下条城跡(京都府亀岡市)
この城跡に関しては、能勢杉原城でのリポート記事中で触れた、犬甘野城の真南側の丘陵上に位置する広い削平地が、「明智の築いた砦跡伝承地である」との情報を流して頂いた地元の方(城山所有者)から、この砦伝承地の対岸にある低山も、「私の考えでは間違いなく砦がある筈だ、一度覗いて見てはどうか?」といった勧めがあった事、かつての古道は明智砦跡伝承地より川を隔てた東側山麓にあったという事実、その付近は向条(向城の当て字が推察される)の字名を持つ地であった事、あるいは自身の推察も含めて、山城(砦)としての築城環境は充分満たされていた事も重なり、訪問したものの、結果的には城跡としての確信が持てぬまま、数日が経過してしまった経緯がある。しかし、つい最近亀岡にお住まいの方からの情報で、この城跡は「下条城」と識別呼称の付いた城跡である事が分かり、しかも近年調査された物件と聞くに及んだ事から、急遽リポート掲載に及ぶ運びとなったが、現状文献資料の類にはほとんど顔を出さない城跡とも見受けられたので、城史に関しての詳細は、これから先も余り期待は出来ないものとは思われる。
城跡は亀岡市西別院町柚原(ユノハラ)にあって、訪れるには、犬甘野城、杉原城を起点とすれば分かり易い場所にあるので、敢えて訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、ルート図には示した「下ノ谷公民館」向い側にある入山口から、配水施設まで繋がる山道(画像に注目)に進入して、そのまま尾根伝いに上って行けば、場所によって木々の隙間を縫っての登城は余儀なくされるが、迷わず山上郭群には辿り着ける筈である(15分程度)。
城跡の大雑把な形態、及び自身が判別確認した遺構は概念図には示したが、郭跡を除けば、余り高低差のない切岸、僅かに土塁の痕跡、溝程度の空堀の痕跡、虎口地形、土橋状の鞍部といった所であり、どれも明瞭なものではないので、遺構としての判別は困難を極める状況となっている。結果的に見応えのある遺構は皆無に近いと思って頂いても良いかも知れない、、、 現状山上郭群における地表風化は激しく、落ち葉や木の枝も含めた堆積物は多いが、この時期(七月)でも郭跡には下草は少なく、多くの木々も蔓延ってはおらず、比較的見通しが利く事も重なって、郭跡に佇めば臨場感だけは充分味わえるだろう。規模は全長百mは軽く超えるものであり、砦の域は充分はみ出たものであり、佇まいから察すれば、当時居館があったとしても不思議ではないものと思われるが、これを機に訪れる方には、「館城を彷彿させる、非常に大味な縄張りプランの城跡」と思って頂ければ想像も付き易いだろう。
城跡を個人的に評価すれば、今回のリポートによって城跡に興味を持たれた方、あるいは京丹波地区における山城巡りを主流にしておられる方が、訪城の対象となる城跡の様にも感じられるが、先に触れた杉原城(車で移動2~3分の距離)、犬甘野城、更に伝承明智砦跡も含めた山城巡りとするのであれば、何とかお薦め出来るといった事になろうか、、、
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