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2012年4月

2012年4月14日 (土)

痩せ尾根上の郭を二連の堀切で守備 日内城跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市市島町北奥にあって、既にリポート掲載を終えた岩倉城から見れば、東側に聳える標高354mの山頂から、西側の「正法寺」に向かって延びる痩せ尾根上に位置しているが、赤井氏の拠った黒井城の出城として伝わる以上、この限りなく平坦自然地形に近い山頂も、戦略的には狼煙台ネットワークの一つとは考えられよう、、、

城跡を訪れるには、先に触れた岩倉城を起点とすれば分かり易い事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、今回車を預ける事になる「正法寺」を目印として目指せばよいだろう。駐車場の直ぐ傍には厳島神社があり、その社殿背後を直登して尾根を目指せば、直ぐにでも山道と合流可能であり、そのまま山道に任せて峠を目指せば、15分程度で城跡東端の片堀切地形(現状山道が繋がる)へ辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

4_2 城跡遠望

9 直登ルート

3 城跡概念図

城跡の形態は、アバウトに描いた概念図に限りなく近いものと思って頂いても良いとは思うが、痩せ尾根上の狭小三郭(総全長30m未満)を二連の堀切(片堀切地形を含めば三連)で守備しただけに終わったものであり、山城ファンの方であれば誰でも直ぐそれと分かる明瞭な堀切跡を除けば、地表風化の激しい狭小郭跡は、現状自然地形に限りなく近いものと思って頂いても良いかも知れない。当然郭外壁となる切岸跡も判別し辛く、見応えのある遺構は皆無に近いという事になるが、既に山頂を踏破された上で、この山頂平坦地形を本郭部と思っておられた山城ファンの方(自身も既に踏破された山城ファンであり、メル友でもある方の情報により、山頂が城跡と思い込んでいた)には、規模は小さいが明確な城郭遺構が拝めるという理由で、登山道中にある痩せ尾根上(推定本郭)は絶対に見逃さないで頂きたいと思えたのである。もちろん築城環境を踏まえれば、冒頭で触れた様に、山頂平坦自然地形(全長15m前後)も狼煙台機能と察せられるものであり、日内城の本質を探る上では、取り合えず上ってみる値打ちはあるものと思われるが、、、、

11 城跡東端の片堀切地形

11_one_kaku 東郭

12higasi_horikiri 薄い堀切2見所

15_horikiri 明瞭な堀切1見所

19_shukaku_2 推察主郭

27_santyou_3 山頂狼煙台?

城跡を個人的に評価すれば、黒井城周辺に数多く築かれた出城群に興味を持たれている方、あるいは既に訪れたものの、肝心の痩せ尾根上までは踏破確認されずに下山された方には、是非再訪して本来の日内城の実態を再認識して頂く事をお薦めしたいが、遺構の見応えや規模は絶対に問わない事が前提という事になろうか、、、ただし手軽に山登りを楽しまれる分には、登山道で迷わず辿り着ける事から、充分お薦めは出来るだろう。

2012年4月12日 (木)

小多利城跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市春日町小多利にあって、標高236mのほぼ独立した低山山頂を物見郭(見張り台程度の規模)とした場合、西側尾根上を縄張りとしたものと見受けられる。城史に関しての詳細は不明であるが、安普請で築かれたその様相や、単独で聳える形の隣接した小富士城(明智の黒井城に対しての付城)との関連性を思えば、付城の一つとも考えられようが、本来は黒井城の出城機能を備えた砦として見るのが妥当なところかも、、、

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた小富士城を起点とすれば分かり易い位置にあるので、城跡までのアクセス方法は今回割愛させて頂くが、入山口となるのは城跡西麓にある道路沿いの集合墓地で、小さな愛宕神社跡を通過した後、そのまま山頂を目指して直登(25分)すれば良い。1route

登城ルート

5 入山口

3 城跡概念図

城跡の形態はアバウトな概念図を参考にして頂ければ良いが、尾根上を自然露岩を取り込んで郭壁とした様、あるいはほぼ自然任せに削平されただけに終わっている郭跡は、非常に曖昧(自然地形のままかも?)なものであり、その様相は一見山城らしくはあるが、城郭遺構としては非常に味気ないものとも感じられた。一番削平の行き届いた郭跡は、概念図にも示した中腹に位置する郭跡で、この周辺では、取り合えず土塁の付随した空堀らしき地形だけは窺われた。ただ地表風化はそれなりに激しいものがあり、ほぼ見学者の判断に委ねられるとは思われるが、、、、

16_kaku_1 西尾根上の郭跡1

16_kaku_3 西尾根上の郭跡2

22_kaku 中枢郭か?

26_kuroijyou_enbou_2 黒井城遠望

27 山頂物見?

現状冬枯れ後とはいえ、城跡の藪化は深刻化(中腹から山頂までは特にひどい!)している状態にあり、枯れ木の隙間を縫いながらの登城は余儀なくされるものと思って頂きたいが、場所によっては黒井城が一望出来る箇所や、郭跡に佇めて僅かながら臨場感に浸れる箇所も充分ある。城跡を個人的に評価するのであれば、見応えのある城郭遺構は皆無に近く、とてもお薦めの城跡とは言えないが、黒井城に関連した城跡に佇んでみたい方だけが、訪問の対象となる城跡といった事になろうか、、、

2012年4月10日 (火)

矢谷城跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市市島町上田にあって、既にリポート掲載を終えている長谷山城から見れば、西側の丘陵尾根上に位置しており、標高188mを山上郭と推察した場合、南西側に派生する尾根上を城域としたものと察せられる。ただ今回は山頂までの踏破確認に至れなかった事もあって、現状正確な城域までは分からないが、丹波を中心に山城巡りをされている方の情報を加味した上で、個人的にも尾根上全域を支配するフラットに近い削平地形、あるいはその中で唯一目に留まった縦堀地形により、この尾根上が矢谷城の中枢となる郭跡と確信するに及んだ。当然見学者の推察に委ねられる部分でもあるが、、、城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先に触れた長谷山城を起点とすれば一目瞭然の位置にある事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、国道175号線からの進入経路は、登城ルート図を参考にして頂きたい。国道から集落内を通過する林道へ進入(北上)し、画像に示した山道に反れて、途中から斜面に取り付いて尾根に向いて直登すれば、物見とも察せられる西先端尾根上の小規模な削平地、あるいは鞍部(自然堀切地形)までは、藪漕ぎなしで迷わず辿り着けるだろう。

1route 登城ルート

5 進入経路

現状主郭と察せられた削平地は木々も伐採されており、非常に歩き易い状況となっている。見通しが利く事から充分臨場感には浸れそうに思われたが、この城跡の縄張りプランは大味極まりないものであり、どこまでを城域とするものかは、先に触れた様に見当も付かないでいる。今回は山頂まで延々と連続する削平地を主郭とした上での現況報告とさせて頂くが、取り合えず現在でもフラットに近い尾根上削平地の中ほどに、それらしい縦堀地形(虎口に見えなくもない)は窺われた。ただ後世における山道の可能性もあるので、城郭遺構と断定するまでには至れなかったが、、、、

8_nisi_sanjyou_1 西山上物見?

10_anbu 西鞍部(自然堀切地形)

12_sanjyou_kaku 12_sanjyou_kaku_1 推察)主郭

15_tatebori_or_karaboridou 縦堀地形

結果的に今回は山頂までの踏破を断念したせいもあって、この城跡の確かな形態は分からないままに終わったが、城跡を個人的に評価すれば、この城跡に関しては「これ以上のものは余り期待出来そうにない」といったところか、、、、

2012年4月 8日 (日)

伊賀にあっては大規模な城跡の一つ 山田氏城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市中村にあって、既にリポート掲載を終えた岡島砦と井上氏城のほぼ中間地点にあり、「新堂寺」直ぐ東背後の低丘陵上に位置している。城史に関しては山田氏の居城が伝わるが、詳細は不明

城跡を訪れるには、先に触れた井上氏城を起点とすれば分かり易い位置にあるので、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、登城における入山口は詳細ルート図と画像を参考にして頂きたい。ここから上り始めれば、南出砦の空堀道(現状堀底山道)を通過して上る事になるが、数分で主郭背後の堀切までは到達出来る筈である。

1route 登城ルート

5 登城入山口

3y 城跡概念図

この城跡は伊賀にあっては比較的規模の大きい部類に入る城郭の一つでもあるが、南出砦(削平地)や東側に展開される規模の大きい削平地(推察)まで含めれば、相当な規模を誇る城郭の一つといえるのかも知れない。その形態は概念図を参考にして頂きたいが、主郭から西麓にほぼ五郭を重ねたものであり、主郭三方に施された低土塁や見応えのある堀切(横堀)、明瞭な縦堀、櫓台とも思える土塁郭、土塁虎口跡(石積の痕跡が窺われるが、神社跡かも?)などは、間違いなく見学者の期待に応えてくれるものと自分の目には映ったのである。もちろん高低差を誇る切岸の醍醐味にも充分触れる事は出来るが、、、

7_minamide_karaboridou_1 南出砦空堀跡見所

8_shukaku_horikiri 主郭背後堀切見所

13_shukaku_dorui_1 主郭内部

15_kita_sokumen_dorui 主郭土塁見所

18_horikiri_5 堀切見所

24_nisi3kaku_2 西郭群

28_tatebori 縦堀見所

21_kitagawa_shamen 北側切岸見所

29_koguti_isi 僅かに土塁虎口跡

現状(二月)城跡(本郭群)は、間伐の行われた植林地にある事から、見通しはある程度利き、非常に見学し易い状況にあると思って頂いても良いが、地表風化はそれなりに進行しているので、表土の流出した土塁や土塁虎口跡、あるいは一部の郭跡においては、郭構成も掴み辛く、本来の縄張りはほぼ見学者の判断に委ねられると思って頂いても良いかも知れない、、、城跡を個人的に評価するのであれば、四季を問わず見学し易い状態にあると察せられるコンディションの良さ、遺構の見応え(切岸、空堀群)、考えさせられる縄張りプラン(縄張り妙味が感じられる)、個々の郭群の全体像が窺えるその佇まい、これだけ多くの見学材料が揃えば、お手軽感を含めずとも、間違いなく是非お薦め出来る城跡の一つ」という事にはなるだろう。これを機に訪れる用意のある方は、是非期待して臨んで頂いても良いのではないだろうか、、

2012年4月 6日 (金)

出合東砦(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市但東町出合にあって、登城ルート図を見れば直ぐお分かり頂ける様に、既にリポート掲載を終えた出合城から見れば、川を挟んだ直ぐ東側の丘陵上に位置している。この城跡は以前沢田城を訪れた際に、この地区の史跡に詳しい方から紹介して頂いた砦跡の一つでもあるが、先に触れた小規模ながらも本格的山城の様相を呈す、出合城の方の認識は全くなく、今回はこの城跡と混同する恐れが生じる事から、出合東砦としてリポート掲載に及ぶ事になった。城跡呼称に関しては柔軟に対応して頂きたいが、但東町史の中では出合砦として紹介されているらしい、、、、

城跡を訪れるには、出合城を起点とすれば一目瞭然の位置にある事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、国道482号線「出合」交差点の南西側から、舗装道路が城跡南背後の切り通し(かつての堀切か?)まで繋がっているので、ここまでは車で進入可能とは思われる。個人的には自身が想定した直登ルートより急斜面を登った(縦堀の確認の為)事もあって、林道の道路状況までは把握していないが、、、

1_1 登城ルート

1_2 城跡概念図

城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして頂ければ良いが、独立した低丘陵上を地形に任せて削平しただけに終わったものであり、その規模も砦跡に相応しく、縄張り妙味も、高低差を伴う切岸の醍醐味も望めないのが現実でもある。ただ物見程度の主郭南北には、僅かに空堀の痕跡が見止められた事から、砦跡としての佇まいは充分味わえるとは思われるが、、、現状主郭内には「タジマヒダカノミコトの陵」と表記された石碑が建っており、この砦はかつての陵墓を郭として転用したものとも考えられるが、個人的に見る限り、古代における天皇に近い豪族の陵墓にはとても思われなかった(貧相過ぎる)。

7_minami_kaku_gun 南段郭群

10_karabori 南空堀

12_shukaku_3 主郭

12_shukaku_1 墓碑

15_kita_karabori_1 北空堀

城跡を個人的に評価するのであれば、この地区(出合から小谷)における山城巡りの一環、あるいは無名に近い古代の陵墓を含めた史跡巡りとすれば、充分訪れる理由も生まれて来るかもしれないが、遺構に見応えまでは望まない事が大前提といった事になろうか、もちろん興味を持たれた方には、圧倒的お手軽感から充分お薦めは出来るが、、、

2012年4月 4日 (水)

縄張りプランは織豊系か? 中垣内城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市猿野にあって、先にリポート掲載を終えた重瀬氏城からみれば、南背後に限りなく広がる、広大な台地の丘陵先端部に位置しており、重瀬氏城と表記された案内城址標識や、方形居館跡の形態が物語る様に、こちらが重瀬氏本城と察せられる。ただその築城形態は、馬出しに近い大型の土塁虎口や空堀が物語る様に、織豊系を色濃く残すものであり、織田軍によって城郭は多少改修されたとも見受けられるものである、、、謎。

城跡を訪れるには、重瀬氏城を起点とすれば一目瞭然の位置にある事から、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、概念図に示した道路沿いにある城址標識(画像に注目)より、南道路沿いの数十m先にあるガレージ脇から、畦道が主郭虎口まで繋がっているので、これを利用すれば直ぐにでも主郭までは辿り着けるだろう。

1route_1 登城ルート

3_1 城跡概念図

城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、先に触れたように織豊系を色濃く残す(私見)ものであり、主郭四方を廻る分厚い高土塁や馬出しの如き大型の虎口、更に三本の空堀(横堀と一部縦堀に繋がるもの)は、間違いなく見学者の目を楽しませてくれる筈である。特に大型の土塁虎口は、高土塁を形成する切岸の醍醐味と相俟って、見事なものを拝むことが出来よう。現状(二月)城跡は、主郭内部には低草木が蔓延り、倒木や堆積物などによって非常に荒廃した状態にあり、土塁上も含めて郭内全域を歩き回る事は、困難を極める状況にあると思って頂いても良いかもしれない。ただ全域が植林地にある事によって、主郭内から北郭、南郭、あるいは空堀に至るまでの見通しは利くので、見学に差し支えるまでには至っていないと解釈して頂いても良いとは思われるが、、、

8_kitakaku_umadasi_1 北郭と空堀見所

11_koguti 北土塁虎口見所

9_tatebori 縦堀見所

13_shukaku_1 主郭内部と土塁見所

12_higasi_koguti_1 東土塁虎口

14_nisi_dorui 土塁上

16_minami_horikiri_1 大堀切見所

22_minami_kaku_dorui_1 南郭と低土塁見所

24_minami_horikiri2 薄い南空堀

城跡を個人的に評価すれば、築城プランから多少でも縄張り妙味が感じられる事、ほぼ完存とも眼に映った高い遺構残存度見応えのある堀切、高土塁の醍醐味は、圧倒的お手軽感を加味せずとも、規模さえ問わなければ「間違いなくお薦め出来る城跡の一つ」ということになろうか。重瀬氏城との二城同日訪問は是非お薦め!

2012年4月 2日 (月)

重瀬氏城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市猿野(マシノ)にあって、服部川に向いて突き出した低丘陵上に位置しており、広い主郭の片隅には現在金毘羅宮が建立されている。城史に関しては、名が語る様に重瀬(ジュウゼ)氏の居城が伝わっているが、後でリポート掲載を予定している垣内城も、地元城址標識に重瀬氏城とある様に、重瀬氏の築いた城跡の一つと思われる。此方の重瀬氏城は、中垣内城を本城とした場合の出城としてみれば良いのかも知れないが、地元城跡に詳しい方に尋ねたところ、中垣内城の方を重瀬氏城として紹介して頂いた経緯もあり、此方の方は城跡としての認識は全くない様に感じられた、、、

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた植田氏城や阿波氏館跡を起点とすれば、その位置も分かり易いとは思われるが、国道163号線から城跡の位置する丘陵先端部は、直ぐ望める距離にある。金毘羅参拝入山口にあるゲートを開閉して上れば、直ぐにでも主郭が迎えてくれよう。

1route_1 登城ルート

3_1 城跡概念図

城跡の形態は、概念図に示した如く大味極まりないものではあるが、規模の大きい主郭南背後には、広大な規模を誇る削平地(城域の一部だろう)を遮る、幅6m前後の薄い堀切(箱堀)、それに付随する土塁などは、見応えまでは望めそうにないが、取りあえず見学者の目は楽しませてくれるだろう。他では概念図に示した主郭東側道路沿いに、僅かにそれと分かる土塁を残した空堀(横堀)が目に留まったが、主郭外壁を形成する切り立つ切岸と並んで、これも決して見逃してはならない遺構の一つと思えた。

7_karabori_ato 東側道路沿いの空堀跡見所

11_hokora 主郭先端近くの金毘羅宮

10_kaku_1 主郭

17_higasi_obi_heki 帯郭と主郭切岸見所

12_dorui_1 土塁跡見所

13_karabori_1 堀切見所

現状(二月)城跡は、一帯が植林地にある事が幸いした部分もあるが、見通しが利き、更に見て回りやすく、非常に見学し易い状況にあると思って頂いてもよいだろう。恐らく四季を問わず見学し易い状態が維持されているものと思われるが、、、城跡を個人的に評価すれば、山上本郭群だけに限れば、ほぼ当時の祖形は維持されていると見受けられた事、見応えには多少欠けるが、明瞭な土塁、堀切が拝める事、更に切岸の醍醐味まで加味すれば、充分お薦め出来る城跡の一つと言えようか、、、先に触れた阿波氏城や中垣内城と併せた同日訪問とするならば、間違いなく充実した山城巡りが出来る事請け合いの城跡とも言えるだろう。

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