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2011年9月

2011年9月29日 (木)

江島里城跡/郷ノ口城跡(京都府亀岡市)

この二城はどちらも亀岡市内にあって、そのどちらも砦の域は出ず、安普請で以って築かれたものと見受けられた。江島里城は千歳町北山、郷ノ口城は旭町三俣にあって、この二城の規模はさておき、山城として特別見応えのある遺構が存在する訳でもなく、縄張り妙味がある訳でもなく、個人的には特に現況をリポートするまでには及ばない城跡の様に感じられたのだが、地理的に二城が近い事と、限りなく無名に近い事で、その実態も把握出来ず、所在地が掴めなかった方だけの為に、同時リポート掲載に及んだものと思って頂いても良いだろう。

まず江島里城を訪れるには、亀岡にあっては一番有名な神社でもある、「出雲大神宮」を目として目指せば分かり易い、この神社の背後には御影山城もあるので、この山城を既に訪れた方は、ここより1km程度南下(県道25号)した付近にある、城跡の所在位置は自ずと見当も付き易いだろう。入山口はルート図に示した様に、駐在所向かい側の道路からで、城跡の位置する中村峠までは登山道が繋がっているので、迷わず辿り着けるとは思われる(約20分)。

1_1 登城ルート

1_2 城跡概念図

城跡の大雑把な形態は、自身が踏破した範囲を示した、概念図にほぼ近いと思って頂いても良いとは思われるが、先に触れた様に見応えのある遺構は皆無、更に地表風化も藪化も相当進行しており、最高所に位置する櫓台規模の土塁郭が切岸跡も窺え、一番城跡遺構として判別し易いものと思って頂いても良いかも知れない、、、中村峠の切り通しは、当時堀切としての機能が備わっていたのかも分からないが、これは見学者の想像に委ねられるだろう。登山道中の中腹には物見郭とも見受けられる削平地が目に留まったが、僅かに空堀地形(画像に注目)は見て取れた。この山城に関しては、登山道で迷わず訪問出来る事からも、山登りが好きな山城ファンの方だけには、何とかお薦め出来るかも、、、、

15_one_karabori_tikei_1 西尾根削平地と空堀地形

20_nakamura_touge_2 中村峠の切り通し

22_yagura 奥が本郭部

23_yagura_heki 櫓台?切岸

郷ノ口城は、出雲大神宮から3km程度北上した丘陵先端部にあり、ルート図に示した国道477号線沿いの取り付き易い場所から上り、比高約100mを直登すれば、迷わず山上郭までは到達出来るが、とにかく激斜面を登る事になるので、事前に登山する覚悟は絶対に必要となる。山上全てを占める広大な本郭は、ほぼ削平されただけに終わったものであり、内部に段差程度の郭境は見止められるが、明確な切岸は全く眼には留まらなかった。状態も自然に任せたまま藪化は相当進行しており、木々の隙間を縫っての移動は余儀なくされる状況にあり、山上の平坦地形を見学するだけの為に上った、としか言いようがない訪城となってしまった。よって「敢えて見学するまでには及ばない城跡」と言ったところが本音になろうか、、、

Gounokutijyou 郷ノ口城登城ルート

Gounokutijyou_2 参考直登ルート

Gounokutijyou_3 Gounokutijyou_5 山上本郭(四月に撮影したもの)

2011年9月27日 (火)

五箇南城跡(京都府京丹後市)

この山城は、先にリポート掲載を終えた大型の城郭、五箇城(本郭)からは遠く離れた南峰(標高約130m)に位置しており、個人的には小規模ではあるが、主郭三方尾根に堀切が施された堅固な様相、五箇城本郭群からみれば一城に匹敵する、ほぼ独立した構造にあると見受けられた事もあって、今回は五箇南城としてリポート掲載に及ぶ事になった。

城跡を訪れるには、五箇城と同様の訪問ルートとなるので割愛させて頂くが、五箇城本郭群から南尾根沿いにそのまま移動すれば、迷わず南城へ辿り着けよう。城域が広域に及んでいる事もあって、本郭群から更に逆方向の北尾根へ向いて踏破探索される方は、南城へ至るまでには相当な時間も要す事になり、更に相当な距離を歩く事にもなるので、ここでは日を改めて南城を訪れる事を前提とした上で、南端尾根からの直登ルートをお勧めしたい。ルート図に記した付近から畦道に進入(画像に注目)して、右手斜面に取り付き上れば、南尾根上郭群を経た後、15分程度で南端堀切までは辿り着ける筈である(藪漕ぎなし)。

1route2_2登城ルート

5a_1  参考直登進入口

3m 南城概念図

城跡の形態及び見所遺構、あるいは踏破した範囲で目に留まった遺構群は、ほぼ概念図に示した通りと思って頂いても良いとは思われるが、西側に連続する尾根までは踏破確認に及んでいないので、残存遺構も縄張りも決してこれだけには終わらないものと思って頂きたい。この城跡の見所は、「三方尾根に施された堀切に尽きる!」と言っても過言とは思えないものであり、便宜上本郭群との境とした移動痩せ尾根に至るまでには、縦堀も含めた堀切を、合計五箇所で拝める筈である。二重堀切は主郭西斜面と北斜面側に施されているが、特に西斜面の二重堀切は状態が良く、片側が縦堀となって落ち込む(全貌が窺える)様は、正に圧巻と呼ぶに相応しいものと感じられた。当然山城ファンを自称される方にとっては、間違いなく満足感の味わえる、見応え抜群の遺構と感じられたのである。

10_dorui_kaku 南端郭、僅かな土塁跡

12_horikiri 南端堀切見所

21_shukaku_heki 主郭北切岸

22_kita_2jyu_horikiri_1 主郭北、二重堀切見所

16_2jyuu_horikiri 17_2jyu_horikiri 西二重堀切見所

29_kitakaku2_hasi 北郭端

現状(九月)城跡は、比較的状態の良い五箇城本郭群とは違って相当藪化は進行しており、移動に支障を来たすまでには至っていないが、場所によっては木々の隙間を縫っての移動(主郭)は余儀なくされる状況にある。しかし遺構は全て判別確認し易い状にはあるので、冬季訪問ともなれば、更に状況も良くなる事は予測が付き易い。自ずと四季を問わず比較的訪問し易い山城という事にはなるだろう。

城跡を個人的に評価すれば、遺構残存度の高さ(ほぼ完存に近いかも?)や、合計五箇所でお目にかかれる見応えのある堀切及び縦堀といった具合に、南城だけみれば規模は小さいが、「単独訪問としても充分お薦め出来る山城の一つ、と自分の目には映ったのである。

2011年9月25日 (日)

丹後においては屈指の城域を誇る大型の山城 五箇城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市峰山町五箇(ゴカ)にあって、ルート図を見ればお分かり頂ける様に、「慶徳院」背後から南の嶺(標高125m地点に位置する便宜上の南城)、更にその南端まで、北尾根は未踏に終わったので推察を含むが、その先端まで、あるいは本郭群から派生する四方枝尾根上(未踏)まで郭が展開されていると思われる、大型の城郭が多い丹後においては、屈指の城域を誇る山城と眼には映った。以前大宮町にある巨大と呼ぶに相応しい常吉城(とにかく素らしい山城!)を紹介したが、規模だけみればこの城跡と同等の様にも感じられたのである。城史に関しては石川氏の居城が唯一伝わっているが、一色氏の重臣として、伊久知城を居城として活躍した、あの石川氏とは同族なのかも知れない、、、その詳細は不明

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた大門城を起点とすれば分かり易いので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、慶徳院脇(南端)からの参拝登山道を利用して上れば、社殿の建つ便宜上の三ノ郭までは数分で辿り着けよう。南城へは主郭南堀切を越えて向かう事になるが、個人的にはルート図に示した様に南端から取り付き、南城を経て本郭群へ、下山を寺院とするルートを選択した。尚、外部情報から城山は松茸山と聞くに及んだので、入山する際には当然その確認が必要となる。

1route2 登城ルート

62_sanpaidou 参拝登山道 

3 城跡概念図

今回踏破した範囲はルート図に示したまでに限られるが、南城の三方を堀切で断った堅固な構造は、本郭群に対しての出城か、最終的な詰城の様な形の、ほぼ独立した形態と見受けられた事から、ここでは五箇南とさせて頂いた。もちろん五箇城の本質は、南城及び未踏に終わった四方枝尾根上、あるいは北尾根上の郭群(推察)を全て含んだものとは思われるが、、、、

56_3maru_hasi 三ノ郭の端、社殿

51_shukaku_heki 二ノ郭より主郭切岸見所

47_honkaku_doruidan 主郭内

60_higasikaku_gawa_3 東郭

46_dai_horikiri1南大堀切見所

37_heki 南郭切岸

39_horikiri3_1 堀切3見所

33_2本郭 南端堀切4見所

この山城を見学する上で、一番醍醐味を感じられた部分であり見所を挙げれば、南城までに至る縄張りの中で、九箇所に施された堀切という事になろうが、掘削された深さも幅も形態(二重堀切、縦堀を伴う)も、尾根上によって異なるものであり、それなりに工夫が見受けられる。もちろん見所の一つと言える、丹後の城跡特有の直立に切り立つ切岸も、本郭群周りで充分拝める筈である。概念図には本郭群周辺の目に留まった遺構しか描けなかったが、更に本郭から東麓に向いて削平地が数段重なり合っているのだけは見て取る事が出来た。先に触れた常吉城の様に、大型で尚且つ縄張り妙味まで感じられる山城とは決して言えないが、これを機に訪れる方には、自身が未踏に終わった北尾根上までは、是非足を延ばして頂きたいと思えたのである。地形上(地図上)から考えても、概念図に示したまでで終わる城跡とはとても思われない、、、尚、南城の現況報告は、五箇南城として後で掲載予定

城跡を個人的に評価すれば、後でリポート掲載予定の南城も併せた訪問とすれば、相当距離を歩く事にはなるが、そこまでしても充分見学する値打ちのある山城と自分の目には映ったのである。自ずと是非お薦め出来る城跡の一つという事にはなるだろう。

2011年9月23日 (金)

西松尾山城跡(京都府亀岡市)

城跡は京都府亀岡市曽我部町法貴上殿垣内にあって、既にリポート掲載を終えた法貴山城から見れば南西側の丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、この広大な郭跡を窺う限りでは、法貴山城を山上詰城とした場合の居館跡、あるいは陣城、あるいは酒井氏が築城した法貴山城を、攻略後に明智光秀が改修したものか?などと、色々な想像が掻き立てられる城跡の一つでもある。個人的には明智光秀の生き様に惹かれて、丹波を中心とした近畿圏内における光秀の係わった城跡は、この城跡も含めてほぼ訪れた計算になったが、出生地を始めとして、信長に仕えるまでは謎多き武将でもある。天下分け目の戦い」における敗軍の将ともなれば、闇に葬られた部分もかなり多そうに思われる事から、今後光秀に関しては、今明らかにされている情報以上のものは、とても期待は出来ないだろう、、、

3 登城ルート及び城跡概念図

6 進入経路

城跡を訪れるには、ルート図に示した法貴山城を起点とすれば、一目瞭然の位置にあるので、訪問ルートの説明は今回割愛させて頂くが、どちらにしても国道423号線に進入する事が先決となる。付近から城跡までの登城ルートは二通り考えられるが、城跡の位置を確認しながら、一番最短で不安なく上れるルートは、ルート図中に示した資材置き場を通過したルート(画像に注目)、と思って頂ければ良いだろう。ちなみに10分内で到達可能

城跡の形態は、先に触れた様に陣城とも窺われそうな様相を呈しており、縄張り妙味にはまるで期待出来ない、大味な縄張りプランを持った城跡と言えば分かり易いとは思われる。踏破した範囲内で目に留まった遺構は、南北数百mにも及ぶ、ほぼフラットな広大な郭跡(本郭か?)、本郭部東側における高い切岸空堀地形、大型の土塁跡空堀道(後世の山道かも?)、明らかに新しい石積と古い石積が混在する石垣跡など、限られたものになってくるが、郭跡側壁(西側虎口に相当する箇所)の一部に、新しい石垣跡が見止められた事もあって、後世においては寺院転用地となっていた可能性は高く、見たままを当時の郭跡(縄張り)とするには、少々無理が生じるものの様には感じられた。本郭北側で窺われた空堀土塁地形などは、虎口跡に見えなくもなく、当時の遺構として良いのかも知れないが、、、正否の判定は非常に難しい。

10_higasi_karabori_yamamiti_1 空堀道(後世における山道かも)

12_honkaku 広大な本郭

13_sokuheki 本郭東切岸

16_karabori 本郭部北、大土塁と空堀地形

18_kaku 北痩せ尾根上の郭跡

26_hokutan 城跡北端

27_nisigawa_isi 西側に構築された謎の石垣

現状(九月)城跡は、城域となる南端部分は相当削り取られており、これだけの造成地形改変が窺われる以上、当時の縄張りはほぼ見学者の想像に委ねられるだろう。結果的に見応えの感じられる遺構は皆無に近いと言う事にはなるが、以前よりこの城跡に興味を持たれていた城跡ファンの方、あるいは自分と同様に、是非光秀の足跡を辿ってみたい方には、当然お薦め出来るとは思われる。ただ訪れる際には、決して残存遺構に期待しない事が肝心となるが、、、

2011年9月21日 (水)

全貌が窺える豪快な縦堀は一見の価値あり!大門城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市峰山町五箇(ゴカ)にあって、広い五箇集落の中央を流れる、鱒留(マスドメ)川より東側の勝負谷にあり、ほぼ独立した低丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、後でリポート掲載予定の、ここから西側に窺える低山のほとんどを郭で占めた、広大な城域を誇る山城、五箇城を本城とした場合、正しくその東出城に相応しい規模と縄張りを持った城跡と言えるものである。

城跡を訪れるには、国道312号へ進入する事が先決となるが、五箇集落周辺まで辿り着けば、「慶徳院」を目印として東側の谷筋へ針路変更、後はルート図及び概念図を見ればお分かり頂けるとは思うが、小さな神社の背後から右手側斜面へ取り付いてそのまま上れば、直ぐにでも城跡最大見所とも言える土塁を伴った豪快な縦堀が迎えてくれる筈である。

1route 登城ルート

3 城跡概念図

この城跡は概念図に示した様に、主郭に帯郭が付随するだけの、ほぼ単郭で成立した城郭と見てよいものであるが、現状(八月)城跡は、藪化進行中にあっても、コンパクトにまとまった形態が故に、郭周囲斜面も木々の隙間を縫いながら移動すれば、何とか踏破する事が可能となっている。ただ主郭内部は下草が相当蔓延っているので、内部の僅かなマウンド地形から郭構成までを読み取るには、非常に困難な状況にあると思って頂ければ良いだろう。取り合えず複雑な縄張りでもないので、残存する遺構はほぼ判別確認可能な状態にはあるが、、、9 8_tatebori

土塁を伴う豪快な縦堀

15_horikiri堀切見所

17_une 縦堀群見所

22_shukaku_2 主郭の現状 (ましな箇所)

24_karabori_dorui 空堀、土塁跡見所

25_shukaku_heki 主郭東切岸

見所遺構として挙げられるのは、先に触れた縦堀を代表とする空堀群で、主郭西端に施された僅かに窺える空堀と土塁西尾根を断つ堀切、主郭南斜面に施された縦堀群などと並んで、間違いなく見学者の眼は楽しませてくれるだろう。この縦堀群は畝状空堀群と呼ぶに相応しい遺構とは思われるが、斜面の地表風化は激しく、明瞭な縦堀は三本程度に止まるものであった為に、敢えて畝状空堀群として概念図中には示さなかった。どちらにしてもこの空堀見学が全て」とも言い切れる城跡なので、これを機に訪れる用意のある方には、この人家近くまで落ち込む、しかもほぼ全貌が窺える豪快な縦堀は、是非期待して臨んで頂いても良いのではないだろうか、、、

城跡を個人的に評価すれば、後でリポート掲載を予定している五箇城と併せた山城巡りは是非お薦め出来るが、単独訪問としても充分お薦め出来る城跡の一つとは言えよう。ただし規模は決して問わない事が前提とはなるが、、、

2011年9月19日 (月)

連続する分厚い大土塁が見所 タタズノ城跡(京都府福知山市)

城跡は京都府福知山市三和町ユリにあって、樋口氏の持城とも言える川合三城(殿ノ奥城、日向城、経ヶ端城)から見れば、一番南端に位置しており、川を隔てた東側丘陵上に築かれている。

この城跡は、現状城史に関して明確にされている訳ではなく、一応樋口氏の拠った城跡と伝わっている様ではあるが、この陣城の如き大味で、丘陵上ほぼ全域を占める削平の行き届いた広大な郭跡を窺う限り、先に触れた樋口氏の築いたコンパクトにまとまった三城とは、縄張りプランが根底から異なるものであり、同氏が築いた城跡の様にはとても思えなかった。個人的には明智が丹波攻略後に築いた城郭、あるいは陣城として見るのが一番納得が行く様な気がしたのである。もちろんこの城跡の様相から窺われる部分や、城郭としての機能の想像が、遺構見学も含めて一番楽しめる部分でもあるが、これを機に訪れる用意のある方には、明智の足跡を辿る上では、大変貴重な城跡と感じられた事から、縄張り妙味のある城跡とはとても言えないが、当時に思いを馳せながら、存分に戦国ロマンに浸って頂きたいと思えたのである。川合三城と併せた城跡巡りであれば、当然充実した山城巡りが出来る事は請け合いとも言えるが、単独訪問としても充分お薦めは出来ようか、、、

1route_1 登城ルート

8 進入経路

3 城跡概念図

現状(八月)城跡は、城域の全てが植林地となっているので下草は少なく、ほぼ全体像が窺える状態は、遺構見学としては持って来いの、これ以上望めない状況となっている。先に触れた様に、大味な縄張りでもあるので、数多くの遺構を拝める訳ではないが、東尾根を断つ、堆積物によって浅くなった幅のある大空堀(横堀)や、それに付随する随分高低差の失われた分厚い大土塁(全長50m以上)は、郭間に施された低い切岸跡、あるいは北斜面を垂直に近く削り落とした、正に圧巻とも呼べる切岸と並んで、間違いなく見学者の目は楽しませてくれるものと思えた。他では空堀(横堀)から垂直に落ち込む縦堀、当時の遺構かどうかの判定は難しいが、麓から主郭まで繋がる空堀道(現状、山道)なども、決して見逃して欲しくない遺構と見た。ついでといった形で、郭壁随所に石積の痕跡(推察)が僅かに窺えた事だけは付け加えておきたい。

17_karabori_dou_1 空堀道(現状山道)

18_nisidankaku_heki 西郭群の状態の良い切岸見所

19_kirikisi 石垣痕?が郭壁に

21_kaku 西郭群

24_shukaku 主郭の現状

25_daidorui_1 埋もれた大空堀と大土塁見所

27_tatebori_1 縦堀見所

29_kirikisi見事な北側切岸見所

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた川合三城と同様の訪問ルートとなるので、今回は割愛させて頂くが、「常楽寺下バス停」を目印とすれば、そのほぼ南側の城跡の位置する丘陵は直ぐ確認出来る筈である。概念図に示した入山ゲートを潜った後は、どこから上っても直ぐの距離にあるが、概念図に示した付近の獣避けネット下を潜って、直接山上主郭を目指しても良いし、右手側の尾根先端部辺りから、空堀道(溝状)に沿って上っても良いだろう。

2011年9月17日 (土)

川合日向城跡(京都府福知山市)

城跡は京都府福知山市三和町上川合にあって、日向(ヒナタ)集落の中心部にある「川合小学校」の真北側に位置しており、通称「城山」と呼ばれている標高約250mの山頂にある。既にリポート掲載を終えた経ヶ端城は、川を隔てた真南丘陵先端にあり、殿ノ奥城まで含めた三城は、丁度二等辺三角形を形成するかの様な、城跡ネットワークを見て取る事が出来る。経ヶ端城と同様に樋口氏の居城が伝わっており、経ヶ端城の出城として位置付けすれば良いのかも知れない。

城跡を訪れるには、県道59号へ進入する事が先決となるが、「川合小学校」を目として目指せば、迷わず付近までは辿り着けよう。この山城も近年人が踏み入った形跡はほとんど見られなく、今となっては山頂まで繋がる山道は存在しないので、当然直登は余儀なくされるが、ルート図に示した「観音堂」横から始まる林道の入山ゲートを潜り、少し奥へ入った箇所から植林地に向いて取り付き、そのまま山頂を目指して上り切れば良い。ちなみにこの時期(八月)でも道中藪漕ぎまでには至っておらず、植林地帯を過ぎれば多少木々の隙間を縫っての登城は余儀なくされるが、15分程度で山上主郭へは到達可能と思って頂ければ良いだろう。

1route 登城ルート

7_2 登城入山口

3_1 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、コンパクトにまとまった小規模な山城ともあって、縄張りは山頂部分だけに限られるものと眼には映った。郭総全長は30mにも満たない城跡ではあるが、一応堀切は施されており、堀切側の郭端では明瞭な受け土塁までも眼にする事が出来る。現状堆積物による地表風化は激しく、段差程度で切岸処理された郭壁は曖昧と化しており、山上本郭群の郭構成は明確には読み取れない状況にあるが、この狼煙台程度の山城を思えば、縄張りプランなどは議論の対象にも及ばないものと見た、、、

15_hokutandorui 北端の土塁見所

16_shukaku_obi 主郭壁となる自然岩と帯郭

18_shukaku_minami_iwa 主郭南端部

17_horikiri 堀切見所

18_horikiri_heki_1 北尾根より堀切、主郭壁

城跡を個人的に評価すれば、物見程度の機能が想像される、小規模極まりない山城ではあるが、全体像が拝める見応えのある堀切がある事や、明瞭な土塁が拝める事を理由にすれば、険峻な地にある楚々とした山城に魅力を感じる事の出来る、山城ファンの方だけには何とかお薦め出来ようか、、、 経ヶ端城をまだ未訪としている方には、この城跡が地元有志の方々の手によって、何時立寄っても見学し易く保全整備されている事、あるいは四季を問わず全貌が窺える素晴らしい状態(山城としては最高レベル)にある事を理由に、二城同日訪問は是非お薦めしたいところではある。

2011年9月15日 (木)

下常吉支城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市大宮町下常吉にあって、築城環境及び城跡呼称から察する限り、既にリポート掲載を終えた常吉城の支城、あるいはその出城と考えれば良いのかも知れない。

城跡を訪れるには、当然常吉城を起点とすればその位置は分かり易いが、ルート図及び概念図からお分かり頂ける様に、県道76号沿いにある「常吉駐在所」の真西側にある低丘陵に城跡は位置しているので、駐在所脇道より郭転用地とも窺えた集合墓地を目指せば、自ずと城域へ足を踏み入れた計算にはなる。ちなみに5分程度の距離

1_1 登城ルート

6_2

進入経路

1_2 城跡概念図

城跡の形態は小規模な主郭から東側へ郭が付随しただけに終わったものであり、郭転用地とも思われた集合墓地敷地まで含めたものが、当時の縄張りとも察せられたが、後世における造成地形改変を思えば想像は付き難く、当然推察の域は出ないものでもある。現状(八月)眼にすることの可能な当時の遺構は、削平の行き届いた主郭跡主郭切岸、主郭背後の両端が縦堀へ繋がる堀切と、数も限られたものになってくるが、堀切に関しては縦堀へ繋がる全体像が窺える事から、城跡にあっては唯一見応えのある遺構と思って頂いても差し支えはないだろう。

7 集合墓地と化した東郭

10_shukaku 主郭の現状

13horikiri 堀切見所

13_tatebori_1 連続する縦堀見所

城跡を個人的に評価すれば、砦規模の城跡でもあり見応えには随分欠けるが、全貌の窺える堀切が拝める事や、遺構見学における圧倒的お手軽感を考慮すれば、常吉城あるいは既に紹介を終えた大宮町内の山城と併せた訪問とすれば、充分訪れる値打ちも生まれて来るのではないだろうか。

2011年9月13日 (火)

弓木北城跡/南城跡(京都府与謝郡)

この二城は京都府与謝郡与謝野町岩滝にあって、既にリポート掲載を終えた弓木城から見て、真北側の丘陵上に位置するのが弓木北城、西側の丘陵上に位置するのが弓木南城となる。ルート図を見れば直ぐお分かり頂ける様に、弓木城を本城とした時、その背後の憂いを取り除くが如くの築城環境にある事から、自ずと本城に対しての支城、あるいは出城と言う事になろうが、推察の域は出ないものである。弓木城は一色氏最後の砦(終焉の地)、あるいは稲富氏の居城として、丹後の戦国史を語る上では絶対に欠かせない城跡の一つでもあるが、この二城も本城と同じ運命を辿ったものとして、まず間違いのないところか、、、、

城跡を訪れるには、弓木城から見れば分かり易い位置にあるので、訪問ルートの細かい説明は割愛させて頂くが、北城へは概念図に示した様に、祠下の車止めまでは直接車で乗り付ける事が可能となっており、取り付き易い場所から上ればよいだろう。南城は大内峠遊歩道登山口付近に駐車空きスペースがあるので、そこから遊歩道を利用して上り、概念図に示した付近から進入すれば、直ぐにでも主郭が迎えてくれよう。

1route 登城ルート

現状(八月)、両城共に藪化も風化も相当進行した状況にあり、郭内部には相当低草木が蔓延っているが、近年人の踏み入った形跡のない山城としてみれば、まだましとも言える状態が自然維持されている。よって両城共に縄張りはある程度掴み易い山城と言っても良いとは思われるが、見て廻る分には木々の隙間を縫いながらの郭移動は余儀なくされる(特に南城の状態は悪い)のが実情でもある。

北城は、ほぼ尾根上に直線的に郭を連ねたと見受けられる、単純な縄張りプランの城域の広い(郭総全長は300m以上に及ぶ)山城であるが、東枝尾根上は未踏に終わっているので、その形態も残存遺構も、決して概念図に示した限りではないものと思って頂きたい。見所遺構として北端に施された二連の大堀切、郭を形成する直立に近い形で削り落とされた切岸(一部で)は挙げられるが、斜面上に郭を連ねただけに終わっているので、縄張り妙味までは求められないだろう。ただ尾根南端まで郭が連なる様は、「山城としてはそれなりに見応えがあるもの」と言っても良いのかも知れないが、、、

3z北城跡概念図

5 進入口付近

8 切岸

12_kosikaku_2 腰郭

16_doruikaku_heki 見事な切岸見所

14_kaku_dorui 車止め付近北上段の郭(土塁?)

22_horikiri2_1 大堀切見所

33_nantankaku_karaboridou 南端郭見所

南城の大雑把な形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、踏破した範囲に限っていえば、鋭角に刻まれた明瞭な切岸跡(高低差には欠ける)、郭跡は充分窺えたが、堀切などの空堀遺構は全く目に留まらなかった。

Photo 南城跡概念図

Photo_2 帯郭と主郭切岸見所

Photo_3 主郭西切岸

Photo_4 東先端郭

この二城を個人的に評価すれば、二城同日訪問とした時、初めて値打ちの感じられる山城といった事になろうが、車で移動中に寄れるお手軽感を思えば、興味を持たれた山城ファンの方だけには、充分お薦め出来る物件の一つと言えようか、、、

2011年9月11日 (日)

圧倒的お手軽感と状態の良い切岸だけは誇れる 能勢吉良居館跡(大阪府豊能郡)

城跡は大阪府豊能郡能勢町天王にあって、国道173線からもその丘陵は直ぐ望める位置にある。名が語る様に吉良氏の居館跡と伝わっているが、この吉良氏に関しての情報は皆無に近いものであり、これからの情報にも余り期待は望めないだろう。ただこの比較的規模の大きい居館跡や、主郭に付随する緩い傾斜を伴う広大な削平地、あるいは切岸処理の行き届いた郭群を窺う限り、能勢においてはそれなりの勢力であった事は充分窺えるが、、、

城跡を訪れるには、国道173号へ進入する事がまず先決となるが、天王小学校を目印として目指せば分かり易い。ルート図に示した天王小学校の位置から、城跡の所在場所は確認して頂きたいが、国道に面している事もあって、城跡の位置確認は容易いとは思われる。入山口は概念図に示したが、ここから郭転用地と見受けられた古い墓地を経由して上れば、直ぐにでも主郭が迎えてくれる筈である。

1route 登城ルート

3_1 城跡概念図

この城跡は、自分にとっては山城巡りの移動ついでに、何時でも気軽に寄れる環境にある事を理由に、ここ数年間は再訪もせず、リポート掲載も未だに及んでいなかったが、今回は山城巡りの帰路において十分な時間が採れた事もあって、やっと現況をリポートする事に及べた。ただ初回訪問時においては、見通しの利く状態の良い主郭に佇んで、充分な臨場感を味わう事が出来たが、現在では主郭から更に山上に向いて、2m近い高さの獣避けファンスが張り巡らされているので、現状主郭内に踏み入る事は出来ない状況(入山ゲートは付近になかった)となっている。主郭跡に佇む事が出来ないのは非常に残念ではあるが、城域が全て植林地にある事で、郭全体像がほぼ窺える状況から、フェンスのお陰で遺構見学に差し支えるまでには至っていないのがまだ救いか、、、、

10 入山後直ぐ主郭切岸が望める

12_kaku 郭転用地

15_naka_kaku 東郭群切岸見所

19_shukaku_heki 見事な主郭切岸

24_shukaku_sokuheki_1 主郭東側の切岸見所

19_shukaku_nai_2 主郭内

22_shukaku_dorui_1 主郭土塁跡見所

遺構見学において一番醍醐味の感じられる部分は、空堀などは一切施されてはおらず、唯一の防備機能とも思えた郭切岸で、下草も蔓延らず当時のままとも言える素晴らしい状態の切岸には、感動させられる事は請け合いとも思えたのである。現状踏破した範囲で目に留まった遺構は、概念図中に記した土塁だけに限られるが、居館としたその佇まいには、その状態の良さも相俟って、充分な満足感には浸れよう。

個人的に城跡を評価すれば、数年経っても初回訪問時よりほとんど変わらない、状態の良さだけは特筆に値するものであり、時期を問わず遺構見学が楽しめるこの状況は、圧倒的お手軽感を含めずとも、間違いなくお薦め出来る城跡の一つと自分の眼には映ったのである。ただ縄張り妙味は感じられず、遺構の見応えは切岸だけに限られるものと思われるので、これを機に訪れる方は、決して過大な期待を持って城跡を訪れない事が肝心、、。

2011年9月 9日 (金)

三重大内城跡/三坂谷城跡(京都府京丹後市)

この二城は、どちらも京都府京丹後市大宮町三重にあって、名が語るように三重大内城は三重大内、三坂谷城は三重三坂谷にある。どちらも規模は小さく、砦の域は出ない城跡と言えようが、見学する分においては、僅かに横堀に近い空堀跡の痕跡の残る大内城の方が、機能を想像する楽しさも含めれば、まだ探索のし甲斐があるものと感じられた。どちらも城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた三重城や星ノ内城を起点とすれば分かり易いので、訪問ルートの説明は今回割愛させて頂くが、そのどちらも655号線から望む事が出来るので、所在位置も入山口もルート図を見れば現地で直ぐ確認出来るとは思われる。

1route_2 登城ルート

まず三重大内城の形態は、ほぼ概念図に示したものに近いと思って頂いても良いが、痩せ尾根上に低い段差を以って、郭を並べただけの山城とも見受けられた。現状眼にする事の可能な遺構は、郭跡及び長年の地表風化によって埋もれて浅い空堀地形だけ、と言っても過言とは思えないものであり、当然見応えを感じる遺構にはお目にかかれないのが現実である。知名度に全く欠ける山城にしては、まだ見て廻り易い状態にあるだけましかも分からないが、山城としての佇まいが味わえる程度と言って良いのかも知れない、、、、

Mie 三重大内城概念図

6_kaku_heki 僅かに切岸

11_2ren_karabori 郭間における二連の空堀痕

14_nisikaku 西郭群

三坂谷城は、現状を見る限り丘陵南端からその周辺にかけては、近年の農地化によって遺構が随分削り取られた可能性があり、現在眼にする事の出来る遺構は、残った部分に相当する郭跡、及びその切岸だけに限られており、自ずと当時の縄張りは見学者の想像に全て委ねられるだろう。更に藪化が追い討ちをかけた状態にある事から、歩き回れる範囲も限られており、「探索する楽しさはまるで見出せない城跡」と言えば、これを機に訪れる用意のある方には想像が付き易いのではないだろうか。

1 三坂谷城概念図

1_enbou 進入経路

1_kirikisi 切岸

1_kaku 郭先端部

城跡を個人的に評価すれば、山城が多く林立する三重地区、あるいは森本地区における山城巡りの一環と考えた上で訪れるのであれば、充分見学する値打ちも生まれて来るのではないだろうか。

小森谷城跡(京都府与謝郡)

城跡は京都府与謝郡与謝野町下山田にあって、ルート図に示した様に、既にリポート掲載を終えた聖谷城、トビガタ城を起点とすれば、その位置も訪問ルートも把握し易いとは思われる。城史に関しての情報は現状皆無に近いものであり、その詳細も不明

城跡を訪れるには、先に触れた聖谷城、あるいはトビガタ城とほぼ同一の訪問ルートとなるので、今回は割愛させて頂くが、直登取り付き地点となる大きな集合墓地は概念図に示した。ルートとしては東側の竹林地(削平地)を通過し、城跡の中枢と目に映った便宜上の南段郭群を経て、更にそのまま山上を目指して上り続ければ、自ずと山上主郭へ辿り着く事になる。主郭から見て南東枝尾根上も城域、あるいは縄張りと察せられた事から、当然好奇心から覗いてみる事になったが、明らかにそれと分かる広い削平地が丘陵上を支配していた。先端部付近の郭跡には段差程度の切岸跡が窺えたので、この枝尾根上もまず城域として間違いないものとは思われる。

1_1_2 登城ルート

4 城跡遠望

1_2_2 城跡概念図

城跡の大雑把な形態は概念図には示したが、堀切は施されてはおらず、山上主郭まで低い段差で無数に重なり合う段郭群が、防備としての要と感じられた。現状この南段郭群は、堆積物(落ち葉)によって切岸は曖昧と化してはいるが、郭跡となる削平地は多少の傾斜は含むが、ほぼフラットな状態が自然維持されており、唯一この地が城跡である事を物語っている。もちろん削平地は主郭を頂点として更に南麓まで繋がっているが、その先端までは踏破していないので、残存遺構も城域も概念図に示した限りではないものと思って頂きたい。

6 墓地への進入路

8_minami_dankaku_gun_1 南郭群

8_minami_dankaku_gun_2 南郭群の僅かな切岸

2 東尾根上の削平地

現状(八月)城跡は、藪化も風化も進行中にあるが、見学に支障を来たすまでには至っておらず、歩き回ればその全体像はほぼ掴める筈である。ただ踏破した範囲内では見応えのある遺構が皆無に近かった事と、未踏の地に余り期待が持てなかった事もあって、探索冥利に尽きる城跡とは絶対に言えそうにないので、これを機に訪れる方には、過大な期待は出来るだけ持たずに訪れて頂きたいのである。

城跡を個人的に評価すれば、今回の現況報告に興味を示された方、初めてこの城跡の存在を知り得た方、あるいは与謝野町の山城に興味のある山城ファンの方だけが、訪城の対象となる城跡ということになるのかも知れない、、、

2011年9月 7日 (水)

トビガタ城跡(京都府与謝郡)

城跡は京都府与謝郡与謝野町石川にあって、既にリポート掲載を終えた大江口城からみれば、真北側の丘陵先端部に位置しており、後でリポート掲載予定の小森谷城からみれば、川を隔てた南側に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、過去国道176号を利用して赴いた、与謝野町に現存する多くの山城と同様の訪問ルートとなるが、城跡は野田川駅の真東側に位置しており、国道沿いからも直ぐ確認出来るので、所在位置は直ぐ確認出来よう。城跡周辺は非常に道が狭いので、ルート図に示した公民館に一旦車を預ける事になるが、そこから歩いて城跡を目指せば、5分程度で主郭背後に施された堀切までは辿り着ける筈である。

1_1 登城ルート

Photo 城跡遠望

本来この城跡は、トビガタ城として概念図に示した場所が城跡にあたるものであるが、丹後に築かれた多くの山城がそうである様に、二つに分かれた南北丘陵枝尾根上に郭は展開されているものと自分の目には映ったのである。見た限り北側丘陵上に位置する方が城跡としての規模は大きく、トビガタ城よりも遥かに城跡遺構らしく感じられた。ただリサーチ不足のせいもあって、現状この地が間違いなく城跡と確証するまでには至っていないのだが、、、、興味を持たれた方は、是非トビガタ城の北側丘陵上(先端部は集合墓地)も、同時に覗いて頂きたいと思えたのである。現状その主郭と察せられた削平地は集合墓地となっているが、山上郭群に至るまでの規模は大きく、堀切は備わってはいないが、郭境に施された明瞭な切岸跡や、その郭構成までも考えれば、縄張りプランが下になって築かれた城跡という事は明確でもあり、山城ファンの方が見れば、それは充分納得出来るものとは思われる。

1_2 推察城跡の概念図

Photo_2 推察主郭

Photo_3 推察切岸

Photo_4 推察山上郭

トビガタ城の現況報告に戻るが、この城跡は小規模ではあるが堀切が施されており、城跡にあっては唯一、切岸と並んで目を楽しませてくれる遺構となっている。ただ概念図に示した様に、主郭西側が道路造成工事によって、どれだけ地形変化があったものかは想像も付き難く、本来の縄張りはほぼ見学者の想像に委ねられるだろう。小規模な為に遺構見学に差し支える事もなく見て廻れる状況にあるが、目に留まる遺構は限られたものであり、縄張りプランも含めれば、余り期待を抱かずに訪れたほうが良いかも知れない、、、、

1_3 トビガタ城跡概念図

7_horikiri 堀切進入経路

9_horikiri_1 堀切見所

13_shukaku_koguti 主郭虎口地形

12_shukaku 主郭

15_fukukaku_gawa 副郭と帯郭

城跡を個人的に評価すれば、トビガタ城単独訪問では、是非お薦めとはとても言えないが、今まで紹介してきた、多くの与謝野町の山城と併せた山城巡りとするのであれば、覗いても決して無駄足に終わる事はないと感じられたのである。

2011年9月 5日 (月)

陣ヶ谷砦跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市内町にあって、「月出神社」を南麓とするその背後、標高約150mの丘陵上(尾根先端部)に位置しており、その真北側の197m山頂部には、その本城となるものかどうかまでは分からないが、小垣城があると現地の史跡に詳しい方から聞くに及んだ。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、既にリポート掲載に及んだ石屋城を起点とすれば分かり易い位置にあるが、石屋城を南に望む事の出来る「辻」交差点より、一般道242号へ針路変更して豊岡側へ車を走らせればよい。1.5km程度距離なので、直ぐにでも直登山口とした月出神社までは到達出来るが、車は公民館駐車場を少しの間借りれば良いとは思われる。ここから神社まで向い、社殿背後左側谷沿いを踏み跡に任せて上り、尾根が木々の隙間から見えてきた時点で、そのまま右手斜面に取り付き上れば、取り合えず城跡北端に設けられた堀切付近には辿り着ける筈である。ちなみに15分程度

3 登城ルート

4_jinjya 月出神社

城跡の大雑把な形態は概念図には示したが、城跡名が語る様に、余り高低差のない小規模な郭が40m程度に渡って連なっている程度の、小規模な砦跡と思って頂ければ、まず間違いのない処か、、、 現状(八月)の藪化が深刻化した状態、あるいは長年の地表風化で曖昧と化した地形からは、中々郭構成までは把握出来ない状況にあり、明確に判別確認可能な遺構は、削平された郭跡、主郭壁となる北側の切岸跡、北端の堀切及びそれに付随する土塁といった所でもあり、遺構の見応えには程遠い山城ということになるのかも知れない。せめて郭跡にゆっくり佇む事でも出来れば、また違った見方も出来るかも知れないが、これを機に訪れる用意のある方には、冬季訪問を僅かに期待するしかない様にも思われた。

7_haigo_horikiri_1 堀切見所

8_dorui 堀切に付随する土塁

11_kitakaku_yori_shukakuheki_1 北郭より主郭切岸

13_shukaku 主郭の現状

城跡を個人的に評価すれば、郭跡に佇む事も出来ない状況、あるいは郭移動にも藪漕ぎを強いられる現状を思えば、当然山城ファンの方でさえお薦めはし難いが、砦でありながら堀切が備わるただ一つの理由だけで、山城巡りの一環として気が向いたら訪れる程度とすれば、何とか訪れるきっかけも生まれて来るのではないだろうか。尚、冒頭に触れた小垣城は当然訪れるつもりでいたが、山頂までの厳しい藪漕ぎ踏破を思えば、断念せざるを得なかった事だけは付け加えておきたい。

2011年9月 3日 (土)

金岐城跡(京都府亀岡市)

城跡は京都府亀岡市大井町北金岐にあって、既にリポート掲載を終えた太田城から見れば、真北側の標高約300m地点に築かれたものであり、標高431mの行者山から南東へ派生した山上尾根にある。城史に関しての詳細は不明であるが、地表風化の進行した状態や、城跡の古い形態から察すれば、築城年代は相当遡るものとも見受けられた。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、京都縦貫自動車道の「大井」ICを目印として目指せば、ルート図を見ればお分かり頂ける様に、城跡の位置は確認し易いだろう。入山口となるのは「常観寺」で、駐車場からの登城ルートは概念図には示した。ここから最奥にある砂防ダムまでは林道が繋がっており、ダムまで辿り着いた後は、右手側の尾根に取り付いて上れば、便宜上の東出郭を通過して、北郭周辺には迷わず辿り着けるとは思われる。ちなみに寺院から北郭までの所要時間は25分

1_1 登城ルート

10 登城進入口

1_2 城跡概念図

この山城は先に触れた様に山城の初期形態を成すものであり、意外に規模は大きく(砦規模を予想していた)、南北に渡る郭総全長は二百mには達しそうに感じられた。大雑把な形態は概念図に示したが、本郭部に付随する帯郭や小規模な段郭群、あるいは移動尾根にあたる鞍部削平地を挟んで、山上郭群はほぼ二ブロックに別れており、郭間にも斜面にも空堀の類は一切施されてはいない。数少ない遺構の中にあって、自身が当時の遺構として判別確認出来たものは、城域北端に施された土橋状の上り虎口、郭跡の随所で窺われる明瞭な切岸跡(特に北郭と本郭群)自然岩を取り込んだものと窺われる虎口地形僅かに窺われる土塁跡などで、自ずと目に留まる遺構は限られたものとなっている。堆積物による地表風化も、表土の流出も相当進行している事から、郭跡とするには曖昧な地形も数多く、当時の縄張りを見極めるのは至難の技でもあるが、取り合えず山城としての風情は充分味わえるといった処か、、、、

16_heki 北郭の明瞭な切岸見所

20_sizen_koguti_1 北郭における虎口地形見所

22_honkaku_heki 主郭の虎口地形と切岸

24_honkaku 主郭における僅かな土塁跡見所

26_kirikisi 27_obi 主郭切岸と帯郭

30_minami_dankaku_2 南段郭

40_kita_dobasi_tikei 北端の上り土橋見所

現状(八月)風化と並んで藪化も当然進行中にはあるが、行者山に向いて山道(一部踏み跡程度)程度のものはあり、その山道も郭内を通過しているので、遺構見学に差し支えるまでには至っていない。南段郭側へ向かうほど雑木は蔓延っており、郭移動も中々困難を強いられる状況となっているが、郭跡を外見から確認出来る分だけまだましとは思えた。城跡を個人的に評価すれば、古い形態の山城ではあるが、山上は意外に雑木密生までには至っておらず、訪れるに際して過大な期待さえ持たなければ、実態報告のほとんどされていない山城と見受けられた事から、興味を持たれた方が覗く分には、充分訪れる値打ちも生まれて来るのではないだろうか、、、

2011年9月 1日 (木)

田尻東山城跡(大阪府豊能郡)

城跡は大阪府豊能郡能勢町下田尻にあって、既にリポート掲載を終えた田尻城からみれば、田尻川を隔てた南東側標高約366mの山頂に位置しており、田尻城からも充分望む事が可能である。この山城は文献資料による違いはあるが、田尻御所とも呼ばれており、名が語る様にこの険峻な山頂を居館としたとは思われないが、当時の事情を考慮すれば、その可能性も否定は出来ないだろう。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、田尻城を起点とすれば当然その位置は分かり易いが、ルート図には県道4号へ進入した上での分かり易い目印となる、「アートレイクGC」からの登城ルートを示した。直登開始地点付近までは林道が利用出来るが、現在(八月)その途中が道路工事中にあるので、車はルート図に示した付近に自己責任においての路駐という事になる。林道沿いからは藪漕ぎのない植林地を直登する事になるが、5分程度で主郭へ到達出来る筈である。ちなみに路駐箇所からは20分内

1route_2 登城ルート

7 林道沿いの直登取り付き付近

3_1 城跡概念図

現状(八月)城跡は藪化進行中にはあるが、意外に樹木が密生しておらず、場所によっては木々の隙間を縫っての移動は余儀なくされるが、移動範囲(枝尾根がないので山頂のみ)も限られたものであり、取り合えず郭移動に難渋することもなく、全体をくまなく見て廻れる状況にはある。城跡の形態は概念図には示したが、相当古い時代に築かれた山城と察せられ、それに伴う地表風化も激しく、切岸跡が確認できる箇所は空堀付近だけに限られてくるのが現実でもある。ただこの山城の形態を考えれば、縄張りプランまで敢えて追求する必要性は感じられなかったが、、、その中にあって唯一判別し易い遺構は、主郭の両端に施された空で、特に南側の空堀は土塁を伴ったものであり、深さは失われているがそれなりに目は楽しませてくれる筈である。北側の空堀に関しては、僅かな深さと土橋の痕跡が窺える程度と思って頂ければ良いだろう。

10_horikiri 10_horikiri_2南空堀、土塁と主郭切岸見所

12_shukaku_yagura 主郭の露岩を含んだマウンド地形

15_shukaku 主郭の現状

18_karabori_dobasi 分かり辛い土橋付き空堀見所

城跡を個人的に評価すれば、遺構の見応えだけを問われれば、返答に困るのが現実と言えるかも知れないが、古い形態が故に醸し出されるこの山城の風情は捨て難いものがあり、当時に思いを馳せる事が充分出来る事を思えば、北摂の山城に興味を持たれている山城ファンの方だけに限れば、何とかお薦めできそうには思えたのである。もちろん遺構の見応えは最初から捨てて臨む事が前提であり、林道から直ぐの距離にあるお手軽感を含めての話しになるのだが、、、

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