西松尾山城跡(京都府亀岡市)
城跡は京都府亀岡市曽我部町法貴上殿垣内にあって、既にリポート掲載を終えた法貴山城から見れば南西側の丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、この広大な郭跡を窺う限りでは、法貴山城を山上詰城とした場合の居館跡、あるいは陣城、あるいは酒井氏が築城した法貴山城を、攻略後に明智光秀が改修したものか?などと、色々な想像が掻き立てられる城跡の一つでもある。個人的には明智光秀の生き様に惹かれて、丹波を中心とした近畿圏内における光秀の係わった城跡は、この城跡も含めてほぼ訪れた計算になったが、出生地を始めとして、信長に仕えるまでは謎多き武将でもある。天下分け目の戦い」における敗軍の将ともなれば、闇に葬られた部分もかなり多そうに思われる事から、今後光秀に関しては、今明らかにされている情報以上のものは、とても期待は出来ないだろう、、、
城跡を訪れるには、ルート図に示した法貴山城を起点とすれば、一目瞭然の位置にあるので、訪問ルートの説明は今回割愛させて頂くが、どちらにしても国道423号線に進入する事が先決となる。付近から城跡までの登城ルートは二通り考えられるが、城跡の位置を確認しながら、一番最短で不安なく上れるルートは、ルート図中に示した資材置き場を通過したルート(画像に注目)、と思って頂ければ良いだろう。ちなみに10分内で到達可能
城跡の形態は、先に触れた様に陣城とも窺われそうな様相を呈しており、縄張り妙味にはまるで期待出来ない、大味な縄張りプランを持った城跡と言えば分かり易いとは思われる。踏破した範囲内で目に留まった遺構は、南北数百mにも及ぶ、ほぼフラットな広大な郭跡(本郭か?)、本郭部東側における高い切岸、空堀地形、大型の土塁跡、空堀道(後世の山道かも?)、明らかに新しい石積と古い石積が混在する石垣跡など、限られたものになってくるが、郭跡側壁(西側虎口に相当する箇所)の一部に、新しい石垣跡が見止められた事もあって、後世においては寺院転用地となっていた可能性は高く、見たままを当時の郭跡(縄張り)とするには、少々無理が生じるものの様には感じられた。本郭北側で窺われた空堀土塁地形などは、虎口跡に見えなくもなく、当時の遺構として良いのかも知れないが、、、正否の判定は非常に難しい。
現状(九月)城跡は、城域となる南端部分は相当削り取られており、これだけの造成地形改変が窺われる以上、当時の縄張りはほぼ見学者の想像に委ねられるだろう。結果的に見応えの感じられる遺構は皆無に近いと言う事にはなるが、以前よりこの城跡に興味を持たれていた城跡ファンの方、あるいは自分と同様に、是非光秀の足跡を辿ってみたい方には、当然お薦め出来るとは思われる。ただ訪れる際には、決して残存遺構に期待しない事が肝心となるが、、、
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