高い遺構残存度を誇る貴重な丘城 鱒留城跡(京都府京丹後市)
城跡は京都府京丹後市峰山町鱒留(マスドメ)上谷にあって、比高10mほどの低丘陵上に築かれたその様相は、正に丘城と呼ぶに相応しいものであり、その形態は館城に限りなく近いものでもある。文献資料による違いはあるが枡富城とも呼ばれている。城史に関しては当時笠縫国太郎の居城が唯一伝わっているが、丹後攻略軍によって城は陥落しており、氏は城から脱出を図ると同時に自刃した模様
城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた鱒留寺谷城を起点とすれば分かり易いので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、国道312号「比治山トンネル」東側にある、大呂口バス停を目印として目指せばよい。集落内に車の駐車スペースはないので、付近に路駐ということになるが、探せば何とか道路沿いに見つかる筈である。バス停付近から真北側を望めば、直ぐに墓地は目に留まるが、概念図に示した如く墓地を目指して歩いて向かえば、自ずと城跡へ辿り着く事が出来る筈である。
城跡の形態は、シンプルが故に縄張りは掴み易く、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、人家や農地が直ぐ傍まで迫った環境にありながら、見学し易い状態が自然維持されており、しかも丘城としてみれば、郭東先端部に墓地として多少地形改変が窺われるが、非常に遺構残存度は高いものとなっている。よって概念図に示したまでの遺構群は全て判別確認し易く、機能の想像も比較的付き易い状況にあると思って頂ければ良いだろう。丘城といえば直ぐ密生する竹林地が想像され、遺構の踏破確認も難しく、更に遺構の消失した城跡が多い昨今ではあるが、この城跡に関しては、丘城としては非常に見学し易い、レベルの高い状態にあるものと思って頂いても良いかも知れない。見所として挙げられるのは、高低差には若干欠けるが直立に削り落とされた切岸、堀切(縦堀)、重なる帯郭、明瞭な虎口跡などで、これらは充分見学者の目は楽しませてくれるものと見た、、、
城跡を個人的に評価すれば、縄張りは掴み易く、遺構の醍醐味は充分味わえ、集落全域の見通せるこの環境は、当時に思いを馳せる事も容易く、おまけに見学する圧倒的お手軽感も加味すれば、間違いなく是非お薦め出来る城跡の一つ、と自分の目には映ったのである。未だ当時の祖形を維持しながら、未だ丘城として在り続けているこの城跡の評価が、今回のリポートによって少しでも城跡ファンの方に理解して頂けたのであれば、このリポートも少しは値打ちがあったものと言えるのかも知れない、、、
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コメント
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takuさん
昨日遠征で訪問しました。いつもの丹後特徴とは違うスペックで印象に残ったので投稿します。
御記憶ありますでしょうか。
丘城ですが、前後左右に小さな段郭。下の方はかなり竹藪で荒れているが、主郭近くはくっきり。
間に明確な堀切。
まるでサイコロの様なお城でした。
ありがとうございます。
投稿: ヒデ | 2016年6月27日 (月) 15時23分
当ブログがヒデさんの訪城アシストとしてお役に立てて何よりですが、自身にとって最高の励みとなる言葉を頂き有難うございます。
そうですね、、、、ヒデさんの今後を思えば、よほどの機会が訪れない限り、丹後の山城は見納めになるやもしれませんね。又関西に戻れる事を期待するとしましょうか、、、
国道173号線の南行きで早朝5時頃からネズミ捕り? nnn信じられませんが、午後は時々しているので注意しながら走っています。
取り合えず車の先頭は走らない方がよいかもしれませんね。情報有難うございます。
この城跡に対してのサイコロ的比喩は、中々的を得ていると思います。それだけエッジの立った切岸が凄いという事でしょうか、、、丹後の山城はどれもそうですが、みんな個性があって、自身どれも印象に残っている城跡ばかりです。
関西在住も残り僅かとなってしまいましたが、満足の行く訪城が叶っているのであれば、私自身も非常に満足です。
投稿: TAKU | 2016年6月27日 (月) 18時19分