見応えには欠けるが、戦国ロマンには充分浸れる 浮ノ城跡(大阪府豊能郡)
城跡は大阪府豊能郡能勢町山田にあって、既にリポート掲載を終えた山田城から見れば、山田川を挟んだ北側の低山山上に位置している。当然往時に置いては、山田城から浮ノ城はほぼ見下ろせた築城環境にあり、戦国期までこの城郭が機能していたものとすれば、自ずと出城あるいはその支城と言う事になるのかも知れない。ただ山田城の土塁を駆使した先進的な縄張りを考えれば、この城跡の単純な縄張りプランや、現在に至るまでの地表風化の進み具合から、築城年代は山田城より相当遡るものと見受けられたのである。
地元でこの地域の史跡に詳しい方に城跡の情報を求めた結果、その所在地の回答は直ぐ得られ、更にこの城跡は鎌倉期以前に多田源氏によって築かれたものだとも聞くに及んだが、現在文献の類による城跡情報は皆無に近いものであり、何時頃まで機能していたものかは、自ずと見学者の想像に委ねられるだろう。
現状(七月)城跡は、藪化は当然進行中にはあるが、この時期の山城にしては蔓延る下草も山上における樹木も比較的少ないので動き廻りやすく、ある程度見通しが利く事によって、比較的見学し易い状況にあると思って頂いても良いだろう。よって城郭を形成する概念図に示した数少ない遺構は、ほぼ判別確認可能な状態にあるが、この大味な形態から思えば、遺構そのものの見応えまでは望めないとは思われる。見所遺構として挙げられるのは、地表風化の激しい中にあっても明確にそれと分かる縦堀(堀切部分は埋もれて判別不能)、本郭における一部の切岸といったところになるが、この広大な山上本郭に佇めば、その当時の臨場感だけは充分味わえる筈である。
城跡を個人的に評価すれば、遺構の見応えには程遠く、所在地の確認、あるいはその実態報告程度で本来ならリポートは終えたいが、このブログによって初めてこの山城の存在を知り得た方、更にこれを機にこの山城へ興味を持たれた方だけに、敢えてお薦めする理由を見つけるとするならば、「そこには限りない戦国ロマンがあったから」と言う事になるのかも、、、
城跡を訪れるには、先に触れた山田城を起点とすれば良いので、訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、国道173号「栗栖」の交差点から602号へ針路変更して向かえば、迷わず付近までは到達出来るだろう。後は概念図を参考にして、目印とした湯小屋神社(祠だけ)から入山口にある獣避けゲートを潜り、そのまま山道に任せて進めば、自ずと城跡北端に備わる大空堀(縦堀)までは難なく辿り着ける筈である(藪漕ぎなし)。ちなみに神社からは10分程度
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