« 2013年1月 | トップページ | 2014年2月 »

2014年1月

2014年1月28日 (火)

やっと所在地判明! 坂津城跡(兵庫県豊岡市)

この城跡は数年前のブログ記事にまで遡る事になるが、但東主計城(但馬地方の山城カテゴリー)のリポート記事中に、訪れた際地元で明確な所在地を特定する事が叶わず、私見によって推定坂津城跡として載せた記憶がある。その後但馬の山城巡りの際には、何度となくお世話になっている山城ファンの方から、公的資料にある坂津城は推定城跡より派生した、北西側の枝尾根上にあるといった情報を頂戴し、今回はやっと本来の坂津城を訪れる事が叶えられた。尚、主計城リポート記事中で触れた推定坂津城(記事は据え置き)は、空堀の類は目に留まらなかったものの、切岸及びその築城環境から紛れもない城郭遺構と自分の目に映った事から、私見に基づいたものになるが、坂津城山上郭群(鬼子母神の社殿がある)としてルート図及び概念図は載せたので、興味を持たれた山城ファンの方には、山上郭群とその枝尾根上にある二城で成立(推察)したと思われる、城郭遺構を是非覗いて頂きたいと思うのである。

1登城ルート

4_2直登口

3_2城跡概念図

Photo推定山上郭群概念図




城跡は豊岡市但東町坂津にあって、その所在位置は先に触れたルート図を見ればほぼお分かり頂けるだろう。その登城口は直登となるが、公民館傍(画像に注目)から右手側にある谷状地形を目指して上り、この付近では唯一とも言える入山口となるフェンスを開閉して、更に谷状地形に沿って上る事になる。数分で左手斜面側に直ぐそれと分かる縦堀地形に遭遇する事になるが、そこから既に城域に入っている事は確認出来よう。城史に関しての詳細は不明

現状(訪城時期八月)自身が探索踏破した範囲内における、概念図に示したまでの遺構は、山城ファンを自認する方であれば、本郭群と尾根を絶つ二本の二重堀切やそれに伴う縦堀、主郭に施された大土塁、あるいは切岸跡と、見れば直ぐに判別確認可能な比較的良い状態にあるが、自然任せの地表風化は随分進行中にあると思って頂ければよいかも、、、。その中で畝状空堀に見えなくもない、土塁を間に挟んだ空堀跡や、低い段差程度の段郭群境などは明瞭なものではなく、自身が描いた概念図は何時もの様にアバウトな縄張りと思って頂ければ有難い。ただ郭跡から四方斜面に至るまではくまなく歩き回れる状況となっているので、低草木の余り蔓延っていない、ほぼ全貌の窺える堀切などは充分楽しめるものとは思われる。

7_horikiri_tatebori_1縦堀(これに沿って上る)見所

8_horikiri東堀切見所

15_shukaku_dorui_2主郭土塁見所

15_shukaku_nai主郭内

11_2jyuu_hori西二重堀切見所

26

畝状空堀らしき地形見所

16_obi帯郭

城跡を個人的に評価するのであれば、全長40m程度の砦規模の城跡ではあるが、先に触れた様に遺構の見応えは充分なものであり、山城を形成する空堀、土塁、切岸の三要素は備わっているので、規模さえ問わなければ充分お薦め出来る城跡の一つ、といった事になろうか、、

2014年1月24日 (金)

本郭群を発見! 大河内城跡(兵庫県豊岡市)

この城跡は大河内城跡として既に4、5年前リポート掲載したにも拘らず、本郭群は小規模、更に空堀も施されていなかったので、個人的には砦を覗いただけで、肝心の本郭群を見逃していた可能性もあり、何時か再訪して再確認する機会を窺っていたが、ここに来てやっと再訪の機会に恵まれ、直接地元で得た情報を元に、自身の思惑通り誤認した可能性のある山上本郭群を見つけ出す事が出来た。よって過去リポート掲載に及んだ同名の城跡(記事は削除)は、今回は推察南砦跡として再び登城ルート図及び城跡概念図を載せたので、興味と時間に余裕のある方は是非そちらも覗いて頂きたい。ただし砦の方は私見に基づくものであり、但東町史には載っておらず、公的にはまだ城跡として認識されていないが、、、

3oo推察)南砦跡

城跡は豊岡市但東町大河内にあって、民家の点在する小さな集落の北側の山上に位置しており、現在その小規模な主郭転用地には、小さな金比羅祠(愛宕祠かも?)が祭られている。城史に関しては、室町期に山名氏家臣の桑垣、内藤氏の在城が伝わるのみで、詳細は不明。

1route_2登城ルート図

4入山口

3城跡概念図




現状(訪城昨年八月)城跡は、郭転用地とも言える主郭に祠が建つ事から、地元の方も定期的に参拝しているらしく、その敷地は整備されてフラットな状態にあり、概念図に示した縄張り内における残存遺構は、極めて見学し易い状態にあると思って頂いても良いだろう。山上本郭群の全長は50mにも満たないものであり、砦規模の山城と言っても過言とは思えないが、下草や低草木の蔓延っていない、郭壁となる切岸や堀切などは、ほぼその全貌が覗える、城としては素晴らしいコンディションの下にあり、残存遺構も含めた佇まいそのものが、この城跡の見所と言えるかも知れない、、、よって個人的に城跡を評価するのであれば、規模さえ問わなければ間違いなく是非お薦めできる山城の一つ!と言う事にはなるだろう。

10_minami_horikiri南西堀切見所

24_shukaku_nisi_heki主郭西切岸

20_shukaku_1主郭

15_shukaku_kita_hori_2主郭北堀切見所

21_hori_heki堀切壁見所

17_kitakaku

北郭

20_hokutan_hori北端堀切見所





城跡を訪れるには、京阪神側から向かう場合、まず国道426号線に進入する事が先決となるが、ルート図中にある登尾トンネルを目印として目指せば分かり易いだろう。そのトンネルを潜り抜ければ次の三叉路を右折、後はルート図を頼りに民家横にある(画像に注目)入山口まで向かい、そこから参拝登山道に任せて山上を目指せば、迷わず主郭までは辿り着ける筈である(西端堀切までは10分程度)。

2014年1月 9日 (木)

永らくお待たせしました!

TAKUです、山城ファンの方々並びに「山城賛歌」読者の方々には永らくお待たせしました!遅ればせながら明けましておめでとうございます。

昨年の二月からおよそ一年に渡り、体調も含めた個人的諸事情により、山城巡りもブログ更新もままならない状況が続き、山城リポートも自ずとその間途絶えて居りましたが、昨年秋辺りよりやっと山城巡りを再開させる事が出来ました。その間における城跡情報の提供、あるいは励ましのメールやコメントを頂戴していたブログ読者の方々には、満足のいく返信コメントも発信出来ず、非常に心苦しく思っておりましたが、この場を借りて一年間における無礼をお詫びしたいと思っている次第です。

山城巡りの再開に関しては、ここ一年の間に現地在住の山城ファンの方から寄せられた信頼のおける情報により、今まで城跡の存在は知り得ながら、その所在地すら掴めなかった知名度の低い但馬の山城が中心となりますが、既に昨年の夏場あたりから探索踏破を終えた山城も数城あり、これから編集次第ぼちぼちと掲載の予定です。よって情報鮮度が少々落ちる分に関しては、ご容赦願いたいと思います。

その中にあっては、推察(推定)城跡として既に現況報告を終えたにもかかわらず、リサーチ不足で呼称の判明までには至れなかった城跡、あるいは小規模な出郭(砦)を覗いただけで、肝心の本郭群を見逃していたものも併せて、新たな城跡情報として再び掲載に及ぶ予定です。これから寒さも益々厳しくなると思われますが、より安全面を重視した体に無理のない山城巡りは是非心がけて頂きたいと思います。尚、今年第一弾目の山城リポートは、一月末あたりには予定しておりますが、ここ一年の間概念図を描いたり、パソコンのキーボードを叩く機会がほとんどなかっただけに、リポート編集がやや不安な今日です。

« 2013年1月 | トップページ | 2014年2月 »

無料ブログはココログ