« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月

2011年8月30日 (火)

星ノ内北城跡(京都府与謝郡)

この山城は、先にリポート掲載を終えた森本星ノ内城を、現地で紹介して頂いた方から、その所在地を特定した上で、公的呼称も分からないままに日を改めて訪れ、その現況をリポートに及んだものであるが、森本星ノ内(南城)城の記事中で触れた様に、この星ノ内地区には少なくとも四城の山城が存在する事から、今回は混同を避ける為に星ノ内北城(最北にあるから)としてリポート掲載に至った。尚、地元史跡案内板の中に記されてあった遺跡分布範囲の中では、この城跡にも調査マークが入っていたので、恐らく調査後に城跡としての識別呼称は付けられた筈とは思われるが、、、現状まだリサーチに及んではいないので、どうぞ悪しからず。

城跡は京丹後市大宮町森本にあって、訪れるには先にリポート掲載に及んだ森本東城を起点とすれば、ルート図からも一目瞭然の位置にあるが、唯一とも思えたフェンスのある入山口は概念図には示した。ここから谷状地形を少し上り、左手側斜面の取り付き易い場所から直登を敢行すれば、直ぐにでも広い山上郭が迎えてくれる筈である(5分程度)。

1route_1_2 登城ルート

1_2 城跡進入路

1z 現地史跡案内板の一部

1_3 城跡概念図

城跡の大雑把な形態は、概念図に示した通りと思って頂いても良いとは思われるが、二郭で成立した単純極まりない縄張りプランとなっており、周囲斜面上を踏破確認した限り、縦堀は施されてはいなかった。よって目に留まった遺構は、規模の大きいほぼフラットな状態にある主郭と、その背後を断つ大堀切(横堀に近い)、副郭とも言える西郭と言う事になるが、概念図に示した様に、西郭には地表風化が激しく判別し難いが、大型の平虎口地形、西麓には土塁の付随した削平地も見受けられたので、ついでに見逃さないで頂きたい。尚、星ノ内地区にある、他の二城の所在地に関しては、現地史跡案内図中に記したが、まだ城跡遺構と対面した訳ではない(未訪に終わった)ので、これを機に訪れる方の参考程度に、、、

9 西麓の土塁の付随する削平地

14_shukaku_2 主郭の現状

15_daihorikiri_1 大堀切見所

16_shukaku_heki 堀底から立ち上がる見事な切岸見所

この城跡は、築城環境あるいは規模から察すれば、自ずと森本城の出城とも窺えようが、山城の林立するこの森本地区にあっては、城郭としての機能の想像は付き難く、全て見学者の想像に委ねられるだろう。城跡を個人的に評価すれば、幅を伴う堀切に唯一見応えがある事、広々とした主郭に佇めば、臨場感は充分味わえる事、それに東城を含めた森本城訪問ついでに寄れるお手軽感を加味すれば、自ずとお薦めは出来るだろう。概念図を見ればある程度お分かり頂ける様に、城跡に過度な期待を求めて臨まない事が肝心、、、

2011年8月28日 (日)

技巧を伴う畝状空堀は一見の価値あり! 森本東城跡(京都府京丹後市)

この山城に関しては、以前森本城の現況をリポートした事があったが、つい最近ブログ読者の方から、秋葉神社のある森本城から見て、東丘陵尾根上にも畝状空堀を伴う山城が存在するとの情報を頂戴した事から、以前からこれだけには決して終わらない城跡(東尾根は気になっていた)、と感じていた事も重なって、本来の森本城の本質を探るべく、再び現地を訪れてその結果をリポートする事に及んだものである。尚、この山城の呼称に関しては、前回既に森本城はリポート掲載に及んだ関係から、館城とも窺える森本城(推察、本城)と区別する為に、今回のリポートにおいては便宜上「森本東城」としたが、実際には概念図に示した様に、森本城は丹後の城跡では決して珍しくない、居館(本城)と詰城の二城で成立したと見受けられる、一城別郭とした城跡だとは思われる。

城跡は京丹後市大宮町森本にあって、訪れるには森本城を起点とすれば、一目瞭然の位置(東に隣接)にあるが、進入路は概念図に示した民家脇を通過した墓参道を利用する事になる。郭転用地とも窺えた最上段の墓地までは、この墓参道を利用して上り、その墓地背後の切岸を上り切れば、直ぐにでも主郭が迎えてくれる筈である。

1route_1 登城ルート

3zz 一城別郭とした森本城の形態

6 進入経路

3mo 城跡概念図

結果的に森本城の本来の姿は、今回の訪城で初めて知る事になったのだが、残存遺構として見応えの感じられた畝状空堀群を筆頭に、概念図にも示したが、麓まで落ち込む縦堀に絡む横堀、尾根を断つ大堀切、堀切間の大土塁、尾根上を連続する横堀に近い薄い空堀、主郭背後の土塁、虎口跡、切り立つ切岸と、見応えのある遺構は目白押となっており、小規模ながらも見所満載であり、更に縄張り妙味にも満ち溢れたこの山城は、山城ファンの方に限っていえば、是非訪問をお薦めしたい城跡と眼には映ったのである。本来なら一般城跡ファンの方にも是非覗いて頂きたい所だが、見学し易い状態にあるとはとても言えないので、このリポートに興味を持たれた方だけを対象としてお薦めしたい。個人的にはこの山城の存在を後で知り得たこともあり、同日訪問とは行かなかったが、森本城(本城)の本質を知る上では、まだ未訪に終わっている方には、是非この山城と併せた同日訪問は考慮に入れて頂きたいと思えたのである。たとえこの城跡だけの単独訪問としても、決して期待を裏切られる様な事はないとは思われるが、、、、ただし規模と状態は決して問わない事が前提

10_yokobori_dorui 横堀と土塁見所

16_unebori_3 畝状空堀見所

16_unebori 畝状空堀の土塁が付随する横堀部分見所

20_shukaku 主郭の現状

21_shukaku_dorui 主郭土塁見所

24_horikiri_1 大堀切見所

26_renzoku_horikiri_1 連続堀切見所

27_horikiri_daidorui 堀切間の大土塁見所

現状(八月)城跡は、当然の如く藪化は進行中にあるが、コンパクトにまとまった縄張り形態であるが故に、この時期でも見学に差し支えるまでには至って居らず、城跡中一番の見所遺構とも言える大堀切や、畝状空堀群の施された切岸斜面は、遺構の全体像は窺えないものの、ある程度見通しが利く事から、比較的判別確認し易い状況にある。郭跡に関しては、低草木が相当蔓延っている為、見通しは利き辛いものとなっているが、山城としてみれば比較的ましな状況にあると思って頂いても良いものとは思われる。

2011年8月26日 (金)

田尻城跡(大阪府豊能郡)

この城跡は既にリポート掲載を終えた能勢町にある杉原城と同様に、個人的には今まで全く城跡としての認識がなく、ブログ読者の方からの情報により、初めてその存在と所在地を知り得た城跡の一つでもあるが、文献資料の類に田尻御所として呼ばれ記載されている山城は、別称「田尻東山城」として別に存在するので、この城跡と混同しない事が必要。城史に関しての詳細は不明

城跡は大阪府豊能郡能勢町下田尻にあって、「長久寺」直ぐ背後の丘陵上に位置しており、訪れるにはこの寺院を目印として目指せば迷わず辿り着けよう。城跡へは取り付き易い場所から上り始めれば良いが、画像に示した寺院駐車場の近くから上れば木々が少なく、比較的上り易いのではないだろうか。五十m程度を上り切るだけなので、直ぐにでも(5分強)山上主郭が迎えてくれる筈である。

1route_2 登城ルート

4 城跡遠望

7_2 直登進入口

3ta 城跡概念図

現状(八月)城跡は、全てに渡って自然任せの荒れ放題となっており、下草はほとんどないものの、郭跡及びその切岸壁までも覆う倒木を含めた堆積物によって歩き辛く、郭跡は削平跡すら確認も出来ないほどの凸凹地形と化しており、遺構見学にも郭移動にも差し支え、残存遺構をゆっくり味わう事も出来ない、遺構見学としては楽しむ余裕の無い状況にある。ただ救いは比較的見通しが利く事によって、堀切や縦堀などの遺構はそれなりに確認し易い状況にある事で、取り合えず概念図に示したまでの遺構は、一部で窺われる明瞭な切岸跡と並んで、山城ファンの方であれば充分判別確認可能とは思われる。この状況の中で見所を敢えて挙げるのであれば、主郭背後に備わる見応えのある堀切土塁の付随する横堀(縦堀へ繋がる)、斜面上に施された縦堀という事になろうが、これだけの手付かずの遺構が揃っていながら、状態の悪さが足を引っ張って、中々城跡としての良いイメージが湧いて来ないのが現実と言えようか、、、

25_karabori_dorui_2 中腹の横堀と土塁見所

26_tatebori 縦堀見所

21_hokutou_kakugun_1 一番状態の良い郭切岸

18_horikiri_1 堀切見所

14_shukaku 主郭内部の現状

今回の訪城では郭跡を覆い尽くす堆積物によって郭構成さえ掴む事が出来ず、縄張りも含めて掴めないままに終わってしまったが、これが近年人の踏み入った形跡の無い本来の山城の姿とすれば自ずと諦めも付くし、状態は悪いが城郭としての祖形は全く失われていないと感じられた事から、城跡としての史跡価値は決して下がらないものと自分の目には映ったのである。取り合えず空堀(縦堀を含めた堀切と横堀)が拝めるだけの理由で、能勢の山城に興味を持たれている方だけには何とかお薦め出来るかも、、、、

2011年8月24日 (水)

上杉下所城跡(大阪府豊能郡)

城跡は大阪府豊能郡能勢町上杉にあって、既にリポート掲載を終えた上杉城から少し川沿いに南下した、ほぼ独立して見える丘陵上に位置している。築城環境を考えれば、自ずと上杉城の支城、あるいは出城ということになるのかも知れないが、推察の域は出ないものである。

城跡を訪れるには上杉城を起点とすれば分かり易いので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、とにかく603号へ進入する事が先決となる。この山城も山上へ通じる山道は既に消え去っていると思われたので、ここでは画像で説明し易い、藪漕ぎまでには至っていない(道中シダは多い)最短直登ルートを示した。車の路駐可能な場所から目印とした小川沿いにある農機具小屋を目指せば良いが、それを過ぎた後取り付き易い斜面を選んで上れば、10分内で山上郭までは辿り着けるだろう。

1route2 登城ルート

3z 城跡概念図

城跡の形態はほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、ほぼ単郭で成立したものであり、それに数段の帯郭が付随している程度に終わった山城でもある。ただ山上全体を占める主郭の規模(全長70m前後)は大きく、付随する削平地を含めれば、郭総全長は軽く100mは超えてしまうものでもあり、規模だけみれば砦の域は充分はみ出した城跡といった事になろうか、、、現状(八月)城跡は、この時期でも藪漕ぎ移動をせずに済む、比較的歩き回り易い状況にあり、郭内に佇めばそれなりに見通しも利く事から、概念図に示したまでの遺構は全て判別確認可能とは思えたが、山上における郭跡全てが長年の地表風化によって凸凹状態となっており、切岸ラインや切岸跡などは随所に窺えるものの、重なり合う帯郭などの地形は非常に曖昧なものと化している。よって郭構成までは中々掴み難いのが現状と思って頂ければ良いだろう。

10_minamikaku_1 南郭

14_shukaku_2 主郭の現状

12_nisi_obi_yori_shuakuheki 西帯郭より主郭壁

20_shukaku_kitaheki 主郭北切岸

23_hokutan_kuranku_horikiri 北端の片堀切見所

23_hokutan_kuranku_horikiri_2クランク状の縦堀見所

城跡において最大の見所遺構と感じられたのは、縄張りの北端に施された片堀切で、現状深い縦堀となっているが、クランク状に屈曲した様は横矢掛けを感じさせるものであり、機能としては入城堀底道を同時に兼ねたものと自分の目には映ったのである。他の山城では中々類を見ない遺構とも思えたが、個人的には山辺城南東砦(仮名砦跡)の遺構と酷似していたので、取り合えず興味を持たれた方の参考までに、、、この付近では更に縦堀も二箇所確認する事が出来たが、明瞭なものではないので、機能の想像は自ずと見学者に委ねられるだろう。

1route 3_minami_toride_2 仮)山辺城南東砦跡

城跡を個人的に評価すれば、切り立つ切岸の醍醐味に触れる事も出来ず、見応えのある遺構は皆無に近いと言っても良いかも知れないが、城跡北端部に施された縄張り妙味のある遺構だけは、充分見学に値するものと思われた事から、北摂の山城に興味を持たれている、山城ファンの方だけには充分お薦め出来ようか、、、

2011年8月22日 (月)

辺境の地にひっそりと佇む小さな山城 但馬青山城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市八鹿町青山にあって、人家の疎らな小さな青山集落から見れば、その南西側に聳える、標高267mの城山と呼ばれる山頂に位置しているが、ほぼ無名に近いこの山城に関しての詳細は不明。

城跡を訪れるにはルート図を見れば直ぐお分かり頂ける様に、既にリポート掲載を終えた宿南城を起点とすれば、城跡の所在位置は確認し易いとは思われる。国道312号より青山集落に向けて車を走らせる事になるが、この生活道路の行止り地点が「六地蔵」のある場所(画像に注目)で、ここからが山頂に向いての登山開始地点となる。もちろん現在利用されている山道などは存在しないので、きつい上り斜面の直登は余儀なくされるが、道中はこの時期(七月)においても藪漕ぎはなく、15分程度あれば山上へ到達可能と思って頂ければ良いだろう。

1route_2 登城ルート

4 入山口付近

3hi 城跡概念図

現状城跡は蔓延る木々も少なく、小規模な事も相俟って、ほぼ全体像が窺えるとても良い状態にあるが、この山城を一言で語るなら、当時における周囲の環境までは知る術もないが、「辺境の地に築かれた砦規模の山城」と言う事になろうか、、、単郭で成立したこの山城は規模も小さく、堀切や土塁などの防備機能は一切備わってはおらず、正しく砦と呼ぶに相応しい安普請で築かれた城跡と自分の目には映ったが、丁寧に切岸処理された主郭外壁と、その中央に備わる大型の櫓台土塁だけが城跡としての存在感を唯一醸し出している。この険峻極まりない山容から察するには、小規模な山上郭を詰城あるいは物見として考えれば、当然その麓には根小屋があって然るべきとも考えられるが、城跡を少し過大評価するのであれば、今回直登入山口とした付近一帯の農地(現状半分は荒地)がそれに相当するものかも知れない(推察)。

8 山頂手前忽然と現れる切岸

12_shukaku_kitagawa 状態の良い主郭

11_shukaku_yagura 櫓台大土塁見所

14_heki 状態の良い切岸見所

17_shukaku_nisi_haigo 主郭西背後斜面

23_minami_karabori_tikei 主郭南側の空堀地形

城跡を個人的に評価すれば、この山城には今まで述べてきた以上も、それ以下も絶対ないものと思って頂きたいのである。純粋に険峻な地にある山城に魅力を感じ、楚々とした山城に魅力を感じる事の出来る山城ファンの方だけが、訪問の対象となる城跡と自分の目には映ったが、その方々だけに限って言えば、当然是非お薦めの山城と言った評価になろうか、、、もちろん一般城跡ファンの方々にも、こういった山城に是非一度は足を向けて頂きたいとは思うが、現在でも交通の不便さは否めない環境、激斜面の直登、縄張り妙味の感じられない遺構を思えば、中々お薦めとは言えないのが本音でもある。 何時も山城巡りに際して思う事ではあるが、山頂へ辿り着く手前に忽然と現れる郭切岸の醍醐味は、山城を訪れた方でなければ絶対に味わえない部分でもあり、山登りが苦手で今まで山城を敬遠して来た城跡ファンの方にも、出来ればその感動を味わって頂きたいと思うのである。

2011年8月20日 (土)

下条城跡(京都府亀岡市)

この城跡に関しては、能勢杉原城でのリポート記事中で触れた、犬甘野城の真南側の丘陵上に位置する広い削平地が、「明智の築いた砦跡伝承地である」との情報を流して頂いた地元の方(城山所有者)から、この砦伝承地の対岸にある低山も、「私の考えでは間違いなく砦がある筈だ、一度覗いて見てはどうか?」といった勧めがあった事、かつての古道は明智砦跡伝承地より川を隔てた東側山麓にあったという事実、その付近は向条(向城の当て字が推察される)の字名を持つ地であった事、あるいは自身の推察も含めて、山城(砦)としての築城環境は充分満たされていた事も重なり、訪問したものの、結果的には城跡としての確信が持てぬまま、数日が経過してしまった経緯がある。しかし、つい最近亀岡にお住まいの方からの情報で、この城跡は「下条城」と識別呼称の付いた城跡である事が分かり、しかも近年調査された物件と聞くに及んだ事から、急遽リポート掲載に及ぶ運びとなったが、現状文献資料の類にはほとんど顔を出さない城跡とも見受けられたので、城史に関しての詳細は、これから先も余り期待は出来ないものとは思われる。

1route_1 登城ルート

7 入山口

3sim1 城跡概念図

城跡は亀岡市西別院町柚原(ユノハラ)にあって、訪れるには、犬甘野城、杉原城を起点とすれば分かり易い場所にあるので、敢えて訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、ルート図には示した「下ノ谷公民館」向い側にある入山口から、配水施設まで繋がる山道(画像に注目)に進入して、そのまま尾根伝いに上って行けば、場所によって木々の隙間を縫っての登城は余儀なくされるが、迷わず山上郭群には辿り着ける筈である(15分程度)。

城跡の大雑把な形態、及び自身が判別確認した遺構は概念図には示したが、郭跡を除けば、余り高低差のない切岸、僅かに土塁の痕跡、溝程度の空堀の痕跡虎口地形、土橋状の鞍部といった所であり、どれも明瞭なものではないので、遺構としての判別は困難を極める状況となっている。結果的に見応えのある遺構は皆無に近いと思って頂いても良いかも知れない、、、 現状山上郭群における地表風化は激しく、落ち葉や木の枝も含めた堆積物は多いが、この時期(七月)でも郭跡には下草は少なく、多くの木々も蔓延ってはおらず、比較的見通しが利く事も重なって、郭跡に佇めば臨場感だけは充分味わえるだろう。規模は全長百mは軽く超えるものであり、砦の域は充分はみ出たものであり、佇まいから察すれば、当時居館があったとしても不思議ではないものと思われるが、これを機に訪れる方には、「館城を彷彿させる、非常に大味な縄張りプランの城跡」と思って頂ければ想像も付き易いだろう。

16_shukaku 本郭の現状

15_dorui_ato 僅かに土塁の痕跡

18_shukaku_heki 主郭切岸

21_kita_sakuheiti 北側削平地

22_dobasi_one 北東土橋地形

24_higasi_sanjyou_kaku 北東山上郭

城跡を個人的に評価すれば、今回のリポートによって城跡に興味を持たれた方、あるいは京丹波地区における山城巡りを主流にしておられる方が、訪城の対象となる城跡の様にも感じられるが、先に触れた杉原城(車で移動2~3分の距離)、犬甘野城、更に伝承明智砦跡も含めた山城巡りとするのであれば、何とかお薦め出来るといった事になろうか、、、

2011年8月18日 (木)

森本星ノ内城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市大宮町森本星ノ内にあって、先にリポート掲載を終えた森本大谷城から見れば、竹野川を隔てて真南側の丘陵上に位置しているが、現在この丘陵先端部は古墳発掘調査が行われており(既に終わったか?)、見る限り古墳自体も山上本郭群からみれば、西出郭として機能していたものの様に目には映った。実際この山城を紹介して頂いた地元の方(この地区の史跡には詳しい)からは、古墳の所在地が城跡であると聞くに及んだので、地元ではこの地が城跡として認識されているようにも思われたのである。ただ訪問結果としては、先に触れた様に古墳の東側山上には堀切で守備された本郭群が存在していた事実もあって、古墳も縄張りとして取り込んだものが、この星ノ内城の本質であるとも思えたが、、、城史に関しての情報は現状皆無に近く、詳細は不明

尚、この森本星ノ内地区に現存する城跡は、地元でこの山城も含めて四城紹介して頂いたが、城跡呼称に関しては地元の方も全くご存知なく、今回のリポートにおいては、丹後の山城のほとんどが地域名(字名)を城跡呼称としている事から、ほぼ間違いないと思われる「森本星ノ内城」を城跡呼称として採用させて頂いた。ただこの地域(星ノ内)にはまだ未訪の山城が北側に三城残っており、この山城が南端に位置している事から、区別する為に「星ノ内南城」と呼ばれている可能性もあると思われるので、城跡呼称に関しては柔軟に対応して頂きたい。

1_1 登城ルート

5 城跡進入経路

1_2 城跡概念図

現状(七月)城跡は、近年人の踏み入った形跡はほとんど見受けられず、当然藪化も地表風化も相当進行中にあるが、概念図に示したまでが踏破に及んだ範囲であり、判別確認可能な遺構群と思って頂ければ良いだろう。特に見応えのある遺構にはお目にかかれなかったが、山上主郭の西側に目に留まる土橋付きの二重堀切(埋もれて浅い)、主郭背後の尾根を断つ二連の堀切が、唯一無名に近い城跡の存在感を醸している。この城跡の削平の甘い郭跡や切岸における風化の進行具合から、自ずと古い形態の山城であるようにも感じられたが、森本城あるいは三重城に近い環境にある事や、縄張りに堀切が施されていることを思えば、それなりの機能を担っていた山城ということになるのかも知れない、、、

9_kitakau 13_minami_yori 古墳の転用と見受けられる西出郭

19_2jyu_horikiri 二重堀切見所

20_horikiri_dobasi 堀切土橋見所

22_shukaku 主郭の現状

24_shukaku_haigo_horikiri 主郭背後の堀切1見所

25_niren_horikiri_1 堀切2見所

城跡を訪れるには、森本大谷城と同様の訪問ルートとなるので今回は割愛させて頂くが、ルート図あるいは概念図に示した様に、橋梁工事現場傍から直登すれば直ぐにでも古墳までは辿り着けるだろう。そこから真東の山上を目指せば、多少の藪漕ぎは仕方がないが10分内で主郭までは到達出来る筈である。

城跡を個人的に評価すれば、遺構に見応えは全く感じられなかったが、それでも興味を持たれた山城ファンの方だけには、森本地区における山城巡りの一環として、何とかお薦め出来るかも知れない、、、

2011年8月16日 (火)

奥八代宝城砦跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市日高町奥八代にあって、先にリポート掲載を終えた南山砦からみれば、川を挟んだ北側の対岸山上にある。地元史跡案内板にも記されている様に、南山砦と並んでこの地区では知る人ぞ知る城跡とは思われるが、南山砦と比べれば藪化は相当進行した状態にあるので、これを機に訪れる方には、これが本来の山城跡の姿として訪れるべきとは思われる。

城跡を訪れるには、南山砦を起点とすればその位置は一目瞭然(南山砦から望める)とも言えるが、古い墓地に向かう参拝山道が人家の隙間から中腹まで繋がっているので、それを利用して墓地まで向い、その背後を尾根に向いて直登すれば、自ずと山上主郭まで辿り着ける事になる。その進入口は画像を掲載(防火水槽標識が目印)したが、「光顕寺」をスタート地点とすれば、そこから10分もあれば山上主郭へ到達可能と思って頂ければ良いだろう。

1_2_3 登城ルート

1 地元史跡案内板より

6 城跡進入経路

1_3 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ主要三郭で形成されたものであり、概念図にほぼ近いものと思って頂いても良いが、その斜面上は雑木密生地と化しているので、縦堀跡までは確認に至れなかった。この山城の形態から考えても、これ以上多くの遺構には期待できそうには思えなかったが、山上郭群の南北は二重堀切(南堀切は片堀切状態)によって断たれた構造となっており、見学者の目は充分楽しませてくれるものと思われた。もちろん見所遺構もこの堀切ということにはなるが、主郭背後における地表風化は激しいが大型の土塁壇(櫓台か)、二ノ郭で窺える虎口跡に付随する僅かな土塁痕なども、決して見逃せない遺構の一つと見た。

13_horikiri1_1 南端堀切見所

17_horikiri_doruikaku 南端土塁郭と堀切見所

22_2maru_doruiato 二ノ郭の土塁痕見所

23_2maru_oku_koguti 二ノ郭、奥虎口

26_shukaku_1 主郭の現状

30_horikiri_2 北端堀切見所

31_tatebori 北端堀切(縦堀部分)

規模の大きい八代城(本城)から見れば、西側を抑える程度の砦(出城)機能とした城跡なのかも知れないが、この二砦跡は縄張りプラン、あるいは城普請における労働力からある程度窺える様に、砦の域は随分はみ出したものであり、奥八代砦として名を残したこの二砦跡は、独立性は保たれてはいるが、街道筋を挟んで睨みを利かしたその形態からは、自ずと二砦を以って一城とした本質が見えてくるのである。

城跡を個人的に評価すれば、二砦が一城としてセットになった、奥八代砦の本質から察すれば、南山砦を併せた二砦跡の同日訪問は、山城ファンの方に限れば是非お薦めしたい。南山砦跡は状態が良い事と、道路沿いからも直ぐに到達可能な圧倒的お手軽感から、史跡ファンの方も含めて一般城跡ファンの方にも是非お薦め。

2011年8月14日 (日)

砦の域は随分はみ出た一城に匹敵する城跡 奥八代南山砦跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市日高町奥八代にあって、既にリポート掲載を終えた八代城の中では、所在位置だけは間違いないものとしてルート図には記したが、初回訪問時においては、外見から城跡を望んだ限り相当な藪城が予想された事により、訪問時期を新たに冬季に切り替えた経緯がある。

今回はしばらく遠ざかっていた日高町の山城巡りの機会に恵まれたお陰で、ついでに当地を訪れる事になったが、山上主郭まで向かう墓参道は新設され、更に雑木密生地と見受けられた山上の木々は伐採され、山城としてみればほぼ遺構の全貌が窺える、しかも縄張りの掴み易い素晴らしい状態に改善されており、今回やっとその実態をリポートする事が叶えられた。城史に関しては八代城の西を抑えるが為の、奥八代砦の一つと伝わっているが、縄張りプランや規模、全て切岸化された城郭としての本格的な佇まいを見る限り、名前が語る砦の域は随分はみ出した、一城に匹敵するほどの城郭と自分の目には映ったのである。

1_2_2 登城ルート

3 城跡概念図

城跡を訪れるには、先に触れた八代城を起点とすればその位置は分かり易いが、八代城からは県道1号で西進して、目印とした「光顕寺」を目指せば良い。城跡は県道を隔てた南側の丘陵上に位置しており、道路沿いにある城址の記された史跡案内板からは直ぐにでも確認出来よう。墓参道を利用してそのまま上り切れば、5分とかからず山上郭群が迎えてくれる筈である。

現状(七月)城跡は、先に触れた様に遺構の全てが判別確認し易い、素晴らしい状態が自然維持されており、遺構残存度、その状態共に山城としては非常に高いレベルにあると思って頂いても良いだろう。その形態は、山上部分だけに城域が限られるものと思われた事から、踏破した範囲と確認に及んだ遺構も含めて、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、横堀に近い空堀と南側尾根を遮る大堀切、更に直立に近く切り立つ状態の良い切岸跡が、城跡における最大の見所遺構と言っても良いものだろう。城跡規模は郭総全長が100mを超える程度ではあるが、主郭を中心として斜面上に重なる腰郭や北段郭群が、城郭をより大きく見せている。

10_kita_doruikaku 北段郭群

11_heki 見事な切岸

13_shukakheki_yokobori 横堀と主郭切岸見所

15_yokobori_2 横堀(側面より)見所

18_shukaku_1 主郭の現状

19_shukaku_dorui_2 主郭土塁見所

26_minamikaku_obi 南郭群、東帯郭

28_minami_horikiri 南大堀切見所

城跡を個人的に評価すれば、この遺構群を前にすれば、訪れて落胆する様な事は決して有り得ないと思われた事、圧倒的お手軽感、遺構残存度の高さ、状態の良さなど全て含めずとも、史跡見学者を含めて是非お薦めしたい城跡の一つと思えたが、後でリポート掲載を予定している、対岸山上に位置する奥八代宝城砦との同日訪問は、山城ファンの方には何としてでもお薦めしたいと言ったところか、、

2011年8月12日 (金)

四辻城跡(京都府与謝郡)

城跡は京都府与謝郡与謝野町四辻寺山にあって、この山城の実態を含めた情報が、現状皆無に近い(唯一赤井氏の居城が伝わる)こともあって、どれだけの城域をもったものかは最後まで分からずじまいに終わったが、自身が今回踏破した範囲と、当時の城跡遺構であると、ある程度確信を持てた場所はルート図中に緑色で示した。標高185mの山頂が山上主郭と見受けられ、四方枝尾根上に郭は分散展開されているようにも見受けられたが、現状の地表風化の進んだ地形、あるいは曖昧な切岸ラインからは中々縄張りの把握は難しく、更にその全ての枝尾根を踏破した訳ではないので、残存遺構も城域もルート図に示した限りではないものとは思って頂きたい。

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた伊久知城を起点とすれば、その位置も訪問ルートも分かり易いとは思われるが、市場小学校の北側の道路より人家の間を抜ける生活道路が、直登取り付き地点とした枯れ池傍まで繋がっているので、それを利用して歩いて北上すれば良いだろう。ここから尾根に沿って上れば、25分程度は要すが、藪漕ぎもなく迷わず山頂までは辿り着けよう。

1_2 登城ルート

1_3 城跡遠望

現状(七月)城跡は、先に触れた様に形態が古い為だとも思えるが、相当地表風化が進行しており、削平の行き届いた小規模な主郭は別として、他の山上における郭群(北尾根郭群、西尾根郭群)は、僅かに郭外壁に切岸跡は窺えるが切岸ラインが明瞭でない事もあって、郭構成までは把握し難い状況にある。山上郭群における全体の状況は、この時期にしては比較的歩き回り易い状態が自然維持されており、遺構見学に差し支える事はないが、見応えのある遺構は望めないものでもある。この中で敢えて見所を挙げれば、北尾根郭における僅かに土塁が廻る郭跡、西尾根先端部に形成された大型の土塁を伴う虎口跡らしき地形、と言う事になるが、この地表風化の進行した状況を思えば、これらを当時の遺構と断定するには少々無理があるのが現実とも言えようか。ただこの大型の虎口地形だけは唯一見応えは感じられたが、、、 尚、直登道中の南尾根上では明らかに削平された空間と、片堀切地形が窺われた事だけは付け加えて置きたい。

12_karabori_tikei_1 尾根上の堀切地形

16_25_2 山上主郭

20_dorui_tikei 北郭の土塁地形

25_nisikaku_obi_1 西郭群における帯郭

27_karabori_koguti_tikei_1 空堀虎口地形見所

26_nisikaku 西郭群

城跡を個人的に評価すれば、「この山城に興味を持たれた方だけが訪城の対象となる山城」と言っても良いのかも知れない、、、、

2011年8月10日 (水)

三重支城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市大宮町三重にあって、既にリポート掲載を終えた大江氏の居城「三重城」を本城とした場合、谷を隔てた直ぐ北側の丘陵上に位置しており、規模の大きい本城から見れば、小規模は否めない出城機能を担った砦とも窺えるものである。

城跡を訪れるには、三重城と同様の訪問ルートとなるので今回は割愛させて頂くが、城跡への登城方法は概念図に示した655号線沿いにある「防火水槽標識」を目印とした、墓地へ向けた参拝道からで、この畦道に従えば迷わず郭転用地とも窺える南端郭までは辿り着ける筈である。(山上主郭までは10分程度)

1route 登城ルート

5 城跡遠望

3miesi 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えなさそうには思われるが、その縄張り内における判別確認可能な遺構は、地表風化が激しい切岸ラインの甘い郭跡を除けば、主郭背後を断つ二重堀切(土橋付き)、南端に施された縦堀らしき地形(地表風化が激しく分かり辛いが本来は堀切だろう)と、数が非常に少ないのが現実であり、残存遺構の見応えを期待して臨めば、恐らく落胆する事は必至の山城とも見受けられた。現状(七月)城跡は藪化も地表風化も激しく、郭移動に差し支えるまでには至っていないものの、二重堀切などは蔓延る低草木によって、その全体像が窺える状況にはなく、傍まで寄っての判別確認は余儀なくされる状況にある。

9 南側の縦堀地形見所

12_shukaku 主郭の現状

13_2ren_horikiri_2 14_dobasi土橋付き二重堀切見所

17_higasikaku_gun_3 東郭の切岸

城跡を個人的に評価すれば、二重堀切が備わっているだけの理由ではお薦めし難いが、これから現況をリポートしていく事になる、隣接する森本地区の山城などと併せた同日訪問とするのであれば、車で移動ついでに立ち寄っても決して無駄足には終わらない城跡と言ったところか、、三重城がまだ未訪の方に限れば二城併せた同日訪問は当然お薦め出来るが、、、

2011年8月 8日 (月)

遺構残存度、状態共に賞賛に値する城跡! 杉原城跡(大阪府豊能郡)

この城跡は個人的には今まで全く認識がなく、何時もコメントを頂戴しているブログ読者の方からの情報で、その存在及び所在地を初めて知り得る事になった山城であるが、これから訪れてリポート掲載を予定している、田尻城、垂水城、上杉下所城を含めた、能勢に数多く築かれた城砦群の中の一つでもある。訪問結果として、小規模ではあるが素晴らしいコンディションを誇る遺構残存度抜群の城跡と巡り合う事が叶えられたが、とにかく山城ファンを問わず、全ての城跡ファンの方々に、これを機会に是非杉原城を認識して頂きたいと思えたのである。よって個人的にも是非お薦め出来る山城の一つと言う事にはなるだろう。

1route 登城ルート

6_2 城跡進入経路

1sugihara 城跡概念図

現状(七月)城跡は、藪化が深刻化した醜い状態の山城が多い昨今、「山城ファンの方であれば誰でもこの状態を見て感動しない者はいない!」と断言出来そうにも思われる、これ以上望む事が出来ない素晴らしい状態が自然維持されている。城跡全体が植林地にある事によって、遺構残存度にも抜群なものがあるが、そのお陰で縄張りは掴み易く、遺構のほぼ全てが判別確認し易く、屈曲した虎口、主郭背後のお愛想程度の土塁などは、機能の想像をしながら見て廻れば、更に充実した遺構見学が出来るものとも思われた。コンディションが良く、楽しく遺構見学が出来る事に関しては、大阪府だけに限れば烏帽子形城、飯森山城と並んで屈指の城跡と目には映ったのである。城跡の形態及び見所遺構は、ほぼ概念図に示した通りと思って頂いても良いが、佇まいも含めたその全てが見所と言っても良いものだろう。

10koguti 見事な屈曲虎口見所

16 三ノ郭より本郭側の切岸見所

19_2maru_1 便宜上の二ノ郭、奥主郭壁

22_shukaku_dorui 主郭、奥は土塁見所

27_horikiri25_horikiri_2 堀切土塁見所

30_haigo_yori_shukaku 主郭南背後より堀切側

城跡は大阪府豊能郡能勢町杉原にあって、道路上の数十m先は京都府亀岡市になる県境に近い場所にあり、人家の建ち並ぶ杉原集落の西側にある尾根先端部に位置している。現在その北麓の廃校跡地には、無住の小さな「仏称寺」が建立されており、その敷地にはあろうことか、城址案内板(高橋氏による縄張り図付き)までも設置されていたが、城史に関しては明らかにされている訳ではなく、その詳細はほぼ不明となっているようである。この地から長沢氏の拠った犬甘野城が直ぐ東側に望める事を思えば、長沢氏関連の城跡と考えられなくもないが、地表風化の進行具合、遺構残存度の高さ、比較的先進性を感じる事の出来る遺構群を思えば、築城年代は古い形態の犬甘野城と比べれば、随分かけ離れている(新しい)ものと目には映ったのである。

Photo 明智砦跡伝承地

1_4 登城ルート

尚、今回ルート図に示した「明智砦伝承地」は、地元に先祖代々からお住まいの古老(城山の一部を所有)から情報を得たものであるが、既にリポート掲載を終えた犬甘野城の概念図の中では、広い郭跡(削平地)があるが内部に石列が見受けられたので、かつての寺院跡の可能性もあるとして紹介した地でもある。ここに及んで犬甘野城の城域かも知れない場所が、明智の築いた砦跡と判明した事に驚きは隠せなかったが、地元の古老に代々伝承として伝わる以上、まず間違いのない事実と言えようか、、、

2011年8月 6日 (土)

知名度には欠けるが、見応えのある豪快な山城! 奥大野城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市大宮町奥大野にあって、既にリポート掲載を終えた光明寺城から見れば、小さな川と集落を挟んだ北西側の丘陵上に位置しており、現在かつての郭転用地とも窺える丘陵尾根東端の削平地には観音堂が建立されている。城史に関しては山口氏の居城を唯一伝えるが詳細は不明。推察にはなるが他の丹後の城と同様に、細川氏によって落城させられた可能性は高いものと考えられる。

城跡を訪れるには、先に触れた光明寺城を起点とすれば分かり易いので、今回は訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、城跡周辺からは概念図に示した赤線を辿れば、観音堂までは迷わず辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

6 進入経路(参拝道)

3a 城跡概念図

この山城も城域が広く、巨大と呼ぶに相応しい大型の山城が林立する丹後地方においては、充分その中の一つに加えてもおかしくない山城の一つと思われるが、規模の大きい山上主郭から四方枝尾根上、あるいはその斜面上に重なり合う郭群を窺う限り、充分それは納得出来る筈である。今回の訪城においては、途中から降り出した大雨によって下山を余儀なくされた事から、城跡概念図も本郭周辺だけといった中途半端なものに終わってしまい、その実態を説明する事は中々難しいのだが、敢えて概念図に描き切れなかった部分を補足させて頂きたい。

11 観音堂(郭転用地か)

20_kirikisi 状態の良い切岸(全ての郭に共通)見所

23_minamikaku_hakobori 南郭群箱堀見所

2745_higasikaku_gun_2 東郭群

まず主郭から東側に連なる規模の大きい二ノ郭や三ノ郭からは、便宜上の東郭群として観音堂敷地付近までは六郭以上の郭が連なり、その間に堀切は設けられてはいないが、直立に近く削り落とされた切や、主郭に向いて重なり合う郭群防備の要となっている。主郭南斜面側にも郭は数段に渡って展開されており、そこでは埋もれて浅いが堀切(箱堀)が拝めよう。とにかく主郭から東側一帯は全て郭群で固められていると思えば分かり易いかも知れないが、山上主郭から東麓に向いて展開される郭群の郭占有面積は相当なものであり、その見応えも抜群なものとなっている。主郭周りに関しては概念図を参考にして頂きたいが、西背後における大堀切とその高低差のある切岸主郭背後に備わる大型土塁、更に西山上郭端の二連の片堀切(縦堀が見事!)は充分見所遺構として挙げられよう。

31_shukaku_1 主郭の現状

32_dorui_1 大土塁見所

35_daihorikiri_1 西大堀切見所

43_seitan_2jyuu_tatebori_1 西端片堀切見所

城跡を個人的に評価すれば、この時期(七月)の山城としては藪漕ぎ移動もなく見て廻れ、比較的見学し易い良い状態にある事、既にリポート掲載を終えた大型の山城、常吉城、金谷城などと比べても城郭としては全く遜色ない事、縄張り変化にも富んでおり、機能の想像を含めて楽しめる部分が多い事、残存遺構に見応えがある事、圧倒的お手軽感などetc、、 これらを全て含めずとも、とにかく是非お薦めしたい山城と自分の目には映ったのである。

2011年8月 4日 (木)

光明寺城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市大宮町奥大野にあって、先にリポート掲載を終えた正垣城からみれば一つ尾根を隔てた北側の丘陵先端に位置しており、その東端部には現在「光明寺」が建立されている。この山城も後で現況報告する事になる、奥大野城を訪ねた際に地元で紹介された山城の一つでもあるが、ルート図に示した集落を隔てた北東側の独立した丘陵上も城跡伝承地と聞くに及んだ。この城跡の呼称は地元で聞いても分からなかったが、恐らく字名がそのまま城跡名になっているものとは思われる。この一帯は多くの遺跡出土地区になっている為、城跡の調査も既に成されているものとは思われるが、結果的に山上郭群は全て集合墓地化されており、遺構残存度も相当低いと感じられた事から、敢えて城跡呼称のリサーチには及んでいない。城史に関しての詳細は不明であるが、この地区では圧倒的な規模を誇る、奥大野城(山口氏の居城が伝わる)の出城と窺えなくもないが、推察の域は出ないものである。

1 登城ルート

6 城跡進入経路

1_1 城跡概念図

城跡を訪れるには、正垣城と同様の訪問ルートとなるので今回は割愛させて頂くが、ルート図の如く国道312号より光明寺を目印として目指せば難なく辿り着けよう。城跡は寺院の直ぐ西背後に位置しているので、寺院背後にある集合墓地を通過した後、その背後斜面を直登すれば、直ぐにでも明瞭な縦堀が目に留まる東端郭跡までは到達出来る筈である。

城跡はこの時期(七月)でも藪化までには至っておらず、郭移動にも差し支える事もなく、概念図に示したまではくまなく歩き回れる状態にあると思って頂いても良いだろう。城跡の大雑把な形態は概念図に示したが、郭総全長150m前後に渡る山上郭群は、古い形態の山城に近い為か、長年の風化によって切岸ラインも削平も相当甘くなっており、ほぼ全域に渡って曖昧な地形と化しているのが現状でもある。山上郭群には郭高低差がほとんどない事もあって、縄張りにおける郭境も中々判別し辛いが、櫓台と見受けられた小規模な土塁郭、東段郭群の一部、南段郭の一部に明瞭な切岸跡が窺われる程度と思って頂いても良いかも知れない。自ずと切り立つ切岸の醍醐味に触れる事は出来ないので、踏破した範囲の中で見応えの感じられた遺構は皆無に近いが、西山上郭における僅かな空堀地形(箱堀、その背後に土塁の付随する土橋付きの空堀跡(現状横堀に近い)、東郭端の明瞭な縦堀などが、それなりに目を楽しませてくれる遺構群と言えそうには思われた。

8_tatebori_1 明瞭な縦堀見所

11_higasikaku 東郭群

15_naka_yagura_1 中央櫓台か

20_shukaku_heki 西山上郭

19_shukaku_hakobori 山上郭を遮る空堀跡

23_karabori_dorui 西端の空堀土塁跡見所

城跡を個人的に評価すれば、後でリポート掲載予定の奥大野城、あるいは隣接する正垣城との同日訪問とすれば、圧倒的お手軽感も加味して、訪れる値打ちは充分ある城跡と言った処になろうか、、、尚、ルート図に記した城跡伝承地は、前述した様に全て造成整地された形跡のある集合墓地と化しており、当時に思いを馳せる事はほとんど出来ない状況となっているが、山上郭を遮る唯一の堀切跡(推察)が中央尾根(画像に注目)で目に留まったので、これを機に訪れる用意のある方の参考までに、、、、、

Photo 2 城跡伝承地の現状

2011年8月 2日 (火)

石屋城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市辻にあって、県道1号と242号の交わる「辻」交差点からも、充分望める南丘陵上に位置しており、文献資料による違いはあるが「石屋砦」とも呼ばれている。現状城史に関しての情報は皆無に近く、詳細は不明。城跡を訪れるには、ルート図にも記した前述の「辻」交差点を目指せば良いが、直登入山口となるのは県道1号沿いにある「六地蔵」からで、この脇から墓参道を利用して墓地最奥まで上り、そこから更に尾根沿いに山上を目指せば良いだろう。道中下草は多く蔓延ってはいるが藪漕ぎまでには至って居らず、10分前後で主郭までは辿り着ける筈である。

1route_3 登城ルート

Rokujizou 進入口目印となる六地蔵

3i 城跡概念図

城跡の形態はほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、斜面上に蔓延る下草で地表が露見していない箇所も多く、外見から視認による遺構の判別確認は困難を極める状況にある事からも、縦堀遺構に関してだけは決してこの限りではないものと思って頂きたい。もちろん自身の判断でそれらしい地形は概念図に記したが、直登道中の東斜面でそれらしいものを二箇所、主郭西背後において二重堀切という形で、二箇所の明瞭な縦堀を確認する事は出来た。小規模な主郭の僅かなマウンド地形に付随して土塁の痕跡も残るが、地表風化の進んだ現状を思えば、遺構としての判断は中々難しいものとも言える。現状(七月)山上郭群においては、下草や低草木は多く蔓延るものの、全体的には前を遮る樹木は比較的少なく、意外に見通しが利く状況にあるので、概念図に示したまでの遺構は全て判別確認する事が可能とは思われる。もちろん冬季訪問においては更に状況は良くなるとも考えられるので、遺構見学も今以上には楽しめるのではないだろうか。とは言っても、数少ない遺構群なので多少歩き回り易くなる程度といった処かも、、、

20_dankaku_heki 東段郭群切岸

19_higasi_dankaku_gun 段郭群

17_shukaku_dorui 主郭内部の土塁痕

13_2jyuu_horikiri_3 二重堀切見所

13_2jyuu_horikiri_1 堀切見所

9_nisi_tatebori 連続する縦堀見所

城跡を個人的に評価すれば、見所遺構は二重堀切とそれに繋がる縦堀、その堀切壁(主郭壁)の鋭角に削られた切岸の醍醐味だけ、と言っても過言とは思えず、この二重堀切の見学だけを理由にして訪問はお薦めし難いが、先にリポート掲載を終えた河江城とは、車で1号線を移動しても僅かな距離にある事から、二城同日訪問とすれば、何とか訪れる値打ちも生まれて来るのではないだろうか。

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

無料ブログはココログ