豪快な空堀と高土塁が見所の城館 入屋敷城跡(三重県伊賀市)
城跡は三重県伊賀市喰代にあって、既にリポート掲載を終えた、奥氏城と百地丹波城に挟まれた形の台地上に位置しており、本郭群に関してはほぼ単郭で成立した、正に大士豪の居館跡と呼べそうな、広大な規模を誇る館城と見受けられるものである。ただこれだけの規模を誇る館城でありながら、意外にも築城者並びに当時の城主は不明であり、城史に関しての情報も、現状皆無に近いものである。
城跡を訪れるには、先に触れた百地丹波城、あるいは大北東城などを起点とすれば、位置関係も所在地も分かり易いとは思われるが、県道2号と県道56号の交わる交差点から、城跡まで向かう進入経路はルート図に示したので、是非これを参考にして頂きたい。もちろんルート図中に示した和田城も、ついでに立ち寄れば、非常に効率の良い城跡巡りとなるのは目に見えているが、、、
城跡の形態は、館城だけあって非常に分かり易いが、広大な規模を誇る主郭三方には土塁が施されており、特に堀切側(東)の高低差(内壁)を伴う高土塁は一際高く、その背後に施された豪快な空堀(40m以上)や、西側の分厚い受け土塁と並んで、見応えも抜群なものとなっている。更に遺構としての判定は難しいが、北側の低土塁外壁部分に石積跡が窺われたことによって、北側は土塁補強用として石垣が使用されていたものとも思われた。もちろん石積は後世におけるものかも知れないので、高土塁内壁底部に施された排水溝跡(推察)と並んで、遺構としての正否の判定は、全て見学者の判断に委ねられるだろう、、、他では南側の搦め手虎口(推察)が見所遺構として挙げられるが、土塁や空堀を伴い複雑な地形と化している現状、中々上手く遺構を説明出来ない、、、、
現状(1月)城跡は、縄張りのほぼ全域が植林地にある事から、低草木もそれほど蔓延らず、それなりに見通しも利き、更に見て回りやすい状況にあるが、高土塁内壁部分における表土の流出(一部崩落)や、長年の堆積物による地表風化には相当激しいものがあり、郭内部も相当荒廃している状態にある。もちろん見学に差し支えるまでには至っていないが、、、
城跡を個人的に評価すれば、非常に大味な城跡ではあるが、裏を返せばその分、現存する空堀や土塁の豪快さが目を引く事に繋がり、見所も意外に多く、遺構残存度の高さも加味すれば、是非期待して臨んで頂いても良いのではないだろうか、形態は限りなく平城に近いものであり、地形そのものを縄張りに取り込んで築かれた、山城と比較するのは少々難があるが、お薦め出来る城跡の一つという事には変わり無いだろう。尚、和田城に関しての現況リポートは、今回同時掲載として間に合わす事が出来なかった事を理由に、次回に掲載予定
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