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2011年11月

2011年11月30日 (水)

等楽寺城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市弥栄町等楽寺にあって、「等楽寺」背後の標高約136mの丘陵上先端部に位置しており、詳細は不明であるが、城史に関しては伊藤氏の居城が唯一伝わっている。

城跡を訪れるには、県道53号へ進入する事が先決となるが、先に触れた「等楽寺」を目指せば、付近までは難なく辿り着ける筈である。現在、小規模な山上本郭の片隅には、参拝客の途絶えた小さな社殿が建っており、麓の「白山神社」をスタート地点として、下草の多く蔓延る参拝山道を利用して上れば、迷わず社殿のある本郭までは到達可能となっている。神社から5分程度)。

1route_1 登城ルート

4 城跡遠望

3_1 城跡概念図

10 登山口

城跡の形態は、シンプル極まりない事もあって、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないとは思われるが、とにかく村の城の域は出ない、小規模な山城と思って頂ければ間違いないだろう。その中にあっては、自ずと目に留まる遺構も限られてくるが、本郭と尾根を遮る二重堀切が、唯一この地を城跡として物語っている。現状(10月)、小規模な社殿敷地が唯一地表が露見している場所であり、小さな山上本郭のほぼ全てが、地表も見えないほどの下草で覆われており、郭切岸が拝める箇所は無きに等しい状況にあるが、この規模を思えば、下草で隠れた部分に更なる遺構が眠っている様にはとても思われず、「山城としての佇まいを味わう為、あるいは二重堀切の見学だけを目的として訪れる城跡」、と言っても過言とは思えないものと感じられたのである。城跡を少し過大評価するのであれば、中腹に位置する白山神社敷地が、かつての屋敷跡地として見れなくもないが、、、、

12_sanjyou_kaku 山上本郭

13_yagura_top 本郭最高所より

15_sita_horikiri_1 16_horikiri_1 二重堀切見所

城跡を個人的に評価するのであれば、圧倒的お手軽感を加味した上でと言う事にはなるが、弥栄地区における山城巡りの一環として気軽に立ち寄る程度の山城、といった処かも、、、

2011年11月28日 (月)

三波城跡(兵庫県朝来市)

城跡は兵庫県朝来市和田山町三波にあって、竹田城からみれば遠く北西側の丘陵上に位置しており、「山城の郷」を経由して竹田城駐車場まで向かう、車道入り口から数キロ離れた真西側にある。城史に関しての詳細は不明であるが、築城環境から考えれば、太田垣氏時代において竹田城の出城(砦)として機能していたものか、、、

城跡を訪れるには、先に触れた竹田城駐車場へ向かう裏道を起点とすれば分かり易いが、136号を西進すれば、左手道路沿いに三波城址標識(初回訪問時には掲げれていなかったが、)が目に留まる筈であり、城跡の位置確認は容易いとは思われる。城跡への進入口は、どこから取り付いても上れた以前と違って限られてくるが、概念図に示した入山ゲートを必ず潜らなければならない。そこから上れば藪漕ぎもなく、最短距離で主郭までは辿り着ける筈である(5分内)。

1route_2 登城ルート

6_nyuuzanguti 入山口

3 城跡概念図

但馬地方における山城も、個人的には竹田城を訪れる(五回目)ついでとして、近くにあるお手軽感のある山城を再訪するケースも増えて来ているが、この山城も竹田城及び観音寺山城の訪問ついでに、立ち寄ることになった山城の一つでもある。最初の訪城が10年ぐらい前に遡る事になるので、概念図としての記録も残しておらず、見応えのある遺構がなかったせいもあるが、縄張りも含めて頭からほぼ記憶は消え失せていた。もちろん結果からも見応えのある遺構にはほとんど期待出来ないといった事になるが、その中で敢えて見所を挙げるとすれば、状態の良い切岸、櫓台とも察せられた土塁郭だけに限られて来るが、主郭切岸が麓まで自然に落ち込む様は、切岸の醍醐味だけには何とか触れる事が出来ようか、、、他では主郭南背後に自然地形を取り込んだ形の、人為的とも思えた大空堀地形が目に留まったが、遺構としての正否の判定は難しいと言った処か、、

10_shukaku 主郭の現状

13_shukaku_yagura_2 主郭櫓台見所

25_shukaku_kitaheki 主郭北側切岸見所

23_kitakaku_gun_1 北郭群

20_nansei_kaku 巨大空堀(自然地形か、)

27_kitakaku_gun_heki 北段郭切岸

コンパクトにまとまったその形態は、ほぼ概念図に示した通りと思って頂いても良いかも知れないが、植林地に城跡があるお陰で、比較的見学し易い状況は、現在に至るまで自然維持されており、和田山地区における山城巡りの一環として、圧倒的お手軽感も加味すれば、充分訪れる値打ちのある城跡という事にはなろうか。

2011年11月26日 (土)

遺構見学と並んで、登山も楽しめる貴重な山城 衣笠城跡(兵庫県朝来市)

城跡は兵庫県朝来市山東町与布土(ヨフド)にあって、標高430m(比高260m)の険峻極まりない山頂に位置しており、山上最高所に小規模な主郭を構え、西痩せ尾根上には西郭、更に中腹尾根上には、城郭の中枢部と察せられる規模の大きい郭を構えたものであり、主郭斜面には防備としての切岸と並んで、城跡最大の見所遺構とも言える三重堀切が、一際存在感を浮き出させている。但馬地方の国人領主のほとんどは、かつて但馬守護の地位にあった山名氏、あるいは山名四天王の傘下にあったものと思われるが、高所に築く事こそが、城郭を防備する上での最大の防御と考えたものか、山上最高所に主郭を構えた城跡が圧倒的多数を占めている。この城跡もその中の一つと言ってもよいのだろうが、正に要害堅固を地でいく山城の一つと眼には映ったのである。城史に関しては唯一松岡氏の居城が伝わるが、詳細は不明

1_1 登城ルート

7_nyuuzanguti_1 登山口

1_2_2 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、主郭四方斜面が何れも崖状急斜面となっている現状を思えば、この山城に縄張り妙味などは全く必要としないのも当然であり、そのお陰で山頂まで上るには相当足腰に負担を強いられた。しかし西郭からの眺望の素晴らしさや、主郭東斜面に施されたほぼ全貌の窺える三重堀切を目の当たりにすれば、その疲れも一掃される様に感じられたのである。現状主郭からの眺望は木々に遮られて全く利かないが、西郭端から下界を見下ろした景色は、時代こそ違え、間違いなく当時の人々が覗いた景色であり、その数キロ先まで見通せる抜群とも言える築城環境は、築城地としてはこれ以上望めない最高の地とも思われた。更に露岩に腰掛けて遠くを眺めれば、当時に思いを馳せる事も容易く、当時の人々の情感にまで触れる事が出来る様な気がしたのである。

10_tozandou_bunkiten 登山道分岐地点

17_tyuufuku_kaku 大規模な中腹尾根郭見所

26_oku_yagura_1 痩せ尾根上の西郭

33_shukaku_1 主郭の現状

36 三重堀切見所

40_tatebori 縦堀見所

41_sita_yori_horikiri 東より堀切、主郭切岸

城跡を個人的に評価すれば、見応えのある遺構は三重堀切だけと言っても過言とは思えないが、確かな登山道で山登りを楽しみながら上れる事、眺望が素晴らしい事、おまけに遺構見学まで楽しめる事を加味すれば、山城ファンの方だけに止まらず、史跡ファンの方まで含めた全ての方を対象としてお薦めしたいと思えたのである。

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた与布土氏城を起点とすれば分かり易いので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、ルート図には276号から南下して登山口まで向かうルートを示した。入山口には「衣笠城址登山口」と表記された看板が掲げられているが、ここから登山道に従って休まず上れば、約30分程度で山頂へは辿り着ける筈である。ただ沢沿いに上る道中においては、丸木橋を越えて登山道が二手に分かれる箇所(道標はない!画像に注目)があるが、必ず左側の山道へ向かう事!

2011年11月24日 (木)

久住日ヶ谷城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市大宮町久住にあって、以前久住あるいは久住別城をリポートした事があったが、ルート図にも示した如く、同じ久住日ヶ谷地区にある別城から見れば、谷状地形を挟んで、直ぐ東側に隣接した丘陵上に位置している。個人的には同地区に掲げられてあった遺跡案内板(画像に注目)から、後になってこの城跡の存在が分かった事もあり、結果的に効率の良い同日訪問とはならなかったが、城跡としての識別呼称が判明しないまま、今回は小字名を採用した「久住日ヶ谷城」としてリポート掲載に及ぶ事となった。本来なら一城別郭として考えれば良いのだろうが、丹後の城跡は一つ尾根が違えば、別の城跡名になっていたりする事実(識別する為)も含めて、この城跡が久住別城の東側に位置する事から、別東城」あるいは「別支城」として識別されている可能性は充分考えられるので、城跡呼称に関しては柔軟に対応して頂きたい。

1route 登城ルート

6 直登取り付き地点

1z 地元遺跡案内板の一部

3_1_2 城跡概念図

城跡を訪れるには、久住別城を起点とすれば一目瞭然とも言えるので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、直登取り付き地点は概念図には示した付近で、その地点からそのまま丘陵上を目指して上れば、直ぐにでも本郭群に辿り着ける筈である。

城跡の形態に関しては、大雑把な概念図を参考にして頂ければ良いのだが、現状(11月)、主郭と察せられた外壁が切岸処理された細長い郭は、全域が下草や矢竹で覆われており踏み入る事も出来ず(面積の約半分)、その内部に至っては視認による確認すら困難な状況となっている。ただし主郭の両サイドを固める、重なり合う帯郭群は比較的ましな状態にあるので、ほぼフラットな状態に自然維持された、帯郭を移動しながら歩き回れば、何とか遺構見学も成立するのではないだろうか。遺構として判別し易い空堀の類は全く目に留まらなかったが、高低差はないものの、直立に近い形で削り落とされた、比較的状態の良い切岸は、充分見学者の目は楽しませてくれる筈である。規模は別城より随分勝るが、遺構の見応えに関しては、畝状空堀や堀切、あるいは縦堀が施されたと別城とは、当然比較するレベルには達していないと思って頂いても良いのかも知れない。

9 郭切岸

12_dankaku_heki 15_heki 西郭の見事な切岸

17_minami_obi 南東側帯郭

18_shukaku 残念な主郭の現状

城跡を個人的に評価するのであれば、残存遺構に見応えは望めないが、切岸の醍醐味には充分触れる事が出来ると思われたので、お手軽感も加味して、久住城及び別城を含めた山城巡りの移動中に立ち寄る程度なら、決して無駄足には終わらない城跡といった事になろうか、、、

2011年11月22日 (火)

大堀切を境とした双頭の本郭がユニーク 吉沢城跡(京都府京丹後市)

城跡は京丹後市弥栄町吉沢にあって、低丘陵先端部分にある「早尾神社」敷地一帯が城跡となっている。この弥栄町も峰山町などと並んで、数多くの山城が築かれた地域でもあるが、個人的にはこの城跡が弥栄町における最初の訪問地となった。城史に関しては松田氏の居城が伝わる程度で詳細は不明

城跡を訪れるには、ルート図に示した様に、既にリポート掲載を終えた丹波城を起点とすれば、その位置は分かり易いと思われたので、訪問ルートの説明は今回割愛させて頂くが、「早尾神社」を目指せば自ずと城跡へ辿り着けることになる。

1route 登城ルート

3 城跡概念図

この城跡は概念図を見ればお分かり頂ける様に、丘陵先端部を強引に削り出して築き上げられたものであり、中央大堀切を境にして、突出した形で双頭の本郭群が形成され、更にそこから麓に向いて梯郭式に郭を連ねたものでもある。丹後の城跡にある程度共通する、自然地形をそのまま縄張りに取り込んだものとは少し特徴を異にしており、コンパクトにまとまった整合感の感じられる、ユニークな縄張りを特徴としている。城跡の見所は三箇所に施された大空堀(縦堀)、及び突出した形で聳える双頭の本郭群切岸、二箇所の大土塁という事になろうが、ほぼ全貌の窺える本郭切岸の醍醐味は、半端なものではないと眼には映ったのである。空堀は何れも幅を伴い、麓近くまで落ち込む様は、掘削幅がある事から非常に見応えを感じるものとなっており、中央に施された大堀切は堀底道を兼ねた機能とも察せられたが、小さな祠の建つ便宜上の副郭には、今でもこの堀底道を通過して上れる様になっている。他ではほぼ完存とも言える形で残っている、大土塁も副郭で目には留まったが、郭内における藪化は相当激しく、傍まで寄らないと判別確認は難しいものとなっているのが非常に残念な部分、、、

11_3kaku_heki 三ノ郭切岸

12_shukaku_heki_1 主郭切岸見所

14_naka_daihorikiri_3 中央大堀切見所

18_shukaku_1 主郭

15_koguti_daidorui_1 三ノ郭南大土塁見所

28_minami_daikarabori_1 南側の大空堀見所

30_kita_daikarabori 北大空堀見所

32_naka_karaboridou_1 中央空堀道見所

概念図に示したまでが、現状(10月)において藪漕ぎもなく踏破確認に及べた範囲、あるいはその中で判別確認可能な遺構と思って頂ければ良いが、副郭及び三ノ郭の一部は、相当藪化が進行している状態と思って頂いても良いだろう、冬季訪問は少し期待が持てそうには思われるが、、、城跡を個人的に評価したなら、圧倒的お手軽感、先に触れた三本の空堀の見応え形態のユニークさ、更に切岸の醍醐味などを加味すれば、自ずと是非お薦めの城跡と言う事にはなるだろう。丘陵先端部に凝縮された、見応えのある遺構の数々(見所が多い)は、決して期待は裏切らないものと自分の眼には映ったが、状態は決して問わない事が前提とはなるだろう。

2011年11月20日 (日)

本郭周辺に凝縮された遺構が最大の見所! 与布土氏城跡(兵庫県朝来市)

城跡は兵庫県朝来市山東町与布土溝黒/山歳にあって、標高190mの南北に長い、独立した低山山上に位置しており、神社のある低山南側を本郭群としている。城史に関しては、館城としての認識があるものと察せられるが、与布土(ヨフド)氏館とも呼ばれており、氏は山名氏と時を同じくして滅亡した模様。その後の詳細は不明

城跡を訪れるには、総石垣城として全国的に名を馳せている、竹田城を起点とすれば分かり易いが、国道312号の「竹田」の信号より277号へ進入(東進)すれば、付近までは迷わず辿り着けるとは思われる。277号と276号の交わる交差点から城跡の位置する低山は直ぐ確認する事が出来るが、ルート図に示した大きな集合墓地の石碑横にある、社務所背後から神社跡を通過し、そのまま斜面を上り切った先には、大土塁を伴う見事な堀切(縦堀が見応えあり!)が待ち構えてくれている筈である。(ちなみに5分程度)

1route 登城ルート

9_horikiri_tikei 進入経路

3_1 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、低山でありながら斜面は非常に急峻な地形となっており、山上郭群を二分する二本の大堀切、斜面に施された縦堀、郭境とする横堀、土塁、おまけに主郭には櫓台(古墳の代用か?)などが物語る様に、居館跡とするには多少縄張り妙味が感じられ、縄張りプランは限りなく山城のそれに近いものと、自分の眼には映ったのである。規模は南北100mには軽く達するものであり、その中に凝縮された遺構の数々は、どれも判別確認し易い事から、間違いなく見学者の目は楽しませてくれるだろう。

13_minami_horikiri_4 南大堀切見所

13_tatebori 縦堀見所

16_shukaku_2 主郭の現状

21_kita_horikiri_1 北大堀切見所

23_dai_karabori 西斜面の大空堀見所

32_shukaku_higasi_heki 主郭切岸見所

35_higasi_yokohori_ato 主郭東腰郭の横堀跡

36_yokohori_2 横堀見所

現状(10月)主郭を含めた郭内には、シダを含めた多くの下草が蔓延っているが、郭移動を含めて見学に差し障るまでには至っておらず、植林地となっている為に蔓延る木々は意外に少なく、見通しが利く事もあって、本郭群周辺だけに限れば、比較的見学し易い状況の下にあると思って頂いても良いだろう。ただし北郭側へ向かうほど藪化はそれなりに進行しており、東腰郭斜面側は、地表も見えないほどの下草に覆い尽くされているのが現状でもある。北郭に関しては、倒木などで歩き辛い場所も多々見受けられるが、目立った遺構も存在しなかったので、この程度なら由としなくてはいけないだろう。

城跡を個人的に評価すれば、主郭周りに展開される堀切を含めた空堀群、高低差を伴う切岸の醍醐味、ほぼ完存とも見受けられた遺構残存度の高さ、更に圧倒的お手軽感も加えれば、間違いなくお薦め出来る城跡の一とは言えようか、、、

2011年11月18日 (金)

竹田観音寺山城跡(兵庫県朝来市)

城跡は兵庫県朝来市和田山町竹田にあって、標高約310mの山上に位置しており、総石垣城として名を馳せている、あの竹田城の北出郭に相当するものでもある。竹田城を既に訪れた城跡ファンの方の多くは、この山城の訪城も終えておられるとは思われるが、中世山城の祖形を今に至るまで維持していると思われる、貴重な山城と目に映った事から、まだ未訪の方の為に敢えて現況をリポートさせて頂いた。

城跡への登城ルートは三通り考えられるが、ここでは自分を含めた遠距離訪問者の為に、竹田城の見学も兼ねた短時間で観音寺山まで辿り着ける、比較的楽なルートをお勧めしたい。それは駐車場までは車を利用し、そこから一旦竹田城花屋敷まで遊歩道に任せて上り、竹田城に残された遺構を味わいながら大手門に向かい、「竹田小学校へ」の道標より観音寺山に向いて下りる形のルートとなるが、道標からは5分程度で到達可能と思って頂ければ良いだろう。尚、少し遠回りにはなるが、駐車場から直接竹田城大手門まで遊歩道を利用して歩いて向かっても良いだろう。麓から登山道に任せて上れば、間違いなく30分以上は費やされるので、遠距離訪問者は迷わずこのルートをチョイスして頂きたい。ただし山登りも同時に楽しみたいのであれば、駅裏からの登山、あるいは竹田小学校背後からの登山と言う事になるが、、、尚、土日訪問においては、南側から駐車場まで向かう車道は利用出来ない(進入禁止)ので注意が必要!

1route_3 登城ルート

1z 土日用の西側ルート

5 観音寺山登山道分岐地点

3_1_2 城跡概念図

城跡の形態は概念図を参考にして頂ければ良いとは思われるが、小規模な山城の一城分に匹敵するとはいえ、山上本郭を中心として、枝尾根急斜面上を削って築かれた小規模な郭群は、所詮出城(砦)の域は出ないものとも言えようか、、ただ遺構見学においては、土塁を伴う堀切や、高低差を伴う切岸畝状空堀に近い形で連続する縦堀、その縦堀に絡む僅かな横堀地形、更に石垣跡(一箇所に限られる)も窺われるとあって、充分見学に値する、値打ちのある山城と眼には映ったのである。特に縦堀(北斜面)などは状態が比較的良い事から、下まで一直線に落ち込む明瞭なものを拝める筈である。(概念図中に見所とした縦堀は、決して見逃さない様に!)

18_shukaku_2 主郭の現状

32_yokobori_ato 僅かな横堀跡見所

37_sita_horikiri_tatebori 東端堀切見所

24_kita_tatebori 北斜面の縦堀見所

36_higasikaku 東郭

31tatebori 連続縦堀見所

34_higasi_gedan_isi_2 東郭石垣跡見所

38_shukaku_higasiheki 主郭東切岸見所

現状(10月)城跡は、郭跡もその切岸斜面も含めて、比較的見学し易い状況にあるが、植林地側の北斜面と、雑木の密生する南東側斜面では全く様相は異なり、自ずと南側の連続縦堀は、草木に埋もれたままの縦堀を拝む事になる。当然判別し辛いのが現状でもあるが、確実に三本が確認出来た事だけはお伝えしておきたい。石垣跡に関しては一箇所だけ目に留まったが、段郭群における崩落石の多さ、あるいは石垣用とも思える切り出し石の多さを考えれば、本来この山城も竹田城と同様に、郭壁を石垣で固めた山城ではなかったのかと思えてくるのである。もちろん総石垣城は有り得ないとは思われるが、竹田城築城の際には、ここから相当な量の石が運ばれた事だけは想像が付く、、、

2011年11月16日 (水)

痩せ尾根岩盤上に佇む小さな山城 岩洲城跡(兵庫県朝来市)

城跡は兵庫県朝来市朝来町山口にあって、標高469mの山頂から北西側に派生する、険峻極まりない痩せ尾根上の岩盤の上に築かれたものであり、城跡自体は標高330m付近に位置している。文献資料による違いはあるが、山口城とも呼ばれており、秀吉による但馬攻略軍によって落城の歴史を伝えている。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、国道312号へ進入する事が先決となるが、播但連絡道路を利用すれば朝来ICが最寄の乗降口となる。入山口付近の目印となるのは、国道と一般道への分岐地点にある「山口護国神社」で、ここから約100m程度北側に歩いた地点の入山口には、「妙見宮」の道標もあるので分かり易いとは思われる。道標から「妙見宮」社殿の建つ本郭群までは、九十九折の下草も生えていない確かな参拝登山道で迷わず辿り着けよう。(約20分)

1_2 登城ルート

1_3 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に示した通りと思って頂いても良いとは思われるが、主要三郭で形成されたその規模は非常に小さく、本郭群の全長は40mにも満たないものである。その中で判別確認に及べる遺構は数も少ないが、郭跡を除けば主郭背後尾根を断つ二重堀切、郭側壁の石垣跡といった事になるだろう。ただこの二重堀切は左程深く削られたものではないが、痩せ尾根上の自然岩を砕き削ってまで施されたものであり、縦堀となって下まで落ち込む様は、空堀の醍醐味には充分触れる事が出来、城跡にあっては一番見応えを感じるものとなっている。石垣跡に関しては、社殿を区画する石垣は間違いなく近世のものと窺われたが、郭側壁を形成する部分の石垣は、明らかに社殿建立時に構築されたものとは異にする(積み方が違う)ものであり、個人的には当時のものと眼には映ったのである(見学者の推察に委ねられる部分)。

20_shukaku_2 21_myouken_1 本郭群

18_nisi_isigaki_1 石垣跡見所

23_haigo_yagura 本郭背後の巨岩見所

23_haigo_yagura_2 本郭背後、櫓台か

26_2jyuu_horikiri_2 二重堀切見所

29_minami_yori_horikiri 南尾根より二重堀切側

城跡を個人的に評価するのであれば、険峻な地にある楚々とした山城に魅力を感じる事の出来る山城ファンの方には、岩盤を砕いてまで施された、二重堀切が拝める事だけを理由にすれば、間違いなく「是非お薦め出来る山城の一つ」と言えようが、妙見宮からの眺望が抜群な事、参拝登山道で迷わず辿り着ける事を加味すれば、山城ファンの方だけを問わず、一般城跡(史跡)ファンの方にも、是非一度訪れて、当時に思いを馳せて頂きたいと思えたのである。険峻極まりない地の、更に岩盤上に築かれた事自体が城跡最大の魅力でありロマン、この佇まいこそが最大の見所と見た、素晴らしい!

尚、城跡を過大評価するのであれば、標高469mの山頂には本郭群があって然るべきとも考えられた(推察)事から、個人的には更に山頂を目指して上ったが、不覚にも、山頂手前付近の滑り易い砂利状の崖状急斜面に足を取られ、少々手傷を負った事から、山頂までの登頂は断念せざるを得なかった。よって自身が勝手に推察した山上本郭群の有無までは、今回は確かめるまでには至れなかったので、どうかご容赦願いたい。

2011年11月14日 (月)

内記城跡/鶴ヶ尾城跡(京都府京丹後市)

この二城はどちらも京丹後市峰山町にあって、鶴ヶ尾城は丹波地区、内記城は内記地区にあるが、ルート図からお分かり頂ける様に、先にリポート掲載を終えた丹波城から見れば、鶴ヶ尾城は直ぐ西側に位置する低丘陵上にあり、内記城は川を隔てた南東側の低丘陵上にある。城史に関しては、前者が後藤駿河守の居城、後者が白杉主税の居城と伝わっており、細川氏に降ったものか滅ぼされたものかの何れかになるのだろう(推察)、詳細は不明。

城跡を訪れるには、丹波城を起点とすれば分かり易いが、城跡進入口はどちらもルート図を参考にして頂ければ、更に分かり易いとは思われる。

Naikijyou_1 登城ルート

まず鶴ヶ尾城は丹波城のリポート記事中で触れた様に、残存遺構の期待は余り持てないものであり、丘陵上のほぼ半分以上が集合墓地と化し、更に低草木の蔓延る藪化の相当進行した状態は、遺構見学としては楽しむまでには至れず、郭壁随所に切岸跡は窺えるが、現状(10月)踏破した範囲(東端までは踏破していない)では、空堀の類は眼に留まらなかった。取り合えず未踏の部分に僅かに期待が持てるかも知れないが、、、

2 鶴ヶ尾城進入経路

3 進入口

4 集合墓地と化した西郭群

5 本郭群東斜面の腰郭

内記城も相当藪城化しており、概念図に示した山道ルートの終点から藪を掻き分けて中へ進入すれば、直ぐにでも主郭へ到達可能となっているが、とにかく醜い状態にあると思って頂いても良いだろう。現状藪漕ぎしながらでも確認出来た遺構は、丘陵最高所に位置する主郭跡らしき削平地、その北側に施された空堀土塁地形、北側に向いて重なり合う数段の郭跡だけと言っても過言とは思われないものであり、画像を載せた一部の地域を除いては、踏み入る事も出来ず、縄張りはもちろんの事、堀切の有無や土塁の有無も含めて、残存遺構の確認すらままならない状況となっている。冬季訪問に僅かに期待は持てるかも知れないが、年中矢竹の蔓延る地域となれば、それもほとんど期待薄といったところか、、、、

Naikijyou_2 内記城進入経路

Naikijyou_3 進入口

Naikijyou_6北郭の一部

Naikijyou_4 空堀土塁地形

Naikijyou_5 北段郭群

この二城に関しては、今まで城主のはっきりした丹後の城跡で、残存遺構を含めて期待はずれに終わった城跡がなかった事もあって、個人的には遺構見学として相当な期待を抱いて臨んだのだが、踏破も出来ない環境では遺構見学どころではなく、これからも良い方に状態が改善されるとはとても思えず、取り合えず外見から城跡の風情を楽しむしか方法はないのかも知れない、、、残念!(鶴ヶ尾城はまだ踏破可能な状況にはあるが、、)

2011年11月12日 (土)

外見から縄張りのほぼ全体像が拝める貴重な城跡 丹波城跡(京都府京丹後市)

この山城は、比較的大型の城郭の多い丹後にあっても、充分大型の城跡の一つと言えるが、郭の展開される東西に長い低丘陵上全域がそのまま城域とも察せられ、郭群とも見受けられた西最高所から更に西側は、地形改変の窺われる集合墓地、本郭群から便宜上の東城までの間は、踏破も出来ないほどの竹林雑木密生地となっており、結果的には全体踏破は叶わなかった。よって今回リポートに及んだ城跡は、本郭群より築城時期も新しく(推察)、単独で一城にも匹敵する規模を備えた東城と言う事になるが、丹波城の本質は、あくまで丘陵上全域に渡るものであり、丹後では決して珍しくはない、広大な規模を誇る城跡の一つと自分の目には映ったのである。城史に関しては唯一、由利助之進の居城が伝わっており、この城も他の丹後の城と同様に、丹後攻略軍(細川氏)によって落城した模様。笹ヶ尾城、あるいは笠ヶ尾城の別称がある。

1x

登城ルート

14

進入経路

3a

城跡概念図

   城跡の形態、あるいは踏破確認に及んだ遺構は概念図には示したが、郭を複雑に麓に向いて重ねただけの、古い形態の西本郭群からみれば、この多少整合感の感じられる縄張りは掴み易いものであり、戦国末期にはこちらが本城として機能していた様にも窺えたのである。現状(10月)画像を見ればお分かり頂けるように、城跡全域を覆い尽くしていたと思われる竹林雑木藪は、全て伐採された状態にあり、切岸及び郭跡は全て露見した、遺構見学としてはこれ以上望めない、素晴らしいコンディションの下にあった。相光寺のご住職から、最近伐採されて城の輪郭が初めて露わにされた事を聞き及んだが、遠くから望んでも直ぐ山城のそれと分かる段状になった切岸壁の様相は、当時に思いを馳せる事も容易く、充分戦国ロマンには浸れそうに思えた。見所は全て露見した佇まいそのもの!」、と言い切れそうには思われるが、城跡の評価としては、自ずと是非お薦め出来る城跡の一つという事にはなるだろう。

12 登城道より

21 主郭及び三ノ郭切岸見所

32_3kaku_gawa 二ノ郭と三ノ郭

27_2kaku_1 城中最大、二ノ郭

25_2kaku_yori_shukaku 主郭側

34_shukaku_dorui_2 主郭土塁跡見所

36_nisi_horikiri 西堀切見所

城跡は京丹後市峰山町丹波にあって、訪れるには国道482号へ進入する事が先決となるが、その国道沿いにある「丹波小学校」を目印として目指せば分かり易いだろう。車はルート図にある「相光寺」の駐車場に一旦預ける事になるが、城跡への進入口は概念図には示したので直ぐ分かるとは思われる。ただ登城口にあたる突き当たりの住宅には、けたたましく吠えまくる番犬がおり、個人的には近所迷惑になると思われた事から、東側から藪漕ぎしながら上った事だけは付け加えておきたい。下山時は吠えまくりの犬とはなるべく眼をあわさない様にして、住宅にお住まいの方に挨拶だけして足早に去ったが、、、、

42 西本郭群進入口

47_2 47_3 西本郭群

此れを機に訪れる用意のある方には、藪化進行中にあり状態は良いとは決して言えないが、ついでに西最高所にある本郭群も含めた遺構見学を楽しんで頂きたいと思えたのである。尚、ルート図中に記した鶴ヶ尾城の現況報告は少し後の予定

2011年11月10日 (木)

赤坂今井城跡(京都府京丹後市)

城跡は京丹後市峰山町赤坂今井にあって、古墳発掘作業が中断中にある、低丘陵上を城郭としたものである。よって正確に埋め戻し作業の行われていない、造成整地された現状を踏まえれば、本来の縄張りはほぼ見学者の想像に委ねられるものと言っても良いのかも知れない、、、城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、県道17号へ進入する事が先決となるが、赤坂今井」の交差点を目印として目指せば、その手前(南側)で目に留まる丘が城跡でもあり、位置確認は容易いとは思われる。道路沿いから遊歩道に従って上れば、直ぐにでも辿り着けるが、概念図に示した様に、幅のある箱堀地形とその西側尾根上の削平地、及び主郭部分周囲に施された帯郭が、現状唯一城跡を感じさせるものと思って頂いても良いだろう。ただこの箱堀地形も、発掘作業においてどれだけ地形改変があったものかは見当も付かず、見たままで箱堀としたが、本来は通常のV字形の堀切であったのかも知れない、、、謎。

1route_2 登城ルート

4z 城跡進入経路

3a 城跡概念図

城跡を個人的に評価すれば、遺構残存度の低さ(推察)から察すれば、間違ってもお薦めとは言えないが、この現況リポートに興味を持たれた方、あるいは県道移動ついでに立ち寄る余裕のある方だけが、訪れる対象となる城跡といった処になろうか、ただ城跡も含めて、史跡(かつての古墳)として訪れる分には、多少でも値打ちは感じられるが、、、

10_hakoboritikei_2 箱堀部分

13_shukaku_1 推定本郭

14_obi_2 推定帯郭

15_nisikaku_yori_hakobori 西削平地より本郭側

19_nisi_kaku_1 西削平地

尚、余談にはなるが、数年前より発掘中断中にあるこの古墳には、古代丹後王国を裏付けする形となる、巨大な木棺が土中深く眠っているそうであり、「当時は相当新聞を賑わせた事がある」、と地元の方から聞くに及んだ。中断された理由は自身でも直ぐ察しは付いたが、これは古代史や考古学に興味を持たれている方であれば、直ぐ理解出来る事とも思われたので、この場を借りての推論は避けるが、未だ解明されていない日本建国の謎を、少しでも早く解き明かして頂きたいと願う気持ちは、単純に国民の誰しもが望んでいる事と思えるのだが、、

2011年11月 8日 (火)

善願寺城跡(京都府南丹市)

この山城は、個人的には現在に至るまで全く認識のない山城であったが、京都府在住の山城ファンの方から頂戴した情報で、今回初めてその存在を知り得た山城の一つでもある。既に踏破して城跡遺構を確認された情報によれば、「山上郭は小規模ながら切岸跡の残る数段の郭で構成されたものであった」、といった内容であったが、その明瞭な切岸跡だけに惹かれて、今回踏破確認に及ぶ運びとなった。結果的には事前情報通り、山上郭群は4段程度の小規模な段郭群と、尾根上の削平地(南郭)で構成されたものであり、高低差には欠けるが、郭壁には未だ明瞭な切岸跡が残っていた。

城跡は京都府南丹市園部町曽我谷にあって、中土井集落の真西側に聳える低山山頂(標高247m)に位置しており、その北側の尾根上にある広大な削平地には、参拝客のほとんど途絶えた「白龍稲荷神社」が鎮座している。訪れるには下土井集落にある「大蔵寺」を目印として目指すと分かり易いが、寺院背後にある集合墓地から稲荷神社まで繋がる参拝登山道を利用して上り、そこから更に尾根伝いに真南側へ移動すれば、迷わず山上主郭までは辿り着ける筈である。車の駐車に関しては防災センター付近に路駐可能なスペースあり、ちなみに主郭までは所要時間20分前後

1route 登城ルート

4 城跡へのルート

3x 城跡概念図

城跡の形態は、概念図を参考にして頂ければ分かり易いとは思われるが、先に触れた様に遺構の見応えからは程遠く、切岸跡と削平地だけが城跡を物語るものと思って頂いても良いだろう。他では概念図に示した付近で薄い空堀地形らしき跡、山道かも知れない縦堀地形などが目に留まったが、これらは長年の地表風化や堆積物によって非常に判別し辛いものであり、ほぼ見学者の想像に委ねられるだろう。

13_karabori_ato_1 僅かな空堀地形

15_sanjyoukakukirikisi 北端郭切岸跡

16_kita_gedankaku_1 北下段郭と段郭切岸

18_obi 東帯郭と郭切岸

17_dankaku_heki_2 北段郭群切岸

21_shukaku_nai 主郭の現状

25_nantan_kaku 南端出郭

この山城に関しては、残存遺構の見応えだけで評価するのは少々無理があると思われるが、文献資料の類には全く顔を出さない、しかも限りなく無名に近い山城の一つという事を踏まえれば、京丹波地区を中心に城跡巡りをされている山城ファンの方だけが、訪問の対象となる山城と目には映ったのである。取り合えず他の山城ファンの方に対しては、城跡の存在とその所在地だけでも知って頂ければ、今回リポートした値打ちも充分あったものと言えようか、、

2011年11月 6日 (日)

技巧に富んだ三連の堀切は覗く値打ちあり! 善王寺小谷城跡(京都府京丹後市)

城跡は京丹後市大宮町善王寺にあって、善王寺集落から見れば南西側の丘陵先端に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、善王寺平岡城(丘城なので相当な藪城が予想される、、まだ未訪)が、この城跡の北東最前線にある事を踏まえれば、それの最終的な詰城と窺えるのかも知れないが、推察の域は出ないものでもある。どちらにしても吉原山城(一色氏本城)周辺に、防衛線として数多く築かれた山城の中の一つと言う事にはなるのだろうが、、、

城跡を訪れるには、まず峰山町に向かう国道312号へ進入する事が先決となるが、「河辺」付近の信号で659号へ針路変更、その後はルート図の如く、突き当たりとなる広い農道のある三叉路まで、そのまま車を走らせればよい。その正面には直ぐ鉄塔が目に留まるが、そこが主郭の位置でもあるので、城跡の位置確認は容易いものとは思われる。直登進入口は概念図に示した縦堀付近からで、少し藪状になった木々の隙間から斜面を覗けば、大土塁が傍に付随する縦堀地形は、直ぐ目に留まる筈である。

1route_2 登城ルート

3k 城跡概念図

この城跡も、丹後にあっては全く認識されていない影の薄い城跡の一つであり、当時は出城程度の機能を担っていた山城の一つとも言えようが、丹後の城跡らしく、突出した形でそそり立つ主郭を特徴としており、その高低差を誇る切岸は、鋭角に削り落とされた他の郭群と同様に、見応えだけは抜群なものとなっている。自らが踏破した範囲、あるいはその中で判別確認出来た遺構は概念図には示したが、この城跡の最大の見所となるは、主郭南端に施されたL字形の大土塁、更にその土塁背後の尾根を断つ変則的な三重堀切で、この三連の堀切は、中々他では類を見ない技巧に富んだものでありクランク状にも見える土塁は、縦堀が食い違えた形で構築されており、更に豪快な縦堀が谷状地形にそのまま落ち込む様は、正に圧巻と呼ぶに相応しい遺構と、自分の目には映ったのである。縦堀に関しては踏破した範囲で少なくとも西斜面で4本(4連にはなるが、構造上畝堀とは呼べないだろう)、東斜面で5本窺う事が出来たが、何れも見応えがある事を理由に、決して見逃してはならないだろう。これを機に訪れる用意のある方には、概念図に示したまでの見所遺構は、是非押さえて頂きたいと思えたのである。

8_daidorui_1 東大土塁見所

13_dorui_sita_yasiki 大土塁下の広い削平地

30_2maru_minamigawa 二ノ郭東側

35_shukaku 主郭の現状

36_dorui_nisigawa_1 主郭土塁見所

41_horikiri_3三連の堀切1見所

43_higasi_2ren_tatebori_1 縦堀2見所

44_kuitigai_tatebori_1 L字状の土塁と三連堀切(縦堀)見所

48_sanjyou_nobori_dorui 北端の縦堀3と付随する上り土塁見所

42_tatebori 縦堀1見所

現状(10月)城跡は、藪化は当然の如く進行中にあるが、主郭に送電鉄塔が建つ事からなのか、斜面の上り下りも含め、郭移動にも余り差し支える事無く見て廻れる、山城としては「比較的良いもの!」と答えられる、見学し易い状態が自然維持されている。当然冬季訪問ともなれば、更に見学し易い状況が予測されるが、、、、個人的に城跡を評価するのであれば、この技巧に富んだ三連の堀切だけを目的とした訪城としても、充分納得の行く山城巡りが成立するとも思える、「是非お薦め出来る城跡の一つ」と言う事になろうか。

2011年11月 4日 (金)

長岡城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市峰山町長岡にあって、比高30m程度のほぼ独立した丘陵上に位置しているが、この城跡に関しては、地元で紹介して頂いた経緯、あるいは地元に伝わる程度の無名に近い城跡ということもあって、城跡の識別呼称すら分からないでいるのが現状でもある。よって今回は、丹後にあるほぼ全ての城跡が、字名を城跡呼称としている事から、まず間違いないと思われる長岡城を城跡呼称として採用させて頂いたが、丹後にお住まいの方に委ねたリサーチの結果によっては、今後判明する可能性も多少あるといったところか、、、取り合えず城跡呼称に関しては柔軟に対応して頂きたい(小字名を採用したケースがたまに見受けられるので)。

城史に関しての詳細は不明であるが、自身が窺う限り、東西に長い丘陵上から南北麓にかけて、全て郭化が行き届いており、大型の城郭の多い丹後にあっては、今となっては珍しくはないが相当な規模を誇る城郭の一つ、と自分の目には映ったのである。今回は夕暮れに近い時分に訪れた事もあって、本郭群周辺を含めた丘陵上だけの踏破に終わり、大雑把な形態を示した概念図に終わってしまったが、裏を返せば縄張りを短時間で掴むには、少し規模が大き過ぎる城跡といったところかも、、、、

1route 登城ルート

2_3a 城跡概念図

城跡を訪れるには、まず国道312号へ進入する事が先決となるが、ルート図の如く長岡小学校を目指して車を走らせれば良いだろう。最短距離あるいは最短時間(5分内)で城跡まで辿り着ける、直登取り付き口は概念図には示したが、ここから進入すれば直ぐにでも段状に連なる削平地が出迎えてくれる筈である。ちなみに長岡小学校の西背後の集合墓地(郭転用地)から、城域の広さを体感しながら西へ歩いても、迷わず辿り着けるだろう。

12_karaboridou 素晴らしい状態の空堀道見所

15_karaboridou 北西郭間の空堀見所

16_nisikaku_karabori 西郭と空堀見所

18_shukaku 主郭の現状

30_kita_shukakuheki 主郭北側切岸

22_naka_kyodai_horikiri 中央大堀切(箱堀)見所

23_dai_tatebori_1 中央大縦堀見所

34_nannsei_karabori_tate 南西側の空堀見所

31_kita_dankaku 北麓に連なる郭群

現状(10月)城跡は、主郭跡も含めてその周辺は意外に蔓延る木々が少なく、ある程度見通しも利き、郭を遮る空堀(横堀)、大堀切(箱堀から繋がる大縦堀)、高低差を誇る主郭切など、意外にも外見から判別確認し易い状態にある。郭跡などは主郭を含めて、ほぼフラットな状態が自然維持されており、充分見学者の目は楽しませてくれているが、本郭周辺、あるいは東西丘陵上をほぼ占めた、東郭群以外の地は全て倒竹の多い竹林雑木林地にあるので、残存遺構の踏破確認は、麓に向かうほど非常に困難を極めるのが現実と思って頂いても良いかも知れない。見所遺構として挙げられるのは、先に触れた突出した高さにある主郭切岸を始めとした、鋭角に削られた郭切岸、及び横堀を含めた空堀群という事になるが、どれも見応えは充分感じられる筈である(特に中央に施された大堀切は見事!)。

この城跡は、地元でも一部の方にしか認識のない城跡であるが故に、自ずと山城ファンの間でも認識のない城跡の一つ、と見受けられるのだが、この見応えのある遺構群を自身が窺う限り、是非一度訪れて遺構の醍醐味に触れて頂きたいと思えたのである。

2011年11月 2日 (水)

規模は小さいが、明瞭な畝状空堀群が値打ち 万場城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市日高町万場にあって、「万場スキー場」入り口付近から見れば、ゲレンデに向いて運行するリフト傍の、真西側にある低丘陵上先端に位置している。城史に関しての情報は現状皆無に近いが、規模から思えば、砦の域は出ない城跡(出城か)ということになるのかも、、、。

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた東河内城と同様の訪問ルートとなる、国道482号へ進入する事が先決となるが、万場スキー場を目指して車を走らせれば、自ずと付近までは辿り着ける計算になる。城跡への進入口は概念図に示したが、休耕地(一部は当時の屋敷跡地の可能性もあり?)を通過した後、植林地となる急斜面に取り付いてそのまま上れば、藪漕ぎもなく、主郭までは数分で辿り着けよう。

1_1_3

登城ルート

1_2_4 城跡概念図

現状(10月)城跡は、主郭内部も比較的見通しが利き、意外に木々が蔓延っていない事もあって、郭移動に難渋する事もなく、ほぼくまなく見て廻れる状況にあると思って頂いても良いだろう。この時期でも見学し易い状態にあると言う事は、冬季訪問においては更に期待が持てるかも知れないが、城域は痩せ尾根丘陵上だけに限られると思われた事から、形態はほぼ概念図通りと思って頂いても差し支え無さそうには思われる。狭い三段郭が主郭に付随しただけの、小さな砦規模の城跡と言えば、これを機に訪れる方の想像も付き易いだろう。ただ小規模ではあるが、東斜面上には縦堀として掘削されただけには終わらない、縦堀間に受け土塁と横堀を絡めた、技巧に富んだ畝状空堀群や、主郭背後を断つ堀切などは、しっかりした縄張りプランの下で築かれた城跡だと言うことを如実に物語っている。見所は自ずと畝状空堀群及び堀切と言う事になろうが、地表風化の激しい切岸なども、それなりに目は楽しませてくれる筈である。

11_une_tatebori_1

下から見上げた畝状空堀見所

14_une  畝状空堀群見所

16_yokobori_dorui 横堀と受け土塁見所

12_yokobori_tikei 斜行状の横堀見所

20_toutan_kaku3 東郭3

28_oku_dorui 主郭内部、土塁見所

33_horikiri 西端堀切見所

城跡を個人的に評価すれば、上り始めて直ぐに拝める、比較的状態の良い畝状空堀群の醍醐味、更に圧倒的お手軽感も含めれば、自ずと是非お薦めの城跡と言う事にはなるだろう。もちろん規模は問わない事が前提とはなるが、、、先に触れた東河内城と併せた同日訪問とすれば、更に充実した山城巡りとなるのではないだろうか。

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