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2011年10月

2011年10月31日 (月)

荒山西城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市峰山町荒山にあって、標高123mの通称城山山頂に位置しているが、今回の訪問においては、西出郭とも窺われた出城から連続する削平地を経て、山頂まで至る東側斜面は、身動きも取れないほどの、ジャングルの如き密生雑木藪地となっており、流石に山上本郭までは到達する事が叶わなかった。よって今回のリポートは、山上本郭からみて西端に位置する、この西出城とも窺われる城跡の現況報告だけに終わったので、どうかご容赦願いたい。

取り合えずこの便宜上の西出城は、小規模な山城の一城に匹敵する規模を有しており、荒山城の本質(丹後の大型の山城に共通すべく、城域は相当広いものと考えられる)を探る上においては、単独訪問としても充分見学する値打ちのある山城と眼に映った事から、今回は荒山西城としてリポート掲させて頂いた。

1route_3 登城ルート

5 波弥神社

3a_2 城跡概念図

城跡を訪れるには、ルート図の如く国道482号より「波弥神社」を目印として目指せば良いが、迷わず到達するには赤線ルートを辿る事が肝心となろう。明らかに近年造成されたと思われる、「波弥神社」背後から丘陵最高所に建立された「山王社」敷地までが、出城としての縄張りと察せられるものであり、踏破した範囲内で目に留まった遺構は、全て概念図に示したつもりである。ただ波弥神社敷地も含めて、背後の切岸から尾根西端までは、それなりに地形改変はあって然るべきとも考えられるので、本来の縄張りは当然見学者の想像に全て委ねられるだろう。本郭群だけに関して言えば、祖形はほぼ維持されているものと眼には映ったが、、、、

9_2maru_heki 切岸斜面に築かれた石段

11_minamikaku_gun 南郭群

13_2maru 西郭

17_shukaku 山王社、主郭へ

20_horikiri_ato 堀切跡

踏破した範囲の中で見所遺構として挙げられるのは、西郭に残る塁虎口跡、虎口から登城道らしき山道に沿う形で備わる土塁(縦土塁)、主郭背後に一部参拝道として残る堀切で、山城ファンの方であれば誰でも判別確認可能とは思えた。もちろん丹後の城跡特有の、鋭角に刻まれた切岸などは、南段郭群の郭壁随所で確認出来る筈である。ただ見応えのある遺構は?と聞かれれば、少し返答には困るが、、、 尚、先に触れた山王社背後の堀切から東側は、連続する長い削平地となっているが、行き止まりとなる本郭側の斜面には、大型の土塁虎口と三方を土塁で囲まれた郭跡が、蔓延る草木の隙間から何とか確認出来たので、ついでに報告しておきたい。これを機に訪れる用意のある方には、ここまでが現状(九月)藪漕ぎも含めて、踏破可能な範囲と思って頂ければ良いだろう。

24_koguti 大型の土塁虎口

自身が選択したルートでは、藪に阻まれて結果的には山上本郭までは到達出来なかったが、これから荒山城に挑む用意のある方には、是非上り易い直登ルートを探してトライして頂きたいと思うのである。

2011年10月29日 (土)

素晴らしい遺構残存度、三本の豪快な空堀は必見! 東河内城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市日高町東河内にあって、東河内集落から北側の谷筋を上った、標高510m(比高120m)の中腹尾根上に位置しており、現在その主郭と見受けられた広大な郭転用地には、かつてここがフィールドアスレチック競技場であった事を物語るように、その競技道具の残骸が至る場所に放置されていた。城史に関しての詳細は不明

この山城も日高地方に数多く築かれた城跡の一つであるが、現状文献資料などによる実態報告は皆無に近いものであり、個人的には先にリポート掲載を終えた山宮城と併せた訪問となった。当然何の期待もせずに訪れたのだが、山上で目に留まった目を疑るほどの光景には、ただ唖然とするばかりで、最近の山城巡りにおいて今まで味わった事のない衝撃を受けてしまった。しばらくは興奮も収まらず、その辺をうろうろと歩き回っていたが、この険峻極まりない地に、これだけの規模を誇る城郭(山上における郭占有面積が凄い!)、直線で数十mにも及ぶ本郭南端の横堀、本郭土塁背後に刻まれた深さの維持された横堀、副郭土塁背後に刻まれた北尾根を断つ堀切と、横堀から豪快な縦堀が沢まで落ち込んでいく様は、見応えだけは半端なものではないと自分の目には映ったのである。

1_1_2 登城ルート

7 登山道進入口

1_2_3 城跡概念図

踏破した範囲で目に留まった遺構は、全て概念図には記したが、このほぼ二郭で形成された、陣城の如き大味は否めない縄張りプランから、特別縄張り妙味は感じられない。しかし、この広大な本郭のほぼ全体像が窺える圧倒的臨場感、本郭西壁の沢まで落ち込む切り立つ切岸などは、先に触れた三本の空堀と並んで、どれも遺構として醍醐味の感じられるものであり、どれも凄い!と思わせるものばかりで、帰路に着くまでは興奮を抑える事の出来ない山城巡りとなったのである。

13

南端堀切壁見所

15_nantan_yokohori_4 南端横堀見所

18_shukaku_higasi_gawa_2 本郭東側、空堀跡

21_1 本郭最上段から下段を望む

27_fukukaku_gawa 中横堀と副郭見所

25_naka_yokohori_1 中横堀見所

30_tatebori_1 中縦堀見所

36_hokutan_horikiri 北端堀切見所

36_hokutan_horikiri_2 北端縦堀見所

城跡を個人的に評価すれば、山上本郭までは迷わず登山道で登れる事、最近まではフィールドアスレチック競技場になっていたが、縄張りの祖形はほとんど失われてはおらず、残存度の高い遺構群が数多く拝める事、当時の状態に限りなく近いと見受けられた、見応え抜群の空堀が拝める事、これだけの材料が揃えば、当然山城ファンの方、史跡ファンの方を問わず、全ての方に訪問をお薦め出来る城跡という事にはなるだろう。特に山城ファンの方には、是非期待して臨んで頂きたいと思えたのである。

城跡を訪れるには、国道482号へ進入して神鍋スキー場を目指すのが一番手っ取り早いが、城跡のある東河内集落に向かうには、ルート図に示した様に西気小学校を目印として、北へ針路変更すればよい。この生活道路の行き止まり地点が登山開始地点となるが、そこにはフィールドアスレチック協会の廃屋があるので、分かり易いとは思われる。そこから城跡までは確かな山道が繋がっており、15分程度で迷わず辿り着ける筈である。

2011年10月27日 (木)

尾藤城跡(京都府福知山市)

城跡は福知山市大江町尾藤にあって、先にリポート掲載を終えた千原城側からみれば、川を隔てた真南の低丘陵上に位置しており、ほぼ丘城と呼ぶに相応しい形態を成したものである。城史に関しての詳細は、地元有志の方々によって、今年の七月に掲げられた城址案内板に記されてあったので、今回はそのままを掲載する事に及んだ。(案内板画像をクリックの事)

城跡を訪れるには、千原城を起点とすれば城跡の位置は一目瞭然と思えた事から、細かい訪問ルートは割愛させて頂くが、城址案内板からの道順は概念図を参考にして頂きたい。現在まだ農繁期にあるせいなのかも知れないが、案内板は真新しいが、本来の登城道は全く整備されておらず、腰まで届く低草木に遮られ、登城道すら見えない状態となっている。よって此れを機に訪れる方には、迷わず墓地奥からの登城(墓地から5m程度の藪漕ぎで主郭へ到達可能)をお薦めしたいのである。個人的には今回は地元の方からの勧めもあって、南側からの藪漕ぎのないルートで主郭を目指したが、これから冬季にかけての訪問においては、草木も刈られて本来の登城道で訪れる事が出来るかもしれないので、多少それに期待は出来ようか、、、

1 登城ルート

4 案内板より城跡遠望

1_2_4 現地城址案内説明板より

1_1_2 城跡概念図

城跡の形態は、現地案内板縄張り図、あるいは自作概念図を見て頂ければ分かり易いとは思われるが、主要二郭で形成された単純な縄張りプランに、縄張り妙味までを求めてはいけない。もちろん遺構群の見応えにも余り期待出来るものではないが、その中にあっては主郭南端に施された浅い堀切と、主郭及び東郭壁で鋭角に削り落とされた切岸跡だけが、唯一城跡としての存在感を醸すものと思って頂いても良いかもしれない。ただ切岸だけは状態も良く、見応えだけは充分感じられたが、、、

9_minamikaku_heki 南郭切岸

12_horikiri 13_horikiri 堀切見所

15_nisi_kaku 西郭の現状

18_shukaku_nisiheki 主郭西切岸見所

20_shukaku_1 主郭内部

21_shukaku_higasiheki 主郭東切岸と武者走り?見所

個人的に城跡を評価すれば、遺構の見応えには余り期待出来ない城跡という事になろうが、城跡としての史跡価値、あるいは城址案内板まで設置して、史跡を後世まで大事に保存しようとする心意気だけは、山城ファンの方々には充分伝わるような気がしたのである。これからの保全整備に関しては、相当地元の方の手を煩わせる事にはなるとは思われるが、折角城址案内板を設置されたからには、史跡ファンの方にとっても訪れ易い、是非整備の行き届いた城跡を期待したいところではある。

2011年10月25日 (火)

大江千原城跡(京都府福知山市)

城跡は福知山市大江町千原(センバラ)にあって、尾藤集落(尾藤城がある)の北側にある、通称城山と呼ばれる標高約100mの山上に位置している。城史に関しては中岡右京進の居城が伝わっているが、詳細は不明

城跡を訪れるには、国道175号あるいは県道55号へ進入する事が先決となるが、尾藤集落を目指して車を走らせればよい、現在山上郭群の西一角には、旧尾藤神社の祠跡が残っており、かつての参拝登山道さえ見つけ出せれば、迷わず城跡へは辿り着ける筈である。その進入口は概念図に示したが、ルート図に示した西側からも、多少の藪漕ぎは余儀なくされるが上れる状況にはある。ちなみに堀切までは15分程度

1_2_3 登城ルート

6 参拝登山道への進入経路

1_3_2 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に描いたものに近いと思って頂いても良いとは思われるが、低草木の密生している、視認にも難渋する斜面上までは覗いていないので、縦堀に関してはこの限りではないものと思って頂きたい。縄張りプランから考えても、未踏斜面にまだ多くの遺構が眠っているようには思えなかったが、、、城跡の見所を挙げれば、主郭東西を遮る形で施された二本の堀切という事になろうが、特に西側境となる郭壁両岸には、見応えのある縦が刻まれており、東側の明瞭な土橋付き堀切と並んで、充分見学者の目は楽しませてくれよう。尚、この西側の堀切には現状土橋が備わっているが、これは近年土塁を削って堀切を埋めたものとも窺われたが、、、謎。

11_jinjya_ato_3 西端の尾藤神社跡

15_seitan_dobasi_karabori_tikei_1 土橋付き空堀地形

21_horikiri_dobasi_3 西堀切見所

24_renzoku_tatebori_1 連続縦堀見所

22_shukaku_1 主郭の現状

23_shukaku_kita_heki 主郭北側の切岸見所

28_toutan_horikiri_dobasi 東端の堀切、明瞭な上り土橋見所

城跡を個人的に評価すれば、現状夏草に覆われて参拝登山道は分かり辛いが、この時期(九月)においても比較的見て廻り易い状態にある事、山道に従えば迷わず辿り着ける事、二本の堀切と数本の縦堀が拝める事を理由にすれば、山城ファンの方、史跡ファンの方を問わず、充分お薦め出来る城跡と言う事にはなろうか。

2011年10月23日 (日)

一流の縄張りを証明するが如く、無数に刻まれた空堀が見所! 山宮城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市日高町山宮にあって、標高約250m(比高90m)の低山山上に位置している。城史に関しては、山名四天王の一人として名を馳せ、ウスギ城、竹田城を本城として威を振るった太田垣氏一族、あるいはその家臣かも知れない矢谷氏の居城が伝わっているが、その詳細は不明でもある

最近は個人的にも但馬地方の山城、丹後地方の山城を訪れる機会が圧倒的に多くなっているが、訪問結果から先に述べれば、「この山城は小規模ではあるが、畝状空堀群を筆頭に、堀切や横堀などを含めた空堀の醍醐味に、とことん触れる事の出来る、一流の縄張りが施された、正に一流の城郭の一つ!」と自分の眼には映ったのである。但馬地方における山城で、畝状空堀の拝める山城といえば、丹後の山城に比べれば随分数は少ないが、状態の良い豪快な畝状空堀が拝める伊賀谷城、大江堀城は真っ先に挙げられよう。この山城は地表風化のせいもあってか、先に触れた二城より随分見応えでは劣るが、充分判別可能な畝状空堀群が拝める、但馬地方にあっては貴重な城跡の一つと言えそうにも思われたのである。当然自身における城跡の評価としては、「背中を押してでも薦めしたい城跡の一つ」、と言う事にはなるだろう。現状文献資料の類においての実態報告は、皆無に近い山城の一つでもあるが、戦国大名とも言える垣屋氏の本拠地となる、この日高地方でお目にかかれた事は、単なる偶然とは言えないだろう。

1_1 登城ルート

8_2 社殿からの直登進入経路

1_2_2 城跡概念図

現状(10月)城跡は、藪化も風化も進行中にあるが、郭移動あるいは斜面の移動に差し支えるまでには至っておらず、自身が斜面を上り下りして判別確認した遺構は、全て概念図には記したつもりである。当然くまなく踏破可能な範囲を示したものでもあるが、縄張り妙味を一番感じる事の出来る本郭部北斜面を含めて、ほぼ縄張りの全体像は掴めた計算にはなろうか。冬季訪問となれば更に新しい発見に期待出来るかも知れないが、、、、この城跡の最大見所は、縄張りプランも含めた全てといっても過言とは思えないが、先に触れた畝状空堀群、箱堀を含めた三本の堀切、随所に刻まれた状態の良い縦堀などで、それ以上にインパクトを感じられたのが、主郭北斜面に施された二連の縦堀である。間に縦土塁を挟んで谷まで落ち込む様は、正に城跡の白眉と言えるものでもあり、とにかく「言葉を失うほど迫力のある縦堀」と言えば、これを機に訪れる方の想像も付き易いだろう。

15_nantan_horikiri_1 南端堀切見所

19_minami_kaku_1 南郭

21_horikiri_1 中央堀切見所

30_shukaku 主郭の現状

36_kita_daihorikiri_5 北端大堀切見所

37_2ren_tatebori 二ノ郭東の畝状空堀

43_2ren_tatebori_2 43_2ren_tatebori_1 最大見所二連の縦堀

46_yokobori 北斜面の横堀見所

51_hokutan_2jyuu_horikiri 北端二重堀切見所

城跡を訪れるには、まず国道482号へ進入する事が先決となるが、山宮集落にある山神社を目印として目指せば良い。当然地元で入山口と山道の有無は尋ねたが、概念図に示した沢を渡って上るしか手立てはないとの事でもあり、これから訪れる方は、激斜面の直登ルート(藪漕ぎなし)にはなるが、迷わずこのルートを選択して頂きたい。ちなみに南端堀切までは10分程度、東側の農地からの登城は、山麓に密生する笹薮で極めて困難!

2011年10月21日 (金)

波美城跡(京都府福知山市)

城跡は京都府福知山市大江町波美にあって、標高約70mのほぼ独立した低山山頂に位置しており、通称城山の地にある。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた河守城を起点とすれば、その所在位置は分かり易いが、まず国道175号へ進入する事が先決となる。北近畿丹後鉄道「大江駅」からは既に城跡は東側へ望めるので、位置確認は容易く、駅からはルート図の赤線を辿れば、迷わず付近までは辿り着けるだろう。入山口は概念図に示したが、ここから墓参道に進入してそのまま上るだけで、主郭までは10分程度で到達出来よう。

1_2 登城ルート

5 墓参道進入経路

1_3 城跡概念図

城跡の大雑把な形態は、ほぼ概念図に示した通りと思って頂いても良いとは思われるが、集合墓地から主郭北端に備わる堀切までは、近年における古墳発掘調査で、相当な地形改変があったものと見受けられた事から、この間の縄張りや遺構に関しては、ほぼ見学者の想像に委ねられるだろう。この小刻みに施された土橋地形を含む空堀地形などは、本来は堀切とした部分なのかも知れないが、この広くもない郭跡に、ここまで空堀を連続して施す必要性も感じられず、本来の堀切は二箇所程度と考えても良いのかも知れない、ただ調査後の埋め戻しが正確に行われたのであれば、見学者の見たままを縄張りとすれば良いのだとは思われるが、、、、(現状曖昧ではあるが合計五箇所の空堀地形)

11_horikiri_tikei 西郭における空堀地形

15_dobasi_tikei 西郭における土橋地形

17_horikiri_dorui_1 主郭北端の堀切見所

20_sita_renzoku_tatebori 連続縦堀見所

21_dorui_tatebori 縦堀地形?

23_shukaku_kita_heki 主郭切岸

28_minami_horikiri_dobasi 南端堀切、上り土橋見所

現状城跡は、この時期(九月)の山城としては、意外にも見学し易い状態にあり、概念図に示したまでの遺構は、ほぼ判別確認し易い状況にあると思って頂いても良いだろう、冬季訪問においてはかなり期待が持てそうには感じられる、、、城跡の見所となるのは、畝状空堀群と呼んでいいものとは思われるが、主郭北東斜面に施された連続縦堀群主郭北端の堀切南端尾根を遮る土橋付き堀切という事になろうが、地表風化は特に進行しており、堀切を含めた何れの空堀も相当薄く、切岸だけは充分見応えは感じられたが、空堀群だけに限れば、見応えは余り期待出来ないかも知れない。主郭内部も全体的に凸凹地形と化しており、東端に備わる櫓台とも見受けられた土塁壇などは、地形も非常に曖昧なものとなっており、機能の想像も付き難いのが現状である。

城跡を個人的に評価すれば、古墳発掘調査以前の状態を把握していない以上、遺構残存度や縄張りプランに関しては、評価の下しようがないのが現実でもあるが、遺構見学だけを目的とした訪問であれば、充分訪れる値打ちのある山城と言う事になろうか。由良川沿いに多く築かれた城跡の、何れかと併せた同日訪問とすれば、更に充実した山城巡りとなるのではないだろうか。

2011年10月19日 (水)

上安場城跡(京都府福知山市)

城跡は京都府福知山市三俣上安場にあって、既にリポート掲載を終えた堀越城の川を隔てた真東側にあり、上安場集落の南東側に突き出した丘陵先端部に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先に触れた堀越城や三俣城を起点とすれば、ルート図からも位置確認は容易いだろう。ルート図の赤線を辿れば、上安場集落までは迷わず辿り着けるが、今回城跡への登城入山口としたのは、集落最奥にある概念図に示した墓地横からで、祠背後からそのまま斜面を左手に斜行しながら上れば、直ぐに当時の空堀道の様にも窺えた山道に合流出来る筈である。そのまま上り切った場所が尾根上の削平地にあたる。墓地から10分内で到達可能

1route 登城ルート

6 入山口

3_1 城跡概念図

城跡は砦と呼ぶに相応しい規模であるが、意外にもしっかりした縄張りプランの下で築かれた事が窺え、現状二段の受け土塁を伴う形の空堀、切岸といったところが判別確認可能な遺構という事になるだろう。登城道として利用した山道(空堀道)は、尾根上が堀切といった分かり易い形状とはなっていないが、一部は斜面の外側に土塁を伴って、それなりに深く掘削された形跡が窺えるものであり、個人的には紛れもなく当時の遺構と眼には映ったが、、、取り合えず見応えは感じられた(画像に注目)ので、当然これも見学の対象とはなるだろう。

10_karabori_yamamiti_4 土塁を伴う空堀道見所

15_karabori1_dorui 空堀土塁1見所

16_karabori2_1 空堀土塁2見所

21_shukaku_1 物見程度の主郭

15_karabori1_dorui_1 空堀から帯郭

現状(九月)城跡の藪化も地表風化も進行中にあり、郭切岸などは堆積物によって非常に曖昧なものと化しているが、空堀跡は一応判別可能といったところか、、、取り合えず自身の目に留まった遺構は全て概念図には記したが、これを機に訪れる用意のある方は、城跡に対しては決して多くを望まない事が肝心、もちろん規模や縄張り妙味は、最初から絶対に問わない事が肝心とはなるだろう。

城跡を個人的に評価すれば、小規模極まりない砦規模の山城ではあるが、福知山市内における城跡巡りの一環として考えて赴けば、短時間で藪漕ぎもなく上れるお手軽感も含めて、「決して無駄足には終わらない城跡」といった事にはなるのではないだろうか。

2011年10月17日 (月)

八重坂城跡(京都府綾部市)

城跡は京都府綾部市篠田町/向田町にあって、当時の街道筋とも見受けられる、八重坂峠の南西に聳える標高219mの山頂に位置している。今となっては、この峠越えの道が生活道路として利用されているとはとても思えないが、城跡の築城環境から察すれば、城郭の峠監視を兼ねた機能は充分窺えそうには思われるのである。城史に関しての詳細は不明であるが、物部城を居城とした上原氏一族、あるいはその家臣の居城が伝わっている様である。

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた木坂城を起点とすれば、その所在位置は分かり易いとは思われるが、485号沿いにある慈眼寺」を目印として目指し、付近に辿り着けばルート図に記した赤線を辿れば送電鉄塔のある城跡の位置は直ぐ確認出来るだろう、ただこの周辺には鉄塔が多く立ち並んでいるので、ルート図から正確な位置を見極める必要はあるが、、、城跡までは東郭を経た最短直登ルートと、メンテナンス道を利用した山道ルートの二通りが考えられるが、ここでは前者のルートで山上主郭まで上り、下山をメンテナンス道を利用して安全に下りられる事をお勧めしたい。距離を歩くのが苦にならない方は、自ずと後者の選択となるが、メンテナンス道入山口も分かり辛く、更に途中で山道が分かれているので、迷わず辿り着けるとはとても言えないのが難点だが、、、

1_2 登城ルート

9 城跡進入経路

1_3 城跡概念図

現状(九月)城跡は、メンテナンス道と鉄塔周辺は、何とか移動にも難渋せず、外見から視認による遺構の判別確認も可能な状態にあるが、それは郭跡の一部だけに言える事で、メンテナンス道から一旦外れると、郭跡からその斜面に至るまで踏み入る事も出来ない状態にあり、密生する草木によって切岸もろくに拝む事が出来ず、更に踏破も非常に困難な状況となっている。よって判別確認可能な遺構も限られてくるのが現状であるが、今回掲載した画像が唯一遺構画像(主郭とその切岸)として成立したものと思って頂いても良いだろう。当然残存遺構の確認(空堀地形は目に留まった)は元より、郭構成及びその縄張りプランは掴めないままに下山する事に相成ったが、冬季訪問に唯一期待するしか手がないのかも知れない。

14_higasikaku_1 東郭

16_shukaku 主郭

21_shukaku_kita_heki 主郭切岸

19_minami_kaku 南郭

城跡を個人的に評価すれば、この満足に見学も出来ない状況を見る限り、絶対にお薦めとは言えないが、綾部の山城に興味を持たれている山城ファンの方だけに、所在地の確認、あるいは現況報告とした形で役に立ったのであれば、それで充分と言ったところか、、、、

2011年10月15日 (土)

吉原山城の出城 覚谷城跡/杉谷城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市峰山町安にあって、既にリポート掲載を終えた吉原山城本郭を中心として、四方に広がる枝尾根の南端にあり、安集落からみれば北側の低丘陵先端部に位置している。文献資料による違いはあるが安村城跡とも呼ばれており、築城環境から察せられる様に、当時は吉原山城(一色氏の居城)の出城として機能しており、後藤氏の居城が唯一伝わっている。自ずと後藤氏は一色氏の家臣であったものと察せられるが、、、

城跡を訪れるには、吉原山城を起点とすれば分かり易いので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、「峰山高校」を目印として車を走らせればよい。学校からはルート図の赤線を辿れば、今回車を預ける事になる「渓禅寺」までは迷わず辿り着けよう。ただ集落内の生活道路は非常に狭いので、峰山高校からは必ず赤線ルートで寺院を目指す事が肝心となる、、、 寺院からは概念図を参考にすれば、数分内で主郭までは到達出来るだろう。

1route 登城ルート

3a 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図通りと思って頂いても良いとは思われるが、コンパクトにまとまった小規模な城跡である為に、特別見応えが感じられる遺構は無きに等しいと思って頂きたい。ただ当時のまま現在に至ったものと眼に映った遺構群の残存度は高く、ほぼ完存に近いものとも感じられた。堀切は北端に一箇所だけ備わっているが、現状浅いものであり、見応えには随分欠ける。近年人の踏み入った形跡のない城跡は、現状(九月)藪化も地表風化も相当進行している状態にあるが、小規模な為に縄張りは掴み易く、木々の隙間を縫っての郭移動は余儀なくされるが、遺構見学に支障を来たすまでには至っていない。冬季訪問は更に期待出来るかも知れない、、、

8_hosotani_jinjya 細谷神社/登城口

12_minami2_heki 南郭切岸

18_shukaku 主郭内

21_shukakuheki_kita北郭と主郭北切岸見所

24_horikiri 堀切見所

城跡を個人的に評価すれば、農地が直ぐ傍まで迫りながら、完存に近い形(当時の縄張りはそのままと見た!)で残る遺構の史跡価値は高く、縄張り妙味や規模さえ問わなければ、充分お薦め出来る城跡の一つと言う事にはなるだろう。

尚、ルート図に記した杉谷城(堂後城)の現状を報告すれば、広大な規模を誇る山上郭には墓地が点在しており、墓参道から一旦外れると全域が密生に近い竹林雑木藪地と化している。よって外見から切岸跡の窺える周囲斜面上の郭群も、密生する低草木の為に踏破確認は不能、縄張りはおろか郭跡の確認も出来ない状況にあると思って頂いても良いかも知れない、、、この城跡も吉原山城の出城として機能しており、当時藤堂(堂後)信濃守の居城が唯一伝わっているようである。風情を味わう程度の訪城に終わるとは思われるが、興味を持たれた方の参考にでもなれば、今回リポートした値打ちも多少あったのかも知れない。

1 杉谷城登城入山口

2 切岸跡

3 山上郭の現状

2011年10月13日 (木)

高い遺構残存度を誇る貴重な丘城 鱒留城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市峰山町鱒留(マスドメ)上谷にあって、比高10mほどの低丘陵上に築かれたその様相は、正に丘城と呼ぶに相応しいものであり、その形態は館城に限りなく近いものでもある。文献資料による違いはあるが枡富城とも呼ばれている。城史に関しては当時笠縫国太郎の居城が唯一伝わっているが、丹後攻略軍によって城は陥落しており、氏は城から脱出を図ると同時に自刃した模様

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた鱒留寺谷城を起点とすれば分かり易いので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、国道312号「比治山トンネル」東側にある、大呂口バス停を目印として目指せばよい。集落内に車の駐車スペースはないので、付近に路駐ということになるが、探せば何とか道路沿いに見つかる筈である。バス停付近から真北側を望めば、直ぐに墓地は目に留まるが、概念図に示した如く墓地を目指して歩いて向かえば、自ずと城跡へ辿り着く事が出来る筈である。

1route_2 登城ルート

3masu 城跡概念図

城跡の形態は、シンプルが故に縄張りは掴み易く、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、人家や農地が直ぐ傍まで迫った環境にありながら、見学し易い状態が自然維持されており、しかも丘城としてみれば、郭東先端部に墓地として多少地形改変が窺われるが、非常に遺構残存度は高いものとなっている。よって概念図に示したまでの遺構群は全て判別確認し易く、機能の想像も比較的付き易い状況にあると思って頂ければ良いだろう。丘城といえば直ぐ密生する竹林地が想像され、遺構の踏破確認も難しく、更に遺構の消失した城跡が多い昨今ではあるが、この城跡に関しては、丘城としては非常に見学し易い、レベルの高い状態にあるものと思って頂いても良いかも知れない。見所として挙げられるのは、高低差には若干欠けるが直立に削り落とされた切岸、堀切(縦堀)、重なる帯郭、明瞭な虎口跡などで、これらは充分見学者の目は楽しませてくれるものと見た、、、

20_higasikaku2 三ノ郭

22_higasi1_heki 東櫓台?切岸見所

23_horikiri_1 堀切見所

23_horikiri_tatebori_1 堀切、縦堀見所

26_shukaku_koguti 主郭虎口見所

27_shukaku 主郭の現状

31_kita_koguti 北虎口地形見所

29_obi_dan 北帯郭切岸

城跡を個人的に評価すれば、縄張りは掴み易く、遺構の醍醐味は充分味わえ、集落全域の見通せるこの環境は、当時に思いを馳せる事も容易く、おまけに見学する圧倒的お手軽感も加味すれば、間違いなく是非お薦め出来る城跡の一つ、と自分の目には映ったのである。未だ当時の祖形を維持しながら、未だ丘城として在り続けているこの城跡の評価が、今回のリポートによって少しでも城跡ファンの方に理解して頂けたのであれば、このリポートも少しは値打ちがあったものと言えるのかも知れない、、、

2011年10月11日 (火)

丹後新治城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市峰山町新治(ニンバリ)にあって、国道312号に沿って流れる、鱒留川沿いに数多く築かれた山城(これから訪問予定)の一つでもあるが、新治地区の宅地密集地より北側にある、ほぼ独立した低丘陵上に位置している。現在その東麓には「十方院」が建立されている事から、城跡所在位置の確認は容易いものとは思われる。城史に関しては、鎌倉期以来の豪族でもある新治蔵人の居城を伝えているが、一色氏以前からこの地を領有していた在地勢力とは思われず、最終的に丹後守護職の地位にあった一色氏と同じ運命を辿ったところを思えば、その一族の一人と考えて良いのかも知れない。尚、福知山大江町にも新治氏の拠った河守城、新治城があるが、こちらは庶流なのかも、、、?

1route2 登城ルート

3a 城跡概念図

この山城も、巨大と呼ぶに相応しい大型の山城が林立する丹後においては、その中の一つに加えられても良さそうに思われるものであり、既にリポート掲載を終えた、同町にある久次、あるいは大宮町にある奥大野城と、丘城という部分で縄張りプランも良く似ており、特別縄張り妙味のある城跡とは言えないが、麓まで郭跡が連続して重なる様は、まるで要塞を思わせるものでもある。主郭を中心とした大雑把な形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、この城跡も丹後特有の築城形態である、直立に近く刻まれた高低差のある切岸の醍醐味に触れる事が可能となっており、巨大と呼ぶに相応しい堀切受け土塁の付随した横堀郭群を分断する箱堀明瞭な虎口跡、土橋付き堀切と、他でも機能の想像の付き難い遺構は数箇所で見受けられたが、とにかく挙げれば限がないほどの、見所満載の探索冥利に尽きる城跡と自分の眼には映ったのである。縄張りは本郭群から更に北麓や南麓へ広がっていると察せられたが、麓へ向かうほど藪化が深刻化している状況もあって、結果的には本郭群から北麓及び南麓にかけては、踏破する事が叶わなかった。

11hokutou_kaku_heki_1 東郭群と切岸

15_2maru_kita_heki 二ノ郭の高い切岸見所

18_2maru_yori_yokobori 北斜面の横堀、土塁跡見所

25_shukaku_1 主郭の現状

28_nisi_daihorikiri_1 西大堀切見所

37_minami_hakobori_2 南郭側箱堀見所

41_minami_koguti_3 南郭の明瞭な虎口跡見所

47_kaku 南郭群

30_nisi_dobasi_horikiri_1 西出郭土橋付き堀切 

現状城跡は、この時期(九月)においても、本郭群周辺は郭移動にも難渋もせず動き回れる状況にあり、比較的木々が少ない事もあって、山城としてみれば、意外にも見学し易い状態が自然維持されている。取り合えず概念図に示したまでが苦もなく踏破出来た範囲(縄張りにおける七割程度か?)、あるいは目に留まった遺構群と思って頂ければ良いが、南麓は竹林雑木藪地と化しているので、これからも全体踏破は難しいかも知れない、、、、 個人的に城跡を評価すれば、圧倒的お手軽感を加味せずとも、遺構に見応えを感じる事の出来る、間違いなくお薦め出来る城跡の一つ」と言う事にはなるだろう。

城跡を訪れるには、国道312号へ進入する事が先決となるが、「十方院」を目印として目指せば、難なく辿り着けるとは思われる。寺院背後を上り切れば、直ぐにでも東郭群が迎えてくれる筈である。尚、車の駐車に関しては、付近の生活道路は非常に狭く、見る限り寺院にも駐車場はなかったので、改善センターの駐車場を声をかけて借りれば良いとは思われる。

2011年10月 9日 (日)

険峻極まりない山頂に佇む、大型の素晴らしい山城! 日置城跡(京都府福知山市)

この山城は京都府福知山市夜久野町日置/末にあって、先にリポート掲載を終えた末城の記事中で触れた様に、昨年の夏に訪問を終えられた、京都府在住の山城ファンの方から、既に城跡の情報は頂戴しており、上り易い登山ルートも同時に教わっていた事もあって、迷わず辿り着く事が出来たが、その情報通り、ほぼ全域が植林地にある事も相俟って、この時期(九月)においても見学し易く見て廻り易い、山城としてはこれ以上望めない素晴らしいコンディションの下にあった。

城跡の形態、あるいは判別確認可能な遺構に関しては、自身が踏破した範囲内で目に留まった遺構を記した、概念図を参考にして頂ければよいが、流石に広域に渡る急斜面上までは覗く余裕もなかったので、縦堀などに関しては、この限りではないものと思って頂きたい。城史に関しての情報は現状皆無に近いが、末城が日置城の南麓に位置するだけの理由で、単純に衣川氏の築いた山城と考えるのは早急かも、、、

1_2_2 登城ルート

1_3 城跡概念図

14 この激斜面を登り切る

16_higasi_kaku 最初に到達する東郭群

この「大城郭と呼ぶに相応しい要害堅固な城跡」は、険峻極まりない山頂(標高329m)から痩せ尾根を跨いで、ほぼ三峰(三ブロック)に渡って縄張りは展開されたものであり、郭総全長は500mに達するほどの城域を誇っており、山上を刻んで構築された見事なまでの郭切岸、更に郭間及び尾根を遮る豪快な堀切などの見応えは抜群で、福知山にあっては他に類を見ないほどに遺構残存度の高い(ほぼ完存と思える)、正に賛辞の言葉を失うほど素晴らしい大城郭と自分の目には映ったのである。これを機に訪れる用意のある山城ファンの方、あるいは一般城跡ファンの方々には、出来るだけ自身と同じ新鮮な感動を味わって頂きたいと思う気持ちから、これ以上多くは語らないが、とにかく一度訪れて、山頂に至るまでの山登りの楽しさ、機能を想像しながら踏破探索する事の楽しさ、縄張りプランを想像する事の楽しさ、更に遺構見学の楽しさなど全て含めて、限りない戦国ロマンに身を委ねて頂きたいと思えたのである。個人的には山城ファンの方に限れば、背中を押してでもお薦めしたいが、高所に位置する山城に上り慣れていない一般城跡ファンの方、足腰に不安のある方には、迂闊に是非お薦めとは言えないのが本音かも、出来れば一度トライして頂きたいと思うが、、、

18_higasi_shukaku 東主郭

23_horikiri 中央堀切見所

25_anbu_yori_horikiri_gawa 西郭群端から東郭堀切側

52_kita_shukaku_gawa 北主郭側切岸

55_higasi_horikiri_dorui_1 東斜面堀切と大土塁見所

41_nisi_nijyuu_horikiri 西端二重堀切見所

43_nijyuu_horikiri_gawa 西郭より二重堀切側

32_nobori_dorui 西城北郭群と上り土塁見所

58_sentan_dorui_kaku 北城北端郭と土塁見所

今回の登城においては、山頂に至るまで約40分の道程となる事、あるいは迷わず山頂まで上って頂きたいが為に、多少入念な登城ルート図を作成したが、登山口は末城概念図に記した玉照寺北側からで、ルート図中のA、B、C地点においては、必ず方位磁石で自身の向かう方角(北)をチェックして頂きたいのである。小さな沢が流れ出しているA地点までは山道に従えばよいが、そこから先(沢を跨いで上る)は僅かな踏み跡を辿って急斜面を上る事になる。馬の背のような尾根に到達するB地点では進行方向は左手にとり、必ず北に向かっている事を確認する必要がある、そこから痩せ尾根を一旦上って下り、更に激斜面を登り切れば、素晴らしい城跡遺構が見学者を歓迎してくれる筈である。尚、A地点で踏み跡が見つからない場合は、ただひたすら沢筋を上り続ければ良いだろう(尾根に辿り着く筈)。

2011年10月 7日 (金)

末城跡(京都府福知山市)

城跡は福知山市夜久野町末にあって、末集落の中心部にあたる低丘陵上に位置している。この城跡に関しては、城跡としての認識は以前から充分ありながらも、夜久野町にあっては随分奥まった山間の地にある事から、日置城と並んで中々今日まで訪れる機会に恵まれなかったが、京都府在住の山城ファンの方より、「日置城は絶対にお薦め出来る素晴らしい城郭!」、と昨年夏からお墨付きを頂いていた経緯もあり、今回やっと日置城の訪問を兼ねての城跡巡りが叶えられる事になった。

城跡を訪れるには、先に触れた千原城を起点とすれば分かり易いので、訪問ルートの説明は今回割愛させて頂くが、526号へ進入して「玉照寺」を目印として目指せば、難なく付近までは辿り着ける筈である。城跡進入口はルート図を参考に

1_1 登城ルート

10 城跡進入経路

1_2 城跡概念図

今回の山城巡りの本命となるのは、もちろん日置城なのだが、その登山口付近で出くわした年配の女性に、付近に存在すると思われた末城の所在地を訪ねれば、直ぐにその回答が得られ、非常に幸先の良いスタートとなった。しかもこの方の所有する休耕地の一部がそれにあたるものであり、現在でも「城ノ段」と呼ばれている事も判明した。城史に関しての情報は唯一衣川越中守(千原城を本城とした、あの衣川氏)の居城が伝わる程度であるが、この佇まい(丘城)から察せられるには、当然館城とみてよいものとは思われる。

16_kaku1_higasigawa 郭1と切岸見所

17_hokutan_nisi_heki 本郭群西側切岸

18_kaku2 20_kaku2_kirikisi 本郭群

30_heki 南段郭切岸見所

33_sanjyou_kaku 山上郭

35_kyodai_karabori_tikei_1 巨大空堀地形見所

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、館城の性質上、眼にすることの出来る遺構は、郭跡を除けば鋭角に刻まれた郭切岸跡だけに限られてくるのが現実でもある。現状(九月)郭跡は全て休耕地(荒地)、あるいは植林地となっているので、見通しが利く事からその全体像を窺う事が可能であり、縄張りは掴み易く、遺構見学としてはこれ以上望めない状況となっている。ただ城跡直ぐ傍まで民家や農地が迫っている事もあって、本来の縄張りは見学者の想像にほぼ委ねられることになるが、居館跡とも伝わる本郭部(現状ほぼ三郭構成)に関しては、ほぼ祖形は当時のままが維持されているものと眼には映ったのである。居館跡地から更に南西側山上を目指せば、その斜面には数段の切岸を伴う郭跡、最高所には削平地まで窺えたので、山上を物見とすればここまでが城域と思って良いのかも知れない、、、 尚、山上削平地背後は自然堀切地形となっているが、人為的とも言える巨大空堀(画像に注目)地形が、その北側に窺われた事だけはお伝えしておきたい。

城跡を個人的に評価すれば、後で訪れた日置城が事前情報通り、「大城郭と呼ぶに相応しい素晴らしい城跡」と眼に映った事、その登山口の対岸丘陵上にこの城跡が位置する、訪問し易さまでも加味すれば、二城併せた同日訪問は何としてでもお薦めしたいと思えたのである。(日置城リポートはこの後の予定)

2011年10月 5日 (水)

鱒留寺谷城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市峰山町鱒留(マスドメ)寺谷にあって、既にリポート掲載を終えた五箇南城からみれば、谷状地形を隔てた更に南西側の山上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、隣接する五箇城との距離や築城環境までも考えれば、自ずと五箇城の西側を抑えるが為の、出城としての機能が浮かんでくるのである(推察)。

城跡を訪れるには、五箇南城と同様の訪問ルートとなるので、今回は割愛させて頂くが、登城ルート図を見れば直ぐお分かり頂ける様に、直登進入口は五箇南城参考進入口より、数m西側(人家側)からとなる。休耕地を通過して奥に入った地点から、左手斜面に取り付いて上れば、迷わず山上主郭までは辿り着ける筈である(所要時間15分程度)。

1 登城ルート

7 直登進入口

3t 城跡概念図

現状(九月)城跡は、豪雪地帯における山ではよく見受けられる、低く斜面を這う様に蔓延る樹木(枯れ木が多い)の為に、直登道中も郭移動にも、非常に難渋させられる状況となっている。藪漕ぎまでに至っていないのが幸いとも言えるが、移動中に体に向かって突き刺さる様な枯れ枝には、細心の注意が必要となってくる。ただ比較的見通しは利く状況にあるので、見所遺構とも言える二箇所の堀切や、主郭に施された土塁などは、ほぼ全体像が窺えることもあって、遺構見学に支障を来たすまでには至っていない。もちろん数少ない遺構は、全て判別確認可能な状態にあると言ってもよいだろう。

10_higasi_dankaku_sentan 東段郭群

13_higasikaku4 東郭群

15_hokutou_tatebori 北東側堀切、縦堀見所

24_shukaku_1 主郭の現状

26_nisi_horikiri_1 西堀切見所

27_horikiri 西堀切と主郭切岸見所

個人的に城跡を評価すれば、五箇南城との進入口が近い事もあって、自ずと同日訪問が理想と言えようが、個人的には後からこの山城の存在を知り得た事もあって、山城巡りとしての効率の良い同日訪問は果たせなかった。よってこれを機に訪れる用意のある方には、大門城あるいは五箇城と併せた同日訪問は是非考慮に入れて頂きたいと思えたのである。この二城と併せた同日訪問は、当然是非お薦めと言えようが、単独訪問となれば二箇所の堀切見学だけを理由にして、はたして上る値打ちがあるのか、、、?といった疑問も生じよう、ここでは楚々とした山城に魅力を感じる事の出来る、山城ファンの方だけに限って訪問をお薦めしたいのである。もちろん今回のリポートに興味を示された方も、訪問の対象となってくるのは言うまでもないが、、、、

2011年10月 3日 (月)

三本の大堀切が見所 久次城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市峰山町久次(ヒサツギ)にあって、既にリポート掲載を終えた五箇城からみれば、久次集落を挟んだ北西側の丘陵上に位置している。現在、その東麓には造成整地された運動公園が新設されているが、本来この運動公園も含めた、西上段に位置する集合墓地(東郭転用地と推察)までを、かつての城域として見れば良いのかも、、、? 城史に関しての情報は現状皆無に近いものであり、詳細は不明であるが、城郭の規模や全て切岸化された郭、あるいは多大な労働力で以って構築されたと思われる薬研堀を窺う限り、この地域に根をおろした勢力の大きさは自ずと察っしが付く。

城跡を訪れるには、五箇城を起点とすれば一目瞭然の位置にあるので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、取り合えず国道312号へ進入する事が先決となる。目印となるのはルート図に示した公民館、あるいは運動公園で、車は公民館背後にある広い駐車場を借りればよいとは思われる。城跡へ向かうには、運動公園西背後からの参拝道を利用して集合墓地まで向かえば良いが、墓地西背後は直ぐに巨大な堀切となっており、圧倒されそうな高さを誇る二ノ郭切岸が、見学者を出迎えてくれる筈である。

1route 登城ルート

6_bosandou 墓参道への進入経路

3ht 城跡概念図

現状、郭内部における藪化は相当進行しているが、この時期(九月)においてもある程度見通しが利き、余り郭移動にも差し支える事なく見て廻れる状態にはある。城跡の形態は、集合墓地と化している東郭群や北郭群周辺、あるいは本郭群周りだけに限れば、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、本郭群から南麓にかけて重なり合う規模の大きい郭群や、西大堀切以西は外見から覗いた程度に終わっているので、残された遺構や縄張りプランは、概念図に示した限りには決して終わらないものと思って頂きたい。見所遺構として真っ先に挙げられるのは、概念図中に示した、本郭群の東西北尾根を断つ三本の大堀切(見応え抜群!)、北斜面に施された武者隠しの如き横堀で、主郭内部における大型虎口とも思えた、広い凹状地形も忘れてはならないだろう。これは五箇城でも星ノ内北城でも見受けられたものであり、丹後地方特有の大型虎口郭跡と呼べるものかも知れないが、機能を想像するだけで充分楽しめそうには思われた。

7_higasi_kaku_2 墓地化した東郭の現状

11 東大堀切と切岸見所

17_shukaku_koguti_tikei_1 主郭内部の虎口郭地形

19_shukaku 主郭の現状

25_nisi_horikiri_1 西大堀切見所

30_kita_2ren_dorui 北斜面の縦堀が絡む横堀見所

32_kita_yakenbori_1 北大堀切素晴らしい!

40_minami_gawa_2 南郭群

城跡を個人的に評価したなら、隣接する五箇城の規模が余りにも大き過ぎる為に、規模、縄張りプラン共に、この城跡が随分霞んで見えるのは仕方がないが、状態が比較的良く、圧倒的見応えのある三本の大堀切が拝める事を理由にすれば、訪れても決して悔いは残らない城跡の一つと思えたのである。

2011年10月 1日 (土)

丹後では珍しい、高土塁の備わる城跡 二箇城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市峰山町二箇(ニカ)にあって、苗代集落から見れば西側の低丘陵上に位置している。城史に関しては、先にリポート掲載を終えた五箇城の出城、あるいは支城と伝わっているが、詳細は不明となっている。

城跡を訪れるには、国道312号へ進入する事が先決となるが、ルート図に示した国道沿いにある石材店を目印として西へ針路変更、その後は赤線を辿って小さな「苗代公民館」を目指す事になるが、ここからは更に概念図に示した狭い生活道を西進して、今回登城口とした小さな神社まで向かえばよい。社殿背後から取り付いて上れば、直ぐにでも城域となる西削平地には辿り着ける筈である。尚、神社には駐車場は備わっていないが、駐車スペースは付近に充分確保出来たので、神社傍までは直接車で乗り付ける事が可能と思って頂いても良いだろう。

1route_2 登城ルート

6 城跡進入口

3n_1 城跡概念図

城跡の形態は、伊賀に数多く築かれた方形館城が直ぐ思い起こされるものであり、主郭二方(北と西)には当然の如く高土塁が廻っている。そのシンプル極まりない縄張りは、ほぼ概念図に示した通りと思って頂いても良いとは思われるが、主郭西土塁背後には、西側尾根(連続削平地)を断つべく二重堀切が施されている。当然この城跡における見所は、この二重堀切と高土塁と言う事になるが、堀切(横堀)が縦堀へ繋がるまでのほぼ全体像が窺える事から、充分見応えは感じられる筈である。ただ惜しむらくは、現状主郭内には多くの低草木が蔓延り、折角の高土塁も木々に阻まれて、その全体像をしっかり拝む事が出来難いことか、、、尚、ルート図には記したが、農地を隔てた東側尾根先端には、明瞭な切岸跡の残る、五郭で形成された小規模な砦跡が窺えたので、興味のある方はついでに立ち寄っても、決して無駄足には終わらないだろう。当然この砦跡を含めたものが、二箇城の本質と見るべきとは思われるが、、、、

12_2jyuu_horikiri_2 堀切見所

22_tate_bori 縦堀見所

20_shukaku_1 主郭の現状

18_nisi_daidorui 西高土塁見所

17_kitagawa_dorui_2 北高土塁見所

24_tatebori_shukaku_heki 北主郭壁と縦堀見所

城跡の現状は、先に触れた通りと思って頂ければ良いが、この時期(九月)でも遺構見学に支障を来たすまでには至っておらず、本郭部周辺だけに限れば、遺構はほぼ完存に近いと見受けられるものであり、縄張りは掴み易く、圧倒的お手軽感も加味すれば、自ずとお薦め出来る城跡の一つと言う事にはなるだろう。ただ遺構が完存に近いとは言っても、主郭東壁を形成する高低差のある切岸(垂直に近い)が、その当時のままの姿なのかどうかは、ほぼ想像に委ねられるものとは思われるが、、、総合評価として付け加えるならば、小規模な城跡ではあるが、丹後にあって高土塁の廻る城跡は珍しいが故に、個人的には魅了されたのと同時に、非常に印象に残る城跡の一つになった事だけはお伝えしておきたい。

3_2 6_2 東砦五段郭の切岸

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