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2011年3月21日 (月)

スケールの大きい空堀が見所 播磨大山城跡(兵庫県神崎郡)

播磨地方では置塩城を本拠として絶大な勢力を誇った赤松氏の築いた山城が圧倒的な数を占めるが、この山城も赤松氏によって築かれた山城の中の一である。赤松氏の築いた山城の特徴としては「郭壁に石垣の多用」、「人馬も拒む険峻な地を選択した築城環境」の二点はまず挙げられようが、この山城も標高487m(比高約300m)の険峻極まりない山頂に築かれたもので、石垣は見る限り使用されていなかった。

比高300m近い山城は出来るだけ体力を温存する為に、入念な登山ルートの確認が必要となるが、流石に今回ばかりは何時ものような気ままな山城巡りとはいかず、前日から色んな直登ルートを想定しての訪城となった。結果的には自分の想像を遥かに上回る城跡遺構に巡り合える(砦規模の山城を想像していた)事になったが、30分以上にも及ぶこの激斜面との格闘は、体力も気力も相当消耗させられた。しかしこの現況リポートを機に訪れる方には、辛い思いをして山頂まで辿り着いたとしても、絶対に期待は裏切られない遺構と対面できると思われた事から、この山城も山城ファンの方に限っては是非訪問をお薦めしたいのである。

1_1 登城ルート

2z 現地案内板

1_2 城跡概念図

現状(二月)城跡は移動に難渋する事もなく、見学に差し支えるまでには至っていないと思って頂いても良いが、残存状態も比較的良いものであり、地表風化は進んではいるが山上は意外に見通しも利く状況(比較的木々が少ない)となっている。城跡の見所遺構としてまず最初に挙げられるは、北尾根を断つ大空堀(横堀)で、両翼は50m近くに及んでおり片側は縦堀まで繋がっている。深さは堆積物によって相当失われてはいるが、掘削幅も現状5m近いものであり見応えは抜群なものとなっている。この険峻な山上にこれだけの空堀が施されていること自体がとても信じられない思いでもあるが、主郭と二ノ郭間にも大堀切が備わっており、これも直立に近い薬研堀に近い形で未だ屹立した状態を保持している。この箇所の空堀見学が全てと言っても過言ではないものとも感じられたが、赤松氏によって険峻な山上に築かれた山城には、これからも決して期待を裏切られる様な事はないと再認識させられたのである。

9_kita_dorui 北大土塁見所

11_kita_daikarabori_1 11_kita_daikarabori_5 大空堀見所

16_kitakaku_doruiato_1 北郭の土塁跡見所

20_shukaku_kita_heki 主郭北切岸

27_horikiri_2 大堀切見所

30_higasikaku 状態の良い二ノ郭

29_horikiri_heki凄い! 堀切壁

城跡は兵庫県神崎郡神河町杉にあって、先にリポート掲載を終えた高峰城を起とすればその位置も分かり易いとは思われるが、ここから国道312号を走り約5km北上した地点にある「大山小学校」を目印とすれば良いだろう。校門に繋がる道路沿いには城址案内板が設置されているので、東に聳える城山は直ぐ確認出来る筈である。直登ルートはルート図に示した赤線を辿れば良いが、現状植林地となっているこの谷状地形を登るルートは、近年の間伐によって放置された木々あるいは倒木が多く、前が開けているので目標は定め易いが、相当足元に気を使わなければならない。個人的には北側から林道を利用して登り始めたが、こちらも同様に放置木々が多く、挙句に藪漕ぎも強いられたので、これから挑まれる方には、迷わず藪漕ぎのない前者のルートで上ることをお勧めしたいのである。ただどこから登っても激斜面の直登である事には変わりは無いので、事前に登山する覚悟とそれなりの準備が必要とは思われる。

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兵庫(三田~播磨地方)の山城」カテゴリの記事

コメント

大山城のリポート、拝読しました。
かねて赤松氏と山名氏の抗争を調べたおり播磨と但馬の境目にあたる真弓峠界隈の山城群が気にかかっていました。昨年、生野城に登ったおり大山城の説明板を発見、帰宅後、木内さんの鳥瞰図を見て、いつかは登りたいと思っている城でした。神河町役場に登山路を確認したところ七宝寺さんがひとつの起点になると教えていただき、雪も融けたし、そろそろ登ろうか!などと思っていた今日このごろでした。
そのようなときに、ドンピシャなTAKUさんの大山城址登城リポートと縄張図!またまた、登城の参考にさせていただきます。リポートでは西の急斜面を激登されているようですが、七宝寺さんを訪ねてみてのち、東の尾根筋アタリからアタックしてみようと思っています。

TAKUです。
コメント拝見致しましたが、山城リポートが結果的にタイミングの良いものであって何よりでした。これからの訪城のお役に立ちそうとも聞き、非常に嬉しく思っております。
とにかくこの山城は比高300mもありながら登山道のない城跡ときているので、どこから取り付いても非常に登るにはやっかいと思えます。二ノ郭北東側の尾根筋に何となく踏み跡が窺えましたが、唯一そちらの尾根にかつての山林作業用山道があったのかもわかりません。
これから挑まれる事とは思いますが、山上に未だ手付かずのまま残るとも思えた当時の遺構を、是非堪能して頂きたいと思っております。
無事踏破見学を終えられる事を願っております。

縄張概念図を参照して訪城したのですが、概念図は何かの文献からなのでしょうか。全国1,500城ばかり山城の縄張りを主として見て回っている者ですが、全体の縄張りから見ると、一般的に考えられるのは、概念図のとおりだと思いますが、実際に訪城して見た限りでは、構造と防御面を考えた場合、主郭と二ノ郭が反対のように思うのですが・・・。概念図の主郭は、郭が継続していて責め易いが、二ノ郭は、周囲が堀切を含む切岸に囲まれ堅固であり、且つ頂部に位置しているために、逆ではないかと思った次第です。ご返事お待ちしております。

TAKUです、コメント拝見させて頂きました。
質問に対してのご返答になりますが、私自身の描いた城跡概念図は、どの文献の縄張り図を参考にしたものでもありません。又、引用したものでもありません。もちろんそういった類の資料を、自身がほとんど持ち合わせていない事で、独断と偏見によって描かざるを得ないと思って頂いてもよいかもしれません、、、その方が城跡を訪れる際に新鮮でもあり、踏破探索する意欲、あるいは目的意識が湧いてくるように思えるのです、結果的には城跡に対して全く白紙の状態から、城跡概念図を描く楽しみも同時に生まれてくるように感じています。よって過去専門家の方々によって描かれた縄張り図、あるいは当時の遺構機能の想像に関しては、私の描いた概念図とは異なる部分が、当然出てくるものと心得ます。
結論から先に申し上げれば、専門家でもない私自身に、機能に関しての議論はおこがましくもあり、ここでは控えさせて頂きたいと思います。「城郭における機能の想像は、踏破探索された方々ご自身で判断して楽しめばそれでよい」と解釈するのが私自身の素直な考えであり、それが数十年における山城巡りの中でやっと得られた答え、という事になるのかもわかりません、、、
結果が出ない以上、全て城跡ロマンと考えればそれでよいのではないでしょうか、これからも末永く城跡巡りを楽しんで頂ければ幸いに思います。

早々のご返事有難うございます。山城は400年以上放置されたままで、当時のものやその後書かれたものとは大きく違っているのが大半です。私も縄張りが入手出来ない場合は、自分で描いたものを現状イメージ図として紹介してさせて頂いておりますが、その場合は郭1、郭2、等の表示で説明用として付与させて頂いております。概念図では主郭、二ノ郭という表示でしたので、てっきり何らかの文献に依るものかと思い、つい質問致しました。ぶしつけをご容赦下さい。

その後、城址を紹介するにあたり、気になって兵庫県教育委員会発刊の「兵庫県の中世城館・荘園遺跡」の中で探し、見つけました結果、矢張り最頂部が主郭で、他は単なる郭となっておりました。然し、縄張図は極めて簡素なもので、TAKU様のようなリアルなものではありません。城跡に卓越されておられないととても描けないような図に、ほどほど感服致しております。これからも種々ご教示下さい。

やっと大山城跡を踏破しました。前に書き込みさせてもらって以来、四年が過ぎ去っていました。北麓の七宝寺を起点に滑落しそうな道なき急斜面を直登!登り着いた尾根筋で何故か勘違いをして、城跡とは逆方向に歩くミスをおかし三時間のロスタイム (≧∇≦) 。いまでも狐につままれたような気分です。心が折れそうになるところを気合いを入れ直して、なんとか登り着いた三角点のある主郭部は木々が伐採されて見晴らしもまずまず。それはよいのですが、切られた木々が曲輪の周囲に積み重ねられた残念な状態。ともあれ、城跡に刻まれた堀切、切岸、横堀などなどの遺構群を堪能しました。
下山も道なき急斜面を激下り、しかも途中より谷川となり、登りに劣らぬ苦戦。文字通りの山城攻め!足はガクガク、ちかれました〜 (*_*) 。でもかねてより攻略ターゲットにしていた大山城跡登山、達成感は十分でした!

TAKUです、播磨屋さんお久し振りです。
そうですか、、、初回の書き込みを頂戴してから既に四年も経っていたのですね。何はともあれ無事踏破達成できて何よりでした。
私自身の山城巡りの中でも、辛かった登山のベスト5には、間違いなく入ると思われるこの山城ですが、三時間の徘徊はこの山城にとっては非常に致命的でしたね、、、播磨屋さんの心が折れそうになる心境や様は、当時の私と間違いなくダブって見えました。(笑)
遺構見学における満足感もさることながら、山城巡りの本質ともいえる、心地よい疲労感と達成感を同時に味わえた事で、私同様、より記憶に残る山城となった様な気はしますが、、、
このところ週末は雨模様となる日が多く、中々山城巡りが出来ないでいるのですが、来週こそ晴れて欲しいと願うばかりです。

大山城登山、痛恨の尾根筋逆走は
いま振り返っても狐につままれたような ( ? _ ? )。
でも、無事に踏破できたことでもあり
一つ心のつかえが取れた気分です。
ところで、下山した谷筋かたわらの斜面に
登り道らしきルートが…。果たして登り道か?
機会があれば辿ってみたいですね (*^^*)

播磨屋さん、下山した斜面に山道が見えたそうですが、北麓にある作業用林道から谷筋に沿った尾根を経て、二ノ郭まで繋がる僅かな踏み跡程度の山道かも知れません、、、
播磨屋さんの「痛恨の尾根筋逆走」には苦笑してしまいましたが、私も何度か経験があります。当事者にとってはしんどいやら情けないやらで、不安と共に時間だけが無駄に過ぎてしまい、遺構見学というよりも、悔しい思いだけが残るという、一番悪いパターンに陥られたのだと思います(笑)
もちろん遺構の醍醐味を味わう事で、苦い思いも辛さも忘れ去ってしまうのですが、、、
播磨屋さんは恐らく、北麓からの直登を選択されたものと思われますが、北麓二箇所の尾根先端部の西側に取り付いたつもりが、東側に取り付いたせいで、自身が描いたルートより外れ、東側へ逆送する形になったのだと思います、、、言葉では中々説明し難いのですが。
もう一度辿ってみたい気持ちも、私なら充分理解出来るつもりですが、同じ感動を共に分かち合える山城仲間がいる事を忘れず、これからもくじけずに頑張って下さい。

takuさま
他の方のコメント及びtakuさんの激闘コメントを見て、前からこの激斜面の城址を挑戦したいと思っていました。季節も寒くなり先週日曜日に決行しました。

国道沿いにこの地域にしては珍しく城址説明板があり、ひょっとして道らしき道はその後できたのでは?と淡い期待もしたが、ありませんでした。

登城口付近の地元の方が偶々農作業されていたので、登城アクセスを聞くと知らぬと言われました。でも駐車を快諾して戴きました。

山頂の位置は分かるので、適当な位置から直登。凄い藪漕ぎが途中数箇所、激斜面、倒木、痛い木の出現、道なき道と全ての悪条件が揃い、救いはシダ藪のお陰で滑りにくいことでした。途中やめようかと思ったが、体力よりも根性のみですね。この季節にも関らず汗びっしょりになった後、35分で素晴らしい空堀が出迎え、疲労感吹き飛びました。段郭の後にでっかい堀切2発。凄い。こんな山なのでこの程度の遺構で防御できたのだろうが、ここまで誰が攻めてくるのか!という激斜面。だから歴史は面白いと思います。。達成感充分だし、今までの激斜面のベスト(ワースト?)10には間違いなく入いります。先日の龍ケ城よりは比高はないと思うので、それよりはましだと思いますが。。

下りは地籍調査のリボンをみつけそれは比較的新しいリボンだったので、最近だと思います。それを頼りに下りました。登りより藪漕ぎは少ないが激斜面を下るので膝ガクガク。滅茶苦茶達成感。駐車場に付いたときに地元の作業者がまだ居たので、素晴らしい城址の麓に居て幸せですねと伝えた会話が面白かったです。ありがとうございます。

これから登城を決心される方はこの地籍調査のリボンを頼りが少し藪漕ぎ的はましと思います。激斜面は避けられませんが。

この山城の険峻さ、あるいは攻城難度の高さは、自身が過去訪れた山城の中でも、間違いなくベスト5の中には入りそうに思われます。現在でも相変わらずの藪漕ぎとは想像通りでしたが、放置木々の多さも相変わらずのようですね。
この山城は遺構の醍醐味はさておき、自分自身との戦いも含めて、どれだけ当時の遺構に触れてみたいかといった、意欲あるいは気概にかかってくるものとも感じられます。
ヒデさんも感じられたように、確かに体力よりも根性重視の山城だと思います。
コメントを拝見して、その達成感もさることながら、遺構見学も充分楽しまれたご様子にて、私も非常に満足といったところでしょうか、とにかく無事踏破達成出来て何よりでした。

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