陣城の如き広大な郭跡が特徴 岸本屋敷跡(大阪府豊能郡)
この城跡に関しては、城ノ腰城探索ついでに気になっていた谷状地形を挟んだ南西尾根を覗いた事から話しは始まるが、その尾根上では単郭構造の館城か陣城の如き広大な規模を誇る削平地、西尾根を断つ明瞭な堀切跡(縦堀に繋がる)、虎口の痕跡、東端の高低差を誇る切岸跡といった具合に、紛れのない城郭遺構と対面する事となった。もちろんこの推察城郭遺構の素性を探るべく、下山時において麓で数人の年配の方に情報を求めたが、その結果この地は昔から岸本屋敷(古名)と呼ばれている事が判明した。数日後図書館に寄って「北摂の歴史」を調べた結果、古地図に岸本屋敷及び東隣の梶ヶ谷の地で古城マークを確認する事が出来たが、位置的には梶ヶ谷の地にある事から、形態だけ採り上げれば陣城の様な気がしないでもない、、、今回は明確な城跡呼称が判明しないまま、岸本屋敷跡として現況をリポートする事に及んだが、既に紹介されて識別呼称の付いた城跡である可能性は充分考えられるので、その点に関しては柔軟に対応して頂きたい。
城跡は豊能郡豊能町余野にあって、先にリポート掲載に及んだ城ノ腰城とは、谷状地形を挟んで南西側尾根上に対峙している。城跡までのアクセス方法は概念図を参考にして頂きたいが、城ノ腰城西切り通し(ここまでは小型車通行可能)からは、赤ラインを辿って頂ければ良いだろう。左手に見えてくる小さな沢を跨いで丘陵上を目指して上れば、直ぐにでも上り空堀道を含めた虎口跡(推察)が迎えてくれる筈である。
城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして頂ければ良いが、先に触れた単郭構成の広大な規模を誇る本郭、それに西尾根を断つ堀切(数十m)、虎口跡、更に川に面した東側斜面に残る明瞭な切岸跡が、自身の眼に留まった現在拝める数少ない遺構群、あるいは見所遺構という事になろうか。尚、この地は岸本屋敷と今でも呼ばれてはいるが、単純に屋敷跡(館城)とすれば余りにも規模が大きい事もあって、個人的には陣城の様にも目に映ったが、それはこれから訪れる方の想像に全て委ねられる事になるだろう、、、
現状(九月)、単郭で成立した本郭は藪化が進行中ともあって倒木も多く、全体的に荒れ放題の様相を呈しているが、探索移動に差し支えるまでには至っておらず(場所は限られてくる)、見通しの利く空間(画像に注目)も少なからずあり、その広い空間に佇めば充分臨場感は味わえる筈である。これを機に臨まれる用意のある方には、城ノ腰城と併せた同日訪問は充分お薦め出来るだろう。
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