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2012年7月

2012年7月31日 (火)

荒張城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市岡田由里にあって、山頂から三方に向いてなだらかに裾野を広げる、標高156mのほぼ独立した山塊の山頂に位置しており、その郭転用地とも思われる山上本郭には、現在「愛宕神社」が祀られている。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、国道175号線を経由して「岡田由里」の交差点で570号へ針路変更、その後はルート図を参考にして頂きたいが、今回は京都府在住の山城ファンの方に所在地を教わった、荒張支城(岡田由里別城)も併せての訪城となったが為に、入山における直登取り付き口は、507号道路沿いにある入山口(民家が横にある)からとした。ここから上れば東西に長い山上削平地が連続する荒張支城(推定地)を通過し、東側に施された堀切地形まで降りる事が出来、そこから直ぐに参拝登山道に合流可能な事から、これを機に訪れる用意のある方には、多少時間はかかるが、是非このルートをお薦めしたい。ただ荒張支城の残存遺構は、山上削平地及び帯郭、それに登山口(民家北背後)近くに施された堀切地形?だけとも言えるので、直接山頂を目指したい方には、民家脇を抜けて行く本来の参拝登山道がお薦めという事になるだろう。尚、民家脇を抜けるルートは、一部個人敷地を通過することになるので、一応了解を得る必要はあるだろう。ちなみに民家背後の登山口から山頂までは約20分の道程

1route 登城ルート

6_2 城址道標

3 城跡概念図

城跡の形態は、山上本郭群だけに限ればアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、東西に長く連続する規模の大きい主郭の西側に、二段程度の腰郭が付随した程度の山城と思って頂けば良いかも、、、、切岸は主郭西側壁で充分拝めるが、堀切見学は低草木の蔓延る主郭東側急斜面を、木々の隙間を縫いながら降りて行く事が余儀なくされる状況にあると思って頂きたい。

9_tyuufuku_kaku 中腹郭跡

16_shukaku_koguti 主郭西虎口付近

16_shukaku_1 主郭西側

17_shukaku_higasi_1 主郭東側

18_higasi_horikiri 堀切

現状(七月)山上本郭に社殿が建つ事もあって、参拝登山道で藪漕ぎもなく、迷わず辿り着ける状況にあるが、主郭に佇む社殿より東側はそれなりに藪化は進行している。荒張支城も含めて、特別見応えがあり値打ちの感じられる遺構には巡り合えなかったが、広い主郭に佇めば、充分臨場感は味わえるといったところか、、、、城跡を個人的に評価するのであれば、縄張り妙味も感じられず、更に見応えのある遺構も皆無に近いとくれば、とてもお薦めの山城とは言えないが、登山道で迷わず辿り着ける事を思えば、トレッキングを目的とした城跡巡りとするのであれば、何とかお薦め出来るかも知れない、、、これを機に臨むにあたっては、決して残存遺構に期待をしない事が肝心!

2012年7月28日 (土)

土穴城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市久田美にあって、既にリポート掲載を終えた池田日向城から見れば、直ぐ真北側の丘陵先端部に位置しているが、個人的にこの城跡の存在は、京都府在住の山城ファンの方の情報により後から知った事もあって、池田日向城と併せた効率の良い訪城とはいかなかった。今回は志高砦を含めた山城巡りの一環として立ち寄る事になったが、取り合えずその現況をリポートさせて頂いた。

城跡を訪れるには、先に触れた池田日向城を起点とすれば、その位置は一目瞭然ともいえるので、アクセス方法は割愛させて頂くが、国道175号「志高」の信号からは、登城ルート図の赤線を辿れば分かり易く辿り着けるだろう。「岡田下小学校」を過ぎれば、直ぐ目に留まる小さな墓地が直登入山口となるが、その背後を上れば、直ぐにでも三段帯郭の切岸が迎えてくれる筈である。

1_1 登城ルート

Enbou 城跡進入経路

1_2 城跡概念図

城跡の形態は、削平されただけの小規模な主郭を最高所に置き、西側斜面に帯郭を重ねたものであり、規模から考えても砦、あるいは出城の域は出ないものと思って頂いてもよいだろう。その中で見応えのある遺構は皆無に近いが、その背後の痩せ尾根鞍部を削り落とした土橋地形、あるいは帯郭の直立に近い切岸などは、何とか見学者の眼を楽しませてくれるだろう。空堀の類は斜面上には見止められなかったが、北側斜面の二箇所における谷状地形は、個人的には人為的な大空堀の様にも眼に映った、、、謎

7_dankaku_heki_1 西帯郭切岸

8_obi_dan 西帯郭

10_shukaku_nisi_gedan

13_shuaku 山上主郭

15_higasi_dsobasi_tikei 東土橋地形

現状(七月)城跡は、藪化はそれなりに進行しているが、見学に差し障るまでには至っておらず、概念図に示したまでが踏破した範囲で目に留まった、数少ない遺構群という事になる。城跡を個人的に評価すれば、池田日向城と同様に、「見応えのある遺構は皆無」と言っても過言とは思えないが、まだ未踏に終わっている、両城の東背後山頂に築かれた池田谷城、あるいは志高城などと併せた訪問とすれば、何とか訪れる理由付けにもなるのではないだろうか、、

2012年7月25日 (水)

四本の空堀が見所! 丹後大島城跡(京都府宮津市)

この山城は、数年前既に登城ルート図のみのリポート掲載は終えていたが、訪問後における山城ファンの方からの情報により、本来の本郭群はほぼ単独で聳える形の東側の峰にある事が分かった。もちろんその時は地元の方アドバイスのまま西郭群を山上本郭として訪れたのだが、堀切と山上削平地を確認しただけに終わり、深刻化した藪に阻まれて、全体踏破も縄張りも把握出来ないまま帰路に着いた苦い記憶だけが残っていた。まさか東峰までに城域が及ぶものとは思ってもいなかったが、今回はやっと念願でもあった、東本郭群を踏破した上での現況リポートという事になる。

城跡は京都府宮津市大島にあって、大島集落の北東側から海に突き出した急峻極まりない崖上地の、標高131m山頂に位置しており、当時は本郭群の南西側(白山神社側)に大手があったものと伝えられている。城史に関しての詳細は、白山神社境内にあった案内板の画像をそのまま載せたので画像をクリックのこと。

1_1 登城ルート

6tozannguti_1 直登入山口

1 現地案内板より

1_3 城跡概念図

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた田原城を起点とすれば、そのアクセス方法は分かり易いと思われる事から、今回は割愛させて頂くが、ルート図と画像を参考にして頂きたい。直登入山口は海沿いの道路脇からで、鉄梯子(傍に駐車可能スペースあり)を利用して尾根先端部に取り付く事になるが、尾根上に達すれば踏み跡も僅かに残っており、藪漕ぎもなく迷わず辿り着ける(主郭まで10分内)筈である。

城跡の形態はほぼ概念図に近いものと思って頂ければ良いが、案内板に描かれた縄張り図の全てを踏破して、遺構を判別確認した訳ではないので、残存遺構も決してこの限りではないものと思って頂きたい。見所遺構は概念図を参考にして頂きたいが、上り土橋付き空堀(浅い)を除けば、草木の蔓延らない全体像の拝める三本の堀切、及びそれに伴う縦堀などの空堀は、全て見応えのあるものであり東郭における土塁と並んで決して見逃してはならないだろう。地形に任せて山上を削り出し、直線的に郭を並べただけに終わっている城跡に、縄張り妙味までは求められないが、未だフラットに近い規模の大きい主郭に佇めば、充分臨場感も味わえ、山上本郭群の東西に施された堀切間を歩き回れば、その規模(比較的大きい)も縄張りも、充分把握する事が出来るだろう。

9_toutan_horikiri_4 東端堀切見所

13_higasikaku_dorui 東郭内の土塁見所

17_naka_daihorikiri 中大堀切見所

20_shukaku_1 主郭

22_karabori_dobasi_1 土橋付き空堀見所

23_tatebori 明瞭な縦堀見所

25_2maru_1 二ノ郭

28_nisi_horikiri_2 西堀切見所

現状城跡は藪化は進行中にあるが、この時期(六月)にも拘らず醜い西郭群とは比較にならない状況(山城として見れば見学し易く良好)にあり、概念図に示したまでの遺構は全て踏破確認可能な状態にあると思って頂いても良いだろう。城跡を個人的に評価すれば、藪化の深刻化した西郭群と併せた訪問が、この山城の本質を探る上での理想とは言えるが、ここでは城域の全てを踏破せずとも、充分この山城の魅力を堪能する事が出来ると感じられた、東本郭群のみの訪問を是非お薦めしたい」と思えたのである。

2012年7月21日 (土)

高森支城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市大宮町延利にあって、既にリポート掲載を終えた高森城跡の真北側にある丘陵上(尾根先端部)に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、高森城の北側を牽制した出城と窺えるものである。

城跡を訪れるには、高森城と同様の訪問ルートとなる事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、53号線からの進入経路は登城ルートを参考にして頂きたい。民家脇から墓参道として山道が城跡先端部まで繋がっているので、迷わず辿り着けるだろう。小さな集合墓地の直ぐ背後は、既に物見(櫓台)とも窺える片側を低土塁が廻る郭跡となっている。

1_1 登城ルート

4 城跡進入経路

1_2 城跡概念図

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、物見と察せられる先端郭から、東尾根上数百mに渡って削平の行き届いた郭が展開されており、僅かに窺われる段程度の切岸が、この地を城跡として物語るものとなっている。空堀の類は見止められなかったが、推察物見郭背後の痩せ尾根上は土橋状になっており、尾根を断つ堀切の代用が取り合えず窺われるものとなっている。城跡にあっては見応えのある遺構は皆無に等しいが、出城機能とするのであれば、この程度の城普請で良いのかも知れない、、、高森城の深刻化した藪化には凄まじいものがあったが、この城跡はそこまでは行かないまでも、当然藪化地表風化共に進行中にあり、草木の蔓延る櫓台土塁などは、傍に寄っての判別確認は余儀なくされる状況(画像に注目)にあると思って頂いてもよいだろう。

6_dorui_kaku_1 櫓台か

7_dorui 低土塁

12_dobasi_heki 切岸処理された土橋と帯郭

15_sanjyou_kaku 東尾根上の削平地

城跡を個人的に評価すれば、状態が高森城ほど醜くないのが救いとも言えるが、お手軽感も含めて、大宮町における山城巡りの一環として気軽に立ち寄る程度とすれば、何とか訪れる理由も生まれて来るのではないだろうか、、、

2012年7月18日 (水)

畝状空堀群と二重堀切が見所 丹後菅野城跡

城跡は京都府与謝郡伊根町菅野にあって、集落から東側に聳える、標高約170mの山頂に位置しており、その西麓には妙光寺がある。城史に関しては三富左馬亮の居城を伝えており、丹後攻略軍における細川氏に対抗すべく、島津氏(伊根城を居城)と連携し水軍を編成したと伝わっている。自ずと他の丹後の城主と同様に、細川氏によって滅ぼされた一族なのかも知れないが、その詳細は不明。

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた田原城を起点とすれば、その位置も分かり易いが、国道178号線より652号線へ針路変更、その後田原集落を通過すれば、自ずと621号線へ進入する事になるが、滝根集落まで到達すればルート図を参考にして頂きたい。登城口としての目印は、車を預ける事になる「妙光寺」で、その背後より谷状地形に進入(画像に注目)して、左手側の急斜面に取り付いて上れば、10分内で堀切までは辿り着ける筈である。尚、下山時に主郭までは寺院背後の集合墓地を通過して、山道が繋がっているのを確認出来たが、現状(六月)膝まで伸びた下草によって、道筋も分からない状況(地表は露見していない)にあるので、迷い易い事から、これを機に訪れる方は、是非載せた直登ルートを参考にして頂きたい。

1route 登城ルート

7 直登進入口

3s 城跡概念図

城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、主郭南側一部の郭跡から便宜上の二ノ郭跡まで、あるいはその周囲斜面上は、蔓延る低草木や夏草によって地表も露見していない箇所が多く、概念図に描いたまでが自身が踏破した上で、判別確認に及んだ遺構群と思って頂いても良いだろう。取り合えず主郭及び東出郭までが明瞭な遺構と遭遇可能な箇所であり、郭跡や切岸跡を除けば出郭との境を断つ二重堀切、主郭西斜面上に刻まれた畝状空堀群(約五本)、主郭西側に施された土塁(両端が櫓台状)などが見所遺構として挙げられるだろう。当然これらは見応えもあるが、決して見逃して欲しくない遺構の一つでもある。尚、畝状空堀群を含めた縦堀に関しては、密生する草木に阻まれて、全ての斜面上を覗く事は出来なかったが、空堀に関しては決してこの限りではないと思って頂いても良いかも知れない、、、、

12_nisikaku_horikiri_1 出郭堀切と縦堀見所

14_yagura_dorui 東出郭の櫓台土塁

21_kita_nijyuu_hori_2 二重堀切(主郭側)見所

25_nisi_unebori_1 畝状空堀見所

27_shukaku_dorui 主郭土塁見所

28_shukaku_minamigawa 残念な主郭南側の現状

22_hokutou_obi_1 腰郭

城跡を個人的に評価すれば、状態が良いとは決して言えないが、高い遺構残存度(ほぼ手付かずの完存と推察)や縄張り妙味二重堀切や畝状空堀群、あるいは土塁の醍醐味を思えば、山城ファンの方だけに限定すれば、間違いなく「お薦め出来る山城の一つ」とは言えるだろう。ただし、状態は決して問わない事が大前提!冬季訪問に期待が持てるとはとても思われなかったので、、、

2012年7月15日 (日)

下見砦跡(大阪府豊能郡)

城跡は大阪府豊能郡能勢町宿野にあって、54号線沿いにある「西方寺」背後の丘陵上(比高約80m)に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには「能勢町役場」を目印として向かえば分かり易いが、54号線沿いにある「中宿野バス停」脇が登城スタート地点となる。バス停より北進すれば右手に直ぐ小さな山道が目に留まるが、そこから右斜面に取り付いて上れば、10分内で主郭までは辿り着けよう。道中藪漕ぎまでには至っていないが、急斜面に蔓延る木々の隙間を縫いながらの直登は余儀なくされよう。尚、車は先に触れた西方寺の駐車場に一旦預ける事になる

1_1 登城ルート

6_2 登城スタート地点

Si 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないかも知れないが、地形に任せたまま痩せ尾根上を削平しただけに終わっている様は、砦とするに相応しく、郭総全長はそれなりのものがあるが、削平された郭跡を除けば、東尾根を断つ空堀(僅かに土橋の痕跡)が唯一判別確認可能な遺構と思って頂いてもよいだろう。もちろん判別可能とは言っても、それなりに地表風化は進行しているので、明瞭なものとは言えないのだが、、、

7_kaku 西端小郭

11_rogan_daiyou_dorui 土塁の代用か?露岩

12_sanjyoukaku_higasi_gawa_1 山上郭

14_wazukana_karabori_dobasi 空堀見所

現状(六月)城跡は、藪化は当然進行中にあるが、比較的木々の少ない郭内の移動は容易く、西先端部の狭小郭跡から東空堀までは難なく見て回れる状況にある。空堀から更に東側へも削平地は続いているが、東へ向かうほど藪化は深刻化した状態にあるので、この城跡に関しては他に遺構も期待は出来ず、深く探索する値打ちはないのかもしれない、、、、ただ寺院直ぐ北背後の尾根上に規模の大きい削平地が窺われた事だけは報告しておきたい。

城跡を個人的に評価すれば、既にリポート掲載を終えた宿野城を始めとした、能勢町における山城巡りの一環とすれば、何とか訪れる理由も生まれてくる城跡といったところか。

2012年7月13日 (金)

丹後田原城跡(京都府宮津市)

この城跡は京都府宮津市田原にあって、以前自身が踏破した上で、別の地(向側の丘陵上)を田原城跡としてリポートし、後で誤認した事が分かった城跡でもあるが、誤認した地は築城環境やそれと分かる切岸、あるいは段状になった削平地から、自身が覗いた限り城郭遺構と確信が持てた事から、「お知らせ」の中で(仮)東田原城跡と訂正した事があったが、今回訪れたのは、遺跡として公的に認知されている本来の田原城跡という事になる。城史に関しては小出左京進の居城が伝わっているが、詳細は不明。

1route_1 登城ルート

5 城跡遠望

6 進入口

城跡を訪れるには、国道178号を経由して向かう事になるが、既にリポート掲載を終えた藪化の深刻化した大島城跡(西郭群のみ)を起点とすれば、位置確認も容易いものとは思われる。田原集落から城跡へ向かうスタート地点は画像を拝見して頂きたいが、山道から直ぐ右手側の丘陵先端部に取り付いて、尾根上の僅かな踏み跡(空堀道を含む)を辿ればよい。明らかに削平地と分かる東出郭群を通過して向かう事になるが、迷わず山上主郭までは辿り着ける筈である。

現状(六月)城跡は、先にリポート掲載を終えた日ヶ谷城跡と同様に藪化も風化も相当進行にあるが、概念図に示したまでが今回踏破した範囲で目に留まった遺構群ということになる。小規模な山上主郭から北尾根上、あるいは東尾根上が城域と察せられるが、特別見応えのある遺構(堀切及び切り立つ切岸)には巡り合えなかった。取り合えず堀切(箱堀)は一箇所確認出来たが、雑木の蔓延る斜面上までは覗く余裕もなかったので、空堀に関してはこの限りではないものと思って頂きたい。

3ta 城跡概念図

12_higasikaku_1 東郭群

14_shukaku_1 主郭の現状

15_kita_hakobori_1 堀切

城跡を個人的に評価すれば、期待した以上に縄張り妙味もなく、更に見応えのある遺構も皆無とくれば、決してお薦めの城跡とは言い難いが、宮津市内にある山城巡りの一環とすれば何とか訪れる理由も生まれて来るのではないだろうか。尚、先に触れた(推察)東田原城跡としたものは、本城と混同する恐れから既にリポート記事は削除したが、山城巡りを数こなしてこられた方には、間違いなく城郭遺構と眼に映るであろうと思われた事から、再びルート図に所在地は示したが、圧倒的お手軽感を加味して是非ついでに覗いて頂きたいと思えたのである。

2012年7月10日 (火)

能勢垂水城跡(大阪府豊能郡)

城跡は大阪府豊能郡能勢町垂水にあって、既にリポート掲載を終えた山田城とは、谷状地形を挟んだ南西側の山上に位置している。自ずと山田城の出城とも窺えようが、推察の域は出ないものでもある。よって城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、ルート図に示した様に周辺に林立して築かれた山城を起点とすれば、分かり易い位置にあるので、それまでの訪問ルートの説明は今回は割愛させて頂く。山田城と同一の登城ルートで、目印となる最奥にある溜池まで向かう事になるが、そこからは概念図を参考にして更に山道を上れば、迷わず辿り着ける筈である。車の駐車に関しては、溜池付近に小型車なら充分駐車スペースは確保出来るとは思われる。

1route 登城ルート

3 城跡概念図

8_1 山道突き当りとなる土塁地形

現状訪れた時期も悪いが、藪化は深刻化しており、地表風化も更に追い討ちをかけた非常に醜い状態にある。それでも規模が小さいので、何とか全体踏破は出来たが、小規模な主郭内は低草木で覆い尽くされており、踏み入る事は非常に困難な状況にあると思って頂ければ良いだろう。その中にあって判別確認可能な遺構は、主郭と帯郭間における一部の切岸跡(高低差は余り無い)、地表風化によって相当埋もれた堀切(僅かに土橋付き)、虎口地形に付随した縦堀地、南西端の斜面に施された堀切地形が挙げられるが、主郭背後の堀切や一部の切岸を除いては、何れも風化の進んだ地形からは判別し難いものであり、これらの機能の想像は、ほぼ見学者の想像に委ねられるといっても良いだろう。

11_obi

帯郭と主郭切岸

10_heki 主郭側面と内部の現状

12_horikiri_1 土橋付き堀切見所

18_seitan_horikiri_1 山道が繋がる堀切地形

城跡を個人的に評価すれば、知名度に欠けるほとんどの山城がそうである様に、この山城も冬季訪問に僅かな期待が持てるかも知れないが、訪れるに際しては、遺構の見応えや縄張り妙味は最初から絶対に問わない事が肝心、、、

2012年7月 7日 (土)

日ヶ谷城跡(京都府宮津市)

花粉の飛散する季節を終え、完治とはいえないがそれなりに腰も癒えて、やっと山城巡りの出来る体調が整ったが、このところ長雨に祟られて、中々城跡巡りの出来ない状況となっていた。このリポートはその合間を縫ってのものとなるが、久し振りの山登りとあって、まだ体が浮いた様な状態となっており、数ヶ月のブランクを体で感じながらの訪城となった。

城跡は京都府宮津市日ヶ谷にあって、城山と呼ばれるほぼ独立した標高約230mの山頂に主郭を構え、その南北尾根と東側尾根を城域としたものと見受けられた。城史に関しては一色氏家臣の一人、松田山城守の居城が伝わっており、細川氏によって滅ぼされるまでは、松田氏累代の城となっていたが、落城後には帰農した模様。

1 登城ルート

4 直登取り付き口と駐車スペース

1_1 城跡概念図

城跡を訪れるには国道178号を経由して向かう事になるが、既にリポート掲載を終えた岩ヶ鼻古城を起点とすれば、所在位置の確認は容易いとは思われる。「日ヶ谷」交差点より625号へ針路変更して、目印となる「天長寺」を目指せば良いが、城跡への取り付き口及び最短ルートはルート図と画像に示した。木々の比較的少ない激斜面を登る事になるが、5分程度で南端郭群には辿り着ける筈である。

城跡の形態はアバウトに描いた概念図を参考にして頂きたいが、丹後の山城に共通する、突出した形の主郭を中心に、三方尾根に沿って単純に郭を連ねたものであり、縄張り妙味や縄張り変化に富んだ城郭とは言えないかもしれない。堀切は取り合えず三箇所で確認出来たが、特別技巧を感じる事の出来る遺構や、特別見応えが感じられる遺構に巡り合う事は叶わなかった。現状(六月)城跡は、訪れた季節も災いしているが、藪化地表風化共に進行中にあり、堀切などは蔓延る木々によって視界は遮られ、外見からその全体像を拝む事は困難な状況となっている。自ずと踏破確認可能な範囲も限られてくるが、概念図に示したものが、今回踏破した範囲内で目に留まった遺構であり、郭形状などに関しては推察を交えたものと思って頂きたい。幸いにも郭移動だけなら難渋する状況までには至っていないが、主郭においては、蔓延る熊笹で地表も露見していない状態と思って頂ければよいかも、、、残念!

10_minamikaku_heki 南郭群切岸

15_shukaku 主郭内の現状

17_kita_horikiri_2 北堀切見所

24_higasi_horikiri_3 東堀切見所

個人的には久振りの山城巡りとあって、帰路に着くまではずっとハイテンションのままであったが、藪化が進行中(深刻化した箇所も多々ある)にある事が災いして、切り立つ切岸の醍醐味や、堀切の見応えには触れる事の出来ないまま終わってしまった。冬季訪問がベストとは思われるが、城跡を個人的に評価すれば、辺境の地に築かれた山城としては、その規模は比較的大きく、考えさせられる築城環境や、三箇所で拝める堀切見学だけでも、充分訪れる値打ちのある城跡といったことになろうか、、、、

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