山頂には石垣跡と豪快な堀切が、、 大聖寺山城跡(兵庫県赤穂郡)
城跡は兵庫県赤穂郡上郡町船坂にあって、津原集落の直ぐ北背後に聳える標高258m(比高約200m)の山頂に位置しており、赤松氏一族の一人(庶流か?)でもある安室氏の拠った山城と伝わり、別称「安室城」とも呼ばれている。文献資料などには調査後の結果として石垣跡の記載はあるが、ほぼ単郭構造とも呼べそうな、規模の大きい山上本郭群においては、高さは余りないが郭境とした郭壁の随所、虎口周辺、あるいは西外壁の至る処で石垣跡が目に留まった。
現状(四月)城跡は、知名度の低い山城に共通するが如く、当然藪化は進行中にあるが、冬枯れ後という事も手伝って、樹木のほとんどが枯れ木と化しているので、郭内移動にも外見からの視認による遺構の判別確認も、さして支障を来たす状況までには至っていない。ただ枯れ木の隙間を縫っての移動は余儀なくされるが、、、概念図に示したまでが動き回れた範囲、あるいは目に留まった遺構群と言う事になるが、城跡の形態から察しても、未踏の地にまだ多くの遺構が残存している様にはとても思えなかった。この山城の最大の見所遺構としては、まず先に触れた郭壁随所に窺われる石垣跡、一部に石積跡の残る虎口(枡形の様にも窺えた)、北端部に備わる堀切は真っ先に挙げられるが、中でも堀切は岩盤を削ってまで施されたものであり、「これぞ山城を訪れたが故に味わえる醍醐味の一つ」、とも言えるものであり、見応えも申し分ないものと感じられた。他では主郭背後における土塁跡、便宜上の二ノ郭西斜面に施された空堀、土塁跡(武者隠しか?)などが挙げられるが、縄張り変化に富んだ城跡ではないので、当然縄張り妙味までは求められないだろう。
主郭西の見事な切岸
城跡を個人的に評価すれば、「この山城で覗う事の出来る遺構群には、何一つ無駄な見学で終わるものはない!」と言って過言とは思えず、規模あるいは状態さえ問わなければ、構築物の機能の想像も含めて楽しめる、是非お薦め出来る山城と自分の目には映ったのである。これを機に訪れる方には、なるべく葉が生い茂るまでの梅雨までの訪問をお薦めしたいが、、、この藪化は非常に残念!
城跡を訪れるには、まず上郡町に入る事が先決となるが、「上郡橋」を西へ渡り、県道90号へ進入して船坂を目指せば良いが、船坂周辺まで辿り着けば、城跡の位置する険峻な山塊は安室川を隔て直ぐ目に留まるので、その位置は確認し易いだろう。かつて共同アンテナあるいは送電鉄塔が山上尾根にあった事から、取り合えず山頂までは踏み跡程度の山道(かつてのメンテナンス道)が繋がっており、シダの蔓延る山道に従って上れば、迷わず山上主郭へは辿り着けるだろう。入山口となるのはルート図に示した西方寺の「十一面観音」で、道標も途中にあるので分かり易いとは思われる。ちなみに県道沿いの橋を渡れば、25分程度で山頂へ辿り着けると思って頂ければ良いだろう。
« 日置浜城跡(京都府宮津市) | トップページ | 日置上城跡(京都府宮津市) »
「兵庫(三田~播磨地方)の山城」カテゴリの記事
- 川原砦跡(兵庫県三田市)(2014.08.11)
- 二連の堀切が存在感を醸す 上槻瀬砦跡(兵庫県三田市)(2014.08.03)
- 楚々とした佇まいが値打ち!酒井北砦跡(兵庫県三田市)(2014.07.30)
- 酒井砦跡(兵庫県三田市)(2014.07.26)
- 戸倉構跡(兵庫県姫路市)(2012.02.28)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。














takuさま
31日の日曜日は播磨地方を訪問しました。今回もいくつか参考にさせて頂きました。ありがとうございます。
takuさまにとっては極めて緩い坂が続くこのお城。シダに覆われた箇所多数ありますがギリギリ踏み跡残っていました。以前の坊主山城址のシダ藪からすれば可愛いものと思っていたら最後道に迷い、左側に直登する羽目に。すると凄い落差のある大堀切をかぶりつきで見られ感激。これは本当に削ったのか?どうやって?と感嘆してしまいました。僅かながら主郭の石積み及び麓の石造は1298年建立と歴史あり楽しめました。
石造近くに黒いマムシと遭遇。駐車地点では青大将と遭遇もご愛嬌で印象に残った山城でした。
私は30分程度片道かかり、歩き甲斐ありました。
投稿: ヒデ | 2015年6月 1日 (月) 10時06分