあって、豊岡市内にあっても相当東側(丹後)に寄った奥まった山間部にある。もちろん現在でも民家が点在する程度の相当な辺境地にあるのだが、その奥赤集落の中心部より西側の山上尾根に城跡は位置しており、現在その郭転用地とも言える主郭には愛宕神社が建立されている。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、必ず一般道701号線経由で251号線に進入することになるが、集落中心部にある公民館を目印として向かえばよいだろう、そこから川を隔てた西側を望めば、直ぐ石鳥居(画像に注目)が目に留まるが、そこから山上主郭までは参拝登山道が通じているので、10分程度で迷わず辿り着ける筈である。

1route登城ルート

5登城口

3_2城跡概念図





現状(八月訪問)城跡は、主郭が社殿敷地となっている事から、地元の方も定期的に参拝しているらしく非常に整備が行き届いており、その周辺切岸斜面も比較的見学し易いコンディションの下にある。当時を物語る残存遺構としては、主郭南北両端に刻まれた明瞭な堀切郭側壁となる切岸跡は挙げられるが、主郭の堀切側に施された土塁は一部が欠けた状態(表土の流出か?)となっており、造成整地された後の残土とも考えられるので、これは見学者の判断に委ねられる事になるだろう。

14_shukaku_1整地された主郭(奥が櫓台か?)

22_heki切岸跡見所

21_nijyuu_hori_3二重堀切見所

20_minami_yori_1南より二重堀切側

23_kita_tuke_kaku北付け郭

25_kita_horikiri_2


北端堀切見所

28_nisi_obi西帯郭

城跡を個人的に評価すれば、山城としては非常に見学し易い状態が自然維持されており、遺構見学も容易く、郭跡に佇めば楚々とした山城としての風情、あるいは充分な臨場感が味わえる事、小規模が故に縄張りが掴み易い事、圧倒的お手軽感、更に二重堀切の醍醐味まで加味すれば、自ずとお薦め出来る山城の一つと言えようか。もちろん規模は絶対問わないことが前提となるが、、、

2014年2月13日 (木)

やっと踏破に漕ぎ着けた! 丹後 香久山城跡(京都府与謝郡)

この城跡は随分前に遡る事になるが、比丘尼城跡を訪ねた際に、東側別峰に削平地と片堀切地形が見止められた事から、香久山城跡と呼ばれる城郭遺構かも知れない?(私見に基づく)としてリポートした事があったが、今回はそれを確める為、あるいはまだ見ぬ城郭遺構を目にしたい思いで、再び幾地を訪れる事になった。もちろん既に地元で確かな所在地は確認していたので、迷わず辿り着けた事は言うまでもないが、、、、結果的に南北200mにも及ぶ大型の城郭遺構と対面する事が叶えられたが、今まで所在地もその形態も分からず、長きに渡ってリサーチを怠っていた事はどうかご容赦願いたい。取り合えず今回のリポートが、城跡が気になっていた方にとっての値打ちあるものとなったのであれば、これ幸いと言ったところか、、、

城跡は京都府与謝郡与謝野町幾地にあって、既にリポート掲載を終えた幾地から見て、県道2号線(76号線)を挟んで対面した南側低丘陵上に位置している。城跡を訪れるには「野田川フォレストパーク」を目として目指せば分かり易いので、細かい訪問ルートは割愛させて頂くが、公園駐車場から直ぐ目に留まるフェンスのある入山口から進入して、そのまま左手側の斜面から丘陵上を目指せばよい、右手側は私有地に入るので注意が必要!

1route_3登城ルート

3kg城跡概念図




城跡のアバウトな形態は概念図を参考にして頂きたいが、描いたまでが自身が踏破探索した範囲、あるいは遺構を判別確認した範囲と思って頂ければよいだろう。縄張りは個人所有地となる東側尾根先端部にまで及ぶものと察せられたが、私有地(看板がある!)である為踏破確認までは至れず、更に四方枝尾根上までは覗いていないので、残存遺構も縄張りも概念図に描いた限りではないものと思って頂きたい。この城跡はそれほど規模が大きい(未踏の地の推察を含む)ものであり、短時間で郭形状やその縄張りを把握する事は、至難の業とも思われたのである。

8_hakobori郭切岸跡見所

10_sita_hakobori箱堀に近い郭跡見所

15郭跡

20_kaku郭跡

25_horikiri_dobasi_2土橋付堀切見所

32_obi

北郭群帯郭

35_nisi_horikiri_1西堀切見所

36_horikiri_yori_honkaku_gawa_1西より本郭群切岸見所

29郭跡




見所遺構としては、堆積物(落ち葉)は多いが限りなくフラットに近い本郭群跡、下草の蔓延らない鋭角に削り落とされた見事な切岸跡堀切などは充分挙げられるが、特別縄張り妙味がある城跡とは思えないので、郭跡に佇んだ際の半端ない臨場感を感じて楽しむ事が、この城跡における見学の仕方と言えるのかも知れない、、、

城跡を個人的に評価するのであれば、見応えのある遺構が目白押しと言う訳でもなく、インパクトのある空堀がある訳でもないのだが、郭全体に見通しが利くことによる、このただならぬ臨場感は是非味わって頂きたいと思えたのである。当然是非お薦め出来る城跡の一つという事にはなるだろう。

2014年2月11日 (火)

お知らせ 城跡呼称の判明

今まで自身が探索踏破した上で、城郭遺構と判断したにも拘らずリサーチ不足のせいもあって、仮名城跡としてリポート掲載に及んだ但馬地方の山城の呼称が判明しましたのでお知らせしたいと思います。と同時に、その後但馬在住の山城ファンの方から頂戴した信頼出来る情報により、呼称を取り違えた城跡も判明しましたのでお知らせしたいと思います。

1)数年前に森津城跡のリポート記事中で、呼称不明の城跡としたものは東城と判明(リポート記事中にそのまま据え置き)

1_2滝東城概念図

2登城ルート図

2)数年前に気比高城としてリポート掲載に及んだものは、気比白山城と呼称を取り違えていた事が判明、気比高城はまだ未訪の為、現状正確な所在地及びその形態は不明です。(城跡呼称は既に訂正済)

1_3気比白山城跡概念図

2_2登城ルート図

3)数年前(2009年三月)但馬の山城カテゴリー中に簸磯城跡としてリポート掲載に及んだ城跡は、現地在住山城ファンの方から頂いたその後の情報で、一つ尾根を挟んだ北側山上に同名の城跡が存在する事が既に判明しておりましたが、昨年本来の簸磯城跡は探索踏破する事ができました。もちろんまだリポート掲載には至っておりませんが、何れリポート掲載の予定です。ならば以前紹介した城跡は?という事になりますが、情報を提供して頂いた方によれば、公的資料にはまだ載せられていない山城の一つという話なので、字名を採用し取り合えず仮名)上山北城跡とさせて頂きたいと思います。ちなみに上山城は北城から見れば真南の枝尾根先端部に位置しており、館城の様相となっています。この城跡も何れリポート掲載の予定です。尚、この呼称を取り違えた城跡は記事据え置きにて、タイトル(仮)上山北城跡として既に訂正は終えましたので、これを機に訪れる準備のある方には、上記呼称にてブログ中アクセスして頂ければ幸いです。

4仮)上山北城跡概念図

2_2ルート図

2014年2月 8日 (土)

これも天空の城の一つ! 矢根城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市但東町矢根にあって、標高313mの険峻極まりない山頂に位置しており高城としての別称がある。城史に関しては室町期になるが、山名氏家臣家城氏の居城と伝わっている。

城跡を訪れるには国道9号線あるいは426号線経由で56号線に進入しなければならないが、橋のかかる入山進入口付近まで到達すればルート図を参考にして頂きたい。そこから城跡は直ぐ望める位置にあるので、方向を確認後民家脇から始まる入山口まで向かえばよい。この確かなメンテナンス用登山道は、山頂に備わる無線施設まで繋がっているので、迷わず辿り着ける筈である。ちなみに約30分の所要時間

1route登城ルート

3_1z城跡概念図



この城郭はほぼ主要二郭と腰郭で形成されたものであり、山頂における郭占有面積は小さく、郭総全長40mにも満たない、ほぼ概念図に描いたままの砦規模の山城と思って頂いてもよいだろう。ただし郭間に施された二重堀切(横堀)の見応えは抜群!とも言えるもので、郭側壁となる鋭角に削り落とされた切岸と並んで、城跡最大の見所となっている。現在無線施設が主郭(僅かに眺望が利く)に建っているが、見る限り整地だけに終わったものであり、縄張りとしての祖形は決して失われてはおらず、遺構残存度も高く、個人的には非常に値打ちのある城郭遺構と感じられたのである。

13_obi付け郭切岸

14_koguti_1主郭虎口

17shukaku主郭

18_heki主郭切岸見所

23_minami_yori21_2jyuu_hori_2二重堀切見所

現状(七月訪問)小規模が故に縄張りは掴み易く、その切岸斜面も含めて、山城としてみればそれなりに探索踏破出来る状況となっているが、相当な藪城を想定して臨んだだけにその感動は大きく、草木の余り蔓延らない切岸跡や、見応えのある堀切を見ただけで、充分な満足感が得られた事だけはお伝えしておきたい。

城跡を個人的に評価するのであれば、上記に挙げた全ての材料、あるいはトレッキング気分で山頂まで上れる事まで含めれば、山城ファンの方だけを問わず、軽い登山を楽しまれる方にも是非訪れて、山城遺構の醍醐味を味わって頂きたいと思えたのである。この城跡も自分の中では「天空の城」の一つであり、小規模極まりないが、醸す山城の風情は最高!間違いなくお薦め出来る城跡の一つ、と自分の目には映ったのである。

2014年2月 4日 (火)

桐野東城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市出石町桐野にあって、先にリポート掲載を終えた本城とも言える桐野城より谷状地形を挟んで直ぐ東側へ隣接した低丘陵上先端部に位置している。築城環境及びその規模からすれば、自ずと東側を牽制した出城と考えればよいのかも知れない(断定)。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、桐野城と同じ訪問ルートとなる為割愛させて頂くが、直登取り付き地点は桐野城直登口とした付近より、更に奥へ入った小さな沢を跨げる地点で、相当な激斜面を登ることになるが、数分で主郭までは辿り着けるだろう。

1route_3登城ルート

3_2_3城跡概念図




現状(八月訪問)ほぼ二郭で成立した城郭は、本城より少し劣るかも知れないが、それなりに見学し易い状況にあると思って頂いてもよいだろう。見所遺構は数少ないものになるが、城郭の特徴として二郭間には仕切り土塁としての役割を担ったか、櫓台の如き土塁壇が備わっている。堀切は当然の如く施されているが、横堀に近い形で南端尾根を分断する形態となっている。郭総全長は60mにも満たないものであり、正しく砦規模の山城という事になるだろう。

8_shukaku便宜上の主郭

9_shukaku_yagura_1推察櫓台見所

11yagura_haigo副郭より櫓台背後

13_fuku_kaku便宜上の副郭

17_horikiri堀切見所

16_horikiri_heki

主郭背後の見応えのある堀切壁見所



城跡を個人的に評価するのであれば、本城のリポート記事中で触れた様に、山城巡りとすれば非常に効率が良く、城同日訪問とすれば、間違いなくお薦め出来る城跡!という事にはなるだろう。

2014年2月 1日 (土)

山頂には僅かな石積み跡が、、桐野城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市出石町桐野にあって、標高約148mの低山山頂に位置している。城史に関しては、既にリポート掲載を終えた高生田(タコウダ)城主でもある、山名氏家臣福富甲斐守の居城が伝わるが、福富氏が高生田城を攻め落とす前に居城としたのがこの城だと伝わっている。氏は勇猛な武将として名を馳せているが、高生田城を秀吉によって攻め落とされた後の消息は定かではない。

1route_2登城ルート

4tozanguti_1入山直登口

3_2_2城跡概念図



現状(八月訪問)、近年マニアックな山城ファンの方しか入山した事がない(推察)状況の山城にしては、それなりに誇れる状態(郭跡のみ)にはあるが、当然その四方斜面上は自然任せの藪化が進行している。踏破探索した中で目に留まった遺構は、全て概念図には記したつもりだが、それは本郭群周辺だけだと思って頂きたい。ちなみに自身が踏破した範囲内に堀切は施されていなかったが、未踏の地(南北の枝尾根)には刻まれていたのかも知れない、、、見所と言えるものは、堆積物の異様に少ないほぼフラットな郭跡、及びその鋭角に削り落とされた高低差を伴う切岸跡、自然地形に任せて削平されたとはいえ、鶴翼の陣の如きユニークな縄張り形態郭壁随所に窺われる石積み跡は挙げられよう。規模は流石に福富氏の居城らしく、山上における郭占有面積は大きく、比較的大きい部類に入る山城と言っても良いかも知れない。

13_kita_dankaku_gun北段郭群切岸見所

25_shukaku_1フラットに近い主郭

26_2kaku郭2

27_isidan石段跡見所

31_2kaku_heki郭2切岸見所

30_3kaku_koguti

郭3 虎口

34_3kaku_isi34_3kaku_isi_2郭3 石垣跡見所




城跡を個人的に評価すれば、本郭群だけに関しては見学し易く充分誇れる状にある事、草木の蔓延らない生々しい見事な切岸(高い!)、先に触れた石積み跡、遺構残存度が高く(推察)ほぼ無名に近い山城としての希少性、あるいはこの後リポート掲載予定の、東城(出城か?)まで含めた遺構見学とすれば、間違いなく是非お薦め出来る山城の一という事にはなるだろう。

城跡を訪れるには、まず国道426号線に進入することが先決となるが、出石町寺坂付近から城跡に至るまでの道程は、登城ルート図を参考にして頂きたい。城跡から見て国道沿いの東西にある橋を渡ってからは、ルート図における赤ラインを辿れば難なく直登口(画像に注目)までは辿り付けるが、西側の橋を渡って向かう場合は、直ぐ麓まで車で乗り付ける事が可能となっている。そこから山道に沿って少し奥に入れば、右手斜面のどこから取り付いて上っても、藪漕ぎなしで15分程度あれば本郭群まで辿り着ける筈である。

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