縄張りプランは織豊系か? 中垣内城跡(三重県伊賀市)
城跡は三重県伊賀市猿野にあって、先にリポート掲載を終えた重瀬氏城からみれば、南背後に限りなく広がる、広大な台地の丘陵先端部に位置しており、重瀬氏城と表記された案内城址標識や、方形居館跡の形態が物語る様に、こちらが重瀬氏本城と察せられる。ただその築城形態は、馬出しに近い大型の土塁虎口や空堀が物語る様に、織豊系を色濃く残すものであり、織田軍によって城郭は多少改修されたとも見受けられるものである、、、謎。
城跡を訪れるには、重瀬氏城を起点とすれば一目瞭然の位置にある事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、概念図に示した道路沿いにある城址標識(画像に注目)より、南道路沿いの数十m先にあるガレージ脇から、畦道が主郭虎口まで繋がっているので、これを利用すれば直ぐにでも主郭までは辿り着けるだろう。
城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、先に触れたように織豊系を色濃く残す(私見)ものであり、主郭四方を廻る分厚い高土塁や馬出しの如き大型の虎口、更に三本の空堀(横堀と一部縦堀に繋がるもの)は、間違いなく見学者の目を楽しませてくれる筈である。特に大型の土塁虎口は、高土塁を形成する切岸の醍醐味と相俟って、見事なものを拝むことが出来よう。現状(二月)城跡は、主郭内部には低草木が蔓延り、倒木や堆積物などによって非常に荒廃した状態にあり、土塁上も含めて郭内全域を歩き回る事は、困難を極める状況にあると思って頂いても良いかもしれない。ただ全域が植林地にある事によって、主郭内から北郭、南郭、あるいは空堀に至るまでの見通しは利くので、見学に差し支えるまでには至っていないと解釈して頂いても良いとは思われるが、、、
城跡を個人的に評価すれば、築城プランから多少でも縄張り妙味が感じられる事、ほぼ完存とも眼に映った高い遺構残存度、見応えのある堀切、高土塁の醍醐味は、圧倒的お手軽感を加味せずとも、規模さえ問わなければ「間違いなくお薦め出来る城跡の一つ」ということになろうか。重瀬氏城との二城同日訪問は是非お薦め!
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