« 砦規模ではあるが佇まいが値打ち 水牢古城跡(大阪府豊能郡) | トップページ | 谷内大谷城跡(京都府京丹後市) »

2012年9月18日 (火)

高山二城の中の一つ 高山城跡(大阪府豊能郡)

この高山城に関しては、数年前リポート掲載は終えているが、訪城後における山城ファンの方からの情報により、この高山地区にはもう一つ山城跡が存在する事が既に判明していた。同時に以前リポート掲載を終えた山城は「高山向山城」Photo という識別呼称があるという事も判明したが、その時城跡を覗かれた方からの現地情報では、「遺構らしきものは山上におけるそれらしい削平地のみだった」と聞かされていた事から、自ずと残存遺構には期待が持てず、個人的には随分訪問を先送りにしていた経緯がある。今回やっと訪問する機会に恵まれ、現況報告をする事に及べたが、頂戴した情報通り「見るべきものは山上削平地のみ」と言っても過言とは思えないものであり、これを機に訪れる方には、是非「高山右近の足跡を辿るべく、高山の里も含めた史跡巡り」と割り切って、現地に赴いて頂きたいと思えたのである。尚、以前高山城として載せた高山向山城のリポート記事は、城跡の形態上(どちらが本城とも言えない)訂正しないままの状態にしてあるが、今回再度概念図は載せたので、取り合えず二城の位置を確認して頂きたい。

1route 登城ルート

6 城跡進入経路

3 城跡概念図

城跡は大阪府豊能郡豊能町高山にあって、ルート図に示した如く高山向山城とは西方寺を挟んだ直ぐ北西側の丘陵上に位置している。城史に関しては在地士豪でもある高山飛騨守の居城と伝わり、その息子となる高山右近は戦国史には必ず登場するほどの、武勇に秀でた武将の一人、キリシタン大名として余りにも有名。

城跡を訪れるには、先に触れた高山向山城を起点とすれば一目瞭然の位置にある事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、「高山バス停」からは概念図にある「西方寺」を目印として赤ラインを辿って頂きたい、山上本郭までは数分で辿り着ける筈である。

T_4 空堀の痕跡

T_5 主郭

T_7 主郭北側

T_10 腰郭跡

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、近年敷設されたと察せられる林道が郭内を通過している為に、郭内部に相当な地形改変が見受けられた事、更に大味極まりない縄張りプラン、更に郭外壁に切岸ラインを見て取る事が出来ない曖昧な地形が重なって、その城域も縄張りも全て見学者の判断に委ねられると思って頂いてもよいかも知れない。ただ主郭の境となる林道脇には、僅かに空堀地形(画像に注目)が窺われた事だけは報告しておきたいが、、、、

« 砦規模ではあるが佇まいが値打ち 水牢古城跡(大阪府豊能郡) | トップページ | 谷内大谷城跡(京都府京丹後市) »

大阪府の山城跡」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 高山二城の中の一つ 高山城跡(大阪府豊能郡):

« 砦規模ではあるが佇まいが値打ち 水牢古城跡(大阪府豊能郡) | トップページ | 谷内大谷城跡(京都府京丹後市) »

無料ブログはココログ