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2011年4月10日 (日)

播磨地方では屈指とも言える城域を誇る 高峰山城跡(兵庫県神崎郡)

城跡は兵庫県神崎郡福崎町大貫にあって、国土地理院地図の中で標高408mの三角地点にある「深山」と記されている西側の峰に位置しており、その深山に建つドコモの中継所は麓の県道からでも確認出来るので、城跡の位置確認は容易いとは思われる。この山城は古きより成立したものであるが、赤松氏の息のかかった城跡と伝わるだけで、城史に関しての詳細は不明でもある。

城跡を訪れる為の最寄の高速自動車道乗降口は中国道「福崎」ICとなるが、今回入山口とした「奥池」までは県道23号で2km程度東進し、「大池ショートゴルフ」施設のある大池を越えて左折(ゆるぎ岩の案内道標が目印)針路変更すればよい、奥池付近には充分路駐箇所はあるが、その北側から峠に向いた山道を利用して上り(西進)、倒木が多くなれば適当な箇所から右手側の斜面に取り付いて直登を敢行すれば良いだろう。便宜上の二ノ郭までは奥池から30分程度はかかるが、尾根に沿って上れば迷わず辿り着けるとは思われる。

1_1 登城ルート

4sinnyuukeiro 南麓から城跡遠望

1_2 城跡概念図

尚、県道23号からは相当遠くはなるが、北側から深山に繋がる林道もあるので、楽をしたい方はその林道を利用してドコモ中継所まで上れば良いとは思われる。ただこの林道の状況までは分からないが、最近では施錠されて一般車は通過出来ない林道、あるいは小型四駆でなければ上れない林道も少なからずあるので、健脚の方は迷わずこの分かり易い直登ルートをお勧めしたいのである。県道から林道を経由した深山までの長い道程を考えれば、恐らく時間的にはこちらの直登ルートの方が早いとは思われるのだが、、、、

現状(三月)城跡は当然藪化進行中にはあるが、山上主郭は登山客が通過して峰を縦断するコース上にある事から、山城としては比較的状態が良いものであり、郭移動に難渋するまでには至っておらず、概念図中に示したまでの本郭群の遺構のほとんどは、判別確認可能な状態にあると思って頂いても良いとは思われる。麓から山上郭群までは相当遠い距離にある事、あるいはこれだけ険峻な地にある築城環境を考慮すれば、縄張りプランに特別技巧を凝らす必要があるとは思えなかったが、郭跡を除けば登城道の様にも窺えた土塁を伴う数箇所の空堀地形(縦堀も含める)、浅い堀切跡(西尾根端)、虎口跡、切岸跡などが目に留まった遺構群と言う事になるだろう。

9_minami_kaku 広大な規模を誇る南郭

11_tatehori_tikei_1 南郭の空堀地形見所

16_2maru_1 二ノ郭

20_sanjyou_shukaku_1 山上主郭の現状

33_hokora 主郭南下段にある祠

34_2maru_heki 二ノ郭東切岸見所

37_saigedan_koguti 東郭群、明瞭な虎口跡見所

26_horikiri_1 西端尾根の堀切見所

24_nisi_dobasi_tikei_1 西尾根上の土橋地形

二ノ郭には石列が露見している土塁基壇らしき構築物もあるが、これは城跡遺構と言うよりも、後世における拝殿跡、あるいは祠跡の様な気がしないでもない。とにかく城域が広く規模も大きいので、深山に繋がる尾根、あるいは西端の西峰までは踏破出来なかったが、出郭あるいは堀切の類は尾根上に施されていたのかも知れない。「見応えのある遺構は」と聞かれると少し返答には困るが、二ノ郭東側に連なる郭群の高低差を伴う状態の良い切岸跡、その明瞭な虎口跡は取り合えず挙げられようが、巨大山城と呼ぶに相応しいまい、あるいはこの築城環境こそが、この山城を見学する上での最大の値打ちとも思えたのである。山城としてみれば古い形態に限りなく近い城跡ではあるが、城域の広さは播磨地方の山城の中では屈指と言えるものでもあり、個人的に城跡を評価すれば、充分お薦め出来る山城の一つと言う事にはなるだろう。

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コメント

はじめてコメントさせて頂きます。
いつも楽しく拝見させていただいたり、実際に訪れる際にはよく参考にさせて頂いています。
すでにご存知かもしれませんが、高峰山城は城域の中心付近が高峰山曼荼羅寺という真言宗の寺院跡でもあるそうです。
神崎郡誌などによれば築城は赤松円心の麾下 武田信濃守藤原保之といい、落城は天正年間とのことです。7代目城主の伊豆孫四郎祐国は粟賀の高峰城、寺前城も兼城したとも伝わっていたり非常に私は気になっております。
播磨鑑には高峰山曼荼羅寺は尼子と小寺との戦に巻き込まれ燃えたというような記述もあり
その頃には城史が正しければその頃には既に、城郭として機能していたと思われ
私個人としては非常に気になるお城です。

TAKUです、快晴さんコメント拝見させて頂きました。
当ブログが城跡巡りのアシストとして役立っているのであれば何よりです。登城後のリサーチ等は中々出来ずに終わっておりますが、貴重な情報有難う御座いました。城郭の規模から察すれば、かなり名のある武将の居城とは思われましたが、粟賀の高峰城の城主である、伊豆氏の居城とあれば充分納得できそうです、、、
これから山城巡りには最適ともいえる季節になって来ましたが、是非楽しんで下さい。

takuさま
先日の大山城址訪問時にここも訪問しました。
実は2回目トライで、前回今年6月は池から左方面に行く道を林道ではなく、車道の方に折れてしまい、気が付いたときは20分以上も経過し、蒸し暑く、疲労度も相当あり、日暮も近くなったので、再訪は私の心の中では決めていました。

が、例の大山城址の精根尽き果てたお蔭で、
池の横から登る気力は残っておらず、ダメ元で北部のドコモ基地のメンテ道からトライしました。

なんとラッキーな事にメンテ工事で車両が入っていて、施錠が開錠されており、私も工事関係者のふりをしてなんなく入れました。通常はダメですが。

深山から余りにも簡単に訪問でき、逆に良心の呵責を感じております。素晴らしい山城こそ、自分の足で苦労しないと罰が当たると思いました。

この3方向に尾根沿いに分岐する大規模山城を再度味わうために再度下からトライするつもりです。

ヒデさん、それはラッキーでしたね。
ただこの山城は薬研堀などのような際立った遺構がある訳でもなく、切岸はさておき、残存遺構の見応えまでは期待はしないほうが良いかもしれません。
私は主郭から繋がる西端尾根までは踏破確認する事が叶いませんでしたが、三方尾根あるいは枝尾根に縄張りが広がると予想される、この山城の形態から考えても、間違いなく西端出郭が存在すると思います。
又何時か機会があれば訪れてみて下さい。

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