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2012年2月

2012年2月28日 (火)

戸倉構跡(兵庫県姫路市)

城跡は兵庫県姫路市夢前町戸倉にあって、標高約220mの山上に位置しており、構居(居館あるいは館城)と名は付くが、実際には比高約100mの山上が城跡となっているので、城跡を分類する上では、山城と呼んでも差し支えないものとは思われる。現在山上郭跡の一角には、「アゾノ山正覚寺跡」の石碑が建っているが、この石碑が物語るように、当時においては安積氏の居城が伝わり、アゾノ構居とも呼ばれている。この郭跡地には、後世において「正覚寺」が建立されていたものと察せられるが、この寺院は現在城跡の北麓に移転している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、411号線に進入する事が先決となるが、直登取り付き口とした「正覚寺」を目印として目指せば、迷わず辿り着けよう。寺院(無住か?)駐車場に車は預ける事になるが、寺院南側の尾根先端部に取り付いて、そのまま尾根伝いに上れば、木々の隙間を縫う箇所も多々あるが、藪漕ぎもなく10分前後で山上郭までは辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

14_kirikisi_1 切岸跡

6 広大な山上郭の一部

10_azonoyama_1 山上郭

10_azonoyama 石碑

現状(2月)城跡は、冬枯れしているにも拘らず、山上郭には多くの常緑樹が蔓延っているが、それなりに見通しは利く状況にあるので、郭跡に佇めば臨場感だけは充分味わえるだろう。この広大な規模を誇るかつての郭跡地には、最初から期待はしていなかったが、土塁も空堀も施されてはおらず、西側を区画する郭で唯一切岸跡(画像に注目)が窺えるものであり、遺構の見応えを期待して臨めば、間違いなく期待はずれに終わる城跡と自分の眼には映った。播磨地方で窺われる多くの構跡は、郭跡がほぼ削平だけに終わった大味なものが多く、この城跡もその中の一つと言う事にはなるが、その多くが部分的に消失したり、消滅している事を思えば、当時の祖形がほぼ維持(推察)されている分、見学する値打ちは多少でもあるかも知れない、、、

これを機に訪れる用意のある方は、絶対に遺構の見応えを期待して訪れてはいけない。かつての構居跡の佇まいを感じる程度といった、割り切った訪問が必要かと思われるのである。尚、地元で城跡を尋ねた際に、ルート図に示した戸倉構の南側付近にも構跡がある事を聞くに及んだが、こちらが山上を詰城とした際の、平常時における屋敷跡かも知れない、、、謎。遠くから覗いた限り、ほぼ畑地の様相でもあり、近世において相当な地形改変の跡が窺われた事もあって、結果的には覗くまでには至らなかったが、興味のある方が覗く分には、決して無駄足には終わらないかも知れない、、、

2012年2月26日 (日)

小規模ながら、ほぼ完存に近い縄張りが魅力 荒堀氏城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市比自岐向山にあって、集落東の奥まった尾根先端部にある。城史に関しては、名が語る様に荒堀氏の居館跡と伝わっているが、その詳細は不明

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた中川氏城と同様の訪問ルートと思って頂ければ良いが、車を停めた路駐箇所からは中川氏城の進入経路とは逆に、ルート図の如く北へ向かい、画像に示した住宅地向側の山道から、池傍にある城跡を目指せば良いだろう。もちろん先に中川氏竹岡氏城を訪れた方は、城跡巡りの順番として、最後に推察居館跡から池傍を通過して向かう事になるが、、、

1route 登城ルート

4_nyuuzanguti 進入経路

3_1 城跡概念図

3_sanjyou_2 三城併せた概念図

この城跡の形態に関しては、ほぼ概念図通りと思って頂いても良いとは思われるが、主郭周囲を廻る土塁は完存、更にその周囲三方を廻る空堀(東側は薄い横堀、南北は縦堀)もほぼ完存と言えるものであり、土塁虎口から主郭内部をほぼ見通せる事も可能であり、主郭背後にそそり立つ全体像の窺える高土塁の醍醐味は、小規模な館城とはいえ、空堀も含めた遺構の見応えだけは抜群の城跡と目には映ったのである。現状(一月)城跡は、主郭内部及び周囲にかけて青竹が相当蔓延ってはいるが、小規模な事も相俟って、移動見学に差し支えるまでには至っておらず、それなりに見学し易い状態にあると思って頂いても良いだろう。ただ主郭内部における、自然に任せた地表風化は激しいが、、、

11_koguti_1 土塁虎口見所

18_shukaku_nai 主郭内部

16_haigo_dorui_heki_1 東高土塁見所

22_dorui_jyou 高土塁上

21_haigo_karabori_3 背後の空堀見所

20_kita_tatebori 北縦堀見所

25_minami_tatebori_1 南縦堀見所

12_koguti_waki_kaku 虎口脇の土塁郭

城跡を個人的に評価するのであれば、遺構残存度の高さ、遺構の見応え、状態の良さ、更に圧倒的お手軽感まで加えれば、規模さえ問わなければ、まず間違いなくお薦め出来る城跡の一つ!という事にはなるだろう。これを機に訪れる用意のある方には、この荒堀氏城まで含めた三城の同日訪問プランは、是非考慮して頂きたいと思えたのである。

2012年2月24日 (金)

二氏が尾根先端に軒を並べる 中川氏城跡/竹岡氏城跡(三重県伊賀市)

この二城は三重県伊賀市比自岐にあって、小さな集落から見れば南東尾根先端部に位置しており、竹岡氏城跡は住宅地の直ぐ背後、中川氏城跡はその直ぐ南側へ突き出した丘陵先端にある。二氏が丘陵先端部に仲良く軒を並べた様相は、伊賀の居館跡らしいものではあるが、城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、国道422号線を南下した場合、丸山城跡の望める近鉄伊賀線「丸山駅」より683号線に進入して東進、目印とした「比自岐神社」からは、ルート図に示した赤線を辿れば、住宅地前の道路にある広い路駐可能なスペース(画像に注目)までは迷わず辿り着けよう。そこからは概念図に示した進入経路を辿れば、道路から直ぐ望める中川氏城までは、直ぐ辿り着ける筈である。尚、竹岡氏城は、中川氏城から直接雑木藪地を跨いで向かえば直ぐの距離にあるが、一旦山上物見郭まで上り、そこから尾根伝いに向かっても良いだろう。

1route_2 登城ルート

4_enbou_1 城跡遠望

3_1_2 城跡概念図

両城共にその形態は、概念図を参考にして頂ければ分かり易いとは思われるが、この二居館跡以外にも、概念図に示した北側の屋敷跡の様にも窺える削平地、その南背後の土塁の施された郭跡、その背後に位置する見張り台の如き郭跡、更にその山上最高所に位置する詰城(推察)、更にその背後尾根を断つ、麓まで連続する見応え抜群の縦堀なども、間違いなく両城が共有した縄張りの一部として考えられよう、、、両城共に主郭土塁背後には空堀が施されているが、現在中川氏城には、竹岡氏城で窺われる様な四方土塁は残されていない。本来は備わっていたのかも知れないが、、、謎。遺構としての見所は両城共に概念図には示したが、先に触れた空堀及びそれに付随する土塁という事になろう。特に前者の主郭西先端に施された、受け土塁の様な形の大土塁は、非常に見応えが感じられるものであり、後者の四方を廻る土塁やその土塁虎口跡(二箇所)と並んで、充分目は楽しませてくれるだろう。

10_horikiri_dorui 中川氏城背後空堀、土塁見所

16_higasi_daidorui 中川氏城主郭と東大土塁見所

23_higasi_dorui_kaku_1 土塁跡の残る山上郭群見所

30_sita_yasiki 北側の推察居館跡

34_sanjyou_gawatatebori 山上郭壁と縦堀見所

36_fumotogawa_tatebori 麓側の縦堀見所

現状(一月)、中川氏城や先に触れた山上郭群は、木々が少ない事から移動にも難渋せず、比較的見て回り易い状況にあるが、竹岡氏城は主郭内及びその土塁周囲を含めて、多くの低草木や矢竹が蔓延り(密生に近い)、外見から東側に聳える高土塁や、三方を廻る低土塁は確認し辛く、郭移動にも難渋する非常に醜い状況にある。

Dorui 竹岡氏城の低土塁見所

Karabori 竹岡氏城の空堀見所

Koguti 竹岡氏城の虎口見所

Shukaku_nai 竹岡氏城の主郭の現状

取り合えず概念図に示したまでが、自身が踏破確認した範囲であり、目に留まった遺構ということになるが、推察居館跡や推察山上郭群も含めた、ほぼ三城における遺構見学の楽しさや、探索する事の楽しさ、更に丘陵先端部に展開された縄張りを想像する事の楽しさも含めれば、圧倒的お手軽感を含めずとも、充分お薦め出来る物件の一つと自分の目には映ったのである。これを機に訪れる用意のある方には、個人的には所在位置の確認に手間取り、同日訪問とならなかったが、ここから目と鼻の先にある、堀氏城(今後にリポート掲載予定)までは、是非踏破して頂きたい

2012年2月22日 (水)

淡河城付城群(兵庫県神戸市)

城跡は神戸市北区淡河町淡河にあって、秀吉の播磨攻略においては、最後まで抵抗を試みた淡河氏の居城、「淡河城」に対しての付城(陣城)として伝わっており、その東西南北に築かれた付城の中、南側丘陵上に位置するものである。現在城跡の位置する広大な台地は、近年における造成農地として相当な地形改変を受け、当時の面影は僅かしか残っていないものと察せられたが、今回はルート図中に示した、明瞭な土塁跡や空堀跡の残る二城(便宜上付城A、Bとした)のリポートという事になる。もちろんこの広大な台地上のほぼ全てが付城としての城域だと思われるので、当時の縄張りは全て見学者の想像に委ねられるが、、、

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた淡河城を起点とすれば一目瞭然の位置にある事から、今回は城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、県道38号沿いにある郵便局西側の交差点から南下して城跡を目指しても良いし、淡河城見学ついでにそのまま城跡を目指しても良いだろう。

1route 登城ルート

3 城跡概念図

便宜上付城Aとしたものは、置き去りにされたコンテナ傍を通過して、そのまま藪化の深刻化した郭跡に進入すれば良いが、概念図に示した付近では豪快な縦堀、大土塁の付随する堀(横堀に近い)、土塁虎口地形?、最上部の郭に向いて立ち上がる豪快な切岸などを眼にする事が出来る筈である。ただ周辺全てに言える事であるが、長年の堆積物による地表風化は相当激しく、郭跡とするには地形は全て曖昧と化しているので、郭構成及びその縄張りは、全て見学者の想像に委ねられるのが現実でもある。

10 進入経路

11_kaku_nisihasi 郭跡

16_heki 高低差を誇る切岸見所

12_daikarabori_1 大空堀(縦堀)見所

15_nisi_karabori_dorui_2 空堀と大土塁見所

付城Bは更に奥の貯水池脇に位置しているが、その郭内部では明瞭な土塁跡、食い違い虎地形、僅かな空堀の痕跡までは充分窺える筈である。ただ残念な事に郭内部は、近年における配水溝が備わっている為、空堀(横堀)は一部痕跡を残す程度、土塁は東西共に貯水池や、造成された山道によって削り取られた形となっており、内部における横矢構造に見えなくもない土塁跡(整地後の残土の可能性もあり)や、付随する空堀地形に至っては、画像でお分かり頂ける様に、蔓延る矢竹によって非常に判別確認し辛い状況にあると思って頂きたい。

4 進入経路

9_kaku 郭内部

7_dorui 7_dorui_1 土塁跡見所

8_karaboriato 空堀の痕跡

城跡を個人的に評価するのであれば、二城共に間違いなく遺構残存度の低い城跡ということにはなろうが、空堀と土塁だけでも充分見学する値打ちのある城跡と眼に映った事、二城同日訪問とした上での効率の良さ、それに圧倒的お手軽感まで加味すれば、淡河城周辺に築かれた付城に興味のある方には、充分お薦めは出来るだろう。ただし状態は問わない事が前提、、、、

2012年2月20日 (月)

伊賀 和田城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市喰代にあって、ルート図を見ればお分かり頂ける様に、先にリポート掲載を終えた入屋敷城への進入ルートの途中に、城跡への進入口がある。車は無住の「正光寺」駐車場を借りる事になるが、そこから城跡は目と鼻の先の距離にある。進入経路は概念図を参考に

1route_3 登城ルート

6 城跡

3wd 城跡概念図

城跡の大雑把な形態は、概念図を参考にして頂きたいが、ほぼ二郭と見受けられた本郭群(主郭に施された高土塁の可能性があり)と、郭転用地とも窺われた住宅地側の広い休耕農地(こちらが主郭の可能性)を除けば、相当藪化は深刻化した状態にあり、ほぼ全てが青竹の密生する雑木藪地となっている。更に本郭群から北側及び東側は、倒竹や堆積物がそれに追い討ちをかけ、遺構の判別確認はもちろんの事、踏破も困難な状況と化しているのが現状(1月)と言えよう。よって踏破可能な範囲は限られてくるが、自身が踏破した範囲で、遺構として判別確認出来たものだけを、何時ものように概念図に示した。

その中で見所遺構として真っ先に挙げられるのは、見応えの感じられる土塁を側壁とした横堀で、これは意外に状態が良い事もあって、堀底を歩いて移動すれば、深さが維持されている事も充分理解出来るのではないだろうか。当然郭構成や縄張りプランは、見学者の想像に全て委ねられるが、農地や住宅地が直ぐ傍まで迫ったこの環境、あるいは多く残した未踏地の部分も含めれば、流石に当時に思いを馳せる事は至難の技とも思えたのである。

8_karabori 郭内部の空堀地形

10_heki 本郭部切岸見所

11_nobori_guti 上り虎口か

12_naka_hakobori 箱堀に近い凹状地形

19_karabori 横堀見所

20_karabori_dorui 土塁、横堀見所

13_nisikaku 西郭(本郭部)

城跡を個人的に評価すれば、本郭群かも知れない(推察)二郭構造の主郭とその切岸、及び深さが維持された横堀だけが値打ちの城跡、という事になろうが、圧倒的お手軽感を加味すれば、喰代地区の城跡巡りの一環として訪れるのであれば、決して無駄足には終わらない城跡といった処か、、、、

2012年2月18日 (土)

豪快な空堀と高土塁が見所の城館 入屋敷城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市喰代にあって、既にリポート掲載を終えた、奥氏城と百地丹波城に挟まれた形の台地上に位置しており、本郭群に関してはほぼ単郭で成立した、正に大士豪の居館跡と呼べそうな、広大な規模を誇る館城と見受けられるものである。ただこれだけの規模を誇る館城でありながら、意外にも築城者並びに当時の城主は不明であり、城史に関しての情報も、現状皆無に近いものである。

城跡を訪れるには、先に触れた百地丹波城、あるいは大北東城などを起点とすれば、位置関係も所在地も分かり易いとは思われるが、県道2号と県道56号の交わる交差点から、城跡まで向かう進入経路はルート図に示したので、是非これを参考にして頂きたい。もちろんルート図中に示した和田城も、ついでに立ち寄れば、非常に効率の良い城跡巡りとなるのは目に見えているが、、、

1route_2 登城ルート

3iriyasiki 城跡概念図

城跡の形態は、館城だけあって非常に分かり易いが、広大な規模を誇る主郭三方には土塁が施されており、特に堀切側(東)の高低差(内壁)を伴う高土塁は一際高く、その背後に施された豪快な空堀(40m以上)や、西側の分厚い受け土塁と並んで、見応えも抜群なものとなっている。更に遺構としての判定は難しいが、北側の低土塁外壁部分に石積跡が窺われたことによって、北側は土塁補強用として石垣が使用されていたものとも思われた。もちろん石積は後世におけるものかも知れないので、高土塁内壁底部に施された排水溝跡(推察)と並んで、遺構としての正否の判定は、全て見学者の判断に委ねられるだろう、、、他では南側の搦め手虎口(推察)が見所遺構として挙げられるが、土塁や空堀を伴い複雑な地形と化している現状、中々上手く遺構を説明出来ない、、、、

10_horikiri_1 大堀切見所

15_shukaku_nai 主郭内の現状

18_dorui_minami_gawa_1 大土塁見所

25_dorui_naiheki_minami 高土塁内壁見所

32_nisi_daidorui_1 西側大土塁見所

28_kitaheki_isi 北土塁石積跡見所

22_minami_koguti 南側虎口見所

24_koguti_yori_horikiri_1 南虎口付近見所

現状(1月)城跡は、縄張りのほぼ全域が植林地にある事から、低草木もそれほど蔓延らず、それなりに見通しも利き、更に見て回りやすい状況にあるが、高土塁内壁部分における表土の流出(一部崩落)や、長年の堆積物による地表風化には相当激しいものがあり、郭内部も相当荒廃している状態にある。もちろん見学に差し支えるまでには至っていないが、、、

城跡を個人的に評価すれば、非常に大味な城跡ではあるが、裏を返せばその分、現存する空堀や土塁の豪快さが目を引く事に繋がり、見所も意外に多く、遺構残存度の高さも加味すれば、是非期待して臨んで頂いても良いのではないだろうか、形態は限りなく平城に近いものであり、地形そのものを縄張りに取り込んで築かれた、山城と比較するのは少々難があるが、お薦め出来る城跡の一つという事には変わり無いだろう。尚、和田城に関しての現況リポートは、今回同時掲載として間に合わす事が出来なかった事を理由に、次回に掲載予定

2012年2月16日 (木)

嵯峨尾主馬砦跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市丸山にあって、既にリポート掲載を終えた丸山城から見れば、川を挟んだ対岸の、ほぼ独立した小山の山上に位置している。築城環境から機能を想像すれば、丸山城の北側を牽制した物見砦とすれば良いのかも知れないが、城主でもある嵯峨尾氏の素性も分からない現状、推察が精一杯といった処か、、、

城跡を訪れるには、先に触れた丸山城を起点とすれば一目瞭然とも言える場所にあるが、国道422号へ進入し、「丸山駅」を目印として目指せば良いだろう。駅傍の交差点で683号へ針路変更して東進する事になるが、直ぐ視界に入る小山が城跡に相当するので、位置確認は容易いはずである。城跡までの進入経路は概念図を参考にして頂きたいが、図中に示した中央に位置する郭跡までは、藪漕ぎもなく数分で辿り着ける筈である。

1 登城ルート

5_2 城跡遠望

1_1 城跡概念図

現状(2月)冬枯れした状態にあるとはいえ、城跡の藪化は相当深刻化した状態にあり、残念ながら郭移動も含めて、とても郭内を歩き回って縄張りを確認したり、土塁などの遺構を遠くから判別確認出来る状況にはない。そのお陰で縄張りプランはもちろんの事、規模の大きさや、郭形状さえも掴めないままに終わってしまったが、矢竹の生い茂る中、南端に位置する郭で何とか土塁だけは拝む事が出来た。ただ郭を遮る形の空堀の類までは、目にする事が出来なかったが、この草木に覆われた現状を思えば、それも仕方がないと思って諦めるしかないようにも感じられた。よって城跡の評価は非常に難しいが、遺構を確認する事が出来ないほどの厳しい現状を思えば、とてもお薦め出来る城跡とは言えないので、以前からこの城跡に興味があった方、あるいは一度山上に佇んで見たい欲のある方だけに対して、城跡巡りの一環として立ち寄る程度なら、何とか無駄足には終わらない城跡といった事になろうか、、、もちろんお手軽感を加味した上で、絶対に状態は問わない事が前提とはなるが、、、

8_kitagawa_1 到達地点の帯郭

9_naka_kaku 中央の郭跡

13_nantankaku_heki 南端郭の切岸

12_dorui 土塁見所

14_tatebori_tikei 中央の縦堀らしき地形

結果的に土塁の施された南端郭及びその外壁となる切岸、中央の郭跡を覗いただけに終わったが、縄張りの祖形は現在に至るまで維持されていると思われた事もあって、取り合えず手付かずの遺構は、意外に遺構残存度だけは高そうに感じられた事を、最後に付け加えておきたい。

2012年2月14日 (火)

大北東城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市蓮池にあって、既にリポート掲載を終えた百地砦(百地丹波城)からみれば、県道56号線に面した低丘陵上に位置しており、多くの居館跡が林立する蓮池地区から喰代地区の居館跡の中では、非常に訪れ易く分かり易い場所にある。ただ個人的には、城跡として目星を付けて訪れた場所で、幸いにもこの城跡と巡り合える結果となった訳だが、、、城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先に触れた百地砦を起点とすれば一目瞭然の位置にあるが、二通り考えられる県道沿いからの登城進入口(東と西)は、是非概念図を参考にして頂きたい。車の駐車に関しては、広い道から急に狭くなる付近(城跡東側)に、充分路駐可能なスペースはあるので心配には及ばないだろう。

1route2 登城ルート

3oo 城跡概念図

城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、伊賀の居館跡らしく主郭背後に高土塁はしっかり施されている。ただ定番とも言える方形居館の形態は採って居らず、郭は大土塁に沿う形で半円状になっており、土塁最高所東に位置する不整形な土塁郭(櫓台と推察)を見る限り、本来形の定まった独立した丘陵上を、切り刻んで構築されたものとも感じられた。空堀は唯一東出郭との境に施されていたが、近年造成されたと思える目の前の県道、農地や住宅地が直ぐ傍まで迫ったこの環境を思えば、後世において相当な地形改変があったものと考えて然るべく、形態としてユニークさは感じられるものの、見たままを当時の縄張りとするには、随分無理がある様にも感じられたのである。当然城跡より道路も含めた南側から、堀切より東側の不整形な東出郭として示した、人家付近の畑地にまでは副郭として縄張りは及んでいたものと思われるが、これらはほぼ見学者の想像に委ねられるだろう。

7shukau 主郭の現状

12_daidorui 分厚い大土塁見所

14_yagura_heki 切り立つ土塁切岸見所

18_kita_yagura_heki北腰郭より櫓台切岸

20_oku_yagura 櫓台付近

21_higasi_horikiri_1 東堀切見所

現状(1月)、概念図に示したまでの遺構は、藪化が深刻化した東櫓台とした土塁郭周辺を除けば、比較的見学し易い状況にあると思って頂いても良いだろう。この後に予定している和田城や入屋敷城などと併せた同日訪問とするのであれば、自ずと城跡巡りとしての効率も良く、残存遺構に見応えまでは期待出来ないが、県道移動ついでに立ち寄れる圧倒的お手軽感を含めれば、充分お薦めは出来るかも知れない。

2012年2月12日 (日)

これ以上ない辺境地の更なる山頂に佇む山城 浅木山城跡(京都府福知山市)

城跡は京都府福知山市三俣/三和町ユリにあって、当時においても現在においても、辺境の地と呼ぶに相応しい、人里からも随分離れた、標高427mの険峻極まりない山頂に位置している。戦国期においては内藤氏の居城が唯一伝わっているが、この内藤氏は丹波三大山城の中の一つでもある、八木巨大城砦群を築いたあの内藤氏一族とも察せられるが、推察の域は出ないものである。詳細は不明

1route_2 参考登城ルート

5_2 参考取り付き口付近

3a 城跡概念図

城跡の形態は、アバウトに描いた概念図を参考にして頂ければ良いとは思われるが、直登ルートの様相とは随分違って、比較的木々の少ない郭内部の見通しは利き、郭内に佇めば充分臨場感は味わえる状況にある。城跡一帯が地表も露見していないほどの積雪で覆われていた事から、細部にまで及ぶ遺構確認は出来なかったが、自然地形に任せたまま掘削されて築かれた縄張りプラン、あるいは古い形態とも察せられるこの山城に、多くの遺構や縄張り妙味までは望めない気がするのである。現状明確に判断可能な遺構は、郭跡を除けば、主郭西側に施された土塁が付随する堀切(横堀に近い)、雪で地表は見えないが、切岸と思える郭壁程度と思って頂ければ良いだろう。積雪がなくなった時点で、どこまで明瞭な残存遺構が窺えるのかは見当も付かないが、春先には三俣側から林道 を利用して、山歩きを楽しみながら歩いて山頂を目指してみたい、、、今回の直登ルートと比べれば、遥かに山頂までの距離(3km程度)はあるが、雪のない地表の露見した山城も覗いて見たい気がするのと同時に、再び言葉にならないこの達成感も味わってみたい気がするのである。

15_kaku2_toutan_1 二ノ郭東端

17_shukaku_heki 主郭東壁

18_shukaku_1 三角点のある主郭

22_sita_horikiri 23_horikiri 堀切見所

27_nisikaku 西郭

城跡を個人的に評価すれば、積雪も相俟って遺構に見応えまでは感じられなかったが、山城として醸す風情やその佇まいは、充分魅力溢れるものであり、これだけ辺境地の更なる山頂に、城郭が築かれた事自体が最大のロマンであり、値打ちとも感じられたのである。山城をこよなく愛する方には、絶対避けて通って欲しくない城跡の一つ!

1as_2 今回城跡を訪れる(1月)にあたっては、三俣側から城跡北西まで続く長い林道は、積雪(15cm以上)で全く使い物にならず、自身が想定した三和町側からの、積雪の少ない急斜面直登ルートを敢えて選択して臨んだが、厳しい雪中行軍となった事実、直登ルート中における体に突き刺さるが如き枯れ枝との戦い、あるいは蔓延る枯れ枝の隙間を縫っての登頂も重なり、これを機に訪れる用意のある山城ファンの方には、とてもお薦め出来るルートとは言えなかったので、今回の登城ルートは是非参考程度に止めて頂きたい。もちろん山頂までは迷わず辿り着けた(50分程度)が、下山においてのマーキングは必要不可欠と思えた事から、登山に慣れておられない方には、余りにも条件が厳しすぎるように感じられたのである。春先には林道が使えるとは思えるが、その道路状況(車がどこまで進入出来るか)までは把握していなので、どうかご容赦願いたい。

2012年2月10日 (金)

阿保城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市阿保にあって、ルート図を見ればお分かり頂ける様に、先にリポート掲載を終えた桐ヶ谷城から見れば、当時はその城内が見通せたと思われる、西側の丘陵先端部に位置している。城史に関しては、文献による違いはあるが阿保氏の居城、あるいは岸田氏の居城とも伝わっている。伊賀に多く見受けられる多くの居館跡が、同じ尾根上に仲良く建ち並んでいる事を思い浮かべれば、かつてこの二氏の居館が、この広大な台地上にあったのかも知れないし(推察)、阿保氏と岸田氏は名こそ違うが、かつては同族の可能性も否定は出来ないだろう、、、謎

城跡を訪れるには、先に触れた桐ヶ谷城を起点とすれば分かり易いので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、概念図(画像にも注目)に示した29号線に面した場所に、主郭土塁上に建立された、小さな祠へ繋がる参拝用石段上り口があるので、そこから上れば土塁虎口までは直ぐに辿り着けよう。

1route 登城ルート

5 登城口

3k 城跡概念図

この城跡はアバウトな概念図を見ればお分かり頂ける様に、伊賀に数多く見受けられる、方形居館跡と呼べるものでもあるが、その周囲を廻る分厚い土塁、土塁片隅に備わる櫓に見えなくもない郭、大手土塁虎口だけは未だ健在となっている。土塁周囲にはかつて空堀が施されていたものとも察せられるが、現在ではその痕跡すら窺えない状況となっている。

12_koguti 12_koguti_dorui 土塁虎口見所

9_minami_gaiheki 土塁外壁

10_shukaku_nai 土塁内壁見所

10_shukaku_nai_4 主郭内の全貌

城跡を個人的に評価するのであれば、本郭周辺における後世の地形改変は相当なものがあるが、ほぼ完存に近い形の四方土塁、訪問する上での圧倒的お手軽感、見学し易い状況などを含めて、桐ヶ谷城と同日訪問とするのであれば、山城巡りの効率も良く、「充分お薦め出来る城跡」といったところか、、、

2012年2月 9日 (木)

風化は激しいが、当時の祖形は維持 桐ヶ谷城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市青山町阿保(アオ)にあって、「桐ヶ丘」集合団地の一角にある青山小学校から見れば、谷状地形を挟んで、送電鉄塔の聳える西側低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、阿保氏関連の城跡かも?

城跡を訪れるには、国道422号線へ進入する事が先決となるが、ルート図にある国道165号線が交わる交差点「阿保」を目指せば、取り合えず付近までは辿り着いた計算になる。ここから、青山小学校を目指して車を南下させれば、右手正面に送電鉄塔が見えてくるが、そこが城跡でもあるので、位置確認は容易いだろう。進入経路は画像に示したが、歩道から丘陵先端部を横切る形となる狭い道を利用して向い、左手斜面の上り易い場所から山上目指して上れば、東側の空堀までは5分内で辿り着けよう。

1route登城ルート

5 進入経路

3k 城跡概念図

個人的にこの城跡に関しては、充分認識はありながらも、長い間所在位置が掴めないまま終わっていたものであり、今回は山城巡りの移動中に、自身の好奇心からそれらしい山上を覗いて見たものだが、結果的には方形郭の四方が土塁で囲まれ、更にその三方には空堀まで施された、紛れもない城跡遺構と対面する事が叶えられた。幸いにも郭内に掲げられてあった、城跡名の表記された青色タグ(伊賀の城跡では必ず眼にする)によって、この地が長い間探していた桐ヶ谷城跡である事も判明したが、、、

城跡の形態は概念図を参考にして頂ければ良いとは思われるが、藪化が深刻化(主郭内と北西斜面)し、地表風化の進んだ状況の中では、遺構の判別確認はもちろんの事、踏破可能な範囲も限られており(北西側斜面は未踏)、残存遺構は決して概念図に示したまでには終わらないものと思って頂きたい。特にこの時期(1月)にも拘らず、外見から内部を窺う事も出来ないほどの主郭、密生する草木によって土塁上も歩けない様相は、遺構見学を存分に楽しむ余裕はないものと思って頂いても良いかも知れない、、、その中にあって見所遺構と思えたものは、先に触れた郭四方に施された大土塁(内部は表土が流出、崩落)、その外壁となる切岸、及びその周囲三方を廻る空堀土塁前面に大きく口を開いた上り虎口、更にその脇に施された土塁の付随する横堀、西側空堀沿いに僅かに露見する石列などで、意外に見学する値打ちも、見応えも感じられたのである。

15_higasigawa_karabori 東側空堀見所

16_minamigawa_karabori 鉄塔側空堀見所

18_nisigawa_karabori 西側空堀見所

25_shukaku_naibu 主郭内の現状

31_nisigawa_karabori_1 石列見所

城跡を個人的に評価すれば、この醜い現状を踏まえれば、とてもお薦め出来る城跡とは言えないが、山上における縄張りプランも含めて、ほぼ完存に近い形の城跡を拝めるだけの理由で、藪を苦ともしない山城ファンの方だけには、何とかお薦め出来ようか、、

33_4

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個人的推察の域は出ない砦跡

2012年2月 7日 (火)

尾上城跡(兵庫県神戸市)

城跡は兵庫県神戸市北区淡河町神田にあって、標高約270m(比高30m)の低山山頂に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには県道38号へ進入する事が先決となるが、道路沿いからも直ぐ目に留まる「好徳小学校」を目印として目指せば良いだろう。ルート図に示した針路変更する事になる交差点から北上する事になるが、山陽自動車道の高架下を潜れば、城跡が望める(鉄塔の建つ位置が北出郭に相当)目印となる石碑までは直ぐの距離にある。ただ進入経路に関しては、貯水池の畔に「立入り禁止」の表札が掲げられてあった事から、自身の口から「ここを通過して向かえば良い」などとは決して言えないので、ここから城跡まで向かう進入経路は、概念図を参考にした上で、訪れた方の良識ある判断にお任せしたい。ちなみに主郭までは10分内で到達出来た事だけはお伝えして置きたいが、、、

1route 登城ルート

3_1 城跡概念図

現状(1月)城跡は、北出郭に鉄塔がある為、あるいは主郭と推察された郭跡に祠があるせいなのかも知れないが、山上本郭群までは山道を利用すれば見学し易く、木々も少ないので見通しも利き、非常に見て回りやすい状況下にある。概念図に示したまでが自身が踏破した範囲、あるいはその中で判別確認に及んだ遺構と思って頂ければ良いが、古い形態の山城とあって、目に留まる遺構も限られてくるのが現実である。長年の風化によるものか、主郭周りの郭群の切岸は甘く、僅かな段差は見止められるが、非常に曖昧な地形(緩い傾斜面)と化している。防備機能としての空堀は西斜面に唯一施されているが、堆積物によって明瞭なものではなく、付随する縦堀で何とか判別確認する事が可能と思って頂ければ良いだろう。明瞭な切岸跡は東段郭群で拝めるが、高低差のあるものではないので、切岸の醍醐味には余り触れる事が出来ないのが現状である。

14_kitakaku_e 鞍部削平地

15_kitakaku 北郭

18_shukaku_2 主郭

20_higasikaku 東郭群

25_nisi_karaboriato 西空堀見所

26_tatebori 縦堀見所

個人的に城跡を評価すれば、縄張りプランも含めて残存遺構に見応えまでは望めないが、見学し易い状態の良さ、限りなく無名に近いが、当時の祖形が維持された山城としての値打ち、更にお手軽感も加味すれば、淡河地区における山城巡りの一環とすれば、何とか訪れる理由も生まれてくるのではないだろうか、、、

2012年2月 5日 (日)

狭間城/北ノ城/城山城跡(三重県伊賀市)

この三城は三重県伊賀市依奈具にあって、近鉄伊賀線「猪田道駅」の直ぐ北側の丘陵先端にあり、三城は現在堀切道によって明確に分かれた構造となっている。城史に関しての詳細は不明であるが、伊賀の館城に共通すべく、城主の異なる居館が堀切を境として仲良く建ち並ぶ様は、この三城も同様に三氏の居館跡といって良いのかも知れない(推察)

城跡を訪れるには、まず422号線へ進入する事が先決となるが、先に触れた「猪田道駅」を目印として目指せば付近までは迷わず辿り着けよう。駅付近の三叉路からは概念図を参考にして頂ければ良いが、数分で丘陵最先端に位置する城山城へは到達可能である。尚、国道三叉路付近に路駐スペース(ゴミ集荷所)はあったが、遺構見学には30分とかからないので、自己責任において駐車すれば問題はないだろう。

1route 登城ルート

5

進入経路

3 城跡概念図

三城の位置関係は、概念図を見れば一目瞭然とは思われるが、その状態は極めて醜く、特に狭間城に至っては、全域が青竹の密生する竹薮地にあり、遠く離れた場所から土塁や大型の虎口跡は窺う事も出来ず、それに倒竹が更に拍車をかけており、郭内はとても動き回れる状況にはない。辛うじて北背後の豪快な空堀が、笹藪を通して見学可能とはなっているが、、、とにかく遺構を撮影したとしても、青竹を撮るばかりで、記録画像は全く成立しないと思って頂いても良いかも知れない。ただ主郭四方を囲む土塁や三方を廻る空堀は、現在まで手付かずの状態にある為、ほぼ完存に近いものと見受けられたが、、、残念!

12_dorui_koguti_1 狭間城 土塁虎口

18_karabori_1 狭間城 空堀

北ノ城も狭間城と同様に、四方高土塁で囲まれた郭内は青竹が密生しており、狭間城とまでは行かないが、青竹の隙間を縫っての移動探索は余儀なくされるのが現実である。ただ高土塁の迫力は相当なものが感じられたが、、この城跡も四方を巡る土塁は、虎口跡も含めてほぼ完存と見受けられたが、背後に施されていたと思われる空堀は、鉄塔造成工事の際に埋められたものと察せられる(推察)、、残念!

23 城境 堀切道

25_11 北ノ城 郭内部

25_7 北ノ城 虎口跡

3_2北ノ城 大土塁

城山城は三城の中でも一番ましな状態にあるが、西道路側と南住宅地側は相当な地形改変が窺われるものであり、内部に明瞭な土塁は残っているものの、当時の縄張りはほぼ見学者の想像に委ねられるだろう、、、残念!

2 城山城 郭内部

8 城山城 土塁

城跡を個人的に評価すれば、「残念!」という表現をリポート記事中で三度用いた様に、これだけ高い遺構残存度を誇りながら、とにかく「残念な城跡」の一言に尽きる。高土塁や空堀の迫力、あるいは圧倒的お手軽感から充分お薦めは出来ようが、状態は問わない事が大前提!

2012年2月 3日 (金)

伊賀 春日山城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市川東にあって、その名が語る様に「春日神社」直ぐ背後の、宮山と呼ばれる春日山にある。この山城は伊賀にあっては定番ともいえる方形居館跡とは異にするものであり、天正「伊賀の乱」時において、伊賀士豪が連携して抵抗を試みるべく、織田群に対しての急造された山城と伝わっている。

城跡を訪れるには、ルート図を見て頂ければ分かり易いとは思われるが、最寄の名阪国道乗降口は御代IC、あるいは壬生野ICとなるが、どちらで降りて城跡を目指しても数分の距離にある。「春日神社」へ到着すれば、社殿左側背後から直接丘陵上を目指して上ることになるが、藪漕ぎもなく5分内で主郭までは辿り着けるだろう。尚、壬生野ICで車を降りた場合、その679号沿いの右手に、土塁が未だに残る居館跡(現在でも住居がある)が目に留まるが、興味のある方が覗く分には、決して無駄足には終わらないものと見た。

1route 登城ルート

7 直登進入口

3_1 城跡概念図

城跡の形態は概念図を参考にして頂きたいが、地形に任せて単純に丘陵を切り刻んで築かれた縄張りプランに、多くの遺構は望めないのが現実でもある。ただ概念図には示していないが、小規模な削平地が南西側斜面に点在していた事から、当時はこの丘陵全てが要塞化されていたものとも察せられたのである。踏破した範囲内で目に留まった主だった遺構は、郭跡を除けば主郭北側に施された連続する横堀、及び土塁虎口らしき地形、東に施された堀切(片側が土橋状)ということになるが、切岸処理は主郭外壁には全て施されており、取り合えず切岸の醍醐味には触れる事が出来るとは思われる。東尾根を断つ堀切は、堀底からの高低差がある事から見応えは充分感じられるが、横堀は蔓延る下草に埋もれて、外見からは少し判別し難く、薄くなった堀底を歩いて初めてそれと分かる程度と思って頂ければ良いかも、、、

12_kaku2_minami_1 二ノ郭南側

13_kaku2_higasi 主郭切岸と二ノ郭

19_higasi_horikiri_2 東堀切見所

18higasi_horikiri 土橋地形

22_shukaku 主郭の現状

24_sita_kita_karabori 横堀跡見所

現状(1月)城跡は、山城としては比較的蔓延る木々が少なく、見て回りやすい状態が自然維持されており、見通しの利く郭跡に佇めば臨場感も味わえ、更に充分当時に思いを馳せる事が出来る状況にある。よって城跡を個人的に評価するのであれば、縄張り妙味までは望めないが、状態が比較的良い事、それに圧倒的お手軽感も加味すれば、「充分お薦め出来る城跡の一つ」、という事にはなるだろう。

Photo 1 679号道路沿いの居館跡土塁

2012年2月 1日 (水)

主郭周囲を廻る低土塁と楚々とした佇まいが見所 行者山城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市青山町諸木にあって、標高494m(比高60m)の行者山山頂に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、築城環境から察すれば、諸木氏城の出城、あるいは南側を牽制した砦と考えれば良いのかも知れない?行者山の名が語る様に、かつてこの山頂には行者が祀られてあったものとは考えられるが、、、(山頂に痕跡はないが推察)。

この山城も先にリポート掲載を終えた諸木氏城と並んで、自分にとっては久し振りに訪れた伊賀の城跡という事になったが、城跡を訪れるには諸木氏城を起点としたルート図を参考にして頂ければ、その所在位置は分かり易いだろう。ルート図中に示した小さな沢傍にある農機具小屋を目印として、その向い側の尾根先端部に取り付いて山頂を目指せば、藪漕ぎもなく10分程度の所要時間で上れる筈である。尚、取り付いて直ぐ、尾根先端部に切り込み土塁を伴う、謎の削平地(当時の郭跡と判断)が目に留まったので参考までに、、、

1gyoujya 登城ルート

3g 城跡概念図

      

城跡の形態は、小規模な山上主郭を中心にコンパクトにまとまったものであり、概念図に示したまでが自身の踏破した範囲、あるいは判別確認に及んだ遺構という事になるが、縄張りは山頂部分に限られるものと察せられた事もあり、その形態は限りなく概念図に示したものに近いと思って頂いても良いかも知れない、、、現状(1月)主郭内は、堆積物(落ち葉)などによって凸凹とした荒れた地形となっており、その内部には多くの低草木も蔓延っている。ただ訪れる人(恐らく山城ファンのみ)の少ない山城としては、状態は比較的良い部類に入るものであり、地表風化は著しいが、意外に見通しが利く事から、その周囲を廻る低土塁も、主郭南北を遮る空堀も、付随する腰郭も、更に切り立つ切岸も、それなりのものが拝めるとは思われる。

11_kita_horikiri_1

北堀切見所

15_koguti_heki

虎口土塁とその切岸外壁見所

18_koguti_dorui

虎口土塁内部

22_shukakunai

主郭の現状

25_higasigawa_dorui

東側の明瞭な土塁見所

30_minami_horikiri南端堀切見所

32_nisi_obi_2

西腰郭

城跡を個人的に評価すれば、見応え抜群の城跡とは言えないかも知れないが、ほぼ完存と見受けられた城跡の佇まいだけは誇れる、残存する遺構も含めて、充分見学する値打ちのある山城と自分の目には映ったのである。よって、「山城ファンの方に限れば、当然是非薦めしたい城跡」、と言った事になろうが、規模は問わない事が前提とはなるだろう。これを機に訪れる用意のある方にとっては、諸木氏城と併せた同日訪問とするのであれば、間違いなく充実した山城巡りとなるとは思われるが、丘城に近い館城の多い伊賀の地で、まさか山城の形態を成す、しかも楚々とした山城に巡り合えるとは思ってもいなかった、、、今更ながら感動!

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