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2011年12月

2011年12月28日 (水)

険峻な山頂の二峰に跨って築かれた山城 稲津高城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市養父町稲津にあって、今年の「取りを飾るに相応しい素晴らしい山城」と見受けられたが、既にリポート掲載を終えた稲津里城の更に北方に聳える、国土地理院地図には城山と表記された、標高約420mの険峻な山頂に位置している。この山城は連続する痩せ尾根移動道を挟んで二峰に跨ったものであり、西城(標高392m地点)と東城(本郭部)の二城で成立したものと見受けられたが、その南麓枝尾根先端に位置する、稲津里城まで含めた三城を併せたものが、この城跡の本質と言っても良いのかも知れない、、、現状城史に関しての詳細は不明であるが、これだけ険峻な山頂に本郭を構えるあたりは、養父地方一帯に威を轟かせ、山城の縄張りを最も得意とした、太田垣氏に関連した山城と推察出来ようか、、、謎

1 登城ルート

7 登山スタート地点

1_2 城跡概念図

城跡の二城併せた形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないとは思われるが、険峻極まりない周囲が崖上地形の山頂を築城地として選んだからには、この築城環境そのものが充分な防備機能と化しており、自然地形に任せたまま築かれた縄張りプランに、空堀などを含めた縄張り妙味までは期待出来難いものでもある。空堀跡は薄いものを唯一西城の東尾根側で確認する事が出来たが、他では全く目に留まらなかった(見逃した可能性もあるが、、)。しかしこの山城を語る上での最大の見所であり、一番醍醐味が感じられた部分は、これだけ険峻な山頂に築かれたにも拘らず、三郭で構成された東本郭群の規模は非常に大きく、郭間に施された切岸もさることながら、その外壁は今でも切岸ラインが明確に判るほど鋭角に削り落とされている事であり、多大な労力を以って築かれた、佇まいそのものが城跡最大の見所とも感じられたのである。

18_nisijyou_seitan_monomi_2 西城西端物見

25_nisijyou_shukaku 西城主郭

29_kita_yori_shukaku_1 北郭より西城主郭

23_horikiri 西城堀切見所

現状(11月)東西二城共に樹木が少なく移動し易く、郭内の見通しも利く状況(木々の隙間から充分眺望も利く)にあり、高所における山城としては、これ以上望めない状態(素晴らしい!)が自然維持されている。自ずと山登りを苦ともしない山城ファンの方、あるいは険峻な地にある山城に魅力を感じる方には、二峰に跨る本格的山城の醍醐味を味わって頂きたい、是非お薦めの城跡と思えたが、この山城には久し振りに山城賛歌を贈りたい気分にもさせられたのである。

35_1 東城(本郭)の素晴らしい状態

44_heki 切岸見所

42_saigedan_yori_1 全貌の窺える本郭群見所

41_saigedan最下段郭

城跡を訪れるには、稲津里城と同様の訪問ルートとなるので、今回はアクセス方法などは割愛させて頂くが、稲津里城を起点とすれば、その直登ルートも入山口(地蔵堂)も確認し易い筈である。地蔵堂から山頂まではほぼ植林地となっているので、藪漕ぎもなく僅かな踏み跡に任せて上りさえすれば迷わず辿り着けよう。ただこの直登ルートは前が開けているので上り易くはあるが、倒木や露岩の多い激斜面となっているので、取り合えず登山する覚悟とそれなりの準備は必要と思って頂きたい。ちなみに地蔵堂から西城までの所要時間は40分程度であるが、里城がまだ未訪の方にとっては、非常に効率の良い山城巡りとなるのではないだろうか。

2011年12月27日 (火)

TAKUよりお知らせ

お知らせ

2011年も残すところ四日余りとなりました、「山城賛歌」も明日をもって、本年度最後を締めくくるリポートとなりそうですが、今年も多くの素晴らしい山城に巡り合えた事と、これだけ多くの山城を訪問しながら、無事怪我もなく山城巡りを終えられた事に、心から感謝している次第です。今まで多くの励ましのコメントをブログに寄せて頂いた方々、コメントあるいはメールによって城跡の情報を発信して頂いた方々、現地でお世話になった方々、更に日々「山城賛歌」を拝見しながら、陰ながら応援して頂いている城跡ファンの方々にも、TAKU自身のお礼と感謝の気持ちが、このブログを通して少しでも伝われば幸いに思います。

来年も本年同様に、「山城賛歌」の趣旨に基づいた山城巡りを続けていくつもりではおりますが、残り僅かでブログにおけるサーバー許容量が満たされる事もあって、何時までリポートを続けて行けるものかは、現在分からない状況となってきました。もちろん別のサーバーから発信する事は考えておりますが、先行きはまだ不透明といったところでしょうか、、、、尚、サーバー許容量を少しでも確保する為に、個人的に藪化が深刻化しており、これから先も状態の改善に期待し辛い、遺構見学には値しないと思えた城跡(主に丹波地方)、あるいは遺構残存度が非常に低いと思われた城跡(宅地化や農地化によって)は、現在まで少しずつではありますが、掲載記事及び画像を削除して来ました。これから先、更に削除するつもりはありませんが、、、先に触れた事を理由に、是非ご理解願えれば幸いです。

尚、明日の山城リポートは、本年度最後の「取りを飾るに相応しい山城」として「稲津高城跡」を採り上げる予定です。但馬地方にあっては、険峻極まりない山頂に築かれた山城は決して珍しくはないのですが、標高420m(比高320m)を誇る山頂の二峰に跨って築かれた、比較的大型と思える山城の一つです。山城ファンの方には、間違いなくお薦め出来る城跡と自分の目に映った事から、まだ未訪の方には、その期待も含めて是非楽しみにして頂ければと思います。

最後に、来年も山城ファンの方々、並びに史跡ファンも含めた一般城跡ファンの方々における、訪城の良きアシストとして、あるいは同じ感動を共有するが為に、少しでも「山城賛歌」がお役に立てる事を願って止みませんが、スズメ蜂、あるいは熊や猪が麓民家直ぐ傍まで出没している昨今、安全面に対策を施した山城巡りだけは、是非心がけて頂きたいと願っております。

2011年12月26日 (月)

痩せ尾根上を本郭部としているが、城域は広い山城 高尾城跡(兵庫県丹波市)

この山城に関しては、以前国領岩戸神社城跡のリポート記事中で触れたとは思うが、初回訪問時においては、訪問時期と直登ルートの選択が悪かったせいもあるが、藪に阻まれて山頂まで踏破する事は叶わなかった。今回はそのリベンジという事もあって、入念な直登ルートの選択の下で、やっと山頂までの踏破に漕ぎ着ける事が出来たが、これを機に訪れる用意のある方には、中腹に位置する規模の大きい東出郭までは、踏み跡を辿れば迷わず辿り着ける、東麓にある入山ゲートをスタート地点とした登城ルートを是非参考にして頂きたい。ちなみに本郭群までは、東尾根上に展開される郭群の遺構見学も含めて、所要時間35分程度と思って頂ければ良いだろう。

城跡は丹波市春日町国領長谷にあって、麓から城跡を望めば、その険峻さは充分伝わるほどの、標高387mの痩せ尾根上に位置しており、長谷城としての別称がある。城史に関しての詳細は不明であるが、秋山修理太夫の居城と伝わっており、赤井氏の拠った三尾山城がその東側に隣接する事を思えば、その家臣あるいはその支城の可能性は窺えるかもしれない、推察の域は出ないものであるが、、、

1_2 登城ルート

Photo 入山口周辺

6 入山口

1_4 城跡全体像

城域は東西数百mにも及ぶ広大な平坦地形(自然地形とは思われない平坦地が延々と連なる)が連続する、標高457mの山頂から、個人的には土塁の痕跡が残る事から、出城と眼に映った尾根東先端部(国領温泉側)まで跨るものであり、山麓に築かれた岩戸神社城を出城として取り込めば、相当な規模を誇る城郭と言えようか。ただ本郭自体は小規模は否めない砦規模の山城(郭総全長50m未満)なので、遺構見学だけを目的とした訪城であれば、落胆する事は必至の山城と言えるかも知れない、、、城跡の見所としては、痩せ尾根上に築かれた佇まいそのものとも言えようが、櫓台土塁(推察)とその背後に施された重にも見えなくもない堀切露岩を取り込んで形成された東郭、更に山頂に佇んだ時の臨場感だけは誇れる、圧倒的規模の山頂削平地(空堀や土塁などの遺構はない)は挙げられるだろう。

1_3 城跡概念図

11higasi_demaru 規模の大きい東出郭

15_kyogan_haigo 東郭の巨岩(土塁の代用か)見所

25_honkaku 本郭部

26_honakaku_yagura_2 櫓台土塁壁見所

28_horikiri 堀切見所

29_nijyuu_horikiri 二重堀切か?

33_iwaba_monomi_kaku 眺望の利く本郭西物見郭見所

37_sanjyou_kaku_1 山上郭(連続削平地)

43_seitan_shamen 山上郭西端

現状(12月)城跡は、落葉シーズンにある事も重なって、郭内における藪漕ぎもなく、山城としては比較的移動し易く見学し易い状態が自然維持されている。枝尾根がない事もあって、その縄張りは東尾根上と山頂部に限られるものとは思われるが、ルート図及び概念図に示したものが、今回踏破した範囲であり、その中で目に留まった遺構と思って頂ければ良いだろう。この城跡は遺構が目白押しという訳でもなく、決して誇れる状態にもないが、山登りを苦ともしない山城ファンの方だけには、この城跡が醸す佇まいそのものを味わって頂きたいと思えたのである。尚、出城跡かも知れない国領温泉側の丘陵最高所には、展望テラスが設けてあるので、下山後にそこでゆったりくつろげた事を、情報として付け加えておきたい。

2011年12月24日 (土)

木之内城跡(兵庫県朝来市)

城跡は兵庫県朝来市物部にあって、既にリポート掲載を終えた物部城からみれば、集落を挟んだ南西側の丘陵先端部に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、物部城を起点とすればその位置は分かり易いが、国道312号へ進入して「青倉駅」を目指せば、付近までは難なく辿り着けるだろう。駅傍の高架下手前付近(路駐可能スペースあり)から城跡までの進入経路は、ルート図及び概念図を参考にして頂ければ良いが、山裾にある入山ゲートを潜れば直ぐの距離にあると思って頂いても良いだろう。ちなみに入山ゲートからは、藪漕ぎなしで5分程度で主郭へ到達可能

1_2 登城ルート

6_nyuuzanguti_2 城跡への進入経路

1_3 城跡概念図

この城跡は、明瞭な堀切跡すら窺われない古い形態の物部城とは違って、三方の枝尾根斜面には堀切が施されており、山城の醍醐味には充分触れる事の出来る城跡の一つでもあるが、築城環境から察すれば、竹田城の南を抑える出城といったところになるのかも知れない。そのシンプルな形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いてもよいが、全域が植林地にある事から見通しも利き、比較的歩き回り易く、更に遺構も判別確認し易い状況にある。自然任せの山城としてみれば、これ以上望めない良いコンディションの下にあると思って頂いても良いが、地表風化はそれなりに進行しているので、深さを伴う堀切、あるいは明瞭な縦堀には期待出来難いのが現状でもある。城跡の見所はに先触れた三箇所の堀切という事になるが、何れも縦堀まで繋がる全体像が窺えるものであり、間違いなく見学者の目は楽しませてくれる筈である。

37_sentan_kaku

東麓先端郭

12_doruikaku_horikiri_2 南堀切と縦堀見所

14_shukaku 主郭の現状

16_horikiri 北堀切見所

17_tatebori 縦堀見所

23_shukaku_gawa 主郭東側

26_horikiri

東側僅かに堀切跡見所

城跡を個人的に評価すれば、文献資料の類にはその実態報告は皆無に近く、限りなく無名に近い山城である事、山上主郭まで達する圧倒的お手軽感、更に見学し易い状態の良さを加味すれば、山城ファンの方だけに止まらず、一般城跡ファンの方にもこの城跡を認識して頂き、是非足を向けて頂きたいと思えたのである。自ずとお薦め出来る城跡という事にはなるが、縄張り妙味までは決して求めてはならないだろう。

2011年12月22日 (木)

山上には未だ石垣跡が現存 周防高森城跡(山口県岩国市)

城跡は山口県岩国市美和町生見にあって、長角集落の直ぐ西側に聳える、標高412mの山に位置しており、市の指定史跡にも認定されている。現在その山頂主郭には、下駄履き観音(役の行者)と呼ばれる石仏が、小さな祠内に鎮座しているが、その城山中腹には駐車場まで設けてあったので、近隣から参拝も兼ねて訪れる方も多いのではないかと思われる。城史に関しては「現地案内説明板」をクリックの事

城跡を訪れるには、国道2号線より県道2号線へ進入する事が先決となるが、そのアクセス方法は美和町パンフの中にあった、車道で城址麓駐車場(城址案内板あり)までは上れる、概略ルート図を参考にして頂きたい。個人的には里山の景色を味わうと同時に山登りも楽しむ為に、地元の方に教えて頂いた県道2号線沿いにある入山口(道標はないが画像を参考に)から、確かな登山道で山頂を目指したが、35分程度で辿り着けた事だけはお伝えしておきたい。(ちなみに駐車場からは10分内)

1route_3 登山道での登城ルート

Ta 林道参拝道ルート

10_tozanguti 2号線沿いの入山口

16_tyuushajyou 中腹駐車場

2a 現地案内説明版より

現状(11月)城跡は市指定史跡となっている為か、山上主郭(本郭部)の木々は伐採されて見通しが利き、非常に見学し易い状態にあるが、付け郭を含んだ三郭で形成された本郭部以外の、便宜上の二ノ郭から北側(登山道中)あるいは南郭群は、多くの低草木が蔓延っている状態にあると思って頂いても良いだろう。ただ移動に難渋するまでには至っていないので、山上における残存遺構はほぼ判別確認可能な状況とは言えるが、、、 踏破した範囲で目に留まった遺構は全て概念図には示したが、郭総全長は二百mに達するものであり、規模は比較的大きい部類に入るものの、自然地形に任せたまま山上を切り刻んだだけの縄張りプランに、縄張り妙味までは望めないものである。土塁地形や空堀(縦堀)跡は登山道中の南北斜面上で何とか目に留まったが、草木に埋もれて明瞭なものを窺える訳ではないので、これらはほぼ訪れる方の判断に委ねられるだろう。その中にあって城跡最大の見所遺構と呼べるものは、南先端郭西側壁に施された石垣跡で、未だ10m以上に渡って現存しており、非常に見応えを感じるものとなっている。尚、ルート図に記した北尾根、あるいは西尾根側にある出郭(屋敷跡地)までは覗いていないので、残存遺構も縄張りも、決してこの限りではないものと思って頂きたい。

3_1 城跡概念図

28_nidan_kaku 主郭(付け郭と切岸)見所

29_koguti_gawa 本郭北虎口側

30_1 休憩ベンチのある祠

34_shukaku_1 主郭の現状

42_minami_sentan_kaku_1 南郭群

44_isigaki 44_isigaki_1 石垣跡見所

城跡を個人的に評価するのであれば、山登りを楽しみながら登山道(参拝用林道もある)で迷わず辿り着ける事、山上本郭群だけに関しては縄張りが掴み易く、比較的見学し易い状にある事、当時築かれた残存石垣跡がそのまま拝める事、僅かながら空堀が拝める事、これだけの見学材料が揃えば、自ずと「是非お薦めしたい山城の一つ」、と言う事にはなるだろう。もちろん山城ファンの方だけを問わず、史跡ファンの方も対象となるが、この石垣跡だけは覗く値打ちありと見た!

2011年12月20日 (火)

但馬岩本城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市吉井にあって、奈佐川に沿って数多く築かれた山城の一つでもあるが、先に現況リポートした小城鼻城を起点とすれば、位置確認は容易いものとは思われる。小城鼻城と同様に低丘陵上(比高60m程度)に築かれたものであるが、城史に関しても同様に、篠部氏が本城とした宮井城(既にリポート掲載を終えた)の出城と伝わっている様である。詳細は不明

城跡を訪れるには、国道178号より242号へ進入(福田の信号で左折)する事が先決となるが、ルート図に示した奈佐小学校、あるいは白藤神社を目印として目指せば分かり易いとは思われる。神社のある三叉路で奈佐川を渡れば、今回車を預ける事になる吉井公民館を目指せばよいが、そこから10分程度で山上主郭までは辿り着ける筈である。(進入経路は概念図参考に)

1route_2 登城ルート

6 直登進入口

3_3 城跡概念図

現状(11月)直登道中は藪漕ぎまでには至っておらず、痩せ尾根急斜面の山上手前で、忽然と現れる切岸が見学者を歓迎してくれる筈である。人のほとんど踏み入らない山城としては、比較的良い状態が自然維持されているものと思って頂いても良いが、単郭で成立した城跡に縄張り妙味までは求められず、目に留まる城跡遺構も限られたものになってくるのが現実である。比較的フラットに近い郭跡を除けば、東尾根を断つ堀切(片側が縦堀に繋がる)、郭周囲における切岸跡、堀切から立ち上がる僅かな土塁跡などが、唯一城跡を醸す遺構群と思って頂ければ良いかも知れない、、、もちろん今挙げたものが、同時に見所遺構という事になるのだが、遺構としての見応えは余り望めないものでもある。ただ手付かずの遺構は、ほぼ完存に近い(推察)ものと見受けられ、史跡としての価値は非常に高いものであると自分の目には映ったのである。

12_horikiri 堀切見所

15_kirikisi 切岸

16_shukaku_2 主郭の現状

17_dorui_1 土塁跡見所

城跡を個人的に評価すれば、「規模や遺構の見応えさえ問わなければ、お手軽感も含めて充分訪れる値打ちのある城跡」、と言った事になろうが、先に触れた小城鼻城と併せた同日訪問とするのであれば、間違いなくお薦め出来る城跡の一つ!

2011年12月18日 (日)

他に類を見ない、落とし穴状の空堀は一見の価値あり! 小城鼻城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市宮井にあって、宮井集落の奈佐川を隔てた西側低丘陵上に位置しており、丘陵先端部にほぼ単郭で形成された本郭を構え、更に南西側に延びた痩せ尾根最高所に小規模な詰城、あるいは物見(狼煙台程度)と察せられる郭を構えた、東西二城で成立した城跡と見受けられるものである。城史に関しては、既にリポート掲載を終えた篠部伊賀守の拠る井城の出城(砦)と伝わっており、築城環境及びその規模から小城鼻砦とも呼ばれている。

城跡を訪れるには242号へ進入する事が先決となるが、この奈佐川沿い周辺には、既にリポートを終えた山城跡が林立(西谷城、海老手城、大谷城など)する事もあって、その位置関係は把握し易く、今回はアクセス方法などの詳細は割愛させて頂くが、概念図あるいはルート図を参考にすれば、進入口は直ぐお分かり頂けるとは思われる。

1route 登城ルート

3_2 二城に跨る城跡概念図

  城跡の大雑把な形態は、概念図を参考にして頂ければ良いとは思われるが、東西二城間数百mに渡って連続する痩せ尾根上は、ほぼ移動道とも言える狭い尾根道となっており、その間に土橋地形、あるいは狭小段郭群は見止められるが、規模の大きい郭跡は見受けられなかった。その中にあって城跡最大の見所遺構と呼べるものは、タイトルにも記した様に、便宜上の西城に施された連続落とし穴状になった空堀に尽きるとは思われるが、他に中々類を見ないものでもあり、落とし穴の形状が明瞭な事、あるいは判別確認し易い事から、遺構見学を重視する方にとっては、西城背後に施された見応えのある堀切、あるいは東城(本郭)背後の豪快な箱堀と並んで、間違っても期待は裏切られない、値打ちのある城跡遺構と自分の目には映ったのである。

3_1

東城概念図

11_higasikaku

東本郭

15_horikiri_heki_2 二重堀切見所

8_sita_hakohori 東城箱堀と二重堀切見所

20_dobasi 土橋状痩せ尾根地形

3

西城概念図

24_nisijyou_heki_1 西城空堀壁

26_otosiana_karabori 26_otosiana_karabori_3 落とし穴状の空堀見所

28_horikiri_1 堀切見所

32_horikiri_ana 南端落とし穴見所

現状(11月)城跡は、全体に下草は多く蔓延っているが、植林地にある為に樹木は比較的少なく、見学に訪れる人の少ない(推察)、限りなく無名に近い山城としては、非常に見学し易い状態にあると思って頂いて良いだろう。冬季訪問ともなれば更に見学し易い状態が予想されるが、、、、個人的に城跡を評価すれば、状態もさることながら、先に触れた一見の価値に値すると思えた落とし穴状の空堀、見応えのある堀切が二箇所で拝める事を理由にすれば、自ずと是非お薦めしたい城跡の一つ」、と言う事にはなるだろう。圧倒的お手軽感まで加味すれば、史跡ファンの方にも充分お薦め出来ようか、、、。

2011年12月16日 (金)

北城砦群まで含む実態が判明した土田城跡(兵庫県朝来市)

この山城に関しては、既に一年半前に山上本郭群だけのリポート掲載は終えており、その記事中で、地元の公共事業に携わっておられる方から直接聞き及んだ情報として、来年には登山遊歩道が山上主郭まで敷設される予定がある事を載せたが、その後の経過及び結果を知る為に、今回は直接現地を訪れてみる事になった。その結果としては非常に残念ではあるが、土田城の別称でもある「鳶ヶ城まで300m」と記載された標識が、国道沿いのトンネル手前に設置されただけで、登山遊歩道の整備はもちろんの事、山上郭群の整備保全すら行われていない状況にあった。公共事業である事から予算の関係、あるいは何らかの理由で頓挫したものとは思われるが、これから先も城跡の整備保全及び遊歩道の敷設には、余り期待出来ない状況にある事だけは先にお伝えしておきたい。

1route 登城ルート

4 進入口(直登山口)

1_2 本郭群概念図と直登進入口

1_1 北郭群を含めた城跡概念図

城跡は兵庫県朝来市和田山町土田にあって、城跡までのアクセス方法は初回リポート掲載時に説明したので、今回は割愛させて頂くが、今回の訪問は前回未踏に終わった、北尾根上に展開されると察せられた(ルート図に示した)、縄張りの確認を主目的としたものであり、その結果として、やっと北城砦群まで含めた本来の土田城跡の実態(縄張り)を掴む事に至れた。この北郭群へ向かうには、「鳶ヶ城」標識脇から谷沿いに向かって歩き、右手側尾根先端に取り付く激斜面の直登(植林地)ルートを選択する事になるが、藪漕ぎもなく所要時間は10分程度と思って頂ければ良いだろう。

15_sita_obi_2dan 北端物見郭の二段帯郭

14_kita_dankaku_2_2 北端段郭群

17_one_kaku 中尾根郭

20_nakashukaku 中主郭

22_hakobori 北箱堀1見所

25_hakobori_1 箱堀2見所

城郭の大雑把な形態は、概念図を参考にして頂ければ良いが、山上本郭群まではほぼ隙間なく郭が並べられており、北郭群は数箇所の堀切(箱堀)によって断たれている。山上本郭群の防備は、ほぼ縦堀と鋭角に削り落とされた切岸に頼ったものであった事から、縦堀などの有無は斜面上を特に注意して覗いたが、明瞭な縦堀は最後まで眼にする事は出来なかった。個人的にも特に見応えのある遺構にはお目にかかれなかったが、「土田城(鳶ヶ城)の実態は、南北数百mに達する城域を誇る、規模の大きい山城であった事と同時に、北端郭から本郭群の南端まで歩いて城跡を体感する事も含めて、充分踏破する値打ちのある、しかも探索冥利に尽きる山城と自分の目には映ったのである。尚、山上本郭群だけに関してのリポートは、以前(昨年)のまま据え置いているが、前回訪問時に見過ごしてしまっていた、北東郭脇に施された二本の明瞭な縦堀を、新たな概念図に付け加えた事だけはお伝えしておきたい。是非参考までに、、、、

33_higasi_tatebori 新たに付け加えた明瞭な東縦堀見所

結果的にこの山城に遊歩道の期待は断たれたが、自分の様に山上本郭群だけを覗いて、未だ北郭群が未訪に終わっている方には、是非再訪される事をお薦めしたいのである。もちろんこれを機に訪れる用意のある方も、お薦めする対象となる事は言うまでもないが、、、

2011年12月14日 (水)

日高太田城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市日高町太田にあって、神鍋山スキー場から見れば、集落を隔てた真東側の低丘陵上にある。城史に関しての詳細は不明であるが、地元ではジャヤマ(ジョウヤマが訛ったものか?)と呼ばれており、年配の方に限れば、城跡としての認識は充分ありそうには思われた。

城跡を訪れるには、国道482号へ進入する事が先決となるが、但馬ドームあるいは神鍋山スキー場を目印として向かい、国道からはルート図に示した赤線を辿れば、分かり易く辿り着けるとは思われる。進入口は概念図には示したが、畦道を利用して城跡麓まで向かい、そこから丘陵上を目指して上れば、直ぐにでも山上郭群が迎えてくれよう。

1r 登城ルート

3_2 城跡概念図

現状(11月)城跡は、全域が植林地にある事もあって、見学し易く歩き回り易い状態にはある。城跡の形態は、ほぼ概念図に示した通りと思って頂いても良いかも知れないが、丘陵上を削平しただけに終わった城郭に、余り見応えは期待出来ないものでもある。切岸は帯郭との境で僅かに窺われるが、他では皆無に近いものであり、本郭部と東尾根を断つ形で施された二連の堀で、やっと窺える程度と思って頂いても良いかも知れない。ただ規模は100mには軽く達するものであり、砦の域は充分出ている様には感じられたが、、、

8_nisikaku 僅かに切岸跡

9_obi_1 帯郭

12_kaku_1 丘陵中央付近

14_shukaku 主郭の現状

16_horikiri_1 堀切見所

城跡を個人的に評価すれば、単純明快な安普請は否めない縄張りプラン、堀切は二連施されてはいるが、見応えには随分欠ける(浅い)事もあって、既にリポート掲載を終えた日高町における山城、山宮城、万場城、あるいは東河内城などの、何れかと併せた山城巡りとするのであれば、決して無駄足には終わらない城跡といった処か、、、。

2011年12月12日 (月)

安井城跡(兵庫県朝来市)

城跡は兵庫県朝来市和田山町加都にあって、竹田城の直ぐ北側、安井集落を挟んで更に北側に聳える、標高約210mの低山山頂に位置しており、竹田城と隣接している事を思えば、自ずと出城ということになろうが、推察の域は出ないものである、現状城史に関しての詳細は不明。

城跡を訪れるには、竹田城を起点とすればその位置は一目瞭然でもあるが、竹田城に佇めば自ずと直ぐ視界に入る山城でもある。今回直登取り付き口としたのは、浄化センターより川を渡った入山ゲートを潜った付近からで、そこからは木々の隙間を縫っての激斜面直登は余儀なくされるが、木々の伐採された右手側の前の開けた斜面側を上ってもよいだろう、10分程度で山頂までは辿り着ける筈である。尚、激斜面を回避したい方は、西側の「天神社」から東側の尾根に沿って上っても良いとは思われるが、藪漕ぎの有無までは現状把握出来ていない、、、。

1route_2 登城ルート

9 進入経路

3yas 城跡概念図

城跡の形態(山上郭群)は概念図を参考にして頂ければ良いが、現状(11月)郭跡及び郭切岸壁は、一部ましな箇所もあるとはいえ、蔓延るシダや小笹を含めた下草に覆われており、段差程度の郭跡などは形状も掴み難く、僅かな地表の変化から郭構成までは読み取れない状況にある。よって山上郭群における郭構成は、ほぼ見学者の判断に委ねられる状況にあると思って頂ければ良いかも知れない。判別し易い空堀の類は一切目には留まらなかったが、主郭を中心に三重の帯郭(南側)で固められた城郭と言えば、これを機に訪れる方の想像も付き易いだろう。見所遺構を挙げるとなると中々苦労するが、南北帯郭から見上げる高低差を誇る切岸だけは見応えのあるものであり、険峻な地に築かれた山城の醍醐味には、充分触れる事が出来るだろう。

12_toutatu_minami_obi_1 南帯郭

16_obi 帯郭と主郭切岸

25_shukaku_1 主郭の現状

23_kitagawa 帯郭

16_heki 主郭切岸

18_kita_kaku_1  北帯郭

城跡を個人的に評価すれば、近年まで人の踏み入った形跡の見受けられないこの状況は、縄張りの祖形はほぼ当時のままとも窺われ、遺構残存度だけは非常に高いものと自分の目には映った事から、和田山町における山城巡りの一環として訪れるのであれば、決して無駄足には終わらない城跡と言ったところか、、、、 

2011年12月10日 (土)

やっとその実態の全てが判明!但東沢田城跡(兵庫県豊岡市)

この城跡に関しては、集落を挟んで西側へ隣接する京川城を訪れた際に、地元で得た新たな情報として、「標高388mの山頂には沢田城山上郭が存在している」という事を、そのリポート記事中でお伝えした事があるが、今回はその城跡遺構の確認も含めて、まだ見ぬ遺構に僅かな期待を膨らませながら、険峻極まりない山頂を目指す事になった。

麓で得た情報では、「山上には共同アンテナの設置された平坦地があるだけ」との事だったが、その結果としては、情報を遥かに覆すほどの、二重堀切に土塁までも備えた、素晴らしいコンディションを誇る、見事な城跡遺構と対面する事が叶えられた。よって沢田城の本質を訪問した上で語るのであれば、既にリポート掲載を終えた、麓に展開された社殿のある利便性に富んだ中枢郭群(居館跡かも?)、中腹に展開される郭群、物見あるいは詰城としての機能を備えた山上郭群と、それぞれの機能が明確に分かれた、三位一体となった城跡という事になろうか、、。

1route 登城ルート

1 居館跡とも窺える沢田城麓郭群と入山口

3

山上郭群(見張り台伝承地)概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図通りと思って頂いても良いとは思われるが、山上本郭群は二郭で成立した単純明快なものであり、二重堀切を越えた北側山頂には、大規模な削平地も展開されている。ただ地元に伝わる見張り台としての沢田城は、この二郭と言っても良いものとは思われるが、前にお伝えした様に、沢田城として公的に認知された城跡が山上郭群だけを指すものか、あるいは麓の中枢郭群(推察)を指すものかまでは、リサーチ不足のせいもあって未だ判明までには至っていないので、そこは今まで通り柔軟に対応して頂きたい。城跡の見所は「状態の良さも含めた佇まいそのもの!」と言っても過言とは思えないものであり、それは載せた画像で判断して頂きたいが、下草の蔓延っていない全貌の窺える縦堀に繋がる二重堀切、郭間に施された明瞭な土塁鋭角に削り落とされた郭切岸(外壁)、急斜面上の縦堀(片堀切)といった具合に、数は少ないものの間違いなく見学者の目は楽しませてくれる筈である。更に主郭からは僅かに眺望も利き、当時に思いを馳せる事も容易く、山城ファンの方に限れば背中を押してでもお薦め出来る山城の一つと言えようか(規模は問わない事が前提)。ただ山頂に至るまでの激斜面の直登を思えば、一般城跡ファンの方には少しお薦めし難いのが本音といった処かも、、、

20_tyuufuku_kaku 20_tyuufuku_kaku_2 中腹郭群

26_shukaku 山上主郭の現状

28_dorui_1 土塁見所

35_nijyuu_horikiri_1 二重堀切見所

36_tatebori 縦堀見所

38_shukaku_gawa_heki 副郭堀切壁

43_minami_katahorikiri_1 急斜面上の縦堀見所

27_1 僅かに窺える景色

城跡は兵庫県豊岡市但東町小谷にあって、訪れるには既に紹介した沢田城(麓中枢郭群)へのアクセス方法を参考にして頂きたいが、社殿背後の空堀を越えてそのまま山頂を目指して上れば良い。中腹郭群を通過すれば相当な激斜面とはなるが、山上郭までは全域が植林地にあるので、藪漕ぎする事もなく迷わず辿り着ける筈である(山上まで繋がる地表の随所に露見する黒色ケーブルが目印)。

2011年12月 8日 (木)

亀ヶ崎城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市福田にあって、標高60m程度の低丘陵上先端部に位置しているが、既にリポート掲載を終えた海老手城などの、付近に集中点在する山城を起点とすれば、その位置確認も容易いものとは思われる。城史に関しての詳細は不明であるが、海老手城と直ぐ隣接した築城環境は、その支城と推察すれば良いのかも知れない、、、

個人的にこの城跡に関しては、国道から直ぐ望める鉄塔の位置が城跡の所在位置でもあるので、国道移動ついでに何時でも立ち寄れる事を理由に、長きに渡って訪問を先送りにしていたが、今回は奈佐川沿いに築かれた山城巡りの一環として訪れる事に相成った。鉄塔目指して上る事が、城跡へ到達する一番手っ取り早い方法となるが、ルート図に示した清掃センターに向かう道路沿いに入山口があるので、そこからメンテナンス用登山道を利用して上れば、5分程度で山上郭へ辿り着ける筈である。

1route_3 登城ルート

3_4

城跡概念図

城跡の大雑把な形態は概念図には示したが、鉄塔より東側は、現状(11月)枯れススキに覆われて地表すら露見していない状況にあり、浅い堀切を過ぎた東側の低草木の生い茂る側は、藪化も風化も同時進行中にある、荒れ放題の地形と化している。自ずと遺構の判別確認は困難を極める状況となっているが、猪が地表を掘り起こしたかの様な凸凹した地形から、堀切以東の当時の縄張りを想像する事は不可能とも感じられたのである。幸いにも、便宜上主郭とした西側の堀切及び郭跡はそこまでには至ってはおらず、充分見学可能な状況にあるが、縄張りプランの見えてこないもどかしい遺構見学は、「中々満足感は味併せてはもらえない」と言った処かも、、、見所遺構を挙げるのであれば、二本の堀切という事になろうが、主郭側の堀切は縦堀に繋がっており、充分訪れた値打ちは感じられようか、、、

11_horikiri_2 東堀切

15_horikiri_1 西堀切見所

17_tatebori 縦堀見所

18_shukaku_1 主郭の現状

20 主郭西背後急斜面

二本の堀切見学が全てとも言える城跡ではあるが、圧倒的お手軽感を加味して、奈佐川沿いに築かれた山城巡りの一環とすれば、何とか訪れる理由も生まれて来るのではないだろうか、、、

2011年12月 6日 (火)

目坂城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市目坂にあって、目坂集落の西側に聳える低山山頂(標高約200m)に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた石屋城を起点とすれば、その所在位置もアクセス方法も分かり易いとは思われるが、県道1号線に進入して、「辻」交差点にあるバス停を目安として目坂集落を目指せばよいだろう。直登取り付き口に関しては、付近に目印となるものがないので説明し難いが、載せた画像と登城ルート図から判断して頂きたい。民家の背後の畑地を通過する事になるが、そこから尾根に沿って山頂を目指せば、藪漕ぎもなく(尾根上の木々は伐採されている)15分程度で辿り着ける筈である。ただ取り付き地点となる東段郭群付近は倒竹が多く、それを避けながら上る事は余儀なくされるが、、、

1route 登城ルート

7 進入経路

3 城跡概念図

現状(11月)城跡は、山上の木々が伐採されて遺構見学に差し支えるまでには至っていないが、本郭群は地表が露見しないほど多くの下草が蔓延っている為、あるいは間伐の行われていない木々に遮られて見通しは利かず、残念ながら郭内全域を歩き回れる状況にはない。その中で判別確認に及べた遺構は全て概念図には示したが、主郭西側に施された土、その背後を断つ縦土塁が付随する堀切(縦堀に繋がる)、本郭群の東側に施された、全貌の窺える二重堀切(縦堀に繋がる)などが、現状目に留まった遺構群と思って頂ければ良いだろう、切岸などは一部で良い状態のものを拝めるが、斜面上の全てが下草や低草木で覆われており、縦堀などに関してはこの限りではないものと思って頂きたい。城跡の形態から考えても、未踏地にまだ多くの遺構が残されている様にはとても思えなかったが、、、、

22_nijyuu_horikiri_1 22_nijyuu_horikiri_3 二重堀切見所

28_shukaku 残念な主郭の現状

30_dorui 土塁跡見所

33_horikiri 堀切見所

34_tatedorui 縦堀と縦土塁見所

36_kirikisi 切岸

城跡を個人的に評価すれば、先に触れた本郭群の東西二箇所に施された見応えのある堀切(二重堀切を含める)、縦堀、更に土塁が拝める事を理由にすれば、状態が良いとは決して言えないが、山城ファンの方に限っていえば、充分お薦め出来る山城の一つ、とは言えようか。

2011年12月 4日 (日)

これぞ天空の城と呼ぶに相応しい山城! 龍ヶ城跡(京都府福知山市)

城跡は京都府福知山市一ノ宮にあって、どの地図においても「龍ヶ城」と記された、標高645m(比高約500m)の険峻極まりない山頂に位置しており、標高だけなら丹波の松尾山城(687m)の方が若干勝るが、比高だけなら、近畿圏内においては他に比類なき、「天空の城跡のイメージに限りなく近い山城の一つ」、と自分の目には映ったのである。

城史に関しては、「新宮」交差点の商店脇にあった城跡案内説明板に載せられている様に、南北朝期に成立した山城と見受けられるが、一時的に丹波守護職の地位にあった荻野朝忠の居城を伝えており、私見にはなるが、築城環境をより険峻な山頂に求めた(黒井城、三尾山城、鬼ヶ城、後屋山城など、、)後の赤井氏によって、戦国期までは改修を施しながら機能し続けていた山城とも察せられたのである。

1_2 登城ルート

5 城跡案内板

13 直登取り付き地点

1_3 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、険峻な山頂に築かれたが故に、縄張り妙味のある防備機能(空堀の類)には一切期待出来ないものと思って頂きたい。現状(11月)城跡は、四世紀にも渡る風雪に耐えながらも、比較的木々や堆積物の少ない山上主郭は、未だフラットに近い状態が自然維持されており、植林地にあることによって見通しが利き(ほぼ全体像が窺える)、近年人の踏み入った形跡のない山城としては、これ以上望めない素晴らしいコンディションの下にある

15_sentan_kaku_2 直登道中の郭跡(物見か)

17_510m_kaku 510m地点の削平地

34_1 景色

40_shukaku_1 主郭の現状

41_shukaku_nisi_dorui_ato 主郭西、土塁の痕跡見所

43_nisi_karabori_ato_1 空堀跡見所

38_ido_2 溜め井戸跡見所

44_kirikisi_obi_1 帯郭と主郭切岸見所

45_nisi_kirikisi 西側切岸

数少ない残存遺構の中にあっては、僅かに残る土塁跡、空堀の痕跡、主郭周囲を覆う明瞭な切岸、周囲に盛り土まで施された溜め井戸跡などが、見所遺構として挙げられようが、井戸跡に関しては、ここまで高所にある山城で、ここまでの状態のものを拝める事は奇跡に近いとも言えるので、是非期待して臨んで頂いても良いのではないだろうか、このライフラインとも言える水の手(井戸跡)は、当時ここに常駐する人間が少なからずいた事を証明するものでもあり、堀切などの様な城跡遺構と比べれば遥かに見劣りはするが、当時に思いを馳せる上では、充分過ぎる城跡遺構と感じられたのである。個人的に城跡を評価すれば、山登りを苦ともしない山城ファンの方であれば、「満足感も達成感も、両方間違いなく味わえる山城の一つ」、と言う事になろうか。

城跡を訪れるには、国道426号へ進入する事が先決となるが、既にリポート掲載を終えた愛宕山城、あるいは一ノ宮竹石城を起点とすれば、ルート図からも所在位置は分かり易いとは思われる。熊野神社付近の限界集落で聞き及んだ情報では、「過去には峠から山頂まで繋がる山道はあったが、今ではこの山道も土砂の崩落や藪化によって、利用出来るかどうかまでは見当も付かない状況」、更に「40年位前までは思い荷物を背負って二時間かかって峠を越えた」、などと言った事を聞かされた事もあって、迷わず自身が事前に用意した直登ルートを選択する事に及んだ。神社をスタート地点として、標高510mの三角点までは、藪漕ぎのない辛い激斜面(植林地帯)が連続するが、そこから西側の山頂まで木々が少なく、比較的起伏の少ない痩せ尾根上を歩く事になる。ちなみに神社からの所要時間は60分

2011年12月 2日 (金)

外村城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市弥栄町溝谷にあって、外村(トノムラ)集落より川を隔てて南側にある、「萬願寺」背後の丘陵上に位置しており、縄張りはこの丘陵上全域に渡るものと見受けられ、比較的広大な城域を誇る山城の多い丹後にあっては、中規模の部類入る山城と言えるものである。城史に関しての詳細は不明であるが、唯一能勢氏の居城が伝わっており、北摂(大阪)を本拠とした能勢氏との関係(庶流か?)は直ぐに浮かぶものの、現状丹後の能勢氏に関しての情報は皆無に近いものであり、推察の域は出ないものでもある。

城跡を訪れるには、県道53号へ進入する事が先決となるが、先にリポート掲載を終えた楽寺城を起点とすれば、その位置(ルート図参考)は分かり易いとは思われる。入山口となるのは「萬願寺」背後の集合墓地からで、参拝山道で集合墓地最上段まで上り、そこから山上最高所を目指せば直ぐにでも主郭が迎えてくれよう。当然その尾根上にも郭は展開されているので、縄張りを見極めながらの遺構見学となるが、、、

1_1 登城ルート

7 進入経路

1_2 城跡概念図

現状(11月)城跡は、藪化も地表風化も随分進行しており、尾根上郭群から山上主郭に至るまでは、低草木や下草が多く蔓延り、長年の堆積物によって地表(削平地)も露見していない箇所が多々あるが、主郭周辺だけに関しては、意外にましな状態にあると思って頂いても良いだろう。他は郭移動に差し支える箇所も多く見受けられ、自ずと木々の隙間を潜り抜けながらの遺構見学となるが、縄張りの六割程度を踏破すれば由、とした気持ちで臨む事が肝心となるだろう。城跡の形態は、大雑把な概念図を参考にして頂ければ良いが、移動可能な範囲が限られた事もあって、流石に全体の縄張りを掌握するまでには至れなかった。その中にあって見所となるのは、主郭背後に施された僅かに二重堀切に見えなくもない大堀切、各郭群における鋭角に削り落とされた切岸という事になろうが、山上本郭群における周囲斜面上は、踏破する事も外見から窺う事も出来る状況にはなかったので、残存遺構(縦堀など)に関しては、決してこれだけには終わらないものと思って頂きたい。

15 西尾根上の郭群

17_kaku 主郭西側の郭

22_shukaku_heki_1 主郭切岸見所

31_heki 見事な郭切岸見所

25_shukaku 主郭の現状

26_daihorikiri 大堀切見所

28_shukaku_horikiri_heki_1 主郭、堀切壁

遺構見学を目的として臨むのであれば、とても満足感の得られる状況にあるとは思えないが、ほぼ全貌の窺える大堀切が拝める事だけを理由にすれば、山城ファンの方だけには何とかお薦め出来るかも知れない、もちろん状態は決して問わない事が前提となるが、、、個人的に城跡を評価するのであれば、「実に勿体無い山城!」の一言で片付ける事が出来ようか、、、

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