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2012年3月

2012年3月31日 (土)

櫓門の如き石垣跡が最大の見所 小野氏城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市富永にあって、富永集落西側の広大な台地上片隅にある。城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた阿波氏城、あるいは植田氏城を起点とすれば、その位置も分かり易いとは思われるが、ルート図の如く国道163号線に進入する事が先決となる。目印とした美容院東側の交差点まで到達すれば、そこから北進する事になるが、次の目印でもあるログ作業所の、直ぐ真南側に城跡は位置しているので、道路沿いの土塁外壁が直ぐ望める地点から進入すれば、直ぐにでも虎口を形成する櫓門の如き大石垣が迎えてくれる筈である。

1route 登城ルート

4 進入口付近

3on 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に示した通りと思って頂いても良いかもしれないが、伊賀にあっては比較的規模の大きい方に属する、主郭四方に高土塁が施された、単純な方形居館跡と思って頂ければ良いだろう。居館跡である以上、縄張りもコンパクトにまとまったものであり、とても縄張り妙味の感じられる城跡とは言えないが、ほぼ完存とも言える内壁高低差5~6mを誇る高土塁の醍醐味、先に触れた虎口を形成する見応え抜群の大石垣跡、土塁内壁底部に広い範囲で露見している石垣跡は、山城ファンの方だけを問わず、史跡ファンの方、あるいは城跡ファンの方にとっては、圧倒的手軽感を含まずとも、充分満足感に浸れる「是非お薦め出来る城跡の一つ」、と自分の目には映ったのである。土塁や石垣跡を除けば見所遺構は数少ないが、かつて施されていたと思われる空堀は、作業所側の北虎口付近に痕跡程度で残っている。これを機に訪れる用意のある方は、是非期待して臨んで頂いても良いのではないだろうか。

18_nisi_doruiheki 西高土塁外壁見所

8_shuaku_nai 主郭内

9_kita_koguti_gawa_1 北虎口側

16_koguti_isigaki_2 16_koguti_isigaki_4 虎口大石垣見所

12_higasiheki_isi 土塁底部の石垣跡見所

17_minami_dorui_heki 南土塁壁

20_minami_yasiki_isi_1 南郭側石垣見所

現状(二月)主郭内は、伐採されて放置された木々の為に荒廃しており(画像に注目)、歩き辛い事は否めないが、見通しは利くので、土塁上を歩いて移動すれば、その全貌を窺う事も可能であり、広い郭内に佇めば、充分臨場感も味わえる状況にある。恐らく四季を問わず比較的見学し易い状況にあるのではないだろうか、、、

2012年3月29日 (木)

安岡氏城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市上阿波にあって、ほぼ独立した低丘陵上に位置している。城史に関しては、地元士豪の一人安岡氏の居城が伝わっており、伊賀攻略軍(織田軍)との戦いにおいては、善戦するも最終的には阿波氏城同様落城した模様。

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた阿波氏城を起点とすれば、その位置も分かり易いとは思われるが、城跡へ向かう取り付き口付近には、目印となる目立つ建物がない事から、登城口に関しては是非画像及び概念図を参考にして頂きたい、規模の大きい推察屋敷跡地(神社敷地跡か?)を通過して上れば、5分程度で主郭までは辿り着ける筈である。

1route_2 登城ルート

5 取り付き口

3ys 城跡概念図

城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、主郭東背後に突出した形で聳える、見応えのある櫓台を特徴としており、そこでは周囲三方を取巻く低土塁を拝む事が出来る。堀切は主郭北西側に僅かに横堀として窺われるが、当時の遺構か否かの正否の判定は少し難しいかも、、、もちろん見応えまでは期待出来ないが。

8_dorui_1 推察)屋敷跡地

11_nisi_horikiri 空堀見所

12_nisikaku 西郭

14_shukaku_dorui 主郭内部

13_nisikaku_yori_dorui 西郭より土塁見所

17_yagura_heki 櫓台切岸見所

18_yaguradai_naibu_dorui 18_yaguradai_naibu_dorui_1 櫓台低土塁見所

現状(二月)城跡は、一帯が間伐の行われた植林地にある事が幸いして、山城としては非常に見学し易い状況にある。よって見通しが利き、遺構見学も存分に楽しめる状況にはあるが、砦規模の山城である事は否めず、遺構も目白押しという訳ではないので、多くの残存遺構には期待出来ないと思って頂きたい。城跡を個人的に評価すれば、低土塁の残る櫓台、及びその切岸の醍醐味、ほぼ主郭全体像の窺える佇まい、それに圧倒的お手軽感を加味すれば、充分見学に値する山城という事にはなるだろう。先に触れた阿波氏城や植田氏城を含めた山城巡りとすれば、当然お薦め出来るだろう。

2012年3月27日 (火)

下ノ館と上ノ館の二城で成立した城跡 阿波氏城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市下阿波にあって、地元では下ノ館と呼ばれている阿波氏居館跡と、その南東背後に聳える山上に位置する、詰城あるいは物見機能を備えた上ノ館(阿波氏城)の二城で成立したものである。城史に関しては、名が語る様に阿波氏の居城が伝わっており、織田軍による伊賀攻めの際に落城した模様、ちなみに当時の土塁が未だ屋敷跡を廻る下ノ館は、今でも阿波氏がお住まいの住居と聞き及んだ。

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた植田氏城を起点とすれば、二城共に一目瞭然ともいえる場所にあるので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、山上詰城(上ノ館)への入山口は概念図を参考にして頂きたい。ここから流水の少ない小さな川を飛び石を利用して渡る事になるが、城址標識(画像に注目)が直ぐ目に留まる事から、入山口は直ぐ確認出来るだろう。標識からは山上堀切まで繋がる山道を利用して上れば、迷わず主郭までは辿り着ける筈である。(10分内)

1route 登城ルート

5 入山口

2_3aw 城跡概念図

ここでは阿波氏山上詰城と呼ぶに相応しい、上ノ館の現況リポートという事になるが、その形態は、概念図に限りなく近いものと思って頂いても良いだろう。砦規模の山城ではあるが、台機能と見受けられた土塁郭、その背後に施された土塁南尾根を断つ僅かな堀切跡、主郭片側に施された低土塁土塁虎口跡西出郭に相当する削平地(中央に土塁壇が残る)などが、縄張りを形成する城郭遺構と呼べるものでもあるが、充分見学者の目は楽しませてくれるだろう。ただ土塁壁に一部窺われた石垣に関しては、、、?

10 堀切(麓より山道が繋がる)

15 上り虎口見所

17_kita_yguraheki_2 主郭と北土塁郭見所

18_yagura_isi 石積跡か?

21_shukaku 主郭奥南櫓台と低土塁見所

26_horikiri_1 南堀切

現状(二月)城跡は、一帯が植林地にある事によって見通しが利き、櫓台に佇めばコンパクトにまとまった主郭の全貌が窺える状況にあるが、地表風化はそれなりに進行している。城跡を個人的に評価すれば、廃城になってから現在まで、手付かずの状態にあると見受けられた残存度の高い遺構群、自然岩を郭壁として取り込んで築かれた山城らしい様相、郭外壁を形成する見事な切岸などは、充分当時に思いを馳せる事が可能であり、見学のし易さやお手軽感も加味すれば、充分薦め出来る城跡という事にはなるだろう。もちろん下ノ館を廻る見事な土塁や、虎口跡(土留め石あり)の見学も兼ねた訪問が前提という事にはなるが、先に触れた植田氏城も併せた同日訪問とすれば、間違っても期待はずれには終わる事はないだろう。

Photo 阿波氏居館跡の全貌

1 土塁虎口見所

2012年3月25日 (日)

状態、遺構残存度、見応え共に賞賛に値する山城 九太夫城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市中馬野にあって、谷間に重なり合う中馬野集落西側山腹に位置している。城史に関しては、先にリポート掲載を終えた福持氏城と同様に、福持氏の居城が伝わっているが、福持九朗(九太夫)の居城である事から「九太夫城」と呼ばれている。こちらが福持氏本城と言えるのかも知れないが、縄張りを共有している福岡氏城も併せれば、規模は比較的大きい部類に入るとは思われる。

城跡を訪れるには、先に触れた福持氏城を起点とすれば分かり易いが、県道2号線をそのまま北進すれば、目印とした「中馬野バス停」、あるいはその傍にある児童公園までは迷わず辿り着けよう。バス停から谷奥に突き出した形の福岡氏城は既に望める位置にあるが、城跡までの進入経路は、ルート図及び概念図を参考にして頂きたい。民家最奥より谷沿いの山道を少し上れば、右手に小さな沢を挟んで、福岡氏城の外壁となる切岸と堀切は、直ぐに目に飛び込んで来るが、この直立する切岸は中々上り難いので、少し谷沿いを上った付近から沢を跨いで、九太夫城を先に目指した方が良いかも知れない、、、

1route 登城ルート

3tojyouguti 進入経路

3z 城跡概念図二城の形態は概念図を参考にして頂きたいが、住宅直ぐ背後の尾根先端部に位置するのが福岡氏城、その背後に施された見応え状態共に抜群の空堀(横堀)から、更に西側尾根を上った先にあるのが九太夫城となっている。どちらも方形居館跡と呼べるものであり、高土塁はどちらにもしっかり備わっているが、福岡氏城の土塁は、後世において明らかに北側と東側の土塁が消失した痕跡が見止められた。

現状(二月)城跡は、一帯が間伐の行われた植林地にある事から、山城としては低草木も蔓延らず、歩き回りやすく、非常に見学し易い状況にあると思って頂いても良いだろう。

Photo 福岡氏城の外壁見所

1 福岡氏城の空堀素晴らしい!

2 福岡氏城主郭内

ここでは当時の縄張りがほぼ完存に近いものと見受けられた、九太夫城に重きを置いて現況報告させて頂くが、主郭四方を廻る土塁は一部が欠けた様子もなく、ほぼ完存に近い形で残っており、その西背後に施された大空堀と並んで、城跡にあっては最大の見所遺構となっている。当然見応えも抜群であり、間違いなく見学者の期待に応えてくれるものと、自分の目には映ったのである。自身が踏破した範囲内で目に留まった見所遺構は、全て概念図には示したが、虎口跡、土塁郭と化した背後に低土塁を伴う見張り台、土塁内壁に僅かに露見した土留め石らしき石積跡土塁内外壁を形成する切り立つ切岸、北、東、南側に僅かに窺われる薄い空堀跡などが挙げられるが、これを機に訪れる用意のある方には、どれも見逃せない遺構と感じられたので、取りあえず全て押さえて頂きたい。

6_higasi_isi_1 謎の石垣跡

12_higasi_karabori 東空堀跡見所

14_koguti_nai 土塁虎口見所

28_koguti_gawa_dorui 主郭内の土塁見所

26_dorui_naiheki 高土塁内壁見所

20_hori_dorui_saikousho 西端角の堀切見所

18_haigo_dorui_karabori 大空堀見所

29_dorui_isi 土塁底部の石積跡見所

城跡を個人的に評価するのであれば、遺構残存度の高さ、縄張りの掴み易いコンディションの良さ、遺構の見応え、見学のし易さ、これだけの材料が揃えば、間違いなくお薦め出来る城跡の一つという事にはなるが、とにかく背中を押してでもお薦めしたい城跡の一つ!と思って頂いても良いだろう。

2012年3月23日 (金)

角部砦跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市中村にあって、先にリポート掲載を終えた井上氏城の真南側に突き出した丘陵先端部にある。地元で城跡を尋ねれば、一応長持氏の砦跡と伝わっているらしいが、その詳細は不明。

城跡を訪れるには、先に触れた井上氏城を起点とすれば一目瞭然の位置にあるが、概念図に示した付近の道路沿いから林の中を覗けば、郭外壁となる切岸は充分窺えるので、主郭までは直ぐにでも辿り着けよう。

1route_3 登城ルート

4 南側進入口

3_1 城跡概念図

現状(二月)城跡は、一帯が植林地となっているせいもあるが、遺構見学とすれば、これ以上望む事が出来ないほど素晴らしい状態にあり、現存する遺構の全てが、判別確認し易い状況下にあると思って頂いても良いだろう。規模が小さい(全長30m前後)事から、その全体像を窺う事も可能であり、主郭北西隅に備わる櫓台土塁や、その外壁となる切岸は、郭二方を廻る分厚い土塁と並んで、切岸の醍醐味には充分触れる事が出来るとは思われる。ただ本来四方を廻っていたものと察せられる、南側の土塁は消失した可能性があり、東側に施されていたと察せられる空堀も、現在では痕跡も窺われない状況にあるので、遺構残存度は低い城跡という事にはなるが、、、、

18_shukakunai_1 主郭内部

8_kita_dorui_1 北側土塁見所

7_shukaku_nisi_yagura 櫓台土塁見所

19_kta_obi 北帯郭

20_kitagawa_heki 櫓台外壁見所

城跡を個人的に評価すれば、分厚い土塁を形成する切岸の醍醐味、誇れる状態の良さ、それに圧倒的お手軽感を加味すれば、井上氏城と併せた同日訪問とするのであれば、充分訪れる理由も生まれて来る城跡といった処か、、、

2012年3月21日 (水)

福持氏城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市坂下にあって、通称「城山」と呼ばれている低山山頂に位置している。城史に関しては、天正期に福持氏によって築かれた城と伝わっており、今後リポート掲載を予定している、九太夫城(福持九太夫城)を本城とした時の支城、あるいは出城とすれば良いのかも知れない。

城跡を訪れるには、国道165号線を経由して県道2号線に進入する事が先決となるが、同じ2号線を訪問ルートとする、既にリポート掲載を終えた妙楽寺城藪内氏城を起点とすれば、その所在位置も分かり易いだろう。目印となるのは車を駐車する事になる、坂下集落の中心地にある「坂下公民館」で、概念図に示した箇所(画像に注目)から急斜面を直登すれば、藪漕ぎもなく数分で主郭までは辿り着けよう。

1route_2 登城ルート

5 直登取り付き口

3z 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ三郭で構成された、シンプル極まりない砦規模の城跡である事から、自作概念図に限りなく近いものと思って頂いても良いが、小規模な山上主郭の西側には低土塁が施されており、その北背後の痩せ尾根を断つ二重堀切は、堀底から立ち上がる切岸と相俟って見応えも充分であり、この山城の醸す楚々とした佇まいは、当時に思いを馳せる事も容易く、充分見学者の目は楽しませてくれるだろう。現状(二月)城跡は、一帯が間伐の行われた植林地にある事から、狭い主郭の全貌が窺える状況の下にあると思って頂いても良いが、恐らく四季を問わずこの状態が自然維持されていると思われた事から、訪問時期も冬季に限定されたものではなく、非常に尋ね易い城跡と自分の目には映ったのである。

6 南腰郭2

9_gedan_yori_shukakuheki 南腰郭1より主郭切岸

15_dorui_kita  主郭内北側土塁見所

16_dorui_gaiheki 土塁見所

20_nijyuu_horikiri1 堀切見所

17_2jyuu_horikiri_1 二重堀切見所

城跡を個人的に評価すれば、福持氏の本城ともいえる九太夫城(今後にリポート掲載予定)と併せた同日訪問とすれば、間違っても期待外れには終わらない、「是非お薦め出来る城跡の一つ」とは言えるだろう。もちろん単独訪問としても、規模さえ問わなければ充分満足感には浸れようが、、、

2012年3月19日 (月)

岡山氏城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市出後にあって、既にリポート掲載を終えた井上氏城から見れば、川を隔てた真西側の丘陵上に位置しており、永井氏城から見れば道路を隔てて直ぐ西側へ隣接した丘陵上にある。城史に関しては岡山氏の居城と伝わっているが、詳細は不明

城跡を訪れるには、先に触れた永井氏城を起点とすれば、その所在位置は一目瞭然でもあるので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、登城口は概念図に示した橋脇の入山ゲートからで、山道に任せて数十m上り、適当な箇所から尾根に沿って直登すれば、藪漕ぎもなく数分で主郭までは辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

5 登城入山口

3_1 城跡概念図

城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、コンパクトにまとまった伊賀の城跡らしく単郭構造で、主郭背後には土塁を付随させた二重堀切が施されている。この空堀(堀切)壁と郭外壁の一部に石積(角の取れた川原石)が窺われた事や、崩落石が斜面上に見止められた事から、郭外壁の全てとは言わないまでも、部分的には石垣で郭外壁が補強されてあったものと考えられる、、、、現状(二月)城跡は、藪化は進行中にあるが、見学に差し支えるまでには至っておらず、概念図に示したまでの、自身が踏破した範囲で城郭遺構と判断した残存遺構の全てが、判別確認の容易い状況にあると思って頂いても良いだろう。ただ郭内部の地表風化は進んでおり、郭内部の僅かな地形の変化から、郭区画までは読み取れないのが現状でもあるが、、、

7 主郭北切岸見所

10_karabori_ato_2 僅かに空堀跡?

12_shukaku 主郭内部の状態の良い箇所

16_minami_ukedorui 土塁跡見所

17_horikiri 堀切見所

19_horikiriheki_isi露見する石積跡見所

18_dorui 主郭背後土塁見所

城跡を個人的に評価すれば、山城としてみれば比較的見学し易い状態が自然維持されており、縄張りが掴み易い事、遺構としての見応えには少し欠けるが、二重堀切、土塁跡、虎口跡、ついでに石積跡が拝める事、それにお手軽感も加味すれば、規模さえ問わなければ充分お薦め出来る城跡という事にはなるだろう。

2012年3月17日 (土)

遺構の全てが露見した素晴らしい状態を誇る 植田氏城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市下阿波にあって、低丘陵上の先端部に位置している。城史に関しては、天正年間に植田豊前光次の居城が伝わるが、その詳細は不明

城跡を訪れるには、まず国道163号線へ進入する事が先決となるが、下阿波地区から登城口となる入山ゲートまでは、登城ルート図を参考にして頂きたい。付近に充分路駐可能なスペース(画像に注目)はあるが、そこから直ぐの距離にあるゲートを開閉して、尾根上を目指せば、藪漕ぎもなく数分で素晴らしい状態を誇る本郭群に辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

5_nyuuzanguti 入山口

Zx 城跡概念図

城跡の形態は概念図に示した通り、伊賀にあっては定番ともいえる、主郭四方に土塁を張り巡らした、方形居館と呼べるものでもあるが、とにかく遺構見学としてのコンディションは賞賛に値するものであり、間伐の行われた植林地が幸いしたせいもあるが、主郭内も含めて、本郭の縄張りの全てが見通せる状況(二月)にあり、現存する遺構の全てが外見から判別確認し易い、素晴らしい状態にあると思って頂いても良いだろう。居館跡の性質上、特別縄張り妙味を感じられる城跡とは言えないが、高低差を誇る堀切、及びその切岸、それに繋がる縦堀四方を廻る土塁と櫓台の如き高土塁見事な土塁虎口跡、土塁外壁を形成する、低草木の蔓延らない地表の露見した切岸などは、間違いなく見学者の目を楽しませてくれるだろう。今まで伊賀の居館跡に関しては、数多く現況をリポートして来たが、「これほどの状態を誇る城跡にはお目にかかった事がない!」、もちろん保全整備の行われた指定史跡以外の城跡という事にはなるが、、、これを機に訪れる用意のある方には、是非期待して臨んで頂きたいと思えたのである。

10_shukaku_dankaku 主郭北側の段郭群

16_koguti_dorui 土塁虎口見所

21_koguti_gawa 主郭内

14_daidorui_heki 主郭背後大土塁見所

17_higasi_teidorui_1 東低土塁見所

22_horikiri_3 堀切見所

27_higasi_tatebori 西縦堀見所

28_gikou_dorui_tatebori 土塁と東縦堀見所

32_higasi_sakuheiti 東側削平地

城跡を個人的に評価すれば、明確にそれと分かる遺構群の状態の良さ、山城入門者でも縄張りの掴み易い遺構残存度の高さ(完存か?)、土塁や空堀などの遺構の見応え、丘陵上に展開される広大な規模を誇る削平地(外壁に切岸跡が窺える事から、縄張りの一部と推察)、及び主郭内に佇んだ際の圧倒的臨場感、これだけの見学材料が揃えば、圧倒的お手軽感を含めずとも、間違いなくお薦め出来る城跡の一つ、という事にはなるだろう。個人的には所在位置確認に手間取り、同日訪問とはならなかったが、隣接する丘陵上にある、阿波氏城も含めた城跡巡りは是非お薦め!(今後リポート掲載予定)

2012年3月15日 (木)

五日城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市老川にあって、「梅高大神」を麓に望み、真北側の標高約400m(比高約80m)の山頂に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた峯出城や若山氏城を起点とすれば、その所在位置は分かり易いとは思われるが、同様の訪問ルートとなる767号へ進入する事が先決となる。767号道路沿いには「城山バス停」がある事から、これを目印とすれば更に分かり易いだろう。付近に到達すれば、城跡まではルート図を参考にして頂きたいが、梅高大神へ向かう生活道路から林道に合流し、治山工事の行われた上り易い場所(画像に注目)から取り付き、尾根を目指して上ればよい。林道沿いから二重堀切までは直ぐの距離にあるが、ちなみに麓に路駐すれば10分内で到達可能

1route_3 登城ルート

5_2 取り付き進入口

3z 城跡概念図

城跡のアバウトな形態は、自身が踏破した範囲で目に留まった遺構を示した、概念図を参考にして頂きたいが、自然地形に任せたまま山頂を削り出して築かれただけの城郭に、技巧を伴う多くの遺構や、縄張り妙味は自ずと望めないものでもある。見所遺構は概念図にしめしたが、箱堀を含めた堀切が二箇所土塁跡に関しては痕跡程度に止まるが、山上郭群の一角と、箱堀脇といった処と思って頂ければ良いかも知れない。ただ切岸跡は山上郭群の周囲外壁に見止められるので、切岸の醍醐味は充分味わえるだろう。現状(二月)城跡は、藪化も地表風化も進行中にあるが、北尾根上から山上本郭群までは、郭移動に差し支えるまでには至っておらず、密生雑木藪地となっている主郭から南西側斜面、あるいは南側斜面を除いた、概念図に示したまでが移動にも難渋せず、踏破可能な範囲と思って頂ければよいだろう。

9_kita_2jyuu_horikiri_1 北端二重堀切見所

12_hakobori 堀切(箱堀)見所

10_kitakaku 荒廃した北郭の現状

12_honakaku_heki 本郭群の切岸

16_shukaku_dan 主郭

23_naka_dorui 土塁の痕跡

城跡を個人的に評価するのであれば、見応えのある遺構は皆無に近いという事になるが、この地区にあっては縄張りプランを異にする新鮮さ(伊賀の城跡の定番ともいえる土塁を伴う方形居館跡でない部分)、及び城郭としての機能を考えさせられる部分、それに圧倒的お手軽感まで加味すれば、何とか訪れる値打ちのある山城といったところになろうか、、

尚、ルート図中に示した「極楽寺」西背後で、見応えのある堀切(横堀と縦堀跡)や土塁、あるいは後世における地形改変跡は窺われるが、大規模な削平地が窺われた事から、個人的にはかつての城郭遺構と判断したが、既に調査されて公的に認識されている城跡とは思えなかった事から、興味のある方は是非一度覗いて頂きたい。

Photo 推察)城郭遺構

3 土塁及び背後横堀見所

1 土塁切岸見所

1_2 縦堀(現状山道)見所

2012年3月13日 (火)

大蔵山城跡(兵庫県神戸市)

城跡は兵庫県神戸市北区八多町附物にあって、標高453mの「大蔵山」山頂に位置しており、国土地理院地図にも記されているので、その位置は確認し易いとは思われる。入山口でもある「ビクニ池」の畔に掲げられてあった、案内板の中に「奥蔵寺」が登場する事から考えれば、文献資料による違いはあるが「奥蔵寺砦」と呼ばれているものが、この大蔵山城にあたるもの考えられる(当て字の違いはあるが、どちらもオーゾウと読める)。城史に関しては僅かではあるが、当時三木城を居城としてこの一帯まで絶大な勢力を誇った、別所氏一族が「奥蔵寺」を利用して立て籠もった砦跡と伝わっており、秀吉による焼き討ちで落城した歴史が伝えられている。

1route 登城ルート

7_ike 8_nyuuzanguti_1 入山口

3 城跡概念図

城跡を訪れるには当然地図にある「大蔵山」を目指せば良いのだが、県道38号の「深谷」三叉路で針路変更して、南下した場所にあるのが附物集落で、民家の途切れる南最奥にある「六甲八多霊園」を目印として目指せば分かり易いだろう。そこの駐車場を利用させて頂く事になるが、そこから更に林道で前述のビクニ池まで歩き、ルート図に示した(画像に注目)林道沿いからも窺える沢筋に見える山道を登れば、踏み跡程度ではあるが、山頂までは山道が繋がっているので、迷わず辿り着けるとは思われる。ちなみに霊園から山頂までは20分内と思って頂ければ良いだろう。

10_sanjyou_kaku 山上主郭の現状(一部)

10_sanjyou_kaku_3 三角点

14_kirikisi_ato 北小郭の切岸跡

15_kita_kaku 北郭群

現状(二月)城跡の位置する山上には三角点がある事から、僅かにハイカーは訪れても、ここを山城跡として認識した上で訪れる方は皆無に近いものとも感じられた。踏み跡程度の登山道が通過している事から、幸い移動に難渋するまでには至っていないが、郭内の藪化は相当深刻化した状態にあり、山上主郭の周囲は全て木々で覆い尽くされている状況となっている。その中で唯一段差程度の切岸跡は窺う事が可能となっているが、堀切あるいは土塁などの判別し易い遺構は一切目には留まらなかった、個人的にはこれだけに終わるものとは思えなかったので、期待を込めて更に南山上も踏破したが、ここより更に藪化は深刻化しており、とても見学可能な状況にはなかった。それでも藪漕ぎしながら山上における広い削平地だけは確認したが、それ以上のものに巡り合う事は叶わなかった。砦跡と伝わる城跡を少し過大評価し過ぎた嫌いはあるが、この山城に関しては、この程度の城跡として決め付けても差し支えはなさそうに思えたのである。現在の状況を踏まえれば、とてもお薦めとは言えないが、史跡巡りあるいはトレッキングを楽しむ程度とすれば、それでよいのかも知れない、、、

2012年3月11日 (日)

廃校跡が妙に郷愁を誘う 泉氏城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市種生(タナオ)にあって、現在廃校となっている小学校の直ぐ東背後の丘陵上にあるが、現在かつての校舎は「博要地区市民センター」となっている。城史に関しては泉氏の居城が伝わるが、詳細は不明

城跡を訪れるには、691号線沿いにある「博要地区市民センター」を目印として目指せば迷わず辿り着けるが、近辺には既にリポート掲載を終えた小竹氏城がある事から、既にこの城跡を訪れた方には、その位置も分かり易いとは思われる。城跡への進入口は、概念図あるいは画像に示した付近からで、車を停めれば城跡までは直ぐにでも到達可能となっている。

1route_4 登城ルート

5_3 進入口

3iz 城跡概念図

城跡の形態は概念図に示したものに限りなく近い、主郭三方を土塁が廻る、ほぼ単郭で成立した城跡と思って頂ければ良いが、主郭背後の大土塁は櫓台機能と察せられるものであり、多少規模の大きいものとなっている。堀切は横堀として櫓台土塁の背後に施されているが、城跡においては唯一の空堀として、土塁と共に見学者の目は充分楽しませてくれる筈である。主郭の形状は六角形に近いものであり、方形居館跡が圧倒的多数を占める伊賀の居館跡としては、多少ユニークさが感じられるものとなっている。

現状(二月)城跡は、一帯が間伐の行われた植林地にある事から、それなりに見通しが利き、見学し易く見て回りやすい状態が自然維持されている。よって概念図に示したまでの遺構は、全て判別確認が容易く、切岸の醍醐味に触れる事も可能であり、外見から小規模な主郭跡のほぼ全体像を窺う事も可能な状況にある。城跡を個人的に評価すれば、ほぼ完存(推察)とも見受けられる遺構残存度の高さ櫓台土塁や堀切壁の見応え、比較的良いと感じられたコンディション、小規模が故の縄張りの掴み易さ、更に主郭まで5分で到達可能な圧倒的お手軽感まで含めれば、「規模さえ問わなければ、間違いなくお薦め出来る城跡の一つ」と言えようか、、、

8 最初に到達郭跡

12_shukaku_nai 主郭内の現状

10_koguti_dorui 土塁虎口見所

14_dorui_1 低土塁見所

17_yagura_daidorui 櫓台土塁壁見所

21_horikiri_1 堀切見所

追伸、こういった過疎化の進行した地域にある城跡を後にする時に、何時も感じられる事なのであるが、この小学校もかつては子供の遊び声や、始業を知らせるチャイムの音が谷間に響き渡っていたのだろう思うと、子供の笑い声の途絶えた運動場を見るだけで、妙に寂しくセンチメンタルな気分にさせられるのである(迂闊にも涙が溢れてしまった、、、)。自分を含めた都会人にとって、郷愁を誘うこの廃校跡は、城跡の佇まいと並んで、充分訪れる理由の一つになると感じられた事も、最後に付け加えておきたい、、、、

2012年3月 9日 (金)

堺目城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市伊勢路にあって、国道165号線「青山トンネル」のほぼ真上にあり、その山頂に位置している。堺目砦跡、あるいは斎王堺屋跡の別称があるが、城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、国道165号線を走り青山トンネルを目指し、トンネル手前より青山高原へ向かう755号へ針路変更して向かえば良い。城跡までの進入経路はルート図に示したが、755号沿いの沢の途切れる付近(画像に注目)から取り付き、直登で植林地を通過して城跡を目指せば、自ずと林道と合流する事が可能であり、最短(10分内)で主郭までは辿り着ける筈である。時間に余裕のある方は、随分遠回りにはなるが、林道に任せて上れば良いだろう(小型四駆なら城跡南斜面真下付近までは進入可能)

1route 登城ルート

5 直登取り付き口

3s24 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図通りと思って頂いても良いとは思われるが、本郭群そのものの規模は非常に小さなものであり、伊賀においては定番ともいえる、郭四方を低土塁が廻る、単郭構造の方形郭と言えば、これを機に訪れる用意のある方には分かり易いだろう。空堀は主郭東西二箇所に一応施されてはいるが、長年の地表風化によって、深さは随分失われており、現状(二月)切岸の醍醐味に触れる事は叶わず、見応えにも少々欠けるかも知れない、、、ただ城跡におけるコンディションには素晴らしいものがあり、城跡一帯が間伐の行われた植林地にある事から、縄張り全体の見通しが利き、遺構の判別確認も容易く、更に当時に思いを馳せる事も容易い状況となっている。

15_shukaku_nai_2 土塁囲みの主郭内部

16_buatui_dorui 虎口脇の分厚い土塁見所

26_kita_koguti 北虎口と切岸見所

10_higasi_horikiri_ato_1 東空堀跡見所

18_nisi_horikiri 西空堀跡見所

25_kita_obi 北側帯郭と切岸

22_nisikaku_1 西削平地

城跡を個人的に評価すれば、山城としてはこれ以上望めないほどの素晴らしい状態(画像に注目)が、今日まで維持されている事、遺構が判別し易く、縄張りが山城初心者でも簡単に掴める事、遺構に醍醐味や見応えまでは望めないが、遺構残存度が高い(完存か?)事、楚々とした佇まいが素晴らしい事、10分内で到達可能なお手軽感、これらの材料を全て加味せずとも、規模さえ問わなければ、間違いなく「是非お薦め出来る山城の一つ!」という事にはなるだろう。これを機にこの山城を訪れて見たいと思われた方、あるいは史跡ファンの方も是非一度訪れて、林道で山歩きを楽しみながら、是非この山城の魅力を味わって頂きたいと思えたのである。

2012年3月 7日 (水)

梶ヶ谷城跡/坂折城跡(兵庫県丹波市)

この二城はどちらも兵庫県丹波市市島町にあって、梶ヶ谷城は白ゴウ寺地区、坂折城は与戸地区にある。両城共に黒井城の北端に位置している事から、その出城とも窺えようが、この味極まりない縄張りプランを思えば、自分の目には陣城の様にも映ったのである。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた白ゴウ寺城を起点とすれば一目瞭然の位置にあるが、国道175号線に進入する事が先決となる。「東勅使」の交差点から西進して白ゴウ寺を目印として目指せば分かり易いが、登城進入経路はどちらも概念図中に示したので、迷う事はないとは思われる。ちなみにどちらも車を置いて5分内で主郭へ到達可能

1route_1 登城ルート

1_2 梶ヶ谷城概念図

Photo 梶ヶ谷城進入経路

4 梶ヶ谷城東郭

2 梶ヶ谷城本郭

両城ともに大雑把な概念図を見ればお分かり頂ける様に、その形態は、尾根上あるいは山上(独立した低山)の違いはあるが、郭跡はほぼ削平しただけに終わったものであり、本郭内部に段差程度の郭区画は見止められるが、郭外壁に切岸処理までは施されていない。坂折城の方では辛うじて段差程度の切岸ラインが窺われるが、内部における郭構成などは、ほぼ見学者の想像に委ねられるだろう。現状両城共に藪化はそれなりに進行しているが、見学や移動に差し支えるまでには至っておらず、山城としては比較的歩き回り易い状況にある。比較的木々が少ない事もあって見通しは利き、規模の大きい郭跡に佇めば、臨場感だけは充分味わえるだろう。

1_2_2 坂折城概念図

1 2_2坂折城 山上郭群

両城共に遺構の見応えは全く望めない、間違いなく郭跡に佇む程度の訪城となる気はするが、黒井城に関連した山城巡りとすれば、何とか訪れる理由も生まれるのではないだろうか、、、

2012年3月 5日 (月)

完存に近い、佇まいそのものが最大の値打ち! 羽柴砦跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市奥鹿野にあって、小さな奥鹿野集落の中心部が見通せる山腹に位置している。城史に関しては、名が語る様に羽柴氏の居城が伝わるが、筒井定次が羽柴姓を秀吉に与えられて築いた事から、この名がこの砦の通称となっている。後に秀吉から同じ姓を与えられた滝川三郎兵衛が、城郭に多少の改修を施したものとも察せられるが、推察の域は出ないものである、、、

城跡を京阪神側から訪れるには、国道165号線から670号へ進入してして向かうルート、767号へ進入して向かうルート、あるいは老川を経由して767号で向かうルートの三通りが考えられるが、目印となるのは奥鹿野公民館で、そこに車を預けた後は、ルート図の如く直登取り付き地点とした砂防ダムまで歩いて向かい、概念図に示した付近から山上目指して上れば良い。そこから右側に廻り込みながら上れば本郭群の一部となる四方を土塁が囲む見張り台へ、そのまま直線的に山上を目指せば、削平地(地形は曖昧)らしき跡の東西を遮る、二本の堀切へ到達出来る筈である。ちなみに藪漕ぎもなく5分内で山上堀切までは辿り着けよう。

1route 登城ルート

8 直登取り付き地点

Hs2 城跡概念図

この城跡は、自身が見る限り、伊賀に多く見受けられる方形居館跡と呼べるものにはあらず、土塁が四方を廻る郭跡は、6~7m四方の見張り台程度の狭小郭であり、本来の居住空間ともいえる主郭は、概念図に示した様に、南側斜面を切り込んで築かれたものと察せられた。それは大規模なものではないが、未だ切岸跡は健在であり、推察見張り台の土塁や空堀と共に、充分見学者の目は楽しませてくれる筈である。先に触れた二本の堀切は、見張り台より少し上った山上尾根に位置しているが、片側が縦堀となって砂防ダム近くまで落ち込む様は、ほぼ全貌が窺える状態の良さも相俟って、非常に見応えを感じるものとなっている。もちろん完存に近い形の見張り台と併せて、城跡最大の見所遺構の一つでもあるが、充分訪れる値打ちのある遺構と自分の目には映ったのである。

27_tyuusuu_kaku_2 主郭の現状

22_kakunai_120_shukaku_nai_2  推察見張り台内部見所

18_horikiri_dorui 土塁背後の空堀見所

26_kita_heki 土塁外壁見所

9_damu_gawa_tatebori_1 山上尾根の縦堀見所

11sanjyou_horikiri 山上尾根の堀切見所

25_karabori_ato 空堀の痕跡見所

現状(二月)城跡は、一帯が間伐の行われた植林地にある事から見通しが利き、遺構見学としては、これ以上望めない良い状態にあると思って頂いても良いだろう。もちろん四季を問わずこの状態は維持されているものと予想されるが、、、城跡を個人的に評価するのであれば、遺構残存度の高さ、状態の良さ、小規模が故の縄張りの掴み易さ、お手軽感、更にほぼ貌の窺える佇まいの素晴らしさも含めれば、規模さえ問わなければ、間違いなく是非お薦め出来る城跡の一つと見た!

2012年3月 3日 (土)

井上氏城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市中村にあって、指定文化財「辻堂古墳」から見れば、集落を挟んで東側丘陵先端部に位置している。城史に関しては、名が語るように井上氏の居城が伝わるが、詳細は不明

城跡を訪れるには、まず国道163号線に進入する事が先決となるが、既にリポート掲載を終えた前山城などを起点とすれば、その所在位置の確認は容易いだろう。国道沿いにある「中村バス停」から城跡へ向かう進入経路は詳細ルート図に示したが、「辻堂古墳」から城跡は直ぐ望める位置にあるので、位置だけ確認すれば、車は「辻堂古墳」駐車場に預けて、そこから歩いて城跡を目指せば、数分で辿り着ける筈である。

1_1 登城ルート

4 城跡遠望

8tojyouguti 進入経路

3ino 城跡概念図

城跡の形態は概念図に示した様に、伊賀の城跡にあっては定番ともいえる、主郭四方に土塁が廻る方形居館跡と呼べるものであるが、四方を廻る土塁は虎口跡と共にほぼ完存、分厚い高土塁背後に備わる空堀(横堀)も未だ健在となっている。現状(一月)本郭周辺一帯は植林地にある事から、所有者の手によってそれなりに間伐も行われており、下草はそれなりに蔓延ってはいるが、見通しが利き歩き回り易い状態にあるので、遺構見学も存分に楽しめそうに思えた。方形居館跡と言う事もあって、特別縄張り妙味がある訳でもなく、遺構が目白押しという訳でもないが、主郭土塁背後に施された横堀は、賞賛に値する状態が維持されており高低差約5mを誇る切岸(土塁壁)の醍醐味も併せれば、この空堀見学だけの為に訪れたとしても、決して後悔はしないほどの、見応え抜群の遺構と自分の目には映ったのである。

21_higasi_koguti 虎口

20_shukaku_nai 主郭内部の現状

18_dorui_minamigawa 南側土塁見所

16_yagura_1 櫓台土塁見所

22_karabori 横堀見所

城跡を個人的に評価するのであれば、実態を単純な方形居館跡と知った上で訪れるのであれば、当然縄張り妙味には欠けるが、遺構残存度の高さ、四季を問わずそれなりに見学し易い状態の良さ、遺構の見応え(土塁と横堀)、それににお手軽感まで加味すれば、自ずとお薦め出来る城跡という事にはなるだろう。この中村地区周辺にかけて点在する城跡の一つ、轟城、前山城、岡島砦、今後リポート掲載予定の山田氏城、角部砦などを対象とした城跡巡りは是非お薦め!

2012年3月 1日 (木)

鍛冶屋城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市鍛冶屋にあって、鍛冶屋集落に向いて南へ突き出した低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、国道368号を経由して古山界外を通過し、更に県道686号へ進入して向えば分かり易いが、付近に到達後の登城ルートは、概念図に示した二通りが考えられる。どちらを利用しても直ぐの距離にあると思って頂ければ良いが、画像に示した分かり易い道路沿いからのルートは、確かな山道で上れるが青竹が密生し、倒竹の多い郭跡を通過する為に、その隙間を縫っての登城は余儀なくされるだろう。

1route 登城ルート

5 道路沿いの登城口

3 城跡概念図

城跡の大雑把な形態は概念図を参考にして頂きたいが、現状(1月)広大な規模を誇る主郭から東側に付随する付郭、あるいは箱堀を挟んで南端にある出郭までは、全て竹林雑木藪地と化しており、遺構見学としては中々満足感の味わえる状況にはない。ただこの大味な縄張りプランを思えば、多くの残存遺構に期待出来ないのが現実でもあるが、、、おまけに主郭から北側の台地まで続いていたと察せられる縄張りは、現在造成された荒地となっており、かつて丘陵上を分断する為に施されていたと思われる堀切や土塁は、その痕跡すら窺えない状況となっている。残念! その中で唯一目を楽しませてくれるのが、箱堀あるいは鋭角に削り落とされた郭切岸といった処になろうが、見応えまでは期待出来ないものと思って頂ければ良いかも、、。

7_minami_demaru 南出郭

11_hakobori 箱堀の現状

12_shukaku_nantan 主郭の現状

15_kitagawa_1 主郭の北側荒地

城跡を個人的に評価すれば、伊賀に数多く築かれた居館跡巡りの一環とすれば、何とか訪れる理由も生まれて来るとは思われるが、残存遺構にはほとんど期待出来難いと思われた現状や、状態が相当醜い事も考慮すれば、今回はこの城跡に興味を持たれていた方、あるいは今まで所在地の掴めなかった方にとって、現況報告が少しでもお役に立ったのであれば由としたい、といった処か、、、

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