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2011年8月 4日 (木)

光明寺城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市大宮町奥大野にあって、先にリポート掲載を終えた正垣城からみれば一つ尾根を隔てた北側の丘陵先端に位置しており、その東端部には現在「光明寺」が建立されている。この山城も後で現況報告する事になる、奥大野城を訪ねた際に地元で紹介された山城の一つでもあるが、ルート図に示した集落を隔てた北東側の独立した丘陵上も城跡伝承地と聞くに及んだ。この城跡の呼称は地元で聞いても分からなかったが、恐らく字名がそのまま城跡名になっているものとは思われる。この一帯は多くの遺跡出土地区になっている為、城跡の調査も既に成されているものとは思われるが、結果的に山上郭群は全て集合墓地化されており、遺構残存度も相当低いと感じられた事から、敢えて城跡呼称のリサーチには及んでいない。城史に関しての詳細は不明であるが、この地区では圧倒的な規模を誇る、奥大野城(山口氏の居城が伝わる)の出城と窺えなくもないが、推察の域は出ないものである。

1 登城ルート

6 城跡進入経路

1_1 城跡概念図

城跡を訪れるには、正垣城と同様の訪問ルートとなるので今回は割愛させて頂くが、ルート図の如く国道312号より光明寺を目印として目指せば難なく辿り着けよう。城跡は寺院の直ぐ西背後に位置しているので、寺院背後にある集合墓地を通過した後、その背後斜面を直登すれば、直ぐにでも明瞭な縦堀が目に留まる東端郭跡までは到達出来る筈である。

城跡はこの時期(七月)でも藪化までには至っておらず、郭移動にも差し支える事もなく、概念図に示したまではくまなく歩き回れる状態にあると思って頂いても良いだろう。城跡の大雑把な形態は概念図に示したが、郭総全長150m前後に渡る山上郭群は、古い形態の山城に近い為か、長年の風化によって切岸ラインも削平も相当甘くなっており、ほぼ全域に渡って曖昧な地形と化しているのが現状でもある。山上郭群には郭高低差がほとんどない事もあって、縄張りにおける郭境も中々判別し辛いが、櫓台と見受けられた小規模な土塁郭、東段郭群の一部、南段郭の一部に明瞭な切岸跡が窺われる程度と思って頂いても良いかも知れない。自ずと切り立つ切岸の醍醐味に触れる事は出来ないので、踏破した範囲の中で見応えの感じられた遺構は皆無に近いが、西山上郭における僅かな空堀地形(箱堀、その背後に土塁の付随する土橋付きの空堀跡(現状横堀に近い)、東郭端の明瞭な縦堀などが、それなりに目を楽しませてくれる遺構群と言えそうには思われた。

8_tatebori_1 明瞭な縦堀見所

11_higasikaku 東郭群

15_naka_yagura_1 中央櫓台か

20_shukaku_heki 西山上郭

19_shukaku_hakobori 山上郭を遮る空堀跡

23_karabori_dorui 西端の空堀土塁跡見所

城跡を個人的に評価すれば、後でリポート掲載予定の奥大野城、あるいは隣接する正垣城との同日訪問とすれば、圧倒的お手軽感も加味して、訪れる値打ちは充分ある城跡と言った処になろうか、、、尚、ルート図に記した城跡伝承地は、前述した様に全て造成整地された形跡のある集合墓地と化しており、当時に思いを馳せる事はほとんど出来ない状況となっているが、山上郭を遮る唯一の堀切跡(推察)が中央尾根(画像に注目)で目に留まったので、これを機に訪れる用意のある方の参考までに、、、、、

Photo 2 城跡伝承地の現状

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