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2012年9月

2012年9月30日 (日)

陣城の如き広大な郭跡が特徴 岸本屋敷跡(大阪府豊能郡)

この城跡に関しては、城ノ腰城探索ついでに気になっていた谷状地形を挟んだ南西尾根を覗いた事から話しは始まるが、その尾根上では単郭構造の館城か陣城の如き広大な規模を誇る削平地、西尾根を断つ明瞭な堀切跡(縦堀に繋がる)虎口の痕跡、東端の高低差を誇る切岸跡といった具合に、紛れのない城郭遺構と対面する事となった。もちろんこの推察城郭遺構の素性を探るべく、下山時において麓で数人の年配の方に情報を求めたが、その結果この地は昔から岸本屋敷(古名)と呼ばれている事が判明した。数日後図書館に寄って「北摂の歴史」を調べた結果、古地図に岸本屋敷及び東隣の梶ヶ谷の地で古城マークを確認する事が出来たが、位置的には梶ヶ谷の地にある事から、形態だけ採り上げれば陣城の様な気がしないでもない、、、今回は明確な城跡呼称が判明しないまま、岸本屋敷跡として現況をリポートする事に及んだが、既に紹介されて識別呼称の付いた城跡である可能性は充分考えられるので、その点に関しては柔軟に対応して頂きたい。

城跡は豊能郡豊能町余野にあって、先にリポート掲載に及んだ城ノ腰城とは、谷状地形を挟んで南西側尾根上に対峙している。城跡までのアクセス方法は概念図を参考にして頂きたいが、城ノ腰城西切り通し(ここまでは小型車通行可能)からは、赤ラインを辿って頂ければ良いだろう。左手に見えてくる小さな沢を跨いで丘陵上を目指して上れば、直ぐにでもり空堀道を含めた虎口跡(推察)が迎えてくれる筈である。

1route_2 登城ルート

4 城跡遠望

Photo 城跡概念図

城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして頂ければ良いが、先に触れた単郭構成の広大な規模を誇る本郭、それに西尾根を断つ堀切(数十m)、虎口跡、更に川に面した東側斜面に残る明瞭な切岸跡が、自身の眼に留まった現在拝める数少ない遺構群、あるいは見所遺構という事になろうか。尚、この地は岸本屋敷と今でも呼ばれてはいるが、単純に屋敷跡(館城)とすれば余りにも規模が大きい事もあって、個人的には陣城の様にも目に映ったが、それはこれから訪れる方の想像に全て委ねられる事になるだろう、、、

11 進入経路(現状空堀道)

6 東切岸見所

8_100_3 主郭内部

10 虎口跡(推察)見所

13_1 13_2 縦堀に繋がる堀切見所

現状(九月)、単郭で成立した本郭は藪化が進行中ともあって倒木も多く、全体的に荒れ放題の様相を呈しているが、探索移動に差し支えるまでには至っておらず(場所は限られてくる)、見通しの利く空間(画像に注目)も少なからずあり、その広い空間に佇めば充分臨場感は味わえる筈である。これを機に臨まれる用意のある方には、城ノ腰城と併せた同日訪問は充分お薦め出来るだろう。

2012年9月27日 (木)

城ノ腰城跡(大阪府豊能郡)

この城跡は山城ファン(ブログ読者)の方からのコメント情報で、初めてその存在と所在地を知り得たものだが、大阪府豊能郡豊能町余野にあって、既にリポート掲載を終えた余野本城南東側の、余野集落に向いて突き出した丘陵尾根先端部に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、築城環境から考慮するのであれば、余野本城を築いた能勢一族の城と考えて良いのかも知れない、、、

城跡を訪れるには余野本城を起点とすれば一目瞭然の位置にある事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、国道423号線交差点「切畑口」の信号からは「城ノ腰橋」を渡り、ルート図における赤ラインを辿って頂ければ、5分前後で本郭群までは辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

3si 城跡概念図

本郭群の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、規模は全長百mに達するものであり、本郭群の西堀切(地形改変の窺える切り通し道)を隔てて、更に西側痩せ尾根上の削平地から西端尾根上の堀切(現状豪快な縦堀に繋がる地形)、更にその上段付近の削平地までも縄張りとすれば、城域はそれなりに広く、砦規模は充分はみ出た城郭の一つと言えるのかも知れない、、、、見所遺構がそう多くあるようには思えなかったが、主郭あるいは腰郭を形成する明瞭な切岸、二ノ郭西端の土塁郭(櫓台?)、先に触れた西端尾根に刻まれた堀切及び縦堀などは、間違いなく見学者の目は楽しませてくれると思えた。概念図に描いたまでが自身が踏破して判別確認出来た遺構群という事になるが、木々の蔓延る南側斜面までは踏破確認に至っていないので、小規模な郭跡や空堀に関しては、この限りではないものと思って頂きたい。館城(丘城)に近い城跡の形態から考えても、そう多くの残存遺構は望めそうには思われなかったが、、、、

14_horikiri 進入経路(西端の切り通し)

20_2kaku_shukaku 二ノ郭より主郭側

16_yagura 土塁郭見所

21_shukaku 主郭

24_gedan_shukaku_heki 主郭東切岸見所

32 西尾根郭

30 西端堀切見所

31 縦堀(空堀道か?)見所

34 堀切西背後

現状(九月)城跡は、郭跡に多くの木々が蔓延らない事で見通しが利き、比較的見学し易い状態が自然維持されており、歩き回って縄張りを把握する事も容易く、遺構の醍醐味には充分触れる事が出来る状況にあると思って頂いても良いだろう。城跡を個人的に評価すれば、見応えのある遺構は数少ないが、直ぐ傍まで農地や家屋が迫った現状を察すれば、遺構残存度は非常に高いものであり、ほぼ当時のままの祖形が維持されていると眼に映った事、更に圧倒的お手軽感も加味すれば、間違いなくお薦め出来る城跡の一つ、という事にはなるだろう。

2012年9月22日 (土)

谷内大谷城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市大宮町谷内にあって、既にリポート掲載を終えた鶴賀城の真北側に位置しており、その丘陵尾根先端部にある。ただ情報の少ない無名に近い城跡、あるいは藪化が深刻化した状態にあった事もあって、踏破可能な範囲は限られ、この訪れた地が本郭群であるかどうかの判断は下せなかったので、その点に関してはどうかご容赦願いたい。城史に関しての詳細は不明であるが、鶴賀城の出城と見れば良いのかも知れない、、、、

城跡を訪れるには、先に触れた鶴賀城を起点とすればその位置も分かり易い事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、国道312号線からの進入経路はルート図に示した。国道と並行して走る農道からは直ぐの距離にあるのだが、城跡までの藪化は激しく、自ずと藪漕ぎしながらの登城は余儀なくされるものと思って頂きたい。ただ直ぐ北側にある工場敷地内を通過させてもらうのであれば、堀切までは直ぐの距離(駐車場から直ぐ望める位置にある)にあるが、、、

Gainenzu 登城ルート図

この城跡は最初に述べた様に、その実態を含めた情報は皆無に近く、自身が覗いた地が本郭群にあたるものかは非常に判断し辛いが、城跡を過大評価するのであれば、真東の山頂まで城域が及ぶものかも知れない(推察)。取り合えず踏破した範囲内で目に留まった遺構は、アバウトに描いた概念図に示したが、削平跡の窺える郭跡僅かな切岸跡(現状段差程度)、東側尾根を断つ明瞭な堀切といった処が、蔓延る木々の隙間から覗ける、唯一判別確認可能な遺構群と思って頂いてもよいだろう。

Photo 藪化の深刻化した主郭

Photo_2 段差程度の切岸

Photo_3 堀切見所

城跡を個人的に評価するのであれば、この藪化の深刻化した状況、平凡に終わっている縄張りプラン、更に見応えからはほど遠い残存遺構群を思えば、とてもお薦めの城跡とは言い難いが、これらを踏まえた上で訪れるのであれば、「冬季訪問に唯一期待が持てるかもしれない」といったところか、、、

2012年9月18日 (火)

高山二城の中の一つ 高山城跡(大阪府豊能郡)

この高山城に関しては、数年前リポート掲載は終えているが、訪城後における山城ファンの方からの情報により、この高山地区にはもう一つ山城跡が存在する事が既に判明していた。同時に以前リポート掲載を終えた山城は「高山向山城」Photo という識別呼称があるという事も判明したが、その時城跡を覗かれた方からの現地情報では、「遺構らしきものは山上におけるそれらしい削平地のみだった」と聞かされていた事から、自ずと残存遺構には期待が持てず、個人的には随分訪問を先送りにしていた経緯がある。今回やっと訪問する機会に恵まれ、現況報告をする事に及べたが、頂戴した情報通り「見るべきものは山上削平地のみ」と言っても過言とは思えないものであり、これを機に訪れる方には、是非「高山右近の足跡を辿るべく、高山の里も含めた史跡巡り」と割り切って、現地に赴いて頂きたいと思えたのである。尚、以前高山城として載せた高山向山城のリポート記事は、城跡の形態上(どちらが本城とも言えない)訂正しないままの状態にしてあるが、今回再度概念図は載せたので、取り合えず二城の位置を確認して頂きたい。

1route 登城ルート

6 城跡進入経路

3 城跡概念図

城跡は大阪府豊能郡豊能町高山にあって、ルート図に示した如く高山向山城とは西方寺を挟んだ直ぐ北西側の丘陵上に位置している。城史に関しては在地士豪でもある高山飛騨守の居城と伝わり、その息子となる高山右近は戦国史には必ず登場するほどの、武勇に秀でた武将の一人、キリシタン大名として余りにも有名。

城跡を訪れるには、先に触れた高山向山城を起点とすれば一目瞭然の位置にある事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、「高山バス停」からは概念図にある「西方寺」を目印として赤ラインを辿って頂きたい、山上本郭までは数分で辿り着ける筈である。

T_4 空堀の痕跡

T_5 主郭

T_7 主郭北側

T_10 腰郭跡

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、近年敷設されたと察せられる林道が郭内を通過している為に、郭内部に相当な地形改変が見受けられた事、更に大味極まりない縄張りプラン、更に郭外壁に切岸ラインを見て取る事が出来ない曖昧な地形が重なって、その城域も縄張りも全て見学者の判断に委ねられると思って頂いてもよいかも知れない。ただ主郭の境となる林道脇には、僅かに空堀地形(画像に注目)が窺われた事だけは報告しておきたいが、、、、

2012年9月15日 (土)

砦規模ではあるが佇まいが値打ち 水牢古城跡(大阪府豊能郡)

城跡は大阪府豊能郡豊能町野間口にあって、当時は野間口集落あるいは遠く余野集落まで見通せたと察せられる、標高527mの山頂(水牢古城山)に位置している。城史に関しては能勢氏の庶流が築いたものと伝わっており、既にリポート掲載を終えた水牢城こと余野本城は、その後裔となるものと考えれば良いのかもしれない。

城跡を訪れるには、先に触れた余野本城(水牢城)を起点とすれば分かり易い位置にある事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、国道423号交差点「妙見口」からは登城ルート図を参考にして頂きたい。尚、今回の登城においては、「清滝バス停」付近から山頂までは、尾根を辿れば迷わず辿り着けると思われたことから、敢えて直登を選択したが、地図上の登山道が示す様に、山頂で偶然出会った登山パーティーの方から、南尾根側からは登山道で上れると聞いたので、今回の直登ルートは取り合えず参考程度にして頂きたい。ちなみに直登ルートでは踏み跡も僅かに残っており、木々の隙間を縫っての登山(藪漕ぎまでは至らず)は余儀なくされるが、10分内で主郭まで辿り着けた事だけはお知らせしておきたい。

1route 登城ルート

5 直登取り付き口

3 城跡概念図

城跡の形態は、アバウトに描いた概念図に限りなく近いものと思って頂いても差し支えないとは思うが、全長30m程度の砦規模の山城である。郭西側に施された地表風化の激しい分厚い土塁(高低差は失われている)が、唯一この地を城跡として物語るものでもあるが、未だほぼフラットに自然維持された見通しの利く郭跡(意外!)に佇めば、充分当時に思いを馳せる事も可能であり、臨場感も同時に味わえるはずである。主郭東側斜面においては明瞭な切岸、あるいは狭小腰郭跡を眼にする事も出来るが、斜面上で縦堀あるいは尾根を断つ空堀の類は確認出来なかった。恐らく最初から施されていなかったのだろう、、、、

8_kirigisi_1 切岸跡

9_shukaku 見通しの利く主郭

9_shukaku_kita 主郭北側

12_dorui_2 土塁跡見所

14_kosi_kaku 腰郭

現状城跡は山頂に三角点がある事から、トレッキングを目的とした方々も少なからず訪れる様に察せられたが、無名に近い山城としては、非常に見学し易いコンディションの下にあると思って頂いてもよいだろう。城跡を個人的に評価すれば、残存遺構は郭跡を除けば切岸及び土塁のみであり、縄張り妙味は感じられず、更に規模は小さく、遺構見学だけを目的とした訪城とするのであれば、落胆する事は必至の山城とも言えようが、小規模ではあるがほぼ完存に近い縄張りの値打ち(史跡価値)、見学する分には非常に味気ないが、このほぼ全体像の窺える楚々とした佇まいを思えば、北摂の山城に興味を持たれている山城ファンの方々に対してだけは、充分お薦めは出来るだろう。史跡ファンの方々にも、この山を古城跡と知った上で、トレッキングついでに山城見学を楽しんで頂きたいが、、、

2012年9月12日 (水)

浜谷城跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市西浜谷にあって、既にリポート掲載を終えた遊谷城からみれば、南西側の低丘陵先端部に位置している。城史に関しては別称としての藤井館跡が示す様に、藤井氏の居館跡と伝わるが、この築城環境を思えば、自ずと遊谷城の城主が藤井氏、あるいは重臣の一人と考えてよいのかも、、、、(推察の域は出ないが)

城跡を訪れるには、先に触れた遊谷城を起点とすればその所在位置は一目瞭然とも言えるので、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、「篠山署」を目印として目指せば分かり易いだろう。篠山署からは登城ルート図、あるいは概念図に示した取り付き口を参考にして頂ければ、直ぐに主郭までは辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

9 進入経路

3h 城跡概念図

城跡の形態は概念図が示すが如く、高土塁を伴う方形居館跡と思って頂ければ分かり易いが、直ぐ傍まで耕作地(水田)や工場が迫った現実を踏まえれば、主郭二方に残存する高土は、本来なら四方を廻っていたもの、あるいはその四方に施されていたと思われる空堀などは、当然消失(北側と西側へ排水溝として痕跡が残る)したものと考えて良いのかも知れない、、、概念図に示したまでが、自身が当時の城郭遺構と判断したものであるが、明瞭な虎口跡ですら祠参拝用の出入り口に思えてくるのである。見所遺構を挙げるのであれば、当然高低差(外壁約5m)を誇る見応えのある土塁とその切岸という事になるが、空堀を当時のままとするには少々無理があるので、これは見学者の判断にお任せしたい。縄張り上の必然性から考えれば、充分空堀とは思えるが、、、

10_heki 主郭切岸

13_dorui_kitaheki_2 高土塁外壁見所

14_dorui 土塁上

16_shukaku_4 主郭内

17_koguti 虎口

21_karabori_ato 現状空堀地形

現状(八月)城跡は藪化はそれなりに進行しているが、単郭構造のシンプルな城跡という事もあって、お目にかかれる遺構も数少なく、遺構見学に差し支えるまでには至っていないと思って頂いても良いだろう。城跡を個人的に評価すれば、遺構残存度は低い(推察)かも知れないが、丹波地方では滅多にお目にかかれない高土塁が拝める事、それに圧倒的お手軽感を加味すれば、単独訪問としても何とかお薦め出来るかもしれない、、、。

2012年9月 9日 (日)

丹波西山城跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市山南町畑内にあって、既にリポート掲載を終えた大河城からみれば、集落を隔てた真東側の標高207mの山上に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた池ノ谷主計城や、大河城を起点とすれば分かり易い事から、そのアクセス方法は割愛させて頂くが、道路沿いにある登城入山口は画像を載せた。ここから獣避け入山フェンスまでは数十mの距離にあり、フェンスを潜ればひたすら山上を目指して上ればよい(藪漕ぎなし)。途中郭間に切岸跡の窺える削平地を通過するが、更に急斜面を登れば、10分程度で山上本郭群へ辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

4 入山口

3n 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いと思われるが、山上本郭群はほぼ三郭構造で、その規模は30mにも満たない小規模なものであり、残存遺構の見応えや縄張り妙味にはとても期待出来ないと思って頂いても良いかも知れない、、、その中で敢えて見所遺構を挙げるのであれば、主郭周りにおける切岸という事になろうが、堀切は唯一本郭群を更に北側へ降りた地点に施されている。ただ見応えは余り望めないが、、、、

8 南尾根上削平地

10_minami_2dan_obiheki_1 南二段郭切岸

11_minami_shukaku_heki 南郭より主郭切岸

16_shukaku_heki_obi 帯郭より主郭切岸見所

14_shukaku_kitaheki 主郭北きり岸見所

19_hokutan_sakuheiti 北端削平地と堀切

20_hokutan_horikiri_2 北端堀切見所

現状(八月)城跡は当然藪化進行中にあるが、この時期にも拘らず遺構見学に差し支えるまでには至っておらず、入山口から北端に位置する堀切までは比較的見て回りやすく、概念図に示したまでの遺構は縄張りも含めて、判別確認の容易い状況にあると思って頂いても良いだろう。城跡を個人的に評価すれば、遺構残存度が高い(ほぼ完存と呼べるもの)事、楚々とした山城の風情は充分味わえる事、それにお手軽感まで加味すれば、山南地区における山城巡りの一環とするのであれば、充分お薦め出来る山城という事にはなるだろう。ただし縄張り妙味や規模は決して問わない事が前提となるが、、、

2012年9月 6日 (木)

大野城跡/大野館跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市大野にあって、既にリポート掲載を終えた矢代城国松館跡からみれば、池を隔てた直ぐ南側の低丘陵上にある。この城跡は5年程前既に訪れていたものの、低丘陵上の全域が城域と思われた郭跡地が、長年の地表風化によるものか、それとも安普請で応急に築かれたものか、相当地形が曖昧と化していた為に、どこに本郭群があるものか見当も付かず、長い間リポート掲載を先送りにしていた経緯がある。今回の再訪によって丘陵上の南側(春日神社側)が大野館と呼ばれる城域にあたる事はある程度判明したが、L字形の土塁の施された、見張り台程度の小規模な郭跡が本来の館跡地とはとても思われず、その南麓に向いて重なり合う規模の大きい削平地の一部が、屋敷跡地なのかも知れない(当然見学者の想像に委ねられる部分)、、、、

Oo1 登城ルート

4_kasugajinjya_1直登口 春日神社

3o 城跡概念図

3kita

北端郭概念図

城跡を訪れるには、先に触れた国松館跡を起点として春日神社を目指せば難なく辿り着けるが、神社からは社殿背後から直登しても良いし、藪漕ぎのない上り易い箇所からの直登なら、直ぐにでも山上郭群が迎えてくれる筈である。

城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、丘陵上の最高所に本郭群と見受けられる、L字形の土塁の施された小規模な郭跡が構えられており、そこから南側へ向いて、痕跡程度の空堀(三箇所)で仕切られた地形の曖昧な郭跡が連続、更に麓近くまで数段の規模大きい削平地(推定屋敷跡)が連続したものである。推定本郭群から更に北側尾根上も、北端郭までそれらしい郭跡は連続しているが、本郭群同様非常に地形が曖昧な為、自身満足の行く概念図(北端郭は五年前のもの)は描き切れなかった。この北端郭は切岸のしっかりした狭小帯郭を数段重ねているが、その最上部は見張り台か狼煙台程度の規模となっており、中々この城跡の機能を想像するのは難しい、、、、

6_karabori_ato 山上南郭群の空堀痕跡

7_kaku 山上南郭群

17_yasiki_dorui_1 本郭土塁見所

19_higasi_kaku 東郭

9_nantou_kaku 推定屋敷跡地

現状(八月)城跡は、他の丹波の山城と同様に藪化は相当進行しており、本郭群においては木々の隙間を潜り抜けての探索踏破は余儀なくされる状況にあるが、全体的にみれば郭移動に差し支えるまでには至って居らず、南端の推定屋敷跡地から北端郭までは、比較的動き回り易い状況にあると思って頂いてもよいだろう。城跡を個人的に評価すれば、見所遺構となるのは山上本郭における低土塁、あるいは明瞭な切岸跡の残る北端郭だけとも言えるが、歴史ロマンの漂う篠山地区に、数多く築かれた山城巡りの一環として訪れるのであれば、「見応えのある遺構は一切望まない」、といった前提条件付きで何とかお薦め出来ようか、、、

2012年9月 2日 (日)

外見からその全貌が窺える!西野々砦跡(兵庫県篠山市)

この城跡は自身既に数年前に訪れていたが、山城巡りの移動道中車窓から城跡を窺うに、本郭群斜面全域を覆っていた木々はほとんど伐採され、郭壁となる切岸はむき出しの状態になっていた事から、胸を躍らせながらの再訪となったものである。当然丹波を中心に山城巡りをされている山城ファンの方々には、朗報となること間違いなしと思えた事から、いち早く現況をリポートする事になったが、既に訪れた方には是非変貌を遂げたこの砦跡を再訪して、当時に思いを馳せて頂きたいと思えたのである。もちろんこれから訪れる用意のある方にも、小規模ではあるが楚々とした山城の魅力は充分味わえと思えた事から、是非訪問をお薦めしたい事は言うまでもないが、、、尚、地元で年配の方数人にこの砦跡の情報を求めたが、神社敷地が砦跡と認識されている方はおられず、非常に残念な結果となってしまった。木々の伐採は二年ほど前に行われたそうであるが、、、

1route_2 登城ルート

7 参拝山道進入路

3 城跡概念図

城跡は兵庫県篠山市西野々にあって、既にリポート掲載を終えた安口城からも充分望める、篠山川を隔てた南東側の丘陵尾根先端部に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、安口城と呼応した築城環境を踏まえれば、その出城の可能性は充分考えられよう、、、、

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないと思うが、規模は総全長40m程度の城郭であり、残存遺構に多くは望めないものでもある。ただし外見から郭外壁となる切岸が麓まで落ち込む様、妙見神社がある事によってほぼフラットに整地された主堀切に伴う小さな土塁跡堀切から谷底に向いて落ち込む縦堀、更に郭内の見通しが利く事によって、その縄張りの全体像が窺える様は、山城初体験の方でも分かり易く、規模や縄張り妙味さえ問わなければ、間違いなくお薦め出来る山城の一つ!と自分の目には映った。藪化の深刻化した砦規模の山城が点在する篠山にあっては、縄張りも掴み易く、更に見学し易い貴重な山城の一つと言えようか。

11_shukaku_1_2 12_shukaku_nisigawa 主郭

15_kirigisi 主郭北側切岸見所

14_doruikaku_hasi 土塁郭(櫓台か)

16_horikiri_1 背後の堀切見所

17_tatebori 縦堀見所

18_kita_obi 南帯郭

城跡を訪れるには、先に触れた安口城を起点とすればその位置も分かり易い事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、国道372号線と並行して走る農道沿いの「西野々バス停」を目印として目指せば、難なく付近までは辿り着けるだろう。もちろん木々の伐採されたそれらしい山城跡(画像に注目)は、バス停付近からでも直ぐ確認出来るが、バス停からは登城ルート図を参考にして頂きたい。麓に設置された入山開閉フェンスより、赤い鳥居を潜って参拝山道に任せて上れば、数分で主郭までは辿り着けよう。

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