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2012年12月

2012年12月23日 (日)

蓮池上山氏城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市蓮池にあって、登城ルート図を見れば直ぐお分かり頂ける様に、先にリポート掲載を終えた村井氏城からも直ぐ望める程近い距離にあり、「蓮生寺」直ぐ東背後の丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、上山氏の居館跡と伝えられている。

城跡を訪れるには、先に触れた村井氏城を起点とすればその位置も分かり易い事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、「蓮生寺」集合墓地東背後の雑木竹林地の中が城跡でもあり、墓地背後より上れば直ぐにでも土塁上に佇む事が可能となっている。

1route_1 登城ルート

7 城跡進入経路

3u 城跡概念図

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、伊賀の居館跡に相応しく土塁で主郭四方を固めたもので、その四方を廻る土塁はほぼ完存、しかも虎口付近には組みの痕跡が残る井戸跡、更に当時の遺構かどうかの正否の判定は難しいが、郭周囲には排水溝の様な石列が廻っている。お定まりとも言える空堀(箱堀)は主郭東背後に施されているが、堆積物によって深さは相当失われており、見応えには少々欠けるかも知れない。この空堀には空堀に沿う形で石垣も一部残っているが、遺構としての正否の判定は見学者の判断に委ねられるといったところか、、、、空堀を越えて更に東側に足を延ばせば、二方を土塁(内壁に石積跡)で仕切られた形の削平地を眼にする事も出来るが、これも縄張りの一部と見て良いのかも知れないが、空堀下の直ぐ南側に展開される規模の大きい削平地(石組み井戸と郭壁随所に石垣跡が残る)と同様に、後世における寺院跡地とみるのが妥当なところかも、、、、謎。

20_shukaku  主郭内部の現状

12_idoato 井戸跡見所

23_douri_naiheki 配水溝か?石列

22_dorui 土塁見所

23_minami_dorui_heki_1 土塁外壁

16_karabori 空堀見所

18_isigaki_1 空堀、石垣

現状(12月)城跡は郭内部も含め、その一帯は風化も藪化も相当深刻化しており、青竹や低草木が一面に蔓延っている上に、更に倒竹が追い討ちをかける状態となっており、郭内をくまなく歩き回る事は困難を極める状況にあると思って頂いてもよいだろう。もちろん四方を廻る土塁の全体像を拝む事も出来ないが、比較的見通しが利き、蔓延る木々の少ない土塁上を移動すれば、先に触れた遺構群は何とか判別確認も出来るだろう。城跡を個人的に評価すれば、残存遺構に見応えまでは望めそうにないが、空堀や土塁、更に井戸跡も含めた、ほぼ完存とも言える遺構群の史跡としての値打ちは高く、その状態さえ問わなければ、圧倒的お手軽感も加味して「充分見学する値打ちのある城跡の一つ」、といった事にはなろうか、、、、

2012年12月19日 (水)

村井氏城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市蓮池にあって、蓮池地区に数多く築かれた居館跡と同様に低丘陵上に位置している。城史に関しては、その名が語る様に村井氏の居館跡と伝わっているが、詳細は不明。

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた和田城や大北東城を起点とすれば、その位置も分かり易いが、住宅敷地の一部をかすめながら竹薮に進入すれば、直ぐにでも主郭に辿り着ける筈である。

1route_1 登城ルート

4 城跡遠望

3_2 城跡概念図

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、伊賀に数多く見受けられる、土塁に空堀が伴う方形居館跡に近いもの思って頂いても良いだろう。現状土塁は東側のみに残るが、本来は郭南北にも備わっていたのかも知れない、、、? 空堀は土塁背後の東側と主郭北側にL字状に残るが、残存状態は比較的良く、掘削幅を伴う(6m前後)事から非常に見応えを感じるものとなっている。

10_higasi_dorui 東側土塁見所

10_higasi_dorui_2 土塁上

12_shukaku_1 残念な主郭の現状

9_shukaku_dan 主郭土塁壇

11_kita_dorui 主郭土塁コーナー部

15_karabori 大空堀見所

現状(12月)主郭跡には多くの青竹が蔓延り、郭内をくまなく歩き回る事は困難を極めるが、概念図に描いたまでの遺構の判別確認は、土塁上を移動しながら見て回れば、取り合えず難渋はしない状況にある。この後現況リポート予定をしている上山氏城や、脇田氏城なども併せた同日訪問とすれば、圧倒的お手軽感も加味して、何とかお薦め出来る城跡といったことになるかも知れないが、状態は決して問わない事が大前提とはなるだろう。空堀は充分見学する値打ちあり!

2012年12月16日 (日)

伊賀清水城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市高山にあって、「高山バス停」から道路を隔てた直ぐ西側の丘陵上がそれにあたる。城史に関しての詳細は不明であるが、土塁が廻る主郭を中心としたまとまった縄張りプラン、あるいは比較的大規模な形態を思えば、伊賀に数多く築かれた居館跡と見るのが妥当なところか、、、、

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた吉田氏城を起点とすれば分かり易い位置にあるが、名阪国道「友生IC」で県道56号線に進入し、百地砦など数多くの居館跡が林立する蓮池地区を通過した上で高山集落を目指せばよい。城跡への取り付き口は画像と概念図を参考にして頂きたいが、道路沿いからその斜面を覗き込めば、木々の隙間からでも切岸は確認出来る状況にあり、その上り易い斜面を探して上れば、直ぐにでも土塁上に佇む事が可能となっている。

1route 登城ルート

5 取り付き口

3 城跡概念図

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、直ぐそれと分かる残存遺構は数も少なく、主郭と察せられる大規模な郭跡をほぼ半周取巻く低土塁、主郭北東斜面側の明瞭な切岸、北西側に施された幅のある深い空堀だけと言っても過言とは思えないものであり、城跡にあっては唯一醍醐味の感じられる空堀も、ほとんどが下草や低草木に覆われており、その全体像を窺う事はとても叶わない状況となっている。よって明瞭な低土塁と並んで、遺構の見応えには余り期待できないものと思って頂いても良いかも知れない、、、

7 北東切岸見所

10_dorui 低土塁

11_dorui_ue_1 櫓台か(規模の大きい低土塁)

13_horikiri_3 空堀見所

15_shukaku_heki_1 主郭北西側切岸

現状(12月)主郭跡の藪化や地表風化は相当進行しており、郭内をくまなく歩き回る事はとても叶わない状況となっているが、土塁上を移動すればそれなりに遺構見学は可能であり、大雑把ではあるが縄張りも充分把握可能な状況にある。城跡を個人的に評価するのであれば、蓮池地区に数多く築かれた居館跡巡りの一環とした上で、圧倒的お手軽感も加味し、更に効率の良い同日訪問とすれば、何とかお薦め出来る城跡といった事になろうか、、、

2012年12月11日 (火)

縄張り妙味のある連続空堀が見所! 油江小谷城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市油江(ユゴウ)小谷にあって、小さな集落の中央に位置しており、北キンキ丹後鉄道「丹後神崎駅」からみて南側の低丘陵上にあるが、駅のホームからも充分望める位置にある。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた蒲江城を起点とすれば分かり易いが、由良川に沿って走る571号線に進入し、「丹後神崎駅」を目印として目指す事になる。登城スタート地点となるのは「油江集会所」背後にある赤い鳥居からで、ここから旧参拝登山道に任せて上れば、旧社殿の建つ主郭までは10分内で辿り着ける筈である。尚、車の駐車に関しては、集会所付近に路駐可能なスペースが充分確保出来るので心配には及ばないだろう。

1route 登城ルート

5 城跡遠望

10 入山口

3 城跡概念図

城郭の形態は概念図を参考にして頂きたいが、規模は小さく、ほぼ単郭で形成された砦規模の山城と思って頂いても良いだろう。ただし斜面上に施された連続する空堀(縦堀)、あるいは主郭背後の尾根を断つ三連の堀切(縄張り妙味の感じられる空堀)が象徴する様に、練られた縄張りプランは中々味のあるものであり、下草の蔓延らない状態の良い切岸、旧参拝登山道で迷わず上れるお手軽感も含めれば、規模さえ問わなければ間違いなくお薦め出来る山城の一つ!と自分の目には映ったのである。尚、社殿のある主郭までは、現状虎口跡の様にも窺える空堀道が刻まれているが、余りにも状態が良い事、あるいはこの規模の城郭で、当時主郭正面に堂々と分かり易い虎口(空堀道)を設けた例が見当たらない事もあって、これは後世参拝用に掘削されたものと見るのが妥当なところか、、、

19_shukaku_1 主郭

21_horikiri_1 堀切見所

30_kita_heki 主郭切岸見所

25_one_2ren_horikiri 痩せ尾根上の二連堀切見所

27_tatebori_2 縦堀見所

31_3ren_tatebori 三連の縦堀見所

32_kita_2ren_tatebori_1 北二連縦堀見所

現状(11月)城跡は、近年までは地元の方が稲荷神社へ参拝に訪れていた事もあって、登山道も含めて蔓延る木々は比較的少なく、そのお陰で現存する遺構の判別確認は容易く、山城としては遺構見学のし易い状態にあると思って頂いてもよいだろう。ただし地表風化はそれなりに進行しているので、堆積物によって埋もれた連続空堀(縦堀)や堀切、あるいは薄くなった土橋などに、見応えまでは決して望まない事が肝心となるが、、、、

2012年12月 7日 (金)

打越城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市下東にあって、先にリポート掲載を終えた岡ノ谷城、寺ノ谷城の北側背後に聳える山の山上最高所に位置しているが、この二城における本城が打越城と考えれば良いのかも知れない、、、城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先に触れた二城の堀切背後から、そのまま尾根伝いに山上を目指せば辿り着けるが、寺ノ谷城をそのまま通過して上った場合、所要時間15~20分前後と思って頂ければ良いだろう。

1route_2 登城ルート

5_2 城跡遠望

今回の訪城では、先に触れた二城はともかく、山上本郭群における全体踏破は叶えられたものの、途中から降り出した雨によって長居は出来ず、西側枝尾根までの踏破は叶わなかった。よって何時もの概念図を描くまでには至れず、今回は言葉でそのアバウトな本郭群の形態を説明させて頂くことになるが、全長30m前後の主郭から南西斜面側に向いて幾重にも重なる帯郭、あるいは狭小段郭群を特徴としたものであり、本郭群背後を断つ東尾根上には唯一堀切(縦堀に繋がる)が施されている。これは堆積物(落葉で数mは埋もれている?)や長年の風化(侵食)によって非常に薄くなっており、見応えはとても望めそうにないが、取り合えず見学者の目は楽しませてくれる筈である。全体的に山上郭群における郭高低差は余りなく、更に風化が激しい事から、切り立つ切岸などの醍醐味に触れる事は出来ないと思って頂いても良いかも知れない、、、

10_obi_dan 南西帯郭

13_shukaku_1 山上主郭

14_shukaku_higasi_heki 主郭切岸

17_higasi_gedan_2 東郭

18_horikiri 薄い堀切

20_tatebori 縦堀

現状(11月)城跡は、先に触れたように堆積物や侵食による地表風化は激しく、更に藪化も進行中にあり、城郭としての縄張りを掴む事は非常に困難極まりない状況下にある。更に見応えのある遺構は皆無に近く、個人的にはとてもお薦め出来る山城とは言えないが、先に触れた二城、あるいは佐織城も含めた同日訪問とするのであれば、興味を持たれた方だけには何とかお薦め出来るかも知れない、もちろん遺構の見応えは決して望まない事が前提となるが、、、

2012年12月 4日 (火)

岡ノ谷城跡/寺ノ谷城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市下東にあって、先にリポート掲載を終えた佐織城から見て真北側の低丘陵上に位置しており、谷状地形を挟んだ西側に位置するのが岡ノ谷城、東側に位置するのが寺ノ谷城となっている。後でリポート掲載予定の打越城はここから更に北に向いて上った山頂にある。城史に関しての詳細は不明であるが、築城環境を考慮するのであれば、二城共に打越城の出郭(出城)と見るのが妥当なところか、、、

城跡を訪れるには、先に触れた佐織城を起点とすればその位置も分かり易いので、城跡までの細かいアクセス方法は割愛させて頂くが、東善寺を目印として車を走らせればよい。寺ノ谷城跡への進入経路は、概念図を参考にすれば分かり易いとは思われるが、岡ノ谷城へ向かうには一度打越城まで上り、その遺構見学を終えた後、下山時右側の尾根へ下りる形で向かえば良い。ただし打越城への訪城を最初からパスされる方には、寺ノ谷城から谷状地形を跨いで向かわれる事をお勧めしたい。

1route 登城ルート

5 城跡遠望

3ok 城跡概念図

城跡の形態は二城共に概念図を参考にして頂きたいが、寺ノ谷城は狭小郭の背後に堀切(V字形の薬研堀ではない!)が備わる、見張り台程度の城郭と思って頂ければ良いが、その郭跡には多くの低草木が蔓延り、中々その全体像は掴み辛い状況にある。

Photo 寺ノ谷城取り付き口

2 寺ノ谷城本郭

3 寺ノ谷城堀切見所

岡ノ谷城は郭内の見通しが利き、それなりに見学し易い状況にあるが、規模として砦の域は出ないものの、櫓台土塁背後には明瞭な堀切が施されており、充分見学する値打ちのある城跡といった事になろうか、、、

13_shukaku14_shukaku_doruigawa  岡ノ谷城主郭

11_horikiri 堀切見所

16_yasiki_heki 広い南郭

尚、打越城の現況リポートはこの後に予定しているが、山城巡りとして効率の良い三城同日訪問は、打越城のリポート記事を拝見した上で判断して頂きたい。由良川あるいは下東集落を監視下においたと思われる、佐織城まで含めた山城巡りは自ずとお薦め出来るが、、、

2012年12月 1日 (土)

佐織城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市下東にあって、登城ルート図を拝見すればお分かり頂けるように、既にリポート掲載を終えた丸田東城から見て、由良川を隔てた真東側の低丘陵上先端部に位置しており、中山城も含めた三城の位置関係は、なぜか正三角形の構図を形作っている。城史に関しての詳細は不明だが、直登取り付き地点とした集合墓地の中に佐織氏の墓石があった事を思えば、一色氏家臣の中に佐織氏も名を連ねていたのかも知れない、、、当然推察の域は出ないが。

城跡を訪れるには、先に触れた丸田東城を起点とすれば分かり易いので、城跡付近までのアクセス方法は割愛させて頂くが、571号線と平行して走る北キンキ丹後鉄道高架下を潜って直ぐの場所に、今回登城取り付き口とした集合墓地はある。そこの最奥最上段にある墓地背後より山上を目指して上る事になるが、藪漕ぎもなく10分前後で辿り着けよう。

1route 登城ルート

3sa 城跡概念図

城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、小規模な主郭を頂点として尾根上三方向に郭は張り出しており、唯一の空堀とも言える堀切は、主郭背後となる南尾根側に施されている。この堀切が城跡にあっては唯一見応えのある見所遺構という事になるが、郭を形成する切岸跡なども充分醍醐味を味わえる筈である。

9_kaku_heki 西郭切岸

10_kaku 西郭群

16_kitakaku 北郭

19_kitakaku_yori_shukakuheki 北郭より主郭側

21_minamikaku_shukakuheki 南郭と主郭切岸見所

23_horikiri_2 堀切見所

現状(11月)城跡は、多くの堆積物(全て落葉)や低草木、あるいは下草で地表も露見していない箇所が多く、地表風化が更にそれに追い討ちをかけており、郭移動に差し障るまでには至っていないものの、主郭周辺に限って言えば、郭構成やその形状などは外見から非常に読み辛い状態にある。よって概念図に示したものは、推察及び自身の想像をある程度含めたものと思って頂きたいが、縄張り妙味の感じられる城跡ではないので、過大な期待を抱いて臨まない事が肝心とは言えるだろう。これを機に訪れる用意のある方には、由良川沿いに数多く築かれた城跡の遺構見学の一環とすれば、何とか訪れる理由も生まれて来るのではないだろうか、、、

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