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2012年1月

2012年1月30日 (月)

南僧尾城跡(兵庫県神戸市)

城跡は神戸市北区淡河町南僧尾にあって、先にリポート掲載を終えた僧尾(北僧尾)城と同様に低丘陵上にあるが、距離はそれなりに離れている。僧尾地区で城跡の所在地を尋ねるに及んでは、誰一人として城跡の認識はなく、個人的には所在位置の確認に手間取り、効率の良い同日訪問とはならなかったが、その苦労話はさて置き、何とか所在位置を着き止める事には至れた。城史に関しての詳細は不明であるが、城跡の形態から察するに、淡河城に対しての付け城の様には見受けられなかった、、、

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた萩原城を起点とすれば分かり易いので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、県道38号へ進入する事が先決となる。城跡までの進入経路、あるいは城跡進入口はルート図及び概念図を参考にして頂きたいが、画像に示した道路沿いから上れば、直ぐにでも本郭群が迎えてくれる筈である。

1route 登城ルート

3_1 城跡概念図

現状(12月)城跡は、藪化の深刻化した醜い状態にあり、長年の堆積物などによる地表風化も相俟って、その地形から判別確認可能な当時の遺構も限られており、概念図に示したまでが、自身が踏破した範囲であり、その中で目に留まった遺構と思って頂ければ良いだろう。郭跡を除けば、西側の空堀跡(虎口も伴う)、土塁跡、切岸跡が、唯一この地を城跡として物語るものと言っても過言とは思えないが、山上郭群の北側は、近年の道路造成工事によって相当削り取られており、縄張りを含めた遺構は相当消失したものとも見受けられ、当時の縄張りはほぼ見学者の想像に委ねられよう、もちろんその規模も想像するしかないのだが、見る限り大型の城郭とはとても思えなかった、、、、

8_nansei_dankaku_1 西斜面の段郭群切岸見所

11_higasi_kaku_e 東郭

14_kaku_nai_1 本郭部(推察)

16_dorui_karabori_3 空堀、土塁跡見所

16_dorui_karabori 土塁虎口地形

21_karabori_tikei_2 溜池か(推察)?

城跡を個人的に評価するのであれば、道路沿いに面している事からも、圧倒的お手軽感はあるが、遺構残存度の低さ、及び状態の醜さを思えば、現存する空堀を一度覗いてみたいと思われた方、あるいはこの地域の山城に興味を持たれた方だけが、訪問の対象となる城跡と言った処になろうか、空堀は充分見応えは感じられたが、、、

2012年1月28日 (土)

本郭部の四方土塁と堀切が完存! 諸木氏城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市青山町諸木にあって、当時においては狭い集落の全域が見通せたものと察せられる、西側低丘陵上を縄張りとしており、築城環境は山城のそれに限りなく近いものがあるが、伊賀にあっては定番とも言える方形居館跡と呼べるものでもある。城史に関しての詳細は不明であるが、名が語る様に諸木氏の居城が唯一伝わっているが、この地域は霧山城を居城とした北畠氏の威の及んだ範囲とも言えるので、個々が独立した伊賀の国人衆とは違い、北畠氏の家臣であった可能性も否定は出来ない、、、(推察)。

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた峯出城若山氏城を起点とすれば、その位置は分かり易いとは思われるが、まず県道29号へ進入する事が先決となる。今回車を預ける事になる、「諸木公民館」を目印として目指す事になるが、この脇から城域南端となる切り通しまでは、山道が繋がっているので、迷わず辿り着ける筈である(5分程度)。

1route 登城ルート

7 進入経路

3m 城跡概念図

城跡のアバウトな形態は概念図を参考にして頂ければ良いが、土塁で四方が覆われた小規模な主郭(15m四方の方形郭)を窺う限り、このスペースが本来の居住空間であったものとはとても思われず、自分の目には櫓台(物見)あるいは詰城とした機能しか浮かんで来なかった。城跡の見所としては、主郭四方を廻る完存に近い形の分厚い土塁が真っ先に挙げられようが、伊賀にあっては定番とも言える高土塁とは違い、内壁高低差は2m程度のものであり、見応えには多少欠けるかも知れない、、、ただその全貌が窺えるコンディションの良さだけは抜群で、その背後を断つ箱堀と並んで、間違いなく見学者の目は楽しませてくれる筈である。個人的には本来の居館跡地は、便宜上南郭とした背後を巨大な土塁(自然地形に近い)で固めた、規模の大きい削平地と睨んだのだが、、、推察の域は出ないものでもある。

9_minamikaku 南郭(居住空間か?)

12_hakobori_1 箱堀見所

13_shukaku_dorui_naiheki_2 主郭土塁見所

16_dorui 主郭内部

19_koguti_yori_gedan 虎口より下段郭

32_nisi_obi 西帯郭

30_nisi_obi_krabori 主郭西側空堀、土塁跡か?

現状(1月)城跡は、一帯が植林地となっている為に木々は少なく、全体の見通しは利き、更に郭移動にも難渋せず、残された当時の遺構はほぼ判別確認可能とも言える、山城としては比較的レベルの高いコンディションの下にある。ただ堆積物による地表風化はそれなりのものがあるので、主郭土塁虎口を始めとして、そこから北東側に向いて重なり合う曖昧な地形から、郭区画までは読み取れないのが現状と思って頂いても良いだろう。もちろん郭壁随所で明瞭な切岸跡は窺えるが、、、

城跡を個人的に評価すれば、伊賀における城跡の多くが丘城という形態の為か、近年の造成農地や宅地造成によって、土塁や郭跡の一部が欠損したり半壊したりしている現状、この城跡の様に、四方土塁がそのまま残存するケースは非常に稀であり、しかもほぼ完存に近いレベルにある、本郭群の遺構としての値打ちは、相当なものと自分の目には映ったのである。よって、自ずと是非お薦めしたい城跡の一つ」という事にはなるだろう。

2012年1月26日 (木)

東畑城跡(兵庫県神戸市)

城跡は兵庫県神戸市北区淡河町東畑にあって、先にリポート掲載を終えた北畑城とは、直ぐ東側へ隣接した丘陵上に位置しており、北畑城三ノ郭(社殿敷地)から山道に任せて東へ向かえば、自ずと辿り着ける計算にはなる。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、北畑城と同様の訪問ルートとなるので割愛させて頂くが、城跡への進入口は少し藪状に見える溜め池傍からで、概念図にも示した(画像に注目)ので直ぐお分かり頂けるだろう。そこから進入すれば、直ぐにでも土塁を伴う郭が迎えてくれる筈である。

1route 登城ルート

7enbou_2 進入経路

3 城跡概念図

この城跡の形態は、他に類を見ないほどユニークなものであり、小さな祠のある山上主郭までは、数百mに渡って分厚い高低差を誇る大土塁(痩せ尾根を利用した天然の土塁も含めて)が連続しており、屏風の様に北へ向いて長く連続する様は、非常に見応えを感じるものとなっている。この高低差を伴う移動も兼ねた大土塁は、南北に長い郭跡の東側へ立ち塞がる格好となっており、東側からの侵入は人馬も寄せ付けない鉄壁を誇る構造でもある。もちろんこの高土塁の内壁となる切岸は見事なものであり、見応えのある遺構の数少ない城跡にあっては、抜群の存在感を示すものとなっている。山上主郭では空堀の類は一切目に留まらなかったが、しっかりと削平された郭跡の西急斜面上には、幅の狭い帯郭が段状に連なっており、そこでは切岸跡も充分窺える筈である。

9_sinnyuuguti_gawa_dorui 進入口の土塁跡見所

13_kaku 郭跡

14_dorui_naiheki見事な土塁内壁見所

16_daidorui_yagura 土塁上の櫓台?

26_sanjyoukaku_hokutan 山上主郭

21_hokora_sita_dankaku 西段状帯郭

現状(12月)城跡は、祠のある山上主郭を除けば、藪化もそれなりに進行しており、大土塁西側の郭跡の全域が密生する竹薮に覆われている。自ずと郭移動は困難を極める状況にあるが、土塁上はまだましな状態にあるので、山上主郭までは容易に移動出来る状況にあると思って頂いても良いだろう。

城跡を個人的に評価すれば、形態のユニークさだけでも、充分訪れる値打ちのある城跡と思えたが、他で見応えのある遺構に遭遇する事も叶わず、北畑城と併せた効率の良い訪問プランであれば、ついでに足を運んでも決して無駄足には終わらない城跡と言ったところか、、、

2012年1月24日 (火)

北畑城跡(兵庫県神戸市)

城跡は兵庫県神戸市北区淡河町北畑にあって、ルート図を拝見して頂ければお分かりの様に、「淡河中学校」より山陽自動車道を挟んだ真北側の丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、松井氏の居城と伝わっており、淡河城を居城とした淡河氏により落城した模様

城跡を訪れるには、県道38号線へ進入する事が先決となるが、この県道は既にリポート掲載を終えた淡河城萩原城へ向かう訪問ルートでもあるので、既に訪れた方には分かり易いとは思われる。県道沿いにある「淡河中学校」を目印として目指し、そこから更に西側にある中野商店を越えて、直ぐ右折(三筋目に当たる箇所)すれば良いのだが、県道から城跡へ辿り着く方法は数少なく、土地勘のない方は、迷わずルート図に示した赤線を辿って向かって頂きたい。付近まで到達すれば概念図を参考にして頂ければ良いが、現在便宜上の三ノ郭跡には社殿が建っており、ここまでは参拝道も備わっているので迷わず辿り着ける筈である。

1route_4 登城ルート

7_2 登城口(参拝道)

3kita 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、空堀の類は一切備わってはおらず、自然に任せたまま丘陵上を削平し、北側尾根上に郭を並べただけに終わっている城跡と思って頂ければ、これを機に訪れる方には想像も付き易いだろう。自ずと縄張り妙味までは望めないという事になろうが、最近木々が伐採されて、主郭周辺までのほぼ全貌の窺える城跡の佇まいだけは、充分誇れそうに思えたのである。もちろん一部の郭跡では見事な切岸も目に留まるので、これらも充分見学者の目は楽しませてくれる筈である。二ノ郭の入り口に施された屈曲した土塁虎口は、城跡中最大の見所遺構として挙げられようが、近年墓地への入り口として削った可能性があるかもしれないので、見たままを判断して楽しむのが一番良いのではないだろうか。他でも僅かに土塁虎口の痕跡が窺える箇所はあるが、かつて竹薮にあった場所に相当する事から、地表風化もそれなりに激しく、痕跡程度に止まるものでもあり、判断が付き難いのが現状と言えようか、、、

12_kaku3_2 三ノ郭

13_koguti_1 屈曲した土塁虎口見所

15_kaku2 二ノ郭

16_shukaku 主郭の現状

20_dorui_koguti 土塁虎口の痕跡見所

25_kitakaku_heki 北郭群の切岸

26_higasi_heki 北側の見事な切岸見所

城跡を個人的に評価すれば、遺構の見応えや醍醐味までは望めないが、遺構残存度は比較的高いように見受けられた事、ほぼ全貌の窺える城跡の佇まいが素晴らしいと感じられた事、更に圧倒的お手軽感まで加味すれば、自ずとお薦め出来る城跡とは言えるだろう。ルート図に示した、隣接する東畑城のリポートはこの後に予定しているが、これも併せた訪問プランとすれば、更に充実した山城巡りが楽しめそうには思われたのである。

2012年1月22日 (日)

天然巨岩を虎口とした、佇まいが最大の見所! 満田城跡(兵庫県三木市)

城跡は兵庫県三木市志染町三津田にあって、低丘陵上ではあるが郭壁周囲が自然巨岩で囲まれた、急峻極まりない崖上地にあり、文献資料による違いはあるが、字名を採用した「三津田城」の別称がある。城史に関しては「現地案内説明板より」をクリックのこと

1

登城ルート

5

入山口

1_2

現地案内説明板より

城跡の形態は概念図を参考にして頂ければよいが、現状(1月)主郭と察せられる痩せ尾根上の比較的大きい郭跡は、人が踏み入る事をためらうほどの、矢竹や低草木の密生地となっており、その形状及び内部における郭区画、あるいは遺構の有無の判別確認(僅かに土塁の痕跡を確認)は、困難を極める状況にあると思って頂いてもよいだろう。概念図に示したまでが自身が踏破に及んだ範囲であり、その中で判別確認に及んだ遺構群と言う事になるが、主郭内以外はそれなりに移動はし易く、東端、中央、西端の三箇所に施された空堀(横堀に近い堀切)やそれに付随する土塁なども、低草木は蔓延るが、外見から充分判別可能な状況となっている。ただ堆積物などによる地表風化も激しく、空堀に付随する西端の土橋状の虎口などは、非常に分かり辛いものであり、ほぼ見学者の判断に委ねられるだろう。

1_1 城跡概念図

16 東端土塁の付随する堀切見所

20_kyogan_koguti_2 巨岩に挟まれた自然虎口見所

23_koguti_kaku 東虎口郭より虎口側見所

26_higasikaku 東郭(案内板あり)

33_shukaku 主郭の現状

36_shukaku_nisi_koguti 主郭西土塁虎口見所

45_horikiri 西空堀、土塁跡見所

城跡における最大の見所となるのは、東端堀切壁を形成する一対の自然巨岩で、そのままを縄張りに取り込んで虎口跡とした様は、これぞ山城と呼ぶに相応しいものであり、狭い虎口から空堀道となって主郭まで繋がっている様相は、人馬も寄せ付けない構造となっており、非常に見応えが感じられた。空堀は横堀に近いものであり、薄い事から見応えまでは望めないが、それなりに見学者の目は楽しませてはくれる筈である。

城跡を個人的に評価すれば、城址案内説明板がある(意外!)にも拘らず、決して誇れる状態にはないが、周囲を崖状地形として、露岩をも郭壁として縄張りに取り込んだその佇まいは、山城に限りなく近いものであり、明瞭な空堀が三箇所で拝める事、更に圧倒的お手軽感も加味すれば、山城ファンの方に限れば、間違いなくお薦め出来る山城の一つ」と言う事にはなるだろう。もちろん状態は決して問わない事が前提となるが、、、、、

城跡を訪れるには、県道38号へ進入する事が先決となるが、傍に「御坂神社」のある、85号線が交わる交差点「東御坂」を目指せば、取り合えず近辺までは辿り着いた計算になる。交差点「東御坂」からは、ルート図を参考にして赤線を辿れば分かり易いが、小型車なら車止め手前の入山口(切通し入り口)までは、充分車で乗り付ける事が出来よう。小型車以外はルート図中に示した墓地の駐車場に車を預けて、そこから切り通しを目指して数分歩けばよい。後は概念図に示した付近から直登で丘陵上を目指せば、藪漕ぎもなく5分内で東端堀切までは辿り着ける筈である。ちなみに「満田城址はこの上」と表記された小さな城址標柱が切り通し隅にあるが、その周辺は低草木密生地となっており、本来の登城道は結果的には分からないままに終わってしまった、、、

2012年1月20日 (金)

黒井城砦群の一つ 多田砦跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市春日町多田にあって、「円光寺」背後の丘陵上がそれにあたるものであり、先にリポート掲載に及んだ兵主神社西砦からみれば、山頂中央部に位置する黒井城を挟んで、真反対側の東側に位置している。この砦跡も黒井城を中心として、四方枝尾根末端部に至るまで張り巡らされた、城砦群の一角として機能していたものと察せられるが、その詳細は不明でもある。

城跡を訪れるには、ルート図を見れば直ぐお分かり頂ける様に、「円光寺」を目指して車を走らせれば良いが、寺院駐車場脇には「城山登山口、多田砦」の標識が新設されていたので、昔と違ってその登山口は直ぐ分かるだろう。ここから山道に任せて上れば、5分とかからず砦跡には辿り着けるが、現状残念な事に、この地が砦跡といった道標は掲げられてはおらず、僅かにその痕跡の残る土橋状の地形、僅かな縦堀に繋がる空堀跡(画像に注目)で、その城域なり縄張りを、判断して頂くしか手はなさそうに思われた。もちろん遺構標識も掲げられてはいないので、多くの山城遺構に接して来た方でないと、この僅かな空堀跡の痕跡、あるいは僅かに窺われる帯郭の切岸などは、到底判別出来ないのが現状と思って頂いても良いだろう。

1route 登城ルート

4 城跡遠望

8tozanguti 登山口

2 黒井城登山口の案内板より

3 城跡概念図

現状(12月)城跡は、登山道が多田砦跡を通過して、黒井城のある山頂まで繋がっている事もあって、比較的見て回りやすい状況にはあるが、登山道から一旦外れると、斜面上は下草が多く蔓延り、郭内は藪化も風化も相当深刻化した状態にあり、とても郭構成であり郭形状までは掴み切れない状況にある。よって今回も確かな縄張りは掴めなかったが、砦跡を思えば縄張り妙味までは望むべくもなく、個人的には初回訪問時における状況などは、記録にも記憶にも残っておらず、圧倒的お手軽感から西砦見学ついでの再訪という形になったが、これを機に訪れる方には、黒井城砦群の一角に佇む程度といった、割り切った訪問が肝心である様に思えたのである。

12_higasi_sentankaku 東先端郭(二段か?)

14_toirda_toride_shukaku 砦主郭部の現状

15_dobasi_karabori_tikei 16_karabori僅かな空堀跡

近年の城跡ブームに乗って、やっと女性も含めた多くの方が見学に訪れるようになった黒井城跡ではあるが、時代の移行と共に平行して、城跡の保全整備もしっかり行われており、今となっては見違えるほど見学し易い山城に変貌を遂げたが、一山城ファンとしては、築かれた時期の少し遡る、遺構残存度の高い「西ノ丸城」までを、是非保全整備の対象として頂きたいと願わずにはいられないのである。

尚、一昨日リポート掲載を終えた兵主神社西砦の中で、リサーチ不足のせいもあって、その識別呼称も掴めず、取り合えず東砦(仮名)として紹介した山城は、黒井城主赤井氏の末裔にあたる、赤井氏より寄せられたコメントにより、丹波史においては、「行者山砦」と識別呼称が付けられた山城という事が分かりましたので、ここでお知らせしておきたいと思います。その山上主郭に祀られてあった祠は「役の行者」であったものと思われます、、

2012年1月18日 (水)

黒井城砦群の一つ 兵主神社西砦跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市春日町黒井にあって、その名が語る様に、「兵主神社」の直ぐ西側の丘陵上にあり、規模からしても砦の名に相応しい城跡と自分の目には映ったが、数多い黒井城砦群にあっては、西側を牽制する形で築かれた砦の一つとみれば良いのだろう。尚、多くの文献資料に目を通していないので、以前からその識別呼称すら分からずにいるが、ルート図に示した氷上高校運動場と、黒井小学校に挟まれた形の低丘陵上には、祠敷地を主郭として、数段の段郭群で成立した城跡遺構が見止められたので、今回は仮名という形にはなったが、兵主神社東砦跡として同時リポート掲載させて頂いた。城跡としての認識も、公的に認知された識別呼称も既にあるとは思われるが、、、覗いても決して無駄足に終わるものとは思えなかったので、取り合えず参考までに。

まず西砦跡を訪れるには、近畿圏内にお住まいの山城ファン、あるいは城跡ファンを自認する方であれば、誰でも一度は黒井城跡を訪ねておられると思う事から、城跡までのアクセス方法は割愛させて頂くが、車は氷上高校の校門向かい側の、神社参拝用駐車場に預ける事になる。この駐車場から概念図に示した入山ゲートまで向かい、そこから右手側斜面に回り込みながら上れば、数分で堀切までは辿り着ける筈である。もちろん一気に山上主郭を目指しても良いが、、、

1route2 登城ルート

7nyuuzanguti 西砦入山口

3 城跡概念図

西砦の形態は、シンプル極まりない事もあって、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いかも知れないが、突出した形にある主郭(鞍部郭から高低差約20m)を最高所として、北側へ繋がる鞍部へ直線的に郭が配されたされたものであり、その中には僅かではあるが、土橋跡が窺える空堀跡が目に留まった。明確にそれと分かる堀切跡を除けば他二箇所で空堀土橋地形は目に留まったことになるが、切岸ラインすら判別し難い現状の地表風化を思えば、これらは全て見学者の判断に委ねられよう。植林地にある事から全体の状態が非常に良いのが城跡としての取柄と見た!

10_horikiri

堀切見所

13_karabori_tikei 僅かに土橋空堀地形

16_kitakaku_gun_3 北郭群

22_shukaku_1 主郭

便宜上の東砦を訪ねるには、神社駐車場から少し歩いて向かう事になるが、切り通しからの進入口は、画像と概念図を参考にして頂きたい。こちらの方が西砦より若干規模は大きく、主郭の南北両端は、明瞭な切岸跡の見て取れる段郭群で固められているので、より山城らしくは感じられた。空堀の類は一切見受けられなかったが、城砦群の最前線に位置する砦である事、あるいは独立した丘陵上にある事で、防備に関しては余り重要視していなかったものと解釈するのが妥当か、、。

3higasi (仮)東砦概念図

Higasi_toride 東砦進入経路

Higasi_toride_2 東砦郭側壁切岸

Higasi_toride_1 東砦北段郭群

Higasi_toride_3 主郭

個人的にこの城砦群の初回訪問は数十年前に遡り、数ある城砦群の中でも比較的状態が良く、遺構の判別し易さ及び圧倒的お手軽感から、今回は再訪という形になったが、二砦同日訪問とするのであれば、充分お薦め出来る城跡と言う事にはなるだろう。西砦跡だけでも何とか満足感は得られる様な気はするが、、

2012年1月16日 (月)

完存とも言える遺構群は、この地方にあっては貴重! 僧尾城跡(兵庫県神戸市)

城跡は兵庫県神戸市北区淡河町北僧尾にあって、目印となる高い山が周辺に余り見当たらず、人家の点在する北僧尾地区にあっては、非常に所在地の掴み難い、しかも目立たない低丘陵上に位置している。現状この城跡の実態報告は皆無に近いものであり、限りなく無名に近い城跡の一つと呼べるかも知れないが、訪問結果から先に述べれば、それにも拘らず、本郭背後には尾根を断つ明瞭な堀切(二連)が施されており、ほぼ手付かずのまま今日に至ったと思える遺構群やその縄張りは、当時のままの完存とも思えたのである。多くの城跡遺構が宅地造成によって消失した、三田から北神戸地域の中にあっては、非常に値打ちのある、しかも貴重な城跡と自分の目には映ったのである。

1route 登城ルート

8 城跡進入口

3 城跡概念図

城跡を訪れるには、付近に目印となるものがないので、訪問ルートの説明は少し難しいが、載せた登城ルート図で判断して頂きたい。428号線沿いにある「北僧尾バス停」が唯一の目印となるが、そこからはルート図に示した赤線を辿るのが一番懸命な選択ともいえるので、取り合えず土地勘のない方は、迷わずこのルートで城跡を目指して頂きたい。(一つ道を間違えば、いきなり民家の敷地に進入したり、周辺を一周する事になる)大きな貯水池まで辿り着けば、概念図に示した生活道路沿いにある、少し藪状になった土塁虎口地形から進入して、空堀道(縦堀地形)に沿って上る事になるが、直ぐにでも主郭が迎えてくれる筈である(藪漕ぎまでには至らず)。

現状(12月)、近年人の訪れた形跡のない無名に近い城跡としては、当然誇れる状態にはないが、藪化進行中における竹林地にある丘城としては、比較的動き回り易い状況にある。もちろん枯れ木の隙間を縫っての移動は余儀なくされるが、意外に多くの木々は蔓延っておらず、ある程度見通しが利く事も相俟って、概念図に示した遺構は、全て判別確認が容易な状態にあると思って頂いても良いだろう。もちろんその中に二連の堀切は含まれるのだが、進入口に施された食い違い、あるいは枡形にも思えた土塁虎口跡、堀切から立ち上がるかな土塁跡、あるいは溜め井戸にも見て取れた空堀地形なども、決して見逃せない遺構の一つと思えたのである。

10_oote 大手道とも思える進入空堀道見所

13_shukaku_1 主郭の現状

19_tameido 溜め井戸らしき空堀見所

16_horikiri1_1 堀切1見所

18_horikiri2_1 堀切2見所

城跡を個人的に評価するのであれば、先に触れたように、遺構残存度の低いこの地方の城跡にあっては、遺構はほぼ完存とも言える貴重な城跡と眼に映った事、無名に近い城跡であるが故の希少性、更に未だ二連の明瞭な堀切が拝める事を理由にすれば、自ずとお薦め出来る城跡とは言えるだろう。

2012年1月14日 (土)

縄張りのほぼ全体像が窺える、状態の良さが値打ち 夏間城跡(京都府福知山市)

城跡は京都府福知山市大江町夏間にあって、先にリポート掲載を終えた常津城及び和田垣城などと同様に、由良川沿いに数多く築かれた城跡の一つでもあるが、西側(由良川)を天然の水堀とした、標高153mの低山山頂に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先に触れた和田垣城を起点とすればその位置は分かり易いが、県道55号「在田」の交差点より更に南下した道路沿いに、今回登城口とした山道への入山口(画像に注目)がある。もちろん途中から尾根に沿って踏み跡(僅かに空堀道)を辿る事になるが、山頂までは藪漕ぎもなく、迷わず辿り着ける筈である。ちなみに15分程度

1route_2 登城ルート

6 入山口

3n 城跡概念図

城跡の形態は、概念図を参考にして頂ければ分かり易いとは思われるが、郭総全長は100mにも達する、砦の域は充分はみ出た山城と思って頂いても良いだろう。その中で目に留まった遺構は、見所遺構と並んで全て概念図には記したが、縄張りの全域が植林地にある事によって、郭内の見通しは利き、動き回り易く、更に下草も蔓延らず、現状(12月)非常に見学し易い状態にある。ただ堆積物はそれなりのものがあるので、堀切などは随分浅くなったものと考えられるが、、、それでも「情報の乏しい無名に近い山城としては、抜群のコンディションを誇る山城!」と言っても差し支えないものと、自分の目には映ったのである。城跡における最大の見所は、状態の良さはもちろんではあるが、縦堀を含んだ空堀が要所に施されている事、あるいは明瞭な切岸跡(特に西斜面)が未だに残されている事で、風化の進んで判別し難い縦堀も含めれば、少なくとも合計6箇所で目にする事が出来た。流石に多くの低草木が蔓延る、東急斜面の全域に至るまでは覗いていないが、城跡の規模や形態から考えれば、これ以上多くの残存遺構は望めないのかも知れない、、、

10_shukaku_e 直登斜面上より主郭切岸

12_minami_kaku_1 南郭

16_2maru_gawa 主郭より二ノ郭

33_tatebori 西斜面の縦堀見所

17_shukaku_heki 主郭側

19_2maru_kita_dorui 二ノ郭奥土塁見所

25_kirikisi_2 西側切岸見所

23_horikiri_1 堀切見所

28_hokusei_horikiri 北西尾根堀切見所

城跡を個人的に評価するのであれば、山頂までは急斜面の上り下りとなるが、踏み跡を辿れば迷わず辿り着ける事、遺構は廃城から手付かずのまま現在に至った、ほぼ完存に近いものと見受けられた事、今となっては藪城の多い昨今、この状態の良さだけで感動する事は請け合いと思えた事、更に空堀遺構まで窺える事、これだけの材料が揃えば、規模さえ問わなければ、自ずと「間違いなくお薦め出来る山城!」ということにはなるだろう。

2012年1月12日 (木)

常津城跡/和田垣城跡(京都府福知山市)

両城共に所在地は福知山市大江町にあって、形態はほぼ館城の如く、丘に近い低丘陵上に位置しているが、ルート図を見ればお分かり頂ける様に、山を挟んで東西に対峙した格好で、常津城は大江町常津、和田垣城は大江町在田にある。前者は安田氏、後者は垣山氏の居城を伝えるが、城史に関しての詳細は不明。

城跡を訪れるには、国道175号線に進入する事が先決となるが、国道沿いにある「公庄駅」を目指して進行し、その西側交差点で県道55号側へ針路変更すればよい。橋を渡った在田交差点から直ぐ望める、右手側の竹林地に和田垣城があるが、常津城へはそこからルート図の赤線を辿れば、迷わず入山口付近までは辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

まず常津城の現状リポートになるが、道路沿いにある入山口は、画像を載せたので直ぐお分かり頂けるとは思われる。そこから山道に任せて上れば、直ぐにでも丘陵上に達する事が出来るが、この丘陵上の曖昧極まりない地形を窺う限り、どこからどこまでが城域となるのか見当も付かず、その縄張りプランすら見えて来ないのが現状である。その中で目に留まった遺構は、郭跡と察せられる削平地を除けば、郭切岸、古墳の代用とも思えた土塁郭だけに限られてくるが、この時期(12月)においても、常緑低草木の蔓延る郭内は移動にも難渋し、動き回れる範囲も限られてくる事から、丘陵上の全体踏破は結果的には断念した。よって城跡としての評価はし難いが、個人的にはとても見学に値する城跡とは思えなかった事だけは付け加えておきたい。

4 常津城の入山口

7doruikaku_tikei_2 土塁郭地形

8_kaku 郭跡

Nisi_sentankaku 西端郭

13_kirikisi 郭切岸

和田垣城への進入経路は画像を載せたが、廃業(畜産業)中とも思えた作業所背後に回り込んで上れば、直ぐにでも丘陵上へ達する事が出来よう。この城跡も常津城と同様に状態はとても醜く、広大な平坦地形と見受けられた丘陵上は、現状矢竹の密生地と化しており、残念ながらとても人が踏み入れる状況にはない。その矢竹の隙間から一軒の人家(廃墟かも)が窺えたが、本来この丘陵上の全域が、その所有者の敷地と察せられた事もあり、矢竹密生地を無理してまで通過する気にはなれなかった。よってこの城跡も常津城と同様に全体踏破は叶わず、当時の遺構として目に留まったものは、丘陵北端部の腰郭と、本郭と察せられた郭切岸だけに限られるが、その形態も掴めぬまま城跡を後にする虚しさは、山城ファンの方には充分理解して頂けるだろう、、、、、

1_2 和田垣城への進入経路

1_3 北腰郭

1_5本郭の現状

個人的に城跡を評価するのであれば、現状を見る限り、二城共に見学するまでには及ばない城跡といった事になろうが、「今回の現況報告が、城跡ファンの方にとって少しでもお役に立てたのであれば由としたい」、といった処か、、、、

2012年1月10日 (火)

吉尾城跡(兵庫県神戸市)

城跡は兵庫県神戸市北区八多町吉尾にあって、六甲北道路「吉尾IC」のすぐ東側の低丘陵上に位置している。城史に関しては、吉尾氏の後、山崎氏の居城が伝わるが、詳細は不明でもある。

城跡を訪れるには、吉尾ICを目指せば迷わず付近までは辿り着けるが、進入口となるのはルート図にも示した、吉尾ICより東側の県道82号の歩道(画像に注目)からで、竹薮から進入すれば、いきなり便宜上の北郭群へ到達出来る筈である。ちなみに主郭までは5分内

1route_2 登城ルート

7 進入口

3yo 城跡概念図

城跡の大雑把な形態は概念図には示したが、現状(12月)城跡全体が常緑樹の多く蔓延る竹薮地にある為、倒竹などによって動き回れる箇所も限られており、取り合えず概念図に示したまでが、竹や木々の隙間を縫いながら、自身が踏破して遺構を確認出来た範囲(主郭周辺のみ)と解釈して頂ければ良いだろう。その中で充分見学する値打ちのある遺構として挙げられるものは、郭跡を除けば郭切岸跡(主郭と二ノ郭)、主郭の北側と東側に施された土塁の付随する空堀(横堀)、土塁虎口跡、溜め井戸らしき空堀地形と限られたものになるが、主郭周りが意外に見通しが利く事もあって、山城ファンを自認する方であれば、誰でも判別確認は容易いものとは感じられた。ただ主郭以外の郭跡などは、どれも長年の堆積物(落ち葉)によって地表は相当底上げされた状態となっており、現状の曖昧な地形からは郭区画も判断出来ず、形状などに至ってはほぼ見学者の想像に委ねられるだろう。

8_dourogawa_kaku 北郭と二ノ郭切岸

15_shukaku_1 主郭の現状

18_higasi_karabori_dorui 東側の横堀見所

22_kita_karabori 北側の横堀見所

22_kita_karabori_dorui_2 北側の土塁、横堀跡見所

23_kita_koguti_1 上り土塁虎口見所

城跡を個人的に評価すれば、四季を問わず見学し難い状況は否めず、北側に延びていたものと思われる縄張りは、県道82号によってほぼ消失したものとも察せられ、当然遺構残存度は低い城跡という事にはなろうが、主郭周りだけに関しては、ほぼ当時の祖形が維持されているものと眼に映った事、深さは失われているが横堀が拝める事、更に圧倒的お手軽感まで加味すれば、山城巡りの移動中に立ち寄る程度、あるいは決して状態は問わない事の条件付きで、藪を苦ともしない山城ファンの方であれば、何とかお薦め出来る城跡といった事になろうか、、、

2012年1月 8日 (日)

二本の豪快な空堀と巨大土塁は正に圧巻!野化館跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市日吉町東胡麻にあって、既にリポート掲載を終えた東胡麻城からみれば、胡麻川と山陰本線を挟んだ東側の低丘陵上に位置しており、東胡麻城同様、宇野氏の築いた居館跡と伝わっている。現地では幸いにも、館跡地直ぐ傍にお住まいの、しかもその末裔にあたる宇野氏ご夫妻から直接話しを聞く機会に恵まれたが、明治時代まではこの館跡地に本宅があり、そこで生活が営まれていたと聞くに及んだ。その後現在の敷地に居を構えられたらしいが、規模の大きい館跡地で窺われる、低草木が密生した荒れ放題の凹凸地形は、かつての庭園跡であるらしい事も分かった。尚、宇野氏ご本人は、近年ネット上で存在を知り得るまでは、自身のルーツともいえる東胡麻城を一度も訪ねた事がなかったらしいが、流石に自分自身の口からはおこがましくもあるので、その情報を発信した本人が目の前にいる私であるとはとても言い出せなかった。ただ訪問するきっかけとなった以上、「山城賛歌」のアシストとしての役割は、充分果たせていると考えても良いのかも、、、、、尚、ご夫妻はこれだけの遺構が残っていながら、史跡として見向きもされない状況を嘆いておられたが、個人的にも非常に残念な事と思えたのである。

城跡を訪れるには、先に触れた東胡麻城を起点とすれば、その所在位置も進入経路も直ぐお分かり頂けるとは思うが、県道50号へ進入する事が先決となる。集落周辺に辿り着けば、神社を目印としてルート図の赤線を辿れば、生活道路のほぼ行止り地点にある、入山口(稲荷神社への参拝道入口)までは迷わず到達出来るだろう。

1route_2 登城ルート

9 参拝道進入口

3_1 城跡概念図

城跡の形態は概念図を参考にして頂ければ良いが、この低丘陵上数百mにも及ぶ全域が、かつての城域とも察せられ、この広大な規模の方形館跡地(主郭)から、便宜上の二ノ郭、あるいは西側の広大な規模の削平地までを踏破すれば、宇野氏における当時の勢いは、充分理解出来そうに思われたのである。これを機に訪れる用意のある方には、概念図中で見所遺構としたものは全て押さえて頂きたいと思うが、主郭東西を断つ、高低差を伴う豪快な本の空堀(横堀)と、主郭背後に聳える山の様な巨大土塁は、城跡最大の見所遺構であるのと同時に、その切り立つ切岸に凄みの感じられる、非常に見応えのある遺構とも言えるので、是非期待して臨んで頂いても良いのではないだろうか。

13_daikarabori_3 東大空堀見所

15_fukukaku_1 副郭より空堀壁

20_kyodai_dorui_karabori_1 主郭巨大土塁と大空堀見所

18_fukukaku_haigo_tatebori 副郭背後の縦堀見所

26_oku_dorui 残念な主郭の現状

38_horikiri_nisikaku 西大空堀より二ノ郭

35_daikarabori_1 西大空堀見所

31_nisi_karabori_1 西大空堀と大土塁見所

45_hokusei_kyodai_karabori 北西側の半円形状空堀見所

現状(12月)城跡は、住宅や農地が直ぐ傍まで迫った環境の丘城(藪城が多い)を考えれば、非常に見学し易く見て回りやすい状況にあるが、館跡地における南斜面上は、密生する低草木によって地表すら露見していない状況にあるので、重なり合う帯郭やその形状、あるいは縄張りの全体像までは、把握し難いのが現状と思って頂ければ良いかも、、、尚、ここから副郭周辺にかけては、林道敷設工事の為に重機によって遺構の多くが破壊された形跡が窺えるので、この付近の縄張りは全て見学者の想像に委ねられるだろう。城跡を個人的に評価するのであれば、縄張りを想像する部分も多少あるが、遺構見学を重視して赴くのであれば、まず期待はずれに終わる事は有り得ないと思えた事から、自ずと「是非お薦めしたい城跡の一つ、と言う事にはなるだろう。 とにかくスケールが大きく、しかも残存状態の良い空堀だけは、一見の価値ありと見た!

2012年1月 7日 (土)

宇津木城跡(京都府船井郡)

城跡は京都府船井郡京丹波町富田宇津木にあって、既にリポート掲載を終えた愛宕山城からみれば、休耕田を挟んだ北西側の、ほぼ独立した低山山上に位置している。城史に関しては宇津木氏の居城が伝わっているが、当然、光秀による丹波攻略の際には、落城したか投降したものかと予測は付こう。

城跡を訪れるには、先に触れた愛宕山城を起点とすれば一目瞭然の位置にあり、分かり易いとは思われるが、国道27号からのアクセス方法、及び入山口までの進入経路はルート図には示した。入山口とした箇所からは、谷状地形に沿って山道があるが、途中から左手側の尾根斜面に取り付き上る事になる。木々の隙間を擦り抜ける箇所も多々あるが、藪漕ぎまでには至っておらず、山上主郭までは15分程度で辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

6 城跡遠望

7_nyuuzanguti_1 入山口

城跡の形態は、東尾根上を削平しただけの郭と、規模の大きい山上主郭(東西全長60m以上)、及びそれを取り巻く数段の輪郭で成立したものであり、縄張り妙味などは全く感じさせない、大味は否めない縄張りプランの城跡と思って頂ければ想像も付き易いだろう。ただ主郭の随所に、僅かではあるが切岸ラインは見止められ、地表風化の著しい輪郭部にも僅かに切岸跡が窺えた事により、取り合えず、山上を削平しただけには決して終わっていない城郭、しかも当時のまま現在に至ったものと思われる、手付かずの城跡遺構は、遺構残存度だけは非常に高いものと自分の目には映ったのである。現状(12月)郭内部は、自然に任せた藪化進行中にあるが、意外に木々は少なく、比較的動き回り易い状態にあるが、広々とした主郭を歩き回れば、臨場感だけは味わえそうに思われた。

12_minami_one_kaku_1 南東尾根郭

13_shukaku_e 主郭の切岸ライン

14_shukaku_1 主郭の現状

21_rinkaku_obi 輪郭

20_rinkaku_kirikisi_1 輪郭切岸

個人的には発掘調査後における三ノ宮東城への再訪、あるいはここから僅かな距離にある、宇野氏の居館跡とされる野化館の訪問を兼ねての、久し振りの京丹波地区の山城巡りとなったが、城跡を個人的に評価すれば、縄張り妙味などは望むべくもなく、城跡の風情を味わう程度の訪城となるのは目に見えていそうにも思われた。よって今回のリポートは、「京丹波地域の山城に興味を持たれている方にとっての所在地の確認、あるいは現況報告が少しでもお役に立てたのであれば由としたい」、と言ったところになろうか、、、。尚、先に触れた野化館は、塩貝城(大戸城)や東胡麻城を訪れた際に、所在地の確認はしていながら、残存遺構に期待し難い丘城という事、あるいは現在まで中々京丹波地域に訪れる機会がなかった事を理由に、随分訪問を先送りにしていた城跡の一つでもあるが、訪問結果としては、館城にしては意外にも豪快な空堀と土塁の醍醐味に触れる事が出来、その縄張りプランも含めれば、訪れる値打ちのある城跡と眼に映った事から、今後に予定しているリポートには、多少期待して頂いても良いかも知れない。

2012年1月 5日 (木)

宅原城跡(兵庫県神戸市)

昨年までは個人的にも山城の林立する丹後、但馬地方の山城巡りが圧倒的に多かったが、流石にこの時期ともなれば積雪も多く、積雪の心配のない阪神から播磨地方の城跡巡りを、これから徐々にではあるが再開する事となった。

この城跡は兵庫県神戸市北区長尾町宅原(エイバラ)にあって、登城ルート図を見れば直ぐお分かり頂ける様に、未だに宅地造成の続いている、「鹿の子台北町7丁目」住宅地の直ぐ西側低丘陵上に位置している。現在土塁が周囲を廻る本郭内には、「伊賀守信貞ノ城址」と刻まれた城址碑が建っているが、この人物の姓名までは表記されておらず、城跡の素性すら分からないでいるのが現状でもある、ただこの大味極まりない縄張りプランを思えば、本来の城郭を落城後に陣城として改修したものと、自分の目には映ったが、、、、推察の域は出ないものでもある。城史に関しての詳細は不明

1route2 登城ルート

6 参考直登進入経路

3ei2 城跡概念図

城跡を訪れるには、先に触れた「鹿の子台北町7丁目」を目指して進行すれば、迷わず付近までは辿り着けるが、今回は車を少し離れた場所に路駐せざるを得なかった(付近は造成工事中)理由もあって、広い「平山公園」傍から最短で城跡まで到達可能な直登ルートを示した。尚、宅地造成の進んでいる地域にあたる丘陵南先端部には、丘陵上まで直接上れる階段が窺えたので、これを機に訪れる用意のある方には、是非階段を利用して楽に上られる事をお勧めしたい。ただその階段に至るまでの状況は把握する事が出来なかったが、、、

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、縄張りプランは先に触れた様に、シンプル且つ大味なものであり、「見応えのある遺構は?」と聞かれれば、返答には少し躊躇してしまう。ただ低土塁ではあるが本郭周囲は全て土塁が施されており、その要所に備わる明瞭な虎口跡と並んで、充分目は楽しませてくれる筈である。現状城跡は、この時期(12月)にも拘らず、枯れ木の隙間を縫っての移動見学は余儀なくされる状況にあるが、取り合えず土塁に沿って何とか一周する事が出来る状態にあるだけまし、と言える状態と思って頂ければ良いだろう(夏季訪問は厳しいかも)、、、城址碑付近は小笹が蔓延り、踏み入る余地がないのが現状。

9_higasi_sakuheiti 規模の大きい東削平地

14_shukaku 本郭内部

12_koguti_1 東虎口

13_dorui 土塁見所

11_soto_yori_dorui 土塁外壁部見所

17_dorui_sumi 土塁北側コーナー部

城跡を個人的に評価するのであれば、本郭部だけに関しては、これだけ直ぐ傍まで住宅地が迫りながら、廃城になった時より現在に至るまで、遺構はほぼ手付かずの状態にあると思えた(完存に近い)事、同時に史跡価値も高いものと感じられた事、更に圧倒的お手軽感まで加味すれば、史跡ファンの方も含めて「充分訪問を薦め出来る城跡の一つ」、という事にはなるだろう。ただし、遺構の見応えや状態は決して問わない事が前提となるが、、、

2012年1月 3日 (火)

新しく発見された山城! 堂屋敷南城砦跡(京都府福知山市)

この城跡はタイトルに記した様に、最近新しく発見された山城であり、何時も鮮度の高い城跡情報をブログに対しても、個人的にも頂戴しているS氏から、既に踏破確認された上で、その実態を聞かされたものでもあるが、情報を得て数ヶ月経った今回、やっと訪問する事が叶えられた。訪問結果としては、その情報通りに小規模ではあるが、主郭三方に土塁が施された、しかもその南北には堀切まで備えた見事な城郭遺構と巡り合える事となった。尚、この城砦群に関しては、新しく発見された山城という事もあって、現在識別呼称も分からぬ状況にあるが、今回は標高375mから西側の峰までを城域(推察)とした堂屋敷城との関連性、あるいは城跡がその南尾根先端部と中腹尾根上に位置する事から、堂屋敷南城砦群としてリポート掲載に及んだ。何れ京都府埋蔵文化財研究会によって、識別呼称は付けられるものとは思われるが、、、

城跡は京都府福知山市牧にあって、先に触れた様に、標高375m地点にある堂屋敷城から、真南側に向いて延びる尾根上にあり、それと分かる削平地や砦跡まで含めれば、最低四箇所に城跡遺構は現存しており、今回リポートに及んだものは、その中でも遺構の判別し易い南先端部に位置する郭群、その直ぐ東側に位置する砦跡、更に中腹に位置する郭群と言う事になるが、自身が踏破した限り、この城砦群は別尾根にも郭が展開されていると察せられる、概念図に示しただけには決して終わらない、巨大城砦群の一つと自分の目には映ったのである。

1route_3 登城ルート

5zx 遺構群の位置遠望

3_2 南麓尾根先端郭群概念図

今回この城砦群に関しては、砦跡も含めた三城のリポートとなり、記事も少々長くなる事から、随分割愛させたものにさせて頂くが、見所遺構及び形態共に概念図を拝見して判断して頂きたい。特に南先端郭群としたものは、二重堀切、横堀、三方を巡る低土塁跡、鋭角に削られた切岸といった具合に、小規模ながら見所遺構も数多く、遺構としての見応えも抜群(特に二重堀切)であり、更に藪化までには至っていない状況もあって、縄張りプランも含めて間違いなくお薦め出来る城跡の一つであると、自分の目には映ったのである。便宜上の規模の大きい中腹郭群にも堀切は施されているが、高低差を誇る郭切岸なども、充分醍醐味は感じられる筈である。

14

南端の空堀道凄い!

47_2 主郭内部の状況

49_higasi_karabori_1 東側の土塁及び横堀見所

50_4 主郭背後の堀切見所

10_1 52_1 北端の堀切見所

3d 中腹郭群概念図

62 中腹郭群(下段郭)

67_45x35m 中腹郭群(主郭)見所

72_2 中腹郭群上斜面の堀切見所

ちなみに東砦跡と察せられた大規模な削平地にも、北側尾根を断つ空堀が備わり、土橋地形や直登道中における明瞭な縦堀と共に、決して見逃せない遺構と見たので、更に時間と体力に余裕のある方だけにはお薦めしたい。とにかくこれを機に訪れる用意のある方には、是非ルート図に緑色で示した山頂(大規模な削平地)までは、踏破確認して頂きたいと思えたが、最低でも見応えのある南先端郭群だけは押さえて頂きたい、充分見学に値する素晴らしい遺構と思えたので、、、

87 東砦跡、空堀見所

90 東砦跡の背後土橋地形

城跡を訪れるには、国道175号線へ進入する事が先決となるが、北近畿丹後鉄道「牧駅」を目指せば分かり易いだろう。登城口は詳細ルート図には示したが、最奥にある民家脇から繋がる山道で上っても良いし、神社付近の斜面に直接取り付き、山道に合流しても良いだろう。そのまま山道に任せて上れば、数分で南堀切までは辿り着ける筈である。尚、ルート図に緑色で示した山頂までが、今回踏破確認に及んだ範囲と思って頂ければ良いのだが、中腹郭群までの遺構見学でほぼ体力も尽きてしまった事から、肝心の山上における堂屋敷城の実態は、規模の大きい山上削平地を覗いただけに終わり、今回はリポート出来なかったのでご容赦願いたい。何れ再訪の予定はしているが、、、、

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