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2011年5月 8日 (日)

城跡と並んで棚田の醸す風情が素晴らしい!上世屋城跡(京都府宮津市)

城跡は京都府宮津市上世屋字本丸にあって、数えられる程度の民家が建ち並ぶ小さな上世屋集落の東側の低丘陵上に位置している。「本丸」と呼ばれる字名が語る様に、この地がかつての主郭に相当するものと伝わっているが、城主として一応名が挙がっている上野甚太夫が何時頃の人物なのかは不明。もちろん他の丹後地方の城主のほとんどが、当時(細川氏入部以前)一色氏傘下にあった事を思えば、この城主もその息のかかった一人と考えても良いのかも知れないが、現地在住の年配の方には、5万石の城主と伝わっている事、城主が馬を走らせた馬場跡(馬駆け場)は、今でも二の丸(推定)北側に広大な農地としてそのまま残っている事を聞き及んだ。

3kamiseya 登城ルート及び城跡概念図

2x_1 県道沿いにある史跡案内板

4 県道から棚田及び主郭を望む

この城跡は訪問結果から先に述べさせてもらえれば、「素晴らしい!」の一言に尽きるものであり、それは本丸背後に備わる見事な堀切、規模の大きい郭跡、屹立する切岸などの残存遺構に対してだけのものではなく、この本丸から見通せる棚田を含めた集落の在り方、築城環境も含めた城跡の佇まい、あるいは遠く外見から望んだだけで充分当時に思いを馳せることの出来る状態であって、これを機に訪れる方には、是非載せた画像でそれを判断して頂きたいのである。はっきり言って残存遺構に山城としての醍醐味や見応えは期待出来ない、それでも当時の縄張りの祖形がほとんど失われていない現状の地形を思えば、丘城としては他に比類なき素晴らしい城跡と自分の目には映ったのである。地元の方の見解によれば、城跡はもちろんのこと、本丸から南側あるいは西側に築かれた棚田も、東側における集落の中心部も当時と何一つ変わっていない状況にあり、近年集落まで繋がる県道が新しく整備された程度のものらしく、正にタイムスリップしてきた感覚に陥りそうに思えたのである。更に驚くべきは、県道がなかった時代(明治後期まで)は、遠く成相寺(府中城がある)に繋がる、険し過ぎる山の尾根が唯一の生活道路であったらしい、、、自分も含めた都会人とってはとても信じられない話しの内容である。

5_1

城跡南側切岸

12_shukaku 主郭

17_shukaku_higasi_heki 主郭東壁見所

14_horikiri_3 14_horikiri_1 堀切見所

16_2maru_baba_gawa 堀切を隔てた馬場跡見所

18_2maru_yori_shukaku 二ノ郭より主郭側

地元の方には他にも興味深い話しを数多く聞かせて頂いたが、この地区における忌まわしい過去の史実として、本当に「姥捨て山」が存在した事、この地から更に山を上れば木子(モッコ)地区に行けるが、この地はかつて平家の落人が住み着いた集落として伝わる事、ガラシャ幽閉の地として有名な味土野(ミドノ)は更にその先の山間部にある事などから、史跡ファンの方には城跡を含めた史跡巡りを、是非考慮に入れて頂きたいと思えたのである。

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた下世屋城、あるいは日置浜城を起点とすれば分かり易いが、日置浜城の望める国道178号の交差点を県道75号へ針路変更、後は県道に従ってそのまま車を走らせれば、自ずと上世屋集落までは辿り着ける筈である。

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