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2011年4月

2011年4月30日 (土)

山頂には石垣跡と豪快な堀切が、、 大聖寺山城跡(兵庫県赤穂郡)

城跡は兵庫県赤穂郡上郡町船坂にあって、津原集落の直ぐ北背後に聳える標高258m(比高約200m)の山頂に位置しており、赤松氏一族の一人(庶流か?)でもある安室氏の拠った山城と伝わり、別称「安室城」とも呼ばれている。文献資料などには調査後の結果として石垣跡の記載はあるが、ほぼ単郭構造とも呼べそうな、規模の大きい山上本郭群においては、高さは余りないが郭境とした郭壁の随所、虎口周辺、あるいは西外壁の至る処で石垣跡が目に留まった。

1_2 登城ルート

1_3 城跡概念図

現状(四月)城跡は、知名度の低い山城に共通するが如く、当然藪化は進行中にあるが、冬枯れ後という事も手伝って、樹木のほとんどが枯れ木と化しているので、郭内移動にも外見からの視認による遺構の判別確認も、さして支障を来たす状況までには至っていない。ただ枯れ木の隙間を縫っての移動は余儀なくされるが、、、概念図に示したまでが動き回れた範囲、あるいは目に留まった遺構群と言う事になるが、城跡の形態から察しても、未踏の地にまだ多くの遺構が残存している様にはとても思えなかった。この山城の最大の見所遺構としては、まず先に触れた郭壁随所に窺われる石垣跡、一部に石積跡の残る虎口(枡形の様にも窺えた)、北端部に備わる堀切は真っ先に挙げられるが、中でも堀切は岩盤を削ってまで施されたものであり、これぞ山城を訪れたが故に味わえる醍醐味の一つ」、とも言えるものであり、見応えも申し分ないものと感じられた。他では主郭背後における土塁跡、便宜上の二ノ郭西斜面に施された空堀、土塁跡(武者隠しか?)などが挙げられるが、縄張り変化に富んだ城跡ではないので、当然縄張り妙味までは求められないだろう。

27_2maru 二ノ郭

29_koguti_nai_isi 虎口跡見所

32_shukaku_isigaki_1 主郭石垣跡見所

37_shukaku_dansa_isi_2 主郭との段差に石垣跡見所

46_minami_karabori_dorui_3 空堀土塁見所

43_horikiri_3 43_horikiri_4 堀切最大見所

45_shukaku_kitaheki_2 堀切を隔てた主郭壁

53_shukaku_nisi_heki

主郭西の見事な切岸

38_dorui 主郭土塁見所

城跡を個人的に評価すれば、「この山城で覗う事の出来る遺構群には、何一つ無駄な見学で終わるものはない!」と言って過言とは思えず、規模あるいは状態さえ問わなければ、構築物の機能の想像も含めて楽しめる、是非お薦め出来る山城と自分の目には映ったのである。これを機に訪れる方には、なるべく葉が生い茂るまでの梅雨までの訪問をお薦めしたいが、、、この藪化は非常に残念!

城跡を訪れるには、まず上郡町に入る事が先決となるが、「上郡橋」を西へ渡り、県道90号へ進入して船坂を目指せば良いが、船坂周辺まで辿り着けば、城跡の位置する険峻な山塊は安室川を隔て直ぐ目に留まるので、その位置は確認し易いだろう。かつて共同アンテナあるいは送電鉄塔が山上尾根にあった事から、取り合えず山頂までは踏み跡程度の山道(かつてのメンテナンス道)が繋がっており、シダの蔓延る山道に従って上れば、迷わず山上主郭へは辿り着けるだろう。入山口となるのはルート図に示した西方寺の「十一面観音」で、道標も途中にあるので分かり易いとは思われる。ちなみに県道沿いの橋を渡れば、25分程度で山頂へ辿り着けると思って頂ければ良いだろう。

2011年4月28日 (木)

日置浜城跡(京都府宮津市)

城跡は京都府宮津市日置浜にあって、国土地理院地図に「妙見山」と記された、海に隣接した低山山上に位置している。この妙見山は別名「向山」とも呼ばれており、この城跡は向山城の別称があり、現在山頂には妙見堂が建つが、その敷地内の案内板には16世紀中頃に一色氏の重臣「杉左馬亮」、その後の細川氏入部の頃には「日置弾正」の居城が伝わる事が記されてある。

城跡を訪れるにはまず国道178号へ進入する事が先決となるが、有名な「天の橋立」を目として目指せば良いだろう。そこから国道を3km程度北上した場所に妙見山があるが、日置地区に入れば国道を走りながらでも、右手海岸側に単独で孤立した城山は直ぐ確認する事が可能であり、位置確認は容易いものとは思われる。

1_2_2 登城ルート

1_3 城跡概念図

8 海の見える参道

10_nantan_kaku かつての南郭跡

13_shukaku_2 主郭に建つ妙見堂

 

現状(四月)山上主郭だけに限れば、妙見堂敷地として保全整備されているので、当時の主郭の規模などは想像が付き易いが、それに付随する大規模な二ノ郭や西側に展開される郭群は、堆積物や覆い尽くす下草で地表も露見しておらず、全域が竹林雑木藪地と化しており、移動にも外見からの視認にも差し支える厳しい状況にある。よって概念図に描いたものは、自身が辛うじて踏破確認に及んだ範囲、あるいはそこで目に留まった遺構群を記したものと言う事になるが、本郭群の屹立する切岸、及び郭跡までの判別確認が精一杯の状況でもあり、中々遺構見学を楽しむまでの状況にはなかったのが本音ではある。二ノ郭北側から更に西郭側斜面上には数段の削平地、南側には出郭らしき地形が、木々の隙間からでも充分目には留まったが、外見から望んだ小さな小山を思えば、意外にも一山全体が城塞化されている、規模の比較的大きな城跡の様に目には映ったのである。現状見た限りでは縄張りの祖形はほとんど失われておらず、ほぼ当時のままが現在に至ったものとも見受けられたが、状態の醜さが重なって未踏に終わった箇所も数多く残し、今回は城跡を個人的に中々評価し辛いのが現状ではある(とにかくこの藪化は勿体無いの一言)。

15_shukaku_heki_2

主郭切岸

15_shukaku_kitagedan

北郭

20_2maru

  二ノ郭の現状

21_nisi_kaku_1

西郭(一番状態の良い箇所)

結論として言えるのは「この城跡は決して遺構見学を優先して訪れてはいけない!海城に近い形の城跡の佇まいを味わう程度の史跡見学」として、割り切って訪れる事が一番納得の行く訪城となる様な気がするのである。後でリポート掲載を予定している日置上城と併せた山城巡りの一環として訪れるのであれば、充分お薦めは出来ようか、、、、

2011年4月26日 (火)

陳東氏城跡(兵庫県朝来市)

城跡は兵庫県朝来市山東町矢名瀬(ヤナセ)町にあって、国道427号と9号の交わる交差点「大垣」から見れば、真東に聳える陳東山(標高167m)山頂に位置している。山の名が語る様に陳東(チントウ)氏居館とも伝わっているが、戦国史などにもほとんど登場しない氏に関しての情報は、郷土史などにはそれなりに載せられているのかも知れないが、リサーチまでには及んでいないので詳細は不明。どちらにしてもこの山城を覗いた限りでは、この一帯に威を轟かせていた但馬守護代でもある、太田垣氏の傘下にあった士豪の一人という事だけは推察出来ようか、、、

城跡を訪れるにはルート図を見れば直ぐお分かり頂けるとは思われるが、先に触れた国道9号「大垣」交差点を目指せば、迷わず付近までは辿り着けるだろう。交差点からは東数十mの距離にある、秋葉神社の道標を目印として山陰線高架下を潜り、概念図に示した山道から城跡西側の枝尾根に取り付けば、10分内で山上主郭へは到達可能となっている。尚車の駐車に関しては、自己責任においてと言う事にはなるが、下山ルートとした井戸(湧き井戸)付近に、僅かに駐車スペース(コンパクトカーに限る)が確保出来た事だけはお伝えしたい。

1_2 登城ルート

6tozanguti 進入口

1_3 城跡概念図

現状(四月)城跡は意外にも藪化までには至っておらず、郭内を覆っていたと思われる矢竹は一部伐採されており、見通しが利く事も重なって、山城としては比較的見学し易い状態にある。形態は概念図には示したが、比較的規模の大きい主郭に西出郭が付随するものであり、とても縄張り妙味のある城跡とは言えないものである。判別し易い遺構としては、郭跡を除けば主郭を形成する屹立する切岸、主郭東側に備わる土塁、その背後の堀切と言った処であり、その周囲斜面を覗いた限りでは縦堀は施されてはいなかった。見所遺構はもちろん先に挙げたものになるが、個人的には山上に忽然と現れる、高低差を誇る切岸の醍醐味に一番圧倒されたのである。

10_shukaku_nisi_heki 主郭切岸見所

14_shukaku_2 主郭内部

15_shukaku_dorui 主郭と奥土塁見所

16_dorui_1 土塁見所

18_horikiri_1 堀切見所

24_nisi_demaru_2 三段程度の西出郭

城跡を個人的に評価すれば、規模さえ問わなければ主郭を形成する切岸の醍醐味、あるいは10分内で主郭まで到達可能なお手軽感だけで、充分お薦め出来る城跡の一つと目には映ったのである。

2011年4月24日 (日)

規模は小さいが見応え充分! 岩戸神社城跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市春日町国領にあって、「岩戸神社」直ぐ西背後の丘陵先端に位置している。その直ぐ背後に聳える険峻な山の山上から東尾根付近に、秋山修理太夫の拠った高尾城がある事から察すれば、自ずとこの城跡はその出城(砦)であったのかも知れないが、城史に関しての詳細は不明である。尚、この高尾城は数年前に既に訪れてはいるが、夏季訪問であった為に生い茂る木々に阻まれ、山上までの踏破は未だ叶っていないが、何れ踏破して現況を報告する予定ではいる。

現状(三月)城跡の本郭群だけに関しては、植林地となっているので非常に見学し易く見て廻りやすい状況にあるが、一旦斜面に降りれば地表が見えないほどのシダや低草木で、外見から遺構の判別確認は困難を極める状況となっている。概念図に示したまでが判別確認出来た遺構群と言う事になるが、特に縦堀に関しては外見から判別出来たものだけを概念図に示したが、決してこれだけでは終わらない様な気はするのである。

1_1_2 登城ルート

6 城跡遠望

10 進入口

1_2_2 城跡概念図

本郭群の全体像はコンパクトな縄張りであるが為にほぼ掴めそうには感じられたが、この城跡の見所はコンパクトにまとまったその佇まいはもちろんの事ではあるが、単純な縄張りプランにも拘らず、縦堀、堀切、切岸などが丁寧に施されている処にある。数百年の時を刻みながら、ここまでの状態にある城跡は中々お目にかかれないのが現状であり、これだけで充分見学する値打ちのある城跡と言えそうな気もするのである。主郭及びそれに付随する三段の郭、あるいは幅の狭い帯郭などは、未だフラットな状態が自然維持されているので、非常に縄張りも分かり易く、山城初心者においても充分楽しめそうには思えた。よって城跡を個人的に評価すれば、自ずと是非お薦めの城跡と言う事にはなるだろう。

12_horikiri 見応えのある堀切(到達地点)

16_nisi_gedan 南西郭

19_shukaku 主郭の現状

20_shukaku_nisi_obi 状態の良い帯郭見所

27_kaku_tatebori 北最下段郭と縦堀見所

23_kita_gedan2_1 北下段郭2

30_tatebori2 縦堀2見所

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた東中城、三尾山城を起点とすればその位置は分かり易いとは思われるが、まず県道69号へ進入する事が先決となる。県道から岩戸神社まで向かうには「国領」の交差点で進路変更すれば良いが、「国領温泉」を目印として車を走らせれば良い、後はルート図を参考にして頂ければ直ぐお分かり頂けるだろう。城跡までは岩戸神社拝殿背後を上れば直ぐの距離にあるが、現状密生する低草木に遮られて踏破不能な状況にあるので、ここでは概念図及び画像に示した辺りから進入して、南背後の堀切を目指して上る分かり易いルートをお勧めしたい。藪漕ぎなしで5分とかからず堀切までは辿り着ける筈である。

2011年4月22日 (金)

野村茶臼山城跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市春日町野村にあって、全国的にも非常に数の多い「茶臼山城」を呼称としている。黒井城を遠く北東側に望んだ低丘陵上に位置している環境から考えれば、自ずと黒井城を取り囲む形で築かれた丹波攻略軍(明智光秀軍)における陣城、あるいは付城とも窺えようが、推察の域は出ないものである。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、舞鶴若狭自動車道(無料)を利用すれば良いが、最寄の乗降口は「春日」ICで、そこから先はルート図に示したのでそれを参考にして頂きたい。目印となる大きな溜池付近の道路脇に路駐可能な場所は見つかるので、そこから数十m池に向いて畦道(画像に注目)を歩けば、直ぐにでも堀切が迎えてくれる筈である。

1_1 登城ルート

7 道路沿いからの進入路

1_2 城跡概念図

城跡の形態はほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、南端の堀切から更に南側の集合墓地までの間は、低草木が蔓延る現状(三月)や地形改変の形跡が窺える現状から考えれば、本来の縄張りは非常に掴み難い状況にある。ただ見学対象となる北端の物見から南端堀切までを本郭群と考えれば、それほど見学に支障は来たさないものとは思えたが、、、

城跡の東側は竹林地帯となっている為に、現状地表風化は激しく、凸凹地形から残存する遺構を判別確認する事は非常に困難を極める状況にある。更に主郭の削平は現状を見る限り甘く、切岸ラインも明確なものではないので、丘城なるが故に切り立つ切岸の醍醐味に触れる事は出来ないだろう。その状況の中で見所遺構として挙げられるのは、郭を遮る判別し易い二箇所の堀切、北端の自然岩に囲まれた物見(推察)、櫓台的な土塁壇と、非常に数が限られたものにはなるが、これだけでも充分目は楽しませてくれる筈である。

10_nantan_horikiri_1 南端堀切見所

13_horikiri1_1 主郭側の堀切見所

17_honkaku_bu_kyoseki 郭を遮る巨石見所

21_kita_yori_shukaku_yagura_1 櫓台的な土塁壇

23_shukaku 主郭北側

26_hokutan_kaku 北端物見見所

城跡を個人的に評価すれば、圧倒的お手軽感と二本の堀切見学だけで充分訪れる値打ちはあるものと感じられたが、規模や縄張り妙味は最初から決して問わない事が前提とはなるだろう。人家や農地が直ぐ傍まで迫った状況の中で、これだけの遺構がまだ手付かずの状態で残っていた事が、とても信じられない気持ちである。

2011年4月20日 (水)

小屋谷城跡(兵庫県姫路市)

城跡は兵庫県姫路市夢前町寺/小屋谷にあって、県道80号線沿いにあるゴルフセンターが所有する、池に向いて突き出した丘陵先端に位置している。この城跡も先にリポート掲載を終えたくるすの城と同様に、置塩城の出城と伝わっているが、城史に関しての情報は唯一嵯峨山氏の居城が伝わっているだけのものである。城跡呼称に関しては文献資料による違いはあるが、「小屋谷構」とも呼ばれている。

城跡を訪れるには、置塩城を起点とすれば自ずと位置は把握し易いとは思われるが、県道67号より80号へ針路変更して、先に触れた「ゴルフセンター」を目印として目指せば良いだろう。城跡への進入口は道路沿いからも覗える(画像に注目)池の堤防からで、その正面に見えるのが既に北出郭となるものでもある。尚、この進入経路は打ちっぱなし練習場として何時球が飛んできてもおかしくはない状況にあるので、ティーに人が立っていた時点で絶対に避ける事が肝心となる(休日でありながらも誰一人見受けられなかった)。

1route_2

登城ルート

4_tozanguti_1 城跡進入経路

現状(三月)城跡は、まだ冬枯れした状態にありながら、城跡全域が枯れ木と常緑樹に覆われており、山上郭までの移動はもちろんの事、生い茂る木々によって視認にも難渋する状況にある。おまけに地表風化が更に追い討ちをかけており、現状の地形から切岸跡あるいは郭跡を想像するのは非常に困難を来たす状況にあると思って頂いても良いだろう。結果的に山上郭群においては主郭(尾根上に連続する削平地形)、付随する小郭、腰郭、虎口あるいは縦堀かも知れない曖昧な地形が数箇所に窺えた程度であり、風化が激しい事もあってそれも中々判別し難いのが現状である。よって最後まで縄張りを見極める事は叶わなかったが、辛うじて出郭跡と見受けられる尾根先端部においては、自然地形に近い形の堀切、そこから池に繋がる縦堀地形数段の郭跡、池側に僅かに窺える切岸跡までは判別確認する事が出来た。ただこの地を城跡と認識した上で訪れなければ、この地形から城跡を想像することは誰も出来ないようには感じられたのである。

7_kirikisi_1 北出郭の切岸

8_shukaku 北出郭

12_horikiri_1 出郭背後の堀切

13_tatebori 縦堀地形

20_sanjyou_kaku 山上郭群

18_sanjyou_kaku_heki 山上主郭壁

この城跡を個人的に評価すれば、ほぼ自然と一体化しつつある城跡に絶対に期待を抱いて訪れてはいけない、期待が持てるとすれば唯一城跡の雰囲気を醸す程度の出郭だけだと思って頂いても良いかも知れない。ただ自身が遺構として見極め切れなかった、山上における縦堀地形(数箇所で確認)や土塁虎口地形は、今思えばやはり本来備わっていた城跡遺構の様な気もするのではあるが、、、謎。結論を言えば、このリポートに興味を持たれた方のみが訪城の対象となる城跡と言っても良いのではないだろうか。

2011年4月18日 (月)

史跡見学として是非お薦め 小稗城跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市青垣町小稗(コヒエ)にあって、小稗集落にある専称(センショウ)寺の北背後の丘陵先端に位置しており、山垣城を本城としてこの地を治めた足立氏の出城、あるいは砦跡と伝わっている。地元で出くわした「専称寺」の世話をしている城山所有者に城跡の情報を求めれば、当時の城主でもあった足立又三郎の屋敷跡地、あるいはその墓地(名前入りの墓石がある)までは、わざわざ同行して案内して頂くほど詳しいのではあったが、この丘陵上が山城跡である事の認識は全くないものであり、非常に意外な感じはした。ただ幼少期にここで遊んだ記憶がある事だけは分かったが、、、

城跡を訪れるには既にリポート掲載を終えた佐治城跡を起点とすれば分かり易いが、柏原町から県道7号で青垣を目指し、佐治城跡北側の「小倉」交差点で国道427号へ針路変更すれば良いだろう。目指す目的地は「専称寺」となるが、ルート図の赤線を辿れば難なく辿り着けるとは思われる。城跡の直ぐ近くまでは秋葉社まで繋がる山道で上ればよいが、そこから空堀登城道(当時のものと推察)を上れば、山上主郭までは直ぐの距離にある。尚、先に触れた足立又三郎の屋敷跡地及び墓地は概念図中には記したが、興味を持たれた方が覗く分には、史跡見学としても決して無駄足には終わらないものと見た。

1route 登城ルート

6_senshouji_boti 専称寺墓地

7yasikiatoti

足立又三郎屋敷跡地見所

3kohiejyou 城跡概念図

現状(三月)城跡は、山城として見なくてもほぼ全体像が窺えるとても素晴らしい状態にあって、大土塁、堀切、虎口跡などの城跡を形成する遺構は数えられるほどのものではあるが、全て明確に判別確認可能な状況にある。小規模が故に縄張りは一目瞭然でもあるが、とにかく当時がそのまま今に甦ったかの様相には、少なからずとも感動を覚えてしまったのである。城跡を一言で語れば「えっ、これだけ?」と言った処が素直な感想にはなるが、ここまで当時の祖形が維持された山城にはそう巡り合える様な気がして来ない。この城跡を訪ねるにあたっては、決して縄張り妙味あるいは規模の大小を問いただしてはならない、この状態の良さを含んだ佇まいそのものが城跡として魅力を感じる部分であり、一番見学する値打ちのある部分と感じられたのである。

12_karabori_dou 上り空堀道

13_koguti 明瞭な主郭虎口跡見所

14_shukaku_dorui 主郭と大土塁見所

19_horikiri 堀切見所

その形態は既にリポート掲載は終えたが、同じ山垣城の出城跡と伝わっている松倉城とも酷似(単郭で土塁背後に堀切)しており、どちらも状態が素晴らしい事を理由に、間違いなくお薦め出来る城跡として目には映ったのである。山上に詰城(物見を兼ねた)、麓に屋敷跡、更に足立氏の創建から始まる専称寺、更に城主の墓地と、これだけ同時一箇所に揃った史跡も珍しく、集落周辺に城跡案内板がないのは非常に残念ではあるが、訪ね易い事も含めれば、山城ファンの方だけに止まらず、これを機に是非史跡ファンの方にも訪れて頂きたいと思えたのである。

2011年4月16日 (土)

くるすの城跡(兵庫県姫路市)

城跡は兵庫県姫路市夢前町書写にあって、入山口となる清水谷集落から見れば、真南側に聳える標高150mの低山山頂に位置している。この山城は赤松氏の居城として余りにも名を馳せている置塩城の出城と伝わっており、文献資料による違いはあるが「くるすの構」とも呼ばれている。この播磨地方では圧倒的に城跡呼称に「構」が付くものが多いが、古い時代から赤松氏の砦、居館、あるいは出城クラスの城跡を、構(カマエ、あるいはコウ)と呼んでいたのかも知れない。(推察)。

個人的にはこの城跡からほど近い距離にある置塩城(白旗城と並ぶ赤松氏の本城)は、現在までに合計三度訪れているのだが、情報が相当古い事もあって未だにリポート掲載には及んでいない。既に多くの山城ファンの方が訪れていると思われる、この置塩城を起点とすれば位置関係は把握し易いとは思われるが、城跡を訪れるには県道67号沿いにある清水橋」バス停、あるいは斜め向いにあるJA置塩支店を目指せば、ルート図あるいは概念図に記した入山口は充分お分かり頂けるだろう。この山道は山上主郭まで直接繋がっているので、15分程度あれば迷わず辿り着ける筈である。

1_1 登城ルート

5 入山口

1_2 城跡概念図

現状(三月)城跡は、山道が山上まで繋がっていた事から窺われた様に、山上主郭の木々はほとんど伐採されており、無名に近い山城としてみればそれなりに見学し易い状態にはある。ただ自然に任せたままの地表風化は著しく、北郭群を除いては郭切岸も非常に曖昧なものとなっており、郭境は非常に判別し難いのが現状でもある。その中で自身が城跡遺構として判別確認出来たものに関しては全て概念図には記したが、郭跡を除けば片側が縦堀へ繋がる堀切(西側に一箇所)、二連の縦堀、巨大縦堀に見えなくもない大空堀(麓近くまで刻まれており凄いもの!本来の登城道かも?)、虎口跡、切岸跡(北郭群に限る)といった様に、既に多くの山城を踏破された山城ファンの方であれば、この風化の著しい地形からでも、それなりに判別出来そうとは思われた。見所遺構として挙げられるのは、砦規模の山城には余り似つかわしくない堀切と縦堀だけと言うことにはなろうが、この楚々とした山城の佇まいも含めれば、それなりに当時に思いを馳せる事も容易く、個人的には充分訪問をお薦め出きる山城と目には映ったのである。

8heki 北郭切岸

12_shukaku_koguti 主郭虎口周辺見所

16_shukaku_yagura_2 主郭

20_daikarabori_koguti 土塁を伴う枡形虎口状の地形?

23_2ren_tatebori_1 二連の縦堀見所

22_horikiri 西堀切見所

尚、ルート図中に示した「清水谷構」は、今回の山城巡りの中にチョイスしていながら時間の関係(夕暮れ)で踏破出来なかったが、場所はここで間違いないと思われるので、これから訪問準備のある方は、くるすの城と併わせた同日訪問は充分お薦め出来るだろう。ただしこの城跡に関しての実態までは現状把握出来ていないが、、、

2011年4月14日 (木)

福泉寺城跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市火打岩にあって、標高592mを誇る険峻な山頂に位置している。個人的には十年前既に小金ヶ岳登山を兼ねて訪問していたが、その時も今回同様残雪の残る訪城であり、遺構を覆い尽くす残雪によって、満足な見学も出来ないまま下山した苦い記憶だけが残っている。

前回は南麓にある「小金口」登山口から一時間近くかけて登山した記憶があるが、今回は歩く距離が少なくてすみ、登山道も利用出来る楽な方法での登城となったが、ルート図に記した301号沿いにある「小金ヶ岳」の道標(画像に注目)のある登山口(傍に駐車スペースあり)から入山すれば、近年整備されたとも思える歩き易い登山道で、分岐地点となる三箇所の道標を確認しながら上ることによって、30分内で迷わず主郭まで到達可能な事が判明した。今回は改めてそのルートを城跡の現況報告と共に紹介するに及んだが、福泉寺跡を訪ねる史跡ファンの方にとっても、城跡を訪ねる山城ファンの方にとっても、非常に訪ね易くなったものとは感じられた。尚、登山も楽しみたい方には、当然「小金口」からの登山道に従ったルートをお勧めしたいが、此方も初回訪問時より更に整備された登山道となっている様な気はするのである。

1route_2 登城ルート

6_1 小金口にある福泉寺の案内板

8_tozanguti_1 道路沿いの入山口

13_bunki3 分岐地点となる最後の道標

3 城跡概念図

現状(三月)城跡には未だ残雪があったが、前回ほどではなかったので、比較的木々も少なく見通しも利く状況の中を歩き回る事が出来、山上郭群だけならほぼ全体踏破する事は出来た。ただ南郭側(半分近いか?)は過去において採掘作業現場であった事から、相当な規模で当時の遺構は削り取られた形跡(巨大空堀地形)があり、その郭跡も他の郭跡と比べれば地表風化は激しく、極端に凸凹とした地形からは、当時の縄張りの想像は非常に困難を極めた。よって縄張りは見学者の想像にほぼ委ねられるものとは思われるが、山上郭群における大雑把な形態は、ほぼ概念図に描いた通りと思って頂いても良いかも知れない。

20_kitakaku_dorui_1 北櫓台の大土塁見所

24_kita_kaku 主郭に相当か、規模の大きい郭跡

25_kitakaku_higasi北郭東側

34_horikiri_3 堀切見所

39_minami_daidorui 南櫓台大土塁見所

50_karabori_tikei 空堀地形

45_nantan_saikutu_ato_2 南端採掘跡

見所としては南北200mにも達する城域の広さ、中央に施された土橋付き堀切南北二箇所の櫓台に備わる大型土塁は真っ先に挙げられるが、何れも見応えは抜群であり、再訪した値打ちは充分あったと、一人山上で山城ロマンに浸るのである。他では空堀道から繋がる虎口地形、僅かに土塁を伴う郭跡(便宜上の中郭)なども挙げられるが、現状の地形からでは中々断定は難しいものとも思えたので、これらは自分も含めた見学者の想像に全て委ねられるものと見た。

城跡を個人的に評価すれば、標高500m近い山頂にある規模の大きい山城、その中で更に遺構に見応えの感じられる山城は、丹波地方においては烏帽子城、高見城、鬼ヶ城、三尾山城etc.などと数も限られており、遺構が消失した部分は数多いとは思われるが、ある意味で非常に値打ちのある山城と目には映ったのである。以上挙げた事からも、自ずと是非お薦め出来る城跡と言わざるを得ないだろう。

2011年4月12日 (火)

加茂溝ノ上城跡(兵庫県三田市)

城跡は兵庫県三田市加茂にあって、既にリポート掲載を終えた加茂小山城から見れば真西側の河岸段丘上に位置しているが、自身が見た限りでは丘陵上の先端部全てが城域とも思える広大な規模を誇る、縄張りプランに関しても陣城の如き大味な城跡と目に映った。城史に関しては小山城と同様に詳細は不明

城跡を訪れるには当然加茂小山城を起点とすればその位置は把握し易いが、同様に国道176号を進行して向かう事になる。ルート図を参考にすれば分かり易いとは思われるが、青野川を渡る手前で針路変更して、城跡の位置する丘陵先端までは川沿いの舗装道を歩いて向かえばよい。この道路は現在「車は通行不可」となっており、車は国道沿いから少し外れた箇所に路駐する事になる。ちなみに国道から主郭までの到達時間は15分程度と思って頂ければ良いが、直登取り付き地点の丘陵先端部からは、どこから取り付いても主郭までは10mを上る程度と思って頂ければ良いだろう。

1_1_3 登城ルート

4 城跡進入経路

1_2_2 城跡概念図

現状(三月)城跡は自然任せの雑木天国となっているが、冬季訪問という事もあって枯れ木が多く、移動に差し支えるまでには至っていない。もちろん見通しが利く状況にはないので夏季訪問においては相当厳しい事が予想されるが、地形のまま削平されただけに終わっている郭跡を探索する程度なので、大した苦にはならないだろう。明確に判別確認可能な遺構は、丘陵上のほぼ中央に施された主郭部を仕切る土塁、それの外側に僅かに残された空堀跡空堀から川に向いて落ち込んで行く縦堀で、これは自然地形を利用したものとも言えようが、明らかに人の手が加わったと見受けれるものであり中々見応えは感じられた。他ではその周辺だけに限られるが、郭切岸ラインが何とか判別出来る程度と思って頂ければ良いだろう。縦堀は概念図中に直登進入口と示した箇所にもあるが、これは道路沿いからも直ぐ確認出来るので、中々見応えがある事を理由に決して見逃してはならない。ただ当時の入城道となるものかも知れないが、、、

8_sanjyou_kaku_1 広大な規模の主郭

9_kuboti 馬場跡にも窺える緩い傾斜地

14_tatebori_2 現状、縦堀地形(取り付き口)見所

12_dorui_1 土塁跡見所

11_dorui_1 土塁と僅かな空堀跡

13_tatebori 川まで落ち込む縦堀見所

城跡を個人的に評価すれば、縄張り妙味にも遺構の見応えにも余り期待出来ない城跡でもあり、文献などによって既に城跡として認識のあった方にとっての所在地の確認、あるいは実態を含めた現況報告として、このリポートが少しでも役に立ったのであれば良しと言った処か、、、陣城遺構(推察)に興味を持たれている方が覗く分には、歴史を探る上で決して無駄足には終わらないものと見たが、、、。

2011年4月10日 (日)

播磨地方では屈指とも言える城域を誇る 高峰山城跡(兵庫県神崎郡)

城跡は兵庫県神崎郡福崎町大貫にあって、国土地理院地図の中で標高408mの三角地点にある「深山」と記されている西側の峰に位置しており、その深山に建つドコモの中継所は麓の県道からでも確認出来るので、城跡の位置確認は容易いとは思われる。この山城は古きより成立したものであるが、赤松氏の息のかかった城跡と伝わるだけで、城史に関しての詳細は不明でもある。

城跡を訪れる為の最寄の高速自動車道乗降口は中国道「福崎」ICとなるが、今回入山口とした「奥池」までは県道23号で2km程度東進し、「大池ショートゴルフ」施設のある大池を越えて左折(ゆるぎ岩の案内道標が目印)針路変更すればよい、奥池付近には充分路駐箇所はあるが、その北側から峠に向いた山道を利用して上り(西進)、倒木が多くなれば適当な箇所から右手側の斜面に取り付いて直登を敢行すれば良いだろう。便宜上の二ノ郭までは奥池から30分程度はかかるが、尾根に沿って上れば迷わず辿り着けるとは思われる。

1_1 登城ルート

4sinnyuukeiro 南麓から城跡遠望

1_2 城跡概念図

尚、県道23号からは相当遠くはなるが、北側から深山に繋がる林道もあるので、楽をしたい方はその林道を利用してドコモ中継所まで上れば良いとは思われる。ただこの林道の状況までは分からないが、最近では施錠されて一般車は通過出来ない林道、あるいは小型四駆でなければ上れない林道も少なからずあるので、健脚の方は迷わずこの分かり易い直登ルートをお勧めしたいのである。県道から林道を経由した深山までの長い道程を考えれば、恐らく時間的にはこちらの直登ルートの方が早いとは思われるのだが、、、、

現状(三月)城跡は当然藪化進行中にはあるが、山上主郭は登山客が通過して峰を縦断するコース上にある事から、山城としては比較的状態が良いものであり、郭移動に難渋するまでには至っておらず、概念図中に示したまでの本郭群の遺構のほとんどは、判別確認可能な状態にあると思って頂いても良いとは思われる。麓から山上郭群までは相当遠い距離にある事、あるいはこれだけ険峻な地にある築城環境を考慮すれば、縄張りプランに特別技巧を凝らす必要があるとは思えなかったが、郭跡を除けば登城道の様にも窺えた土塁を伴う数箇所の空堀地形(縦堀も含める)、浅い堀切跡(西尾根端)、虎口跡、切岸跡などが目に留まった遺構群と言う事になるだろう。

9_minami_kaku 広大な規模を誇る南郭

11_tatehori_tikei_1 南郭の空堀地形見所

16_2maru_1 二ノ郭

20_sanjyou_shukaku_1 山上主郭の現状

33_hokora 主郭南下段にある祠

34_2maru_heki 二ノ郭東切岸見所

37_saigedan_koguti 東郭群、明瞭な虎口跡見所

26_horikiri_1 西端尾根の堀切見所

24_nisi_dobasi_tikei_1 西尾根上の土橋地形

二ノ郭には石列が露見している土塁基壇らしき構築物もあるが、これは城跡遺構と言うよりも、後世における拝殿跡、あるいは祠跡の様な気がしないでもない。とにかく城域が広く規模も大きいので、深山に繋がる尾根、あるいは西端の西峰までは踏破出来なかったが、出郭あるいは堀切の類は尾根上に施されていたのかも知れない。「見応えのある遺構は」と聞かれると少し返答には困るが、二ノ郭東側に連なる郭群の高低差を伴う状態の良い切岸跡、その明瞭な虎口跡は取り合えず挙げられようが、巨大山城と呼ぶに相応しいまい、あるいはこの築城環境こそが、この山城を見学する上での最大の値打ちとも思えたのである。山城としてみれば古い形態に限りなく近い城跡ではあるが、城域の広さは播磨地方の山城の中では屈指と言えるものでもあり、個人的に城跡を評価すれば、充分お薦め出来る山城の一つと言う事にはなるだろう。

2011年4月 8日 (金)

鍋倉城跡/賀野構跡(兵庫県姫路市)

この二城は何れも兵庫県姫路市夢前町山之内にあって、鍋倉城の形態は山城(丘城)、野構(立船野構)は道路沿いの案内標柱に記されてあった様に、居館として捉えれば良いものとは思われる。「山城賛歌」においては基本的に山城の現況報告を最大の目的とするものであり、今回の山城巡りにおいては自ずと前者の鍋倉城が本命となるが、この城跡は「山之内小学校」の直ぐ北背後の低丘陵先端に位置しており、山上に設置された現地案内絵図に描かれていた様に、その遠く離れた北山上には狼煙台としての郭が備わっていた模様である。名が語る様に本来は鍋倉氏の築城によるものではあるが、その後は長水城の家臣が城主となり城を守った歴史が伝わっている。

1route 登城ルート

7_1 入山口

3_1 城跡概念図

城跡を訪れるには中国自動車道「福崎」ICが最寄の乗降口となるが、県道23号の交差点「前之庄」で針路変更して、山之内集落まで向かう唯一の県道67号へ進入しなければならない。目印となるのは「山之内小学校」で、城跡への登山口は小学校背後にある城址標柱の北側(概念図に示した付近)にある道路沿いにあり、下草で少し分かり難いが朽ち欠けた案内板が横たわっているので直ぐ確認は出来るだろう。10m程度を上るだけなので直ぐにでも主郭が迎えてくれる筈である。

現状(三月)城跡は、児童の為のフィールドアスレチック公園となっており、整備保全の行き届いた山上主郭は非常に見学し易い状態にある。主郭及びその斜面周囲においては木々が伐採されて、見る限り近年整地された程度に終わっているものと感じられた事から、眼にする事の出来る城跡遺構は、ほぼ当時のままが現在に至ったものと解釈しても良さそうには思われた。その形態は概念図には示したが、小規模な山城にありながら土塁を伴う二段の空堀(横堀)、北背後の堀切、縦堀といった具合に、本格的普請の窺えるものであり、学者の目は間違いなく楽しませてくれるものと感じられた。ほぼ全体像が窺える状態の良さも加味すれば、規模さえ問わなければ間違いなくお薦め出来る城跡と自分の目には映ったのである。

12_shukaku_1 山上主郭の現状

14_kita_gedan1_1 北郭1

17_gedan1_heki 北郭切岸跡

22_karabori_dorui_1 空堀、土塁跡見所

27_hokutan_horikiri_1 北端堀切見所

賀野構(立船野構)はルート図に示した「生福寺」に本があったものとされており、赤松氏の構居跡と伝わっている。その東山上は「狼煙山」と呼ばれ防塁、堀割(堀切)が確認されている(城址標柱に記されている)らしく、山城としての機能も一応備わっていたのかも知れない。残念ながらこの狼煙山まで覗く余裕はなかったが、山城として見れば覗いてみる価値はあったのかも知れない、、、現状この賀野構に関しては当時の佇まいの想像すら困難な状態(画像に注目)にあり、赤松氏の築城ともなれば当然石垣跡も期待したが、寺院の敷地周辺の石垣は、個人的には積み直しも含めて全て近世におけるものと見受けられたのである。自ずとどこまでが当時の遺構かまるで見当が付かない状況にあるので、今回はこの城跡に関しての評価はパスさせて頂きたい。

1 道路沿いの城址標柱

Photo 本郭跡の周辺

2011年4月 6日 (水)

状態が良く佇まいが値打ち 小丸山砦跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市野中小丸山にあって、独立した小山の山上に位置しており、かつての山上主郭跡には現在「小丸山稲荷神社」が建立されている。この城跡は小さな小山全体が城塞と呼べるものであり、外見あるいは築城環境からも、正しく砦の名に相応しいものと感じられたが、この砦跡の直ぐ南背後に聳える山の山上に谷山城がある事を思えば、自ずとその出城と言う事になるのかも知れない、、、城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた四季山城を起点とすれば一目瞭然とは思えるが、神社参拝入り口周辺は狭い道路となっているので、駐車には多少苦労するだろう。土日に訪れたとすれば、交番の直ぐ南にあるJAの駐車場を自己責任において借りれば良いとは思われるが、四季山城も同時に訪れるつもりであれば、その周辺には路駐スペースが確保出来た事から、そこから散歩気分で歩いて向かわれる事をお勧めしたい。

1_1_2 登城ルート

8 神社参拝入口(登城口)

1_3 城跡概念図

この城跡は四季山城訪問リポートの中で、砦跡としての佇まいには素晴らしいものがある!」と触れた様に、現在神社敷地として整備されたその状態は、その小規模な縄張りの全貌があからさまに窺えるものとなっており、当時に思いを馳せる事も容易く、多くはないが付随する郭の全ては、主郭から覗けば外見からでも充分判別確認可能な状況にある。その形態はほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、小山全体が岩山とも言えるものであり、主郭から小郭を重ねた西側斜面を除けば、主郭周囲は全て切岸から直接下まで落ち込む崖上急斜面となっている。よって縄張りの中に空堀などを眼にする事は出来なかったが、地形から思えばこの切岸だけで充分過ぎる防備の様には感じられた。

14 参拝道から見た主郭切岸見所

16_shukaku_1 主郭の現状と切岸ライン

19_nisi_gedan_yori 西下段郭より主郭

21_2maru_1便宜上の二ノ郭

23_2maru_shukaku_heki_1 二ノ郭より主郭切岸見所

現状、社殿敷地となっている主郭は、整地だけに終わっているものと察する事が可能であり、規模は小さく眼にする事の出来る遺構は、郭跡を除けば切岸跡だけに限られてくるが、祖形も縄張りもほぼ当時のままと見受けられた(推察)この砦跡は、状態の良さあるいは5分とかからず主郭へ到達可能な圧倒的お手軽感、更に冒頭で述べた様に砦跡としての佇まいが素晴らしいと思えた事から、山城ファンの方だけに止まらず、史跡ファンも含めた一般城跡ファンの方にも、是非この小山を砦跡と認識した上で一度訪れて頂きたいのである。残存遺構に見応えは全く感じられないが、この砦跡が醸し出す風情だけは充分価値のあるものと見た!

2011年4月 4日 (月)

四季山城跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市丹南町小枕にあって、既にリポート掲載を終えた谷山城跡から見れば、真東に聳える独立した低山山上に位置している。自ずと谷山城の出城と呼べそうには思えるが、現状城史に関しての情報は皆無に近いものであり、推察の域は出ないものでもある。

城跡を訪れるには国道372号で信号のある「小枕」交差点を目指せば分かり易いが、そこから直ぐ城山は確認出来る筈である。低山なるが故にどこから直登しても山上までは直ぐ辿り着ける(10分程度)が、縄張りを確かめながら見学する分においては、ルート図に記した墓地背後を上り、尾根上の削平地を通過しながら主郭を目指した方が効率が良いものとは思われる。

1_1 登城ルート

7 城跡進入路

1_2 城跡概念図

個人的にこの山城は数年前にも訪れているが、夕暮れに近い時間であった事も重なって、全体を探索する事も出来ずに、堀切と主郭を確認した程度の訪問で城跡を後にしまった記憶が残っている。今回は隣接する小丸山砦(後で掲載予定)の見学が主目的であった事から、ついでに見逃していた遺構見学を兼ねての訪城となった訳だが、砦規模でありながらも部分的に明瞭な切岸跡、縦堀に繋がる土橋附き堀切、帯郭などが語る様に、ほぼ地形に任せたままの縄張りプランではあるが、それなりに充分練られたものであり、本格的普請によって築かれたものだという事ははっきり分かる

。現状(三月)山上郭群は藪化までには至っておらず、山城としては動き回り易く見学し易い状態が自然維持されている。全体的に地表風化は進行しており、切岸跡などは土の流失によって曖昧と化しているが、郭外壁などでは充分確認する事が可能となっている。形態はほぼ概念図に示したものと思って頂いても良いとは思われるが、主郭櫓台から北に向いて小規模な段郭が備わったものであり、帯郭や狭小郭群がそれに付随してはいるが、郭境に高低差がほとんどない事から、切岸の醍醐味には余り触れる事が出来ないかも知れない、、、、

10_minami_top_gawa_2 南郭群

12_2maru 二ノ郭(城中最大郭)

14_dorui_kara_2maru 土橋附き堀切と土塁跡見所

18_tatebori_2 縦堀見所

21_yaguradai_1 主郭櫓台

23_kita_yori_shukakugawa 北段郭群

城跡を個人的に評価すれば、残存遺構に余り見応えは感じられなかったが、風化に任せたまま現在に至ったものと見受けられた遺構の数々は、当時の状態から手付かずとも思えた事から、非常に値打ちのある城跡と目には映った。よって山城としては見学し易い状態にある事、縄張りの全体を短時間で把握する事が可能な事、遺構残存度が高い事、更にお手軽感も含めれば、規模さえ問わなければ充分薦め出来る山城と言う事にはなるだろう。後でリポート掲載を予定している、小丸山砦の佇まいが素晴らしかった事もあって、まだ未訪の方には二城併せた訪問プランは是非考慮して頂きたいと思うのである。

2011年4月 2日 (土)

断崖絶壁上に築かれた究極の山城! 香良城跡(兵庫県丹波市)

この山城は縄張りプランなど一切必要とも感じられない、人馬も拒むほどの断崖絶壁上に築かれており、その周囲のほとんどが自然露岩で覆われた岩山の、標高340m付近の痩せ尾根上に位置している。主要三郭で形成されたその規模は、前述の痩せ尾根地形から考えれば比較的大きいものであり、これだけ険峻な地にありながらも、山上における郭総全長は軽く100m以上には達し、流石に丹波地方においては当時有名な「香良合戦」の舞台にもなった山城である、砦の域は随分はみ出した山城と自分の目には映ったのである。この「香良合戦」に関しては文献資料(丹波史)などで深く追求していない事から、興味のある方は各々でリサーチして頂きたいが、基本的には細川氏に組する赤井氏、荻野氏vs三好氏に組する芦田氏、足立氏による戦と思って頂ければ良いとは思われる。

1route 登城ルート

4_2 城跡遠望

5_tozanguti 登山口

1_1 城跡概念図

訪問結果から先に述べれば、自然露岩を郭壁あるいは堀切壁として取り込んだ縄張りプラン、自然地形をも取り込んだ縦堀(大空堀)、痩せ尾根を活用した移動土橋、縦堀に繋がる二連の堀切、土塁壇(櫓台も含めた)、切岸跡と、当時の遺構はとにかく目白押しとなっており、自身が踏破して確認した概念図に示したまでの遺構は、全て判別確認可能な状態にあると思って頂いても良いとは思われる。地形を活かし切った縄張りが全てとも窺える山城である事から、縄張り妙味までは求められないが、遺構群の醍醐味はもちろんの事、その佇まいも含めた城跡の全てが見所とも感じられ、探索冥利に尽きる山城とも感じられたのである。

13_hokutan_horikiri2 北端堀切(ここへ到達)見所

15_horikiri1 二連堀切2見所

16_dorui_karabori 主郭北壁見所

22_shukaku_2 主郭の現状(眺望最高)

33_kyogan_horikiri_1 露岩と堀切見所

現状(三月)山上郭群においては、蔓延る木々が比較的少ない事からも、移動に難渋する事なく見て廻れる状況にあり、主郭あるいは二ノ郭などは見通しが利く事、ほぼフラットな状態が自然維持されているせいもあって、郭跡に佇めば臨場感は間違いなく味わえそうには感じられた。これを機に訪れる山城ファンの方々には、是非現地を覗いてその城跡の佇まいに感動して頂きたい事から、これ以上多くは語らないが、訪れた以上必ずやその期待に応えてくれる山城とも窺えた事から、この現況リポートあるいは城跡概念図に少しでも興味を持たれた方には、背中を押してでも訪問をお薦めしたいのである。丹波地方では黒井城、烏帽子城、三尾山城、鬼ヶ城、野山城などと、険峻極まりない山頂に位置する山城は多いが、何れも赤井氏の拠った山城であり、規模の大小は別にしても見応えがある事で共通した部分は多い。この山城が赤井氏によって築かれたものか(改修も含める)どうかは知る術もないが(芦田氏か?)、険峻な築城環境から考えれば、当然山そのものを熟知し、山城の縄張りを最も得意とした赤井氏の築城によるものとも窺えたのである(推察)。それにしても赤井氏の築いた山城は素晴らしいものが多く、この城跡も正にこれぞ山城!と呼べる城跡の一と言えようか。

38_kyogan_dobasi_1 痩せ尾根土橋地形見所

43_2maru 二ノ郭

47_3maru_gawa_doruidan 三ノ郭土塁壇

52_iwa_doruidan_1 三ノ郭露岩を利用した土塁壇見所

城跡は丹波市氷上町香良にあって、どこからスタートしても訪れるには県道7号へ進入する事が先決となるが、「香病院」、「五台山」登山口、あるいは景勝「独鈷の滝」を目印として目指せば迷わず付近までは辿り着けよう。山上主郭までの登城ルートは三通り(北側からの林道、五台山登山道から、直登)考えられるが、現地に着いて一番分かりやすく、最短で到達可能な直登ルートをルート図には示した。「毘沙門洞」入り口から上り始めれば、直ぐに瓦礫の多い急斜面が待っているが、前は充分開けているので比較的上り易く、藪漕ぎもなく20分もあれば堀切までは辿り着ける筈である。尚、下山時においては随分遠回りにはなるが、浅山不動へ繋がる五台山登山ルートへ合流した方が、より安全に下山出来るものとは思われる。

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