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2012年10月

2012年10月28日 (日)

これも天空の城の一つ! 須留岐山城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市八鹿町浅間にあって、標高約450m(比高360m)の須留岐山山頂に位置しているが、先にリポート掲載を終えた浅間寺城の背後激斜面を登れば、自ずと山頂を極める事の出来る山城でもある。城史に関しては浅間寺城同様不明な部分が多いが、ここまで険峻極まりない山頂に、しかも山上本郭群周囲を全て切岸化した本格的山城を築くあたりは、浅間城(低山)を居城とした佐々木氏の普請によるものとは考え難い。そのあたりも含めて充分山城ロマンに浸れる城跡という事になるが、とにかく規模は小さいが、主郭に佇めばほぼ縄張りの全体像が窺え、更に下界の眺望も利き、「イメージは正に天空の城跡」と眼には映ったのである。これで山頂の木々が全て伐採されれば、遺構見学としても山登りとしても申し分のないところだが、、、

城跡を訪れるには、浅間寺城と同様のアクセス方法となるので割愛させて頂くが、浅間寺城から先は、道案内も兼ねた手摺り代わりとなる鎖にすがりつきながら、そのまま激斜面を山頂目指して上れば良い。ただこの激斜面は相当足腰に負担を強いられる事になるので、最初から浅間寺城の遺構見学をパスするつもりなら、80分は要する(地元で聞いた話)が、比較的勾配の緩い尾根筋ルートをチョイスして頂ければよいだろう。山城巡りにおける体力を温存する事や、安全面を考慮するのであれば、直登ルートで上り、尾根筋ルートで下山する事がお勧めということになるが、ちなみに寺院から山頂までは最低約45分の所要時間、下山は尾根筋ルートで40分程度の所要時間と思って頂ければ良いかも。

1route 登城ルート

9tozanguti 登山口

3sr 城跡概念図

城跡の形態はコンパクトにまとまった縄張りという事もあって、ほぼ概念図通りと思って頂いても差し支えないと思うが、主郭内部は長年の地表風化によって凹凸が激しく、西郭の北急斜面上は蔓延る木々や堆積物によって、切岸までは充分窺えるが、空堀などの確認は出来なかった、、、まさか縦堀が施されているような城郭とはとても思えなかったが、空堀に関してはこの限りではないのかも知れない、、、尚、土塁に関しては表土の流失が激しく、虎口跡なども併せて、自身の想像と推察を含めたものと思って頂きたい。見所は本郭群周囲を覆う明瞭な切岸跡、あるいはその佇まいも含めた全て」と言い切れそうには思うが、これだけ険峻な地に城郭を築いた事自体が最大のロマンであり、見所と言えそうな気がするのである。

35_higasikaku

東出郭見所

28_shukaku_higasiheki_1 主郭東切岸(到達地)

16_shukaku_3 主郭

21_shukaku_nisi_heki 主郭西切岸見所

15_minamikaku_dorui 南腰郭と土塁見所

22_nisikaku_2 西郭

20_hakusanjyou_2 白山城を望む

29_shukaku_kitakirigisi 主郭北切岸見所

城跡を個人的に評価すれば、山城ファンを自認する方であれば、絶対に避けて通って欲しくない山城の一つでもあるが、臨むにあたっては縄張り妙味や規模は絶対に問わない事が大前提という事になろうか。自然と触れ合いながら登山も楽しめて、ついでに山城遺構も拝めるとなれば、山城ファンの方だけに限らず、一般城跡ファンあるいは山歩きを楽しまれる方にも、是非一度山頂まで足を運んで頂きたいと思えたのである。浅間寺城と須留岐山城の二城同一日訪問は、山城ファンの方に限れば間違いなくお薦め出来るだろう。

2012年10月25日 (木)

激斜面上に郭を連ねた山城 浅間寺城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市八鹿町浅間にあって、標高約450mの須留岐山山頂に位置する須留岐山城跡からみた南側の激斜面上にあり、その南麓にある「浅間寺」とのほぼ中間地点に築かれたものである。個人的には須留岐山城を訪れる目的での、その直登ルート中で偶然遭遇したものであるが、下山後に地元でこの城郭遺構の情報を求めた結果、既に調査済みの山城、「浅間寺城跡」と判明した(案内板には記されていない)。今まで発刊された文献の類にはほとんど顔を出さない、ほぼ無名に近い山城らしいが、既にリポート掲載を終えた佐々木氏の居城、「浅間城」が浅間集落を挟んで南に対峙している事を思えば、氏に関連した城跡という事になるのかも知れない、、、もちろん推察の域は出ないが、城史に関しての詳細は不明。

1route 登城ルート

2x 現地案内板 

8_2 登山口(直登ルート)

城跡を訪れるには、先に触れた浅間城を起点とすればその位置も分かり易い事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、須留岐山登山口となる浅間寺を目印として目指せばよい。登山ルートは須留岐山城も含めた二城同日訪問とした上で、登城ルート図(案内板画像も参考に)中に示したが、寺院背後からスタートする直登ルート、寺院東側からの尾根筋登山ルートで一旦須留岐山山頂まで上り(最低70分の所要時間)、そこから激斜面を下りる形の二通りあるが、山頂からの激斜面下山は、膝に相当負担がかかると思われた事から、ここでは最短ルートとなる前者をお薦めしたい。20分前後で南郭へ辿り着ける筈である。尚、ここからの須留岐山への激斜面登山(所要時間約25分)は非常に辛いものとなるが、まだ腰や膝の癒えていない自分でも、何とか休憩を挟みながら山頂まで辿り着けたので、足腰に不安のない方は是非この直登ルートで上って、膝に負担をかけず、より安全な尾根筋ルートで下山される事をお勧めしたいのである。

城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、激斜面上に数段の郭を直線的に重ねたもので、推定主郭土塁とその背後の北郭との境には堀切(堆積物によって埋もれて浅い)施されている。郭間における切岸は長年の風化によって鋭角なものではないが、郭跡自体はほぼフラットな状態が今もって維持されている。その中で「見応えのある遺構は?」と聞かれれば、縄張りのほぼ全体像が窺われる佇まいの素晴らしさ!」と言う事になるのかも知れないが、取り合えずこれを機に臨まれる方の目安に、、、

3as 城跡概念図

12_minamikaku_4 状態の良い南郭4

16_minami2kaku16_minami2kaku_2  城中最大郭2見所

18_shukaku_dorui 主郭土塁跡

20_horikiri 浅い堀切見所

21_kita_saijyoudankaku 北郭

現状(10月)城跡は、直登ルート中がそうである様に、蔓延る木々は非常に少なく、郭跡における見通しも利き、無名に近い山城としては素晴らしいコンディションの下にあると思って頂いても良いだろう。見応えのある遺構は皆無に近いが、遺構の判別確認は容易く、コンパクトにまとまった縄張りは掴み易く、後でリポート掲載予定の須留岐山城と併せた同日訪問とすれば、間違いなく是非お薦め出来る山城の一つとは言えるだろう。

2012年10月21日 (日)

弥高山城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市養父町養父市場にあって、標高372mの山頂に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、その築城環境から考慮するのであれば、既にリポート掲載を終えた垣屋氏の居城が伝わる養父神社城、あるいは宮谷城の最終的な詰城とみるのが妥当なところか、、、

城跡を訪れるには国道9号線を利用する事になるが、既にリポート掲載を終えた高田城を起点とすれば、その所在位置も入山口も分かり易いとは思われる。山頂まで到達するには、養父神社城、あるいは宮谷城などの背後尾根からの直登ルートはまず考えられるが、ここでは比較的起伏の少ないであろう、最短時間で到達可能な直登ルートを示した。入山口はルート図中に示したが、入山ゲートを潜った後は山道に任せて排水施設まで上り、そこからはただひたすら尾根伝いに山頂を目指せば良い。このルートは蔓延る木々も少なく、予想した通り起伏も少ないので、距離はあるが迷わず楽に辿り着けそうには思われた。ちなみに入山口から約50分で本郭群へ到達可能であるが、下山時には必ず方向磁石のお世話にならなければならないので、プリントアウトしたこの登城ルート図と共に、必ずコンパスは携帯の事!念の為に、、、

1route 登城ルート図

9nyuzanguti_1 入山口

3 城跡概念図

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、山上本郭群の規模は比較的大きく、主郭西側には郭間を仕切る為、あるいは受け土塁の形で分厚い土塁が施されている。ただ残念な事に、長年の地表風化によって高低差は随分失われており、見応えはとても望めそうにないが、、、更にこの土塁から少し西側へ降りた付近では、より自然地形に近い大土塁を伴う郭跡(南側の見張り台か?)を眼にする事が出来るが、機能の想像と共に、取り合えず見学者の目は楽しませてくれる筈である。現状空堀らしき地形は本郭群においては見受けられなかったが、直登ルート中において唯一片側が縦堀に繋がる堀切跡(画像に注目)が目に留まった。郭跡らしき削平地は南尾根上(直登ルート)の随所で見受けられるが、その尾根上最高所における物見機能とも察せられる明瞭な削平地、更に尾根幅一杯に広がる数百mに渡って連続する大規模な削平地などは、山上本郭群を中心として、枝尾根上に築かれた城砦群としてみてよいものだろう、、、、

20_koudai_sakuheiti 南尾根上の削平地

25_horikiri_tikei_1 堀切跡

26_tatebori_tikei 縦堀跡

28_shukaku_oku_dorui 主郭

29_dorui 土塁見所

31_minamikaku_dorui_2 見張り台か?

現状(10月)城跡は、直登ルートとなる尾根上も山上本郭群も含めて、蔓延る木々は比較的少なく、遺構見学にも郭移動にも差障りない状態にあると思って頂いても良いが、これを機に訪れる用意のある方には、残存遺構に多くは望まず、達成感と戦国ロマンを味わう為の訪城と割り切って臨んで頂きたい。山頂を極めれば、自ずと北端枝尾根上にある養父神社城を始めとする、垣屋氏の築いたであろう(推察)、巨大なスケール(城域)を誇る山城の全貌が、僅かながらでも見えて来る様に感じられたのである。

2012年10月12日 (金)

千ヶ畑城跡(京都府亀岡市)

城跡は京都府亀岡市畑野町千ヶ畑にあって、ほぼ独立した小山の最高所に位置しており、現在造成整地された主郭と見受けられる敷地の一角には忠魂碑が建っている。城史に関しての詳細は不明だが、大阪の能勢側から亀岡へ抜ける街道が集落を通過していたものとすれば、街道監視用の見張り台といったところかも、、、、

城跡を訪れるには、54号線あるいは731号線に進入する事が先決となるが、731号線沿いで目に留まる「城山ゲートボール場」の案内看板が目印となる。その周辺で充分駐車スペースは確保出来るが、道路沿いからかつての主郭跡地までは、石段を上り切れば直ぐにでも到達可能となっている。

1route_1 登城ルート

Hirono 進入口

城跡の形態はアバウトに描いた概念図が示すように、忠魂碑の建つ場所が主郭跡、更に南斜面側のゲートボール場を経て、小規模な愛宕神社敷地までが南出郭としての縄張りと察せられるが、判別確認し易い空堀や土塁といったものは、現状全くお目にかかる事は出来ない。もちろん見張り台程度の機能を備えた砦跡に数多くの残存遺構を期待する方がおかしいのだが、、、更に主郭と愛宕神社敷地間にあるゲートボール場は、相当地形改変跡の窺われるものであり、当時の縄張りは自ずと見学者の判断に委ねられよう。

Hirono_2 Hirono_3 主郭跡地

Hirono_6 推察出郭跡、愛宕神社

城跡を個人的に評価すれば、当時の主郭における祖形は失われてはいないと思われるが、造成整地されたこの佇まいからは、城跡としての風情は全く感じられず、山城巡りの移動中に少し立ち寄る程度の城跡といった事になろうか。

2012年10月 8日 (月)

小規模ながら遺構残存度、見応え共に抜群!須知上野城跡(京都府船井郡)

城跡は京都府船井郡京丹波町上野にあって、既にリポート掲載を終えた織豊系縄張りを特徴とする上野城跡からみて、直ぐ真南側の山上尾根に位置しており、その西麓には「大園寺」が建立されている。よって上野城における最終的な詰城、あるいは集落に対して見通しが利いた事から、同集落及び街道筋を監視した見張り城とも考えられようが、その機能に関しては全て想像に委ねられよう。城史に関しては同地区にある光秀によって改修された山城(石垣城)の一つ、須知城(市森城)と並んで須知氏の居城と伝わっているが、京丹波地区における明智光秀の最前線基地と解釈すればよいのかも、、、尚、須知氏子孫の方は現在でも上野城近くに居を構えられていると聞くに及んだが、この須知氏も光秀に最後まで抵抗を試みた赤井氏(黒井城主)同様、戦国期を上手に生き抜いてきた一族なのだろう、、、

城跡を訪れるには、先に触れた上野城を起点とすればその位置は一目瞭然とも言えるが、国道9号線からは、車を預ける事になる「大園寺」を目印として目指せばよいだろう。墓地駐車場から東側にある登城入山ゲートは直ぐ目に留まる(画像に注目)が、そこから空堀道となる山道に任せて上れば、10分もかからず南堀切に辿り付ける筈である。尚、概念図に示した旧配水施設脇を通過しても上れる(早く辿り着ける)が、早朝訪問の場合は墓地のゲートが閉まっている可能性がある、、、

1route 登城ルート

7 入山口

3shu 城跡概念図

山上本郭群の形態は、城域や縄張りが狭い事もあって、ほぼ概念図に示したものに近いと思って頂いても差し支えないと思うが、小規模ではあるが見応えのある遺構は数多く、主郭両端を断つ土橋付き堀切(見事!)やそれに付随する明瞭な縦堀(長い)、あるいは明瞭な虎口跡(三箇所)、更に堀切から立ち上がる大型の櫓台土塁やその切岸は、そのコンパクトにまとまった縄張りプランと並んで、間違いなく見学者の目を楽しませてくれるはずである。とにかく縄張りの掴み易い遺構残存度抜群の山城の一つ」と思って頂いても良いだろう。

9_horikiri_haigo 櫓台背後の堀切見所

13_tatebori_1 長く施された縦堀見所

15_shukaku_1 主郭内

16_yagura_heki 櫓台大土塁見所

17_shukaku_koguti_2 主郭虎口見所

18_naka_dobasi_horikiri 中央土橋付き堀切見所

21_naka_kaku_1 二ノ郭

22_naka_karaboridou二ノ郭虎口空堀道見所

27_naka_tatebori 中央縦堀見所

現状(九月)城跡周辺は、郭跡も含めて植林地帯となっており、近年間伐が行われたと見えて見通しも利き、主郭全体像も充分窺え、遺構の判別確認も容易い状況にあるが、残念な事に間伐後の木々の放置などによって、地表の露見していない箇所も多く、主郭中央に施された空堀に限れば、遺構の醍醐味は充分味わえないかも知れない、、、城跡を個人的に評価すれば、5世紀に渡って風雪を凌いで来たにも拘らず、この素晴らしい遺構残存度、更に見学し易いコンディションは、藪城の多い丹波地区にあっては非常に値打ちの感じられるものであり、圧倒的お手軽感を加味せずとも、是非お薦め出来る城跡の一つという事にはなるだろう。山城ファンの方だけに限らず、山へ上る事が苦手な城跡ファンの方にも、「是非一度覗いて当時に思いを馳せて頂きたい」と思うのが本音かも、、、

2012年10月 4日 (木)

能勢 井内城跡(大阪府豊能郡)

この城跡は大阪府豊能郡能勢町宿野にあって、既にリポート掲載を終えた下見砦跡と同様に、山城ファン(ブログ読者)の方からの情報により、その存在及び所在地を知り得たものだが、下見砦との同日訪問は個人的諸事情により叶わなかった。今回やっと訪れる事に相成ったが、下見砦とは同じ山塊を共有しており、下見砦が丘陵西先端に位置するのに対し、この城跡は東側丘陵上に位置している。その名が語る様に井内氏の城として伝わっているが、その詳細は不明。

城跡を訪れるには、先に触れた下見砦とほぼ同様のアクセス方法となるので今回は割愛させて頂くが、54号線沿いに掲げられた「常慶寺」看板を目印として目指せばよいだろう。車は当然寺院駐車場に預ける事になるが、その敷地西端(画像に注目)に取り付き、蔓延る木々の少ない左手斜面側へ回り込みながら(必ず!)上れば、藪漕ぎもなく10分内で辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

9 直登取り付き口

3iu 城跡概念図

城跡の形態はほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いかもしれないが、本郭群の総全長は50mにも満たない砦規模の城郭である。自ずとお目にかかれる遺構の数も知れているが、長年の堆積物によって深さの失われた空堀跡、それに付随する縦堀跡、主郭あるいは帯郭における高低差に欠ける切岸跡などが、現状唯一明確に判別確認可能な遺構と思って頂いてもよいだろう。もちろん遺構に見応えや醍醐味を感じるまでには至れなかったが、付かずの遺構群の残存度は高い(ほぼ完存か)ものであり、城郭遺構としての値打ちは非常に高いものとも感じられた。

11 南東先端郭

14_1 南帯郭

14_2 帯郭切岸

16 主郭内

19 主郭南堀切壁(切岸)見所

20 堀切見所

21 縦堀見所

現状(九月)山上郭群は藪化進行中にあり、それによる堆積物も相当なものと眼に映ったが、自分を含めたマニアックな山城ファンの訪城に限られてくる山城としては、直登ルートも含めて蔓延る木々は比較的少なく、更に郭移動に差し支える事なく見て回れる状況にはある。ただし低草木の蔓延る西急斜面側は覗いていないが、、、、城跡を個人的に評価すれば、先に触れた下見砦との同日訪問であるのなら何とかお薦めも出来ようが、遺構の見応えも含めて、規模や縄張り妙味は絶対に問わない事が大前提とはなるだろう、、、

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