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2011年6月

2011年6月29日 (水)

小規模な主郭を三本の堀切で守備 安養寺城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市久美浜町安養寺にあって、「安養寺」より川を隔てて真西側の丘陵上に位置している。この城跡は久美浜町における山城巡りの中で、先にリポート掲載を終えた野中城と同様に、地元の方に紹介された山城の中の一つでもあるが、ご本人は他の史跡に関してはそれなりの見識がある様だったが、余り山城には興味がないのか、まだ訪れた事はないとの回答でもあった。しかし丹後にお住まいの方は、城跡を尋ねれば意外に所在地だけはご存知の方が多く、知名度のない山城を敢えて選んで訪ねる自分にとっては、実態が分からずとも非常に助かっているのが現実ではある。

1route 登城ルート

7 進入経路

3_1_2 城跡概念図

   

今回も野中城同様に実態も分からぬままの訪城となったが、結果的には規模だけ見れば野中城と比べるレベルにはないが、その山上では三本の堀切を備えた山城と遭遇する事になった。小規模は否めない砦規模の山城ではあるが、小規模が故のほぼ全体像が窺える縄張りの掴み易さ完存に近い遺構残存度の高さ見応えのある堀切、丹後の山城らしい状態の良い切岸、おまけに楚々とした山城の佇まいに、個人的には魅了されたのである。

11_horikiri

東堀切見所

14_gedan_kaku

主郭東切岸

12_tatebori 縦堀見所

20_horikiri_heki_2 主郭背後の高い切岸見所

18_haigo_horikiri 西堀切見所

23_minami_horikiri_1 南斜面上の堀切見所

現状(五月)城跡の状態は決して良いとは言えないが、見学に支障を来たすほどまでには至っておらず、概念図に記したまでの遺構は全て明瞭なものであり、山城初心者の方でも非常に判別し易く、丘陵を削り込んで築かれた築城方法まで想像が付くほどの、正に山城における教本とも言える城跡と感じられたのである。丹後地方に築かれた山城は、世間一般では余り知られていない知名度に欠ける山城が、意外に素晴らしい事を再認識する結果となったが、特に久美浜町内にある山城の中でも、金屋本丸城、六体城、永留城、油池城、盛岡城なども知名度には随分欠けるが、規模やその状態を別にすれば、遺構残存度は高く遺構にも見応えがあり、自分にとっては非常に印象に残っている城跡ばかりと言える。この城跡を個人的に評価すれば、「民家の直ぐ上にある上り易い山城」、と言ったお手軽感も含めれば、規模さえ問わなければ間違いなく是非お薦めしたい山城の一つという事にはなるだろう。

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた野中城を起点とすればその位置も分かり易いと思われるが、国道312号沿いにある「佐濃小学校」を目印として向かい、後はルート図の赤線を辿れば、今回の登城進入口とした運動場付近までは迷わず辿り着けるだろう。そこから(画像に注目)尾根に向いて踏み跡を辿れば、北端物見と察せられる小さな郭跡には直ぐ到達出来るし、そこから更に尾根に沿って上れば、5分内で主郭までは辿り着ける筈である。

2011年6月27日 (月)

平通城跡(大阪府豊能郡)

この山城は先にリポート掲載を終えた吉村城の記事中で触れた様に、初回訪問時より比較にならないぐらいの変貌を遂げていた。10年位前の最初の訪城においては、城跡も含めて藪漕ぎしながら巨大な山塊の山頂(城跡遺構とは思えないが広大な規模の平坦地形がある)まで上り、更に東側の峠へ縦走した記憶があるが、城跡を覆い尽くしていた木々は近年植林事業としてほとんど伐採されており、現在はほぼ城跡全体像が窺える、山城としてみれば非常に見学し易く見て廻り易い状態(画像に注目)にある。城史に関しては岡崎宗盛の居城が伝わり、天正期には織田軍によって落城の歴史が伝えられている。恐らくその時にこの城跡は廃城となったものと考えられる事から、現在山上で眼にする事の出来る遺構は、非常に遺構残存度の高い、値打ちのあるものと言えるのかも知れない。

1route2 登城ルート

6 直登取り付き地点

3hira 城跡概念図

城跡は大阪府豊能郡能勢町平通にあって、国道173号が通過する「能勢第二トンネル」の真上に位置している事から、京阪神側から訪れた場合は、トンネル手前付近で位置確認は出来る筈である。ルート図に示した「下田」の信号で左折針路変更して、今回直登取り付き地点とした城跡西麓まで向かえば良いが、路駐スペースは自己責任において、その付近に充分確保出来るとは思われる。前が開けた植林地から上り出せば、山上付近は激斜面となるが、休まず上れば10分程度で山上主郭へは辿り着けるだろう。

城跡の形態はシンプル極まりない事からも、概念図に示した通りと思って頂いても差し支えなさそうには思われるが、踏破した範囲で目に留まった遺構は全て図中に示したつもりではいる。ただし郭跡を除いた斜面上は、下草や密生に近い雑木藪地と化しているので外見からの判断は難しく、縦堀などの遺構に関してはこの限りではないものと思って頂きたい。城跡の形態から考えても、堀切以外で縦堀が施されている様にはとても思えなかったが、、、この山城の見所は二箇所に施された両端が縦堀へ繋がる堀切、切岸ラインの窺える明瞭な切岸跡、主郭内部南側に残る明瞭な虎口跡と言う事になるが、何れも遺構としての見応えには多少欠けるものの、その全体像がほぼ窺える事もあって、見学者の目は充分楽しませてくれる筈である。

9_sita_saigedan_kaku 西二段小郭

13 主郭西壁

13_shukaku_nisigawa 主郭の全貌

16_koguti_1 虎口跡見所

20_horikiri1_1 主郭東堀切見所

21_haigo_horikiri 堀切(東背後より)

24_horikiri_dobasi 明瞭な土橋付き堀切見所

25_tatebori 堀切2の縦堀見所

城跡を個人的に評価すれば、以前この山城を訪れた方の中にあっては、藪城を前にして早々と退散された方も居られる様に感じられるのだが、この木々の伐採された現状(六月)はとても見学し易い状況となっているので、その方々にはこれを機に再びトライして、ほぼ全貌の窺える城跡を楽しんで頂きたいと思えたのである。もちろんまだ未訪の山城ファンの方にも充分お薦め出来る山城とは言えるが、規模や縄張り妙味は最初から絶対に問わない事が前提とはなるだろう。

2011年6月25日 (土)

山登りと遺構見学が同時に楽しめる貴重な山城 カンス岩城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市八鹿町八鹿にあって、八鹿町中心部の北側に聳える標高288mの「猿山」山頂に位置しており、本来なら猿山城跡なのであろうが、名が語る様にその山頂にはカンス岩(眺望の利く自然巨岩)がある事から、この地域では「カンス岩城」が通称となっている様である。城史に関しては唯一安原氏の居城を伝えるものの詳細は不明

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた愛宕山城を起点とすればその位置は分かり易いが、ほぼ愛宕山城と同様の訪問ルートとなるので、道順の説明はここでは割愛させて頂く。入山口となるのは「永源寺」の直ぐ西側にある「三柱神社」脇からで、沢に沿って上る形で峠(切り通し)までは、確かな登山道で迷わず到達可能となっている。峠の直ぐ手前から左にそれる山道があるが、この道に任せて上れば難なくカンス岩のある山上主郭までは辿り着ける(寺院から約25分)筈である。

1route 登城ルート

7_2  登山ルート

3k 城跡概念図

28_kansuiwa_1 カンス岩

30_kesiki 眺望

現状(五月)城跡は登山道が山頂まで繋がっている事もあってか、これだけの比高(約250m)を伴う山城にしては、比較的見学し易い状態が維持されているが、それは東西に長い主郭だけの話しで、一旦斜面を下りれば藪化もそれなりに進行中にはある。藪漕ぎ見学までに至っていないのが救いとも言えるが、とりあえず概念図に示したまでが自身が踏破した範囲の中で、判別確認に及んだ遺構群と思って頂ければ良いだろう。ただ主郭の南北急斜面上は密生する雑木藪地の為に全域踏破するまでは至れず、縦堀や斜面上の小郭程度に関しては、決してこれだけには終わらないものと思って頂きたい。この城跡の見所として主郭東、西を断つ空堀(現状横堀に近いもの)、明瞭な二本の縦堀、虎口跡は真っ先に挙げられるが、巨岩を縄張りに取り込んで郭壁とした様や、高低差を伴う堀切壁などは非常に見応えもあり、山城でなければ決して味わえない部分も多く、シンプルが故に縄張り妙味までは期待出来ないが、険峻極まりない築城環境、あるいはこの佇まいを含めた全てが見所とも思えたのである。

24_uti_koguti_1 虎口跡見所

32_shukaku_doruidan_3 主郭マウンド地形

21_horikiri_gawa 東堀切見所

37_horikiri_heki 西堀切見所

43_tatebori 豪快な縦堀見所

城跡を個人的に評価すれば、まず登山道で迷わず山上主郭までは辿り着ける事、自然と触れ合いながら山歩きが楽しめる事、ほぼ完存に近い形の城跡遺構(推察)が拝める事、カンス岩からの眺望は充分当時に思いを馳せる事が出来る事、それなりに見応えのある遺構がある事などを理由にすれば、規模や状態さえ問わなければ、自ずと是非お薦めしたい山城の一つには加えられるだろう。山城に余り興味のなかった方にも、これを機に是非遺構見学の楽しさを味わって頂きたいと思うのが本音でもある。

2011年6月23日 (木)

能勢 吉村城跡(大阪府豊能郡)

城跡は大阪府豊能郡能勢町栗栖にあって、既にリポート掲載を終えた森上城跡の川を隔てた真東の丘陵上に位置している。城史に関しては戦国期に吉村盛光の居城を伝えるが、対岸に位置する森上城を居城とした、能勢氏との関係まではリサーチするまでには至っていない。

文献資料に登場する北摂にある主だった山城は、自身の拠点に近い事もあって少なくとも二回以上訪れた計算になったが、今回リポート掲載に及んだこの山城だけは、以前栗栖城のリポート記事中で述べた様に、その所在地が中々掴めずにいた。その後外部情報により所在地は何とか判明したが、その実態までは把握出来ず長い間訪問を先送りにしていた(残存遺構に余り期待が持てないと勝手に決め付けていた)。しかし、つい最近この山城へ赴かれた、何時も激励のコメントを頂戴しているブログ読者の方から、「山上郭には堀切が備わっていたとの鮮度の高い情報を得、それなら一度訪問してみる価値はあるとの思いから、やっと今回訪城への運びとなった。尚、今回の山城巡りでは10年ぐらい前に訪れた時のアナログカメラの記録では情報も古く、見学にも差し支える藪城と言う事もあって、中々ブログでの紹介もし辛かった平通城(車移動数分の距離にある)も再訪となる形でついでに立ち寄ったが、初回訪問時とは比較にならないほどの状態にあったので、その現況報告に関しては概念図作成終わり次第リポート掲載予定。

1_1_2 登城ルート

4_tozanguti 直登山口

1_2_2 城跡概念図

現状城跡は、知名度に欠ける山城としては、この時期(六月)にも拘らず比較的見学し易く見て廻り易い状態が自然維持されているが、郭内部は倒木や堆積物によって荒れ放題と化しており、主郭周囲を廻る帯郭の切岸や、主郭内における僅かな段差での郭構成は、この曖昧な地形からは非常に判別し難いのが現状でもある。その様相は概念図である程度想像して頂きたいが、明確にそれと分かる遺構は、郭跡を除けば郭切岸跡(僅かに)、主郭背後を断つ堀切(ほぼ横堀)、堀切から立ち上がる土塁(高さは失われているが分厚い幅)と、限られたものになってしまう。城跡を個人的に評価すれば、対岸に位置する森上の遺構が素晴らしいだけに、縄張り妙味、残存遺構の見応え、規模共に比べるまでのレベルには達していないが、限りなく無名に近い城跡にしては、土塁及び堀切が拝めるだけの理由で、北摂の山城に興味を持たれている山城ファンの方だけにはお薦めしたいと思えたのである。

5_toutatu_kaku 帯郭先端

8_shukaku_1 主郭の現状

9_shukaku_dorui_1 主郭土塁見所

14_higasi_yori_horikiri 12_horikiri_1 堀切見所

18_sanjyoukaku_higasi_karabori_ti_2 山上東側の縦堀地形?

城跡を京阪神側から訪れるには、当然森上城を起点とすれば一目瞭然の位置にあるが、国道173号「山辺口」の信号南一筋目を右折すればよい。直登取り付き口はルート図あるいは概念図を参考にすれば直ぐ分かって頂けるだろうが、植林地となっている藪漕ぎのない激斜面ルートを上り切れば、10分足らずで山上主郭が迎えてくれよう。尚、この激斜面を避けたい方には、相当歩く事を余儀なくされるが、ルート図に示した「洞雲寺」からの比較的上り易い鉄塔メンテナンス道で山上を目指し、山上尾根から少し下る形で城跡を目指せば良いだろう。ただし城跡の位置する枝尾根への分岐点が分かり辛いのが難点、、、

2011年6月21日 (火)

尾崎尼ヶ城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県屋養父市関宮町尾崎にあって、既にリポート掲載を終えた片岡城、あるいは尾崎天王山城から見れば、国道と川を隔てた対岸丘陵上に位置している。この城跡も天王山城と同様に、城史に関して明らかにされている訳ではないが、但馬攻略における秀吉軍の急造による陣城、あるいは八木城における西の抑えとした出城とも伝っているようである。よって此方も天王山城と同様に大味な縄張りとなっており、ほぼ単郭で成立したその形態は、石垣は使用されてはいないが、広大な主郭を半周する帯郭が防備に一役買っていると見た。

1_2 登城ルート

10 直登ルート

1_3 城跡概念図

城跡を訪れるには、先に触れた天王山城あるいは片岡城を起点とすればその位置は分かり易いが、国道9号を走り続けて尾崎地区を目指せばよい。現地に到着すればルート図を参考にして「老人ホーム」の真南側の丘陵を目指して進行すれば付近までは難なく辿り着けるだろう。直登入山口は概念図には記したが、小さな小屋を過ぎれば数mほど沢まで下り、そこを渡って尾根を目指して上れば、5分程度で主郭が迎えてくれる筈である。

この城跡も現状(五月)藪化進行中にあるが、樹木が比較的少ない事もあって見通しは利き、郭内移動もし易く、山城としてみれば意外に見学し易い状態にはある。先に触れたように縄張り妙味が感じられるほどの城跡でもないので、自身が踏破確認した概念図に示したまでの遺構は、ほぼ判別確認出来ると思って頂いても良いとは思われるが、主郭南側傾斜面は元々削平が甘いものなのか、郭に僅かに段差は認められるが、地表風化も更にそれに拍車をかけており、地形も非常に曖昧なものと化している。その中で何とか土塁の付随する空堀(横堀)跡らしき地形は目に留まったが、その脇から下に落ち込む豪快な縦堀に比べれば判別も難しく、これは訪れた方の想像に委ねたい。

15 北帯郭の切岸

19_nisi_obi_3 西帯郭見所

19_nisi_obi_2 西帯郭と主郭切岸見所

22_shukaku_1 主郭の現状

28_karabori_tikei 空堀地形?

30_tatebori_1 豪快な縦堀見所

城跡を個人的に評価すれば、空堀を多用した山城の多く見受けられる但馬地方にあっては、これだけ大味な城跡も珍しいと言えるかも知れないが、仮に陣城とすればそれなりに納得も出来るし、それを前提として訪れるのであれば、決して期待外れには終わらない城跡といった事になろうか、、、、

2011年6月19日 (日)

最低八箇所で拝める堀切が見所 但馬中郷城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市中郷にあって、標高約190m地点の山上主郭四方枝尾根から、更に北を国道に向いて突き出した尾根上を城域とするものであり、その尾根上に展開される比較的規模の大きい削平地、あるいは尾根上数箇所に施された明瞭な土橋付き堀切を窺う限り、城域は相当広い山城とも見受けられた。

城跡を訪れるには、国道482号へ進入する事が先決となるが、この国道沿いには過去リポート掲載に及んだ山城として上郷城、鳥居城、伊福城などが挙げられるが、何れも砦規模ではないものであり、遺構に見応えがある山城ということでも共通している。この山城もその一環にこれから加えられる事になろうが、国道側からは南にあるルート図に示した「小坂神社」を目印として目指せば分かり易いだろう。この神社の駐車場に車を預ける事になるが、入山口は画像に示した神社の南側、城跡から見れば尾根北端からで、中腹に建っている送電鉄塔を経由した巡視道も兼ねた確かな山道が、城跡東端の堀切までは道案内してくれる筈である。ちなみに神社から約25分

1route_2 登城ルート

5_nyuuzanguti_1 入山口

3n 城跡概念図

現状(五月)城跡は藪化進行中にはあるが、郭移動にも遺構見学にも支障を来たすまでには至っておらず、踏破した範囲内で目に留まった概念図に記した遺構群は全て判別し易く、植林地化されていない山城としては郭内における見通しも利き、非常に見学し易い状態が自然維持されている。ただ概念図における縄張りに関しては、山道に任せて上ったお陰で最終的に主郭から北尾根の土橋付き堀切に繋がる斜面上は覗くのを忘れており、郭の展開は図中に示したものより更に広がるものとは思って頂きたい。この城跡の見所は「堀切に尽きる」と言っても過言とは思えないものであり、北尾根上の縦堀も含めた堀切だけで四箇所山上郭群で四箇所といった具合に、最低八箇所でお目にかかる事が可能となっている。その中でも山上郭群における堀切だけは、堀切壁に高低差があり見応えがある事を理由に決して見逃して欲しくはないが、何れも間違いなく見学者の目は楽しませてくれるものと思われたのである。

10_dobasi 北尾根上の土橋見所

15_horikiri_dobasi_2 北尾根土橋付き堀切見所

18_horikiri_dobasi 山上郭北端の土橋付き堀切見所

20_toutan_horikiri_e 東端堀切見所

34_horikiri 大堀切見所

38_shukaku_1 主郭のほど良い現状

45_minami_horikiri_dobasi 南堀切見所

53_kita_dankaku_1 北段郭群

城跡を個人的に評価すれば、これだけの堀切を一城で拝める山城も今となっては数も少なく、堀切見学だけの為に訪れたとしても決して後悔はしないと断言出来そうに思われた事、状態が比較的良い事、自然地形を活かした縄張りにとてもユニークさが感じられた事などを理由にすれば、自ずと是非お薦め出来る山城と言う事にはなるだろう。先にリポート掲載を終えた中村城と同様に、豊岡市内にあっても山名氏お膝元にあたる出石周辺に、まだこれだけの見応えのある城跡遺構が残っていようとは、、、これが思わず発せられた本音と言えようか。

2011年6月17日 (金)

野中城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市久美浜町野中にあって、標高103m地点を便宜上の南城主郭とした場合、その南麓枝尾根先端から更に北側の峰(北城主郭)まで郭が展開される、圧倒的城域を誇る山城と見受けられた。もちろん城域の広さを理由に四方尾根までは覗くに至れなかったが、この形態を考えれば、恐らく四方尾根上に郭は分散展開されているものと推察されよう。城史に関しての詳細は不明。

1_2_3 登城ルート

1_3_3 城跡概念図

城跡を訪れるには、以前佐野城跡をリポートした事があったが、これを起点とすれば所在位置は確認し易いとは思われる。佐野城跡の川を挟んだ南側を走る国道312号へまず進入する事が先決となるが、そこから西へ3km程度移動した場所が、ルート図に示した直登取り付き地点となる。この進入口には現在廃業した飲食店があるので、これを目印とすれば分かり易いが、この背後の竹林地の中に入れば、直ぐにでも南端出郭と呼ぶに相応しい高い切岸(画像に注目)が迎えてくれよう。ここから既に城域に足を踏み入れた計算になるが、更に尾根に沿って上れば、踏み跡程度の鉄塔メンテナンス道と合流出来、通信施設のある南城主郭を経て、最終的には北城主郭までは迷わず辿り着けるとは思われる。

6 南麓進入口直ぐに現れる切岸見所

15_minami_2kaku_1 南城二ノ郭

20_minami_shukaku_2 南城主郭

19_obi_tatebori_1 南城帯郭と縦堀見所

23minami_kita2 南城三ノ郭

現状(五月)城跡は当然藪化は進行中にあるが、冬枯れ後という事や尾根上に通信施設がある事、更に鉄塔が建つ事もあって、郭移動や遺構見学に差し支えるまでには至っておらず、自身が踏破確認した範囲内を描いた概念図に示したまでの遺構は、山城ファンの方であれば誰でも判別確認可能な状態にあると思って頂いても良いだろう。ただ北へ向かうほど地表風化は激しく、明確な切岸ラインが窺えないのも現実であり、4世紀に渡って刻まれた時を感じるのと同時に、今更ながら山を刻んで築かれた城跡が、未だ尚判別出来る状況にある事の深さを思い知らされるのである、、、 この山城の見所は尾根上に数多く刻まれた空堀に尽きるとは思われるが、埋もれて浅い堀切(横堀)、片堀切、土橋付き堀切、更に縦堀と言った具合に、全体的に縄張り妙味や見応えは余り感じられないものの、間違いなく見学者の目は楽しませてくれると思われた。

32_horikiri_3 中尾根土橋付き堀切見所

37_kita_nakaku 北城中郭

50_sita_nisi_horikiri 東堀切見所

城跡を個人的に評価すれば、踏み跡程度ではあるが北城までは藪漕ぎもなく迷わず辿り着ける事(山歩きが楽しめる)、形態の異なる数多くの堀切が拝める事だけの理由で、充分お薦め出来る山城の一つとして目には映ったのである。

2011年6月15日 (水)

玉見城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市玉見にあって、既にリポート掲載を終えた左近山城の西側に位置する低丘陵上に位置しており、「善勝寺」の西背後の丘陵がそれにあたる。この城跡は外見から館城の様相が窺える様に、稲津氏の居館跡であるとも伝わっており、形態としては丘城と呼べば良いのかも知れない。

城跡を訪れるには、先に触れた左近山城を起点とすれば、一目瞭然とも言える位置にあるが、県道6号を進行して「善勝寺」を目印として目指せば難なく辿り着けるだろう。車の駐車場は寺院に設置されているが、そこまで辿り着くには道が非常に狭く、軽自動車以外で赴かれた方には、迷わず車は直ぐ近くの公民館に預けて、そこから歩いて寺院に向かわれる事をお勧めしたい。寺院敷地からは墓地まで繋がる山道があるので、それを利用して上れば、直ぐにでもかつての城域に足を踏み入れた計算にはなる。

1route 登城ルート

T 善勝寺

T_15 郭南先端部

現状城跡は、縄張りと見受けられる地域の北半分が集合墓地、南半分が農地となっており、見る限り相当な地形改変が窺われるものでもある。自ずと農地化された郭跡や造成整地された墓地に、築城時の面影(縄張り)を見出す事は出来ないが、農地の境となる切岸などは、見る限り地表風化だけに止まったものであり、農地の東西における高低差を伴う側壁や、郭境とも言える高低差のある切岸壁だけは、当時のままがそのまま現在に至ったものと目に映ったのである。農地を区分けした低い段差の切岸などは、切岸がしっかりしている事からも、当然後世に手が加えられたものとは思われるが、、、

T_4

地形改変の窺われる集合墓地

T_20 寺院側から見た東切岸

T_3 農地と化した南側

T_13 城跡南側からの全体像

T_10 西壁側

城跡を個人的に評価すれば、事前情報によって山城ではなく丘城と言う事は最初から認識にあり、国道移動ついでに立ち寄る程度で、城跡遺構そのものには全く期待して臨まなかったせいもあるが、意外にも城跡のほぼ全体像が外見から覗えた事、農地における切岸はほぼ当時のもの(切岸表面が凸凹状)と見受けられた事、当時の縄張りは想像に委ねられるが、その規模は意外に大きかった事、館城とした風情は充分味わえた事、以上挙げた事を踏まえれば、山城遺構で味わえる醍醐味にはとても触れる事は出来ないが、史跡見学と割り切った訪問であれば、決して無駄足に終わるものとは思えなかったのである。

2011年6月13日 (月)

出石大谷城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市出石町大谷にあって、国道482号からも直ぐ望める低丘陵上に位置しているが、現在主郭と察せられた郭跡の一部から北側の道路沿いまでは、土砂採取によってかつての遺構は随分消失したものとも見受けられた。地元でこの丘陵の一部を所有される方に城跡の情報を求めれば、充分城跡としての認識はあるものの、ご自身が所有する斜面における農作地の一部が、かつての縄張りの一部であるとの認識は全くなく、城跡はもっと丘陵上南端部にあるとの見解でもあった。確かにこの丘陵上は南奥に備わる堀切までが本来の縄張りと察せられるものではあるが、自分の見た限り肝心の本郭群の北先端は既に消失したものであり、現状便宜上の主郭から南にかけての素晴らしい残存遺構の数々を見学するに及んでは、今更ながら城跡としての勿体無さを感じたのである。

1route 登城ルート

8 城跡進入経路

3oo 城跡概念図

城跡を訪れるには国道426号へ進入する事が先決となるが、出石に入れば現在では開通している「鳥居橋」より482号へ針路変更して現地へ向かえばよいだろう。付近に探せば路駐スペースは充分あるが、土砂採取現場(現在荒地)の中を通過して西側竹林地を進入口として丘陵上を目指せば、直ぐにでも本郭群までは到達可能となっている。城跡の西麓には丘陵所有者に趣味で建てたものと聞いた、休憩テラスの様なものが建っているが、それは国道沿いからでも直ぐ窺う事が出来るので、その背後にある城跡の位置確認は容易いとは思われる。

18_naka_yori_heki 中郭より主郭切岸

19_minami_kaku_2 状態の良い南郭

26_yaguradai_dorui 大型の櫓台土塁見所

28_nisi_dankaku 西段郭群

33_daihorikiri_3 大堀切見所

35_tatebori_2 見事な縦堀

37_minami_dobasi 明瞭な土橋見所

48_dobasi 南端土橋付き堀切見所

結果的に自作概念図に示したものが、今回自身が踏破した上で判断した「消失した箇所を含めたかつての推定縄張り」と言う事になるのだが、消失した北側部分はほぼ見学者の想像に委ねられるものとは思われる。それでも南端の山上郭に至るまでの土橋付き堀切や、南郭背後を断つ縦堀に繋がるほぼ全貌の窺える大堀切、切り立つ状態の良い郭切岸の醍醐味、櫓台とも思われる大型土塁の見応えは、訪れても決して期待を裏切られるとは思えないものと目には映ったのである。現状(五月)削平の甘い南端山上郭群背後における堀切までは、知名度に欠ける城跡としてはこれ以上望めないほどの見学し易い状態が自然維持されており、人家が直ぐ傍まで迫った丘城にしては竹林地の範囲も限られたものであり、北から南端の土橋付き堀切までの遺構群は満遍なく見て廻れ、その機能の想像も付き易く、更に遺構の見応えも充分味わえる状況となっており、楽しく見て廻れる事は請け合いの城跡とも感じられたのである。

城跡を個人的に評価すれば、消失した部分は見学者の想像にほぼ委ねられるものではあるが、残された見応えのある遺構だけで是非お薦め出来る城跡の一つとは思えた。外見から望んでも丘城と直ぐ分かる形態(藪城が予想される)から、自身は期待は全く抱かずに訪れた事もあるが、意外に予想と反した遺構の見応えには感動すら覚えたのである。

2011年6月11日 (土)

畝状空堀及び三本の堀切が見所 六体城跡(京都府京丹後市)

この山城は先にリポート掲載を終えた金屋本丸城と同様に、個人的には全く認識のない山城であったが、現地案内板により初めてその存在を知り得たものでもある。もちろん所在地が確定していた訳ではない(案内板ではピンポイントでの所在地確認は困難)ので、後で日を改めた上での訪城となった訳だが、郷土史に載せられる程度の山城にしては縄張り妙味も感じる事の出来る見事なまでの山城と自分の目に映ったのである。現状城史に関しての情報は皆無に近く、丹後史などをリサーチすれば城主程度なら知りえる事が出来るのかも知れないが、、、、、詳細は不明

城跡を訪れるには、既に掲載を終えた須田城を起点とすればその位置は分かり易いとは思われるが、一般道706号で南下して「川上小学校」を目印として目指せば難なく付近までは辿り着けるだろう。今回車を預ける事になる「菅森神社」から城跡は川を挟んで直ぐ確認出来るが、入山口は川沿いにある民家の途切れる、城跡から見れば尾根北端に位置する集合墓地からで、その背後より踏み跡に任せて上り、尾根上を更に南に向いて移動すれば迷わず堀切までは到達出来るだろう。この墓地背後の北尾根上にも僅かに空堀の痕跡(浅い)が残る郭群が展開されているので当然見逃してはならない。(主郭までは15分程度)

1route_3 登城ルート

7_jyouseki_hokutanbu_1w 神社付近からの遠望

3_1 城跡概念図

現状(五月)、冒頭のタイトルに記した畝状空堀群(縦堀群)を始めとする堀切を含めた空堀は、何れも下草が余り蔓延っていない状況から明確なものを拝む事が可能となっており、近年人の踏み入った形跡のない山城にしては、非常に見学し易く見て廻りやすい状態にある。もちろん郭内に木々は蔓延り倒木なども多いが、見学に支障を来たすまでには至っておらず、山城としては案外快適な遺構見学が出来るものと思って頂いても良いとは思われる。見学に際しては、この空堀群より他にも二方の枝尾根に展開された段郭群の切岸、あるいは主郭における大型の櫓台土塁なども見所として挙げられるが、斜面を上り下りしながら遺構機能の想像する楽しさも含めれば、正に探索冥利に尽きる城跡とも感じられたのである。尚、山上本郭群回りだけに限れば、その形態はほぼ概念図に示したものに近いと思って頂いても良いとは思われるが、唯一主郭西側から北に向いて延びる枝尾根だけは踏破確認に及んでいないので、城跡遺構も縄張りプランも決して図に示した限りではないものと思って頂きたい。

20_kita_horikiri_2 北堀切見所

24_shukaku_1 主郭の現状

26_yagura_heki_2 大型の櫓台見所

28_koguti 明瞭な東虎口見所

32_higasi_une_tatebori 豪快な二連縦堀見所

46_higasi_unebori_2 畝状空堀群見所

41_minami_dankaku_gun 南段郭群

45_nantan_horikiri_1 南端堀切見所

城跡を個人的に評価すれば、空堀群抜きにしては語れない山城とも言えるが、自然地形に任せて斜面上を削り出して郭を築いた縄張りプラン、あるいは当時の築城方法まで目に浮かぶ様相などは、非常に値打ちのあるものと感じられた事から、自身は所在地の確定に随分手間取った事もあって、流石に同日訪問は叶わなかったが、これを機に訪れる方には須田城、金谷城、あるいは金屋本丸城と併せた三城同日訪問は、何としてでもお薦めしたいと思うのである。

2011年6月 9日 (木)

丹後畑山城跡(京都府京丹後市)

この城跡は以前丹後を訪れた際に地元の方に紹介して頂いた、久美浜町内に数多く現存する城跡の一つではあるが、農地や民家が直ぐ傍まで迫っている事もあって、地元では充分知られた存在だとは思われる。恐らく郷土史に載せられている程度の城跡だと思われるのだが、多くの丘城に共通するが如く、近年農地として開発されて縄張りの一部は随分消失した現実の中では、道路側だけが農地として削り取られているだけ(推察)に終わったものであり、城としては非常に遺構残存度は高いものと見受けられた。シンプルな形態が故に、現状(五月)丘城の手本とも言えそうな縄張は掴み易く、お手軽さや見学のし易さも加味すれば、充分お薦め出来る城跡の一つとして目には映ったのである。尚、城史に関しての詳細は不明

1route 登城ルート

3hatayama 城跡概念図

城跡の形態はほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いと思われるが、見所遺構は堀切、埋もれて浅い土橋付き堀切、主郭の土塁、切岸(郭境及び側壁)、明瞭な上り虎口といった所になるだろう。これらの残存遺構は非常に判別し易いものでもあり、個人的には訪れても決して期待は裏切られないものと思えたが、規模の大小は最初から問わない事が前提とはなるだろう。今回の久美浜町における山城巡りにおいては、永留城も含めて丹後地方には文献資料などではほとんど紹介されていないが、隠れた素晴らしい城跡がまだ多く現存している事を再び思い知らされた気がする、、、 

10_horikiri_e 山道から堀切へ

14_horikiri_1

堀切見所

13_kita_tatebori

縦堀へ繋がる堀切見所

18_horikiri_dobasi 西土橋付き空堀見所

27_shukaku 主郭の現状

31_higasi_shukaku_heki 主郭東切岸

32_higasi_koguti_2 明瞭な東虎口見所

33_minami_obi 南帯郭

城跡は京丹後市久美浜町永留畑山にあって、既にリポート掲載を終えた永留城を起点とすれば分かり易い位置にあるが、ルート図の如く国道312号「永留」の信号より、北へ進路変更して向かえば難なく辿り着けるとは思われる。道路沿いから城跡は直ぐ確認出来るが、林道(画像に注目)を少し入れば、低丘陵上の堀切へ向かう山道も見えてくるので、そこから城跡へ進入すれば、直ぐにでも縦堀に繋がる堀切が迎えてくれる筈である。

2011年6月 7日 (火)

引野城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市引野にあって、北西麓に「大師山自然公園」のある、大師山(標高122m)から西側に派生する尾根先端に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、大師山を縦走する大師道中には「引野城の道標」があった事を思えば、地元では充分認識されている山城と言えるのかも知れない。

城跡を訪れるにはまず国道482号へ進入する事が先決となるが、目印となる「大師山自然公園」を目指して向かえば良い。登山口となるのは当然「大師山自然公園」で、ここから大師道を利用して山上尾根まで上り、そこから西へ少し下れば道標も掲げられているので迷う事なく辿り着けるとは思われる。個人的には城跡が大師山のどこに位置しているのかは見当も付かず、やむなく482号道路沿いからの直登を選択したが、先を急がれる方には後者の直登ルートで、時間に余裕のある方には迷わず前者で向かわれる事をお勧めしたい。

1_1_2 登城ルート

1_3_2 公園から大師道へ

8 道標

1_2_2城跡概念図

現状(五月)城跡は一帯が植林地ということも相俟って、山城としてはこれ以上ない良い状態が自然維持されており、縄張りのほぼ全体像が窺える非常に見学し易い状況となっている。形態は概念図には示したが、ほぼ二郭で形成されたものであり、切岸と並んで唯一の防備機能と思える堀切が東西に施されている。西側の堀切はほぼ横堀に近いもので、地表風化によるせいもあってか浅く、見応えは余り望めないものである。東側の堀切は土橋が付随しているので充分見応えは感じられたが、、、、城域も狭く小規模な為に目に留まる遺構も数少なく、見所を挙げるには苦労させられるが、敢えて挙げるのであれば、山城としてはこれ以上望みようがない、状態の良さを含めた佇まいそのものと言ったところか、、、

11_horikiri_dobasi 東土橋付き堀切見所

13_2maru フラットに近い二ノ郭

20_shukaku_1 主郭の現状

19_heki 主郭南切岸見所

26_dorui_gawa 西空堀

城跡を個人的に評価すれば、ほぼ完存とも思えた手付かずの遺構群、先に触れた見通しが利き全体像が拝めるコンディションの良さ、更に大師道経由で散策気分で臨めるお手軽感を含めれば、遺構自体に見応えは余り感じられないのが現実ではあるが、史跡ファンの方も含めて、一般城跡ファンの方にも是非お薦めの城跡と言う事にはなるだろう。

2011年6月 5日 (日)

南北二峰に跨る、城域の広い山城 須田城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市久美浜町須田にあって、「大雲寺」の西側を取り囲む様な形で、南北に連続する山塊の山上尾根に位置しており、ルート図あるいは概念図でお分かり頂ける様に、郭の展開は南北の二峰に跨ったものであり、その二峰に主要郭を構えた城域は、とてつもなく広い山城と見受けられた。もちろんその枝尾根全てを踏破した訳ではないので、本来の城域は概念図に示したものより、まだ相当はみ出るものと思って頂きたい。この山城も先にリポート掲載を終えた金屋本丸城と同様に、城史に関しての情報は現状皆無に近いものであるが、細川氏丹後入部以前には外村氏の居城が伝わっている。

城跡を訪れるには先に触れた金屋本丸城を起点とすれば一目瞭然の位置にあるが、「大雲寺」を目印として目指せば、入山口までは迷わず辿り着けるとは思われる。駐車場の北側に大師道入山口があるが、ここから大師道に任せて上れば、便宜上の北城までは数分で到達可能となっている。ただここから南城主郭までの道程の方が長いが、尾根上に展開される縄張りとしての削平地の確認や、大師道に任せた山歩きも楽しみながら上れば、余り距離は感じさせない筈である。

1_1 登城ルート

1_2 城跡概念図(全体像)

1_4

北城概念図

24_kita_sanjyou_shukaku_1 状態の良い北山上郭群

24_kita_sanjyou_shukaku 山上主郭

28_nisi_kaku_dobasi_horikiri 西郭の土橋付き堀切見所

36_onejyou_kaku_koguti 尾根上の郭跡

現状(五月)大師道が敷設されているお陰で、南城主郭までは快適な山登りが可能となっており、その間に展開される郭群の見極めも容易く、遺構もほぼ判別可能な、知名度に欠ける山城としてはこれ以上ない良いコンディションにある。ただ北城から南城へ向かうほど郭内の地表風化は激しく、堆積物や倒木などで荒れ放題となっている為、郭切岸ラインなどは曖昧なものと化しているのが現状と言えるが、、、この山城の特徴としては主郭から派生する枝尾根が多い事が挙げられるが、そのせいもあって尾根を断つ堀切の見学が全てとも言い切れそうに思える。ちなみに南城では概念図に示した様に、踏破した範囲内の四箇所で確認可能となっている。

1_3 南城概念図

38_nisi_sanjyou_demaru 北出郭(展望ベンチ)

40_horikiri_1 北出郭堀切見所

46_higasi_horikiri_1 東尾根堀切見所

52_shukaku_gawa_heki_1 北主郭切岸

64_tatebori 主郭東堀切(縦堀)見所

城跡を個人的に評価すれば、なだらかな低山山上に位置する山城である為に、山上郭群に切り立つ切岸の醍醐味までは求められず、更に遺構そのものに特別見応えが感じられるほどの山城とは言えないのだが、二峰に跨って展開される大型の部類に入る山城の佇まいだけは、他の山城では中々味わう事は出来難いものであり、残存遺構に対して機能の想像が付き易い事(縄張り妙味が余り感じられない)、大師道に任せた見学し易い環境にある事、眺望の利く休憩ベンチが備わっている事、更に山歩きが楽しめる事などを理由に、山城ファンの方は言うまでもないが、史跡ファンの方も含めて、是非訪問をお薦め出来る城跡と思えたのである。

2011年6月 3日 (金)

山路城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市大屋町山路にあって、県道沿いに建ち並ぶ山路集落から真南側に位置する、大師山より北側に突き出した丘陵先端部にある。城史に関しての詳細は不明

この山城も大屋川に沿って多く築かれた山城と同様に、小規模極まりないものであり、えっ、これだけ?」と言った表現がぴったり当てはまる城跡の様にも見受けられた。主郭に関しては正しく狼煙台としか機能が思い浮かばないものであり、とにかく小さい(8m四方)のであるが、その背後にはしっかりと二重堀切が施されていた。この狼煙台程度の郭を厳重に二重堀切で守備する必要性は全く感じられないのだが、戦国時代を知らない現代人にとっては、とても理解できるものではない。堀切から真南側の尾根上は削平された空間となっており、大師道の休憩所にも思える削平地まで長く連続しているが、この付近は近年まで大師道として人が行き来して、ある程度整備されていた痕跡が窺えるので、戦略的には縄張りとも言えようが、とてもその判断は難しいものでもある。

1route 登城ルート

9_one_kaku 神社背後の直登ルート

3_1 城跡概念図

城跡を個人的に評価すれば、主郭背後に施された二重堀切だけで、訪れる値打ちがある城跡としていいのかどうかは非常に迷う所ではあるが、今回は他に見所がなかった事もあって、載せた画像と概念図に興味を持たれた方だけに、訪城の判断を下して頂きたいのである。個人的には堀切がたった一箇所でも、あるいは切岸が拝めただけでも充分とした山城巡りをしているので、予想もし得なかった二重堀切だけで充分感動させてもらったのだが、、、

11_shukaku 主郭の現状

17_horikiri2_1 18_2jyuu_horikiri_2 二重堀切見所

20_minami_one_kaku_1 20_minami_one_kaku 南尾根上削平地

26_sanjyou_kaku_1 南山上削平地

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた宮本城の訪問ルートと同様に、田和城を起点とすれば分かり易いだろう。田和城から県道6号を少し南下すれば県道48号へ右折針路変更、後は今回直登開始地点としたルート図に示した名前の判明しない神社を目指せば良いだろう。大師山と言うからには大師道があるものと推測して現地に訪れたが、地元の方に接する事も出来ず(誰一人として出会わず)、神社背後をそのまま直登する事になったが、間違いなく尾根上は大師道が通過していたので、これを機に訪れる方には、情緒を味わう為にも是非、麓で地元の方に大師道を尋ねて上られた方が良いものとは感じられた。ちなみに直登ルート(植林地)を選択すれば、藪漕ぎなしの10分内で主郭へ到達可能となっている。

2011年6月 1日 (水)

上郡柏原城跡(兵庫県赤穂郡)

城跡は兵庫県赤穂郡上郡町段町にあって、町のほぼ中心部にある「上郡高校」から見れば、千種川と国道373号を隔てた真東側の低丘陵先端部に位置している。城史に関しての情報は皆無に近いものであり、詳細は不明

城跡を訪れるには、どこからスタートしたとしても国道373号へ進入する事が先決となるが、上郡町に入れば国道交差点「上郡橋東」を目印とすれば、その直ぐ真東丘陵上にある城跡の位置は分かり易いとは思われる。城跡最短直登ルートは概念図に示したが、墓地背後(画像に注目)をそのまま上り切れば、自ずと東郭周辺には辿り着けることになる。車の駐車に関しては、路駐にはなるが直登取り付き口とした墓地の先に、充分な駐車スペースは確保出来たので参考までに、、、ちなみに車を停めて5分内で主郭へ到達可能と思って頂ければ良いだろう。

1_1 登城ルート

8_tyokuto_kuti 直登進入口

1_2_2 城跡概念図

現状(四月)城跡は、多くの人家の迫った低丘陵上にある城跡と同様に、藪化は当然進行中にあるが、竹林地化されていない環境のせいもあって、見学に差し支えるまでには至ってはおらず、主郭から東郭までは見通しも利き、全体像が窺える比較的良い状態にある。形態はほぼ概念図に示した通りと思って頂いても良いとは思われるが、防備の手薄さや築城環境、あるいはその規模から館城が想像された。現状の堆積物(落ち葉)の多い風化の進んだ地形から、遺構と判別確認出来たものは、郭跡を除けば相当埋もれたものとは思えるが、土橋を付随させた空堀(堀切)、主郭東の表土の流出によって高低差の失われた土塁跡、主郭における切岸跡、南郭における虎口に見えた地形は挙げられよう。石垣跡も目には留まったが、縄張りにおける必然性、あるいは他で石垣跡の痕跡が見受けられなかった事から、これは後世における治山事業の結果と考えればそれで良いのかも知れない、、、謎。

12_dobasi_karabori 土橋付き堀切見所

9_horikiri_dobasi 三ノ郭

17_obi 帯郭

19_shukaku_dorui 主郭の僅かな土塁跡

21_shukaku_nisi_gedan 二ノ郭

27_shamen_isigaki_1

虎口付近の謎の石垣

城跡を個人的に評価すれば、知名度もほとんどないに等しい、ほぼ無名に近い城跡を思えば、シンプルが故に縄張りプランが非常に掴み易い見やすい状態、これだけで充分訪れる値打ちはある様に感じられたのである。もちろん圧倒的お手軽感と、見学し易さも含めた上での話しになるが、、、

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